老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

IKEAに行けや

2006-12-30 17:54:32 | 散歩
いきなりおやぢギャグでシツレイ。
昨日、初めて行って、なかなか楽しめたので、ヒデキ、思わずカンゲキっ、みたいな。このネタが通じるのは昭和30年代生まれか。

おもしろかった点を2、3あげると、朝メシ抜きでいったワレワレは、いきなりレストランへ直行。メニューにはスウェーデンの名物料理のミートボールのほか、サーモンやパスタ、カレーライスがメインにあって、あとはパンやサラダやスープ、デザートなどをビュッフェスタイルで選ぶ仕組み。お酒も当然ある。ミートボールは肉団子の数で値段が3段階あって、甘いジャムが添えてある。なかなか美味でしかも安い。食べ終わったお皿を返すワゴンも実に合理的にできている。
おもしろいと思ったのは、メインディッシュを注文するところが、こっちと全然向こうの2方向から並ぶようになっていたところ。向こうのほうはがらがらだったから、2度目からは空いてるほうへ直行すればいいわけだ。そういう、リピーターにアドヴァンテージをつくってあげるような考え方が(それを意図しているかどうかはわからないが)、おもしろいと思ったシダイ。

それから、お店はショールームとセルフサービスエリアの二つに大きく分かれていて、ショールームで色々比べて選んだものを、倉庫のようなところに行って自分で台車に乗せてレジまで運ぶようになっている。それでもって、ワレワレは高さ2mの収納棚を3つも買ったのだが、組み立て式のソレは、当然、パッケージも2mの長さがあって、そういう大きくて重いモノをのせる台車がよくできていた。つまり台車の床が少し傾いていて、倉庫の棚から1個10kgはあろうかというパッケージを、滑らすように台車にのせることができる。そして、ちょうどその傾きが微妙にできていて、箱のダンボールの摩擦係数を計算して、運搬中に滑り落ちないくらいの傾きになっているのだ。こういうのには思わずカンシンしてしまう。

それからもう一つ、ショールームはだいたい順路ができていて、床の矢印通りに進んでいけばひと通り見ることができるようになっているのだが、途中に平面の案内図がたくさん出ていて、ショートカットの通路があることがわかるようになっている。子ども向けの家具を見る必要がなければどんどん飛ばしていけばいいわけで、当たり前と言えば当たり前なのだが、それが前を見て歩いている分にはわかりにくく、案内図を見ると一目瞭然というところがおもしろかった。

まあ、ほかにもいろいろあったが、こういうのがスウェーデン流なのだとすれば、なかなかおもしろそうな国だと思った。ニッポンに2店開いて、自分たちのやり方を堂々と持ち込むあたりも、自信を持っているということなんだろう。
うらやましくて、ワタシとしては、かなり気に入った。

『ノルウェイの森』 村上春樹

2006-12-29 23:00:39 | 文学
正月休み初日。大掃除をしていたら本棚の奥からでてきたので20年振りくらいに読み返した。
確か、妻が早産しそうになって1ヶ月入院していたときに、何か本を持ってきてといわれて、文庫で出たばかりのコレを買っていったのだと思うが、まあ、実にテキセツな選択だったと思う。何しろ登場人物が次から次にジサツしてしまうんだから。(ほかに持ってったのは、大江健三郎の「治療塔惑星」とか、、)
ワタシは1987年に発表された時に単行本で読んでいて、それ以来、村上作品は読んでいなかった。ムラカミ離れのきっかけになった本なのである。やはり今回読み返して、それ以前の作品と違い、違和感があった。

どこが、といわれると、主人公の「僕」に、まったく入れないのだ。それまでのムラカミ作品と同じように、日曜日の朝にはオムレツを作って食べて、ジャズを聴きながら本を読んで、やれやれ、という感じではあっても、なんとなく薄っぺらで、鈍感で、そしてハッキリ言えば愚かな人間として描かれている気がして。そういうことを計算づくで書いているのだとは思っても、読んでいて不快になる部分がある。弱くて、これで喰っていけりゃ別にいいが、と思えるようなところが。

