老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『Avalokiteshvara/観音菩薩』@Vietnam National Fine Arts Museum, Hanoi

2010-11-30 23:41:11 | 仏像
最近特に話題がない。というか、ココに書くのに適当な話題がないと言ったほうが正確。アドレナリンがフツフツとわきあがるような出来事は日常チャ飯時的にあるし、その結果としてこの半月で何人かのニンゲンをアタマの中で斬った。シゴトとはいえあんなニンゲンと時間を共有することはワタシの人生を汚すコトにほかならないと判断したから。
世の中にはホントにジブンの無能さを棚に上げて他人の非ばかりを虫歯に虫ピンを刺すように責め立てる人間がいる。そういうのにぶつかった時はジブンを守るためにそいつを無視するしかない。これまでの50年の経験で身に付けたコト。

となると現実逃避しかないので、コッチに持ってきているわずかなムラカミさんの本を繰り返し読む。1Q84の1冊目とアイリッシュ・ウィスキーの本と「考える人」のインタビューと。
アイリッシュ・ウィスキーはカンペキ現実逃避だがインタビューは現実逃避とはいかない内容で、ま、ハッキリ言っておんなじようなこと考えてるな、ということがわかった。

シャカイの特殊な要素としてのカルト系新興宗教団体を持ち出して、それがクローズド・サーキットであるとして、ソノ中ではニンゲンはジブンで判断することを禁止されてウエから言われた通りにしか動かない。そうすることが楽でキモチいいから。でもって、ソレによって組織は強く結束して成長していく。だがそういうことを長く続けていくと、ソノ中で生きているニンゲンは、そうやって生き続けることがシャカイ全体の中ではとんでもなく間違っていたり、あるいはまれにすごく正しかったりする、どちらも極端な方向に進んでいくのがジブンで気づかなくなる。その結果として無差別サツリクとか、証拠偽装とか、合同ケッコンシキとかが起きる。

で、その特殊な要素は身の周りにいくらでもあって、ソレはカイシャだったり、美しいナカマに囲まれた大学野球部だったり、ホイク園の朝の送り届けのホンの数分間に形作られるコミュニティーのようなモノだったり、。ま、カイシャで考えるのがとんでもなくわかりやすい。
でもって、そうならないようにするにはサーキットを閉じないコト、常にだれかが破壊し続ける、そういう組織、というか、それはもう組織と言えないのかもしれないから、いつも出口を確かめておくか、そういうところにジブンから入っていかないことが必要、ということ。カブキ町の風俗ビルのように。

だからワタシはニッポンから出張者が来てもカラオケには絶対に行かない。あれはクローズド・サーキットの入口以外のナニ物でもない。休日のゴルフも同じようなもの。付き合い残業も、メシ喰いながらシゴトの話をするのも、子どもいくつになった?、とか馴れ馴れしくプライバシーに踏み込んでくるのも、全部全部、イカガわしい宗教の勧誘とおんなじなのだ。

というわけで、ワタシはケイケンなブッ教徒デスので、写真は16世紀の仏像。ハノイの東の港町、Hai Phong・ハイ・フォンのNhan Trai/ニャン・チャイ寺のモノ。500年前、ってことは、ワタシ10人分の時間。たいした昔じゃない。

『Vajrapani/執金剛神』@Vietnam National Fine Arts Museum, Hanoi

2010-11-18 22:43:12 | 仏像

朝からダルいのは重症揉み返しからまだ回復してないから。もう4日目だというのに。いったいアノオネーさん、ワタシのカラダに何をしかけたのか。筋肉の上から血管を玉結びでもしたのか、それとも血管に溜まった老廃物を、道路の掃除人がソレでかたずいたと思うように、どこかひとところに寄せ集めただけでソレでおしまいにしてしまったのか。。
そう思うとマッサージとかしてもらうのはジブンのカラダを他人に1時間くらいの間、好きなようにさせるわけだから、アノ店にはかあいいおジョーがいる、とか、思いもしないようなステキなサービスがある、とか、そういう邪心を持って行ってはいけないのは言うまでもないコト。いつ、首の後ろの一点にアイスピックの尖らせた先端を突き刺されるかわからない。もちろん意味もなくそんなことはしないだろうけど。

