老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『ブロードウェイのダニーローズ』

2009-12-29 08:14:41 | 映画
Hanoi Cinematequeのウッディ・アレン特集は年代順に1月半ばまで続く予定で、きのう、シゴトのストレスメーターが一瞬ふり切れたこともありリセットのために夜に行ってきた。1984年の作品でいちばんイイ頃のモノ。この前見た傑作「Zelig/カメレオンマン」のあとで、「The Purple Rose of Cairo/カイロの紫のバラ」、「Hannnah and Her Sisters/ハンナとその姉妹」、「Radio Days/ラジオ・デイズ」の前。

話しは売れない芸人のマネージャーみたいなのをやっているダニー=アレンのことを、むかし、ダニーの世話になった芸人達がニューヨークの町の中のヒナビタ食堂で夜な夜な集まって話題に花を咲かせる、みたいな作りになっていて、そのむかし話が映像の中で現実として描かれて、最後にはその食堂の前でダニーがそのむかし話の中のもう一人の主人公である売れてダニーのもとを離れて行った芸人の別れたオンナ=ミア・ファーローとココロとココロがつながり合う、みたいな実にいい話だ。ハッキリ言ってヨカッタ。別にハッキリ言うほどのことでもないが。。

ウッディ・アレンの作品をこうやって見て行くと監督、脚本家としては天才、巨匠、御宅のイキに達していると思う。ジブンの書いたモノをほかに演じられる役者がいなかったからジブンで出て、しかも相手はいつもミア・ファーロー。ニッポンで思いつくのは伊丹サンくらい。アノ人は自分では出ていなかったが。
内容がコメディっぽいモノに集中していることもあって軽くみられるところもあるが映画のおもしろさをキワメている。今回のもあえてモノクロでニューヨークの裏町の、そこのなんというか襞のようなところの影だけを画面に映し出して、ソコが実際はキレイな色で光に照らされている感じを想像の中で見せている。
時間を飛び越えて、現実と記憶の間を行ったり来たりするのも、ソレがすべて作り話だということを忘れさせるくらいにウマい。

原題は"Broadway Danny Rose"。そのまんま。

ところで、ワタシもいつも見ているコレにコンナのがのっていた。自己責任という概念が歪められているニッポンではいい加減ということの代名詞のようにも言われるが、ソレは結局使う側の問題だということで、コノ主張には大いに共感する。

ハノイのクリスマス

2009-12-26 17:24:32 | ベトナム
ベトナムはニッポンと同じように仏教徒が大部分でキリスト教徒は数パーセントだが、コレもまたニッポンと同じようにクリスマスをお祭りのように祝う。オフィスでのあいさつもメリークリスマスだし、レストランもクリスマスメニューだからケイケンな仏教徒のワタシはどうしたもんかと、きのう、おとといはサッサと家に帰ってジッとしていた。
今日散歩してハノイ大教会に行ったら地味に飾り付けされていて、カビで黒ずんでいる建物が一瞬キレイに見えた。この教会は正式にはセント・ジョセフ教会という名前で1886年にフランス人によって建てられたモノ。もちろん作ったのはベトナム人の大工さん。素朴なゴシック様式で風景に溶け込んでいる。

コノ国のキリスト教の歴史は植民地政策とともにもたらされたという以上に、アメリカ侵略戦争時代の反共産主義勢力による仏教弾圧の影で、暗く重たい過去を背負っている。なにしろ南ベトナム政府の大統領夫人が狂信的なキリスト教徒でそのオバハンの命令で仏教寺院が次々と焼き払われたというんだから。
ソノ結果、ベトナム戦争時代の超有名なニュースフィルムにあるように仏教の僧侶がテレビカメラの前で焼身ジサツをするようなことが相次いだ。だがそれもソノ結果として反米の勢いが増していくことにつながる。

だからかどうかわからないが、ヒトビトがお祭り気分なワリには教会自体は静かに、ほとんどいつもどおりという感じで、正月もおそらくこの静けさは続き、たぶん2月のテトまでずうっとこの年末の雰囲気が続いていくんだろう。

バラ

2009-12-24 21:36:05 | 風景
バラを買った。道端ではなく花屋で。イキが違う。イキが。

じゃあ、メリークリスマスだ。

枝付きランブータン

2009-12-22 21:27:12 | ベトナム
泥付き大根か、皮付きとうもろこし、みたいな。。
市場で買ったら1キロで山のように袋に入れてくれて、毎日10粒食べても2週間くらいかかる。

外見は悪い。毛の生えたアソコみたいだし。でも包丁で切り口を入れて二つに割ると高級ブドウのような白くミズミズしい実が中からあらわれる。そのまた中心にタネがあって、実をしっかり食べようとするとタネの薄皮まで一緒に口に入って食べにくい。それも一緒に食べてしまえばいいだけのことだがコレだけたくさんあると無駄にもしたくなる。

