老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

Somewhere over the rainbow

2011-12-17 09:15:08 | 風景
きのう、昼ご飯を食べているときにかかっていた歌。ニッポン料理屋なんだけどジャズがいつも流れている。サムウェアー オーバザ レンボー、、、って、どっかに夢のクニがあるみたいな歌詞。ノックアウト寸前のときに、半分消えかかる意識の中で、同じメロディーが繰り返し流れるみたいな、そんな感じでアタマの中に渦を巻いている。

きのう、おとといと従順なサラリーマンを演じきらなきゃいけない状況があって、それはワタシなりの、たとえば住宅ローンを払い続けなくちゃいけないこととか、キョーイク費をどうやってねん出するかとか、あと、老後の生活費をどうにかしなきゃ、みたいな打算というか、コソコソした計算があって、ソレにネコのひたいほどの、って言い方はオカシイのは知ってて書いているワケだが、ちっぽけなヤシンなんてのもあって、そのためにはバカを演じなきゃいけないこともあるワケで、まあケッコウ役者にでもなれば良かったと思えるほど演じマシたよ。

でもソノあとにどっと押し寄せてくるツカレ、ジコ嫌悪の渦。ワタシの場合、カラオケとかに繰り出して、アオザイおジョーのわき腹のプヨプヨをつまんだりしていればソレが解消されるっていうような単純なニンゲンじゃないので、とりあえず心臓が破裂するくらい走って、浴槽の中で寝て、起きたらイヌの丸焼きを店先で売ってるような路地裏をひたすら歩く。ソレは熱が出た時に見る悪い夢のようでもあり、虹の向こうの夢の世界でもあるかのように、ホンの少しだけワタシをイヤしてくれるのだ。

まあ、結局はニッポン人なんだな。こうやって苦しみながらイキテ、いつか死んでいく。


絶叫する夜

2011-12-14 23:52:53 | 風景
昨晩、久しぶりにゼッキョーした。10時頃に寝て、まだ12時前だった。ベッドの正面の真っ暗な壁の中から誰かがのっそりとあらわれ出て、寝ているワタシのほうに近づいてきたので、3回、確かに3回、声をふり絞るようにして、ぅおおおおおーって叫ぼうとしているのに、声が出なくて、3回目に叫ぶときには声が出ているかどうかを聞いている、半分目覚めたジブンがいて、声、でねーじゃん、みたいにしてソレを見ていて、その時はもう目が覚めていて、ああ、久しぶりに、コノ前叫んだのはいつだったっけとか思いながら、ああ叫んだか、みたいに思っていた。

夜中に叫ぶのは精神的なキンバク感が強いときで、10月下旬からずうっと続いているチョー忙し状態が今度の金曜にピークを迎えることになっていて、それでつい。。叫んだあとは布団の中にアリかげじげじかはたまた糸ミミズの大群がいるんじゃないかというくらいカラダ中がかゆくて、かゆい瞬間にその部分を掻いたから、朝になったら布団の中がそれらの死体だらけになっているんじゃないかと思ったら何もなかった。もしかしてビュオーキの全長? いや前兆?

ま、それでもあと1週間ちょっとで、時間というのは確実に過ぎて行くわけで、コノワタシも中継点に意識を半分失いかけて倒れ込む箱ネ駅伝の選手のように、この3年間で初めての10日間の休暇に入る。休暇といってもそのうちの3日間はキンバクされて拘束されるワケだが。
そしてまたその1ヶ月後にはテト休暇で洪水に流された隣のクニの首都を見に行く。ソレで回復すればいいけど。なにか、とんでもなく長いトンネルの入口に今いるような気もしないではないきょうコノ頃。

ハノイのクリスマス

2011-12-06 23:57:08 | ベトナム


ハノイのクリスマスは過激だ。ここのなんかガラスの庇の上に巨大なツリーとサンタクロースが飾られていて、ガラスが割れて落ちてこやしないかと冷や冷やする。ココロなしかガラスがたわんで見えるのは気のせい、だよね。ま、その冷や冷や感がクリスマスらしいのかもしれない。
ほかにはガラスの大きな壁の外側に紙状のツリーがベタぁーっと貼り付けられていたりとか、歩道の真ん中に堂々と高さ5mくらいのツリーが置かれていたりするのは日常チャ飯事。ヤシの木の電飾は電線が幹に釘で打ちつけられていて、まあ、木が痛いとか言わないから別にいいんだろうけど。

でもって、ベトナムは仏教がメインでキリスト教はニッポンと同じくらいの比率の少数派。クリスマス、クリスマスといって大騒ぎするのもニッポンと同じだ。
そんなわけでウチのオフィスにもきのうツリーを飾った。どこの誰のか知らないが、アカの他人の子どもが勝手に入ってきて見ていたりする。それをスタッフは別に何とも思わないで放っておく。なんなんだよーって思うのは最初のうちだけですぐになれる。ヘンな国なのだ。

