Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

5年過ぎたのに

2007-08-14 | 医療・病気・いのち
通常胃癌や大腸癌などの消化器癌は
5年間再発を認めなければ
もう大丈夫だろうということになる
しかし世の中と同様
人間の体に100%と言うことはない

食道癌術後5年が経過し
CTその他の検査で明らかな再発所見のなかった方が
5年7ヶ月目のCTで
再発を認めた
その7ヶ月前のCTを見直しても
影すら認めない

5年間も身を潜めていた癌細胞が
いきなり短期間にその姿を現してきたのだ

こういう状況を経験させられると
いったいいつまで経過を見るべきなのか
改めて考えさせられる

2007-08-13 | 想い・雑感
私たちは死を遠ざけたいと思っています
死を嫌っているのです

ならば生を大好きだと思わなければ
生きるのも死ぬのもきらいと言うことになってしまいます

生を大切にしているのかな
生を慈しんでいるのかな
自分の生も 人の生も 人以外の生も

生きる場所

2007-08-13 | 想い・雑感
現代の日本に置いて
人々が最後を向かえる場所として最も多いのは
病院だというのは常識になってしまいました
家で看取られるなどというのは
せいぜい1割くらいだそうです

自分が死ぬ場所
と考えると病院でも違和感は無いのですが
私たちは死ぬまで生きています
死んだ自分に会えるわけでは無いので
私 にとっては生きている間が重要なのです

ならば最後が近いと感じたとき
 死ぬ場所 と考えるより
 生きる場所 最後を生きる場所
と考えた方が良いのではないでしょうか

生きる場所として考えると
病院はどうも選択肢からはずしたいような気がします
ただ現在の日本では
末期 ということになると
病院以外の選択肢を気軽に選べる状況に無いのも現実でしょう

どのように自分の生を全うするか
どこで生き抜くか
できることなら我が儘をとおし
私(我が)のままでいたいものです

記憶

2007-08-12 | 想い・雑感
日航機が御巣鷹に墜落して
もう22年の歳月が流れたのですね
様々な出来事や言葉は
個々人にとって
何らかの感情や想いとともに記憶に留まっている
普段は忘れたように生活していても
記憶を呼び覚ます映像や言葉で
一気に感情も呼び覚まされてしまう

上を向いて歩こう 涙がこぼれないように ♪
と坂本九さんは歌ったが
上を向くとかえって飛行機のことを想い
涙する人もいるのではないだろうか

感情とともに閉じこめられた記憶を
さまざまなきっかけで ときどき呼び起こされながら
ひとはその人生を歩んでいく




犠牲者の冥福祈り灯籠流し 日航機事故22年の上野村(共同通信) - goo ニュース

オエー

2007-08-09 | 医療・病気・いのち
二日酔いの気分の悪さを体験した人は多いでしょう
食べ物にあたったり
体調を崩したりしたときも
吐き気を伴うことがよくあります

一旦吐いてしまえば楽になるような吐き気ならまだ良いのですが
少し上がってくるようだけれど
ばっと吐くわけでもなく
いつまでもむかむかするというのは
なかなか辛いものです

癌の末期には様々な原因で
吐き気が出現してくることがあります
原因を特定して治療をする必要がありますが
様々なことが複合して吐き気を引き起こしていることも多いので
なかなか症状を取ることが難しい場合もあります

しかし末期の場合 痛みが自然に無くなることがないのと同様
自然と吐き気がおさまるなんてことはなかなかありません

なんとか吐き気を押さえてあげる努力が必要です

一般的に吐き気に対してプリンペランというお薬がよく使われるのですが
この薬だけ使ってもたいてい良くなりません
単に医者の気休めでないかと疑いたくなりそうなお薬です
でもその気休めで満足している医者も少なくないのが現実です

単に吐き気といっても
使用すると症状が軽くなる可能性のあるお薬として
10種類くらいの候補があります
また場合によっては
手術を含めていろいろな処置が必要な場合もあります

その中からどの薬が あるいはどの手段が
目の前の患者さんにとって望ましいのか
繰り返し検討することが必要です

幸せ

2007-08-08 | 想い・雑感
朝気持ちよく目が覚める
コップ1杯の水がおいしい
普通に歩ける
息ができる
痛いところがない
目が見える
人とお話ができる
胸が苦しくない
仕事ができる
本を読める
テレビを見る
おいしく食事ができる
よく眠ることができる
気になることがある
頭に来ることがある
けんか相手がいる

