老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

パエリア

2008-06-30 07:36:27 | 料理
昨日の晩ご飯。ウチにはなぜかパエリア鍋があって、スペインじゃコノ鍋のことをパエリアって言うらしい。ニッポン人が今晩は鍋、みたいに言うのとおんなじ。

作り方は
)熱した鍋にオリーブオイルを入れて細かく切ったニンニク2かけ、玉ねぎ1/2個、ピーマン1個を炒める。
)鍋の外周部に野菜類はよけといて、中心部で鶏肉6切れを炒め、黒胡椒をふる。
)でまた鍋の外周部によけて今度はトマト1個の細かく切ったのを炒めサフラン、ローリエなんぞを加える。
)そこに米1.5合を入れ、マギーブイヨン2個を湯3カップに溶かしておいたのを少しずつ入れ、一緒にエビ、タコ、アサリ、ホタテ、椎茸を食べたいだけ入れ塩で味をつける。イカがあればイカだが、今日はタコにしてみた。
)頃合を見ながら弱火にして米の芯がなくなるまで約30分炊く。
)具をきれいに並べ直してパプリカなんぞも並べて水気がなくなってきたら火を止めてふたをして蒸らす。
)レモンをふちにきれいに並べて完成っ。

タコや椎茸入れたのは個人的な気分で、どんなふうにしてもパエリアのようなものにはなる。結果的には椎茸とホタテのダシが効いて昨日買った白ワインにはケッコウ合った。
エビは初めに茹でておいて最後に並べるくらいのほうがいいかも。火を通しすぎると硬くなるので。

『瓶詰めのナポレオン』 野田秀樹

2008-06-29 15:19:34 | 文学
昨日は飲みすぎた。関内で見つけたイタリア食材屋で赤白ワインを1本ずつ買って、ミラノサラミなる直径6cmくらいの燻製肉の薄切りをつまみに夕方から飲み始めて、気が付いたら1本飲み終わってそのあとはよく覚えていない。でなんとなくドアのインタホンがなったような気がして、出たらムスコが帰ってきたようなのでまた寝込んで、気が付いたらムスコが作った晩メシができていて、メンチカツ3個食べたと思ったらまた寝込んで、またまた気が付いたらツマが帰ってきて、ちゃんと寝なさいと言われて布団に入って寝たような。今朝起きたら8時半でツマとムスコはもう出かけていた。全部マボロシかもしれないが。
そんなに飲んで何かツライことでもあるのかと聞かれればそりゃああるに決まっている。ありすぎて書く気にもならないくらい。でも飲むと気持ち悪くなるのが一番ツライ。

ここしばらく本を読む気がなかなか起きなくて、そういうのも日頃のストレスと関係があるはずで、逆に本を読むのも現実逃避で少しは楽になるかもしれないと思って読んだのがコレ。
野田秀樹サンを最初に知ったのは学生の頃、深夜ラジオでチッタカタッターチッタカタッタータカタカタッターッターーーって自分でファンファーレ歌いながら出てきて他にどんなことしゃべったかは覚えていないが朗読コーナーみたいなのがあってボルヘスだかマルケスだかの一節を読んだのを今でも覚えている。
子どもの頃に狼にさらわれた男が大人になって家に戻ってきて、家に戻った瞬間に何かが記憶の底から浮かび上がってきて、家の隅のほうで何か物を探し始めたと思ったら子どもの頃に隠しておいたナニかが出てきて、、その記憶が蘇った瞬間にその男の中で何が起きたのか、ワタシは知りたいみたいな話。映画のラストエンペラーでも同じようなシーンがあったような。王の座から追われた男が夜中に宮殿に忍び込んで王の椅子のウラのほうに隠しておいたナニかを探し出してニタっと笑う。ちょっとニュアンスは違うが。

そういう時間と空間のズレの中を飛び回るようにあっちに行ったりこっちに行ったりするような感覚はなんとなく快感に近いものがあって、コノ戯曲にも水がビンの中で化けて酒になるそういう時間の中をHGウェルズ、ハードゲイウェルズじゃなくて、、がでてきたり、仁吉とお菊がでてきたりして、トツキ10日で子どもが出てくるあたりのことを漂わせながら、、、、ハッキリ言って話の筋はようわからん。まったくわからん。劇場で見れば勢いでわかるんだろうが。

