最近特に話題がない。というか、ココに書くのに適当な話題がないと言ったほうが正確。アドレナリンがフツフツとわきあがるような出来事は日常チャ飯時的にあるし、その結果としてこの半月で何人かのニンゲンをアタマの中で斬った。シゴトとはいえあんなニンゲンと時間を共有することはワタシの人生を汚すコトにほかならないと判断したから。
世の中にはホントにジブンの無能さを棚に上げて他人の非ばかりを虫歯に虫ピンを刺すように責め立てる人間がいる。そういうのにぶつかった時はジブンを守るためにそいつを無視するしかない。これまでの50年の経験で身に付けたコト。
となると現実逃避しかないので、コッチに持ってきているわずかなムラカミさんの本を繰り返し読む。1Q84の1冊目とアイリッシュ・ウィスキーの本と「考える人」のインタビューと。
アイリッシュ・ウィスキーはカンペキ現実逃避だがインタビューは現実逃避とはいかない内容で、ま、ハッキリ言っておんなじようなこと考えてるな、ということがわかった。
シャカイの特殊な要素としてのカルト系新興宗教団体を持ち出して、それがクローズド・サーキットであるとして、ソノ中ではニンゲンはジブンで判断することを禁止されてウエから言われた通りにしか動かない。そうすることが楽でキモチいいから。でもって、ソレによって組織は強く結束して成長していく。だがそういうことを長く続けていくと、ソノ中で生きているニンゲンは、そうやって生き続けることがシャカイ全体の中ではとんでもなく間違っていたり、あるいはまれにすごく正しかったりする、どちらも極端な方向に進んでいくのがジブンで気づかなくなる。その結果として無差別サツリクとか、証拠偽装とか、合同ケッコンシキとかが起きる。
で、その特殊な要素は身の周りにいくらでもあって、ソレはカイシャだったり、美しいナカマに囲まれた大学野球部だったり、ホイク園の朝の送り届けのホンの数分間に形作られるコミュニティーのようなモノだったり、。ま、カイシャで考えるのがとんでもなくわかりやすい。
でもって、そうならないようにするにはサーキットを閉じないコト、常にだれかが破壊し続ける、そういう組織、というか、それはもう組織と言えないのかもしれないから、いつも出口を確かめておくか、そういうところにジブンから入っていかないことが必要、ということ。カブキ町の風俗ビルのように。
だからワタシはニッポンから出張者が来てもカラオケには絶対に行かない。あれはクローズド・サーキットの入口以外のナニ物でもない。休日のゴルフも同じようなもの。付き合い残業も、メシ喰いながらシゴトの話をするのも、子どもいくつになった?、とか馴れ馴れしくプライバシーに踏み込んでくるのも、全部全部、イカガわしい宗教の勧誘とおんなじなのだ。
というわけで、ワタシはケイケンなブッ教徒デスので、写真は16世紀の仏像。ハノイの東の港町、Hai Phong・ハイ・フォンのNhan Trai/ニャン・チャイ寺のモノ。500年前、ってことは、ワタシ10人分の時間。たいした昔じゃない。
世の中にはホントにジブンの無能さを棚に上げて他人の非ばかりを虫歯に虫ピンを刺すように責め立てる人間がいる。そういうのにぶつかった時はジブンを守るためにそいつを無視するしかない。これまでの50年の経験で身に付けたコト。
となると現実逃避しかないので、コッチに持ってきているわずかなムラカミさんの本を繰り返し読む。1Q84の1冊目とアイリッシュ・ウィスキーの本と「考える人」のインタビューと。
アイリッシュ・ウィスキーはカンペキ現実逃避だがインタビューは現実逃避とはいかない内容で、ま、ハッキリ言っておんなじようなこと考えてるな、ということがわかった。
シャカイの特殊な要素としてのカルト系新興宗教団体を持ち出して、それがクローズド・サーキットであるとして、ソノ中ではニンゲンはジブンで判断することを禁止されてウエから言われた通りにしか動かない。そうすることが楽でキモチいいから。でもって、ソレによって組織は強く結束して成長していく。だがそういうことを長く続けていくと、ソノ中で生きているニンゲンは、そうやって生き続けることがシャカイ全体の中ではとんでもなく間違っていたり、あるいはまれにすごく正しかったりする、どちらも極端な方向に進んでいくのがジブンで気づかなくなる。その結果として無差別サツリクとか、証拠偽装とか、合同ケッコンシキとかが起きる。
で、その特殊な要素は身の周りにいくらでもあって、ソレはカイシャだったり、美しいナカマに囲まれた大学野球部だったり、ホイク園の朝の送り届けのホンの数分間に形作られるコミュニティーのようなモノだったり、。ま、カイシャで考えるのがとんでもなくわかりやすい。
でもって、そうならないようにするにはサーキットを閉じないコト、常にだれかが破壊し続ける、そういう組織、というか、それはもう組織と言えないのかもしれないから、いつも出口を確かめておくか、そういうところにジブンから入っていかないことが必要、ということ。カブキ町の風俗ビルのように。
だからワタシはニッポンから出張者が来てもカラオケには絶対に行かない。あれはクローズド・サーキットの入口以外のナニ物でもない。休日のゴルフも同じようなもの。付き合い残業も、メシ喰いながらシゴトの話をするのも、子どもいくつになった?、とか馴れ馴れしくプライバシーに踏み込んでくるのも、全部全部、イカガわしい宗教の勧誘とおんなじなのだ。
というわけで、ワタシはケイケンなブッ教徒デスので、写真は16世紀の仏像。ハノイの東の港町、Hai Phong・ハイ・フォンのNhan Trai/ニャン・チャイ寺のモノ。500年前、ってことは、ワタシ10人分の時間。たいした昔じゃない。