… 今 生きている …

幸せだなあ

痛みの緩和

2007-08-08 | 医療・病気・いのち
 薬というものは、体に対するいろいろな作用を惹き起こします。その中で、バランスのくずれた状態から正常へ近づけるような作用を期待して、薬として使用するわけです。作用の中には、好ましくない働きもあり、其れが前面に出ると、副作用ということになります。一方、主作用のほうも、薬のさじ加減を間違えれば、効きすぎということになります。たとえば、降圧薬を過量投与すれば血圧が下がりすぎるし、糖尿病の薬を使いすぎれば低血糖になります。

 癌末期の痛みに対する治療として、麻薬は非常に重要なお薬です。麻薬の使用に関するさまざまな誤解は根強く残っていますが、やはり他の薬と同様にさじ加減が大変重要になります。

 karakaraさんのご質問にあるような(先日テレビで癌で亡くなった若い方のドキュメントがあっていましたが、痛みの治療で麻薬を使うと意識がなくなり人間としての生ではなくなるように表現されていたようにおもいました。)という場合、2点ほど注意が必要だと思います。

 1:基本的には、麻薬のベースとして消炎鎮痛剤を使用する必要があること。
 2:麻薬では取りきれない痛みが1~3割り程度存在すること。

 痛みがあるときには、まず通常の消炎鎮痛剤を使用します。それで痛みがコントロールできないと麻薬系鎮痛剤の使用を開始するわけですが、両者は作用機序が違うので、消炎鎮痛剤は使用を継続したまま、麻薬系鎮痛剤を使用することが大切だとされています。

 麻薬の使用を開始した場合は、速やかに適正量を探り当てる努力が必要です。ですから、必要ならば、使用量を増やしていきます。麻薬を使用開始した際や、増量した際には、眠気が出る事があります。多くの場合2~3日で消失します。其れを超えても眠気が出たり傾眠傾向が出たりするようでしたら、それは麻薬の過量投与である可能性が高いとともに、麻薬だけでは取り除けない痛みである可能性が高いと考えられます。そのような場合は、鎮痛補助薬(抗けいれん薬、抗不整脈薬、抗うつ薬その他)の使用を考慮する必要が出てきます。

 もし、1日2日で死を迎える可能性が高い状態でしたら、意識レベルが低下するのも止むを得ませんが、週単位や月単位で予後が期待できるならば、意識がなくなるほどの麻薬の使用は、どこか使い方に誤りがあるような気がします。もちろん、実際の麻薬使用量や、使用薬剤を知っているわけではありませんので、推測でしかありません。

 医療は、人の苦しみを取り除くことが大切なはずです。痛みは苦しみの最たるもののひとつです。其れに対して取り除く努力をしない医師は、医療者として認められないと考えています。私の技術も未熟ですが、痛みを取り除く努力はしたいと思いますし、自分に痛みがあれば取り除いてほしいと思います。痛みがあればどんどん医師や看護師に訴えて、何とか工夫をするように鍛えましょう。いくら言っても聞く耳持たないならば、医師や病院を変えましょう。

 麻薬は、使用方法を守り、副作用対策をしていれば、安全に使用できる場合がほとんどであり、痛みと戦いながら死を迎えるよりははるかにその人らしい生を全うできると信じております。

 お答えになりましたでしょうか?

