老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『アジアの女』

2008-12-31 12:20:40 | 演劇
自分の身に降りかかる大きな変化といって予想していたのはガンになるかとか、ウツ病になるかとかの病気系か、会社がツブれて住宅ローンが返せなくなって自己破産して路上生活みたいな自己破滅系かのどちらかだったので、来年に起こる変化は想定外だった。東南アジアの某所に単身不妊、じゃなくて赴任して現地人雇って会社を経営して、、儲かれば年収1憶くらいもらって、プール付きの豪邸買って、運転手とメードを雇って、、みたいな。途中からは妄想。
だから芝居もナマではあまり見れなくなるのでテレビでがまんしなければならないのだが、芝居をテレビで見るとナマミのニンゲンが目の前で演じることによってのみ生み出される、超現実ドラマ的なものが同時進行的に表れては消える、そういう直接体験的なおもしろさが味わえなくて本当に芝居を見た気になることはほとんどなくて、この前NHKでやっていたコレなんかも、アサヒの劇評で今年のNo1とか書かれていたのに全然おもしろいとは思えなかった。セリフをしゃべっている役者しか映さないカメラがなんとももどかしくて。もちろん感じ方はヒトそれぞれだからそれがその作品の価値を下げることにはならないのだが。
で、コレも先週NHKで放送されてDVDにとってあって、昨日ひまだったので見てみようかということでやっと見たら珍しくおもしろいと思った。劇団阿佐ヶ谷スパイダースを率いる長塚圭史サンの2006年の作品。本人は9月からロンドンに留学中だそうで、彼も単身不妊かと。。

作品のほうは東京で大地震が起こった後の無法地帯みたいな状況の中で、地震で瓦礫に埋もれた、すでに死んでいるであろう父親に、配給される毎日のわずかな食べ物を穴から地面の中に下ろしていく女を中心に進んでいく。その兄の編集者かなんかをやっていたであろう男は、心を病んだ妹を気遣いながら死んでいる父親の埋まった場所から出て行かずに、余震が起こればすぐに崩れてしまうような半壊状態の家に住みながら妹の回復を待つ。そこにエロ小説を愛読する妹に恋した警官とか、編集者であった男が世話した文章の書けない小説家があらわれて日常の人間のイトナミが繰り広げられる。
そこにボランティアの仕切り役、みたいな、今の世の中のどこにでもいそうな外見はいい人ふうで、実際はウサン臭い女が登場して妹にシゴトを紹介する。それははっきりとは言われないがオトコに体を売るような商売でそれによって食べ物や、兄やダメな小説家がほしがっている酒やたばこが手に入る。ココロを病んでいた女は同時にその大地震後の混乱の中で苦しんでいたチュウゴク人かカンコク人かの男に出会いそれによって回復していくが、、自由になって出て行った外の世界で女はたぶん殺されてしまう。話はそれでおしまいで何かがどうかなってメデタシメデタシみたいな結末っぽいものはない。殺されたのも、たぶん、って感じで、女の商売のことなんかも含めて話が具体的に表現されないことがこの芝居のリアリティを高めている。

舞台は普通の舞台の後ろ側にも観客が座って真ん中に道が通っている。その奥のほうは暗くなっていて、そこに自由な世界、というか、外の混沌とした社会が広がっているかのように思わせる。大地震の後の混乱した世の中を舞台にしてはいるが、問題にしているのは、一度壊れたニンゲンの精神が回復していくきっかけみたいなものがこんなところにあるのかどうか、そういうのをなにか控え目に示している。最後に、女が種をまいて水をやっていた瓦礫の山の中から緑の葉っぱが芽を出す。作者はいろんなことを暗示しようとしている。
妹役の富田靖子と兄役の近藤芳正がじつにいい組み合わせで、そこに割り込んできた感じのダメ小説家役が演出家でもある岩松了。テレビでも見れるのは場面がシンプルでカメラがあっちに行ったりこっちに行ったりしなかったからからか?
2006年、新国立劇場での作品。

チャ・カ・ラ・ボン

2008-12-26 12:57:00 | ベトナム
これはガイドブックには必ず載っているハノイでは有名なお店で、ベトナム人に店を選ばせるとニッポン人が喜ぶと思ってここをしばしば選ぶのだが、、ハッキリ言ってかなり独特な味。っていうかコレをうまいというニッポン人はよっぽど普段から変わったモノを食べているか、味覚が普通じゃないかのどっちかだ。

