老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『ガラパコスパコス』byはえぎわ

2010-12-30 10:52:32 | 演劇
先週末にニッポンに帰ってきて早6日目。もうすぐ正月休みもおしまいだ。エラい悲観的。
でもって、コレはきのう見た芝居。きのうで終わりなのでコレを読んで今から行こうと思っても行けない。芝居はその場限りの夢のようなモノ。ビデオが出たとして、巨大画面のビデオで見てもその面白さは絶対に伝わらない。ソレくらい、その場限り的に面白かった。

この芝居の底のほうにあるのはニンゲンには限界なんてなくてコレからも進化するに違いない、という作者の信念のようなモノ。ニンゲン個人個人も、人類としても。
人類としては、むかしはニンゲンの寿命が今よりずうっと短かったわけで、30歳くらいでみんな死んでいたはずで、そこから今のように80歳以上まで生きられるようになるコトはその頃は想像もできなかっただろうと。その過程ではいろんな病気が見つかったり、それを直す方法が見つかったり、そして年をとると足腰が痛くなったり、今問題になっているような痴呆とか、この過程の中でソレを乗り越える上でのシレンのようなものとしていろんなコトがあらわれ出てくる。
個人個人も今言った痴呆とか、若者の引きこもりとか、そういうモノは何かの準備のためのモノで、それを乗り越えてニンゲンは進化していくんだと。そういう、なんというか、かなり強い楽観的な主張が感じられる。

話はある神経症的で引きこもり的な若者が、家族から見放されて介護施設でチイチイぱっぱみたいなことをさせられていて、ある日そこから外に出て行方不明になった老婆をジブンの家に引き入れて、一緒に生活をするところから始まる。その若者は数学が天才的に得意で家族から理科系に行くと期待されていたがそういう方向には進まず、ティッシュを配って生活している。だがヒトとのコミュニケーションができなくて、どんどん自分のカラに閉じこもっていく。
老婆は3歩歩くとモノを忘れるくらいで自分のウンコを食べたりする。そういうことを舞台を囲む緑色の壁や床にチョークで字や絵を書くことで表現していて実際に食べたりはしない。
周囲のヒトは、若者が老婆との生活に逃避していくのを見て、ソレを誘拐だとかギャクタイだとか言って、その若者を非難して、老婆と暮らすことをやめさせようとする。でも、若者はその痴呆で、若者のコトも実際にはまったくわかっていない老婆との、細々とした交流の中に微かな生きる道のようなものを見つけ出す。

老婆の痴呆も進化の過程であり、若者の引きこもりもおんなじ。そういうモノを日常的なありふれた、カイシャの上司の新人OL に対するセクハラとか、学校のセンセが生徒とやって子どもができた、とか、ニッポン語で話ができない若者とか、無垢な若者の過剰防衛とか、、あと、何度もバスに乗りたいのにバスが止まってくれないオンナとか、そういうアキラカに全体の話の流れに乗っからないモノの中に浮かべるように話が進む。

あるとき老婆は一人で若者の家から出て行って施設に戻る。残された若者は苦しみながらも立ち上がって服を着替える。その若者のまわりでは、全体の話には関係がないとしか思えない登場人物が全員で輪になって、ニンゲンの進化の表現としてボレロを踊る。その輪の外にいた、何度もバスに乗りたいのに乗れないオンナが最後にはカラダを張ってバスを止めると、そのバスのなかには登場人物がみんなで乗っていて、オンナはやっとそのバスに乗り込んでひとびとの中にはいる。言いたいことがややアカラサマにわかる。若者は必死になってバスに乗ろうとするがなかなか乗れない。でも何度かやって最後に乗れる。そして、みんなで歌う歌の中に入っておしまい。

作・演出はノゾエ征爾サン。2010.12.29、はえぎわ、こまばアゴラ劇場での公演。

『Life During Wartime』

2010-12-22 21:55:06 | 映画
1週間以上も前に見た映画。題名に反して戦争映画ではまったくない。戦争のせの字も出てこない。題名の意味がよくわからない。日常生活の中のニンゲン同士の関係、みたいなものが戦争のようなモノだと言いたいのかどうか、とりあえずは複雑な日常生活を描いた内容。

