老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『エビとあさりのカレー&もやしと椎茸の炒め物』

2007-09-30 21:42:24 | 伽哩
結局一日雨。ツマとムスコは朝から出かけて、昼間はラジオ聞きながら競馬。雨の中、お馬さんたちはごくろうさんでした。とりあえずスプリンターズステークスは当てたものの、全体ではやや赤。こんなもんだ。

夕方、傘をさしてスーパーまで行って、適当に材料をみつくろって今日のカレーはコレ。どちらもインド料理のつもり。
エビのほうには本当はハマグリが欲しかったんだが売ってなかった。もやしのほうはべチョべチョにならないようにさっと炒めた、つもり。椎茸がカレーによく合って、深い味わい。

次は魚カレーを作る。さんまなんかいいんじゃないかと。玉葱、トマトと一緒に、香辛料で煮込んで、、考えるだけでヨダレが出てくる。

『輝ける闇』 開高健

2007-09-30 16:44:01 | 文学
名古屋郊外のシゴトが先週で一段落して、それに伴う式典やら宴会やらで今週はかなり疲れた。できあがったモノに対して、気楽な政治屋ごときから、ドンガラとか、単なる器とか言われて、ニッポンにおけるモノづくりの価値がコレほどまでに低下しているのかと思い知らされたのも束の間、アラ探しにしか生きがいを感じていない弱者の団体の皆サンとか、それをとりまく偽善者の団体のヒマジンどもからは恥を知らない勝手なことばかりを投げつけられ、それぞれがそれぞれの品格をさらけ出す光景はいつもながら醜い。これが戦争に負けて、いまだに民主主義を押し付けられたと言って卑屈に生きる、北朝鮮より恐ろしいこのクニのニッポン人の生きザマだと、あきらめて思うしかない。

コノ本は著者がベトナム戦争を見に行って体験したことを書いたもの。最後のほうに出てくるが、結局は「自分のための戦争」だったということ。戦場とはいってもオンナとグチョグチョになって、まあ、早い話、ビラビラの部分に顔をうずめて、それなりに楽しい時間が描写されている。
結論から言うと、著者の繰り出す日本語の深い表現にはたびたびココロ揺さぶられることがあったものの、全体の話の流れには最後まで入り込めなかった。結局は自分のための戦争だったということだ。ジブン探しの旅かなんか知らないが、ベトナムまで行って、目の前で、割られた頭蓋骨が、鉄鍋で内臓を煮込んでいるように見えてくる。えぐられて引きちぎられた人間の体から、血が、あっという間に乾いて固まっていくのを見て、麻痺しかけた神経が少しだけ回復する。そんなことの繰り返しで、欲望の尽き果てる先のないOL達がバリ島に男を買いに行くのとたいして変わらない。

自分のための戦争って、ハタから見ていると退屈なものかもしれない。ワタシの5年間に及ぶ戦争も、政治屋から見ればドンガラ作りでしかなかったわけだし、最後の砦である身近なモノからも、何か、このボロボロの精神をねぎらうことばがあったわけでもない。それでもビルマではまた別の戦争が続き、中山競馬場では馬たちが水しぶきを上げて走る。雨は降り続き、家の中を蟻が列を作って歩き回る。それだけのことだ。
ムナシイがこれが現実。ウンコが臭いのと同じ現実だ。
開高健はコレでおしまい。こういう寄り道もムダとか、そういうことにはならない。何かに感動しようが、何かに落胆しようが、どっちにしろいつか死ぬわけだから。

新潮文庫版 1982年刊。オリジナルは1968年刊。

『殯の森』

2007-09-30 14:33:11 | 映画
先週1週間は出ずっぱり。火曜から東京を出て、水曜は名古屋で松茸なんぞをむしゃむしゃ食べて大宴会。木曜は昼に家に帰って在宅勤務。で、また金曜に九州に飛んで、土曜は名古屋でイベントに引っ張り出された。それでも昼過ぎには解放されて、東京で見逃したコレを、名古屋駅前の小さなところで見た。

