老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

Pre Rup/アンコール・ワット旅行その10

2011-02-15 22:31:28 | 旅行



アンコール・ワット見物3日目は朝にホテルを移動して、とりあえず荷物だけ預けて、と思っていたら、ホテルにニッポン人のシンセツなオネーさんがいて、朝の10時にチェックインできた。シンセツなオネーサンって好きヨ。文句なしに。

で、前日にFCCのみやげ物屋をのぞいていたらすっごいいいアンコール遺跡の、研究書なんだけど写真もたくさん載っている、という理想的な本があったので衝動買いしたのだが、その表紙に載っていたのがこのプレ・ループの航空写真。あとで読んだら初日に夕陽を見に行ったプノン・バケンと同じ系列でよく似ている。ヒンズー教のシバ神を祀っているところが同じで、様式的にはどちらも基壇がピラミッド状に積み重なったモノ。プノン・バケンが9世紀末でこのプレ・ループが10世紀半ばに建てられた。

で、話しが前後するが、この日は出発が昼近かったので、途中で昼休みにホテルに戻ることはしないで、アンコール・トム東側のおもだった遺跡を全部見てしまおう、ということにしていた。ま、ワレワレ、ハッキリ言って、いや、ハッキリ言わなくてもあんまり若くないんで、ダイジョブかなあ、みたいなキモチもあったのだが。
それでも遺跡を前にすると石段を登らずにはいられない、というか、初日にエライ目にあったのでこんなのは地下鉄の駅とおんなじ。てっぺんに登ると鬱蒼としたジャングルを遠くまで見渡せる。地平線が見えた。

建物はレンガで造られているので全体的に柔らかい感じがする。女神像は細かく彫刻され表面にしっくいが塗られている。
研究書の表紙にもなるくらいだからこの寺院はアンコール・ワットが作られる前の時代における、ひとつの建築的な到達点、完成形と言えるモノなんじゃないか、と。この後、いよいよあのパイナップル塔が出現して最後には菩薩塔に変わっていく。塔そのものが信仰の対象になっていった、ということ、かな。

Banteay Kdei~Sras Srang/アンコール・ワット旅行その9

2011-02-14 22:13:30 | 旅行





アンコール・トムの東側には大小15か所くらいの遺跡が5キロ四方くらいの範囲に点在している。バンテアイ・クデイはその中できのうのタ・プロームと同程度の大きな仏教寺院跡で、平面的な規模だけでいえばバイヨンよりも大きい。12世紀末、だから、バイヨンと同じ頃に建てられ始めたので雰囲気は似ている。門には大きな顔が彫り込まれている。ちなみにバンテアイというのは砦、クデイは僧侶という意味。

で、ココは壁の彫刻がキレイ、だった、かな、、、ハッキリ言って、モノ売りが、ほかはだいたい門の外で営業しているのに、ココは遺跡の中で営業していて、もちろん向こうは生活がかかっているわけだから、たかがニッポン人の一観光客に冷やかな眼で見られようが全然気にしないのだろうが、ひとり、とんでもなくしつこいのに付きまとわれて、うんざりしてさっさと出てきた。
写真に写っているおジョーたちはそういうのではなく、普通にしつこい人びと。ココでは、ワリとイケテルおジョーから牛皮でできた影絵芝居の人形、というか、正式名称はスバエク・トーイの人形を買って、小さなイタイケなおジョーからは竹の笛を買った。これもまた1本1ドル、3本2ドル。呪文のように囁いてくる。

というわけでクチバネとタケブエを交互に鳴らしながらもう何も買わないぞ、という雰囲気をみなぎらせて場外営業のヒト達が待つ外に出ると、道を挟んで大きな池があって、ソコが王さまの沐浴と瞑想のために作られたスラ・スラン。ココで沐浴、って、東西700m、南北300mもあるっていうから、雨季の溜め池も兼ねていて、王さまが沐浴した水をありがたがって下々のモノが使っていたのかもしれない。

