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デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

大学院合格!

2009-10-06 06:09:47 | 通信制大学・大学院
 先週合格発表があり、運よく、大学院に合格することができました。

 来年の4月からは早稲田大学大学院で、歴史的側面からしっかりとデンマークについて研究できることになります。落ちたら落ちたで、これまで通り独学で研究していこうとは思っていましたが、やはり、専門の先生方の中でビシバシ鍛えられるのと独学の差はあったと思いますので、こうして受かって本当にほっとしています。

 本人としては、よく受かったなぁと半分驚き、そして、我ながらとりあえずここまで来たんだ、という感慨半分でしょうか。学生時代は落第生だった私でしたが、人は本当にやりたいことがあれば、実は能力にそんなに大きな差はなく、あとは本人が努力するかどうかなんだなあなんてことを考えています。そうそう、エジソンも99回の失敗とたった1回の成功でしたっけ?途中何度もくじけそうになったけど、あきらめないで続けることが大事なのだと、今回しみじみ思いました。

 2月でなくて、9月が受験日だと知ったのは今年の3月のこと。卒論を仕上げてから、じっくり受験勉強に取り組めばいいわと思っていたので、ショック&急遽スケジュール組み直し・・・。研究計画書はなぜか2000字と思い込んで一度書き上げ、先生に見ていただくためメールで送ったあとに8000字だったと気づき、こちらも急いで書き直して再提出。一次試験の後はほとんど毎日「落ちた」夢を見たり(それがなぜか就職試験に落ちていたりする)、一次発表の前日は一時間ごとに「受験番号何番!?」となぜか焦って目覚めていました。最後の二次試験の面接では、口内炎でしゃべると痛く、足は靴擦れでよろよろそろそろ歩く私。3分間での研究内容説明という基本的な質問にも、頭が真っ白になり、しどろもどろでなんとか小学生並みの説明を行い・・・と最後までサザエさんのような受験生でした。

 受験勉強は本格的にはデンマークから戻ってからでしたが、ほとんどまったくの自己流で行いました。このあたりは、通信制大学で学んだことが役に立ったかもしれません。自分で孤独に悩み、道を見つけていく訓練をやむなくしなくてはならなかったので、これが大学院の入試にあたってはとてもいい効果があったように思います。

 この受験、なんといってもキツかったのは、夫が最後不在だったことです。まったくこの人はいざとなるといない~!思い起こせば3回の引越しのうち2回は、引越しの前日まで出張で、つまり私が全部引越しのパッキングをやったのよね~。そして今回も何のジンクスなのか、8月のお盆前にデンマークから戻ってからはブラジル出張でいないわ、9月1日からは単身赴任でいないわ、逆に夫の生活の準備の手伝いに時間を取られたりして、本当に大変でした。合格したからよかったものの、落ちていたらきっと一生夫のせいになっていたでしょう(ああ、だから夫はあんなに喜んでくれたのね?)。

 合格した先週の火曜日はスキヤキで家族でお祝いをし、昨日もおばに高級京料理のお店でランチをご馳走してもらったりとお祝い気分でしたが、そろそろ、気持ちを引き締めて、大学の論文に本格的に取り組まなくてはなりません。早速今週末には最後のテストがありますし、また普通の勉強中心の生活にしばらく戻さなくては・・・。それにしても論文、大丈夫かなぁ???またもやチャレンジですが、できるところまでがんばろうと思います。

 そして、今回一番気が重いのは、これでデンマーク語からは逃れられなくなったことです。そもそも語学がとても苦手なのに、ある程度デンマーク語を読めるようになることが必要になってしまいました。このデンマーク語の覚悟をどこかで決めて、今度こそちゃんと取り組まなくては・・・。ここまで追い詰められないとやらない性格なのでチャンス到来なのですが、この覚悟はまだもうしばらく決まりそうもありません・・・。
 

 

ここまで来ました

2009-06-30 13:14:41 | 通信制大学・大学院
 日曜日、テストを2科目終え一段落、私の大学生活も先が見えるようになりました。通信制大学で政治経済を学び始めてから2年3ヶ月、来週、もう1科目テストが終わると、あと1科目だけ取れば卒業資格が取れるところまでこぎつけました。