話のスジもよくわからなかった。最初に一人のオンナが出てきて、それがまたみるからに普通のヒトじゃなくて、ま、もちろん、ヒトを外見で判断してはいけないのだが、ニッポンにもこんなタレントがいたなあ、というようなヒト。そのヒトが黒人のオトコとレストランで注文をしようとしている。わざわざ黒人、と書く必要はないのだが書いてしまった。
あとからモノの本で調べたらソレは夫婦で、そのとき別れ話をしていたようなのだが、夫のほうがひたすらワタシが悪かった、みたいなことを言う。でも注文を取りに来たウェーターが、その夫のいい方が悪かったのか、コップの水をおブッかけて、出て行け、みたいに言う。セリフが少なく、あっても簡単な英語だったのにそのへんの話はまったく理解できなかった。

あと、ポスターにも出ている子ども。大人のオトコと子どもの自分との違いは何かとまわりの大人に聞く。それが、ヒトを許せるかどうかだ、みたいなことをいうのがいて、じゃああんた、テロリストも許せるか、みたいな話に展開してますますわからなくなる。
大江サンの核時代の想像力、みたいな意味で、テロ時代の生活、みたいなことか。テロでいつ、なんの意味もなくコロされる、そういう時代にイキていることとはどんなもんかと。夫婦関係とか、せっくすとか、マヤクとか、そういう日常を覆うようにテロ時代というのがあって、そういう雲の下でわれわれはイキテいる。そんな話か。

ま、こういう難しい映画には必ず作者が言わんとする深いテーマがあるわけで、そういうことを考えると、ソレは結局ヒトはヒトをホントに許せるか、みたいなことかなあ。裏切った夫や出て行ったツマを許せるか、テロリストを許せるか、ハンバーガー屋のウェートレスを許せるか、幼児趣味のオヤヂを許せるか、あのブッシュさえも許せるのか。そういうことを言いたかったのかと思うまでに1週間かかった。テロ時代だからこそ、ヒトはいくらでもヒトを許せるんじゃないかと、究極的な逆説。
映像的にはおもしろかった。

Todd Solondz/トッド・ソロンズ監督、2009年。

『Dvorak Night』 @Hanoi Opera House

2010-12-20 01:36:18 | アート


1000年コンサート以来のVNSO。定例コンサートではなくベトナム航空が単独のスポンサーになっているスペシャルコンサートでドボルザーク特集と言うことだったが、ワタシは特にドボルザークファンでも何でもなく、
というか、基本的にクラシックを特に好んで聞いているわけでもなく、マーラーとかは聴いてココロが動かされることもあるが、ほかにコレが特に好き、というモノはない。
ただこの日のメアテはチェロのNgo Hoang Quanと言うヒトで、なんかスゴイひとらしいとウワサで聞いたいた。
プログラムによればあのロストロポーヴィチのアシスタントだった教授にモスクワで習ったというからソレがどれくらいすごいことなのかはわからないがたいしたヒトである。今はVNSOのDirectorというから取締役か?

曲はそのQuanさんが弾いたのがチェロコンチェルト、Op104、B.191ってステキな題名が付いている。
シロート的にもなんかヨカったデス。機械的ではなく情緒的で、テクニックは当然あるにしてもソレをひけらかすように技巧的ではなく、ある意味歌いすぎているようなところもあったがソレが音楽というものでしょう、みたいな、それはこのベトナム人のオーケストラ全体にも言えることで、ケータイ電話の着信音とか、オバサン同士のおしゃべりとかを聞かされながら聴く音楽としてはソレでいいんだろうと。

もう1曲は交響曲8番。だんだんワタシがこの楽団に慣れてきたのか、それとも実際にウマくなってきたのか、どちらなのかわわからないが全然ヨカッた。聴いていてなんの違和感もないしもう少しで眠れるくらいキモチよく聴けた。

でもってプログラムと一緒に配られた来年のプログラムによると、マーラーシリーズは3月に1番「巨人」、11月に9番。ソロ系では5月には今井信子サンがスペシャルゲストのモーツァルトがあって、6月には五嶋さんちの龍ちゃんが来る。コレは見もの。バイオリンが天才的な上にハーバードで物理学を勉強してるっていうヒト。
あとは9月にヴェルディのレクイエム、12月にはニッポンみたいに第9がある。ま、それまでココにいるかどうかはわからないが、ココでイキテいるうえでの数少ない楽しみのひとつではある。