とはいえ最近の野田サンはどんな感じかよく知らないのでコレを見たいような気もするが英語だってゆうのが。どんどん難しくなっていくような。。釜の中から伊藤蘭がでてきて快刀乱麻、かイトウランま、か伊藤蘭ま、、みたいなわかりやすさが今となっては懐かしい。

新潮文庫版、1988年刊。

丹後・とり松のばらずし

2008-06-28 08:26:32 | 料理
今週、来週は出張強化WEEK。2週間で飛行機に10回乗る。
まず今週は月曜に大阪に行ってその足で火曜日は福岡。で最終便で帰ったと思ったら水曜の昼だけ東京にいて、夜からまた福岡に行って木曜も最終便で帰ってきて金曜1日東京。
来週も同じようなもん。つまらぬ出張ジマンだ。
何の役にも立たない、というか、じゃまにしかならないボケ上司と一緒だったのは月曜だけというのが不幸中のサイワイ。やっぱ、出張は一人に限る。ムダ酒飲むこともないし。

で楽しみは晩メシ。といってもワタシの最近の流れはデパ地下でうまそうな寿司買ってホテルか飛行機の中で食べる。ワビシクなんかない。一人の時間をじゃまされないのが一番だいじ。
コレは火曜の夜に食べた五目寿司みたいなもの。大阪の千里ニュータウンの駅前のデパートで調達した。京都の丹後・網野に古くから伝わる名物で、やや甘く味付けされた「鯖のおぼろ」がご飯のあいだに地層のように挟まったご馳走。たまご焼きや椎茸、生姜、蒲鉾などの具が表面を覆っている。

とり松は丹後の会席料理の名店で、デパ地下の一画もミヤビな雰囲気が漂う。丹後半島は学生の頃から一度行って見たいと思っている場所で、伊根という漁村の、船を収納する小屋が1階にあって、その上が人の住む家になっている町並みとか見てみたい。
「鯖のおぼろ」って、おぼろって語感が静かな漁港の雰囲気を想像させる。

『鳥瞰図』@新国立劇場

2008-06-21 15:32:14 | 演劇
昔安部公房が、新劇の子役は不潔だ、って言ったことがあって全くその通りだと思ってきたワタシはそういうタグイの芝居は見てこなかった。新劇とは何か、というのも定義するのは難しいが、安部さん的には、10円玉が道端に落ちているのを見て1万円札を見つけたようにリアクションを起こすような演技が求められているのが新劇だということだ。
だからこの、企画としては面白い「シリーズ・同時代」の1発目のコレに大女優の渡辺美佐子サマが主役で出ているのを見て、行こうかどうしようかと思っていたが結局見てしまって、んーーーってかなりビミョーな感じだった。簡単に言えば感情表現の1万円札的な普通さがいかにもそのことが表現そのものではないかのように、演技者としての当然の仕事をやってるだけよ、みたいな見せ方が、やっぱり見ていて自然を装えば装うだけ不自然にしか見えないという、悪循環にハマっているように見えたのだ。なんかジブンで書いててわかりにくいけど。

ストーリーは東京湾の浦安辺りで昔から釣り船屋をやってる家で、周りが埋め立てられて風景も変わり果てて、さかなも鳥もいなくなって、そこに登場する人物もみんな家庭が壊れてしまっている。なにも希望のようなものがなくてつまらない日常が同じように繰り返されている。ところがあるとき釣り船屋のおかみ(渡辺)の死んだ娘の娘=孫が突然家にやってきて、おかみやそこに集まる人から昔の話を掘り出そうとする。で、過去の忘れたいと思っていたことを思い出すことで壊れていたものが少しずつ元に戻っていくような感覚があって、かすかな希望のようなものがあらわれる。結局のところ、死んだ人の魂というか、それはすなわち生きている人が持っている死んだ人の記憶ということなんだが、それが生きている人の生き方をコントロールしているという、かなり普遍的な重たいテーマが全体を覆っている。

