老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

Am Thuc 通り

2009-09-28 00:59:35 | カーブ
朝晩は涼しく昼間は暑いが西風が吹いている。ハノイギャルたちは早くもセーターを着たり黒いタイツを履いたり、ヨッぽど冷え症なのか。接客業のオネーサンたちのアオザイもだんだん厚手の重たい生地に代わっていってさわやかに風がすり抜けるのが見れなくなる。両側の裂け目から見え隠れするプヨプヨの皮膚も粉がふいたようにかさついてくる。季節の風物詩か、みたいな。

このところ日曜は休みだがあしたからまたケツから火を吹くほどの忙しさで、来週なかばにニッポンに帰るものの3頭も野生のウマを連れて行かなきゃならないのでよけいに疲れるのは目に見えている。その調子で年内は休む間もなく大みそかにコッチの党のエライさんに説明に行かなきゃいけないシゴトができてもうホント最悪。。シャセイするヒマもなくなりそう。

で、コレはこの前も書いたが旧市街の西のハズレの国鉄の線路の手前にある路上食堂街。パリの裏町のようなタタズまい。
バイクは通るが車は通らない道路沿いに、LAUというのは鍋のことでTHAIというのが薄切り、みたいな意味だからシャブシャブのようなものと勝手に想像する鍋料理の店がずらーっと並んでいる。いくつかの店にはサイゴンの文字があるので、南部メコンデルタ風魚のシャブシャブ鍋屋ではないかと思うがまだ食べたことはない。

コッチでは鍋とか焼き肉のようなモノの店は多く、きのこ鍋とか貝鍋とか、あとコレは絶対にウマいとは言えないのだがライギョのラード鍋みたいなのが有名。それと最近話題になっているのは路上焼き肉の店で、牛のモモ肉は普通として、ヤギのオッパイ肉がコリコリしておいしいと評判になっている。ヤギに関してはヤギ鍋専門店もあってオスのアソコとかも食べるらしい。イタましい。
どこも道端にコンロ並べてプラスチックの椅子に座って食べる。ビールはぬるくて氷を入れて飲むのだがニッポン人は氷を断るのが普通。氷と同じくらいグラスもキタナイが気にしていたらキリがない。

ただワタシはこういう店で食べるのを好んでいるわけではない。床にゴミが落ちてなくて、スプーンとかナイフにゴミがついてなくて、テーブルクロスがぜんぜん汚れてないような店がホントはイイ。それとブキミな団体客が来ないことは最低条件。


『Tranh Co Dong Viet Nam (1945 - 2000)』

2009-09-26 10:40:15 | アート
ベトナムが共産主義のクニだという感覚は日常的にはほとんどない。コッチに来る前はもっと集団監視的な雰囲気があるのかと思っていたがそうでもない。道路を軍隊が行進しているわけでもなく、警官がヘルメットをかぶってないバイクを捕まえたり、駐車違反のを軽トラックに乗せて運んでいくくらい。
ただ風景としては町なかに若い男女が肩を組んだりして、タキガワさん風にコッチを斜め45度で見るのではなくて、上空斜め45度をアシタの希望、みたいな目で見つめているような図柄のポスターがあちこちに貼られているのが共産主義っぽいと言えば言える。今月多かったのは9月2日の建国記念日のポスターで、あと、スポーツの催し、ニッポンでいえばコクミン体育大会、略してコクタイ、なんていつまでやってるんだろうと思うが、コッチではオリンピックの五輪マークを逆さにしたようなのがそれのしるし。

で、色はやっぱり赤と黄色が多くて道路上の横断幕とともに町の色をつくっている。ジツにアクセントとしてはうまい色の使い方、というか、表現として強い。
こういうのを図書館的な分類ではプロパガンダアートと呼ぶのだが、前にも書いたが、戦争中のそういうポスターなどがギャラリーで売られていて、欲しいのがたくさんあって困るくらいで、きっと1枚買うともうブレーキが効かなくなると思うのでがまんしている。
それがこの前、そのポスターを1冊の本にまとめたのがあるのを知って本屋を探したら簡単に見つかった。2種類あって最初に見つけたのはつい最近出版された2005年までのモノをまとめた本でやや紙質が安っぽいのと印刷もイマイチ。で、もう少し探したら2002年に発行されたしっかりしたのが見つかって思わず衝動買い。900,000ドン=4,700円くらい。コッチに来て、ドンで買った買い物としては最高額。90万ドン!。ややためらう。

