老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

ぶり大根

2006-11-28 08:28:55 | 料理
料理に関心を持ったオヤヂ族が、パスタあたりから凝り始めて、そのうちにもう少し本格的な料理をやりたいと思って作るモノの代表がコレ。ほかに、豚の角煮、肉じゃがを入れて、3大オヤジ料理というわけだ。
昨日、会社の若い女の子に、オヂサン、ぶり大根、作ったって自慢したら、ワタシ、その話聞くの3人目っていわれて。今日も日本中で、ぶり大根をめぐって中年オヤヂと若い女の子のむなしい会話がいくつ交わされることか。。

というわけで、作り方はコレを見ながら。1ヶ所、ものすごくわかりにくいところがあって、結果的にはそれが敗因だったかもしれない。
最初に大根を下茹でにするところで、「20分茹でます」って書いてあるのに、「6、7分茹でて少しやわらかくなったら鍋からあげてきれいに洗います」って。六、七分(ブ)とわかったのは10分くらいであげて、洗っちゃったあと。
まあ、少しくらいかたくても食べられましたけど。

もう一つ反省は、作りすぎたことか。3人家族で大根1本全部は多すぎた。ぶりもアラはなくてもよかったかも。それにぶりの皮を下にして茹でていたら、鍋に皮がひっついてしまった。こういうの料理の常識??
年内にもう一度、って感じ。

三陸産 さんま御膳

2006-11-26 08:51:00 | 料理
昨日の晩ご飯。炊飯器にいれて炊き上がるのを待つだけ。簡単だ。そして、まあまあうまい。釜石の岩手缶詰株式会社というところが作っている。

ところでこういうのに三陸産ってわざわざ書いてあるけど、魚の産地って意味あるんだろか。大間産のマグロとか、下関産のフグとか。東京湾産のナントカって聞けば、なんとなく泥臭い感じがしないでもないし、気仙沼あたりで食べる獲れたてのサンマはうまいに決まっているだろうけど。
最近は食の安全とか言って、どこのスーパーも産地の表示をマジメにやっているが、ノルウェー産のサケとか、マダガスカル産のイカとか言われても、だからどうしたって、、思いませんか、奥さん。潮の流れが強いから身が引き締まっている、なんていわれてもねえ。

それに魚の場合、獲った船が最初に入港した町や国でもって○○産と称しているというようなことを聞いたことがある。例えばインド洋で操業している韓国の漁船が、獲ったタコをスリランカの港に持ち込んで、そこで一次処理して、別の船が日本の銚子港に運んだりした場合はスリランカ産になるんじゃないかと。で、直接銚子に運べば銚子産?意味わかんねー。

何年か前、仕事でフィリピンに行ったときに、生の海老を大きなバケツのような容器に入れてお土産でもらったことがあった。いいかげんなパッキングだから、生臭い水が染み出していたりして、空港で預けるときもフィリピン人のJAL職員に迷惑がられたくらい。ところが成田について税関で調べるときはほとんどフリーパス。早く持ってってって感じだった。ナマモノだから検疫が厳しいようにも思うが、海はつながっているから検疫しないというのをそのとき初めて知った。
だったら鳥も同じじゃないかと思うが、しばらく忘れていた鳥インフルエンザが韓国やインドネシアで流行し始めているようで、空港では足の裏まで消毒させられるらしい。鳥は地面の上を歩くからかと思えば、魚だって港で地面の上に置かれたりするわけだから、、ますますわからない。


というわけで、今日はお馬さんのジャパンカップ。
馬の場合、どこの牧場産で親が誰かっていうのはキワメテ重要で、今日のレースも出走する馬の半数以上はサンデーサイレンスという雄馬の子ども。それにディープインパクトともう一頭の有力場の、産地も所有も同じ系列の牧場ということもあって、そういう意味でやや面白みには欠ける。
ディープがどれくらい強いかだけが話題になっているが、ワタシとしては若い3才馬に期待したい。凱旋門賞の最後のイメージも抜けきれないので。