ちなみにワレワレはバンテアイ・クデイの西門から入って東門に抜けた。そのへんはトゥクトゥクのニーちゃんに言われるがまま。2日目はコレでおしまい。だいたいペースがつかめてきた。

Ta Prohm/アンコール・ワット旅行その8

2011-02-13 17:19:03 | 旅行



まだまだ続きマス。やっと1/3終わったくらい。きょうからは二日目の午後に見た遺跡。

タ・プロームはアンコール・トムの東側、勝利の門の先に点在する遺跡群の中で一番大きなモノ。12世紀後半に建てられた。修復が行われてはいるが、スポアンという熱帯樹が遺跡を食べているのを、あえて、かどうか知らないがそのままにしてあって、その光景を観光客が、ワタシも含めてだが、わざわざ見に来ている。
何とも言えないスサまじさ。無常感がソコハカとなく漂っている。

モノの本によれば、アンコール・ワットが隣のアユタヤ朝に侵略されて陥落したのが1431年、そのあと1860年にフランス人によって再発見されるまで430年間放置されていた、ということは、大きなスポアンは40~50mくらいの高さがあるから、1年で10センチ伸びたということ、かな。

遺跡内にはスポアンに押しつぶされて崩れた石が散乱している。ソレをぬうように木でできた見物用通路が整備されていて、廃墟の中を整然と見ていく感じ。
もちろん木だけじゃなく遺跡そのものも見ごたえがある。外周の回廊が、一部屋根のある完全な形で残っている、のか、復元されたのか。たぶん復元されたモノと思われる。そこだけが最後まで組みあがったパズルのようにキッチリと、ナニごともなかったかのように佇んでいる。
今ではアンコール・ワットも皇居のようにキレイに整備されているが、150年前はこのタ・プロームのように木々に侵食されて廃墟になっていたわけで、、無常の世界も悪くはないが、ココもまた、やはり完全に復元された姿を見てみたい。

遺跡の中でクチバネ少年から、口にくわえて指ではじくと、ボヨ~ンって音のする竹でできた楽器を買った。1個1ドル、3個で2ドル、みたいな。1個で十分だっツウのに。

Preah Palilay/アンコール・ワット旅行その7

2011-02-12 12:22:24 | 旅行
 

プリア・パリライは王のテラスの北側のみやげ物と休憩所の小屋が立ち並んだ奥にある小さな寺院跡。そのみやげ物屋の前を通り抜けていかなければならないので、付きまとう子どものモノ売りがうるさい。
かなり早い時期に建てられたモノで、傷みも激しい。いや、この二つのことには関連はない。時間があまりに経ち過ぎているから、見えているのは1~200年の時間の差ではない。
修復がまったくされていないわけではないが、ソレはおそらく内戦前に終わったものと思われる。樹木が石を侵食している。まさに侵し食べている。それでもニンゲンの手が彫りあげた仏像とか、さまざまな文様とか、その頃にも同じモノが目に見えていたであろうことが確かめられる。

こんな小さな遺跡のまわりでも飲みモノ売りのおばさんがパラソルを広げている。控えめな呼び込みの声に誘われて缶ビールを買ってそばの日陰で飲んだ。氷水につけてあったソレラはよく冷えていてワタシの喉の奥のカラダの中につながった管を勢いよく流れて行った。
空気が透明に見えた。アタマの上で木々が萌えていた。

象のテラス、王のテラス/アンコール・ワット旅行その6

2011-02-11 22:53:18 | 旅行


テト明けのハノイはイッキに春を通り越して初夏のような暑さ。おとといから昼間は25℃を超えたまま。おジョーたちはノースリーブとかスケスケとか、、夏に向けて脱皮を始めた。
脱皮で思い出したのは、遺跡の中にヘビの脱皮した跡が残されていたコト。今回、ヘビそのものには遭遇しなかったがヘビがそこかしこに潜んでいるのは確か。ワタシャ、ヘビだけは勘弁してほしいクチで、ヤモリならアパートにも何匹か住んでいてムシとかを食べてもらっている。