内容的には作家の名前がメインにでていて、1890年生まれのMinhさんが1941年に書いた簡単な線画のポスターから始まって、1945年以降の、ベトナムをベトナム人の手に!、みたいな独立運動のためのものから、その後、一瞬、平和のハトがでてくるが、また1964年頃からアメリカの北爆に立ち上がれ!!!みたいな図柄にかわっていく。1970年頃からは、今でもあるような希望のあした的なのが登場して、ベトナム戦争後は勉強をしっかりしよう!!とか、労働のヨロコビ!、みたいなのが主流。あとは解放何周年みたいなのでこんにちに至るという流れ。当然のことだが、まったくベトナムの歴史そのもの。
で、作家の名前が出ているのはこのプロパガンダアートの画家はアーティストとしてはかなり上のほうにいる人たちで持ちあげられているということ。クニとして重要なものと考えている。
だから風景的にだけでなく意味的にも共産主義を特徴づけているもの、というわけで、ソレをただ単にアートとして見ていいのかどうかはわからないが、ガイジンのワタシとしては非常におもしろいと思っている。写真の右上はニワトリに取り囲まれるオンナの図。1968年、Thai Son氏の作品。下には「ニワトリを育てて繁栄を広めよう!」と書いてある。じゅうぶんアート。

『From Hollywood to Hanoi』

2009-09-25 01:13:11 | 映画
ハノイ・シネマテーク・デビュー。よりによってスペシャルプログラムで満席。95%が欧米かよ、みたいな。残りの3%がベトナム人で1%がニッポン人のワタシで、あと1%は不明。闇の欧米人ブンカコミュニティーのようなところに紛れ込んだ居心地の悪さをかみしめながら、反共、反ホーチミンみたいな映画を、つくった本人のQ&A付きで見るというメッタにないシチュエーションを胆嚢、いや堪能した。

作者のTianaサンはベトナムで生まれたアメリカ人女優兼映画作家で、女優としての名前はTiana Alexandra。早い話、ベトナムの共産主義化を嫌ってアメリカに移住した親と一緒にアメリカ人になったヒトで、親はいまでもベトナムはホーチミンのせいで悪い国になったみたいなことを言っている。
で、親は絶対にベトナムには戻ろうとしないのだがジブンは戻ってみようという気になって、10何年か前に戻って、その後も頻繁に行き来している。それでベトナムの文化に触れなおしてジブンはアメリカ人なのかベトナム人なのかと悩む。結論的には特にないのだが民族の血はなかなか消えないみたいなことを意識させるナガレ。

二つのココクのあいだで揺れ動くココロ、みたいな話だが、中国残留孤児のような話に比べれば不幸の度合いはアリの体重ほどの重さもない。それよりアメリカ人が受けている情報ソウサというか、コッカに都合の悪いことはあまり知らされていないということがよくわかった。ソンミ村虐殺なんて誰も知らないだろうと容易に想像できる。永久に反省とオワビを続けなきゃいけないニッポン人の自虐的な歴史観のほうがよっぽど健全に思えるくらいだ。

1992年 オリバーストーンがプロデュース。

Tran Phu 通り

2009-09-23 01:38:29 | カーブ
ハノイの旧市街の西の端には鉄道がとおっていて、一見江ノ電のようなフゼイではあるが、ココを毎日、北京行きの国際列車とかが走る。正確には途中、この前、5月に行った中国国境の町ドンダンで乗り換えるのだが、一応ハノイ発北京西駅行きは所要約40時間で、夜の6時半に出発して、途中、南寧とか桂林とかを通って翌々日の12時過ぎに着く。料金はなぜかスイスフランで表示されて150スイスフラン=15,000円くらい。一度乗ってみたいものだ。

で、ココはハノイ駅を出てすぐのところのTran Phu=チャン・フー通りの踏切?。線路側のほうに遮断機というか、小さな赤い板のようなものがでていて、役に立つのかどうかわからないが一応、列車が来ないことを示している。実際、列車は1日に7,8本で、今までに2回くらいしか見たことがない。見れればラッキー、みたいな。でも列車が通ると道路が大渋滞になって10分近く動けなくなる。列車が通る時間になるとどこからか係りのオヂサンが出てきて道路を通行止めにする。
ココも店の売り物が線路のほうにはみ出しそうになっているが、別のところなんか線路の真ん中に堂々とくだもの屋が店を開いていたりしてのどかな雰囲気。