「僕」はひんぱんに手紙を書く。ジサツした昔の友達の彼女であり、今は「僕」が心をひきつけられ、たった一度のSEXの感触が忘れられない相手である直子に、そしてその直子と精神病の療養所で同室のレイコさんに、それから直子とは遠く離れているために、その孤独を紛らわす相手になっている大学の同級生の緑に。
自分の不安に耐え切れずに、相手からの返事が来ないのに、何度も繰り返して手紙を書いて送る。読んでくれたか、と。僕の気持ちが伝わったかと。そのへんのメメしさが、、よくいえば、壊れやすさが、この頃から急に売れ始めてきた理由にもなっているからなおさら、気持ち悪く感じるのだ。
文芸評論家の加藤典洋は、デビューの頃から村上春樹に注目してきて、大学のゼミなどでも村上作品を取り上げてきたひとであるが、この頃の作品について、『「いい気なもんだ」とは思わせない程度のものではある』と、書いていたように記憶している。
たぶん、その後の、たとえば「世界の中心でナンタラカタラ、、」みたいな、へそが笑い出してしまうような純愛ブンガクに比べれば、批評に値するものにはなっていたのだろうと思うが、やはりこれは、ワタシとしては、いまひとつ、気に入らない作品なのだ。

とはいえ、まあ、ひとそれぞれ。たった一度すっぽかされたからって、それっきりっていうのも、この話の中でいらいらさせられたメメしい人間関係そのもののようで。海辺?のカフカ、なんてのもそろそろ読んでみようかと思う今日この頃なのである。

ムダなあとがきやら、解説がないのは好ましい。
1991年、講談社文庫版。


バラの実

2006-12-26 22:28:05 | 散歩
おととい、近所の花屋で花を買った。
花屋と言っても、普通の家の玄関先で、静かに店を開いているだけだが、
安くて、花の組み合わせが抜群にうまいのだ。

変わった花は好きですか、と聞かれたので、
好きです、と答えたら、
ナントカという花と、ナントカという花を中心に、
バラの実をまわりにあしらって、こんな感じで、って。

すれ違う人に見せたいような、見せたくないような、
この花屋からの帰り道は、いつもそんな気分になる。

年末の明るいニュース

2006-12-24 09:41:32 | 風景
このクソ忙しいのに、くだらぬニュースが次から次に出てきて、ここまでニッポン人は幼稚化しているのかとあきれる。

まずは平井堅のコンサートでお客に酒を出すとかなんとかで、そんなことはどうでもいいことだと思っていたら、車で来る人もいるからアルコールの提供は中止せよと、役所だか警察だかが言い出して、しまいにはコンサート終了後に車で帰る人のアルコールチェックを行って、結局ひとりも検挙されなかった、というおはなし。
なにやら飲酒運転取締りの宣伝のためにやったようにも見えるが、そもそもコンサートで酒出すくらいで検査するなら、ニッポン中のレストランやら何やらの駐車場の出口で取り締まらなきゃ片手落ちもいいとこ。それとも、コンサートで酒出すこと自体、不謹慎なこととでも思っているのか。JALの機内サービスで酒が買えるのが夕方5時過ぎなんていう奇妙なルールもあるくらいだから、十分考えられることだが。
酒飲んだら車は運転しない。それだけのことだ。

2番目は政府税調の会長が辞めたことについて、結局愛人と官舎に住んでいたことだけが問題化されて、辞任の理由も一身上の都合なんて、いつもの問題の本質をずらしてバカなコクミンを騙そうというジミン党コクミン白痴化政権の手口にほかならない。コノ人が辞めるべきだとすれば、常日頃、歳出の削減を訴えてきて、官舎なんかも廃止すべきくらいのことを言ってきたこと、そのことによって、社会的に評価され、会長にもなったわけなのに、それが安い金で官舎にノコノコ住んでいたという、そういうウソをついたという理由によってのみだろうが。
仕事キッチリやるんなら、愛人が何人いようが、どんな体位でセックスしてようがどうでもいいことだ。

