老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『純喫茶エルミタージュ』 

2006-09-23 21:04:14 | 映画
なんとなく題名に惹かれて近所の映画館に見に行ったが、安直なストーリー、過剰な演技、無意味な演出、と3拍子そろった、犬もあくびするような駄作だった。
調べたらネット配信用のお気軽映画で、いくらコンテンツが足りないからといって、こんなものを垂れ流しにするくらいならアベシンゾーの左右首振り演説のほうがまだましだろう。
それにしても思い出すだけで呆れるほどの安直ストーリー。
会社をリストラされたダメサラリーマンが喫茶店でアルバイトを始めて、美人の客と仲良くなって生きる希望を見出したかと思ったら、その美人が不治の病で残りわずかの命で、、、ってな感じで。
底辺を見ることができたと思うしかない。

及川拓郎監督作品

トンガ日記③ 星空、普通に500gのステーキなど

2006-09-20 23:54:16 | 旅行
トンガではもう少しゆっくりしたかったが、一緒に行った人がもう何度目かで。初めての旅行者の気分など忘れてしまったのだろう。
やはり鯨の回遊も見たかったし、いかにも地元、というような料理も一度くらいは食べたかった。日曜日が間に入ればいやでもゆっくりできたのだろうが。なにしろ日曜日は絶対に働いてはいけないことになっているので。

それでもやはり、初めての土地で見るものはすべて新鮮に感じた。きれいな花や珍しい鳥を町中で見ることができた。
それにしても人だ。トンガの人々はホントに体がでかい。中学生くらいまでは日本人と同じくらいなのだが、17、8才頃から急に大きくなるらしい。男女とも。
男性は平均で185cm、120kgくらい。女性も175cm、90kgくらいか。妊婦も多いのだがただ単に太っている女の人も多い。全体的に顔の彫りが深く、唇の形が完璧に美しい。

写真はイタリア風レストランで食べたステーキ。
普通、日本のレストランのステーキといえば、200gとかせいぜい300gではないかと思うのだが、トンガのレストランのメニューには500gからしかなかった。値段は400トンガ$=2000円ちょっとくらい。うまかったので全部食べた。以前アメリカで食べた、ただでかいだけのステーキとは違い、肉そのものがうまかった。
一緒にいたトンガ人の若者は700gをうまそうに食べていた。

このほかに食べたのはキリスト教会の食堂で昼定食など。ハンバーグと魚のフライにご飯、キャベツがついて80トンガ$=500円弱。以前、日本人女性が経営していたとのことで、カレーライスやオムライスなどもあった。
ほかに気付いたことをメモしておこう。またいつか行くので。

魚は重さで売っている。鯛だろうが鰯だろうが。台所付きのアパートを借りれば買って料理ができる。1泊1600トンガ$=9000円くらい。居間+2ベッドルーム、トイレ・シャワー付き。
島には山と川がない。信号がない。道路は人が右側通行。猫がいない。犬ばっかり。犬はクック船長がお土産においていったものが増えたらしい。由緒ある犬だ。
空がきれい。木々にはパンの実がなっていた。

そしてなにより、星がきれいだった。天の川を生まれてはじめて見た。

トンガ日記② クック船長上陸記念碑

2006-09-18 15:39:24 | 旅行
太平洋の島々の中にはハワイ諸島、ミッドウェー諸島、北マリアナ諸島などのアメリカ領とニューカレドニア、タヒチなどを含むソシエテ諸島、トゥブアイ諸島、マルキーズ諸島、トゥアモトゥ諸島などのフランス領が点在している。
沖縄や、そのさらに南西に位置する宮古、八重山、与那国などの島々がなぜ日本なのか、という疑問がないわけではないが、文化的な文脈から言えばハワイがなぜアメリカで、タヒチがなぜフランスなのかという問題とは別の話だと思われる。
イースター島がチリで、ガラパゴス諸島がエクアドルに属していることも同じように理解できる。
日本もかつて太平洋に植民地を求めていき、結果的にはコテンパンにやられたことを忘れてはならないが、結局は、いまだに植民地を保持していながら、他国の侵略行為は許さないという、根本的なねじれの元がここにある。
核兵器についてもまったく同じことで、フランスがわざわざムルロア環礁まできて、自分の領土だからといって核実験を繰り返したことは、決して消えることのない事実である。