 最初はテキストに出てくる漢字が読めず(まあ、今もですけど)、何度読んでも理解できなかったり、リポートをいったいどう書けばいいのかと困ってしまったりしていましたが、なんとか52単位ほど取得し終え、ここまで無事たどり着きました。

 今までひとつもリポートもテストも落とさずに来たのですが、先日は初めて悪い成績(パスぎりぎりのC)を取って、ものすごく落ち込むなんてこともありました。若かりしころの学生時代はどんなに悪い成績を取ってもなんとも思わなかったのに・・・。今回は生まれて初めて、よい成績を取りたいという気持ちでずっと取り組んできたので、Cには本当にがっくりしてしまって、これまた生まれて初めて、試験に失敗して落ち込む気持ちがわかりました。でもそんなときに、あまりに落ち込んでいる私に、夫が私の好きなお花屋さんで小さなブーケを買ってきてくれた、なんてことがあり、家族の支えを感じる嬉しい機会にもなりましたが。

 が!!!! 実はこれから論文にいよいよ本格的に取り掛かることとなり、ここからが本番の山場です。7月17日のデンマーク出発前に、論文のレジュメを作って教授にチェックしてもらわなくてはなりません。論文というものは、なんだか底なし沼のようで、どこまでやっても結局は底などないので、自分の実力にあった適当なところでおしまいにすればいいのですが、それがとても難しそうです。せっかく書くのだからいいものが書きたいですし、でも、時間が限られていて最初からいい論文など書けるわけもないので、どこかで自分に見切りをつけなくてはいけません。12月に提出ですので、どこまでできるかは、最後はやっぱり、時間に決めてもらうことになるのでしょうか・・・。

 加えて9月には記念受験となりそうな、大学院の受験が控えています。来年の3月に卒業後の進路(!?)については、大学院の試験に落ちてから、ゆっくりまた考えたいと思います。まあ、大学院は無理そうですが、一人で地道に興味を持って、ライフワークとしてデンマークのことをいろいろと学び続けて行くことはできますものね。

 ここからがラストスパートということで、とりあえず12月までのあと半年、大学生活の最後を楽しみつつ、がんばっていこう!と思っています。学割もしっかり堪能しちゃいます(笑)。

2009年の始まりに期待すること

2009-01-06 20:31:21 | 通信制大学・大学院
 年末から年始にかけて、ずっと注目されていた「派遣村」が解体され、厚生労働省構内をはじめ、都内のいくつかの施設に、元派遣労働者が移りました。この「派遣村」の実行委員であるNPO法人 自立生活サポートセンターもやいは、1-2年前あたりからその活動が有名になっていると思いますが、まさに今回、「行動することによって、状況を変えていけるのだ」ということを、私達に見せてくれたと思います。

 厚労省、そして地方行政のアクションも、今回は「やればできるじゃない」と思わせてくれるものがありました。過去の何が悪かったのか、どういった政府がいいのか、どういった経済対策が必要なのかというような議論もありますが、今、目の前にいる困窮した人たちをひとまず救うこと、ぎりぎりのところで生を持ちえている人たちを何ふり構わず、とにかく救うこと、そういったことができるのだということを見せてくれた今回の件に、まだこの国も捨てたものではないと思いました。

 また、民主党が現在手厳しく責めている「定額給付金」ですが、ここに2兆円(プラス給付のために一体どのくらい膨らむことか)使って、景気の上昇効果を狙うよりも、まずここにある貧困を救うほうが、国としては大切なのではないでしょうか。そもそもこの「定額給付金」は、もちろん個人としては欲しいであろうお金ですが、受け取り手である国民が、これは意味がなく、借金を膨らますだけの、将来に負担をかけるだけの、人気取りのための賄賂だと受け取っていると思います。そして、こうした目先の、子供だましの「賄賂」にだまされるような私達ではない、と思いたいです。

 金融のクライシスから、今、世界中で人々がいっせいに、これまでの観念や価値観を変えるときなのではないか、と同じことを考えています。(もちろん全員ではありませんが。) こうしたことは私は経験したことがなく、生まれて初めて、地球規模で人間達が共通の問題を考えている、そのダイナミズムに感動さえしています。