そして3番目は芦屋の高級住宅街で400㎡以下の住宅敷地が禁止となる条例ができたことに対して、豪邸以外禁止、などという間違った解釈をつけて、大新聞やひま人向けのテレビが批判的に報じていること。ジミン党政権に忠誠を誓う大マスコミのネガティブキャンペーンの一環ではあるが、あまりのでたらめさ加減には目を覆うばかり。
一体どこに豪邸以外禁止なんて書いてあるんじゃぁ、って聞きたくなる。400㎡の敷地に、30㎡の小屋建てたっていいわけだし。そもそも田園調布とか成城学園あたりで遺産相続によって良好な住宅地が切り売りされて、安っぽい建売住宅が立ち並ぶような光景に対して、貧乏人でも高級住宅街に住めるんだと、それを良いこととしてとらえる神経が理解できない。

4番目はそのまんま東が宮崎県知事選挙に立候補して、それ自体はどうでもいいのだが、東さんが談合は必要悪だと述べたことに対して、またまた大マスコミが目を吊り上げて大騒ぎしている。
官製談合なんて言葉を作ったのもバカなマスコミだが、もともと談合とは悪徳ヤクニンが自らの地位を利用して、民間の会社からカネを巻き上げるために、落札予定価格を裏で流して、業界が仕方なく調整しあう仕組みのことだから、談合=官製なのだ。それにそういう仕組みを生かし続けるために、民間会社に天下りポストを要求して、役所辞めるときに高い退職金もらった上に、口利き役としていくつも渡り歩く、そういう仕組みをヤツらは作り上げているわけだ。
で、東さんが必要悪だと言ったのは、そういう談合ではなく、民間の発注する仕事を中小企業が調整しながら受注しあうようなやりかたのことで、これにはそれぞれの地方毎に昔から風習として伝わっているものもある。民間だから経済原理が優先するのは当たり前で、いくら調整しても発注者がウンといわなきゃ商売が成り立たないのは当たり前なのだから、談合と呼ぶようなことでもない。だから、何が問題なんだ、って思わなきゃいけないのだ。

と、まあ、ここまで書いて今朝の朝日シンブンを見たら、「ホリエモンにも一理ある」って見出しで、イギリスのフィナンシャルタイムズの記事が翻訳されていた。タウンミーティング(都合が悪くなったのでこの呼び方も替えるらしいが、そういうやりかたもコクミンをバカにしている)でのやらせ事件について、向こうじゃ旧ソビエト時代のやり方みたいにとらえていて、とても民主的な国でのできごととは思えないと受け止めている。そういう状況を前にして、堀江さんが、ニッポン人はマスコミによってマインドコントロールされていて、ニッポンは世界で最も共産主義の国で、嫉妬深いエリート官僚がクニを支配している、というような発言に、これは一理ある、と書いているのだ。
朝日は、これも一理あると思って、わざわざ翻訳して載せたんだろうが、一理どころか、十の理くらいあるようにワタシは思いマシタ。

『地軸変更計画』 ジュール・ヴェルヌ

2006-12-23 22:52:44 | 文学
文庫本の帯には「月世界旅行」の続編と書いてあるが、それは完全なウソである。たまたま「大砲クラブ」が同じようにでてきて、今度は夢あふれる、というよりは世界を恐怖におとしいれて、自分たちだけが利益を得ようとする話になっているだけだ。村上春樹の初期の3作品を、同じ登場人物が出てきて、同じバーが出てくるだけで「青春3部作」なんて、安っぽいキャッチコピーをつけて売るのと同じである。出版社のインボウに惑わされず、純粋なキモチで読まなければならない。