ニホン語が通じない

2011-12-02 22:20:47 | 風景
きょうはアト味の悪い一日だった。メールのやりとりをしていて、ワタシのニッポン語が理解できないと言われて。
たとえば、一般論的に言うとこんな感じ。

「あのリンゴうまかったけどどこで売ってるの?」という問いに対して、
「リンゴはまだ高いですよ」と答えてくる。
「高いかどうかを聞いてるんじゃなくて、どこで売ってるかを聞いてるんだけど」と聞き返すと、
「あと1か月もすれば安くなりますよ」と答えてくる。
「いやだから、ワタシの財布の中身のことなんか心配してくれなくていいんで、どこで売ってるかを聞きたいだけなんだけど」としつこく聞き返すと、
「2週間前のメールに書いてあるんですけど、そんなの覚えてないっていうのはおかしいんじゃないの」みたいに、ヒトのもの忘れをバカにするように聞き返してくる。
「いや、2週間前に書いてきたのかもしれないけど、もう一度聞き返したら答えてくれてもいいんじゃないの」っていい返したら、
「なにイライラしてんですか」みたいにヒトのハラの底をノゾキ見るようなコトを言うから、
「イヤ、聞いていることに応えてくれればいいだけのことなんだけど」って言ったら、
「何でそんことでイラついてんだ、バカやロー」みたいに言いやがって、
「オマエおかしいでないの」っていったら、
「ふざけんなこのやロー」みたいに言いだして、結局相手は精神状態がおかしいんだろうなって思って、
「もういいや」って言ったら、
「コレからもよろしくお願いしますよ」なんて言うから、
「ソレはとてもムズかしいように思うけど」って言ったら、
「コッチが悪いっていうのか」って言うから、
「悪いとかじゃなくてアタマおかしいんじゃないの」って言ってやったら、ズボシだっととみえて、黙り込んだ。

ニッポン人全体がこうじゃないのはわかっているが、なんかヒトの言うことのウラを読んでいるのかどうか、聞いてもいないことを答えてくるようなことがしばしば、というか、10人中8人はこんな感じで、なんか、ニッポン人の病理のようなものを見せつけられたような気がした。タカハシ、オマエのことだよ。

疲れた。ほとほと疲れた。

雨のハノイ

2011-12-01 21:27:28 | ベトナム
きのう、10月末に降って湧いて転がってきた1か月の突貫シゴトが終わって、久しぶりにスタッフ全員と打ち上げ兼、コレは全くワタシの趣味ではないのだが誕生日会兼、いろいろのお祝いの会をやった。ま、こういうのも駐在者のツトメ。
この前ニッポンで「ソウル市民」を見てから、コッチの人にいいコトをしてあげているなんてキモチは、もともと少なかったとはいえ、もう完全に吹っ切れたから、こんなのも一つのギム的なもののつもりだったが、、やっぱり土日もみんなで働いて、東京のバカどもが言ってくるつまらぬチョッカイに苦労させられた後にこうやって一緒に食べて飲んだりすると、こいつらっ、みたいなキモチになって、ココロの中でみんなアイシテルゾ、みたいなコトを叫びそうになって、そのたびにもう少しで泣きそうなところまで追いつめられた。やっぱり、当たり前なんだが、同じニンゲンだったりするんだろう。それにワタシも年とったし。

でも二次会のカラオケには行かなかった。そこまで付き合うのもどうかと思って。カレ等も、いくらなんでもワタシがいないほうが楽しめるに決まっているから。そうじゃなかったとしたら、、ソコまで愛されるのはつらいな。
それで家に9時前に着いてすぐに寝た、つもりが、朝起きたらまったく飲んでない紅茶が、カップに茶色くこびりつくまでジッと、さざ波一つ立てずに、キッチンのカウンターの上にあった。だっていきなりウォッカでカンパイなんだもん。お湯沸かして紅茶入れたコトなんてまったく記憶にない。

でもって朝起きたのは3時半だったので、いろいろ考えごとをして、そろそろ走りに行こうかと思ってカーテンを開けたら真っ暗で、ただまだ降りだしてなかったので6時に家を出て30分走った。4日ぶりで、しかも二日酔いで、カラダが泥水を吸った土嚢のように重たかった。
家に戻って風呂に浸かって出たら空はさらに黒くなって、しばらくしたら雨が音を立てて降り出した。結局ずうっと降ったりやんだりで、晩秋的な寒い一日。

江川スグル的空白の一日なんてものが、コノ、否応なしにいろんな感情で埋め尽くされる時間の流れの中にホントにあるとするなら、ソレこそ、きょうみたいな日なんじゃないかな。