老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

モラハラ 2

2009-05-31 11:14:14 | 風景
きのう書いたモラハラをネットで検索すると、世間一般ではどうも違った意味で使われていて、どうみても世間のほうが間違っているんじゃないかという気がしてならないのでシツコク今日も書く。
例えばこういう解説を読むと、日常的ななにげない会話の中でのハラスメントみたいに書いてあって、そういう定義だとセクハラもパワハラもアカハラもドクハラもイシハラもみんなモラハラの一種みたいなことになってしまう。きのう、ワタシが書いたモラハラは、モラルを振りかざして他人を一方的に攻撃するようなことで、その振りかざされたモラルが果たしてホントのモラルなのか疑わしい時にモラハラとして批判されるべき、というようなこと。

ハラスメント界のネーミングルールをみても、セクハラは性的なワイセツ性を帯びたハラスメントだし、パワハラは会社とかの権力を振りかざしてのハラスメントで、ドクハラやアカハラは医師や教師の地位を悪用してのハラスメントだから、みんなハラスメントの拠り所?のようなものが呼び名の一部になっている。それにならって日常的ななにげないことばなどで他人を傷つけることをどう呼ぶかとなれば、それは当然ニチハラとか、どうしても英語がいいならデイハラとか呼ぶべきだと思うのだが、それをモラハラと呼んではハラスメントなんてそもそも全部モラルに反しているわけだからセクハラとかパワハラとかアカハラとかドクハラとかの立場がなくなってしまう。
それをまた十羽ヒトカラゲにモラハラなんて呼ぶのはそこに全体の意味をあいまいにしようとか、本来の意味からはずれてそのコト自体の実態をすり替えようという狙いがある。それぞれの特殊なジョウキョウのようなものが見えなくなるから。

そういう言葉のすり替えはほかにもあって、たとえば買シュンということば。もともとは売るほうだったのがいつも間にか買うほうに視点が変わった。これについてはあのオオオカ信サンがアサヒの1面に連載されていたコラムで苦言を呈したことがあって、そもそも訓読みと音読みが組み合わさって熟語になるというのは日本語として美しくないし、それ以上になにかその裏の事実を覆い隠そうというコンタンがミエミエだというようなこと。
他にも差別用語とか言って、ことばにどんどん制限を付けていくようなやり方。障害者を障害者と書いてはいけなくて障がい者と書けとか、子供を子供と書いてはいけなくて子どもと書けとか、どれもこれもそういうことを言い出すヤツらの差別心というかモノごとを上っツラでしか見ない軽薄さ加減が丸出しのような気がする。
それと豚インフルエンザを豚肉が売れなくなるからって今さら別の言葉に言い換えても、それは最初のネーミングのときにもっと慎重に考えるべきだった。豚肉を食べても病気がうつるわけではないといくら言ってもそういうことを理解するコクミンでないのははじめからわかっていたはずなんだから。

モラハラ

2009-05-30 11:51:04 | 風景
セクハラに始まってドクハラとかパワハラとかアカハラとか、、オリンピック誘致がほぼ絶望的なのはイシハラとか。で、クサナギ君復帰でこういう記事が出るとこれはモラハラだと思わずにいられない。モラル・ハラスメント、略してモラハラ。
ココで「書き込み殺到!」というのはサンケイという右翼系宣伝紙が脚色している部分であって、世の中のごく一部のそういう動きを拡大して、それがあたかも世間全般の反応であるかのように伝えるいつもの手口でこのことだけなら三流メディアの屁みたいな話。

モラハラというのは、誰かが何か一見、道にはずれたようなことをやったりしゃべったりイタシたりしたときに、そのこと自体は別にどうでもいい大したことじゃないのに、新聞やらテレビやらネットやらが一般大衆を煽動していっせいにモラルの側に立って集団リンチ的にその誰かをやっつけようとすること。攻撃された側はとりあえず謝らないといけないというのが、これもモラハラを産む同じ世界の中のオキテとしてあって、カメラの前で一斉にお辞儀をして、世間をお騒がせして、、みたいな意味不明の謝罪会見なるものが行われる。モラハラとこの謝罪会見はセットになっていて1パックいくらみたいにして売られている。
で、今回の公園で酔っ払ってスッ裸になったとか、そんなのホントにどうでもいいことだと思うのだが、それを公然ワイセツで逮捕とか家宅捜索とかまるでクサナギ君がどこかヤバい国のスパイだったとか、そういうオチがあるなら話はわかるがやっぱり単なるモラハラパックだったのは最初からわかっていたこと。