5年くらい前にジュール・ヴェルヌの作品で文庫本で出ているものを全部読もうとしたことがあって、結局、絶版になった1冊(中公文庫の「南十字星」!)をのぞいて15冊くらいを読んだ。ジュール・ヴェルヌは日本では少年少女向けの冒険小説家のように言われていて、ワタシも8才のときにウチの母親が担任の教師にお中元を贈ったお返しに、子ども向けの「15少年漂流記」をもらって、それ以来何冊も読んだクチなのだが、実際は2、3の例外的な作品を除いて、荒唐無稽な科学的想像力を駆使しながら、かなり激しく社会を批判していたひとである。
基本にあるのは、世の中を支配する人間の暴力とか経済的な独占に対する批判であり、それらは太平洋の島々やアフリカの砂漠の国々を植民地化していた自分たちの国の権力者に向けられていたように見える。晩年はそういった権力批判が強まりすぎて、一般社会からは暗い影のある人物と見なされたようだが、実際はキワメテまともだったわけだ。

この作品は、地球の自転軸を、巨大な砲弾の推進力による反力で動かして、北極の緯度を下げることによって氷を溶かし、「北極大陸」を開発しようというもので、訳のわからない入札でその権利を買った「大砲クラブ」が世界中の批判を無視して実行しようとする話になっている。
「大砲クラブ」にはアメリカ人の投資家達がバックにいて、ヨーロッパの国々が金を出し渋る中で、着々と計画が進行する。アジアやアフリカやラテンアメリカなどはまったくカヤの外だ。そのあたりは今の世界の力の偏りを予感させるものがある。

結末は読んでのお楽しみだが、ジュール・ヴェルヌの作品の中では数少ない現実に未達成な着想で、今後、実現化が検討されないとも限らない。、、と、思っていたら、つい最近、地球の温暖化で、21世紀の後半には北極の氷が溶けてなくなるという予想が科学的になされたようで。海面上昇を避けるために逆の意味で、地軸を変更させる必要が生じるかもしれない、、んなわけないだろぅって。

創元SF文庫版、2005年

『真鶴』 川上弘美

2006-12-23 15:41:42 | 文学
50才が近くなって、残りの生活が、今までと同じように明瞭な意識の下で行われるのが、あと20年くらいだろうと思うようになって、最近、生きていることが曖昧に感じられることが時々ある。死んだ人が夢によくあらわれる。それに昨日は、帰りの新幹線でペットボトルのふたに書かれた賞味期限の日付けを見て、この日まで生きているだろうかと、想像してみたりした。未来ということばに、限度があるように思えてきた。別に、今すぐ死んでしまいたいというようなことではないのだが。
だから、自分とまったく同年齢の作家によるこの作品が、同じように生と死の境目の曖昧な状態を描いていて、身近に感じた。恐ろしいものとしてではなく、脳が自然に、死を意識し始める年代ということなんだろうか。

5年前に理由もわからず失踪した夫のことを思いながら、妻子のある別の男と性交する女。影のようにつきまとう見知らぬ女の霊魂のようなものに導かれて、何度も真鶴を訪れるうちに、夫の気持ちを感じ取る。そのへんが、死者の世界を見てきたように描かれていて、不気味な小説である。
主人公の女は自分の母親と、中学3年の娘と暮らしている。その3人の女性がそれぞれ、すでに死に向かって、感情の高まりや落ち込みもなく生きている人間と、ようやく死と生の縁が見えてきた自分と、そしてまったく死とは無縁の、日毎に目に見えて成長する人間とに、明確に区分けされている。
それで、それぞれの時間の流れ方のずれを読み手に感じさせながら、その速さの違いから、結局のところ人間がどこからか生まれ出てきて、いつかは死んで消えていくものだということを表現している。人間はいつか必ず死ぬという、まったく単純なテーマを脆い物語にして見せてくれている。

ワタシも真鶴に何度か出かけたことがある。最初はいろいろと疲れていた時に、主人公の女と同じように、駅から半島の先のほうまで一人で歩いて行った。2度目は誰かと、3度目はまた別の誰かと。なんとなく呼ばれているような気がする場所なのだ。
ワタシにも同じ年頃のムスコがいる。だんだん自分から離れていく感じが、ウチと同じようだ。殻が急に閉じたり、開いてだらーっと柔らかくなったり。
ワタシにも、今、生きているのか死んでいるのかわからない近い人がいる。たまに夢に出てくるから、もう死んでいるのかもしれない。確かめなければいけないのだが、まだ恐ろしい気もする。
主人公の女が体の異変を感じる場面がある。のどにものがつかえる感じとか。何かの合図のようにくり返し書かれるが、やがて日常のなかに溶け込んでいく。
最近、ワタシにも同じようなことがある。

