老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『荒野に立つ』/阿佐ヶ谷スパイダース

2011-07-28 20:31:45 | 演劇


2つ目はこの頃続けて見ている阿佐ヶ谷スパイダースの新作。よくぞココまで、といいたくなるほどのビジン女優大集合状態で、中村ゆりちゃんとか、初音映莉子ちゃんとか、黒木華ちゃんとか、安藤聖ちゃんとか、中村ゆりちゃんとか、、、、誰が一番好きかはわかると思うけど。タイトルの意味は都会での生活が人のココロの荒れ果てた荒野でのソレのようであり、その中でワレワレは多少の救い、というか、光のようなモノを見ながらイキテいる、みたいなこと、かな。実際はかなりムズカシイ作り方でよくはわからないのだが、全体としてはニンゲンの精神が一度崩壊して、ソコから緩やかに回復していく微かな兆候のようなモノを目の前で見せてくれた感じがして、ワタシも崩壊しかけているのでなんとなくチカラになったような気がした。

はなしは、ひとりのオンナがいて夫婦生活が破たんして実家に帰っているのかどうか、スーパーでアルバイトをしているがニンゲン関係がウマくいかずに、まわりからいつも叩かれる。それでココロを病んで高校生の頃のジブンのセカイに閉じこもっていく。ソノ頃、同級生がひとり死んでいて、ジサツしたのかどうかはよくわからないが、その死んだ友だちとの記憶の中でオンナはジブンも死ぬかどうか考える。ソレを時間の流れが逆戻りしたり、場所が突然、家の中から潮干狩りの海に移ったりしながらすすんでいく。
で、オンナは目玉をなくした、みたいなはなしになって、その目玉を探す探偵が出てきて、その目玉は当然ナニかの比喩なのだが、最後までなんなのかよくわからない。ちょっと恥ずかしい書き方をすれば、ジブンを見失う、みたいな意味だったのかもしれないけど、そんなあからさまな表現はない。
ソノ先はオンナが荒野をさまよって、ソレを父親と母親が、あんなところに娘を放り出してしまったのね、みたいに後悔する、というか、ソレは当然見えていないはずなのだが何もない荒野だからなんでも見える、みたいな場面がある。最後はオンナがジブンは死ぬのをやめることにしたのかどうか、その小さなきっかけのようなモノを見せるだけで終わってしまうのだが、まあ、それで十分よくわかった。

全体の中でとんでもない方向にはなしが展開する場面が何回もある。父親が娘を探しているときに突然、母さんが漬けた漬物、とか言って、タッパウエアから漬物をつまんで食べたりとか。ソレは夢の中のはなしのように見えて、あとでプログラムの中の長塚さんのインタビューを読んだら、夢を文章に書いている、みたいなことを言っていた。
で、ジツはワタシも夢をときどき紙に書いておくことがあって、たとえば、
「卵からかえったばかりの鳥、卵の形のまま青い。車にひかれそうなので手に取ろうとしたら取れない。取り上げたら猫になって走り回る(100621)」とか、
「オオサンショウウオがのっそりとこっちに向かってくる(110120)」とか。
あとで読むとどうみてもキチガイのセカイだ。ジブンの中の狂気が夜中に目を覚ますのか、誰もがこんななのかはよくわからないが、コノ芝居の中ではソレが普通のコトのように演じられる。

ベトナムじゃどうかわからないが、ニンゲンの狂気はいまの世の中では重要な演劇的テーマのひとつである。この前の長塚さんの芝居もそうだった。作家がナニも書けない―、みたいにして苦しむはなし。あとはセックすと暴力と死ぬコトと、ニンゲン関係の息苦しさみたいなこととか、あかるい無常感みたいなコトとか。そういう鬱陶しいテーマの中に、実際はないかもしれないカスかな希望みたいなものを、どうギリギリのところでホノめかすか、みたいなところが勝負なんじゃないかと。きのうの芝居みたいに、絶叫してジコ満足してればいい時代はとっくに過ぎ去ったんじゃないのかな。

2011.7.25 シアタートラムは入口前の喫煙所がやっと閉鎖された。

『血の婚礼』

2011-07-27 20:29:06 | 演劇


金曜の朝にニッポンに着いて、もうきのうまたコッチに戻って、こうして、喧騒と悪臭と、ウシのように自己主張をぶつけ合う日常の中にいる。忙しいようでのんびりしているのはムダな通勤時間とかがないため。7時にカイシャを出て、7時15分には家のソファに倒れ込んでいたりして。