 今回の金融の問題は私には到底解決法など思いつけるはずもなく、問題の理解もできていませんが、ただ、思うのは、今年がスタートの年になるのではないかということです。この世で大切なものは何なのかということを、今、私達は考え始めているのだと感じています。お金はもちろん欲しいし、世の中は消費文化であることは間違いないのだけど、「お金じゃない」ということも考え始めているのだと思います。

 自分のお金を少し減らしても、他の人に分配することを、もしかしたら私達は受け入れなくてはならないのかもしれません。そして、今あるお金の中で、家族や近しい人をいつくしみながら、日々の生活をいつくしみながら、幸せに生きていく方法を模索していく、そんなことのスタートの年になるのかもしれないと感じています。

 この4月からは私も大学の最終年度となり、いよいよ、大学での勉強をまとめる一年となります。もうひとつの私の指針であるデンマークについての研究を進めながら、「日本の今後への期待」について、自分なりの言葉を見つけていく作業をやってみたいと思っています。

熱い人達

2008-06-23 23:27:44 | 通信制大学・大学院
 ヒッピーの世代というのは今、60歳前後、つまり定年前後の年代なのだと思いますが、彼らは若いときにいろいろな価値観、あるいは若気の至りにもまれたせいか、ユニークな人が多いような気がします。生まれたのは戦後まもなくのころ、彼らの成長がそのまま高度成長期、そして高校、大学という最も多感な時期に世界に起こったヒッピームーブメント。デンマークでも68年世代という呼び方がありますが、若者達が国際的な範囲でムーブメントを起こし、何かを共感しあったのだろうと思います。

 しかし、彼らはどこに行ったのだろう?と実は謎でした。会社で出会うおじさんたちはごく普通になってしまっていてただのおじさんだし(失礼)、おばさんたちもヒッピーなんて毛嫌いしているような感じに見えています。彼らの世代に育てられた私はよく「みっともないから、だらしない格好しないで」「スカートの丈が長すぎてだらしない」などと言われたものです。

 が、いました、いました、ここに!しかもそこかしこに!彼らはどこにいたのか?それは大学の中です。

 私が今、関わっていただいている教授たちが3人いるのですが、なぜかたまたまこの世代で、その3人の熱いこと、熱いこと。直接ヒッピー文化に感化されたかどうかは定かではないのですが、その時代に若者だった彼らの中に、今も当時の若者の熱い気持ちが沸々とたぎっているのを感じます。

 彼らに共通しているのはとにかく熱い思い。それぞれの専門分野は違いますが、自分の分野に対する気持ちがまず熱い。まあ、職業柄当たり前といえば当たり前なのですが、これは知っている?あれは知っているでしょう?とたたみかけられては「知りません・・・」と身をすくめるような思いをしたり、縦横無尽に出てくるエピソードを書き留めたりするのは至難の技です。専門分野でなくても無尽蔵の知識を持ち、目を輝かせて話してくれたりということもよくあります。

 そして彼らは何より人生に対して熱いのです。彼らの半生の話は本当に面白く、冒険にあふれ、あるいは過激です。貧乏で夏は家の中が暑いので夜空の下で勉強したという話から、日本人をやめようと思って留学し、そこでデンマークに出会ってなんとすばらしい国かと思ったなどというスケールの大きな話、毎年お正月にはその一年への期待と興奮で頭がいっぱいでむずむずして、家の中をぐるぐるうなって歩いてしまうという話、半年間丸坊主にして研究発表の準備に日夜費やし、当日は何も持たずに熱弁を振るったなどという話・・・。彼らの人生はオリジナリティにあふれ、不屈の精神を持っています。この時代、こういう日本人がけっこういたのかなと思います。でも、そういう人はサラリーマンにはあまり向かず、こうして大学で教えていたり、あるいは海外に行ってしまった人も多いのかもしれません。

 彼らに比べたら若者のほうが体力も気力もない感じで、年を取ると人間は逆に情熱的になるのかなあなどと思ってみたりします。まあ、年代、年代で、その情熱をどこに傾けるかが違うのかもしれませんが、年齢を重ねて、より純粋に、より厳しく、より熱く生きているように見える3人で、こういう人生の先輩方に出会えたことをとても幸運に思っています。