ヘデイク

2007-08-07 | 想い・雑感
今日は一日頭痛が強かった
夕方になりようやく軽くなったが
仕事をするにも今一つ迫力がなかった

痛みが如何に人の活動や心に影響するか
頭痛だけでなく
歯の痛みや 怪我の痛みなどを思い起こしても良くわかる

外科は
そのような痛みを伴う治療を行う機会が多い
だからこそ患者さんの痛みに鈍感であってはならないと思う

私は体調を崩すと頭痛がやってくる
これは痛みに対するケアをないがしろにしてはいけないぞ
という教えを頂いているのだと思っている

我がこと

2007-08-06 | 想い・雑感
「日本人の多くは原爆を自分のこととして考えて来なかった」

確かにそうであろうと思います
そこに義憤を感じる人がいることも理解できます

様々な情報に出逢い
原爆資料館などを訪れ
その怖さ 悲惨さは 少し分かります
絶対に許されない とも思います
でもその思いを 持続させることは困難なのです

どんな出来事でも
自分のこととして考えるというのは
そして考え続けるというのは 難しいことです


死もそうです
現代日本は死が身近な出来事では無くなったとよく言われます
しかしメディアの発達で
昔なら情報すら入らなかった
別の町での死 国外での死
が毎日のように伝えられます
それらを自分に引き寄せて考えることができれば
死にとても身近な時代に生きているともいえるのです

なかなかそうはいかない
外の出来事を
我がこととして考えるということは
難しい作業なのだと思います
精神の忍耐が必要なようです

そう 思います

細菌感染

2007-08-05 | 医療・病気・いのち
人の体は様々な細菌に晒されています
目に見えないから平気で生活していますが
もしいきなりそのすべてが見えるようになったりしたら
ちょっと耐えられないような気がします

そんな細菌から体を守る防御機構の一つは皮膚です

皮膚には常在菌といって
当たり前に皮膚に棲んでいる細菌がたくさんいるし
毎日様々なものに触れ 細菌も一緒に皮膚につけているはずですが
皮膚があるから体の中にまでは進入してこないようになっています

ところが怪我をすれば
皮膚が破れ
そこから細菌が侵入することとなります
手術にしても皮膚をいったんは破るわけですから
どんなに消毒していても細菌の侵入を完全に防ぐことはできません

最初のバリアーである皮膚が破られると
次は免疫機構の出番です
免疫担当細胞や補体その他の働きで
よそ者の細菌を排除してしまうのです   が
細菌の方が幅をきかせるようになると
感染した状態となります
傷口だけでその感染がおさまればまだよいのですが
体中に広がってしまうことがあります

敗血症です

抗生物質を使用することによって押さえ込む必要があります
でも抗生物質を使用するにしても
その人の免疫機能が落ちていると
なかなか細菌を完全排除することは難しく
そうこうしているうちに
多臓器不全(肝、腎、肺、心などの重要臓器が一度に複数やられてしまう)
から死に至ることもあります

また近代外科学を支えているものの一つに
抗生物質がありますが
必ずしも抗生物質で対抗できる細菌ばかりではないことは
注意が必要です

肺炎は高齢者の死因の上位です
高齢男性の場合 心
疾患や脳血管疾患より肺炎で亡くなる方の方が多いと言われているのです
抗生物質でスパッとすべての病気を引き起こす細菌を
やっつけることができるのなら
肺炎で死ぬことは無いはずですよね

公益?

2007-08-04 | 想い・雑感
朝青龍にまつわるお話には
あまり興味がありませんでした

2場所出場停止とニュースで言っていましたが
まあ関係者にとってはかなり思いペナルティーなのでしょうが
だからどうしたの という感じでした
もともと好きな力士ではないというのもありますが
気になりませんでした

しかしテレビで文部科学大臣が相撲協会に苦言を呈しているのを見て
何で?と思って調べてみると
日本相撲協会というのは公益法人(財団法人)なんですね

どう見たって営利目的という側面が強いこの協会が
公益法人とはびっくり
知りませんでした

国技としての日本文化の…
などということで公益法人のままなのでしょうが
繰り返された朝青龍の相撲美学に反する行動すら
諫められない協会に文化を云々することはできないでしょう

べつにいいや
ということであれば
公益法人であることを止めて
どんどん人気の出そうな外国人を連れてきて
営業をしていくというのもいいような気がします
そうすれば文部科学大臣から何だかんだと
言われることも無くなりますからね