その実は甘くさわやか。捨てられるだけの殻が、毛を逆立てたまま重なって行く。

『Zelig』

2009-12-20 22:38:33 | 映画
連日の映画。今日はコレ。ニッポンでのタイトルはなんと『カメレオンマン』。アリ得ね。映画の中でカメレオンという言葉は出てくるが、ソレをタイトルに使っちゃ身も蓋もない。

1930年頃のアメリカで起きた話を、今、その当時の関係者とかいろんな有名人が出てきてインタビューで振り返るという設定で、ソール・べローとかスーザン・ソンタグとかが真面目な顔してインタビューに答えているので多少は現実にあったことなのかと錯覚するが全部ウソ。つくり話。
Zelig=ウディ・アレンはカメレオンのように周りに合わせて自分の顔とかカラダを変える病気?を持っていて、黒人に囲まれると顔が黒くなって黒人になるし、肥満の男に囲まれると急に腹が出てきて肥満になる、、みたいに。で、世間で有名になってカメレオンの名前でアイドルのように追い回される。
それを精神科の医師=ミア・ファーローが治療しようとするとすぐにジブンも精神科の医師に変身して治療にならない。そうこうするうちにいろんな事件が起きていったんは姿を消すがローマ法王の演説、じゃなくてなんていうんだっけ、バチカンの寺院のバルコニーで話しするアレ、アレの最中に法王の後ろでなんかしているのが写されたり、ヒトラーの演説の後ろにもいたりして、、それをソール・ベローやスーザン・ソンタグがインタビューで振り返ったりするわけだから、それも法王やヒトラーの場面だけじゃなくはじめから最後まで30年代の古い映像風にカンペキに作り上げて、ウソとわかっていながらそっちのほうへ引き込まれていく、コレは公開された当時はキワモノすぎてほとんど話題にならなかったように思うがもしかしたらスゴイ傑作なんじゃないかと思いマシタ。

終わってからアレはいったい何を言いたかったんだろうと振り返っても、そんなことどうでもいいやと思わせるくらいよくできていた。実際何も主義主張などなく作っていたとしたら、いやたぶん、ウディ・アレンというひとは主義主張を出さないことを主義主張としていたのではないかと、、ハリウッドを嫌っていたりするように見せているけれどもあれも別になんの主義主張でもないと思えば何かがわかったような気になる。楽しけりゃいいというのがいちばん難しいのは誰もがいうことではあるが。

1983年、アメリカ。

『Manhattan』

2009-12-19 22:55:52 | 映画
コレもまた久々のハノイ・シネマテーク。ワタシがこういうブンカ的なモノに目覚め始めた頃の作品。
ウッディ・アレンの映画は自分で脚本書いて監督までしていると思うとときどきハラが立つような内容だったりして、たとえばコレなんかも若いヘミングウェイの孫と一緒にお布団の中に入ったりして、17歳のオジョーちゃんとヒトのオンナとのふたまたかけてどっちにも逃げられる46歳のオトコという設定も、そりゃそれでいいじゃん、としか思えない。

とはいえ映画の始まりが"Rhapsody in Blue"できのうのコンサートの続きかと錯覚した、というほどでもないが、こういう偶然は珍しい。昔、東京湾の浅瀬に逆噴射して突っ込んだ飛行機に乗っていたヒトが、翌日ニュージャパンの火事に遭って二度とも奇跡的に助かったことがあったが、ああいう偶然に近い。近くないか。。
映画はマンハッタンの日常を白黒の画像で追いかけるみたいな作り方で、その中でオトコとオンナがくっついたり離れたりする、話としてはどうでもいいような内容。ひたすら登場人物の会話の裏にある感情の起伏のようなものをカメラのアングルのおもしろさというか、絵画的な手法で切り取ってテンポよくつなぎ合わせている。技術的にはかなり高度なモノだと思いマシタ。

出演者の中では30歳の時のメリル・ストリープがカラダが全部水じゃないかというくらいみずみずしかった。犬で言えばアフガン犬みたいな感じ。同じ年にクレーマー・クレーマーにでていてそっちでアカデミー賞をとっている。
といっても字幕もない早口英語だけだったので家に帰ってあらすじを読んだら、ああこういうことだったのか的な部分がケッコウあった。レズとはまったくわからなかったし。
ニューヨークは夕暮れの遠景がきれい。ラプソディー・イン・ブルーのブルーは町のスカイラインが青く陰って行く情景のことなんだろうが、それを白黒で見せようとする発想にはヤラレタと思いマシタ。