 私も最近、自分の中にときどき昔の自分を感じることがあります。私の場合は16歳から26歳くらいまでの10年間が、「私」を作った時間だったように思います。個人差はあるでしょうが、そういう年代って一言で言えば多感で怖いもの知らずで、大切な原体験になるのでしょうね。

目標を持って

2008-06-12 01:53:02 | 通信制大学・大学院
 いつも忙しいといえば忙しいのですが、このところ、ちょっと立て込んでいます。先週の土日は体育(土曜日は夜、日曜日は一日中!)、また今度の週末も同じ時間帯で体育です。これだけでも体力的にかなり消耗するのに、今週の火曜日には卒論の指導があり、その前には準備も含めてかなりの精神的なプレッシャーがあり、疲れました。水曜日の今日は夜間の3時間の授業がありました。金曜日には早稲田大学でのゼミの聴講が毎週あり、この準備が実は一番のプレッシャー・・・。毎回準備に7-8時間かかります。今週はまだ全く進んでいないので、明日中にこの7-8時間を確保して仕上げなくてはなりません。

 それに加えて、勉強以外のスケジュールも盛りだくさんで、週末の友人ファミリーとの公園ピクニック、また、今週だけでも幼稚園のボーリング大会&ランチ会、幼稚園の役員の集まり、小学校の懇親会、今日の学校の後の22時待ち合わせの(!)友人達との食事、明日は午後友人が来るし、また来週は月曜日から友人達とのランチの予定とまた別のディナーの予定が入っています。

 と、何もかも立て続けで、正直、ちょっとオーバーフロー気味です。まあ、遊びの予定をすべてカットすればよいのかもしれませんが、すでにスケジュールを入れてしまったことだし・・・。しかし、とにかく金曜日のゼミが本当に本当に「もう無理かも・・・」という心境に追い詰められていることは確かです。

 それでも昨日、たまたま夫とスパークリングワインを飲みながら、ゆっくりお喋りしたことは心地よい時間でした。そんなことしているから余計に追い詰められるのだけど、ちょっと気持ちを緩める時間も必要ですしね。こんなに毎日緊張して過ごしているので(締め切りに間に合わないんじゃないかという緊張と、教授たちに会って意見を述べるという緊張)、緩めておかないと神経が持たないと思います。

 そして今日、社会政策の授業があったのですが、その授業の中で先生がされたお話がなんだか私を元気づけてくれました。それがタイトルの「目標を持って」というお話です。

 その先生は高校時代はほとんど勉強していなかったのですが、補欠で大学に入学した後、学問の面白さに目覚めたのだそうです。高校までの暗記中心の勉強に比べて、なんと大学の勉強は面白いのかと思ったそうです(このへんは全く同感)。あるとき、東北大学で行われた学生の研究発表大会のようなものに応募し、出場が決まった先生は、東大、京大、一橋大などのほかの出場学生に絶対勝つという目標を設定しました。発表までの半年間、頭を丸めて決意を固くし、必死に研究しまくり、当日は何も資料を持たずに発表したそうです。そして優勝。その後、彼は大学院へ進学し研究をし、最終的には教授となり、今はリタイアして、いくつかの授業を頼まれて行っているそうです。

 そんな先生が「目標を持つことが大切なのだ。目標があれば生きていけるし、人間は変われるんだ。僕自身、たった一年くらいで全く変わり、面白いことにそうするといろんなことが起きて来るんだよ」とおっしゃっていました。私も大学に進学するにあたって、自分の内外でこういう変化を感じているので、先生の言葉の意味を深く受け止めました。

 私自身の目標までは遠い道のりで、達成するかどうかはわからないけど、少なくともその目標があるから、自分の能力以上にがんばろうとしているのだと思います。そうして、そうやっているうちは人間は少しずつ、キャパシティが広がってきて、以前できなかった量もこなせるようになっていくのだと思います。

