老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

ホアロー刑務所跡

2009-03-29 17:28:25 | ベトナム
天気予報によれば一日 heavy rain だったはずなのにとうとう降らなかった、どころかケッコウいい天気。ここまでハズれるとキモチいい。コッチに来る時に着ていた薄手のセーターはその後一度も着ることはなく、持ってきたシャツが全部長袖だったので半袖のを2枚買った。ベトナム製、2枚で530,000ドン。3,000円。安くはない。
で、今日の散歩は別名ハノイ・ヒルトンとも呼ばれているホアロー刑務所跡。今は大部分が取り壊されてハノイタワーっていう高層ビルが建てられて、その一角に一部が残されて公開されている。池袋のサンシャイン60が巣鴨プリズンの跡地に建てられているのと似ているが向こうはまったく残っていない。ニッポンのクサイものには蓋的文化のあらわれ。

ベトナムの歴史はキワメテ複雑で被侵略、被征服の歴史は覚えきれないくらい。とりあえず近現代だけを見てみると1800年頃からフランスの侵略が始まって第2次世界大戦の初期にフランスがドイツに負けると今度は日本が侵略して、1945年にニッポンが負けると北と南に分断されて、北は中国が、南はイギリスが支配したかと思ったらまたフランスが出てきて、で、北でホーチミンさんが登場してフランス軍と北との戦争が始まって、フランスが負けたと思ったら今度はアメリカが南の方に肩入れしてきて、でもって1960年代にあのケネディが始めたのがベトナム戦争。コッチでは対米戦争、みたいな言い方をする。その後ソンミ村の大虐殺とかアメリカが非道の限りを尽くしても結局1975年にブザマに敗退していく。
ただそれで終わらずその後カンボジアのポルポト派を支援する中国との間で中越紛争があって、そういういろんな経緯でベトナムには華僑はほとんどいなくてそのため中華料理屋もほとんどない。

で、ワタクシ事だが、ワタシは1995年にあのシラクのフランスが南太平洋で原爆実験をやってから、基本的にはフランスワインは不買運動をし続けていてもっぱらチリとかスペイン産を愛飲している。ニンゲンつまらぬこだわりは持つべきではないが、こういうのは死ぬまで守るべきものだと思いませんか、そこの奥サン。
で、どうしても理解できないのがどうしてフランスとか、ほかのヨーロッパの国にしても、なんでアジアとか南太平洋とかに出てきてヒトをコロしたり放射能をばらまいたりしてきたのかってこと。近辺でやってほしい。

今日のホアロー刑務所にはフランス支配時代に抵抗して投獄されたベトナム人民の悲劇が展示されていてココロに突き刺さるものがあった。ギロチンとか、目を覆うようなものもリアルに並べられていて。。アメリカ系の観光客の期待に反して対米戦争時代の捕虜の収容に関してはキワメテ友好的に扱ったような展示内容で、悲惨な捕虜生活へ思いをハセようとしてきたカレらはややがっかりしてたような。まあフランス時代の悲惨さに比べたら屁みたいなものって感じか。だからハノイヒルトンっていいかたはベトナムでは通用していないのかも。

HANOI GALLERY

2009-03-28 18:28:47 | ベトナム
健康診断の結果が出て、とりあえずニッポンに強制送還されるようなビョーキはなかった。やれやれ、って別に心配していたわけではないが。。
で、きょうはこっちに来て初めて1週間フルに働いた最初の週末。またまた午前中は洗濯なんぞをしてスーパーにスパゲッティの湯を切るザルとやや大きめのフライパンを買いに行って、そうこうしているうちに昼になったので前に団体で行ったことのある日本料理屋に入ったらこれがシッパイ。ニッポン人のおヂサンがカウンターにずらりと並んでサバの塩焼き定食を食べている。ジブンもこの仲間か、というキモチと、オレは違うというキモチが頭の中で葛藤しているうちに、とりあえずサバの塩焼きを頼んで食べた。
いったんウチに帰って体勢を立て直してもっと今っぽいところへ行かねばと思って行ったのがハノイ大教会のまわりに広がりつつある、ニッポンでいえば中目黒とか三軒茶屋とかあんな雰囲気の町並み。アカぬけたデザインのギャラリーとかブティックとかカフェが並んでいる。