今回ニッポンでは2つ芝居を見て、結果は1勝1敗。まずは1敗のほうから。
コレは金曜の夜に西巣鴨の、廃校になった小学校の体育館で見た芝居で、大袈裟な舞台セット、1時間以上雨が降り続けるという大げさな仕掛け、絶叫するばかりでナニ言ってんだかちっとも聞き取れない、外見がいいだけのダイコン役者たちの大げさな演技、ソレと既に時代遅れのニナガワさんの大げさな演出、作られた高揚感というか、みんな、盛り上がってるかーぃ、みたいな、、それでいて重要な中身は一体何だったのかと思わせるような空虚なはなしの展開。

でそのはなしは、、結婚式の日に花嫁を奪って逃げたオトコと、その花嫁=オンナが都会で既に別れて生活している。そこに田舎から逃げられた花婿の親兄弟が出てきて、決着をつけろ、みたいな感じでオトコとオンナに迫る。で、オトコと元花婿が雨の中でナイフと何かで刺し違えて両方死ぬ。だから血の婚礼。
路地がテーマ?なのかどうか知らないが、路地の下に路地が埋まっている、みたいなことを言いながら、太鼓をたたきながら通り過ぎる霊魂の行列のようなモノが繰り返しその路地を通り抜ける。意味わかんねー。
伊藤蘭ちゃんが重要な役で出ているがその姉がイモムシだか何かになって家の中で呻いている、とか言う設定で、重要なところのセリフがテープで流れる。あるいは、あるいは、みたいな、むかしのそういう時代もあったなあ、と思わせる、いま見れば古臭いとしか言いようがない、文語調のもったいぶったセリフの連続が白々しく体育館の寒々とした空間に響いた。

プログラムに何人かが書いていたが、体育館とは避難所であり、、みたいな話とか、何かの比喩として電車が通り抜ける場面(2度も)で、電車が来るぞーっていうセリフが、津波が来るぞー、とも聞こえるとか書いていて、だからナンなんだ、としか思わなかった。その電車のシーンにしても太鼓のシーンにしてもとにかくしつこい。同じことの繰り返しというのは、時間のずれみたいなものを感じさせる芝居の手法としてあるのだろうが、この前見たままごとの「わが星」のような効果は感じられなかった。
あと、ニナガワさんの営業方針なんだろうが、演技力のカケラもない有名俳優を客寄せとして連れてきて、とにかくひたすら絶叫させるというやり方、絶叫していればなんとなく感情があらわれているように見えるという見せ方、主役の、名前よく覚えてないが窪ナンとかさんは悲惨でしたね。本人は芝居に生きる場所を見つけた、みたいに書いているが明らかな勘違い。

たしかに20年前に芝の増上寺で平幹次郎の王女メディアを見てワタシはカンドーしてしまい、あといくつか同じようなのを見た記憶があるのだが、時代が変わったのか、ワタシが変わったのか、薄っぺらな見せモノにしか見えなかった。脚本そのものは今風に解釈すればもっとオモシロくなると思うんだが。