 目標を持つことは簡単ではないのは確かです。でも、絶対にあきらめないで目標を探し続けることが大切なのだと思います。今週、秋葉原で大変な事件が起きてしまいましたが、目標を持てず、自分の居場所を見つけられず、ひたすらひたすら孤独感を強め、いろいろな不安に追い詰められている比較的若い世代の人たちが、実は多くいるのかもしれません。今日の授業の合間にその社会政策の先生と、そんな話もしてきたところです。

GWならぬブルーウィーク・・・

2008-05-05 07:15:09 | 通信制大学・大学院
 今年のGWは皆さんどうお過ごしですか?私は1日から6日間(3日間×2クール)の大学のスクーリングを取っており、厳しいゴールデンウィークを過ごしています。

 1日目と2日目は朝9時半から18時半までで、午前中2コマ、午後3コマ。最終日の3日目だけはテストの後16時に帰れます。3日間の1クール目はなんとか大丈夫だったものの、2クール目はさすがに体力的にも精神的にもきついです。でもこうしたスクーリングでの単位も一定数必要とされているし、編入した分、時間がタイトになっているので、この春ががんばりどきでこのスケジュールは仕方なかったのでした。覚悟の上ではあったけど、やってみるとやっぱり相当ハード。おまけに夫と子どもたちが風邪を引いていて、完全に学校に集中するはずがみんなの状態が気になりつつです。

 やってみて思うのは、やっぱり休日は人は休まなくちゃいけないのだ!です。今回卒業を延ばすようなことにならないようにがんばって2クール取ったけれど、1クールにしておいて、あとは家族と楽しく過ごせばよかったと後悔しています。勉強を休んで、忘れて、子ども達と遊んだり喋ったりする時間、そういうものが私にとって今はものすごーく大切なのだということを改めて実感しました。そうだった、そうだった、私は勉強よりも大事なものがあるんだった、それを脇に置いておいてまで勉強するのはナンセンスだった、と気付いたのでした。もう遅いけど。

 というわけで、この苦しいGWが終わったらみんなで楽しく過ごそうね、と家族にも自分にも言い聞かせています。いや、本当に来週末からはばっちり充実させたいものです。気候もいい時期ですしね。

 でも実際に、このところ休日にも勉強の関係の予定がしばしば入ってしまうことも増えていて、それが悩みの種です。毎月一度は土曜日に研究会に参加していますし、6月はまた週末4回にわたるスクーリングが控えていますし(しかも体育!)、テストも受けるためまた一日取られそうです。加えて平日の夜のスクーリングも5月末から始まるし、今度の金曜日からはあるゼミにも参加することになっています。始める前にはこんなに勉強関係で忙しくなるとは思っていませんでしたが・・・。

 あー、遊びたい、子ども達と思う存分、ぎゅーしてベラベラしゃべって大笑いして遊びたい・・・。そしてもうひとつ、ゆっくりお料理したい。その日の食べたいものを心に描きつつ、家族のおいしそうに食べる顔を描きつつ、子ども達に手伝ってもらいつつお料理すること。どうもこれが私の生活の基軸になっていたこと、これがないとなんだか落ち着かないんだなーというものになっていたことも、今回新たに発見したことです。・・・などと思いつつ、今日もあの教室の固い椅子に座りたいと思います。あと2日、がんばります。

論文の前に

2008-04-11 07:18:05 | 通信制大学・大学院
 心理学系の大学院を終えて、児童カウンセリングの仕事に就職して2年目、という友人と先週、お食事に行きました。論文のテーマをどう絞り込んでいくのかなどについて聞きたかったのですが、心理学系はやや特殊ということで、そのあたりの話はあまりできませんでした。が、国会図書館の使い方について教えてもらって、びっくりしました。登録すると国会図書館は資料を郵送してくれるそうです。すごーい、そんなサービスをやっているのね!(そんなことも知らないところからスタートしている私・・・。まだ全く一人でやっているので、そういった具体的なことを全然知らないのです。)

 そして昨日のこと。ある外国人女性が日本人の住宅購入理由についてインタビューしたいというお話があり、昨日、彼女が家に来て私にインタビューしました。彼女は大学院生で現在論文を書くために来日、そして知り合いなどから紹介してもらってインタビューをしているとのことなのですが、そこで気づいたことがいくつかあり、私にとっても非常によい経験となりました。