殯(もがり)の森。こういう題のつけ方がうまい。映画の最後でわざわざ言葉の意味を説明していたが、それはすこし余計なコトだと思った。「喪があける」が「もがあがる」になって「もあがり」、「もがり」・・ってことのようだが、文字からだいたいの雰囲気はわかる。
死んだあとの人と人のつながりのようなことがテーマで、そこにボケの問題をからめて、子どもを亡くした若い母親の苦しみをぱらぱら振りかけて、重苦しい流れの中に最後に解き放たれるってな感じ。

80過ぎて親が死ぬなんてーのは普通のことで、まあ、よかったですネと言ってやりたいくらいだが、そうではない、おそらく自分が死ぬまで後悔から解き放たれない死というのもあるわけで、そういう感情とどうやって付き合っていくかということを、深く、とは言い難いが、この映画はそれなりに掘り下げている。
ただ、映画祭の映像でもなんなんだろうと思ったが、あのボケ老人を演じているオッサンが、どうにもヘタで、見ていて眠れないくらい苦しかった。グランプリまでとってもニッポンでそれほど騒がれないのも、おそらく外国の審査員たちが映像の美しさに惑わされたという想像が容易に立つからで、結論的にはそれほどのモンじゃない、ということになる。

監督は和服のまったく似合わない河瀬直美。それくらいでやめて欲しい、というシーンを、コレでもかってくらいに引きずるあたりが、この監督の個性だろうとは思ったが、これも見ていて苦しい。神経を逆撫でしてくれるという意味では見る価値はある。

9/29、名古屋、シネマスコーレにて。

『鶏手羽元カレー』

2007-09-25 07:44:33 | 伽哩
苦節2週間。もう、完璧なのができちゃった。

鶏の手羽元にヨーグルトとにんにく、生姜をよーくすり込んで、玉葱とトマト水煮を煮込んで、ターメリックとクミンとカルダモンとレッドペッパーで味付けした中に放り込んで、30分で完成。
一番肝心な玉葱炒めもやっとコツがわかってきた。餃子焼くのと同じで、この辺で、と思ってからもう一呼吸我慢する。

次はご飯ものに挑戦するかと。チキンビリアーニはアグラで食べた思い出の味だし。

『えびカレー』

2007-09-23 22:09:55 | 伽哩
今週もカレーが続く。家のものは大変な迷惑だろうが。だが昨日のコレは好評だった。

①みじん切りの玉葱を薄く茶色になるまで弱火でいためたら、そこにニンニク、生姜のすりおろしたのとししとうの細かく切ったのを入れてさらに炒める。
②殻と背わたをとったエビにクミンシード、ターメリック、コリアンダー、レッドペッパー、塩をまぶして置いといたのを①の鍋にぶち込んでエビが赤くなるまで炒める。
③そこにトマトを細かく切ったのを入れて、形が崩れだしたら水を150ccくらい入れて5分間煮込む。
④とろとろになったら皿に盛ってししとうの千切りを飾って完成っ。

簡単だ、段取りをキチンとしておけばあっという間にできあがる。で、これはカレーライスではなくインド料理として食べることにして、ご飯は別の皿にした。料理は見た目も大事だから、こんな感じ。

まだまだ続く。

富士山070919

2007-09-22 22:49:57 | 窓際
久々の富士山。夏も終わりでもう雪が積もっているかと思ったらこんなふうに黒々していた。

富士山に初めて雪が降る平均日は9月10日。これとは別に下のほうから見て雪が積もっているのが見えるのが初冠雪で平均日は9月27日。さすがの猛暑で少し遅れ気味というところか。
ちなみにこれを撮ったのは地上8,000mくらい。羽田を発った飛行機はまだ上昇を続けていて、水平飛行の状態で高度約10,000mだからそんなもん。山頂が近くに見えても、4~5,000mは離れている。
さらにちなみに、飛行機のスピードは時速1,000kmくらいだから分速16.7km。見え始めて10分くらいで通り過ぎる。関係ないが飛行機の全長はジャンボクラスでも7~80mで、新幹線は16両編成で全長300mを超えて時速300km。大型客船は1隻で全長2~300mだからとんでもなく大きいがスピードはやたら遅い。

