コレはおとといみた芝居。初めの30分はどえりゃーって、急に名古屋人になるくらい退屈で、それなのに鹿のぬいぐるみが飛んできたり、それに対するリアクションがテレビ的だったりして、昼に食べたまずいスパゲッティが消化不良を起こしそうになったのもあって途中で出ようかというくらいだったのだが、、だんだん話の筋とは別のところでおもしろくなってきた。
まずは話の筋から書いておくと二人のオトコ(兄弟)が一人の釣り人を車で追いかけている。釣り人のほうが何かを持って逃げていて、それを兄弟が追いかけている。そこに鹿が飛び出してきて車が事故って動けなくなったと思ったら近所に兄弟の兄のほうの元愛人がたまたま近所の金持ちの家で住み込みの家政婦をしていてそこで一夜を過ごす。そうしたらその家にはハゲシイ躁状態のコミュニケーション不能弟?が離れに引きこもっていて、その兄と姉?は手を焼いている。ってホントに焼いているわけではないが。で、その離れの家がどえりゃー成長の早い木に押しつぶされそうになっていて、そこからすぐに引っ越さなければならないといういうのが一つの状況設定。
そうこうしているうちに釣り人オヤヂが持って逃げていたのはその金持ちの家の姉?が何十年前かに書いて風船で飛ばした親あての手紙であることがわかってきて、その兄弟はジブン達の行方不明になっている姉が書いたものだと思ってそれを取り返そうとしている。ところがその手紙の中身を知っている釣り人はそれを書いたのがなんと目の前にいる金持ちの家の姉?であることに気付いて、それはいったいどういうことなんや、、みたいになっていく。で、だんだんソノ金持ちの兄弟?には複雑な背景があることがわかってきてどうやら兄と姉?は兄弟ではなくて、姉?は何十年か前に兄が誘拐してきた女で、ソノ躁状態のオトコはソノ二人の間の子であることがわかってくる。しかもそのうえソノ姉?はけがをして転がり込んできた兄弟の行方不明の姉であるらしい、みたいな感じで、それを風船で飛ばされた手紙だけが真実を知っている、みたいにして、不確かな部分を残しながら話が展開していく。
後は突然ながらソノ躁状態のイっちゃってる若い男が離れの床下の洞窟で鯉だかピラニアだかを育てていて、それだけがジブンのイキ甲斐みたいになっているのだが、それを逃がさないと家と一緒に木の根っこにつぶされてしまうというなかで釣り人オヤヂがでてきて複雑な兄弟も、そして行方不明の姉と出会えたことに気付いているような気付いていないような兄弟もみんな一緒になって、ピラニア救出で盛り上がって、それまでの秘密はそのままにしておこうみたいにして、夜が明けて朝日に照らされておしまいおしまいみたいな話。
で、なんでここまで複雑な状況設定を作らないといけないのかというのがソッチョクな感想。何を言いたいのか、とか、そういうことはいちいち考えないことにしても、絶叫調のセリフばかりが気になってニンゲン関係が深くホリ下げられていたかというとそうでもないように思えるし、姉?がケガをした兄弟の兄を手当てしているときに兄の足に昔の傷を見つけて何かに気づくっていうまあ重要な場面だと思うのだが、ソコで松田セイコの歌がバックに流れるあたりは興ザメとうか陳腐というか、あえてそういうところをねらっているのか。
で、最初に書いた話の筋とは別のところというのは、コミュニケーション不能オトコだけじゃなくて登場人物の間で普通に会話が成立しない、というか、聞いてることに答えなかったり、日常的によくある意味不明な無駄な言葉で会話がなりたっていると思いこんでいたりすることを、そういう疑似会話っていったい何?みたいなことを強調するセリフがつながっていくあたりがワタシ的にはヒジョウにおもしろかった。そういうコミュニケーションのどうしようもないズレみたいなものを浮かび上がらすための作りすぎの話だとすればコレは結構ツボにはまりそうな気もした。
2009.7.20 下北沢、本多劇場