オトコにとって妻の家族とはビミョーな存在である。当然ながら真っ赤な他人なのに、ジブンの親が死んだりすると、通夜のドサクサにまぎれて、今日からワタシのことを父親だと思ってくれ、、みたいな、落とし穴のような状況が口をあけて待っている。ツマが長女の長女だったりすると、女子大生の従妹がいて、突然オニイサンなんて呼ばれたり、そういう時は思わずほおが緩むが、まったく未知の他人に馴れ馴れしくされるのは基本的にはキモチのいいもんじゃない。
だからこの芝居のパンフを見たとき、世の中のオトコはみんな同じような境遇で、そういうところでうまく生きていくにはどうすればいいか、そういう芝居かと思った。
ラッパ屋は以前から個人的なつながりもあって見たいと思っていたのだが、20年目にして初めて見た。以前は「サラリーマン新劇・喇叭屋」を名乗っていたが、いつの頃からか単に「ラッパ屋」になった。とはいえ、芝居の傾向が一般庶民の日常生活の隠れた部分の可笑しさのようなものを描いている点はずっと変わりがない。演出家の人柄なのだ。
今回のこの芝居は、いろんな失敗や悩みを妻や夫に隠して抱え込んでいる家族のひとりひとりが、新しくその家族に入ってきた末娘の夫である男の言動をきっかけに、家族としてのつながりを取り戻していくという、実にカンドウ的な情景を描きながら、それをドリフターズもびっくりのドタバタ喜劇の中で、その根本的なところで、ニッポン社会の無意味な競争の行き着く果てをわらい捨てるようなところがあって、その辺が一番おもしろかった。
世の中には失敗をしてもまわりが取り繕ってくれたり、犠牲になって死んでくれたりして、ジブンに責任が飛んでこないようになっている人たちの集団がある。役人社会とか、子会社や孫会社をドレイのようにつなぎとめている大企業とか。ミノモンタのように、死者にムチ打つように、失敗をした企業を責め立てて喜ぶような勘違いニンゲンもその仲間だ。
一方で、他人の失敗まで背負い込んで、日々、針のムシロの上を這いつくばるようにして生きていて、自動販売機のお釣りが10円余計に出たくらいの幸せを喜ぶしかない人もいる。クルシイが仕方のない生き方だ。
で、作者はコッチの側の人たちを優しく描いている。仕方ないのは前世がヒトバシラだったからに違いない。あるいは神経細胞の揺らぎがいつも悪いほうにしか揺らがないのかもしれない、として。実際、その程度の差でしかなくて、それでもって死ねばみんな灰にしかならないというわけだ。
俳優は全部で12人。木村靖司や、弘中麻紀、福本伸一など、うまくて飽きさせない。
それにしても久しぶりに腹がよじれるくらい笑って、瞬間的だが、生きるキボウすら感じた。
脚本・演出 鈴木聡
3/29、紀伊国屋ホールにて。この後、1回だけだが大阪公演もある。
だからこの芝居のパンフを見たとき、世の中のオトコはみんな同じような境遇で、そういうところでうまく生きていくにはどうすればいいか、そういう芝居かと思った。
ラッパ屋は以前から個人的なつながりもあって見たいと思っていたのだが、20年目にして初めて見た。以前は「サラリーマン新劇・喇叭屋」を名乗っていたが、いつの頃からか単に「ラッパ屋」になった。とはいえ、芝居の傾向が一般庶民の日常生活の隠れた部分の可笑しさのようなものを描いている点はずっと変わりがない。演出家の人柄なのだ。
今回のこの芝居は、いろんな失敗や悩みを妻や夫に隠して抱え込んでいる家族のひとりひとりが、新しくその家族に入ってきた末娘の夫である男の言動をきっかけに、家族としてのつながりを取り戻していくという、実にカンドウ的な情景を描きながら、それをドリフターズもびっくりのドタバタ喜劇の中で、その根本的なところで、ニッポン社会の無意味な競争の行き着く果てをわらい捨てるようなところがあって、その辺が一番おもしろかった。
世の中には失敗をしてもまわりが取り繕ってくれたり、犠牲になって死んでくれたりして、ジブンに責任が飛んでこないようになっている人たちの集団がある。役人社会とか、子会社や孫会社をドレイのようにつなぎとめている大企業とか。ミノモンタのように、死者にムチ打つように、失敗をした企業を責め立てて喜ぶような勘違いニンゲンもその仲間だ。
一方で、他人の失敗まで背負い込んで、日々、針のムシロの上を這いつくばるようにして生きていて、自動販売機のお釣りが10円余計に出たくらいの幸せを喜ぶしかない人もいる。クルシイが仕方のない生き方だ。
で、作者はコッチの側の人たちを優しく描いている。仕方ないのは前世がヒトバシラだったからに違いない。あるいは神経細胞の揺らぎがいつも悪いほうにしか揺らがないのかもしれない、として。実際、その程度の差でしかなくて、それでもって死ねばみんな灰にしかならないというわけだ。
俳優は全部で12人。木村靖司や、弘中麻紀、福本伸一など、うまくて飽きさせない。
それにしても久しぶりに腹がよじれるくらい笑って、瞬間的だが、生きるキボウすら感じた。
脚本・演出 鈴木聡
3/29、紀伊国屋ホールにて。この後、1回だけだが大阪公演もある。