2011.7.22 西巣鴨、にしすがも創造舎。

悪くない日曜

2011-07-17 23:45:43 | 風景


先週の金曜に2か月続いたシゴトが、考えうる一番イイかたちでとりあえず終わって、久しぶりにナンのプレッシャーもない週末。朝走って、あとはなんとなくブラブラして、二日間が終わった。
今朝は膝がとんでもなく痛くて、家を出て100mくらい走れずに歩いた。それから少しずつ走ろうとしたが20mも走れない。撤退しようかどうしようかと思いながら、そうこうするうちに湖について周回コースに入ってしまったのでとりあえず1周しないと、と思いながらゆっくり走り出したらどうにかこうにか走れそうだったのでそのまま4周走った。
で、家に帰って風呂に入って洗濯して、ソバ茹でて食べて、プールに行って若干昼寝して、昼メシの時間になったので古い民家を改造したHue料理の店に行って、クーラーがなかったので汗でずぶ濡れになりながら熱いそばを食べた。そのあとタクシーで北の湖の近くに行って、以前、家の近くにあった、フランスの慈善団体がやっている、とりあえずこれまで不運な人生を送ってきた青少年のための料理学校兼レストランの新しい店を見に行った。ソノ写真がこれら。
前の店は路地の奥のコロニアル風の家を改造したモノだったが、今度のはもう少し町屋風の、それでもなかなかオモムキのある建物。外の席も気持ちよさそうだったが、日よけも何もなかったので中に入って揚げ春巻きとビールを注文した。ウェートレスも学校の生徒なのでジツに素朴。
外に出て見上げると超高層ビルが目の前に建っている。旧市街の中は建築規制があるが、そのすぐ外はこんな感じ。新橋の飲み屋街から電通とかの超高層ビル街を見たような光景。
そのあとは35度の熱波の中、あてどなくぶらぶら歩いて、途中でタクシーに乗って家に帰った。ま、悪くない1日だ。


雷雨とか、蛇とか、なでしことか、

2011-07-14 21:08:40 | 風景
最近、朝起きるのがつらい。ビールの飲み過ぎか。きのうも濃厚なベルギービールを2杯飲んで、部屋に帰ってすぐに寝て、夜中に起きたらまだきのうだった。そのあとは寝たような寝てないような。それでけさはケータイのアラームを4:45にセットして、2度目に鳴った5:15に起きて走った。
走り始めた時は薄曇りで涼しかったのだが、そのうちに雨雲がドよ~んっとでてきて暗くなった、かと思ったら、ちょうど湖を4周目に入ろうというときにポツポツ降りだしたので急いで帰った。アパートまで走って5分。シャンプーを持っていればアタマを洗えたくらいのスコール。
きょうこそは湖4周を走ろうと思っていて、調子も良かったからイケるかと思っていた矢先。ソレはナニかの霊的な暗示か。もしあのまま4周目に入っていたらワタシの身に何かが起きていたのか。たとえばアタマの上の木から蛇が落ちてきてTシャツの首の後ろから背中に入って、思わずシッキン、とか。

というのもおとといの朝、アパートを出て湖に行く途中の巨大な並木が立ち並んでいる道で、黄色い、おそらく2m以上はあるリッパな蛇が車にひかれて絶命していたのを見ていたから。あ、蛇っているんだ、みたいな。おそらく夜中の雨で木から地面に降りたか落ちたかして、ソコを轢かれたんだろう。なんて気の毒な。
当然南国だから、そして高級食材として食べられてもいるモノだから、って根拠としてはあやふやではあるが蛇はいるだろうと思っていた。でもベトナム人に聞くと、捕まえて売ると高く売れるからみんな取り尽くされてもういない、みたいなことを聞かされていて、ジッサイ2年半もココにいるのに一度も見ていなかった。だから道路で死んでいるのを見た時はほんとうにショックでシタ。けさもその道を通ったらシミだけが残っていた。

さて、アパートに帰ってテレビをつけたら終わっているはずのサッカー・女子ワールドカップの準決勝をやっていて、前半が終わるところだった。1‐1。ソコで結果を知らないまま最後までテレビを見るという生き方もあるとは思ったが、ワタシはインターネットのニュースを見て、結果を確かめてから余裕で続きを見まシタ。ま、朝からあまりドキドキしたくなかったんで。
ユニフォームの首のところがピンクだったんだ、みたいな発見。沢さんてワタシが学生の頃からやってたんじゃないかと、そうすると同世代なんじゃないかと、そうすると50代? なワケない、と思いながら、女子スポーツの監督はジブンに務まるだろうかと考え込んだ。いま、カイシャにはおジョーが6人いて、いずれはおジョーだけにしようと思っているのだが、その時ジブンがその大量のおジョー達を監督できるかな、と。ウマくいってる時はいいけど、ドよ~んとしたときはどうなるかわからない。

きょうは一日中雨が降ったりやんだり。ハノイの町中の高さ30m以上はある何万本もの街路樹の中に、いったい何匹の蛇が住んでいるんだろう。そしてその蛇たちにも家族があって、あの轢かれた蛇は父親だったんじゃないだろうか。いまごろツマ蛇と子蛇は路頭に迷っているかもしれない。トウチャンどこ行ったんだろう、とか言いながら。