で、ほかにたとえば小沢さんの秘書が不当逮捕されてまだ有罪かどうかも決まっていないのにNHKのアナウンサーあがりの小宮山ナントカが煽動して結局あやまって辞めなきゃいけないように仕向けたのもモラハラ。小沢さんはモラハラ世界の側にいなかったから辞める意味が最後まで理解できなかったのは当然で、NHKのアナウンサーなんてモラハラ界の中心にいるようなもんだから、とりあえず謝って辞めろということに何の疑問も持たない。
新型インフルエンザで生徒に感染者が見つかった学校の校長が謝ったりするのもモラハラ謝罪会見の一種。こういう時期に生徒をアメリカなんかに行かせやがって、私立のぜいたく学校がバカやってんじゃないみたいな、そういう疑似モラルの側からのハラスメントもよくある。

ただ勘違いしてはいけないのはこういうモラハラを批判することは犯罪者とか、一見道にはずれたヒトの側に立って弁護することではない。たとえばシケイもヒト殺しの一種だとか言うのは一見弱者の側に立っているようにみえるが、シケイ反対を主張するのはそれはそれとして一つの考え方として認めるとしても、執行命令のはんこを連発する大臣を批判したりするのはそのこと自体が十分モラハラになっている。
あの人相の悪いほうのハトヤマさんが法務大臣のときに言った、もっとシケイ執行が自動的に、とか機械的に行われるべきだというのはいい提案だったと思うが、アサヒとかのモラハラで踏み消されたのはホントに残念。

オレに関する噂

2009-05-29 00:11:10 | 風景
って本を書いてたのは筒井康隆センセだったと思うが、昨日から今日にかけてワタシに関するウワサをニッポンにいる元部下からメールで知らされて、しかもごていねいに誰々さんから聞いたんですけど、みたいな言い方で教えてもらったので、そのウワサの発信源と、その意図するところが想像できてそのニンゲンのサモシさというか、下劣さ加減が今さらながらよくわかった。
ウワサの内容は、ワタシがコッチで病気になってもう相当重症で、すぐにも死ぬんじゃないかというようなコト。もう歩けずに車いすに乗ってると思われていたみたい。ジブンでも思わずびっくらこいた。そのウワサを嬉々として広めているのがワタシの元上司で、もうかなり脳がふやけてボケているのに、まわりの迷惑も気にせず、ジブンはまだまだやれると思っている、そういうニンゲン。

その元上司は過去に一人部下を、未必の故意的にコロシている。そのコロされた人はかなり体調が悪くなって時々休んでいたのに、無理やり仕事を押し付けられて病院に行く暇ももらえなかった。足が痛いというその人に、そりゃビールの飲み過ぎの痛風だとか何とか言って、半分笑い飛ばしていた。
それが結局、とうとう耐えきれずに病院に行ったら、その場で即入院で、もう一切治療をせず、というのは別にヘンな宗教に入っていたからではなく、もういきなり末期、みたいな感じで、1か月もしないうちに死んでしまった。
それで残念なことをした、みたいに今でも言っていて、まあシカバネを乗り越えて、オレはイケるところまで行くんだみたいな感じ。

ほかにも若い純朴な青年を半分SMショーみたいにコキ使って、あげくの果てにその若い純朴青年は家で明け方にその悪行の数々をメールに書いて、自爆テロみたいに会社の全員宛に送りつけて、それでそのまま辞めて行った。そのときは反省するどころかアイツは気がふれたみたいに、今回と同じように嬉々としてウワサを垂れ流して、まったく見るもオゾマシイ光景だった。

こういうニンゲンがはびこるのはもちろんその本人の育ちとか、今の家庭環境がどうしようもなく崩壊しているとか、そういう個人的なところに原因があるのはもちろんだが、同時にやっぱりニッポンの、キタ朝鮮よりも個の尊厳がジュウリンされていてもそれでも負の連帯によって集団を維持していかなければならない会社シャカイの膿みのようなモノとして受け取らなければならない部分もある。どこにでもある問題なのだ。
とはいえ、そういうトラの檻みたいなところから離脱して、なかば宇宙を命綱なしで船外活動しているようなワタシさえもそのうすら寒いワライのネタになるとは想像もしていなかった。