ただそこがなかなかうまい話の展開で、作ったのは早船聡サンという人。劇団サスペンデッズの主宰者で37歳というからたいした人なんだと思った。で、そういうかなり今っぽい芝居のなかにいかにも昔っぽい演技が入ってきて、それがやっぱりウソって思わせながらもうまいもんだからみんなそっちの方向に引きずられて、作者が自分で演出していたらもっと違うものになっていただろうと思わずにいられない。
だからこの新進キエイの若手作家の脚本をそこそこ安定路線に入った演出家が演出するという企画はケッコウ冷や冷やさせられるんじゃないかと。次回、前売りで席をキープしてある前田司郎サンのコレなんか、どうなることやら。できればハタンしてほしい。

演出:松本祐子、ラッパ屋の弘中麻紀はやや浮いていたが喪服姿にシビレタ。
2008.6.20 初台・新国立劇場

知床鮨の蟹棒寿し@東京駅大丸

2008-06-14 22:42:23 | 料理
昨日、今日と暑い。と思ったら6月もなかばだ。ついこの前まで寒さに凍えていたのに。汚染空気循環式冷暖房機、いわゆる一般庶民の言うエアコンのない我が家では冬より夏のほうがキツイ。冬なら厚着するだけだが、夏は素っ裸になっても暑いときは暑いし。もっと暑くなれば夜は水風呂に入ってカラダを冷やしてからじゃないと寝られない。

で、今朝は東北の地震が起きて3分後にウチのほうはゆっくり揺れた。最近では震源から遠く離れたところでゆっくり揺れることがあることがわかってきて、長周波の地震波とかなんとか言うもの。揺れは弱いから直接の被害があるわけじゃないが、高層アパートなんかじゃエレベーターが止まったりする。
地球温暖化と地震の関係ってないようであるような。球が温められて表面の一皮入ったところがパリパリになっているんじゃないか。

それはそれとしてコレはコレ。波乱バンジョーの先週の日曜に買ってきてウチで食べた。ご飯の中に卵焼きが入っているのが余計、というか、蛇足というか。
蟹とかマグロとか、イクラとかウニとか、そのうち食べられなくなる。それはそれで仕方がない。そのうち、昼ごはんはチキン風味の錠剤飲んでオシマイみたいになる??

蜻蛉玉@高円寺・ばぶるす

2008-06-14 12:42:09 | アート
昨日は休みで、というか今週はイロイロあって1週間休みで、木曜に一段落して昨日1日やっとゆっくりできた。
で、朝から一人で桜木町あたりをぶらぶら散歩。紅葉坂で大規模なマンション開発が進んでいてあららって思ったが、県立音楽堂とコルビジェもどきの青少年センターは無事でひと安心。

そのあとツマと電車に乗って前から行きたかったココへ。ちょうど昨日の夜の美の壷が蜻蛉玉(とんぼだま)だったのでグッドタイミング。ワタシとしては飾って置いとくようなものをイメージしていたのに、どういう展開の読み違いか、ツマの首飾りを買ってしまった。

蜻蛉玉は4000年以上前のエジプトあたりで作られ始めた昔~しっからあるガラスの飾り玉で、縦に穴があけられていて紐を通すようになっているものが多い。昨日の美の壷によれば江戸時代に江戸っぽい渋い色使いのものが大流行して江戸蜻蛉と呼ばれている。
ばぶるすには現代作家のものがたくさん揃っていて見るだけでも飽きないが、見ているとだんだん欲しくなるのがニンゲンの哀しいサガ。3,000円くらいから高いものは15,000円くらいまで、ビミョーな値段で誘惑する。

こういうのコレクションしたいが、サイフがあっという間にカラになりそ。

古市庵@横浜そごう

2008-06-06 00:44:55 | 料理
すし屋で太巻き食べる気はしない。それだけで腹一杯になって他のが食べられなくなるから。基本的にはテイクアウト。散歩して途中の公園とかで食べる。ウチの近くなら大桟橋とか、本牧山頂公園とか。