文芸春秋刊、2006年

『麦の穂をゆらす風』

2006-12-16 22:32:51 | 映画
これは必見
イギリスに支配されていたアイルランドで、誇り高い、独自の文化を持ったアイルランドの普通の人たちが、イギリスの兵隊にひどい目にあっていた頃のはなし。やがて独立したものの、イギリス側から押し付けられた独立の条件をめぐって国内が分裂し内戦に向かっていき、最後はまあ、予想通りの最悪の結末を迎える。
これ以上の悲惨な物語はないだろうというくらいの内容なのだが、、これはニッポン人にはわかりにくい映画なんだろうと思ったわけだ。

というのも、これを見に行くことにしてふと思い出したのが、ポール・マッカートニーがWingsをやっていた頃の曲で、“Give Ireland back to the Irish” というのがあって、これが日本では『アイルランドに平和を』という題になっていたことだ。
それがどうした、といわれると、英語の題名には平和なんて言葉はひと言も使われていなくて、ただ『アイルランドをアイルランド人に』といっているだけなのに、日本題になると、一気に平和愛好ソングになっていることに、この映画を見て深く納得したということを言いたいだけなんデス。
つまり、コイズミやアベシンゾー見ればわかるように、ニッポン人の場合、魂売ろうがカラダ売ろうが、平和ならとにかく何でもいいという考え方があるのに対し、アイルランド人は魂売るくらいならコロサレたほうがマシで平和は二の次、という考え方で、この数百年間、イギリスと戦ってきて、それの1920年前後の、アイルランドにとっては重要な数年間を切り取ってタンタンと見せてくれたのがこの映画だということなのであーる。宣伝のキャッチコピーも、「愛する人を奪われる、、なんたらかたら、」で、やっぱり平和ボケだなあとつくづく思ったシダイ。

最近の愛国心モンダイも、アベシンゾーがニッポン人に対してやろうとしているのは、クニのためにヨロコンで死ぬ人間をいかにつくりだすか、ということだが、それはもう、ホントに話がイカサマ、いや、逆さまで、この国が命をかけて守るに値する国かどうかってことをまず考えなければいけないわけだ。そしてもちろん、今のこの、ヤクニンが好き勝手なことをやって、政治屋はみんな親の七光りで、コクミンの苦労なんか知ったこっちゃない、という国に対してそんなキモチをもてるのは、成人式でハカマ着て、今日から悪い大人の仲間入りっていって酒飲んで暴れる、ああいうスナオな人たちくらいなものなのだ。

もっとわかりやすく言えば、この映画に描かれている「愛国心」とは、ドイツワールドカップで、ナカタ選手が見せてくれて、ほかの代表選手が見せてくれなかった、そしてその結果完敗して、そのキモチの違いに愕然として引退までしてしまった、あの「愛国心」であり、昨日の教育基本法改変法案が成立したことに対して、一つの私立学校の校長が反対であるということを堂々と社会に対して述べ、それにすべての教員が同調した、あのような人々の持つ「愛国心」なのである。

まあ、そういうわけで、、なかなか書けない間に終わってしまうかと思ったら、あと1週間やっているようなので。
俳優はアイルランド人またはアイルランド系の人たちで固められていて、主演のキリアン・マーフィーが素晴らしい。オーラ・フィッツジェラルドも、美しく、魂がこもっていた。
ケン・ローチ監督。

12/10、川崎チネチッタにて。

ゴーマン度チェック~飛行機編

2006-12-09 10:32:38 | 風景
当てはまる項目の点数を合計するだけっ。

<まずは飛行機に乗り込むとき>
 ・スーパープレミアムでもないのに、ワレ先に乗り込もうとする。(1点)
 ・キャスターのついたでかい荷物を無理に持ち込む。(2点)
 ・それでもって席の上の収納に入らなくて文句を言う。(3点)