「駐在員の夜」シリーズ 第1話『メードに気を付けて』

2010-12-18 02:41:04 | 短編
カズトヨは朝起きて4枚刃のジレットで髭を剃りながら、きょう会社に行って最初に会った相手にこの話を打ち明けようとココロに決めた。何日も前から気になって、夜も眠れないほどのコトだ。もしかしたらこのままではもう生きていられない、ニッポンに帰って夢にまで見たサンマの塩焼きをもう二度と食べることができない、それくらいのコトだ。ってどれくらいかよくわからないが。
相手は誰でもよかった。むしろ誰に話すべきか決めかねていたので最初に会った誰でもいい誰かに話そうと決めたのだ。無差別告白だ。
身支度を整えて、と言ってもユニクロの靴下とユニクロの綿ズボンをはいて、あのメードがアイロンをかけたユニクロのワイシャツを着て、カズトヨは外人とベトナム人の大金持ちばかりが住む高級アパートのドアを静かに開けた。そしてエレベーターの脇にある非常階段の入口の、廊下から50cmほどへこんだところに誰かが隠れているかもしれないと思ってゆっくりと前に進んだ。エレベーターのボタンを押してから待つ間も壁に背中をぴたりと付けて左右を眼だけを動かして見ていた。

* * * * *

カズトヨは大手ゼネコンのハノイ支店で設計部門の総責任者として毎日、死ぬほどの忙しい日々を送っていた。名門W大学の大学院を出て業界トップのこの会社に入ってからは将来の本部長候補として、本社受注の、いわゆる華のあるプロジェクトばかりを任されてきた。
それが順調に行けばそろそろ執行役員か、という歳になってハノイ支店の立ち上げにかり出され、すでに2年半を不毛なニッポンでの出世競争から離れ、このi-padを持った未開人の国で働き続けてきた。
そのあたりのいきさつについてはいろいろな噂が飛び交った。いちばんありふれた話は、上司の本部長とソリが合わなくなって自分から飛び出したということだったが、もちろんそんな簡単な理由ではなかった。死にたい、と言うほどではないにしても、すべてを捨て去りたいと思うのは誰にでもあることなのだ。
とはいえニッポンびいきのこの国では、本社のネームバリューもあって業績は順調に伸び、もう半年もすれば取締役として本社に呼び戻されると誰もが思っていた矢先のことだった。
自業自得とはいえ、いつ、どこに、落とし穴があるとも限らない、共産主義監視社会ならではの罠にはまって、カズトヨは今、雲の巣に引っ掛かったハムシのようにもがいているのだ。


「エリカ、シン・チャオ、ちょっと話があるんだけど」
カズトヨはトイレから出てきたエリカを呼びとめて突然話しかけた。黒のぴっちりしたワンピースに紫のカーディガンを羽織ったエリカはびっくりして、「何よ、彼女が妊娠でもしたの」と、のけ反りながら、カズトヨの顔を覗き込んだ。のけ反った瞬間にスカートのスリットからナマ足が大胆に見えたのを、カズトヨはもちろん見逃さなかった。
エリカはM工業大を出てから親のカネでアメリカのC大学に留学して、ニッポンに戻ってコネでこの会社に就職した。親のカネとコネで生きてるような女だ。英語がペラペラなだけでデザインのセンスはまったくない。だから本社の設計部からはすぐに放り出されて、今はこのハノイ支店で通訳兼プレゼンターとして働いている。ただ本人は勘違いして、私がいなけりゃシゴトなんかとれやしない、と思い込んでいる。やっかいな女だ。

「いや、ニンジンは食べてないよ。エリカ、うちのメード、知ってるだろ。あのいつもニコニコして白い歯をむき出しにして、二十歳前のピチピチな上に極端にローライズのジーンズを履いてるもんだから、床に座ってアイロン掛けするときなんか、オケツの半分以上が丸見えになる、あのロアンちゃんのことなんだけど」
つまらぬオヤヂギャグを無視してエリカはめんどくさそうに聞き返した。
「ええ、知ってるわ、この前のホームパーティーで見かけたもの。ロアンがどうしたのよ。まさかハンケツにむらむらしてヤッちゃったんじゃないでしょうね」
いきなりの鋭い突っ込みにカズトヨは動揺を隠せなかった。
「いやいや、やってなんかないよ。いくらなんでもメードに手を出すわけないだろ」
「じゃあ何よ。手は出してないけどおチ○チ○は出したとか、お願いだからタカダ純次みたいなギャグは言わないでね。朝っぱらから」
いくらなんでも強烈すぎる。朝っぱらから、はアンタのほうだろ、なう、とカズトヨは心の中でつぶやいた。
「いや、まあ、、そんなコトはないんだけど、なんか、あの子ちょっと変なんだよね。最近引っかかるんだ」
「50過ぎのオヂサンに気があるとか」
「うーん、それは前からわかっていたけど。それとはまた違うんだ」
冗談のつもりで言ったエリカのことばが行き場を失って宙を舞った。
その空気を読んでカズトヨは急に真剣な顔をしてホンバン、いや、本題に入った。