すし屋にもいろいろあってミシュランで七つ星もらった店とか、腹一杯食べると100万くらいかかる銀座あたりのヤクザな店もあれば、店の奥で機械がせっせと握っているようなのとか、ベルトコンベヤーでから揚げとかアイスとかと一緒に運ばれてくるような店とか。まあ、天と地というかツルとカラスというか、もっとうまい言い方があったような。やや差別的な分類なら簡単にできる。

それじゃあデパ地下なんかの店はどうかというと、そういう、なんかの、っていう見下した見かたはいまどき的外れもいいとこで、デパ地下→人が集まる→所場代が高い→売れる店だけが生き残る→どこもそこそこうまい、ということで、横浜の巨大デパートに地下にあるこの店は豪華ウズ潮巻きっていう太巻きが名物で、一度食べてみたいと思いながら、この前の日曜は結局コノ穴子巻きを買った。太巻きでそこまで贅沢したくないって気分も複雑にワタシの内面をシハイしている。

穴子、干瓢、卵焼き、きゅうり、三つ葉、その他渾然一体となってどれ一つアタシ、アタシって主張するわけでもなく、世界は一つ的シアワセを謳ってくれる。
そういうわけで世の中、太巻きブームが当分続く。

『パレスチナ1948 -NAKBA-』

2008-06-04 23:07:57 | 映画
世の中、冗談だと思って見てたら相手は本気だったリすることが最近多い。キムタクが総理大臣になるドラマなんか、ニッポン人の政治意識の低さというか、ハッキリ言って大衆のバカさ加減を笑っているのかと思っていたら、3回目くらいになって、もしかしたらそういうことじゃないんじゃないかというマジメな展開になってきて。ああいう笑いがフジテレビなんかにもやっと出てきたかと、少し期待したワタシが甘かったのか。
で、おとといのニュースではガソリン価格が高騰して、我が自衛隊は離着陸訓練の回数を減らして節約だと。冗談だって言って欲しい。

日曜に見たこの映画は、ある日突然この土地はカミ様が与えてくれた聖地だからあんたら出て行けって言われて、それに反抗したら爆弾落とされて村中殺されて、そうなったら爆弾抱えて突っ込んでいくしかないという状態まで追い詰められて、実際そうやって自分たちの戦いを戦い続けている人たちの話。冗談だと思う暇もなく、今でも爆弾を落とされ続けているアラブの人たちの悲劇を淡々と描いている。

フォトジャーナリストの広河隆一氏が40年前にイスラエルの共同農場みたいなところに興味を持って入っていって、その場所がかつてアラブの小さな村で、さっき書いたようにしてユダヤ人に追い出されて、その追い出された人たちが今どこで何をしているのかをまわりの国を歩き回って捜し求める。そうしている間にユダヤ人の中にも、アラブ人を暴力で追い出して土地を奪い取るようなやり方に反対の人がいて、そういうことにキボウを感じつつも、相変わらず普通のイスラエル国民はアラブ人のことをアブラ虫みたいに見ている。シャレじゃなくて。
で、アメリカを中心にしたインチキな国際世論は、ナチスに酷い眼にあわされたユダヤ人のやることは少し大目に見ようみたいな、というかどうせアメリカ人のことだからそっちのほうがジブン達も金儲けできるということで自爆テロはよくないみたいなことを、バカの一つ覚えで言い続ける。ジブン達の暴力は暴力ではなくて、ジブンが敵対する相手のやることは全て暴力だという倒錯の世界。

爆弾の合間のつかの間のシアワセとか、そういうのもある。40年間の記録で、その間に人間がトシをとっているのだけが確実な変化に見える。それにしてもこういうの見ると薄っぺらなテレビドラマとか、ハッキリ言ってゴミだ。無駄なテレビをやめるのが二酸化炭素削減には手っ取り早く効果的だと思うんだが、ニッポン国民をバカなままにしておきたいジミン党政権はそんなことやるわけがない。

NAKBAというのはアラブの言葉で大惨事という意味。ナクベーィってな発音。
出演、撮影、監督 広河隆一、2008年日本映画。

2008、6、1 横浜・ジャック&ベティにて