だからヨーロッパの冒険者達が先を争って新しい島々を「発見」しようとしたことは、発見された側からみれば、単なる外部の人間の訪問でしかない。
そんな風に感じさせてくれたのが、1777年のクック船長の3度目の上陸地点を示すこの記念碑だ。
クック船長は3度トンガを訪れていて最初は1774年だから、ずいぶん頻繁に、冒険というよりは旅行をしていたわけだが、この付近で約1ヶ月過ごした後、ハワイへ向かい、そこで殺されている。
トンガはイギリスの保護下になった一時期を除いて、独立を守り抜いた数少ない島国であり、そのことも、ああ、クック船長ね、というくらいの軽い歴史的事実の受け止め方を人々に促しているのかもしれない。

この碑はトンガがイギリス連邦に加わった1970年に、エリザベス女王らがここを訪れた記念に建立された。まわりに1軒の民家もない道路際に、草は刈られきれいに掃除もされているようだが、粗末な金網の扉で仕切られているだけのものだ。
卑屈にならざるを得ない歴史的遺伝子を持つ日本人の私としては、家の近くにあるペリー提督上陸記念碑の重々しさとの違いに驚きながら、波のない静かな入り江を眺めた。

トンガ日記 柩の中の国王、夜の雨

2006-09-18 10:35:01 | 旅行
今の季節、トンガでは夜中に雨が降る。
帰国前夜、夜の3時発のオークランド行きに乗るため宿で少しでも睡眠をとろうとしたが、屋根のトタン板を打つ雨音でまったく眠れなかった。

日本を発つ9月11日の午前に国王タウファハウ・トゥポウ4世の死が伝えられ、かなりの混乱が予想されたが、結果的には静かに国王の死を悼むトンガの人々に接し、王国のひとつの時代の終わりを見ることとなった。
なにしろ去年の5月に起きた民主化デモには、国民の10%、首都ヌクアロファの人口の40%にあたる1万人もの人が島の中心部を埋め尽くしたと聞いていたので。
しかし日本の新聞に書かれているように、大臣や議員の大半を直接任命したりして、国王が権力を独占していたことがデモの原因のように考えるのは余りに短絡的と感じた。そもそも国王とはそういうもので、人々の表情からはそういう制度としての王制にまで反対しているようには見えなかったから。

トンガまで成田から約24時間。乗り換えのオークランドでは大勢のトンガの人たちが葬儀に参加するために、上下とも黒の服に椰子の葉を編んだ化粧まわしのようなものを巻いて乗り込んできた。男性の一般的な服装がスカートのような腰巻であり、その化粧まわしが正装として着用するものだということを、このとき初めて知った程度の、予備知識に乏しい私としては、トンガ社会のこれからの混乱について、日本の新聞社なみの想像しかできなかった。
おそらく国王の死をきっかけに、民主化の動きが加速して大きな混乱が国中に広がる。そして北朝鮮やイラクのように独裁制が崩壊していく。また一つ、あの超大国の間抜けな大統領が望むように世界の悪が消えていく、、。

そういう雰囲気とは無縁の国だ。
輸出産業が弱小で外貨収入が少ないというような意味では国として貧しい部類に属するのだろうが、日本の都市のように町中にホームレスがあふれているわけではないし、人々は約90%の割合で標準体重の2倍くらいに肥えてふっくらした表情をしている。
子どもが多く教育も盛んで、小中高校生はみんな制服を着て登校しているが日本のようなケバイのはまったくいない。
当然ながら神経症のサラリーマンなんてまったくいないんだろう、メンタルクリニックの看板などあるわけがない。精神的には豊かな国だとすぐにわかった。

島に着いた翌日、9月13日には国王の遺体がニュージーランド空軍によって、入院していた病院のあるオークランドから運ばれた。夕方4時に空港に着いた遺体が王宮まで運ばれる間、その途中の道には島中の全小中高校大学生が両脇に座り、国王の帰国に頭を下げた。
旅行者の私も王宮近くの王家の墓地の前で、近くの中学校の生徒達の列の後ろに座って行進が通り過ぎるのを見た。太鼓と管楽器による演奏を伴う長い行進は王の死にふさわしい厳粛なものだった。