横浜・日本大通のイチョウ

2006-11-23 15:48:18 | 散歩
黄葉したイチョウ並木を歩いた。
頭の中では今朝再放送で見た、吉田拓郎と中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」のフレーズがぐるぐる回り続けていた。
灰色の空の下。
こんな孤独が、自分に与えられた自由だと思いながら。

『シンセミア』 阿部和重

2006-11-23 11:18:36 | 文学
たまには若い人の作品もと、3年前に発表されていくつかの文学賞を受賞したコレを読んでみた。なんと4分冊の文庫本になってでていたので。ただ、阿部サンの本は以前、「無情の世界」を、カバーの写真が気になって読み始めたのだが、2、3ページであえなく放棄したことがある。古風なワタシにはついていけない文体だと思ったのだ。今回もそれに近いものがあって、なんと不快な小説だろうと思いながらも最後まで一気に読んだ。

どこが不快かといえば、ワレワレ人間の、特にニッポン人の心の奥底にある、排他的で、妬み・嫉みの塊で、異常性愛・変態趣味的な性根が、山形の田舎町を舞台にはしているが、極めてどこにでもあてはまる話として描かれていることだ。
単純化して書くと、最近のいじめ問題のようなものを、子どもの世界に限らず、ニッポンの社会をある意味で成り立たせている「制度」のようなものとしてとらえて、その「制度」の中でワレワレは微妙な均衡を保って生きているのだが、その「制度」はいつかは自己崩壊することになる、というような思想をベースに物語が語られている。

やや陳腐な表現になるが、最近の情報化社会の進展により、社会を構成する人々のプライバシーはほとんど丸ハダカ状態で、むしろ平和そうな田舎町であればなおさら、覗き・覗かれの関係の中でしかコミュニティーが成り立たない。その中で、最も確信的な秘密を握ったものがムラ社会のボスとなり、そのボスに盲従する人たちが社会の中心を構成する。ギカイのようなものだ。
それに対抗する人たちも少しずつあらわれ、センキョという情報戦争によって権力の座が争われる。今回の沖縄の例を見ても結局はカネになりそうなほうが勝ったように、世の中、カネがすべてだ。きれいごとを言って負けたほうはこれから何年間か、利権から干されることになる。
この小説ではパンパンの町のパン屋が、社会の中心から離脱することを企てたばっかりに、社会からリンチに合い、家族もろとも崩壊していく過程が描かれていて、実にその過程がワレワレ自身の日常の裏側を見るようで不快なのだ。

この小説はニッポン社会の影のようなものを浮かび上がらせている。コイズミ政権に世の中が称賛を送っていた時期に書かれていることから、そのムラ社会のボスの典型的な一人としてコイズミ自身を当てはめることもできる。
コイズミは世の中の人たちが妬みや嫉みをもたない社会を作ると言いながら、自身はジブンが妬み・嫉みの対象であることに気が付かない、無神経で鈍感な人間であったわけだ。
カイシャや学校や、主婦同士の小さな付き合いやホストクラブのホスト達の中にもそれぞれのコイズミがいて、ジブンが世界をコントロールしていると錯覚している。そこから生じる歪みが今騒がれているいじめ問題などでもあるのだが、ニッポンマスコミの動きを見ても、社会の中心では誰も、それを本心からなくそうなどとは思っていない。

とにかく不快な小説であるが最後まで読む価値はあると思った。作中では阿部和重サン本人がインターネット社会が作り出した偶像として登場したりもする。結局本人なのか偽者なのかもわからない仕掛けなのだが、舞台が阿部サンの出身地であることも含めて、現実とフィクションのあいだを行ったり来たりする感覚が長い作品を飽きさせない。
年表や系図までついてサービス精神もたっぷり感じられた。

朝日文庫版 2006年刊

スパゲッティ・ナポリタン

2006-11-19 17:10:07 | 料理
昨日久しぶりに銀座のシシリアに行ったら店の入ったビルが新しくなっていて、以前の暗くざわついた雰囲気がなくなっていたのは少し残念だった。イタリア料理屋にしては珍しくメニューにナポリタンがあって、やはり味付けはケチャップだったと思う。もちろんうまかったけど。
今では大衆食堂のメニューとはいえ、ナポリタンの発祥は横浜のホテルニューグランドという説が有力で、戦後、進駐軍の将校が食べたがっていたのを見て、日本人の料理長がメニューに取り入れたということだ。だから、というわけでもないが、イタリア料理屋がケチャップでスパゲッティをつくったって悪いことじゃない。