でもってなんで発狂防止のために毎週Spaに行かなければいけないかというと、やっぱり外国に居ながらもニッポンという病人を相手にシゴトをしているとコッチが病気になってしまいそうになるから。とにかくニッポンの今の状況は異常。
たとえばニッポンの本社に何かを決めてもらわなければいけないときに、メールに書いてニッポンの担当者に送ると大抵1回じゃかたずかない。コレじゃ上司に説明できないとかいって追加の資料とか質問の回答とかを用意しなければならなくなる。
で、資料が全部そろったかと思うとニッポンでは担当者が上司に説明して、その上司がまたその上司に説明して、そのまた上司がそのまたそのまたの上司に説明して、、ホントに些細なことを決めるのに結局シャチョウにまで話が行って、シャチョウからコッチに、コンナことでいちいち相談するな、みたいな電話がかかってくる。アホらし。

要は誰もが責任を取らなくて済むようなニッポン的責任雲散システムができあがっていて、みんなあとで批判されるのを恐れてそのシステムに乗っかろうとする。その結果、誰もジブンで判断しなくなって上へ上へと持ち上がっていく。そのためのムダな作業、ムダな時間がワレワレの社会の生産性を著しく落としている。
そういうのをやめたいと思ってコッチに来て、もちろんジブンの責任で好きなようにやっているのに、ニッポンがシゴトがなくてヒマなもんだから、そのヒマなヤツらがワタシを向こうのシステムに巻き込もうとする。そういうのに抵抗するのにもまた膨大にムダなエネルギーを使わされる。コッチに来ているニンゲンにもそういうニッポン的システムに乗っかっていたいと思っているニンゲンがいて、それにも対抗しなきゃならないし、、コレで発狂しないのが不思議なのはSpaのおかげ、というワケ。

あとついでに言うと、そういうニッポン的なヤマイはカイシャだけじゃなくシャカイ全体にあふれている。自衛隊は軍事組織だなんて、だれが見たって当たり前のことをしゃべっただけで時代遅れのマスコミから袋叩きにされて、それでもってその反動で決まり切ったことしか言わなくなるとソレもまたコッカイ軽視とかいって叩かれる。とにかくジブンでは何もできないクセに、誰かの足を引っ張ることしか能がない。七光り政治屋でいえばワタナベとか。みんなの塔、なんて、名前聞いただけでその無思想な大衆迎合的姿勢にムシズが走る。


発狂防止対策はSpa巡りのほかには、半路上飲食店巡りとか、路上お絵かきとか、芝居のためだけにニッポンに帰ったりとか、路傍の虫捕りとか、見仏とか、、。ココに書けないモノまで含めるとワタシは趣味の多いニンゲンなのだ。

で、コレはこの前の続きで、美術博物館にある仏像の中の一番古いもの。1120年頃、Ha Nam県Duy Tieu町のChua Long Doi/ロン・ゾイ寺にあったもの。
ベトナム語でKim Cuong、インドではVajrapani/ヴァジュラパーニと呼ばれ、ニッポンでは執金剛神(しゅこんごうしんorしつこんごうしん)または金剛手(こんごうしゅ)などと訳され、金剛力士(仁王)と起源は同じ。でもってまたその起源はギリシャ神話のヘラクレスだという説もある。インドの執金剛神像とヘラクレス像が同じように、手にこん棒を持った髭面のオトコだからだってさ。このへんになると信仰心のないニンゲンから見れば勝手な作り話にしか思えない。
ニッポンでは東大寺法華堂(三月堂)に奈良時代の国宝に指定されているのがあるが雰囲気はまるで違う。

コッチの像はおかっぱ頭で分厚いコートを着て、胸がやや盛り上がって渦を巻いている。こん棒は持っていないが髭はあごにだけ生えている。のんびりした感じ。知的な雰囲気からヒロナカ平祐センセ的仏像と分類できる。
背景がパースペクティブになっているようにも見えるが、斜めに石が欠けただけだろう。高さが215cmもあるのでほぼ等身大。
コノ1000年の時空を漂ってきたインドシナ半島的のんびりさを湛えた金剛力士像を見れば、シャカイとカイシャのつまらぬ話は、ホントにつまらぬコトにしか思えなくなる。もしかしてソレが宗教か? みたいな。。