新しい国王は前国王の長男で、独身、58才。ヨーロッパにあるような、門から玄関まで数100メートルもあるバロック風の家に住む。おもちゃの兵隊を集めるのが趣味で、相当な浪費家として国民の人気は低いらしい。
トンガ国民には親日家が多く、相撲やそろばんも盛ん、なんて多くの日本人は思っているだろうが、それでは外国人が日本をフジヤマ、ゲイシャといってるのとかわらない。
実際のところはトンガでは今、中国人がすごい勢いで進出していて、たとえば道端のコンビニのような商店の権利をほとんど独占している。大きな中学校の校舎は中国政府からの援助によるものだし、政治的なアプローチもかなり熱心に行われていたようだ。その結果としての、日本の国連常任理事国入りへの反対であったわけだが。しかし1万人デモを引き起こした国民の不満もそのあたりにあることは明らかだ。

日本からは皇太子が出席する19日の葬儀に中国政府は商務省の副部長クラスを送る。このあたりのはずし方もデモの矛先が自分達に向いていることを知った上で、表では控えめに振舞い、裏でしっかり実を得ようという魂胆が透けて見える。日本外務省の官僚たちは、中国がこの南太平洋の小さな島国に仕掛けていることの意味に早く気付くべきだろう。


トタン板を打つ雨は樋を伝わって雨水貯留タンクに流れ込む。山と川がない島ではこの雨水が貴重な生活水となっている。
柩の中で王もこの音を聞いているかと、そして、王宮の雨水貯留タンクにうまく流れ込んでいるかと、扇風機の回る部屋の天井を見ながら想像していた。

『富士』 武田泰淳

2006-09-10 21:30:12 | 文学
やっと読み終えて今日また本屋に行ったらコレが平積みにされていた。どこかで話題になっているのか。戦争中の精神病院を舞台にした小説で、皇族までもわらいものにしているから、最近の空気の流れからいってそうとも思えないのだが。
テーマは生きていくうちに積み重なっていく人間の「疲れ」だろうか。

小説の中で医者と患者の関係が、餌を与える神と、餌を受け取り何の苦労もなく生きるリスの関係のように描かれている。そしてまた、精神病院は遊園地のようでもあり、異常な患者達が次々と事を起こし、混乱の渦がだんだんと大きくなっていく中で、sexや食べることで患者だけが精神を解放させていく。
子供を殺され家を焼かれても、院長は笑みを絶やさず、精神科医とはそういうものだと思いながら、全ての患者に公平に接し続ける。まさに神だ。
主人公は大学を出たばかりの精神科医としてその院長を慕いながら、最後には持ちこたえられず餌をもらう側になる。

小説の舞台となった精神病院を年老いてから再び訪れた主人公の妻の言葉で物語は終わる。

「わたし、あそこにいると、何だか安心するわ。・・わたしが普通の人で、大丈夫な人間のように思われるもの。わたしを馬鹿にする人もいないし。わたしが偉くなったみたいで。」

だからわたしは、毎朝通勤電車で一緒になる、あの巨大遊園地へ向かう人たちのことを思い起こさずにはいられなかった。魚の群れのように一方向に突進し、お互いに宙に向かって大声で話し続けるあれらの人たちには、次々と繰り広げられる見せ物はリスに与えられる餌のようだと思ったから。
ペンキで書いたレンガの壁やビニールの花でつくられ、世の中のありとあらゆる苛立ちや嫉妬、孤独、戸惑い、不安などから無縁であることが売り物の世界。
門が閉まり、一斉に家に帰る夜の電車の中にならんだあれらの人たちの疲労と恍惚の表情には、リスの目が付いているのが見える。

中公文庫版 1973年。

『火星の人類学者』 オリヴァー・サックス

2006-09-09 01:47:14 | 文学
高校の頃、NHK教育テレビなどで天文学の講座を持っていた小尾信爾東大教授の著書、「宇宙の進化」の新聞広告を見て、なぜだか「宇宙の道化」と読み違えて、本屋をいくら探しても見つからなかったことがあった。天文学者の書く「宇宙の進化」なんて、当たり前すぎて面白くないという先入観があったからだが、今でもやはり、小尾先生には「宇宙の道化」について書いて欲しかったと思っている。当然ながら、我々地球人類を題材にした科学エッセイとして。

こんなことを急に思い出したのは、コノ本を見つけたから。
脳神経医学界の道化ともいえるヨウロウ氏による「絶賛!!」との帯がなければもっと気楽に手にとっていただろうにと悔やまれるが、早川書房もおそらくこの題名を見て、面白そうなSFだと思って版権を手に入れたに違いないと思ったからだ。
火星人の地球人類研究家が主人公の話なら、SFとしてはかなり期待の持てる題材だと直感されるが、残念ながら実際は、イギリス人脳神経科医による様々な、そして極めて特殊な神経病患者の観察記録なのである。