メニューはコレ1種類で席に座ると油がグツグツ煮えた中に魚の白身と内臓が入った鍋が出てくる。一緒に葉っぱ系が皿に山盛りになったのと各種のタレがテーブルに並べられる。中でも一番異様な芳香を放っているのが茶色いどろどろ状態の物体で、後から聞いたらエビの内臓をつぶして発酵させたモノらしく、一緒に口に詰め込んだパクチーがさわやかに感じられるほど強烈。もう、眉毛が抜けそうな味。
それに米の麺、ブンがわんこそばみたいに次から次にでてきてお椀の中で混ぜ合わせて食べる。

それでも一気にワタシは食べました。食は文化。その深みの底に民族の歴史や文明の年輪が刻まれているから。
それにカラダにはいいのかもしれないし。少しは元気が出るかと期待しながら、その深夜の飛行機の中では目ががんがんに覚めてまったく眠れなかった。

ラオスの田舎町で

2008-12-24 21:02:51 | 旅行
今回ラオスに行ったのはひとつ仕事が終わってその確認のためで、それはいわゆる「ムショー」と呼ばれるニッポン国民の税金で貧しい国に病院などを建てて、そこのひとを助けようという制度のもとでのプロジェクトのひとつなのだが、何日か前の新聞に日本の援助が先進国の中でアメリカと並んで国民総所得に対する比率が最下位になるという記事がのっていた。トップの北欧諸国に比べると1/5しかないたったの2%弱で、しかも来年度予算ではさらに減少して10年連続マイナスだってよ。

いったい誰がこんなふうにしたのかというとそれはジミン党政権を支えているマスコミやら宗教団体やらボディコン、じゃなくてネオコンの皆サマであって、コクミンはコクミンでテレビのオチャラケ慈善番組かなんかで携帯電話からボタン押すだけで100円寄付しました、みたいなことで偽善心を満足させている。どこかの国に学校を建てましょう、とか、テレビでやればすぐに金が集まって番組が一本できてスポンサーも集まるという、日テレあたりが得意とする分野だが、本来マスコミがやるべきなのはそういうお祭り的に大騒ぎして、どこかのホンの一点に光を当てることじゃなくて、親の七光りで代々議員をやってる無能な人たちが、選挙に影響がなくて手っ取り早く減らせるというので援助の予算をどんどん減らしてきたことの、それによってわれわれコクミンが将来、世界の中で長期的に受ける不利益みたいなものを明らかにすることなんじゃないのか。

で、こういうムショーにも問題点があるのはよく言われていることで、ニッポンのやり方は結局はモノをつくってあげるというのが基本で、ニッポンのゼネコンが請け負って、もちろん現地の労働者にはお金は回っていくが、全部現地でやれば3つできるところを、やっぱり経費が高くついて1つしかできないというようなこと。日本政府の言い分は国民の税金が無駄にならないようモノの質を確保するためにそういうことが必要だと。。
一方、オーストラリアやヨーロッパの援助はお金だけ渡してそれがどう使われるかを監視するようなやり方で、監視がしっかりできれば質もある程度は確保できるし、まあ手離れがよくてそういうやり方もありかな、と。ただもらうほうはどっちがいいんだか。小遣いもらって細かく使い道を報告しなきゃいけないようなのもツライと思うんだが。

それはそれとしてこういうのを実際現地で作るニッポン人の人たちの苦労には、世の中を斜めからしか見れないこんなワタシでさえアタマが下がる。蚊に刺されるだけで死に至る病気もあるし食べ物も限られている。トイレなんかほんとにニッポンのオバハンなんかが見たら気絶するようなのしかない。
いろいろ制度上の問題はあるが実際でき上がったものは確実にそこの人たちの役に立っている。テレビがつくるバブリーな慈善ではなく、こういう地道なひとつひとつの積み重ねにこそ光が当てられなければならないんじゃないのかな。
家で寝っコロがってケータイでボタンを押して100円寄付するようなことに満足できない若い人たちは、実際の現場にどんどん出て行くべき。国連とか、ニッポンの青年協力隊とか、いくらでも道はあるし。
その前にセンキョであの無能な政権を終わらせないといけないんだけどね。