話は変わるが昔、運転免許を取ろうとして、思い出すのも嫌なんだが自動車教習所に通ったことがあって、その頃はタカが車の運転を教えるくらいのことに、エラそーにその教えるヤツがアゴで、客である生徒に指図するような時代だった。で、ホントにクソおもしろくないところだったのだが、ある時そのアゴおやぢが、世の中に絶対ということはほとんどないが、教習所の踏切は絶対電車は通らないと、冗談のつもりで行ったのかどうかわからないが、なんとなくその言葉がワタシには哲学的に聞こえて今でも時々思い出す。座右のメイっていうんでしょうか。絶対、なんてコトはシミュラークルな仮想空間にしか存在しないということ、かナ。
だからこの踏切?を見て、こんな線路を絶対に列車が通るわけないって決めつけるようなニンゲンがいるかもしれないけど、ここには富士山が活火山だというのと同じかそれ以上の、まだドクドクと生きている感じがワタシにはする。

そういえばまた話が変わるが、今年免許の更新だったんだが結局更新しなかった。あんなにイヤな思いしてとった免許なのに実際に使ったのは2,3年くらいであとは身分証明書くらいにしか役に立たなかった。この先、カレー屋でも始めたら出前を運ぶのに使うかもしれないと、絶対そんなことはないとはゼッタイに言い切れないだけに迷ったが、その時は自転車で十分だという気もしたし。
これまで20年間近くジブンの身分を証明する、唯一ではないが主要なモノを捨て去ってなんとなく解き放たれたような。借金のためのクレジットカードを申し込むたびごとにコピーを取られて、その都度ジブンの人格を切り売りしてきたような気にさせられてきたものを、ケーサツに手続きに行く時間がないだけの理由でこの夏に捨てたのだ。

Gecko

2009-09-21 00:23:10 | ベトナム
ゲッコー、月光かと思ったら英語でやもりのことだった。やもり料理があるわけじゃない。きのう散歩した旧市街のHang Trong通りに小さな看板が出ていてらせん階段を3,4階まで上っていくと半分屋上のテラスのような、それでもしっかりアルミサッシュは入っているんだけど全然密閉感のないお店で、ビール2杯とチキンとコーンのスープと野菜の焼きそばを食べて100,000ドン=500円ちょっとくらい。かなり満足。

で、きのうの散歩は最初に今まで足を踏み入れたことのないウチの東側の、ハイ・バー・チュンを祀ったお寺のあるあたりに行った。ハイ・バー・チュンというのはチュン姉妹という意味で、今のハノイの中心部の区の名前やメインストリートの名前にもなっているもので、紀元前111年にベトナムが漢の支配下に入ってハゲしく搾取された頃にこのチュン姉妹が先頭に立って反乱を起こしたのを記念して1142年にお寺が建てられた。お寺自体は普段は閉まっているが境内というか、前庭は子どもの遊び場とバイク置き場になっていて自由に入れる。外観的にはシンプルできれいなお寺でありマシタ。

付近は迷路のような雑然としたところで自動車の部品屋が並ぶ。油臭くて酔いそうな感じで早々に抜け出した。そのあとは特に目的もなくぶらぶら。この前の映画館に特別プログラム以外に何をやっているのかを聞きに寄ったら、今週は北アフリカの映画特集とかで興味をそそられたが、とりあえず木曜のを予約してまた散歩。
で今度は旧市街の西のほうへ、線路の近くまで行ったら通りが全部食堂街みたいなおもしろい場所を発見。今度ニッポン人が来たら行くかと。。いろいろ通りの写真を撮ってぶらぶら歩いていたらガソリンがキレはじめたので最初のお店に入ったというわけ。

コッチに住んで半年たったがまだ近所で行ってないところがたくさんある。旧市街の北西部なんか特に。お寺がやたらたくさんあって東側よりは生活感がタダよっていそう。
それにしてもニッポン人をたくさん見かけてやっぱり連休なんだとジッカンさせられた。

ハノイ・シネマテーク

2009-09-19 13:14:07 | ベトナム
5連休? 何それ。。
ま、ニッポンからのメールは確実に減るし、この休みに合わせて帰ったヒトもいるのでこの1週間は気楽にしていられるというのはあるけど。ソレにしてもニッポンの休みはハタからみると多すぎ。働かないでいる間にどんどん沈んでいく感じ。