「もしかして公安のスパイなんじゃないかと思って」
「えーーっ、なんでまた、そんなコト考えんのよ」さすがのエリカもふたたびのけ反った。
さっきより3センチは深く太ももが露出した。
「この前、部屋の机の上に開いておいた図面をじーっと覗き込んでいるところをたまたま見ちゃったんだけど、まるで目をカメラのようにして写し込んでいるようだったんだ。なんか訓練されたプロのように見えた」
カズトヨは営業チームが追っかけているニッポンの大手スーパーの出店話のことをエリカに話した。ハノイ西部の新都心のど真ん中に、ニッポンでも滅多にないような大型店舗を作る計画だ。開発に絡んで闇社会のフィクサーを通じて、裏金社会のこの国ならではの汚いカネの話が続いている。

エリカは腕を組んで身を乗り出した。胸のボタンの隙間から白のレースの付いたブラジャーと、血管の浮いた真っ白な胸の谷間がカズトヨの目に飛び込んできた。
「エリカ、きょうは夜にスペシャル営業でもあるの」
カズトヨは谷間に顔を近づけて思わず聞いてしまった。
「んあぁーー?」

エリカは少しぬるくなったコーヒーを思い切りカズトヨの股間にブッかけた。
「バカか、おマエ」
エリカはマジに怒っていた。
「いやぁ、ジョーダン、ジョーダン、マイケル・ジョーダン。でも、ロアンちゃんがスパイだったらケッコウ見せちゃいけないモノを見せちゃったかもしれないもんだから」
「そのロアンちゃん、って、そのちゃん付け、やめてくんないかなあ。アタシのコト、エリカちゃんって呼ばないくせに」
エリカは意味不明ないらだちを見せた。
「で、そもそもロアンって誰の紹介なのよ」
「いや、うちの部屋のオーナーの友達ってのが同じアパートに住んでいて、、ソコでメードとして働いているのを週に二日だけアイロン掛けと掃除に来てもらってるんだけど」
「その友達ってのが怪しいかもね。ベトナム人であのアパートに住んでるとしたら相当な金持ちよ。ダンナは裏金でブクブクに太った政府のお偉方とかなんじゃない」
「うーーん、ダンナには会ったこともないし。奥さんは美人なのは確かだけど」
今度はカズトヨの脈絡のないひと言が戻ってこないブーメランのように虚しく飛んで行った。
「そのアブナイ人にうちの情報が筒抜けってことか。だったら来年の党の人事にまで影響しかねない。ソレはやばいな」
カズトヨは他人事のように言った。話が急にでかくなりすぎて自分とは関係なく思えたが、その中心にいるのは紛れもなくカズトヨ本人だった。
「でもいくらなんでも机の上の資料見ただけじゃたいしたことないんじゃない。それともそれ以上のナニかがあったのぉ、えぇーー」
「と、とんでもハップン、それ以上の状況なんてあるわけないだろう」
カズトヨはまた明らかに動揺した。
「オンナがらみの落とし穴に引っかかるのってよくあることよね。でもそれが国家の権力争いにまでかかわっているなんて、想像もしてなかったでしょうけど。で、もう隠してもしょうがないんだから正直に言ってしまったら」
エリカが急に駐在員の悩みを聞くカウンセラーのように見えた。カズトヨはジブンが素直で正直なオヂサンに変わっていくのを感じた。
「わかんないけどケッコウしゃべっちゃったよ。ハンケツ見せながら白い歯出してニコニコするもんだから」
「で、ホントにまだ手は出してないんでしょうね」
エリカは今度は嫉妬のカケラを唇の端に浮かべながらカズトヨに聞いた。あんた、そんなことで死にたいの、みたいにして。
「いやあ、手は出してないけど、、」
エリカはそれですべてを悟った。そして憐みの表情でカズトヨを見た。
「もう、、ニッポンに帰ってサンマの塩焼きも食べられないわね。可哀そうに。ホントに可哀そうに」
「やっぱり、そんなにやばいコトしちゃったかなあ」
「よりによってメードなんかに。あんたもバカねえ。北京の大使館員の話、知ってるでしょ。あの美人スパイに引っかかって、あげくの果てにどこかに消えちゃった外交官のことよ」
「…」
カズトヨは目尻にしみ出てくる涙を手の甲でぬぐった。ソレを見てエリカは留めの一刺しを刺した。
「コレじゃホントにメードのみやげじゃないの」