さらに関係ないが、ワタシの発見では超高層ビルの延べ床面積と客船のトン数には関連性があって、世界最大規模の客船が15万トンくらいで全長が300mくらいなのに対し、横浜のランドマークタワークラスの超高層ビルが延べ床、15万平方メートルくらいで高さも300mくらい。
それより少し小さい大型客船が8万~5万トンクラスで、超高層でも15万の次は8万~5万平方メートルくらいが多くて高さも200mくらいになる。さらに小さい日本丸とかふじ丸クラスが3万トン級で、全長150mくらいで、地方都市の駅前にあるような高層ビルも延べ床3万平方メートルで高さも100mちょっと、ということになる。
そもそも船のトン数ってなんなんだかあまりよく理解してないが、大型客船はランドマークを横に倒したくらいの大きさであることは確か。

しばらく行ってなかったが、大桟橋に客船ラッシュのようで、24日にはバハマ船籍で5万トンのSEVEN SEAS MARINが入港して同じ5万トン級の飛鳥Ⅱと桟橋に並ぶ。さらに10月4日にはオランダから6万トン級のAMSTERDAMが入港する。
客船に乗ってどこか遠くに行きたいのはヤマヤマだが、最近はとんでもないババア客が多いらしいことだけが悩みの種だ。

『玉葱、トマト、豚バラ、黒酢カレー』

2007-09-18 22:46:07 | 伽哩
この3連休、3日間カレーを作り続けた。結果は2敗1引分け。土曜日はシーフードカレーが辛すぎて大失敗。日曜は玉葱をこがしてほとんど炭カレーの惨敗。昨日はまあまあうまくいったんだが最後の味付けでグリコのカレールウを半欠け入れた。ワレながら勇気ある撤退だ。どうしてもカレーらしい味にならないんだから仕方ない。

とはいえ家のものは皆、何も言わずに食べた。豚バラ肉の塊はやわらかくて超うまかったから当然だが、カレーのほうも玉葱に黒酢が効いて、言葉も出ないくらいうまい。
我が家ではオヤジの遺言で、うまいものは黙って喰う慣わしだ。肉汁が口の中でジュワァっとあふれて、とろけるようにおいしゅーゴザイマス、、なんてぇのはホントにうまいものを食べたことがないインチキ芸ノー人の田舎芝居にきまってる。ホントにうまかったら言葉なんか発っしてるヒマはない。

そういうわけで皆のものの感想は痛いほどわかったが、グリコのカレールウを入れたことは誰も知らない。来週はもう少し、本に書いてある通りに作ってみよう。

『シーフードカレー』

2007-09-16 18:57:21 | 伽哩
先週から始まったカレー強化月間。やはりグリコのカレーでは飽き足らず、昨日、元町にある金持ち向けスーパーのUNIONまで行って、いろいろスパイスを買い込んできて作ったのがコレ。ところがどうしたことか惨憺たる失敗作となった。

具はエビ、イカ、ホタテ。きわめて普通のシーフードカレー。玉葱2個分、トマト4個分もみじん切りにして、ニンニク、生姜にターメリック、コリアンダー、クミン、レッドペッパーなんぞを混ぜ合わせた粉末スパイスを放り込んで、仕上げにカルダモンを実ごと入れて、ローリエの葉っぱを鍋に浮かせてじっくりグツグツ煮込んだんだが。

辛すぎた。レッドペッパーの入れ過ぎ。モノの本にはヨーグルトとココナッツミルクも入れることになっていたのだが、そういうのあんまり好きじゃないんで入れなかった。それも敗因のひとつ。
とはいえ失敗は明日への糧だ。ムスコは辛いといいながらケッコウ食べた。かわいいヤツだ。ワタシも2杯食べた。お陰で昨日の夜は久しぶりによく眠れた。自律神経がかなり刺激された結果として。こんなにまずくてもカレーはカラダにいいのだ。

『ゴーヤと豚肉のカレー』

2007-09-09 17:07:07 | 伽哩
昨日は久しぶりにのんびりした。ムスコはテレビで競馬中継見ながら2学期制の期末試験勉強。昼メシがてら、伊勢佐木町辺りを散歩して、ムスコにヒゲ剃りを買ってあげた。今まで時々ワタシのを使って剃っていたようなのでコレが初めてのmyヒゲ剃り。母親がムスメに初めてブラジャー買ってあげるような??ビミョーな気分がした。