その中で気に入ったのがココ。Old Propaganda Postersと店先に大きく書いてあって対米戦争時代の国民向けの宣伝用ポスターを壁一面に展示してあって、もちろん売ってもいる。本物は古いので300USD~60USDくらい。小さな複製はひと桁安い。当然ながらホーチミンさんの肖像とかことばが書かれたものが多い。表現のストレートさが気持ちヨカった。こういうお店を知ってしまうと散財するに決まっているのでとりあえず今日はがまんしたが帰るまでに何枚か買いそうな予感。
あとはカフェでビール飲んで、くつ磨きのニーちゃんにお前の靴はキタナイとハッキリいわれながらも振り切って、途中でよさそうなベトナム料理の店を見つけて家まで歩いた。先週は帰りにタクシーに乗ったから少しは進歩。でも2時間半が限度。

ダラットワイン

2009-03-27 05:59:31 | ベトナム
ダラットはベトナム南部の町で、高原にフランス植民地時代のヴィラがたくさん建ち並んでいるようなところ。休みがとれたら行ってみたい場所の上位3位以内にいつも入っている。チナミにほかの二つは中部のフエと隣の国のアンコールワット。北部のディエンビエンフーとか、中部ホイアンとか、南部のフーコック島なんかも上位をねらっている。

で、コレはきのう早めに仕事が終わって、ボスがいなかったもんだから家で料理を作ろうと思って、つくりながら飲み始めたダラット産のワイン。フランス人がワイン作りを始めて今につながっているのだが有名なレストランにはほとんど置いていない、というと相当な貴重品かというとそうではなくて、安いという意味。この前スーパーで買ったこれも一番高くて500円位。悪くない、っていうか、ウマイ。

料理のほうはチキンと玉ねぎのインド風煮込みに玉ねぎの味噌汁。サランラップがないので玉ねぎを1個使いきるためこんな組み合わせに。。

Goethe-Institut Vietnam

2009-03-23 21:01:23 | ベトナム
今日は朝、急に就労許可を得るのに必要な健康診断を受けに行くことになって、前々からかなりハゲしい健康診断だと聞いていたので行くのが怖かったんだが、急な話で心構えもないままとりあえず行ってみた。受けたのは政府が指定する医療機関のひとつ、インターナショナルSOSっていう外人向けの診療所。入って行ったら受付のオジョーちゃんとかみんなキレイでにこにこ笑っているんだが、怯えるこちらとしてはああ今日はこのオッサンたちがかわいそうな検査のエジキになるのかって笑っているようにしか見えなかった。

で、最初に身長、体重とかは普通に終わって、ティンチョーも測るという噂はウソだとわかった。続く視力検査は笑っちまうような話で、普通ニッポンでは5m離れたところから例の矢印が書いた表を見て右、とか左とかいうわけだが、ココでは狭い部屋でその表が鏡に映されていて2.5mの距離でやっていた。だから右とか左が全部逆になって、言葉で言わずに指で指せって言われちゃった。まあこの辺は余裕。
で、最後に診察室に入って、ココでいよいよキタかと思って観念した。話ではアソコの先っぽからガラスの管を入れて内視鏡で見るとか、お尻の穴から指を突っ込んで前立腺責めされるとか。スッパだかで医者とか看護婦サンが見ている前で検尿のおピッコをとるとか、いろいろ聞いていて、まあマヤクとかいろいろ問題があるクニならそういうこともあるのかと思っていたが、いざそんなことされるかと思ったら一気にちぢこまった。
ベッドに寝かされてズボンのベルトに手がかかった時にはもう泣くしかないと思ったが、、腹を少しさわってフィニッシュ、って言われてやや物足りない気もしないではないが想像を絶する痛みはなしのまま無事に終わりマシタ。ホントによかった。。

写真はきのう、こっちにきて初めての完全休暇で午後から出かけた散歩の途中に寄ったベトナムゲーテ協会の庭。古い住宅をきれいに改装してギャラリーとかレストランとか図書館にして公開されている。ギャラリーではアジアの写真家の展覧会が開かれていて題して"Mapping Invisible Cities"
フィリピンの女性写真家 Maria Virginia Cruzがマニラ市内を流れるどぶ川を写した"Manila Waters"が胸を打った。ムカツク臭いが漂ってくるような汚い川をオヂサンがボートに乗って下っていく。途中でカネになりそうなものを拾いながら。メタンガスが泡になって淀んでいる川が、それこそが美だといわんばかりに美しく写し撮る。深く共感できるものがあった。