それはそれとしてコッチには選べるほどの映画館もないし芝居なんて観光客向けの古典的なのしかやってないし、音楽はこの前のオーケストラとジャズクラブが1軒あるくらいで、あとは絵は町中にあふれているのだが見るに値するのはキワメテわずかで、要はエンターテイメント的なブンカがまったく乏しいということ。
ところがイロイロ探したらこんなのが見つかって、ただ先週行ってみたらゲンバがなかなか見つからなくて、すっごいわかりにくい、ゲイジツ家向けの安宿の入口から入って、洗濯物の干してある路地の奥のほうにやっとみつけた。会員制で入会金が200,000ドン=1,000円ちょっと。それに映画を見るときにいくらかの寄付をすればいいことになっている。寄付の目安も書いてあって一人50,000ドン=250円ちょっと。

で、そこから毎週プログラムがメールで送られてくる仕組みで、来週はアメリカ生まれのベトナム人ドキュメンタリー作家のコノ作品が本人の解説付きで見れるということで、行こうかどうしようか考え中。
っていうのもなんつってもコトバが。。きょうもこれからヨーロッパ系のヒトに会ってひとりで打ち合わせをしないといけないのだが、もう、きのうの夜からケッコウナーバスになっている。カレ等想像力が足りないのか、ゆっくりしゃべれって言ってもちっともコッチがわかるようにはしゃべらないし。

Com

2009-09-18 00:55:05 | ベトナム
ベトナムでは道端にComと書いた看板がよく出ているが、コレはドットコムのコムではなくて、Com=コメで早い話、飯やのことである。肉、魚、野菜、豆など何種類かのおかずを山のように盛りあげて並べてあって、そこから3、4種類を選ぶと、ご飯と一緒に皿に乗せてくれて、だいたい1食20,000ドン=100円ちょっと。コッチに来て最初の頃は道端で小さなプラスチックの椅子に座って食べるのが珍しいのと、コッチのブンカに触れることも必要かと思ってときどき食べていたが、ハッキリ言って不潔なところが大部分なのと、油が悪くてカラダに良くないのとでこの頃はまったく食べていなかった。
それがこの前の出張でホーチミンシティの隣の町に行ったときに、出張なんだからいいところに連れて行ってもらえるだろうと思っていたらヨリによってこんなところで昼を食べるハメに陥って、食べてるソバからハエが箸とかおかずに止まるのを追い払うのにも疲れるくらい寄ってきて、オマケにスコールがビニールシートの屋根から飛び出るくらいに降ってきて、なんか、悲惨なキモチでヤケ食いした。食後にはアブなそうな氷の入った甘ったるいアイスコーヒーまで飲んで、なるようになれ的なシンキョウだったが今のところ異状は出ていないのはそういうカラダになってしまったということかもしれない。
こういうのを見て、わー、食べてみたいー、とかいうヒトがいたら、ワタシはそういうヒトをとりあえずは信用しないが、常に心に思った反対のことを言うヒトも世の中にはいるから、そのウラのウラまで読んでニンゲンを判断すべきだと思っている。
なんかストレスが極限値の手前までイっていてセケンのミナさんにはどうでもいいことを書いてしまった。

To Tich 通り

2009-09-16 10:33:23 | カーブ
月曜は朝5時半に起きてホーチミンシティに日帰り出張。ついこの前まで福岡によく日帰りで行っていたが、距離的には似たようなものなのにヤレヤレ感はまったく違う。一番大きいのは市内から空港までの移動で、特に福岡などは地下鉄で5分なのに対しハノイはタクシーで1時間、ホーチミンシティはすいていれば30分くらいなのに、最近は夕方の渋滞がひどくて今回の帰りは1時間半近くかかった。バイクの群れに囲まれてまったく前に進まなくなる。
それでも行列のできないタクシー乗り場での乗り方とか、朝メシ抜いて機内食で軽く済ますとか、預け荷物なし専用カウンターでの素早いチェックインとか、コッチのやり方にだんだん慣れてきた。ちなみに行列ができないのは客がいないからではなく、あとから来たヤツが待ってるヒトを無視してどんどん先に乗ってってしまうという非ブンメイ国のキワミ的な行動によるもの。タクシー乗り場に限らず、チェックインカウンターでも手荷物検査場でも搭乗口でもどこでも同じだから驚くことでもない。そういうクニだと思わないとやってられない。