 彼女は約束の時間よりも30分近く早く来て、私をとても慌てさせました。そして、自分がどんなにこの論文に情熱を持って取り組んでいるか、ということを語るのかと思ったら、簡単な自己紹介で終わってしまいました。そしてインタビューを始める前に「実は2月にテーマを決めたばっかりで、あんまり深く考えてなくて。まだ何が書きたいか、ちょっとよくわからない」と言いました。論文を書くにあたって、私も今そのあたりのことを悩んでいるのでわからなくもないのですが、自分が何を見いだしたいのか、という目的くらいはわかるはずです。例えば最終的には日本人の住宅についての高い意識を彼女の母国の人にも知らせたいとか(まあ、それはありえないだろうけど)、逆に日本人があまりにも母国の考え方と違う意識で購入しているので、その問題部分を提起してみたい、とか・・・。その上で、具体的な内容をインタビューで探っていく、というのが普通なのでは?と思いました。

 インタビューのやり方もまず事前のリサーチが足りなすぎて、質問がとてもプアな内容でした。この内容だったら、メールでの質問で十分というような基礎的な質問です。「いつ購入したか?」「なぜこの物件が気に入ったか?」「このエリアを気に入っているか?」というような質問で、しかも彼女は次の質問をすることに気を取られ、私の話をじっくり聞こう、面白いエピソードを引き出そう、いろんな考え方を聞いてみよう、というインタビューではありませんでした。これはされる側としてはあまり気持ちのいいものではなかったです。話の途中で彼女の手元の紙に目を落として、いかにも聞いてない感じでした。録音していたので彼女はきっとあとで聞けばいいわと思ったのでしょうが、インタビューも要はコミュニケーションなのだ、相手が気持ちよく話せないといけない、相手が楽しく話せないといけないということを私は学んだのでした。

 それと同時に、たとえ不出来でも稚拙でも情熱が感じられれば、相手には伝わるものがあると思います。彼女のように、「7年も大学生をやっていて、のんびりしちゃってて飽きちゃった」「今回の来日は一番は友達に会うため、論文は2番目」などというのでは、こちらはかなりがっかりしてしまいます。

 さて、今月の24日と思っていた私の論文の最初の指導(といっても担当教官を決めるためのミーティング)が、ジジの幼稚園でのお誕生会と重なり、1週間早まりました。がーん、その日はなんとリポートの提出日と重なってる~! リポートを終えてから、1週間じっくり論文のコンテンツ作りに取り組もうと思っていたのに・・・。ということで、これから17日までまた超忙しくなってしまいました。それでもとにかくベストをつくして、相手に失礼のないように準備をできる限りしていくこと、そして私の思いをちゃんと伝わるようにしなくては、と思います。昨日のことも論文の前に、とてもいい経験をさせてもらったと思っています。

「ショックを受ける会」参加

2008-04-11 06:39:13 | 通信制大学・大学院
 先日、ある北欧関係の研究会に参加してきました。この会は毎回発表者が一人(場合によっては2人)いて1時間ほど発表したあと、質疑応答を行います。これで参加は3度目ですが、私には「大ショックを受ける場」として定着しつつあります。

 まず、わからないなんとか学の用語、個人名、あるいは北欧の言語がしばしば飛び交い、話に全くついていけないことがよくあること。初めて新入社員として働いたときのことを思い出すと、こういうのも慣れでもあるとも思うのですが、人並みに話を理解して聞けるようになるまでは、なかなか時間がかかる(あるいは不可能かも)ことと思います。それにしても学者、研究者という方々は、あまりにも多くのことを知っているのだなあと、今さらながら彼らの職種を認識してみたりしています。

 次にその質疑応答ですが、これぞ名づけて「知識のボクシング」!別に戦っているわけでもなく、暴言や暴力的なわけでもないのですが(逆に言葉はものすごくソフトで洗練された言い回し)、あらゆるところからジョブを入れ、打ちのめしていくやり方は私には皆さんがリング上にいるように見えてしまいます。それにしても質問はなんと怖いのでしょう。以前、ある本で上野千鶴子が相手を打ち負かすのではなく、質問で相手を突いていく。あとは聞き手がそれを判断してくれる、というようなことを言ったということを読んだのですが、まさにそれです。質問によって、発表者の論理の基軸の曖昧さを、裏づけの薄さを、そして思考の浅さや不適格な判断を、どんどん浮き彫りにしていきます。