ハノイの盆栽

2009-03-23 07:29:19 | ベトナム
きのう散歩してこんなの買った。オートバイの群れのスキマをくぐりぬけながら、ぶらさげて家まで帰った。

こっちはだんだん暑くなってきた。夜にチキンカレーを作って食べた。

ハノイオペラハウス

2009-03-22 11:13:59 | アート
正式な名前はハノイ市劇場。ニッポンで国立劇場といえばお堀端のアソコをさすように、ハノイで劇場といえばココのことを意味する。1911年にフランス人の設計でつくられた。劇場そのものの内部は馬蹄形のバルコニー席が2層あって、本格的なオペラハウスのように見えるがロビーとかはややさびしい、というか、上演中に外の車の音が入ってきたりして、、まあそんな感じの雰囲気で、クラシックのコンサートがまだあまり一般人民には広まっていないようで演奏中にも子どもが走り回ったりケータイが鳴ったり、楽章と楽章の間で拍手したり、まあそれはご愛嬌というかそういう拍手のしかたもないわけではないと思うのだが、それと大量の蚊が飛び回っていて集中しにくい雰囲気ではあった。

ベトナム国立交響楽団は今年、創立50周年を迎えるオーケストラで、きのうも書いたが日本人の指揮者が音楽監督をやっている。それだけじゃなくスポンサーのほとんどはニッポン企業で、アジノモトとか、ヤマハとか、イナックスとか、トヨタとか、ほとんど有名どころは全部名前を連ねている。とはいっても入場料が一番いい席で250,000ドン。1,500円。物価的にいえばニッポンの6,000円くらいだからけっして安いとはいえない。まあひとさまのクニのことをトヤカクいっても仕方がないけど。

きのうの曲はハイドンの"La poule"とボッケリーニのチェロ協奏曲7番とモーツァルトの36番"Linz"。クラシックに特に詳しいわけでないのでエラそうなことは言えないが、ハイドンはいまひとつエンジンがかかり切らない感じで、ボッケリーニは鈴木サンの熱演でそこそこ盛り上がって、最後のモーツァルトはケッコウ楽団員もノリノリのいい演奏だった。音も外の雑音を気にしなければ天井から舞い降りてくるような?柔らかい響きでいい感じデシタ。
来年はココでマーラーの8番をやるらしくてそれはかなりの見ものではないかと今から楽しみ。

2009.3.21 ハノイ市劇場。

ホーチミンシティーのフォー

2009-03-21 07:05:25 | ベトナム
嵐のような1週間が終わっておとといハノイに戻ってきた。なんとなく落ち着くのはわが家ってキモチがあるからか。ホーチミンシティーは35℃くらいあって、ちょっと歩くだけで汗びっしょり。それでチカラ仕事させられたりフォー食べたりしたもんだからホントに汗まみれで疲れまくった。

写真は有名なフォーの店の店先のキッチン。奥のほうでは老人がモクモクと鶏肉を切り刻んでいて、店先ではこんなふうに作っているところを見せている。ハノイと違うのは葉っぱが皿に山盛りで出てきて、それらをジブンでちぎってどんぶりに入れて食べること。香辛料もいろいろ。味的にはハノイより濃い感じ。

きのうは念願のコメを買った。醤油、卵も。コメは2キロで59,900ドン。約350円。卵は10コ入りワンパックで26,500ドン。150円。安いんだか、高いんだか。。
今日の夜はフランス統治時代に作られた古いオペラハウスにベトナム国立交響楽団のコンサートを聴きに行く。某メーカーさんに切符いただきマシタ。べト響はニッポン人の音楽監督、本名徹次さんが率いるオーケストラで、今回は鈴木秀美さんがチェロと指揮をやる。まあどんなもんだか。ハノイがホーチミンより明らかにいい点は、そういう文化的なイベントが、数は少ないがより多くあることだ。



『佐高信の反骨哲学 魯迅に学ぶ批判精神』

2009-03-20 09:25:07 | 評論
ハノイからホーチミンへ団体旅行。総勢20人くらい。そういうのに慣れてないのでキワメテ疲れる。しかもジイさんが多くて、、後ろから蹴とばしたくなるショードーをなんとか理性で抑えた。でも飛行機の中では別々の席で、ワタシに与えられたわずかな自由時間にコノ本を読んでいたのだが、いつも思っていたことについてハタとよくわかったような気になった。それはベトナム人が飛行機の中でも平気で携帯電話をかけることに対して、それはモラルがないとか、言うことをきかないとかそういうことではなくて、それはこの本に書いてある、権力の嘘を見抜く力をカレ等が身につけているからではないかということ。ひっり返せば、いかにワレワレは権力の言うことをウのみにすることに慣れ切ってしまっているかということだ。

それというのも佐高サンは魯迅の批判精神について書いていて、ニッポンと中国の権力に対して批判をし抜いた魯迅の思想をいまのニッポン人は見直す必要があると言っている。たとえば武谷三男というひとが言っていてソレこそがまさに魯迅の思想だといって次のようなことをあげている。それはニッポンの教育でよくいわれている、「嘘をつくのは悪いことだ」ということは、権力の前で嘘をつくことによってのみコロされずに生きのびている人間にとって奴隷になれと言っているに等しいことで、そうではなくて、本当の教育に必要なのは嘘を見抜く力を身につけさせることだというようなこと。このへんがじつにすっきりとわかりやすい。佐高サンは「日本人の好きなそういう建前的キレイごと道徳」をぶちこわさないとニッポンは再生しないと言っている。「簡単に嘘をつくななどというな」ということだ。