さてと、、遺跡についてはどれも見所があってココで省くことはできないのだが、あまりダラダラやっていてもしょうがないので適当にまとめていくことにする。ワタシにとっては次に行く時の簡単なメモのつもりなので。

コレはきのうのバプーオンの門からさらに北側に続く、建築というべきか、道路というべきか。10mくらいの幅の、地面から6mくらい上がった、合計で長さ450mにも及ぶ空中廊下のようなモノ。テラス、という呼び方はあとから誰かがつけたものと思われるが、ま、自衛隊の観閲式とかアワ踊りの見物席のようなモノと思えばわかりやすい。王さまとかがココから目の前で繰り広げられる何かを見下ろしていた場所。
土台の部分に象がたくさん彫り込まれている。だから象のテラス。象の鼻がゴシック建築のフライング・バットレスのような機能を果たしている、のかな。

アンコール・トムの東の城壁には勝利の門と死者の門という二つの門があって、厳格な対称性を軽やかに打ち崩している。その勝利の門をまっすぐに進んだ正面に象のテラスの中心が重なるようになっている。で、もう一方の死者の門をまっすぐ行ったところにはバイヨンが建っている。
アンコール・トムの中の各遺跡の建設順を見てみると、きのうのバプーオンとかその近くのピミアナカスなどが11世紀に先に建てられ、このテラスとバイヨンが12世紀末に建てられた。おそらくバイヨンの完成が最後。ということは最初に全部の計画を立てて、順番に建て始めたのではなく、いざ、バイヨンを建てようか、という時になってその場所を決めて、そこが中心になるように城壁と門の位置を決めたんじゃないかと。そのときにコノ象のテラスの正面性も捨てきれず東側には二つの門を作らざるを得なかったんだろう、とか、いずれにしても中心になっているバイヨンが最後だというのがアンコール・トム全体の構成を理解する上で重要なところだ。
城壁と門を最後に作ったということはないだろうから、勝利の門はコノ象のテラスとセットで作られたに違いない。

王のテラスは象のテラスに連続して北側に延びている。形は似ているが土台に彫り込まれたモノが異なっている。コッチはおびただしい数の仏像。そしてその土台の裏側に迷路のような空間が差し込まれている。王のテラスは別名、ライ王のテラスとも呼ばれていて、そういう病気に苦しんだ過程がそのテラスの外形にあらわれているのかもしれない。

象のテラスの中心に立つと遠く1.5キロ先に勝利の門が見える、いや実際には遠過ぎて見えない。ベトナムのチャンパ軍との戦争に勝ってそこから入ってくる兵隊を王さまが迎えた。そして死んだ兵士は死者の門から入りバイヨンに向かった、のか。あまりによくできすぎた帝国の装置だ。

Baphuon/アンコール・ワット旅行その5

2011-02-10 23:46:05 | 旅行


バプーオンはアンコール・トムの中のバイヨンのすぐ北側にある大きな寺院。入口の門がバイヨンから真北に延びる軸線上にある。そこから両側が池で柱で持ち上げられた空中廊下を200mくらい西に進むと入口にたどりつく。
今は大型のクレーンが据え付けられて修復工事の真っ最中。フランスのチームがやっている。工事完成後の絵を見ると実に壮大。バイヨンに匹敵する規模、高さになる。重厚な基壇とか四方八方の塔とか、形も他に類を見ないユニークなものとなる。

で、この寺院のもっとも驚くべき点は正面から後ろ側に回ったところの基壇の上に寝ッ転がったお釈迦サマ、すなわち入滅、すなわち死ぬ直前の仏陀を表わすところの巨大な涅槃仏が壁面に彫り込まれていることである。手すりのついた木の階段が整備されていて基壇の上まで上がって見ることができる。長さ約70m。顔、というか、表情までもがはっきりとわかる。修復が終わったところをぜひ見たいものだが、あの調子だと、あと30年はかかるだろう。

アンコール・ワット見物2日目の昼前、まだ4つしか見ていないのにとんでもないところに来てしまったと思いながら、このあとは意外とたいしたコトないものもあったりして、、あと、みやげ物攻勢みたいなのもあって、途中でウンザリすることもあった。