それはそれとして今日の通りは旧市街の、この前、ハンコをつくったHang Quat=ハン・クアット通りから旧市街のメインストリートであるLuong Van Can=ルオン・ヴァン・カン通りに平行にホアン・キエム湖のほうに向かう細い道。マジで通りの真ん中にこんなふうに巨木が立っている。車は通行できなくて、途中に塾でもあるのか、大勢の子どもが群れている。
ちょっと話をヨコ道にそらすとハノイには塾がたくさんあって夜の7~8時頃には迎えの親のバイクで道路が大渋滞になる。学校にも親が送り迎えをしていて登下校の時間は道路の半分がセンリョウされる。中にはクルマのもいて他人の迷惑なんか気にもせずど真ん中に車を止めて待っている。とにかくジブンのことだけを考えて生きているようなコクミンなのだ。そのズぶといセイシンでアメリカにも勝ったわけだが、コレから国際化していく上ではこのままじゃイカンのではないか、というのはよけいなおせっかい。
それとコッチでは木の枝を剪定するということがないので気持ちがいいくらい上のほうに伸びている。落ち葉が迷惑がられるという理由で、もうそろそろケヤキの枝とかが無残に切り落されるニッポンとは大違い。

Au Trieu 通り

2009-09-13 10:13:59 | カーブ
きのうのコンサートは思っていたとおり、途中で電池がなくなって止まってしまうんじゃないかというようなもたもたしっぱなしの演奏で、おまけに近くの席でケータイは鳴るわ、なんのためにコンサートに来てるんだろうというようなおしゃべりなバカガキはいるわで、まあ、そういうクニだと思いながら聴いていたら、後半の歌が始まったあたりから雰囲気が変わって、少なくとも合唱に関しては金返せとは言う気にならないくらいのいい合唱で、最後の、何かのタマシイが復活して天が裂けて宇宙にのぼっていく感じのところは、ハッキリ言ってスゴクよかった。カンドーっていうんでしょうか、この前の斎藤幸子以来の感覚。ソプラノとアルトの独唱は絵的にもヨカッたデス。

で、家に帰って昼間にかき始めたシャセイの続き。場所はハノイ大教会の横のAu Trieu=オウ・チェウ通りをずうっと行ってPhu Doan=フー・ゾアン通りに出る手前のところ。Au Trieu通りには日系のアオザイツアーという旅行会社があって休暇で帰るときの航空券を買いにたまに行く。ほかにも昆虫とか蠍とか蛙とかの標本をアクリルで固めたのを売ってる店とか、手づくりのヘアピン専門店なんていうのもあって歩くとおもしろい。教会の横だからか、静かで臭い匂いとかもしない。まあ、絵にかいてるのは基本的に気にいってるからかいているわけだが、そのなかでもここは特にフェイヴァリットなストリートっていうこと。って、ナチュラリーにイングリッシュがカミングアウトしたりして。

ただ絵のほうは久しぶりなんでちょっと硬くなりすぎた。一晩おいてハンコ押して完成。

『復活』

2009-09-12 15:24:42 | アート
きのうで一つおシゴトが終わって、というか、例によって締め切りがゴム紐みたいに延びるというニッポンでは考えられないコトが当然のことのように起きて一部を今日の午前中まで持ち越したのだが、それもさっき終わったところ。ニッポンからの出張者もきのうの夜に帰ったと思ったら、また来週月曜の夜から何人か来て、週のなかばにはいちばん来てほしくないヒトまでくるのでストレスが最高潮に達することはヒッシ。そのための予備的治療をこの週末に集中的にする。

その第一弾が今晩、ハノイオペラハウスで開かれる国立交響楽団のコンサート。なんとベトナム初演でマーラーの2番「復活」を演奏するっていうんだから行かないテはない。
ベトナム国立交響楽団は2007年からマーラーの交響曲全曲を5年かけてやるというダイ事業に取り組んでいて、今年は7月にこの2番の予定だったのが直前にキャンセルになって、2カ月遅れで昨日と今日に変更された。キャンセルになった理由は間違いなく練習不足で間に合わなかったということだと想像できる。で、本当は今日やるはずだった7番は2012年に延期になって、5年の予定が6年がかりなった。まあ驚くほどのことではないが。

指揮はこの楽団の音楽監督でもある本名徹次サン、ソプラノが腰越満美サン、なかなかの御シャシン。アルトがスェーデン人のAnna Einarssonサンでほかにも外国から大勢ゲスト出演する。
前回はたしかハイドンとボッケリーニとモーツァルトを聴いて、途中でかなりもたつく感じのところもあったのだが最後はなんとなくまとまって、不思議なオーケストラだと思ったのだが今回はどうなることやら。楽章と楽章の間で拍手が起きてしまうようなお国柄なのだが、それはそれでそういう聴き方もあると思わないとやっていられない。

朝からケッコウ激しい雨だったのだが今は晴れ間も出てきたので、なんか予想もしないくらいのいい演奏だったらどうしようかと、意味もなく期待は高まるばかり。