デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

ムハンメド風刺画問題

2006-02-10 12:24:14 | 思ったこと・気づいたこと
連日必死に新聞などを追っているけれど、事態の収拾はまだ見えてきません。
今日の報道でEUのソラナ共通外交・安全保障上級代表が近く中東に赴き、各国指導者と話し合うというのを読み、なんとか事態の終結を願うのみです。

今回の件は、まずデンマーク及びヨーロッパに溜っていたムスリムの移民や9.11以降のアラブ社会への鬱積がここにきて感情的に出てきてしまったということがあると思う。もちろん言論の自由(自己検閲への危機感)という名目も健在である意味正当であるけれども、もともとのベースにこういった鬱憤があったのでしょう。

同時にアラブ側からはアメリカを中心とする民主主義の西洋文化の押し付けに対する反発、彼らの信念や心情を踏みにじるような度重なる行為への怒りなどがあったと思います。彼らは彼らの独自の流儀があり、考え方があり、宗教があるのです。

アラブ社会を批判したい部分もあるけれど、私は同時に昔の日本と現在のアラブを重ねて見てしまう。第二次世界大戦当時の日本は国際社会から孤立し、国内外との対話につまづき、出口を求めて戦争に突入したという見方を私はしているのだけど、そのころの日本は天皇を崇拝し、天皇の写真や肖像画にお尻を向けてはいけず、ひたすらに国家を信じ結束し、アメリカやイギリスなどの敵国をひたすらに憎むという構図ができていた。
後日、西洋からはこれをあほな行為、狂信的なおろかな人々と評価されたけど、もし私が昭和10年代に生まれていたらおそらく日本を守るんだ、私達の民族を守るんだという信念を持っていただろう。銃後を守りすべてを耐え忍び、天皇のすばらしい国家をまっとうするのだと考えていただろう。

そういう文化的背景を持つ私には、単にアラブの人々を責めることはできない。日本人の苦しさゆえにすがる信念と、アラブの自由のなさや独裁政治や誤解を恐れずに言えば死の恐怖と隣りあわせで生きている人たちの信念とは、どこか似たものを感じてしまう。

対してデンマークは信仰のほとんどない国である。プロテスタント系ルター派が主に占めるとはいえ、彼らの多くは教会に行かず、神を信じていない。
そのデンマークが言論の自由、表現の自由を持って、他者の宗教を軽んじていたのではなかったか。その自由が通用する社会の中ではよいが、しない社会への想像力や本当のリスペクトが足りなかったのではないか。

今日の朝日新聞で、3年前にユランズ・ポステン紙がキリストの風刺画の掲載を拒否した事実があったとの報道があった。もしこれが真実であれば、言論の自由と宗教への冒涜は別の次元のものだという理解はユランズ・ポステン紙にもあったのではないかと思う。であれば今回のムハンメド風刺画の掲載は明らかに言論の自由を主張したものではなく、アラブ社会への挑発としか取れない。

こういった中で先に書いたEU上級代表の中東指導者との対話や、イスラム圏でのレバノンのシニョーラ首相やシリアのスンニ派最高権威ハスーン師などの暴力への遺憾の意を表したことに、事態収拾への希望を持っている。

同化することは互いにできないけれど、対話して対話して、そして我慢をして何とか共存していく道を両者で見出してもらいたいと思う。
日本として仲立ちができるようなよい政治家がいればと思うが、このへんは腰砕けの日本、どっちつかずのコメントを出してあとは傍観を決め込む、かな?

ハーフの子育て

2006-02-10 00:28:47 | 国際結婚
私と同じようにデンマーク人と結婚している友人Mさんと食事に行った。彼女はコペンハーゲンに住んでいて、7歳の男の子と1歳の女の子がいる。

話題はいつものようにデンマークのことをあれこれ話したのだけど(なぜか褒めることよりも文句が出てしまうのよねー)、今回はムハンメド風刺画問題の話はやはり最初のトピックスだった。

そしてメインは子育ての話。彼女の上の子が少しだけデンマークの学校で、デンマーク語ができるにも関わらず「外人」と悪口を言われたことがあったそう。外人だけでなく、Perkerと言われたという。

まだ実際にひどい経験をしたことはないけれど、ハーフの子どもを育てるということは同国人同士のカップルにはない難しい局面がある。

まずは言葉の問題がある。どの言語を第一言語にするかだけど、両親は互いに自分の言語を第一言語にしてもらいたいという気持ちがあり、それが学校選びにつながる。学校はインターナショナルスクールにすれば第一言語が英語になってしまう。それをいいと思うのか、いや、違うと思うのか。日本の学校に行けば日本人になるので夫があまり嬉しくないし、逆だと完全なデンマーク人になるので私が受け入れられない。それから仮に第3国に住んだ場合、マイナーな国である日本とデンマークは現地校がないことが多いので、インターかあるいはその国のパブリックというところで悩んでしまう。

それからアイデンティティの問題。完全な日本人でもなく、完全なデンマーク人でもない。これは大人になればかなりのアドバンテージになる可能性もあるのだけど、成長の過程ではただでさえ自分のアイデンティティを確立していく中で悩んだりするのに、より複雑になるかもしれない。

いじめや差別の問題も恐らくどこに住んでもあるだろう。相手はそんなに深い意味はなくても、受けるほうは本当に傷つくだろう。それに打ち勝つ精神力が備わっている子どもはいいけれど、なかったらどうするのか。最終手段として転校をしなくてはならないようなことにもなるのかもしれない。

私は普通の日本人として生まれ育ってきたので、こういう問題には経験がなく、どんなことが問題になるのかも予想しきれないし、果たして問題が発生したときに私のこれまでの経験があまり解決の役に立たないかもしれない。

子どもを育てることはそれだけでもかなりの責任の重さにときとして呆然とするほどなのに、親としてさまざまなことに対処できるのか不安に思う。
まあ、普段はあまり悲観しているわけでもなく、ただただ子どもと向き合って、普通に子育てしている。2つの文化、2つの言語を持つことはそれでも非常に羨ましくもあり、たくましく、この子たちは両者の中でうまく生きていけるんだろうなあとなんとなく信じている。それにとりあえずは2人兄弟で自分と同じ環境の人がもう一人いることは、きっと支えになるに違いないとも思っている。