『関数ドミノ』 イキウメ

2009-05-26 10:06:12 | 演劇
連日の芝居。見ダメしているような感じ。
で、今日のはこの前、NHKのシアターコレクションにも出て、それは結局行けなかったのだがテレビで放送されたのは録画してあるので向こうで見るつもりの、今をトキメク前川知大サン率いるイキウメの新作。相当おもしろいというウワサを聞いていたのでかなり期待して出かけたのは赤坂のRED/THEATER。赤くはない普通のいい劇場だった。

ストーリーはきのうのに比べるとわかりやすすぎて眠らずに最後まで見た。やや教訓めいたところもあるのだが全体的にはオカルト町、というか、世の中によくある奇跡って何?みたいな、運のいい悪いみたいな自分ではどうしようもないことがもしかしたら誰かが操っている結果でしかないんじゃないかとか、それならその誰かから逃れれば自由になれるはず、みたいな、現代人がいろいろ便利に生活しているすぐ隣には、わけのわからない不思議な世界があるのにみんなどうしてそれを解明しようとしないのか、、このまえのテレビでやってたのも同じようなテーマだったと思うが、そういう路線のはっきりした劇団なのかも。

ある交通事故の現場でどうしても科学的には理解できない現象が起きて、それを目撃したオトコがそういう不思議な現象をケンキュウしているやや精神的にイっちゃってるオトコで、その場にいた別の怪しい男が無意識に世の中のことを思い通りに動かしていると疑う。それを証明するためにエイズになった男をその男に近づかせて、その怪しい男がエイズのオトコに心から同情してエイズが直れって思ってもしエイズが直ればその怪しい男の力が証明されたことになるとして、何とかそういう方向に持っていこうとする。で、結局エイズが直ってその力が証明されたかと思ったらそこにどんでん返しがあって、、みたいな話。

芝居の最初の場面で医者にカウンセリングを受けている精神的にイっちゃってる男が、医者に対してセンセーって呼ばれてうれしいかと聞く。そのあたりがこの芝居のキモで、センセーとか教祖とか呼ばれてその気になって、世の中が思うままに動くと勘違いしているヤツらを、それは結局は一時的にそういう役を演じているだけで、別に偉くもなんともないのにそれをジブンは偉いんだと勘違いしている、そういう世の中をおかしいと言っているような。途中で才能もないのにウレテいる作家のことを馬鹿にしたようなセリフもあって、もしかしたら今売れっ子になってセンセーとか呼ばれているジブンのことをジブンで笑っているようなところもあるんじゃないかと。そういう才能のある人だと見せつけられた。

2009.5.24 赤坂RED/THEATER

で、今コレを成田で書いていて、これからデカセギ生活に戻るワタシ。なんか空間的には違和感が消えないままの3日間だった。





『タトゥー』 デーア・ローアー/岡田利規

2009-05-25 10:20:53 | 演劇
2ヵ月半ぶりのニッポン。金曜の深夜にハノイの空港に着いたあたりから団体旅行のマスク集団に遭遇し管理社会ニッポンのスサマじさを垣間見た。いい風に解釈すれば感染国ニッポンから来た彼らは自分たちがウイルスを運んでいる可能性があるのでヨソの国それをばらまいてはいけないという他者愛的発想の表れと見ることもできるが、実際はそうじゃない。コーセイ労働省がやれって言って、みんながやってるから。それだけ。
それでもニッポンの街中ではそれほどでもない感じで、逆に花粉症の名残りか猫アレルギーかでハナミズだらだら状態に陥ったワタシ。脳のほうは2日過ぎてもココはどこ状態なのにカラダは瞬間的に環境に反応した。。

で、今回は芝居を見るために帰ってきたようなもんで、まず土曜の昼に見たのがコレ。夜行の飛行機で30分寝て、リムジンバスでも30分寝て、合計1時間も寝たのに途中でほとんど意識が消えかかるくらいの、、つまりは眠くなるような芝居だった。つまらないとか退屈とかということではなく。
原作者のドイツの劇作家デーア・ローアーは言葉そのものを文章としてではなく、意味をもった記号の集まりのようなモノとしてとらえ、それをバラバラにしてつぎ合せたり、単に音として空間の中を漂わせるように3回ずつ発したりして、ぶつ切りのフィルムをもう一回つなぎ合わせてできあがる隙間だらけの時間と空間の流れのようなものを作り出して、そこにいろんなものが見えてくると言っているようなヒト。というのはワタシの勝手な解釈で、本当のところは全然意味不明なのだが、ストーリーは一応ある。