1979年、アメリカ映画。

『YAMASHITA Yosuke @ Hanoi Opera House』

2009-12-19 01:38:36 | アート
ニッポンに戻っていたときを除くとあしたから久しぶりの土日休みなので今日なんかゴールデンウィーク前夜のようなコーフンで、そのコーフンに油を注ぐようなライブが今終わって帰ってきたところ。あの山下サンがハノイオペラハウスでベトナム国立交響楽団と共演したんだから、そりゃもうオクサン、、ホントにコーフンいたしてスまいマスタ。手足がシビレテろれつがまわらない。

今日の曲目はまず前半はオーケストラだけで、アメリカ人作曲家のLeroy Anderson(1908~1975)の作品を4品。いつも出だしはもたもたしているべト響がなんかウマく合っている。どれも初めて聞く曲だったが犬や猫の鳴き声まで入ってだんだんキモチよくなっていった。そのあとGeorge Gershwin(1898~1937)の"American in Paris"で、これはいつも通りもたもたしてくれた。それでもヨカったんじゃない、みたいな雰囲気で観光客と思しきオーベイ人はスタンディングおベィションまでして。

で、休憩があって舞台に大きなピアノが運ばれて山下サンの登場。相変わらず精悍な雰囲気が漂って何かが起こりそうな予感。
まずはDuke Ellington(1899~1974)の"Take the A train"で、サックスはハノイで唯一のジャズクラブをやっているQuyen親子+一人。コレはまあみんなあいさつ代わりでお互い様子見ながらという感じ。途中、オーケストラのメンバーがソロをやった時にはどこかの学校のブラスバンドが初めてジャズやります、みたいな、やや涼しい空気が漂った。

それでもって次がメーンイベントの"Rhapsody in Blue" by Gershwinでこれはもう山下サンの独壇場というか、ベトナム人はいつ終わるんだろう、ってな顔でキャンディの包み紙をゴソゴソむいたりしてたが、コレがジャズっていうもんだ、みたいな、コレがヤマシタだっ、ってココロの中で叫びまシタ。ホントにピアノってあんなド太い音が出るんだって思うような音をたたき出していた。オーケストラも合わせるところはウマく合わせていたし、この楽団の特徴である歌いすぎる感じが逆にヨカったんじゃないでしょうか。

で、アンコールはクリスマスソングも何曲か織り込んで、いい終末、いや週末の幕開けになったと思う。今日はオーケストラもオンナのヒトはカラフルな、そしてかなり不揃いな衣装で登場して、それでもダブルコンサートマスターのべッツィ&クリス似の二人は山下サンのピアノの影でよく見えなかったけどすごいきれいだったので来年はファンクラブに入ることに決めた。ちなみにお名前はLanちゃんとAnhちゃん。

あしたも行きたいがすでにSold out。代わりにHanoi CinematequeのWoody Allen特集に行く。
指揮はHONNA Tetsujiサン、スポンサーはYAMAHAでした。

ベトナム麺

2009-12-15 23:42:07 | ベトナム
年の瀬、とかいってもコッチはあまりそういう雰囲気はないのだが、きのうの夜はホーチミンにいて、隣のラオスで行われているサッカーの東南アジアカップの準決勝でベトナムがシンガポールに勝ったもんだから勝利の瞬間から若者たちがバイクに乗って町の中心部に繰り出して大騒ぎになった。ほとんど車が動かなくなってカテドラルの近くのレストランから20分くらいかけて、若者たちが歩道を埋め尽くしている中を歩いて帰ったが、大騒ぎといってもどうってことなかったのはたまたま勝ったからか。

そういうわけでベトナムの勝利を記念してコッチのほうでベトナム麺のコレクションを始めることにした。ブログを二つ始めるとどちらかがダメになるのが世のツネだがほかに楽しみもあまりないので1000杯のドンブリも1杯からということわざにならってゆっくり始めて行こう。
あと720日として1日1.4杯で1001杯。ココに載せた過去の麺も記録としてはリッパな記録なのであえて転載する。
では、よろチクビ。

今年の芝居ベスト3

2009-12-13 00:21:37 | 演劇
新聞ではもう今年の演劇とか今年の映画とか今年の文学とか今年の音楽とか今年の美術とか今年のビニ本とかがもう発表されていて、ゲージツってほかにもあるだろうと思いながら、、あと今年の写真集とかがあったらシノヤマさんのアレが1位に決まりだと思うがスゴイ値段が上がっていてケーサツの宣伝力ってたいしたもんだと実感。。
アサヒの演劇評はコンナ感じでもう来年は2010年かと思うとメマイがする。

外地に出征している不自由なオヂサンが見た限られた範囲でのベスト3を、また今年の記録としてだけ書く。観てないモノは当然わからないのでコレが世の中のベスト3と一致することは100%ない。