御後がよろしいようで。。。テケテンテンテン、テケテンテンテン、、、

『Tha Station Agent』

2010-12-11 11:27:36 | 映画


ハノイは久しぶりに朝から雨。木の葉っぱにこびりついたホコリを洗い流すほどではなく、ドロドロにして垂れそうになるくらいの量だからよけいにキタナくなる。もっと続けて降ればブレードランナー的世界になるのだが、今は雨季じゃないし。コノ寒くてジトジトした裏ベトナム的気候が2月まで続く。

で、コレはきのうの夜に見た映画。シゴトの後の半分シゴトの続きのつまらぬ付き合いを断って見に行ったカイがあった。こういうのを見ると、映画って、、ホントにいいもんだと思ったりして。あり得ない話をホントに起きているコトのように見せてくれる。

話はアメリカの田舎町の鉄道模型屋でスタート。小さな、といってもアレは何とかという病気で身長が極端に低いオトコと、もう一人は極端に背の高いジャイアント馬場のような雰囲気のオトコがその店をやっている。ある朝大きな物音がしたかと思ったらその馬場さんのほうが床に倒れていて、突然死んでしまった、らしい。どうして倒れたとか、病院に行ったのかとか、そのあとの店の経営はどうなったのか、そういう細かな話の展開は完全に省略されていて、どうやら店は閉めて、小さなオトコのほうは鉄道の近くの、むかしは駅長室だったような廃屋に引っ越しをする。どうしてそこに引っ越せたのかとか、賃貸か、とか、そんなよけいな話はない。

そのオトコは他人との付き合いをまったくしないで朝から晩まで線路の上を歩いて、時々列車が通り過ぎるのを見たり、図書館に行って鉄道の本を借りてきて公園で読んだりしている。で、オトコの住んでいる小屋のすぐ前に車でコーヒーとかを売る若い威勢のいいオトコが毎日来て、その小さなオトコにいろいろ話しかけるが、メンドクセ、みたいな感じで日々が過ぎていく。
で、ある日オトコが道を歩いていると向こうからビジンが運転する車が来るのだが、そのビジンは携帯電話かなんかしながら極端にダコウしながら走ってきて、、オトコを跳ね飛ばしそうになる。ビジンは大げさにアイム総理、とか言うがオトコは、ま、いいからほっといてくれ、みたいにして立ち去る。
でまた別の日にオトコが歩いていると今度はコーヒーを飲みながら、それをこぼして、あららーみたいにしてまたダコウしてビジンのクルマが走ってきて同じようにはね飛ばしそうになる。このへんはお笑い。

おわびのしるしにビジンがオトコの家にウィスキーかなんか持って行くと、飲み過ぎてビジンは一晩泊ってしまう。で、オトコとクンズホグレツになるかと思うとそんなことはなく、オトコは浴槽で寝る。その結果オトコとそのビジンは親しくなってコーヒー売りのオトコも一緒になって仲良く遊んだりする。
でもって、そのビジンは2年前に小さな息子を亡くしていて夫とも別れて湖のほとりのいい家に一人で住んでいるのだが、ある日急にその別れた元夫が戻ってきてヨリを戻そうとするようなことがあってだんだんノイローゼっぽくなって、ある日、電話をしても出ないのでオトコが家に見に来たら、オマエなんかに会いたくない、みたいにワメキ散らして追い払う。ゲット・アウトの世界。
ヒトとの付き合いを避けて静かにこれまで生きてきて何の不自由もなかったオトコは、ビジンと付き合ったりコーヒー売りと一緒に飲みに行こうとしたりすることでよけいなメンドくさいモノを背負い込んでしまったと思うようになる。で、ある日コーヒー売りが会いに来た時にほっといてくれ、と言って、その後、コーヒー売りは姿を見せなくなる。

ま、そんな感じで特に大きな事件があったりするわけでもなく、ひたすら歩くオトコと、時々通る列車とが繰り返し映されるような映画。いろいろあったあとで最後はまた3人で一緒にテレビを見ている場面で終わる。早いはなし、ニンゲン関係の映画。
ヒトとの出会い、タイセツにしたいデスね、とか、ソレはナカマです、、みたいな薄ら寒いセカイじゃなくて、もっとドロドロしていてメンドくさくていろんな種類のコドクとかがあって、山あり谷ありでミソもクソもある、まあそっちのほうが普通のセカイだと思うが、そういうサワヤカじゃないところの薄い油の膜のようなニンゲン関係をおもしろく見せてくれた、かなと。