父親は一見普通のパン職人で母親は生まれ変わるなら犬になりたいといつもひとり言を言いながらパートタイムのペットショップで犬の毛を刈っている一見異常な人で、そういう家庭に娘が二人いて、その娘が父親にオカサれる。未成年の娘は父親がすべてを支配していて娘にそういうことをするのがチチのつとめとかなんとかいって。それで母親のほうはそれを知りながら見て見ぬふりをするというか、今のシアワセを失いたくない、みたいな感じで、最後には犬になって舞台の上で戯れる。娘のほうはそれに耐えられなくなって近所の花屋のオトコと家を出る。で、しばらくして子どもが生まれて小さなシアワセ、みたいにしていると、父親がそれはオレの子だとか言って娘を連れ返しにくる。
で、花屋の男は父親を撃つために拳銃を用意するが、結局、父と娘の関係を自分には断ち切れないと言って、、最後の結末はよくわからなかった。
父と娘の、結局は強いキズナのもとでは、すでに崩壊している家庭はもうどんなことをしてもそれ以上には壊れないというような話??

美術が塩田千春氏。靴とかをたくさん床に並べてそれにひとつひとつ紐が付いていて、それがひとつにまとめられているが紐の先はどうなっているのかわからない、というような作品で有名なヒト。今回は壊れた家庭を象徴するかのように、天井からたくさんの窓枠がつるされていた。

2009.5.23 新国立劇場小ホール。

マンゴーにはさまれたマンゴスチン

2009-05-21 00:12:10 | ベトナム
きのう、やっと嵐が過ぎ去って今日は久しぶりにノンびりした一日。つかの間の平和をしみじみと、いくぶん苦いキモチで味わった。というのもきのうの最終コーナーをまわってからの大混乱はワタシのコンペティタージンセイに汚点を残すようなものだったから。早い話、締め切りに間に合わなかった。
午後3時からのプレゼンテーションに、ネタがそろったのが2時50分。一部は未完成のまま、とりあえず持って行こうかということになって、ゲンバに着いたのが3時10分。サイワイにも前の人のが伸びていて形の上では間に合ったが、一品足りないままホンバン開始。ブザマにも途中で追加してヨレヨレでゴールイン。ホントにナサケナイ。

で、夜はニッポンジン同士でヤケ酒飲んで、頭痛で不眠のまま今朝オフィスに行ったら調教途中の馬が何頭もきていて、ご苦労なことに終わったはずのシゴトを続けている。どうしたのかと恐る恐るのぞいたら、なんか間違ったところを直しているらしい。中にはなんでコレをきのう出してくれなかったの、って思わず脱力して床に座り込みそうなコトをやってるのもいて、今からでもいいから仕上げて、あしたの朝、差し替えてくることにした。それで意外とオッケーだったりする国なのかもしれないがチョー管理社会に身を置くわれわれには理解しがたいことだ。

打ち上げ兼ヤミ討ちは明日やることにして、今日は道端で果物買って帰った。マンゴー2個とマンゴスチン3個。3歩進んで2歩下がるみたいなキモチで、、コレで35,000ドン。200円。
マンゴスチンは生まれて初めて食べた。肝臓の悪い人の唇のような、黒みがかった赤紫の皮の内側はこれも赤紫のスポンジのようなのが5mmくらいの厚みであって、その内側に白い薄皮に包まれた実がみかんの房のように並んでいる。房ごと口に入れてかむとフシギなかみ応えで中のさわやかな甘みと控えめな酸っぱみが口の中でまじりあう。コレはうまいかも。
この外見のキタナさと中身のさわやかさ。外見がさわやかで中身がどす黒い、人間にはよくいるタイプと正反対で、久しぶりに珍しいものに会った気がした。

『濃厚接触 第1話』

2009-05-19 00:51:34 | 短編
・・・感染病棟のベッドの上でカズオは白い天井にできた黄色いシミを眺めてぼーっとしていた。もうここに入って3日目だ。毎日テレビを見るくらいしかすることがない。もう熱も下がってなんともないのに。きのう母親が来てガラス越しに指さして笑って帰って行ったけど、コッチはもう少しで泣くところだったのを気付かれなかったかどうか、新聞に載った自分のコメントを何度も読み返してまたアツいものがこみ上げてきた。

「世間の皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありません。僕はもう大丈夫です」と、カズオ君は元気そうにガラスの外の心配そうに涙ぐむ御母さんに向かって手を振っていた。・・・