ラオス~タイ国境

2008-12-23 10:33:50 | 旅行
ラオスのビエンチャンへはハノイから飛行機で1時間、東京と大阪くらいの距離だが空港を出ると雰囲気は全然違う。ハノイではバイクと車がお互いに譲らずクラクションを鳴らしあって、そのすきまを人がくぐり抜けていく感じで、歩くだけでかなりの緊張を強いられる。特に旧市街は道幅も狭く、町中がアメ横か渋谷のセンター街みたいな雰囲気でいるだけで疲れる。
それに対しビエンチャンは首都とは言っても人も車も少なく空気も澄んでいる。道幅も広くて緑も多いし、、クラクションなんか鳴らしたら何か起こったのかとみんなが振り返りそうな感じ。人の表情も穏やかでのんびりしている。

まるでジュール・ヴェルヌのSFに出てくるいい国と悪い国みたいで、金儲けするなら悪い国のほうに行かないといけなくて、それでも儲かれば儲かるほどそこでは結局何のために生きているのかわからないような生活を送るようになっていく。まあ、臭い作り話だ。
とはいっても東京に比べたらまだまだハノイはニンゲン的な感じはする。カエルとかタニシとか、そこらへんでつかまえてきたのを道端で食べてるくらいだから。食の安全とか、ブラックボックスの中身まで確かめないと生きていけないような行き詰った感じはない。

だからこのビエンチャンはまったく天国のようなところで、その空気にしばらくひたっていたいと思いながらもそれはまたいつか後にして、目的地に向かうために一度タイに入ってまたラオスに入って、、国境線を何度も行き来した。
国境のゲートとか、普通写真に撮ったりしてはいけないんだろうと思っていたがここはまったくのんびりしていて、車の通関手続きに時間がかかっている間、ニンゲンは歩いて行ったり来たりできる。トイレがラオス側にしか見つからなかったから。
まずラオス側の国境で出国手続きをしてゲートを過ぎると中間地帯みたいなのがあって、車は時速20キロくらいで走る。で、500mくらいで今度はタイ側のゲートがあってそこで入国手続きをしてゲートを通る。まあ、こういうのも一つのケジメ、というか、ニンゲンが生きていく上で必要なことなんだろう。

タイに入ると道が急によくなる。道は国家ナリ、っていうのはある意味事実だ。

ブン・チャー

2008-12-18 04:03:44 | ベトナム
ブンとは米で作った麺のことでビーフンと基本的には同じもの。このブン・チャーはベトナム北部の料理でフォーが汁麺であるのに対し、こっちはつけ麺と考えれば簡単。生温いつゆの中には大根かカブのようなものをスライスしたのと、豚肉やたぶん鰯のような魚を葉っぱで包んで真っ黒焦げに焼いたのが入っている。味はあっさりした甘みとしょっぱさが混じった微妙な感じで例の魚醤が入っているかも。なかなかイケます。

ベトナムの人は朝はフォーを食べて昼にブン・チャーを食べる。朝も昼も道端の店先に並んだ小さなプラスチックの椅子に座って食べるので夜は家で食べるのかと思うと夜も同じように座り込んでビール飲みながらなんか食べている。気楽でいい。
こっちはドブに捨てるようにしか使われない税金をせっせと納めた上に、住宅ローンとか教育費とかにどんどん吸い取られているのに、、ココではきっとそんなこともないし会社の上司のパワハラなんかもないだろうし、、繁栄したニッポンではみんなが負の連帯に縛られて苦しみながら生きている。苦しみを分かち合うことで組織が成り立っている。っていうか、それでしかつながっていない。みんなマゾなのだ。
そういうSM的人間関係を受け入れることでわずかばかりの分け前をもらって生きていく行き方もあるが、果たして一回きりのジンセイ、それでいいのか、と思いながら、いろいろあって眠れないハノイの夜は過ぎていく。。

バナナフィッシュ

2008-12-17 12:19:19 | ベトナム
ベトナム人には極端な肥満はいなくて、特に女の子はだいたいみんなスリムでウェストがキュって引き締まってる。昔は太るとアオザイが着られなくなるって言われて、家で厳しくダイエットさせられていたらしいが、今では普通の職業のヒトはアオザイを着ることもないからそんなことを気にすることもないのだろうが、やっぱり食生活があまり昔と変わらないから体型も変わらないってことだと思う。