監督はThomas McCarthy。ビジン役は名女優Patricia Clarkson。同世代。キレイな背中を見せてくれる。2003年アメリカ映画。
詳しくはコッチで。

『1000人の交響曲』

2010-12-08 11:23:08 | ベトナム
前に書いたベトナム国立交響楽団の、ハノイ建都1000年記念コンサートの、その開催までの長い道のりを、実にNHK的にドキュメンタリーにしたモノが、いよいよあさって、12/10の夜に放送されマス。

ま、NHK、ワタシ、嫌いじゃないんで宣伝しました。

12/10(金)BS-hi 20:00~
ハイビジョン特集『響け 千人の交響曲~ベトナム国立交響楽団の挑戦~』

見てね。
カメラの前でしぇーのポーズしているオヂサンが映ったら、ソレはワタシかもしれない。

『Winter's Bone』

2010-12-06 20:18:52 | 映画


ハノイの街はどこもかしこもクリスマスの飾り付けが始まっている。ニッポンと同じように90%以上は仏教徒だから宗教的な意味合いはほとんどなく、単に年末のオマツリとして経済的にも盛り上げていこう、みたいなところ。まあ、しょうがない。

土曜の夜にそういうウスら賑やかな街に出て久々に映画を見た。週末のココロ休まるひと時にふさわしい、ド暗い映画。今年のSundance映画祭、審査員グランプリ受賞作だってさ。あらかじめ話のスジは読んでいったもののアメリカ人の田舎英語の発音がいいかげん過ぎて30%くらいしか理解できなかった。で、ソノ中身は。。

若い女が小さな弟と妹と山奥の小屋のようなところで暮らしている。父親は死んだのかどうか、行方不明で、母親は別のオトコと住んでいる。たぶん。生活は貧しく鳥を鉄砲で撃ったり、朝はジャガイモだけだったり。若い女は最後の頃になってやっと17歳だということが分かる。けっこうフケて見える。
小さな弟たちは父親に会いたがっているが若い女はそんなこと言ったらメシ抜きだぞ、みたいに言う。途中のなんか複雑なニンゲン関係がまったく理解できなかったが、だんだん若い女が父親探しをするようになる。と思ったのもつかの間、母親?の新しいオトコ?が怪しげな一派を率いていて、その集団につかまってコテンパンにやられる。たぶん父親を探してはいけないってコト。

ところがそれでもコリずにそういうアブないところに突っ込んでいく若い女。そうこうしているうちに母親と微かな和解の芽が生まれ始めて、、このへんは雰囲気でよくわかったのだが、その母親が娘=若い女を父親のところに連れていくと言う。骨を拾いに行こうって言って。タイトルにからむ場面。
夜中に懐中電灯を持って行ったのは沼みたいなところ。ボートが怪しげな場所に止まったかと思ったら、その水の中に手を突っ込んでみろと母親はいう。ととととと、、、。

あとは猟奇映画も真っツ青なチェーンソーのシーンで、指紋鑑定かなんかするのか、左じゃなくて右よ、みたいなブラックな場面もあって、ソノ切り取ったモノをコンビニの袋に入れて警察に持って行って、その結果がどうだったのかはよくわからない。
最後はその若い女に最初は敵対的だった、マヤク中毒の、父親の兄弟?=オヂサンってことかどうかわからないが、そのオヂサンともココロがつながって、オヂサンがバンジョーを軽く弾きならして静かな風のなかを帰っていく。で、そのバンジョーを小さな妹が手に抱えてボロンっと鳴らしたところでいろいろ暗示的におしまい。

ま、なかなかいい映画デス。鳥の羽をむしって内臓をつまみだすあたりは見れたがチェーンソーのところは目をつぶりマシた。そういう、一皮むくととんでもなくアヤしい世界がある、ということを見せつつ、アメリカの山奥の貧しい生活の中で、若い女とその弟妹がたくましく成長していきマシた、みたいな比較的健全な内容でシタね。

監督はDebra Granik、若い女役はJennifer Lawrence。
今月はアメリカ・インディペンデント特集なのでまた行くかも。Hanoi Cinematheque。