Hue旅行

2011-07-09 19:56:03 | 旅行





先週のはなし。ん? 日、月、火だから今週のはなしか。いや?、先週の日、月、火だ。ということは限りなく先々週に近いはなし。時間が経つのが超ー早い。砂時計の砂が最後のほうで一気に減っていくような感じだ。

ま、ソレはソレとして、Hue/フエはベトナム最後の王朝、阮/グエン朝の都がおかれた町。1802年~1945年のこと。1945年で終わった、ということはニッポンの敗戦と何か関係があるかというと、おおいにある。べトナムに侵略していたフランスが1940年にヒットラーのドイツに負けるとそのどさくさに紛れてニッポンは北部ベトナムに侵攻した。ニッポンはフランスとも手を組んでベトナム全土を支配しようとした。それに対してベトナムの共産党はベトミン(ベトナム独立同盟会)を作ってニッポンとフランスの二重支配に対抗していく。でもって1945年8月15日にニッポンが降伏すると19日にはハノイで八月革命が起こって、最後の皇帝のバオダイ帝は退位して阮/グエン朝が滅んだ、というコト。ジツに素早い動き。

ソレでベトナムは独立できたかというと、ポツダム宣言で北部は中国が、南部はイギリスがニッポン軍の武装解除をすることに決まったのに、イギリスの支援でフランスが再侵略してきて、北緯15度線から下はフランス支配に戻って、南北分裂時代が始まってしまったというワケ。
そのあとはホーチミンさんが率いる北とフランスとの間で第1次インドシナ戦争が始まって、1954年の、北西部のラオスと中国国境に近いディエンビエンフーの戦いでフランスは負けて、、コレで終わったかと思ったら、ジュネーブ会議で停戦協議が行われて、今度は北緯17度線で北ベトナムと南ベトナムに分けられてしまったというからあーら不思議。このへんがアメリカの狂気の始まりだったというコト。アメリカはどうしてもベトナムが共産主義国家になるのを食い止めたかったワケだが、何でよそのクニにまでのこのこ出てきて、そんなよけいな世話をするのか。その狂乱のアメリカが1960年に南ベトナム解放民族戦線と始めたのが第2次インドシナ戦争で、ちなみにソレを推進したのはケネディで、暗殺されて悲劇の大統領みたいに言われているが、実際は、いまのカレら自身の言葉を使えば、ケネディこそがテロ国家の首謀者だったんだな。ジャクリーヌさんがキレイ過ぎたってことかも。
そのあとのジョンソンの時代の1964年からは北部への爆撃も開始した。でもって1968年の旧正月に北のベトナム軍や解放民族戦線の総攻撃が始まって、狂気のアメリカは1972年2月にハノイを大爆撃して、その後双方譲らずに1973年のパリ協定でアメリカが撤退すると決まったにもかかわらず介入を続けた。まさに狂気。地獄の黙示録のセカイ。
で、その直後、北が総反撃を始めて1975年4月30日にサイゴンが陥落してアメリカはとうとう負けて逃げ帰っていく。長い道のりだった。ただベトナムの苦難の道はソノあとも続き、1979年には中国が侵略してきて対立関係が1991年まで続く。

その間の1966年2月にフエは最も激しい戦いの場となって王朝の建物の大部分はアメリカ軍によって破壊された。で、今回はその瓦礫を見てきた、というおはなし。

ま、ワタシは今、とっても疲れていて苦しいので、そういう時は楽しいことを考えていたいから写真は泊ったリゾートの風景とかを中心にまとめまシタ。最後のはお部屋のスケッチ。現実逃避のひとつの産物。