で、夜はコレ。スパイスをいろいろ混ぜ合わせて、、みたいなことはとりあえず自粛して、グリコのカレールゥを使ったが、カレー屋さん開店に向けて小さな一歩ではある。

①鍋で油を熱してニンニクのみじん切りを炒め、そこに塩、コショーで味付けをした豚肉をぶち込んで赤ワインなんぞを入れる。ある程度肉に火が通ったら別の鍋にあけておく。
②①の鍋で玉葱1個分のみじん切りを炒め、そこにゴーヤを食べやすい大きさに切ったものと、茹でて色がきれいになったブロッコリーを入れて、コレもある程度火が通ったら水を1人分あたり120ccくらい入れて沸騰させる。
③②に①の肉とトマトをぶち込む。そこにカレールゥを入れて20分くらい煮込んで完成。

やっぱりスパイスを使わないと物足りないが、コレはコレでまずまずの味。ムスコもそれだけはやめてくれと言っていたゴーヤを、さわやかな苦味、とか言って食べていたし。
というわけで、今朝は残りのカレーにソーセージなんぞを放り込んでスープにして食べた。毎日カレーでもぜんぜんオッケーだぜ。

『厨房で逢いましょう』

2007-09-08 09:28:18 | 映画
何年か前、フィリピンで台風にぶつかったことがある。向こうは台風が生まれるところだから時速何キロとかでは動かず、一ヶ所で何日間も渦を巻いているだけ。だからこっちから移動していかないといつまでも台風の中にい続けることになる。そのときは判断に迷った。結局タクシーで抜け出したが、向こうの人から見ると、じっとしてればいいのに、ということになる。いつかは過ぎ去っていくのがわかりきっているから。
昨日の朝は暴風雨は止んでないし、多摩川の増水で電車も止まっているし、ということで昼前に出勤。そしたらみんなタクシーやらマイカーやらを使って、しっかり机の前に座っていたのには呆れた。ニッポンじゃ、ジブンで判断しちゃいかん、ということを忘れていた。

で、出勤で疲れたので帰りに寄り道してコレを見た。次々と料理が作られるおもしろそうな映画だと思ったからだが、すっかり宣伝にヤラレタ。日本にも外国にも「料理映画」と呼ぶべきジャンルがあって、日本では「うどん」とか「プルコギ」とか、最近だけでもいくつか思い浮かぶ。どちらも見たいと思って結局見なかったのはだいたい展開が読めるし、料理といっても、、それほどのもんじゃないしネエ。外国映画では「パペットの晩餐会」が記憶に残る。見た目の問題。日本でも外国でも共通なのは神の手を持った伝説の調理人が田舎の村ハズレにやってきて、純朴な人たちを相手にそれまで食べたことのないような料理を食べさせ、それでもって風のように去っていく、、というような流れ。

コレも同じような展開で始まったが、だんだんオカシナ方向へ。ヴァイオレンスあり殺しアリ、SEXやらストリップパブやら。肝心の料理は宣伝ほどのもんじゃなく、それを食べるとエロチックな気分になって、家に帰ってハゲシク求め合うやや疲れた夫婦、、みたいな、オカルト的料理映画という新しいジャンルかもしれない。
時々挿入されるシニカルな笑い。主人公の巨体の調理人が自分で作ったものを食べてゲップするシーンとか、奇想天外なストーリーの山場のシーンとか。題材のワリにストーリーに走りすぎたというか、それもなんともあり得ない展開で、ただそれが監督のねらいであることは確か。ひとつだけ、調理人が破産して管財人とのやり取りで、「ワインは資産だが、料理は形がないから資産じゃない」ってセリフあたりが読み解く鍵になりそう。原題は『Eden』。エデンの園のエデン。

玉村豊男とか、ジローラモとかの、料理って素晴らしい、、みたいなコメントがチラシに踊っているが、コレはそういう映画じゃない。悪意がまったくないかのように振舞う人妻役のシャルロット・ロシュはゴールデンハーフのエヴァ似。笑顔が魅力的なんだが、もう少しカランでほしかった。

監督:ミヒァエル・ホーフマン、2006年 ドイツ/スイス映画
9/7 Bunkamura ル・シネマにて