今の季節、トンガでは夜中に雨が降る。
帰国前夜、夜の3時発のオークランド行きに乗るため宿で少しでも睡眠をとろうとしたが、屋根のトタン板を打つ雨音でまったく眠れなかった。
日本を発つ9月11日の午前に国王タウファハウ・トゥポウ4世の死が伝えられ、かなりの混乱が予想されたが、結果的には静かに国王の死を悼むトンガの人々に接し、王国のひとつの時代の終わりを見ることとなった。
なにしろ去年の5月に起きた民主化デモには、国民の10%、首都ヌクアロファの人口の40%にあたる1万人もの人が島の中心部を埋め尽くしたと聞いていたので。
しかし日本の新聞に書かれているように、大臣や議員の大半を直接任命したりして、国王が権力を独占していたことがデモの原因のように考えるのは余りに短絡的と感じた。そもそも国王とはそういうもので、人々の表情からはそういう制度としての王制にまで反対しているようには見えなかったから。
トンガまで成田から約24時間。乗り換えのオークランドでは大勢のトンガの人たちが葬儀に参加するために、上下とも黒の服に椰子の葉を編んだ化粧まわしのようなものを巻いて乗り込んできた。男性の一般的な服装がスカートのような腰巻であり、その化粧まわしが正装として着用するものだということを、このとき初めて知った程度の、予備知識に乏しい私としては、トンガ社会のこれからの混乱について、日本の新聞社なみの想像しかできなかった。
おそらく国王の死をきっかけに、民主化の動きが加速して大きな混乱が国中に広がる。そして北朝鮮やイラクのように独裁制が崩壊していく。また一つ、あの超大国の間抜けな大統領が望むように世界の悪が消えていく、、。
そういう雰囲気とは無縁の国だ。
輸出産業が弱小で外貨収入が少ないというような意味では国として貧しい部類に属するのだろうが、日本の都市のように町中にホームレスがあふれているわけではないし、人々は約90%の割合で標準体重の2倍くらいに肥えてふっくらした表情をしている。
子どもが多く教育も盛んで、小中高校生はみんな制服を着て登校しているが日本のようなケバイのはまったくいない。
当然ながら神経症のサラリーマンなんてまったくいないんだろう、メンタルクリニックの看板などあるわけがない。精神的には豊かな国だとすぐにわかった。
島に着いた翌日、9月13日には国王の遺体がニュージーランド空軍によって、入院していた病院のあるオークランドから運ばれた。夕方4時に空港に着いた遺体が王宮まで運ばれる間、その途中の道には島中の全小中高校大学生が両脇に座り、国王の帰国に頭を下げた。
旅行者の私も王宮近くの王家の墓地の前で、近くの中学校の生徒達の列の後ろに座って行進が通り過ぎるのを見た。太鼓と管楽器による演奏を伴う長い行進は王の死にふさわしい厳粛なものだった。
新しい国王は前国王の長男で、独身、58才。ヨーロッパにあるような、門から玄関まで数100メートルもあるバロック風の家に住む。おもちゃの兵隊を集めるのが趣味で、相当な浪費家として国民の人気は低いらしい。
トンガ国民には親日家が多く、相撲やそろばんも盛ん、なんて多くの日本人は思っているだろうが、それでは外国人が日本をフジヤマ、ゲイシャといってるのとかわらない。
実際のところはトンガでは今、中国人がすごい勢いで進出していて、たとえば道端のコンビニのような商店の権利をほとんど独占している。大きな中学校の校舎は中国政府からの援助によるものだし、政治的なアプローチもかなり熱心に行われていたようだ。その結果としての、日本の国連常任理事国入りへの反対であったわけだが。しかし1万人デモを引き起こした国民の不満もそのあたりにあることは明らかだ。
日本からは皇太子が出席する
19日の葬儀に中国政府は商務省の副部長クラスを送る。このあたりのはずし方もデモの矛先が自分達に向いていることを知った上で、表では控えめに振舞い、裏でしっかり実を得ようという魂胆が透けて見える。日本外務省の官僚たちは、中国がこの南太平洋の小さな島国に仕掛けていることの意味に早く気付くべきだろう。
トタン板を打つ雨は樋を伝わって雨水貯留タンクに流れ込む。山と川がない島ではこの雨水が貴重な生活水となっている。
柩の中で王もこの音を聞いているかと、そして、王宮の雨水貯留タンクにうまく流れ込んでいるかと、扇風機の回る部屋の天井を見ながら想像していた。