どうでもいいのですが
そう言いつつ
一言苦言を… なんてね

砂の彫刻

2007-08-03 | 想い・雑感
形あるものはすべて変化し壊れてまいります

アスファルトの道路
煉瓦の家
金属の塊 戦車
など 人間の感覚からすると
とても硬いものでもいずれ崩壊していきます

サッポロの雪祭りで作られる雪像などは
作った時からもう壊れ始めているともいえます
砂の彫刻なども短い期間で壊れてしまう定めです

雪像や砂の像は すぐに消失していく儚さ故に
作る人の想いは深いのかも知れません

そんな想いをあざ笑うかのごとく
砂の彫刻を破壊するという事件があったようです

破壊した人には制作した人の気持ちを慮る余裕は無かったようですが
何にそんなに怒っていたのでしょうね
いらいらすると人は何か別のものに当たってしまうものですが
彫刻に関わったかなり多くの人を一気に敵に回してしまうことにすら
思いを馳せることができなかったのでしょうね

アフガニスタンで破壊された
崖に掘られた仏像のことも想い出しましてしまいました
あの破壊もある種怒りなのでしょうね

怒りは 怒りを呼びますね

ブリッジ 落ちた

2007-08-02 | 想い・雑感
通勤の途中に橋があります
ちょくちょく信号待ちで
その橋の途中で止まらざるを得なくなります
比較的交通量が多いので
反対車線をトラックなどがビューンと通ると
橋ごと揺れるのがわかりどうも落ち着きません

安全に絶対 ということはない
ということはいろいろなニュースを見ていてもよくわかります
それでその橋の上でゆれていたりすると
どうも落ち着きません
今朝も揺られて 
これ いつか落ちるんじゃないかな
なんて思っていたら
なんとアメリカで橋が落ちたというではありませんか
それもよく聞くと
私が留学していたとき
しょっちゅう通っていた高速道路の橋なんですね

時間は大きくずれていても
まさに自分が渡っていた橋が
いきなり崩落した
なんてことを聞かされると
気持ちのいいものではありません

明日から迂回しようかな

度が過ぎると

2007-08-02 | 想い・雑感
どんなことでも度が過ぎるとよろしくないようです

飲食に関してもそうです


お酒が少し 過ぎたかなあ
というようなことは
私も これまで何度となくありました

また確か幼稚園のころには
カレーライスが大好きで
夕食にカレーが出るとついつい食べ過ぎて
吐いたりすることがあったと記憶しております

最近ではあまり過ぎるほどに飲食することはなくなっておりましたが
このたび冷たい水を飲みすぎてしまいました

夏場に冷たい水を飲みすぎると
胃腸が冷えてしまってよろしくないようです
そんなことは頭では知っていても
ついつい夜に氷水を毎日2~3杯飲んでおりました
ところ
すっかり食欲を無くすこと1週間
これほど堪えるとは思いませんでした

そうは言っても
体重はまったく減りませんでしたから
意地汚く必要エネルギーは摂取していたようです

私の母は
トイレを気にするのか
あまり水気を摂るのを好みませんでした
脳梗塞で命を落としたのも
それと関係があると思っている私は
水分を摂った方が良いとついつい考えてしまうのです
それでも過ぎたるは…でした

冷房

2007-08-01 | 想い・雑感
随分と暑くなりました
夏だから当たり前ですが
やはり暑い
ついついエアコンのスイッチを押してしまいます

子供の頃はエアコンなんてありませんでしたが
それでも夏を生き抜いておりました
私だけでなく
皆 生き抜いておりました (当たり前か)

蚊帳の中で母親に団扇でゆっくりあおいでもらいながら
眠りについた
という風景をかすかに覚えておりますし

扇風機に当たりながら
冷たいものをいただき
時に水をおでこにつける
などと言うことで
十分極楽を感じておりました

しかし現在では
冷房なしの生活は考えにくいと感じます
冷房の存在に慣れてしまった
ということもあるのでしょうが
開けた窓から入ってくる風が違うのが大きいと思います

昔なら 山から駆け下りてくる風も
    海からやってくる風も
田んぼや 土 草 川
の上を通ってやってきたので
暑さの中にもわずかな冷気 涼やかさがあった
しかし今やアスファルトの上で熱された風
熱風がやってくるのである

その状況を少しは改善しようと
各地で打ち水をしようというような行事があるようだが
焼け石に いや焼けアスファルトに水である

昔は土の道路に打ち水をしていた
まかれた水はたちどころに蒸散してしまうのではなく
一部は土に少ししみ込んでいたようだ
打ち水の効果はわりと長かった

しかし今打ち水をしても
熱せられたフライパンに水を落とすように
あっという間にもとの黙阿弥である