<席に座ると普段しないことをしたがる>
 ・まだみんな座ってないのにCAを呼びつけて日経新聞を持ってこさせる。(1点)
 ・そんなのばっかりだから順番待ちになって、遅いと文句を言う。(2点)
 ・読み終わると返さずに自分の席のポケットにしまいこむ。(3点)

<空の上ではバカ殿気分>
 ・隣の席との間のひじ掛けを一人で独占する。(1点)
 ・リクライニングシートを当然の権利のように倒す。(2点)
 ・ベルト着用ランプが消えるとズボンのベルトをはずすギャグを披露。(3点)

<ココまですると単なるバカ>
 ・靴を脱いで臭い靴下を前の席の隙間に突っ込む。(5点)
 ・CAに隠れて携帯電話でメールする。意外とセコい。(5点)
 ・飛行機降りて、後ろが詰まっているのに立ち止まってケータイ使う。(5点)

[判定基準]
  1点~3点:出直し可能
  4点~10点:転落の一途
  11点~20点:搭乗禁止
  21点~:強制収容


で、昨日は福岡に行って、行きも帰りも強制収容所行きが隣に座った。
不運のどん底から這い上がるには、明日のG1はオースミダイドウでかたく行くか。

親の七光り

2006-12-06 22:26:11 | 風景
石原慎太郎東京都知事が大きな勘違いをしているのは、石原伸晃も、石原良純も、有名な元作家であり政治家である石原慎太郎のムスコだからこそ、あのように無能で、不細工で、何のとりえもなくても世の中でちやほやされているということだ。
あの二人にそういう血縁がなかったとしたら、絶対に、国会議員にもなれないし、ましてや大臣になんか天地がひっくり返ったってなれるわけがないし、芸もないのに芸能人になるなんてあり得ないということは、おそらく日本人の99.9999%が認める事実である。

だから、今度の四男のことも、当然そういうことだ。法的にどこが問題なのか、なんてことじゃなくて、法律以前の問題なのだ。
とはいえ四男を仕事に使ってやれば、後で何らかの見返りがあると考えるのは、日本的な商習慣から言えばよくあること。だからこれは形を変えたワイロだと考えなければならない。
東京都側から要請したかどうかなんてことはどうでもいい。そもそもヤクニンが自分に責任が降りかかるようなことをするわけがない。そういうことにだけはものすごく頭が回る人種だから。

それにしても、プー太郎のドラ息子を立派な芸術家だと世の中に言ってのける無神経さには呆れるばかり。
もはやカンペキなバカ殿状態だ。

おでん

2006-12-03 21:53:09 | 料理
大根が余ってるし、リベンジしたら、ってツマの一言で、今晩はおでん。
下茹で、20分しました。

いろんなレシピ見ながら、鶏の手羽先でダシをとってみようかという気になって、ほぼ1時間かけて、ダシをとりました。この辺がオトコの料理な訳だ。
ネギの青いところと、生姜を薄く切ったのを鍋の水の中に入れて、手羽先と一緒に約1時間。アクを丁寧にとりながら、、ヒマだし。最後に昆布を放り込んでひと煮立ちさせておつゆは完成。

これに味付けは醤油、酒、みりんに中華の必殺技、味の覇者と書いて味覇(ウェイ・パァー)。どうなることやら。・・
タネはタコ、いわしのつみれ、ちくわ、ごぼう巻き、銀杏入りがんもどき、ゆで卵、こんぶに餅入りきんちゃく袋。それからそれから、手羽先と大根で、鍋は溢れんばかり。見てるだけで腹いっぱいになりそ。

で、1時間、とろ火で温めるくらいの感じで煮込んで、合計約2時間の長丁場。3,600mのステイヤーズステークスを走りぬいたサラブレッドのように、疲労コンパイしたが、味はなかなかのもんで、やはり鶏の旨味が効いていた。そして大根も、みごとに芯まで軟らかくなっていた。

土日だけだからこんなことやってられる、って? そりゃ、もちろんだ。