まずダントツの第1位は、世田谷パブリックシアターの『奇ッ怪』。
目の前で空間がポロっと別の世界に転換する、そういう芝居のおもしろさを完璧な形で見せてくれたような。主演の仲村トオルさんがこんな話なんですよ、って言って振り返ったとたんに冷たい空気が漂ってくるような、ホントに引き込まれるようなおもしろさ。脚本もいいし演出もうまいし、もちろん役者も並はずれた表現力で2時間があっという間に過ぎて行った。

第2位は6つあって順不同で、
イキウメの『見えざるモノの生き残り』と、
同じくイキウメの『関数ドミノ』と、
パルコ劇場の『斎藤幸子』と、
サスペンデッズの『片手の鳴る音』と、
ポツドールの『愛の渦』と、
ラッパ屋の『ブラジル』。
このうち『関数ドミノ』と『斎藤幸子』と『片手の鳴る音』と『愛の渦』が再演で、瞬間的に消えて行く演劇という芸術を、やる側からすれば再演っていったってエネルギーが半分で済むわけじゃないだろうし、むしろ初演以上に大変だろうとシロートなりに想像するが、そういう苦労を乗り越えて十二分におもしろかったとしか言いようがない。
イキウメの前川サンは3打数3安打。ラッパ屋は録画をもう5回くらい見た。

第3位は、
新国立劇場の『タトゥー』と、
モダンスイマーズの『トワイライツ』。
若干期待外れではあったのだが期待を裏切るのもダイジなことで岡田サンと蓬莱サンは、二人はお互い嫌っているようにも見えるがこれからも続けて見て行きたい。

あと残念賞はどちらも大竹しのぶサマ主演の、
東京芸術劇場+野田秀樹サマの『The Diver』と、
シアターコクーンの『桜姫』。
どちらもかなりスベった。というかジブンにおもしろくなかったからダメだみたいなそういうゴーマンな言い方はやめにしてどちらもリッパなお芝居でワタシの好みに合わなかっただけなんだろう。それぞれ源氏物語と歌舞伎がオリジナルにあってそこから現代のビョーリをウキボリにして、、みたいな似たような路線。大竹しのぶサマの、もうあのトシになったらもてあそばれたくないと思わせるような演技もあって見終わって疲れた。


ひとことで言って今年はイキウメの前川サンの芝居を見ることができたのがいちばんのワタシにとっての大発見。いやコレもコロンブスのアメリカ発見みたいでゴーマンな言い方だから、やっと前川さんの芝居にワタシが辿りついたというべきだろう。
もともとの居場所から遠く離れて、魚醤の臭いにときどきのどから何かが飛び出そうになる街でこうやって生きていながらも、見たい芝居のためにニッポンに行ってまたすぐに帰ってくる。ジブンのための番号が振られた椅子がそこにあるから。
ある日突然心臓が動くのをやめない限り来年もまたコンナ感じで、、広い世界から見ればいろんな日常があるという、ただそれだけのことなのだ。

サトウキビ

2009-12-12 00:44:43 | ベトナム
コッチのオフィスでも3時頃になるともらったお菓子とかが出てきてお茶の時間になる。お菓子がないときはグアバとかブドウとか、完全ローカルな米を固めたカミナリおこしのようなモノとか、スタッフが昼休みのついでに買ってきたものがいろいろでてきて飽きることがないのだが、きのうはコノ皮をむいた竹のようなものがビニール袋に入って勝手に食えみたいにおいてあってどうやって食べるのって事務のオンナのヒト(ヒトヅマ)に聞いたらニッポン人はそんなことも知らないのーみたいにバカにされつつ薄くスライスしてかじるんじゃ、みたいにして教えてくれた。

コレがサトウキビです。。砂糖の原料。まだ食べてない、というかかじっていないのでウマいのかどうなのかわからない。街中ではコレを絞ってジュースにして売る屋台があって専用絞り器の脇に絞ったあとの抜け殻のようなカスが山のようになっている。別にこんなモノ、ウマいとは思えないしコッチのブンカに積極的に溶け込もうなんて気はさらさらないのだが、とりあえずこういうブンカの違いに触れることは興味深いコトだという気はする。

コッチには街角で体重を測る機械を引きずりながらヒトの体重測ってお金をもらうようなヒトとか、靴磨きの少年はもう普通に街中にいるし、あとDVD売りとか空き瓶売りとかサンダル売りとかいろんなオシゴトのヒト達がいてブンカの違いを感じさせる。
それとハノイにはないのだがホーチミンシティにはきれいなオンナのヒトがアタマを洗ってくれるだけの店があって、いったいどういうものか一度入ってみたいとずっと前から考えているがなかなか入る機会がない。誰か誘ってほしい。きっとめくるめく快感がワタシを襲うだろうと妄想は膨らむばかり。