 私はといえば、やはりこの会での異端児(大学生だなんて私だけです)、オミソ、でありまして、質問すらまともにできないレベルです。私としてもこれはやっぱり違うのでは?と思うところがあって、質問するまで悶々と30分ほどあれやこれや頭の中で検討し、やっと、やっと質問してみたら、「あの~、確認なんですけど~、えっと~」と緊張のあまり小学生並み・・・。それでもしどろもどろになりつつ、まるで母親に言い訳をしている子どものように質問をしたのですが、一言で切り返され、まさに撃沈状態でした。それでも、私の質問の真意を汲み取りフォローする質問をしてくれた方がいて、本当に助けられたのですが。

 このようにショックを受ける会ではありますが、ここに来ると本当に「学問」について触れているという感覚を味わうことができます。駆け出しの研究者の方から大研究者の方までがいて、大研究者の方々が時には厳しい指摘も踏まえながらも、本当に温かいお気持ちで、後進の研究者をサポートしているのが伝わってくることがあります。学問することは、言葉を重ねて重ねて、何がしかの結論を見出そうとしていくことなのかと思うのですが、自分の言葉、他人の言葉、また他の人のことが、それが交差しあって、何かを見つけようとしており、皆さんの情熱を感じます。皆さん、本当に高いレベルの研究をしていらっしゃって、そのような中に入れていただいて、ひたすら感謝と大・大・大緊張の私なのでした。

 


Am I serious ?

2008-03-29 07:33:46 | 通信制大学・大学院
 たいていの日本人がそうでしょうけれど、私も英語がちゃんと話せません。学校教育の中で、きちんと話せる英語を身に着けている夫などは、いとも簡単に英語を操り、英語は本当に単なるツールです。日本の中では英語ができなくても困りませんが、年に一度デンマークに行くときには英語が必要となり、いつも伝えたいことの半分も伝えられず、歯がゆい思いをします。デンマークに行くたびに「もっと英語を勉強しよう」と思うのですが、帰ってくるとまた置き去りになっていました。

 が、ここに来て、この英語が大問題になりつつある今日この頃!論文にあたって、「ツール」としての英語が必要に!

 どのレベルの論文を書くのか、というところで分かれ目となりますが、①文献を日本語だけにする、②文献を英語でも読む、③文献をデンマーク語でも読む、という3段階に分かれます。どこまで読むかは自分次第でしょうが、今回はデンマーク語までは無理だと思うので、せめて英語くらいはなんとかしなくてはなりません。いざ、英語のものを読み始めてみると、いつものごとく今ひとつ意味がわからないことが多く、読んでも確信が持てないことが辛いところ・・・。英語のできる友人にアドバイスを乞っても、すでにほぼ完璧にできちゃう彼女達は、まあ、慣れよ、慣れ!なんてあまり役に立たないことしか言ってくれません。

 そしてもうひとつ、もしデンマークで論文のための資料を探そうと思ったり、政治関係のことを誰かに尋ねようとすると、今度は会話のスキルが必要となります。そういう話をするチャンスがあったとしても、話せなければ全く生かせませんよね。夫は極端に通訳を嫌がっているし、仮にやってもらったとしても不精不精であればこちらとしても気分がよろしくありません。

 ということで、今回、とうとう今度こそちゃんと「英語」に取り組もうと決心しました!いわば、背水の陣の英語、中年女性の英語、追い詰められての英語、英語くらいは英語、whatever!ですが、とにかく今度こそ英語がツールになるように、できるところまでやってみよう!と決心したのでした。

 そうして、家での夫との会話は1週間ほど前から英語に切り替わりました。今までもたまにそういうことにしていたのですが、すぐに夫のほうが日本語に切り替えてしまっていました。「だって僕の日本語のほうが君の英語よりも全然うまいから」と言われると、まあ、確かに、と引き下がってしまいました。しかし、今回はこちらにも切り札があり、「じゃあ、今度デンマークに行ったら通訳してくれる?」と言うと、通訳よりは家での英語の会話のほうがましだそうです。

