老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

Angkor Wat再び/アンコール・ワット旅行その20

2011-02-27 01:26:53 | 旅行


昼を食べに前半に泊ったFCCのレストランに行ったら、愛想の悪かったウェートレスのおジョーがワレワレを見てニッコリ笑って迎えてくれた。ナーンだ、帰ったんじゃなかったのぉ、みたいな。もう一人のムッチリおジョーは前以上にムッチリニコニコでビールを運んできてくれた。こういうのは文句なしにウレシイ。
食べている途中にはトゥクトゥクのニーちゃんが道路から手を振ってきた。カレはこのホテルの看板を付けたトゥクトゥクに乗っていてホームベースはこのホテルなのだ。ナーンだ、結局ココかよ、みたいな。
着いた日を入れれば6日間。あっという間に終わったと思っても、いろんなことがあった。

午後の1時過ぎに着いたアンコール・ワットは太陽の日を真上から受けて、地面の明るさと対比的に、濃い影をくびれの下に落としていた。旧正月が本格的に始まって初日の数倍の人出。ベトナム人もかなりいた。もちろん一番多かったのは中国からの団体客で、同じ帽子をかぶって、同じTシャツを着て、同じようにワメき散らしている。
騒々しい見物ルートを外れて、広々とした芝生の上からじっくりと全体像を眺めた。聞こえてくるのは鳥の声と遠くのざわめき。時間がゆっくりと過ぎて行った。
あとは少しだけ歩き回って、3時過ぎにおしまい。


最初にも書いたがこの旅行が終わってワタシの中の何かが確実に変わった。何かが終わった、といってもいい。ワタシの一生の中の大きな節目を越えたような、イツキ寛之センセがインドの故事から引用して書いたように、一生を4つに分けたうちの2番目の家住期が終わって3番目の林住期に入ったと確実に感じられるような、、そんなキモチ。もうジタバタするのはやめて、林の中に入ってコレまでのことを振り返る時間が来たんだなと、、、、、。

そうは言ってもコッチじゃ毎日闘わなければいけない場面の連続だ。相手は歩いているワタシの肘に後ろからミラーをぶつけてくるヘタクソな運転手だったり、絶対にジブンの間違いを認めないベトナム人のスタッフだったり。ま、でもそんなのは実際タイシタことなくて、ホントウの敵、ホントウに打ち倒さなければいけない相手は、自己セキニンを認めない集団監視と足の引っ張り合いだけのニッポン社会、というか、ニッポンのカイシャ、というか、ま、ハッキリ言っておバカなヒト達。
1-0で負けてるのにロスタイムに自陣でバックパスを繰り返しているような、ギリギリまで追いつめられていても攻めない。ジブンが失敗しない一番簡単な方法に逃げている。あるいは、内輪もめを繰り返すだけ。外から見てるとニッポンはこのまま時間切れで集団ジケツでもするつもりなのかとさえ思える。
ま、ニッポンとか、カイシャとか、そんなことを考えること自体無意味なんだろうけど。


アンコール・ワット。ソコで見たモノは、ひと言で言えば無限の時間。コッカやニンゲンは必ずいつか滅びても、ソコには目に見えないモノが残り続ける。それだけで、あり余るほど十分なのだ。
またいつか旅に出よう。できれば、終わりのない遠い旅に。