で、今日の昼もナポリタンにした。

)スパゲッティを茹でる湯を沸かす。
)ピーマン、玉ねぎ、にんじん、ベーコンを適当に切っておく。
)湯が沸いたら塩を入れて麺を茹ではじめる。今日は残っていたリングイネにしてみた。
)フライパンにバターを放り込んで溶けたら細かく切ったにんにくを炒める。
)に野菜とベーコンを入れて火が通ったらケチャップで味を付け、の茹で汁を少し加える。
)茹で上がった麺をに加えて混ぜ合わせ、乾燥パセリのみじん切りを振りかけて完成!

ベーコンはハムでもいいしソーセージでもいい。白ワインなんかを入れてもいい。パセリの代わりにチーズをかけたって、、要するにうまければなんでもいいのだ。
バターだけは必要で、オリーブオイルじゃあないほうがいいと思う。

『三池~終わらない炭鉱(やま)の物語』

2006-11-19 12:13:49 | 映画
隔月に送られてくる同窓会の雑誌に取り上げられていた。「負の遺産」を「富の遺産」へという題で、作者の熊谷博子さんのインタビューとして。
1997年に閉山した三池炭鉱の記録映画で、市役所の善良な役人を含めた何人かの人が、炭鉱の繁栄とあわせて、戦前の囚人労働や朝鮮人・中国人の強制連行、戦後の争議、爆発事故などの痕跡を、町の財産として記録しようとしてこの作品を作った。そのあたりの「負の遺産」をむしろ町の生きた歴史としてとらえたかったということだ。
で、さっそくきのう、昼までに皿を洗って、洗濯物を干して、たまりにたまった古新聞を紐で縛ってゴミ置き場に出して、掃除機かけて、猫のトイレを掃除して、東中野の素晴らしい映画館、ポレポレ東中野まで行って見てきた。

明治時代に国営の炭鉱として始まり近代化の原動力となり、戦後は国の復興を支えながらも石油に取って代わられる中で激しい労働紛争の場となった三池炭鉱の歴史が、記録映像と関係者へのインタビューによって年代順に構成されている。わかりやすい内容だ。
閉山後、風雨にさらされている炭鉱施設は廃墟の造形としても美しいが、作者の意図はそこに実際に生きた人々のリアルな声を伝えることで、それらが今でも生き続けているという見方を示したいというものだ。塵肺の症状により話しながら呼吸が苦しくなる人もいれば、労働争議の際に勉強会と称して婦人会を扇動した学者をあからさまに批判する人もいて。完成まで7年間かかったということをまったく感じさせずに、流れるように次々とインタビューが展開する。
印象的だったのは比較的多くの人が、服装やインタビューの場となったそれぞれの自宅の居間の雰囲気から、経済的に豊かな老後を送っているように見えることで、激しい仕事なりに給料や退職後の補償はそれなりによかったのだろうと思えたことだ。

それ以上に全体から感じられたのは、炭鉱に強制連行された中国人や朝鮮人の人たち、労働争議で分裂し激しく戦った労働組合の双方の人たちと経営側にいた人たち、また、「炭鉱マン」の影で家庭を支え、昭和38年の、死者458人を出した大爆発事故のあとで、一酸化炭素中毒による脳障害が残った夫を今でも支え続けている女性たち、それらすべての人が雄弁に、むしろ大切な記憶を語り継ぐことに喜びを感じているように見えたことだ。奴隷のように働かされた朝鮮人の人は、思い出したくもないと思っていた過去を話してすっきりしたとさえ言った。
映画は炭鉱跡が今では観光地化し遺跡ツアーに多くの人が集まる風景や、若者が町おこしとして最近どこにでもあるような集団踊りに励んでいる光景を映して終わる。しかしそのような上っ面な町の「活性化」と、今も残る地底深く網の目のように掘られた坑道の存在の間には、リアリティーの大きな落差しか感じられないくらい、歴史の重みが直接伝わってきた映画だった。