例えば、生まれつき目が見えない人が大人になってから手術により目が見えるようになったものの、やがて目を使うことを自ら放棄して目が見えるけれども目の見えない生活に戻る話とか、神経の異常により体が一定の時間の間隔で激しく痙攣するように震える(チックのような症状の)外科医が、医師として診察する場面になるとピタリと痙攣が治まり、手術までやってしまうという話など、確かに興味深い事例についての詳細な記録が収められている。
目が見えるとはどういうことなのか、人間は神経をどこまでコントロールできるのか、とか、こういう事例を研究することで多くの収穫が得られるだろうということがよくわかるように書かれている。

著者はそういった人たちを、火星に人類学者がいればこんな人たちだろうか、という意味でこの題名をつけているのであって、それはそのような「異常者」を、やや珍しいくらいの人々と言いたいという意味合いで、である。
このところ精神病に関連する小説ばかりを立て続けに読んで、精神を病む人々とは結局のところ社会のシステムからほんの少し外れているだけで、いつ、その関係が逆転して、正常に見えるものが本当は異常で、異常と見なされている人たちこそが本当はまともなのだということにならないとも限らないと感じていたから、この著者の、患者を見る眼差しには共感を覚えるものがあった。


ところで、日付が変わって、明日の明日、私はトンガ王国に行く。
なんのために? Whale watching?  まさか。。

他人が拓いてそのままの畑に、草を刈り、種をまき、水をやりに行くために。
気楽な旅行ではないが、未知の人々との出会いを楽しんできたい。プレッシャーに怯えるスポーツ選手のように。
ガリバー旅行記のモデルではないかといわれている島、日本の経済援助がまったく功をなさず国連常任理事国入りについて反対票を投じた国、強い独立精神か、中国に買われてしまっただけなのか。主要な農作物はかぼちゃ。煮て食うのか、粉にして焼いて食うのか。
わからないことが多いのは面白いことである。

早川書房(ハヤカワ文庫NF)、吉田利子訳、2001年。

海老とゴーヤのスパゲッティ

2006-09-02 15:28:23 | 料理
妻が出かけ、ムスコはクラブの練習。必然的に老後の練習となる。
昼前にデパートに行き、材料を購入。9月になっても電車の中にはへそだし女がちらほら。腹が冷えないだけの脂肪の蓄えに、先進国の豊かさを感じる。最先端のひもパンを見せるのまで。いくらお洒落なパンツでも、アレには興ざめだ。

で、1回くらいゴーヤを食べたところで、健康によかったり悪かったりすることなどあるはずもないのだが、、体によさそうなので、こんなものを作ってみた。

)海老は殻をとって背中に包丁を入れ、なにやら黒いものを取り除き、
)適当な大きさに切って白ワインをふりかけしばらく置く。こうするとぷりぷりになるらしい。
)ゴーヤは4つ割りにして、種を取って5mm厚くらいに切る。
)フライパンにオリーブオイル、芯をとってつぶしたにんにくを入れ、香りが立つまで炒め、
)そこにゴーヤを入れ、火が通ったらスパゲッティの茹で汁を入れて海老を炒める。
)スパゲッティを表示時間の1分30秒前にあげて、)に入れる。
)アルデンテになったらオリーブオイルとパセリをかけて完成。

苦味とシャリシャリ感に若干のプリプリ感。
ゴーヤは群馬産で表示はレイシ、ツルレイシが和名でゴーヤは沖縄での呼び名か。海老はインドネシア産、にんにくは中国産で、オリーブオイルとパスタはイタリア産、白ワインはチリ産だ。

重要なのは毎日、毎日の積み重ねということなんだろう。

能登・九十九湾

2006-09-01 12:22:57 | 旅行
夏休み第2部は能登半島、九十九(つくも)湾へ。つくもはじめの九十九、といってもわからないだろうが。
羽田から飛行機とタクシーに乗って、ドアツードアで3時間30分。意外にアクセスがいい。しかもこのタクシー、空港からいろんなところへ乗合いで出ていて、45分かかるところにわずか1000円で行ける。

泊まったのは百楽荘
ぜんぜん場所は違うが、海辺のリゾートということでは、何年か前に行ったフィリピンのエル・ニドを思い出した。いろいろ不便な点もあるが、全体的には快適で満足したという意味で。
釣りをしたり、湾の縁を歩いたり地ビールのレストランに行ったり。
飽きるくらいこういうところにいてみたい。