『Hoi Ha寺の千手千眼観音像』@Vietnam National Fine Arts Museum, Hanoi

2010-11-15 23:13:00 | 仏像


きのう、おとといは久しぶりの完全2連休。午前中はひたすら散歩して、午後には発狂防止のために週に一度の精神解放timeと決めているSpaに行って1週間分の疲れを揉みほぐしてもらう、つもりが、やや重量級のおジョーにすんごいカラダの奥のほうまでネジリ込まれるようにもまれて、揉まれている最中はすっごいヨカったのに、夜寝る頃にはカラダ中が痛くなって、きょうは朝から病的にだるかった。久しぶりの重症揉み返し。
で、今月は正月帰国用の航空券を買ってしまったためにもう遊ぶおカネがなくて、土曜の昼はタダ同然の国立美術館で仏像見たり、本読んだりして過ごした。

ベトナム国立美術博物館に展示されている、この前のBut Thap寺のと並ぶもう一つのメダマ仏像は、コッチはもう少し早い16世紀の千手千眼観音像。ビン・フック省ホプティン郡旧タム・ズオン市のホイ・ハ寺にあったもの。高さ3,27m、ひたすらリッパ。インドと地続きのインドチナ半島的色彩と躍動感に満ちている。
カラダの両側に42手。背後の光輪は失われて存在しない。おされっぽい帽子のようなものをかぶって、耳には大きなイアリング。子どものような顔をしていながら両側の手は指がタってたりしてナマめかしい。ただとりあえず40本近くを横に取り付けた、という感じで、But Thap寺のに比べるとバランスが悪いような。

いとうせいこう氏によれば手が何十本も体の横に出ている姿は、アノ赤塚センセのまんがの手を横で振り回して慌てふためいている状態の原型でもある。仏像を見て赤塚漫画を連想するとは、、なんという想像力。ま、見ようによってはそうだけど、この場合はただ単にカニのオバケのようにも見える。いずれにしてもヒトの想像力をウムを言わせず刺激する造形力。ニッポンのでも一番古い千手千眼観音像は8世紀のモノだというから最初に作った人はエライ。

こういう分類的にわかりやすいのはいいが、ワタシはハッキリ言って釈迦如来と阿弥陀如来の区別もつかない。と思っていろんなところを読んだら、そういう区別は専門家でもむずかしいらしいい。釈迦如来像に至っては釈迦のいろんな時代のものがあって、ガイコツみたいな修行時代のものとか、寝転がってテレビでも見ているようなのは死ぬ間際のものだったりとか、それらすべてをお釈迦様として信仰の対象にしている。
ま、数見ないと何も言えない。

『Chua Thay/天福寺の護法善神』 @Quoc Oai, Hanoi

2010-10-31 06:47:44 | 仏像


ハノイの中心部から西の方向に車で20分くらい行くと、トーキョーでいえば新宿副都心のような超高層ビル群が建てられつつあるエリアがあって、その中には来年インターコンチが営業を始めるmax.地上70階建ての韓国系巨大開発もある。そういうのを見ると、まあ、ハッキリ言ってニッポン、アキラカに負けてると実感しマス。で、ソコにこの前コンサートに行った国立国際会議場もあって、その正面玄関を起点にさらに西のほうに延々と延びる、ウシも通る高速?道路が最近開通した。行先はホアラック・ハイテクパーク。工業団地、大学などの複合都市。ニッポンで言えばツクバ研究学園都市のようなところで、ジミで先の長い話だがコレには日本企業も投資している。

今回はオシゴト絡みでその高速道路を走って20分、途中、一面畑の村々の中に突然高さ100mくらいの岩山が3、4本、というか3、4山そびえたっていて、その山のふもとのChua Thay/天福寺を見てきた。英語名はMaster’s Pagoda。モノの本によれば12世紀に実在した高僧=マスター、徐道行/トゥー・ダオ・ハインを祀っている。徐道行は李朝5代皇帝神宗(在位1128-1138)に生まれ変わったという伝説上の人物、とのコト。いわゆる学問の神サマで、ベトナムの若者はココに受験前のカミ頼みに来るらしい。

現在はお寺の門の半分をふさぐ形で隣の建物が改修工事中なこともあって、古いほうは今にも朽ち果てそうな雰囲気。門を入ると狭いながらも静かな庭があって、ソコに面して大きく3つの建物が建っている。ベトナム人の観光客も多いようで見学ルートがベトナム語と矢印で書いてあり、最初の建物には徐道行/トゥー・ダオ・ハインの像が祀ってある。服を着ている。
で、次の建物に釈迦如来像があって、非常に暗かったのでソノ写真はないのだが、ほかにたくさんの仏像が並んでいて壮観。カトリーヌドヌーブ主演の「Indochine/インドシナ」の中にも登場するらしい。15千ドン=65円でDVD買って持ってるので今度確かめてみよッと。