そこに病室の二重の扉の外側があいて保健所職員のカズコが入ってきた。カズコはカズオにマスクを三重にするよう指示してから自分もタラコのような唇の形が上からはっきりわかる薄手のぴっちりタイプのマスクをして入ってきた。

「ヤマノテ保健所のカズコです。カズオ君ですね。今日は感染経路の特定のため、いろいろ質問をしますから正直に答えてください。これは法律に基づく調査ですから嘘をつくと処罰されることがありますので注意してください。ハッキリって取り調べのようなものです」

カズコは鋭い横目でカズオを見た。感染防止のため向かい合わずに座っていたので自然に横目になるのだった。

「わ、わかりました。嘘なんて言いません」

カズオは久しぶりに人と接することで少し舞い上がっていた。看護師さんともドア越しにしかしゃべらなかったし。それ以外のひととはガラス越しだったから。もううつる心配もあまりないのだろうと勝手に解釈した。

「この前、紙に書いて出してもらった行動記録の中でいくつか不明確な点があるので質問します。まず、金曜日にクラブのあと塾に行ったことになってるけど、そこで濃厚接触した人はホントにいないのかしら。先生とか、友達とか。ホントは塾には行かないでどこか別のところに行ってたんじゃないの」

カズコの意地悪な質問に純朴なカズオは一瞬、アドレナリンが体内を逆流するのを感じた。顔が赤くなるのを自分で感じたがそれをサトられないようマスクの一番上のを目の下まで上げた。

「その日はビデオ学習だったので誰とも一緒ではなかったんです。調べてもらえればすぐにわかりますよ。事務のカズヨさんとかに聞いてもらえれば」

「あ、そう。わかったわ。じゃあ、次の土曜日だけど、図書館で誰かに会わなかった?小学校の時の同級生とか」

「だから紙に書いたように何人かに会いましたよ。僕ら受験生ですから土曜に図書館に行けば必ず会いますからね」

「うーん、知りたいのは図書館を出た後のことなんだけど。図書館を出て家に着いたのが7時になってるけど、図書館は5時で閉館でしょ。そのあと何してたのよ」

急に質問が尋問調に変わってカズオはベッドからずり落ちそうになった。

「いや、べつに、、」

「べつに、じゃわからないわ。コレ、大事なことなのよ。ニッポン中のコクミンの関心がアナタの土曜の午後の行動に集中していると言ってもいいわ。わたしにはそれを調べる義務があるの。さあ、言いなさい、言いなさいってば。。」

コクミンという言い方に違和感を感じたもののカズオはカズコの勢いに観念した。口の中がカラカラで咳払いをしたらカズコがピッチャーの暴投を大げさによけるへたなバッターのようにカラダをのけぞらせた。

「えーとですね。まあ、カズミと久しぶりに会ったんでマックでお茶でもしようってことになって、で、駅前の店に入りました。でも30分くらいですよ」

「時間の問題じゃないの。濃厚接触したかどうかだけよ、アタシが知りたいのは。で、お店のひととは濃厚接触したの?」

「そんな、するわけないじゃないっすか。知り合いでもないのに」

「違うわよ。お金は手渡ししたかってことよ。お釣りはあったの?」

「100円ですからお釣りはなかったっす」

「100円、って、二人で100円?何頼んだの?まさか一つのコーラを二人で飲んだんじゃないでしょうね。それってとんでもない濃厚接触じゃない」

カズオはうつぶせになって布団を頭からかぶった。

「そんなの誰だってやってんじゃない。何でオレだけ犯罪者みたいに言うのぉ?」

カズオは布団の中で泣いた。入院して初めてだった。それはニッポンの過剰反応シャカイへの怒りでもあった。カズコはもう部屋から出て廊下のベンチに座って県庁への報告書を機関銃のように打ち始めていた。

つづく?