Paganini by Ryu Goto with VNSO @Hanoi Opera House

2011-07-05 21:15:50 | アート


もう1週間以上前のコンサート。いちおう忘れないために書いておこう。

このVNSO/べトナム国立交響楽団はベトナムにおける唯一の本格的プロオーケストラなワケだが、スポンサーの大部分がニッポン企業で、音楽監督兼主席指揮者もニッポン人、定期公演の会員になっていてプログラムの最後のページに名前が出ているのも大使を筆頭にほとんどニッポン人、その上、切符の前売りをしているのもニッポン系の旅行会社とニッポン人が経営するアートとアクセサリーのお店だったりして、ま、早いはなし、ニッポン人シャカイのお抱えみたいなところがある。そのことをベトナム社会はどう思っているのか知らないが、どっかの国だったらブンカ侵略みたいなはなしが当然出てくる状況ではある。
コノ日は五嶋さんちの龍ちゃんがソロでパガニーニを弾くと言うので、ニッポン人の、特にオバさんシャカイは2,3か月前からフィーバー状態で前売り券はさっさと完売した。カクいうワタシもコレはとりあえず見ておきたいと思ってアクセサリー屋さん=VNSOチケットセンターで予約して、前から4列目をとりまシタ。そしたら前2列はニッポン人婦人会?の団体サマが独占していて、龍サマを舞台下から見上げるような格好で、、みんな終わってから首マッサージに行ったとか行かなかったとか。

ま、ソレはソレとして、ハーバードの物理学科を5月に卒業したばっかの龍サマ、オヂサンが見てもカッコよすぎ。その上、杉サマのようにときどき流し眼で客席の誰かに視線を送る。オヂサンももらいまシタ。オバさんたちはワタシのために弾いてくれている、と、明らかな錯覚のなかで、アンコール2曲を含めて終わったのが10時半近く。楽団員が舞台から下がると掃除係のヒト達がさっさと出てきて掃除を始めた。
曲はヴァイオリン協奏曲の第1番。シロートのワタシが見ても相当なテクニックだと思えるような、弦をはじいたり叩いたり。聴くのに集中し過ぎて、オーケストラの調子はどうだったか、まったく記憶に残らなかった。もちろんAnhちゃんはいつもどおりすてきな衣装で、音合わせの時に客席にお尻向けるもんだからコッチはドキドキしちゃう。
アンコールの2曲、合計30分くらいか、ソロの曲だったのにオーケストラは舞台の上に座ったまま。中にはいつまでやってんだ、くらいに思ってたヒトもいただろうな、と、最後は少し飽きるくらい胆嚢した、いや、堪能した。何しろサワヤカ系なんで、アレが爆笑モンダイみたいなアクの強いオトコだったらさっさと帰っていたと思う。

2011.6.25 ハノイ・オペラハウスにて。

ジョギング1カ月半

2011-07-04 22:47:19 | ランニング


走り始めて1カ月半たった。ほぼ一日おきに走って、合計すると約80キロ。合計してもあまり意味はないが。心臓を鼓動させる筋肉が、予告もなく急激な痙攣をおこすことも、脳の血管のくびれが、ねじ曲がった水道管のように水ではなく血を吹き出すことも、とりあえず今のところなく、ただそのかわり足はいろんなところが痛くて、特に膝の痛さは日常生活に少なからぬ影響を及ぼしている。歩いていて突然カクっときたり、道の10cmの段差がきつかったり、、。
そんなもんだから毎回走り出す時はソロソロと歩くようにしてしか走れない。藁帽子かぶったモノ売りオバさんみたいに。ところが10分もすると、古びた機械が昔の調子を思い出すかのように、カカトから着地してつま先で地面をけるまでの、足の裏で地球をうしろに転がすような動きが実にスムーズにいくようになってキモチよく走れるのだ。あーら不思議、みたいな。

きのうは朝、若干出遅れて、日が射してきて暑くて、ただ、その分散歩のヒトの数が減ったので、湖4周、4.4キロに初めて突入してみた。3周まではほぼ走りとおしたが4周目はさすがに疲れて2回歩いた。家からの往復を入れて合計5.9キロを38分くらいで走り、歩いた。10分1,500mのペースはクリアしている。走り始めの調子が悪いから長く走るほうが、平均すればペースは上がる。
最近じゃパジャマオバさん達のオケツ振り振り体操なんかも横目でチラチラ見る余裕もでてきた。なかには若いおジョーも何人かいる。みんな食べすぎたカロリーの消化に懸命だ。走りャいいのに。
そんな感じで7月は合計で100キロ走る。8月以降は毎日7キロくらい走って、ときどき10キロくらいを試してみる。12月くらいまでに10キロは朝メシ前、というか、実際朝メシの前に走るワケだが、それくらいは普通に走れるようになって、あとは2,3度予行演習をして、、もちろん、目指すは来年3月のニャチャン・ハーフ・マラソンなのだ。

写真は散歩の途中の植物。本文とはまったく関係ありまセン。