釈迦如来像を取り囲むように高さ4mくらいもある、仏像のカテゴリーで言えば、如来、菩薩、明王の次に位置する天部の神々が並んでいる。天部は仏法及び仏教徒を守護する神々のことで護法善神/ゴホウゼンジンともいう。写真に撮れたのはいわゆる四天王と呼ばれる持国天、増長天、広目天、多聞天のなかのどれか。どれがどれかは手に持っているモノとか立っている方角とかで、わかるヒトにはわかるのだろうが、、、。
像そのものは木、おそらくジャックフルーツとかの木で作られていて、漆と金の塗装=金メッキで仕上げられている。表情はふくよかで立体感がある。衣装も立派。ま、ニッポンの仏像に通じるものはあるが、ベトナム仏教における仏像の特徴はこういうもんかと、非常によくわかりまシタ。ただ、まあ、仏像初心者にはかなり濃すぎる内容。もうちょっとベンキョしてからまた行くか、というところ。

お寺の裏にある岩山はロッククライミング、というほどではないにしても、気軽に登れる山ではない。今回は見るだけ。それから大規模な洞窟があってソレも信仰の対象になっている。

『ブット・タップ寺の千手千眼観音像』@ベトナム国立美術博物館、Hanoi

2010-10-23 12:33:34 | 仏像
急に仏像が見たくなって、お寺に行くよりは博物館に行くほうが手っ取り早いのでイってきまシタ。別に安楽なアノ世を求めて信仰に目覚めたワケじゃなくて、彫刻としての仏像に興味が湧いてきただけ。いいおカオしてハルゥ、みたいな、信仰心をベースにした情緒的な見方はしない。いや、できない。そもそもいいカオ、なんて言い方にはスッゴイ違和感がある。ソレをいいカオと感じているのはジブンが善良な人間だからだ、とでも言いたいキモチが丸見えに見える。
ソコにあるのはヒトの手が、木や石のカタマリから彫り出したひとつのかたち。ワタシとしては、ソコに何百年か前に生きて既に死んだヒトの、絵以上に生々しい手の痕跡を見たい。ソレだけ。

まず行ったのはベトナム国立美術博物館。1階中央大展示室に2体の「千手千眼観音像」が展示されている。たぶんどちらも国宝級。でもさわろうと思えばさわれる。
でもってワタシが特に注目したのはカタログの表紙にもなっている「ブット・タップ寺の千手千眼観音像」と訳された“Tuong Quan Am Thien Thu Thien Nuon Chua But Thap”。Thienが千、Quan Amが観音だなーというのはすぐにわかる。
説明によればジャックフルーツの木に彫られていて、仕上げは漆+金。1656年秋、ドン地方のツオン作、と、土台の正面に彫り込まれている。だいたい仏像に作者が名前を彫り込むのは珍しいコト。よっぽど有名なヒトでない限り価値が下がると思われる。

手が42本、横のほうに出ていて、後ろには952本の手が光輪を描いている。合計994本。6本足りない。ビミョーだ。もちろん千というのはたくさん、というだけの意味だろうが、994本まで作っておいてあと6本作らなかったのはどうして? ま、深い理由はないだろうけど
土台はハスの花びらで飾られていて、一番上の土台は海を模している。その波間からカメだか怪獣ガメラだかがアタマと両手を出して、いかにも重そうな顔をして、観音像が乗っかった、コレもハスの花でまわりがヒラヒラ状態の台座を支えている。すっごい重たいモノが軽々と浮いているように見える。
観音像の顔は正面と右左に大きいのがあって、さらにそのアタマの上に芽キャベツのように三方を向いた小さなアタマが5段重ねくらいで乗っかっている。見ようによってはカツラのようにも見える。ダイナミック。
保存状態はあまり良くなく、かなり補修されている。ベトナム戦争中に壊されないようにいろんなところを転々として避難していたらしい。

ちなみに観音像は仏像のなかで、成仏を求めて修行を積む人の意味である菩薩の一種、観音菩薩。その中で手が千本あって、それぞれの手に目があって、千の手と目であらゆる人を救済してくれるという意味を持っているのが千手千眼観音菩薩、ということのようデス。手にはいろいろなものを持っていてそれぞれに名前が付いている、とモノの本には書いてあるが、ココの観音像はほとんど何も持っていなかった。ヒトそれぞれ、というか、ブツ、それぞれ。ところ変わればシナ変わる。漆と金がよく残っていてキレイでした。