絶叫

2009-05-18 10:47:05 | 風景
きのう、夜中に絶叫した。
3時頃、家のドアの外で何人かの男の声がしたと思ったら、その声が急に大きくなって、それはきっと玄関から入ってきたんだろうと思って、寝室にいたワタシはベッドの中で声を振りシボるようにして絶叫したのだ。
で、結局それは夢で、シゴトとかで追いつめられるとたまにそういう風にして夜中に絶叫する癖があるのだが、こっちにきて最初の絶叫第1号だったってこと。

この前絶叫したのはいつだったか覚えてないが、ずっと前にニューヨークに仕事で行って、ワタシの10倍くらい神経症の役員と一緒で、アレやれコレやれってすごいプレッシャーかけてきて、挙句のハテに夜中にシャワーが熱くならないから何とかしろみたいにして呼びつけられて、そういうことが3日くらい続いたあと夜中に絶叫した。
あの声を聞いた人はなんて思ったか、、一度やってみないとわかってもらえないと思うが、絶叫しようとしてもなかなか声が出なくて、最後はホントに絞り出すって感じで絶叫し終えるのは夢とはいえタイヘンなことなのだ。

紫の花

2009-05-17 09:00:07 | ベトナム
きのうも今日も仕事。もう、この10日間くらい、ぎりぎりガールズ状態。
気楽な名古屋ジンは早く終わらせて次のシゴトやってちょ、、みたいに言うもんだから毎日ぶちキレそう。ベトナム人は2泊3日の徹夜態勢で、コッチは心配でほとんど不眠。

そんなときに花どころじゃないんだが、今の季節、街路樹にこんな花が咲いている。色は地味だが近づいてみると雄しべがそそり立っていていかにも南国の花らしい派手な形。雨が降った翌朝には地面に花の形のまま落ちていて、濡れた濃い灰色の道に紫が映える。

あとついでにきのう雑貨屋でお皿を買った。自由が丘にでもありそうなきれいなモノばかり並べた小さな店で、主に中国製の陶器とプラスチック系がウリ。場所はインド大使館の裏、とかいっても誰もわからないだろうが、フランス大使館からホアロー刑務所に続く、ベトナムの歴史を象徴するかのような一直線の斜めの道に面している。


CDC

2009-05-16 12:32:23 | 風景
ニッポンでもとうとう広がり始めたかという雰囲気でニュースの写真を見るとみんなマスクをして大変そうに見えるのだが実際はどうなんでしょ。新聞とかテレビのニュースってほんの一部を極大に拡大して、それがあたかも世の中のすべてだ、というような雰囲気で伝えるから、実際の状況は遠く離れていると全然わからない。
で、どこかのニュースで読んだのだがアメリカではマスクをしている人はほとんどいなくて、それはアメリカ人がいつものように無知なのかと思ったらそうではなくて、CDCってところが感染してない人がマスクをしても効果はほとんどないって言ってるからだそうで、ワタシはこのCDCっていうところはかなり信用しているのでそういうことなのかと思った。

でこのCDC=米国疾病予防管理センターっていうのはだいたい世界中の医療衛生関連のひとが注目しているところで、ココがいいと言えばいいし、ダメと言えばダメというようなところ。
わかりやすい例をあげるとニッポンではつい最近まで病院の手術室の入り口には粘着シートみたいなのが敷いてあって、手術室に入る時に靴を履き換えた上に上履きの裏のゴミとかバイ菌とかをそれで全部取り除くということにしていた。それと手術が終わるごとに床をアルコールで拭いて、そのために床のシートがすぐにボロボロになるなんてことがあった。
それをCDCが手術室の床はいくらそんなことをしても、手術の清潔度に影響がある程度までバイ菌がなくなるわけではなく、ハッキリ言って無駄だと世界中に発表した。そうじゃなくて床はキタナイものだという前提に立ってヒザから下は手術中には絶対に触るなみたいなことを指針みたいにして出した。だから今では手術室には土足で入るのが主流で、もし近所の病院がいまだに履き替えをして粘着シートが敷いてあったりしたらその病院はヤバいと思わなきゃいけない。

で今回のマスクだが、感染している人がマスクをするのは咳をした時にツバが飛んで、そのツバに混じっているバイ菌がほかの人とかモノとかにくっつくと、それがなんかの勢いで体の中に入って感染するのだから、最初のツバが飛び散るのを防ぐことに効果があるわけで、バイ菌は空気中を羽をバタバタさせて飛んでいくわけではないから感染してない人が普通に空気を吸ってる分には感染なんかしない。
それを何かもうミサカイもなくマスクさえしてりゃ安全、みたいに思いこんでいるのは逆に無知としか言いようがない。飛行機のCAがみんなマスクして、、なんて呆れる。咳をしている人にマスクを与えるというのがスジだ。どうしてもマスクをしたいのなら防毒マスクみたいなもっと厳重なのをするべきなのだ。
だから来週ニッポンに行くがマスクなんか絶対しないぞっってミンシュ党のオカダさん的な揺らぐことのない信念。