一番の違いは乳製品をほとんど食べないことでバター系のソースで食べる食べ物はほとんどない。ハンバーガーみたいなファストフードもほとんどないがケンタッキーとロッテリアはある。マックみたいなのが入ってきたら一気に体型が変わっていくのはニッポンのこの30年間の変化を見れば明らかで、ぜひともそれは避けてもらいたい。それは結果的に生活習慣病と称する高血圧や肥満が原因の心臓病や脳血管障害などの増加を防ぐことにつながるわけだから、いつかベトナムの偉いヒトに会ったらぜひ伝えたいことだ。

で、昨日はきのこを土鍋に何種類も入れて食べる鍋料理屋に行った。これも最後のほうは具がぐつぐつに煮えてどろどろ状態にはなるが、味のほうはあっさりしたもので、肉もBLACK CHICKEN(黒鶏?カラス?!?)とか、蛙!!とか、蝦とか。ウサギもあったがあの赤い目が目に浮かんで食べなかった。蛙は柔らかい鶏肉のような感じで、まあまあ。ただ皮をはがされた状態で皿に乗って出てくる姿は血がにじんでいて痛々しい、というか、生々しい。
ずいぶん食べたが胃にもたれることもなく今朝もサワヤカ。

写真はそれとはまったく関係なくおととい北のほうの田舎町で食べたお魚料理。一緒に行ったベトナム人がバナナの形をしているからバナナフィッシュと呼んでいた。鯉のような川の魚で、油で揚げた上にいろんな香草をふりかけて、たぶんオーブンで焼いてでてくる。店には大きな水槽があって、かなりグロテスクな生き物も中にいるが、コレ、みたいな感じで選んで食べる。非常に淡白な味でオイシューございました。

そんなわけで食べ物の話ばっかり。

ハノイの巻き貝

2008-12-14 23:09:35 | ベトナム
この前来たのは3週間とちょっと前で、そのときは金曜の朝に帰ってそのまま会社に行って、たしか日曜日は休んで、そのあと今日まで休みなしで働いて、今回はその結果をもってきた。最後のほうは徹夜なんかして、きのうも寝たのは11時過ぎで今朝6時前に起きて出てきたから疲れが簡単には取れないくらいたまりまくっている。飛行機の中でスッチーのアオザイ観ながらワイン3杯も飲んだら、ホテルに着いてから頭が奥のほうでヅキヅキして後悔先に立たず。晩飯のビールは控え目にしておこう、というのは飲む前の決意でしかなかった。

で、結局またたくさん飲んで、なんでそんなに飲むのかといえばそれは酒のちからを借りて忘れたいこととか、麻痺させたい部分とかがあって、そうしないと眠いのに眠れないという、、キレイなオネーさんがいるのに見ているだけ、みたいな、ジレンマというか、最悪の状態に落ち込んでしまう。
まあそんなことはどうでもよくて、今日食べたのは貝ばっかり3種類。ハマグリみたいなのは辛いスープに浸ってなかなか美味ほかの2つはどちらも殻ごと焼いたもので一つは小さめの2枚貝であけると佃煮みたいな貝がお汁と一緒に飛び出てくる。要はどろどろ状態ってこと。唐辛子の入ったタレをつけて食べる。まあまあ。
で、もうひとつがコレ。巻き貝。となりの若い女の子たちが明らかにタニシを食べていたから、それと比較するとタニシではない。実はやや硬くて、奥のほうはニョロニョロのがうまく引き出すとついてくるが失敗すると途中でキレる。こっちは塩に柑橘系の果実の汁をたらしたものをつけて食べる。これもまあまあ。1キロを3皿だから合計3キロを二人で食べた。
なんとなく物足りなくて帰りにフォーを一杯。これはかなりうまかった。

今回はハノイに3日いて、そのあとラオスのビエンチャンに行って、そこから車で6時間かけて山の中の集落に行って愛想振りまいてくるって仕事もある。
道路がキレイに舗装されていますように、ご飯が蛇とか蜘蛛とか木の根っことかじゃなくて、ちゃんとしたものでありますように、おなかが痛くなりませんように、ホテルのベッドの中に毒虫とかがいませんように、ゲリラのかたがたがワタシ達を襲いませんように、空港で1週間とか足止めされませんように、、。
神様にお祈りすることがたくさんあって書ききれない。