もともと教育は権力者がジブンたちの都合のいいニンゲンを作り出すためにやっていることで、権力システムのピラミッドのなかでそれがじわじわと広がっていく。テレビなんかはそのなかでも上のほうに位置していてカレ等がコクミンに対してやっている「教育」はキレイなオジョーちゃんが穴ウンサーです、みたいにして出てきて、切り貼りで作り上げた映像と合わせて嘘をもっともらしく世の中にタレ流している。特に日テレみたいな経営者が権力と抱き合ってるようなところなんか。
今一番必要なのはカレ等の嘘をどうやって見抜くかという能力を身につけることで、毎日一つか二つガセネタを流して、今日の嘘はなんだったでしょうみたいに賞品かけてやったらどうかと思うくらいだが。

携帯電話について言えば航空機の運航に支障があるかは疑わしい。ドアの外はよくて中に一歩でも入ったら電源を切れというのは全く非科学的だし、そんなにアブナイならもっと厳重にチェックするべきなのにニッポンの飛行機でさえCAがヤサシクささやくように注意する程度だから深刻な問題とは思えない。カノ女たちは言われてるからやっているだけで、カノ女たちに嘘を見抜く力を求めても無駄なのだ。電車の中で今でもタマに放送されている医療機器に影響があるというのはキワメテ限定された条件のもとでのことで、町なかの普通の場所では起こり得ないことが実証されている。病院でも携帯を禁止しているところは時代遅れのアブナイ病院だと思わなければいけない。NTTが証明して、最初にジブンのところの病院で携帯を使えるようにしたわけだから。うるさいから使うな、と言えばいいものを運航に支障があるとか医療機器に影響があるとか言っているところに嘘の臭いがプンプンする。
ベトナムの飛行機では特に着陸したあとなんかみんながいっせいに電話をかけ始めるからうるさいのなんのって。それでもアメリカの嘘を徹底的に見抜きとおしたヒトたちとその子孫であるカレ等は、権力の嘘にはだまされないぞと言わんばかりに携帯に向かってしゃべり続ける。

窓の外

2009-03-15 08:36:15 | ベトナム
窓の外に見える風景だけがボクの世界ぃ~、、みたいな歌が昔あった?ような、、わりと外に出るのがおっくうな感じなのだが、今日も日曜だというのにこれから会社のおエラ方が集まって会議をするのに出かけなければならない。そういう老人たちの会合ではワタシが一番の年下になってしまうので、かってに肉体労働係みたいにシゴトを押し付けるのもいて夜になるとふしぶしが痛む。

昨日も空港へのおムカエ、とか、ちゃんちゃんらオカシイと思いながら、オツカレサマデス、とか言いながら出口のところで待っていたりして。屈折したワタシのこころ。土日だぜ、みたいな。
夜は割といいレストランを予約して、注文するときに一番エライのがコレ、とかいうとあとは私も同じモノ、みたいな感じで、典型的なニッポン人ご一行サマ状態。おカネ払うときになって8で割るといくらだって、そりゃないんじゃないのシャチョーっ!!

今日も午後に3人が来るがもう出迎えなんか行かない。アゴでこき使おうなんて思われても重たいものなんか持たないし、レストランではみんなが同じもの頼んでもジブンの好きなモノ食べる。耳栓してつまらない話なんか聞かないゾーっと。
でも、結局は、、みたいな。サラリーマンの悲しい習性。

ハノイ生活1日目

2009-03-13 22:28:35 | ベトナム
昨日からこっち。昨日一日メールがつながらなくて、今日の夜になってやっとつながった。どこにいても同じような生活だ。違うのはウォシュレットがないことくらい。つらい。
飛行機は予定通り右側の窓際に座って富士山を見ようと思った、、が、翼の隙間から少し見えただけ。。

来週いっぱい、東京からいろんなヒトが来るのの相手をしなければならず、キワメテストレスな日々が続く。役員の慰安旅行みたいな。ブチ切れないように、神経のスイッチを半分切っておかないと。

来週末はゆっくりと米でも買ってカレーを作る。それと近所の公園の中を一周して、池の反対側にある劇場でものぞいてくるかと。大きな市場にも行きたいし、盆栽も買いたいし、、楽しいことを考えて、嵐が過ぎ去るのをじっとやり過ごす感じ。