Bayon/アンコール・ワット旅行その4

2011-02-09 22:00:25 | 旅行


遺跡見物2日目の朝は、まさに、まさに、まさに、宇宙の中心バイヨンへ。ハッキリ言って、声も出ませんでシタ。
アンコール・ワットが巨大とはいえ単体の寺院であるのに対して、バイヨンはアンコール・トムというひとつの町のような区域の中のど真ん中、東‐西、南‐北の軸線が交わる中心に据えられた巨大寺院なのであーる。そのまわりには代々の王様がいろんな目的に使った建物がパラパラと配置されていて、とても一日では全部を見て回れない。

まず、Siem Reapの町からトゥクトゥクに乗って行くと、アンコール・ワットの正面前を通過し、きのう書いたプノン・バケンを通過し、そしてアンコール・トムの南門が見えてくる。ソコでトゥクトゥクを下ろされたのであとは歩いて行くんだな、と思って、オッケーオッケー、みたいに言っていたら、ナニ言ってんだこのオッサン、みたいな顔で見られたけど、ま、いいやと思って大きな菩薩像が正面の上のほうに彫られた門をくぐって行くと、運チャンが、ハイハイまた乗って、みたいに言うので乗ったら、そこからまた延々1.5キロくらい走ってやっとバイヨンへ。歩いている人もなかにはいる。

アンコール・ワットが12世紀前半に作られたのに対し、コッチは12世紀末から13世紀にかけて作られた。時代が経つにつれて周辺でとれる石の質が悪くなったということで、新しいバイヨンのほうが劣化が進んでいる。それとよくアンコール・ワットの写真集などで見られる、樹木の根っこが建物を食べてしまっているような光景が今でも周辺の寺院では見られ、バイヨンはソレが既に除去されゆっくりと修復が進んでいる状態。ニッポンが協力するカンボジアの考古学チームによって工事中デス。

意外だったのは、外から見ると石の塊のように見えるが、中に入るとかなり複雑な空間が入り組んでいて、墓石ではなく建築だということが実感できたこと。内側の奥深い部分は空気がひんやりしていて、そこに座っていると800年の時間の堆積が見えるような見えないような。いや、簡単にはそれだけの長い時間をリアルに感じ取ることはできない。
塔が全部で50本くらい立っていて、その全部ではないがほとんどに大きな顔が彫られている。ガイドブック的にはどの像が一番いい顔をしているか、みたいな次元の低い見かたがあって、そこだけに観光客が集中していたりするが、決してそんなもんじゃない。これを作ったエネルギーとか、信仰とか、想像力とか、そういうものの気が遠くなるくらいの膨大さにとにかく圧倒されまシタ。

Phnom Bakheng/アンコール・ワット旅行その3

2011-02-08 22:26:10 | 旅行


コレはアンコール・ワットからアンコール・トムに向かう途中にある山の上の遺跡。周辺ではココ以外に自然の山はないので、ココに上ると地平線まで見渡せる。そのため遺跡見物の早い段階に訪れて、遺跡群の全体を把握しておくべき、と、親切にもガイドブックには書いてあるが。。

ハッキリ言って一日に何人、階段、というべきか、崖というべきか、アソコから転がり落ちてケガをしているだろうか、と思うくらい、急な石段を登らないとてっぺんにはたどり着けない。ココを早い段階に体験したのでソノあとの石段のぼりが楽チンに思えた。そういう意味ではガイドブックの言っていることは正しい。
ただし遺跡群の全貌が確認できるかというと、アンコールワットのてっぺんがジャングルの木々の上にちょこっと突き出ているのが見えるくらいで、全体像なんてまったくわからない。とにかくジャングルがすごいデスわ。