語りはテレビ朝日アナウンサーの中里雅子。低い声で聞きやすい。
ポレポレ東中野は次回上映作も必見だ。


秋の競馬場

2006-11-06 22:06:54 | 競馬
3連休、唯一の外出。
GⅠもないし、静かな競馬場。
当たれば焼肉って約束だったが、、みんなで家まで空腹に耐えた。
こんなふうに、秋の一日が過ぎていく。

『カーテンコール』

2006-11-04 12:15:47 | 映画
何を求めて映画を見るのか。近頃大安売りの「感動」とかいうもの?テレビでは芸能人が大袈裟に「感動」する表情を、わざわざ小さな画面を切り取って見せ付けているし、オリンピックの選手たちは観客を「感動」させたいなどと余計なことを考えて、無残な敗北をさらけ出している。映画でなら安物の韓国映画でも見に行けばいくらでも買うことができる。でもそんなに暇じゃない。
「文芸時評という感想」で今年の小林秀雄賞を受けた荒川洋治氏は、「感動」は非常に短かく「感想」のほうが長持ちするから、「感想」を積み重ねていくことが必要だと書いている。「感動」は、ああよかった、と思っても自分の中での作品の命がそこで終わってしまう。自分の内側の変化につれて変わっていく「感想」こそがカラダの中にたまっていくというような意味だ。
だからその時に感じた感想を積み重ねていく。十分にそうしておきたい作品に対して。

去年の暮れに公開されて国内の賞をいくつか受賞した作品だが見逃していて近所のココで見ることができた。
始めのうちは藤井隆が演じる一映画幕間芸人の半生記のようなものだったが、途中から下関という地方都市における在日朝鮮人問題がテーマとなり、最終的には普遍的な親と子のつながりの話でうまくまとまった。

映画全盛期、吉永小百合と橋幸雄の「いつでも夢を」に立ち見の客まででるような時代に、2本立ての映画と映画の幕間に物まねや漫談を演じる芸人が全国にいた、らしい。
下関という、歴史的に朝鮮半島から強制的に連行されてきた人たちが多く住む町で、「在日」であることを隠して生きる若者がそういう芸人として人気を得ていく。やがて家族の反対を受けながらも日本人の女性と結婚し娘が産まれるが、映画人気の衰えとともに仕事を失い、苦しい生活の中で妻が死に、芸人は娘を捨てて消えていく。その30年後の親子の再会がこの映画のはなしの本筋になって、さらにそこに他のいろいろな人と人の再会が絡み合って、厚みのある物語になっている。

行方不明となった芸人を日本人の若い女性の記者が、自分の書く記事のために捜し出して、芸人は映画館の閉館の日に30年ぶりに舞台に立つが、今は「在日」であることを隠さずに生きる娘は絶対に会おうとしない。周囲の人々が懸命にお膳立てをして会わせようとすればするほど。舞台の上で芸人はライトを浴びながら孫とは対面するが、結局、そのクライマックスとも言える場面で娘とは再会しない。予想外の展開だ。だからこの辺がこの作品を作った人たちのキモになっている。
最後の舞台を終えた芸人は故郷の韓国に戻り孤独に耐えて貧しく生きる。子どもを捨てた自分にはそのような孤独がふさわしいと思いながら。そこに娘が訪ねて行き、二人だけで再会して映画が終わる。
家族のつながりとはそういうものだという作者の主張がある。まわりがとやかく言うべきものではなく、そしてまわりが想像する以上に強いものだと。「感動」を見せ物のように仕立てようとすることへの批判もある。映画はそのような批判の上に立って、十分に感動的な内容となっている。

海峡を見渡す下関の風景が美しい。監督は佐々部清。町と映画への愛情があふれている。若いタレントの中ではもともと嫌いじゃなかったが藤井隆がうまいと思った。藤村志保と夏八木勲の二人が渋い。
2004年。キャービカル・エンタテインメント配給。