徹夜

2008-12-13 04:27:00 | 風景
10年ぶりくらいに徹夜している。昨日も4時間くらいしか寝てないからもうフラフラなんだが、なんというか一世一代の大勝負というか、相当なプレッシャーかけられていて寝たくても寝られない。新入社員のYくんと一緒でコッチは一応カンリ職だからカレを管理しないといけない。だからよけい先には寝れない。
もう少し経験を積んだのが一緒なら、あとはまかせてください、とか言ってくれて先に帰ることもできるのだが。とかいいながらもうすぐ始発の時間で帰る支度している。


虚飾症

2008-12-09 23:47:51 | 風景
ジブンが気に入らないというだけで目に見えるものを目障りだというほどワタシはゴーマンな人間ではないつもりだが、さすがに毎年この季節、家の外壁から窓から何から何までチカチカ光るパチンコ屋の店先のような電飾には目障りというコトバしか浮かばない。
クリスマスがキリスト教の行事だからとか、そんなことを言うつもりはない。ただ美しくないから、というわけでもない。ああいうみんながやるから的な自己主張、というか、普段は政治的なこととか日常的なこととかでも、あるできあがった集団の中で異なったことを言ったりやったりすることを徹底的に排除している社会。会社とか教室とかマンションの管理組合とかを思い浮かべればいいのだが、そういう社会の中でアレが微笑ましいコトとして認知されてしまっていることをいいことに、普段はしてはならないことになっている自己主張をああいう限られたルールの中でやることに満足しているような、飼い慣らされた自己、みたいなものを恥ずかしげもなく見せつけられるのが不快だ。

それとオトーさんが一生懸命やりましたみたいなのが痛いほど感じられる飾り付けには、子どもにコビを売って家庭の平和を守ろうとするチチ親の苦しさみたいなのが垣間見られ痛々しささえ漂っている。その壁の向こうには家庭内暴力とか、引きこもりとか、はたまた登校拒否とかキョショク症とか、親と子の暗い闇が広がっているようで、それを取り繕うタノシイクリスマスの演出にしか見えない。
まあ実際はそんな深刻なのは少ないのだろうが、何か他人の家庭の見たくないイヤなものを見せつけられるようで、、公共の場でのケータイ電話の通話が、うるさいから不快なのではなく、聞きたくない他人のプライバシーを無理やり聞かされるから不快なのだというのとまったく同じコトであることに気付いたりして。

12月が終わって、1月もだらだら過ぎて、2月の初め頃にやっと片付けるその時に、ガンバッタオトーさんはムナシサに打ちひしがれる。ああ今年もか、と。そうならないためにははじめからあんなことはやらないのが一番。早くそのことに気付く人が増えて欲しい。



今年の芝居ベスト5、つづきのつづき

2008-12-07 11:02:00 | 演劇
こんな風にぶちぶちに分けて書くのはケータイの場合の字数制限があるからで、別にヘタなテレビ番組みたいに先に引っ張っているワケじゃない。とはいいながら第1位の前に番外編を二つ。
一つはチェルフィッチュの「フリータイム」。横トリで並んで見た甲斐があった、というか、もはやコレは現代演劇の定番。
もう一つは本谷有希子サンの「幸せ最高ありがとうマジで!」。今の世の中、精神病は重要な文学的テーマなわけで、そういう方向にこのまま突っ込んでいってこの人大丈夫かというのはよけいなお世話。

でやっとの第1位は新国立劇場での「まほろば」。蓬莱竜太サンの脚本が実におもしろい。まほろばについて芝居を書こうとしてよくこういう話が出てくるもんだ、っていうか、こういう話にまほろばって題を思いつくのがすごいところだ。題名って大事。
蓬莱サン率いるモダンスイマーズは来年2月に新作「トワイライツ」を吉祥寺シアターでやるのでコレは必見。

このほかに新国立で観れなかった「焼肉ドラゴン」が来週土曜にNHKハイビジョンでやるし、1月にはラッパ屋の待望の新作が紀伊國屋ホールで上演される。題して「ブラジル」。期待は高まるばかり。