でもって石段のほうは、平らな部分が10センチ前後で外側に向けて斜めになっていたり大きく欠けていたり。縦の部分が30センチ前後。ということは、勾配にして71.5度。ほぼ直角でんがな。。
登るのはなんとかなるが降りるときはマジで怖いデス。いくらジブンが気を付けて降りても、上からウシみたいな外人のオバさんが落ッこってきたらひとたまりもない。死ぬ。こういうモノが不特定多数の観光客が集まる場所で何の制約もなく用に供されているコトにある種の精神の健全さを感じた。事故の責任は自己責任ってコトヨ。

さてと、肝心の夕陽のほうはまあキレイに見えまシタけどなにしろヒトが多くて、、完全に陽が沈むまで見ていたら帰りの石段が大変なことになると思って早めに降りた。いくらキレイっていっても夕陽は夕陽だから。
あと、遺跡のことをついでに書くと、山のてっぺん、つまりは基壇の上に、9世紀末に建立された、インドネシアのボロブドールの遺跡によく似たヒンドゥー教の祠堂が5棟配置されている、と、モノの本には書いてある。ハッキリ言って見てなかった。ゴメン、プノン・バケン。 

Angkor Wat/アンコール・ワット旅行その2

2011-02-07 22:50:14 | 旅行





ハノイは今日までTet休暇。ワタシの会社はきょうからシゴトを始めたけど半分以上が休暇取って休んで開店休業状態。キラクだった。でもって、コレはもともと自分の記憶のためだけのモノだから、忘れないうちに書かないといけないんだが、数えてみたら行った遺跡が全部で25か所くらいあって、一日に1か所ずつ書いても今月中に終わらない。少なくとも生きている誰かにはじゃまされない時間がワタシにはたっぷりあるとはいえ。

というわけで最初に行ったアンコール・ワットから。いきなり重い。ヘビー。
今回の移動はすべてトゥクトゥク。FCCの看板背負ったニーちゃんに結局最後まで、6日間、世話になった。コッチもいい運転手だと思いながら、向こうはそれ以上に、金払いのイイ、いい客だと思っていたに違いない。写真の一番最初がその後ろ姿。

で、この、アンコール・ワット。もう40年も前から行きたいと思っていたところ。現場に近づいて、初めてその姿が目に入ったとき、思わず叫んだ。ついに来たかぁ、、って。
予想以上にキレイに整備されていた。皇居のあたりと雰囲気は似ている。ゴミ一つ落ちていないし舗装は滑らかだし、道路際の排水溝までレンガでウツクしくデザインされている。正面の3本の塔はてっぺんが崩れ落ちて平らになっている。その先に本殿のたくさんの塔が見えて、その中心に一番高い塔がそびえ立っている。
まさに宇宙。軸線愛好家がヨダレを垂らしそうなカンペキな整合性。

入口から入ってしばらくは腰が抜けていたので正面からの全体の写真をほとんど撮っていない。そのため最終日にもう一度見に行って撮りまシタ。意外とウブなワタシ。ま、詳しい話は解説書を読んでくだサイ。

ワタシとしては、あの、皮をむいたパイナップルと呼ばれている塔の形がなんともビミョーなバランスで並んでるのがウツクしいと思った。重くて軽い。水平と垂直。滑らかとゴツゴツ。カンペキなバランス。誰が何を考えてあんな形を作り上げたのか。考えてもわかるわけがない。
参道とか、軸線が固定されているから見え方を限定できる。だから、一瞬塔が消えます、みたいなことがガイドブックに書いてあるが、わき道通ればいいじゃん、みたいな。あとからとってつけたような解釈ってちょっと、なじめない。ジブンの目で見て持ちこたえられないくらい感じた。

あと、ほかのところを見て思ったのは、ココはあまりに広いので、壁の彫刻でなんとか密度を保っている、というか、ソレがなかったら第一回廊とか、ただ長いだけで感じるべきモノがない。観光客に対してではなく。だからココでは壁をシッカリ見ないと。
ま、ことばはむなしい。

