きのうは朝、成田の近くまで行って打ち合わせしてから、首都圏を大回りする武蔵野線に乗って東京の西の町へ。途中新座あたりから一人で乗ってきた中学生が、いきなりコンビニの餃子弁当を車内で食べ始め、クサイ匂いが車内にたちこめた。サイタマ、、のどかといえばのどかだ。
午後の打ち合わせが終わってからは、八王子まで行って各駅停車で横浜へ。結局6時間以上電車。お陰でコレを一気に読み切った。
作者の数少ない小説のひとつと思って買ったのだが、内容は長編自伝。焼け跡に立ち尽くした頃のことから、サラリーマンになってサントリーの宣伝誌作りながら小説書いて当たって、編集者に追いまくられて、その後フランスやらベトナムやらに出かけていって、戦争について書いてるうちに鬱病になって、とうとうアラスカから南米まで釣りしながら旅行した頃までを、「私」という主語抜きで書き上げたもの。いい気なもんだとは思わせない凄まじい生き方を美しい文章で語っていて、自爆テロの炸裂のような言葉の強さを感じた。
開高健というひとは結局のところものすごい人間嫌いで、現実社会のドロドロしたものから逃げ出すために酒を飲み、ベトナム辺りをさまよい、最後にはアラスカで魚を釣って生きていた。それでも喰えていたのはやはりその強烈な文章のちからによるもので、中国人が文字の民族というとするならニッポン人は言葉の民族だと言いたいくらいの、ニッポン代表的な表現者だったんだろうと思わせる。
だから、こういう言葉を自由に使えたらと思うようなコトバが文中にあふれていて、例えば、その技は敦厚(とんこう)の一語である、とか、、光耀(こうよう)は力みなぎり、とか、、安逸な懈怠(けだい)を分泌し、とか、、晩秋の澄明(ちょうめい)な弱陽のなかで、とか、、、御叱呼に雲古、とか、、。最後のにはあえて振り仮名を省略するが、文字を言葉に変えていく、そこのところに独自の美を込めていたかのようだ。
文中に2度、ゲーテの同じ言葉が引用されている。
・・(ゲーテは)人を火にとびこむ蛾にたとえ、死を介してこそ生は十全に味わわれるのだ。それを体得しないかぎり人はいつまでも「地上の夜の悲しい客人」と書いた。・・とあって、そのためにベトナムの奥地に行って、そこでそれを体得して、一旦は精神の死を遂げる。鬱病になっちゃったってこと。
そこからある日家族と焼肉屋に行って、焼肉の煙越しにジブンの娘の頬の肌の輝きを見て、戦争を追っかけることをやめようと思う。戦争を伝えることは、「祖国のために大嘘を平然とつくことを職業とする正直者の唾の飛ばし合い」だってことに気付いたのだ。
まあ、戦争に限らず、カイシャも政治もサッカーニッポン代表も、「祖国」のために平気で嘘をつき合うショウジキ者の集まりだ。抜け出そうとすればみんなで足を引っ張って、何度でも底のほうに落ちていく。抜け出す方法は一つしかないかのようだ。
このところの極度の対人疲労。そのクスリになるのか、はたまたそれを悪化させるだけのものか、この本はワタシにとってはビミョウな内容で、この週末は、月曜からの「戦犯裁判」を前にして、崖っぷちを散歩し続けるしかない。
新潮文庫版 1989年刊
午後の打ち合わせが終わってからは、八王子まで行って各駅停車で横浜へ。結局6時間以上電車。お陰でコレを一気に読み切った。
作者の数少ない小説のひとつと思って買ったのだが、内容は長編自伝。焼け跡に立ち尽くした頃のことから、サラリーマンになってサントリーの宣伝誌作りながら小説書いて当たって、編集者に追いまくられて、その後フランスやらベトナムやらに出かけていって、戦争について書いてるうちに鬱病になって、とうとうアラスカから南米まで釣りしながら旅行した頃までを、「私」という主語抜きで書き上げたもの。いい気なもんだとは思わせない凄まじい生き方を美しい文章で語っていて、自爆テロの炸裂のような言葉の強さを感じた。
開高健というひとは結局のところものすごい人間嫌いで、現実社会のドロドロしたものから逃げ出すために酒を飲み、ベトナム辺りをさまよい、最後にはアラスカで魚を釣って生きていた。それでも喰えていたのはやはりその強烈な文章のちからによるもので、中国人が文字の民族というとするならニッポン人は言葉の民族だと言いたいくらいの、ニッポン代表的な表現者だったんだろうと思わせる。
だから、こういう言葉を自由に使えたらと思うようなコトバが文中にあふれていて、例えば、その技は敦厚(とんこう)の一語である、とか、、光耀(こうよう)は力みなぎり、とか、、安逸な懈怠(けだい)を分泌し、とか、、晩秋の澄明(ちょうめい)な弱陽のなかで、とか、、、御叱呼に雲古、とか、、。最後のにはあえて振り仮名を省略するが、文字を言葉に変えていく、そこのところに独自の美を込めていたかのようだ。
文中に2度、ゲーテの同じ言葉が引用されている。
・・(ゲーテは)人を火にとびこむ蛾にたとえ、死を介してこそ生は十全に味わわれるのだ。それを体得しないかぎり人はいつまでも「地上の夜の悲しい客人」と書いた。・・とあって、そのためにベトナムの奥地に行って、そこでそれを体得して、一旦は精神の死を遂げる。鬱病になっちゃったってこと。
そこからある日家族と焼肉屋に行って、焼肉の煙越しにジブンの娘の頬の肌の輝きを見て、戦争を追っかけることをやめようと思う。戦争を伝えることは、「祖国のために大嘘を平然とつくことを職業とする正直者の唾の飛ばし合い」だってことに気付いたのだ。
まあ、戦争に限らず、カイシャも政治もサッカーニッポン代表も、「祖国」のために平気で嘘をつき合うショウジキ者の集まりだ。抜け出そうとすればみんなで足を引っ張って、何度でも底のほうに落ちていく。抜け出す方法は一つしかないかのようだ。
このところの極度の対人疲労。そのクスリになるのか、はたまたそれを悪化させるだけのものか、この本はワタシにとってはビミョウな内容で、この週末は、月曜からの「戦犯裁判」を前にして、崖っぷちを散歩し続けるしかない。
新潮文庫版 1989年刊