 それでもやっぱり家族全員で話すときや、疲れてしまってるとき、こみいった話のときは日本語になってしまって、未熟な外国語で生活することの大変さを改めて感じています。こうした日本語に逃げることのできない国際結婚の人は、どのくらいのストレスがあるんだろう?と思ってしまいました。逆に夫は私のくだらないお喋りが減って、ある意味、ストレスが減っているそうです。くやしいので、早くくだらないお喋りで夫をうんざりさせるようになりたいところでもあります。
 
 すぐにあきらめちゃうかと自分でも思っていましたが、なんとかこの一週間で夫と英語で話す生活が定着してきました。うーん、私、今度こそ、本気? もし1年続けたら、だいぶ英語を普通に話せるようになるかしら?せっかくの人生、やっぱり英語が話せたほうが全然楽しくなるわけで、論文の与えてくれた、今回こそ本当にいい機会、最後のチャンス(これでダメだったら、きっとまたうやむやになっちゃうことでしょう)と思って、英語と向き合ってみたいと思います。

 
 

授業の選択

2008-03-04 07:44:04 | 通信制大学・大学院
 春の始まりを告げる梅の花の香りがあちこちでいい香りを放ち、この春はショウミーの卒園・入学、そしてジジの入園と控え、なんとも気忙しい今日このごろ。彼らのいろいろな準備やら縫い物やらもあるのだけど、今、私が必死で準備しているのが、4月から始まる私の次年度の授業の科目選択です。

 普通の通学制の大学生ももちろんシラバスに顔を突っ込んで悩むことでしょうが、通信制の場合、もっと悩むことが・・・。どの先生がどんな授業をするのかなどの話が入ってこないということもありますが、なんといってもスクーリングとの絡みがあるからです。私の場合、卒業までに15単位はスクーリングで取らなければならず、通常1つの教科でスクーリングに参加して2単位となり、計算すると8教科ほどはスクーリングということになります。年間で4教科分です。しかしスクーリングは1教科につき、年間1-2回の開催、またスクーリングのない教科もたくさんありますので、よーく、よーく考えて、スクーリングの15単位を確保しながら選択していかなくてはならないのです。また今年からはショウミーが小学生となるため、夏のスクーリング(一番充実している)の託児対象からはずれてしまい、夏はスクーリングを全くあきらめなくてはならないと思いますので、ほんとにピンチ!な私。昨日は一日中、シラバス、スクーリングの予定表、春のスクーリングの授業内容の冊子、過去のテストなどなどに文字通り頭をつっこんで、悩みまくってしまいました。

 そして4月の半ばにはいよいよ卒業論文のコンテンツを作って、担当教授を決めていただくために窓口となる先生にまずは会いに行く予定です。これまで本当に論文に割く時間がなくて、この春休みあたりに追い詰められて作成することになりそうです。デンマークの現代民主主義について、その具体的なところを知りたいという気持ちが出発点となりそうですが、院生の方の論文などを読むだけで「すごーく難しそうで、すごーくちゃんとしている~!」と早くもへこみますが、大学生なりの論文を書けばいいのだから、と自分に言い聞かせてます。

 ただここに来て、民主主義って何だろう?とわからなくなってしまっていて、それを解明するまでにも時間がかかりそうです。(というか、解明は無理なんだろうけれど・・・。)社会主義が民主的な社会システムの構築を目指して始まったこと、共産主義も民主的な分配とやらを目指していましたし、そもそも社会主義VS民主主義という構図で洗脳されていたけれど、この構図自体が違うのではと気づきました。民主主義のとらえ方は「政治とは何か」という問いに対して政治学者の数の分の答えがあると習ったように、研究者の数だけあるのかもしれませんね。しかし土台となるこの民主主義とは?という問いに対して、まずはいろいろ読んでみなくてはなりません。

 まったく本当に勉強を始める前よりもいろんなことがわからなくなってしまった私です。最近思うのは、「旅を始めてしまった」ということです。霧の中を地図もない旅を始めてしまったなと・・・。この旅はどこにもたどりつけないかもしれないのだけど、何しろなぜか旅を始めてしまったので、とにかく前に行くしかない、という心境です。