FCC Angkor/アンコール・ワット旅行その1

2011-02-06 12:30:39 | 旅行


ハノイは旧正月の休暇中。カンボジア中部は乾季で、これから暑くなる前の比較的過ごしやすい季節、といっても日中の最高気温は35度に達する。が、観光には許容できる時期だ。というわけで今回のハノイ赴任期間中に行われるべき最大のイベントとワタシが勝手に決めていたアンコール・ワット旅行に行って、帰ってきた。
いまは、ナニかが終わったような、長嶋が引退したときのような、ジョン・レノンが撃たれたときのような、ワールドカップ日韓大会が終わったときのような、ムスコの中学ジュケンが終わったときのような、、ナニかが終わってワタシのカラダの中にすっぽりとスキマができたような感じ。わかりやすく言えば、あした死んでも思い残すことはないくらいのキモチ。

老後の楽しみのためにひとつずつ、ココに書いていこう、と思ったが、ナニから書いていいのか。あまりにも圧倒的な遺跡群。腰が抜けて、、。とりあえず、というほど軽いモノではないがまずは最初に泊まったホテルについて。

* * * * * *

先々週の木曜にツマがうどん背負ってニッポンから来た。金、土と旧正月前のハノイの喧騒に身を委ねて、日曜の昼に、いざ、カンボジア、シァム・リアープへ。
ハノイからたった1時間半。近い。飛行機代も一人往復税込みで210ドルくらい。安い。大阪に行くくらいのキブン。でもそこには人類史上最大、最高の建築群がジャングルの中に埋もれるようにしてある。実際、いくつかの遺跡は埋もれたままだ。ヘビもウヨウヨうごめいている。噛まれたときのために血清は必携。ジョーダンですってば。ま、遺跡のことはあとでゆっくり、一つ一つ書いていこう。

今回はホテルを2か所渡り歩いた。泊まりたいところが二つあったので。で、ココはその前半に泊まったところ。
去年の夏にプノンペンに行ったときに同じFCCがやっているカフェからメコン河の流れを見ながらビールを飲んで、そのときにこのホテルのコトを知って、アンコール・ワットに行ったらココに泊まろうとヒソカに決めていた。FCC、Foreign Correspondents Club in Cambodia。FCCCじゃん、みたいな。カンボジア内戦中に外国人特派員が毎夜、寄り集まっていろんな情報交換とかをしていたところ、だと思われる。
ハノイにもこんな洗練された空間はほとんどない、というくらい、線のきれいな建築と樹木がちょうどいい具合に混じり合って、そこに太陽の光が射し込んで、静かな空気が目に見えてくる。

広い道路に面して建っているのはレストラン。2階がダイニングルームで、1階にはカフェ、ブティック、ギャラリー、雑貨屋、スパが入っている。ギャラリーはアンコール・ワットの有名な写真集『ELEGY』を撮ったJohn McDermott氏の写真を展示して売っているところ。全部買いたいくらいの写真が並んでる。
その奥にプールのある庭をはさんで2階建ての宿泊棟がある。それぞれの部屋は通路側に大きな引き戸のついたガラス窓があって、ソコから寝室に直接入るカタチ。カーテンを閉めてないとベッドが通路から丸見えだから普通ではあり得ないのだが、まあ、ソレがひとつの、リゾート的な気楽さを作り出しているような。

2階のテラスから見る町は静か。ハノイの騒音が有楽町の高架下くらいだとすれば、ココは団体客が出て行ったあとの美術館くらいの静かさ。食事もアジア各国の料理がメニューに並んでいて、値段もそんなに高くない。3泊して、朝ご飯はもちろん、昼も暑さを逃れて遺跡からいったん帰ってココで食べたし、夜は池の周りの席でビールを飲んだ。それに後半泊まったホテルがべらボーに高いところだったので昼に一度ココに舞い戻ってきたら店のおジョーがニッコリ笑って迎えてくれた。ちなみにカンボジア女性はアグネス・ラムをホウフツとさせるビジンでナイスバディなヒトが多い。

税込みで1泊150ドルくらい。地球の歩き方2010~11年版では中級ホテルとして紹介されているが、ソレは規模だけのことで、中身的には最高級の部類に入る。