My Favorite 《ゴールデンイーグル&Sleeping lion》

私の好きな有名人、本、食べ物、ちょっと一言、感謝する事、etc

ヘルプマン!***くさか里樹***

2011年07月30日 | Weblog

モリー先生との火曜日『いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる』と書かれてあり、老いやいかに死ぬかを考えていた時に見つけた『ヘルプマン』のマンガ。まだ二巻までしか読んでいないけれど、介護の実態を知ると百太郎のお婆さんみたいにポックリ逝きたいと思ってしまう。

 

恩田百太郎は高校三年生。ある時 特別養護老人ホームから逃げ出してきた認知症老人に出会い、老人ホームに送り届けたことがきっかけで、老人ホームの実態や認知症の実態を知ることになる。認知症の老人はベッドの上に寝かされて、紐で縛られている。嫌がる老人は泣き叫び、鎮静剤を打たれておとなしくなる。身体拘束をしなければ、どこにでもオシッコをし、どこにいくかもわからないし、危険だからだ。そのことに疑問を感じた百太郎は家に置いてあった大人用おむつを着けて、手足を縛りどういう気持ちになるのか自ら体験する。現在の介護の状況に疑問を感じた百太郎は、介護の仕事をすることを決意する。

認知症の老人はオシッコや糞を垂れ流し、人に噛みついたりする。介護している家族はいつ終りが来るかどうかもわからない状況に、心身ともに疲れ果ててしまう。毎日過酷な状況の中で働いている介護スタッフ達。そして介護をビジネスだと考えている特別養護老人ホームの腹黒そうな施設長のような存在。とても陰湿な(喜びもあると思うけれど)介護の現場なのに、百太郎の温かさや前向きさが好感を持てる。

 この漫画 テレビ化されればいいのに。

 

セブン&アイより

http://www.7netshopping.jp/books/search_result/-/page/1/kword_in/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3%EF%BC%81/disp/2/oop/on/fromKeywordSearch/true/ctgy/books

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モリー先生との火曜日***ミッチ・アルボム氏***

2011年07月27日 | 

『いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる』

小学校に上がる前にお婆ちゃんが突然家で亡くなり、私はただ横で泣いていたという。

小学生の頃には姉が病気で亡くなった。そして大人になって父親が病気で亡くなった。

私には彼らが死に行く前に何を考えていたのか知るすべがない。当時の私は父親が何を考えていたのか知ろうともしなかったし、そして父も話さなかった。何か言葉を残せば私を縛るとでも思っていたのだろうか。

自分の死生観とでもいうのだろうか、私は一時期自分が死んだら自分の生きた形跡を全て消したいと思っていた。死ぬ前に住んでいる部屋の荷物は全て片付けて、自分自身も全て形が残らないようにしたいと思っていた。自分本位だったので、残された人達がどれほど悲しむかなんて考えていなかった。それとも残された人達が悲しむことがわかっていたから、自分の形跡を消して失踪したように見せかけたかっただけだろうか・・・

 

この本の主人公のモリー先生は、死に行く前に毎週火曜日の時間を自分の教え子に与え、人生についての講義をおこなう。テーマは『世界を語る』『自分をあわれむこと』『後悔について』『死について』『家族について』『感情について』『老いの恐怖』『かねについて』『結婚』『許しについて』etc

私はこの本を読むことで、少しだけ死に行く人が何を考えているのかを知ることが出来た。人間は誰しもいずれ歳をとって老いてゆく。私が物心ついた頃には家庭の中に高齢者がいなかったので、人が老いてゆくとどうなるかということを知らないで育ってきた。自分の髪の毛に白髪を見つけることよりも、年老いてゆく母親の顔にしわが増えることの方が驚愕する。それは母親に死が近づいていることとイコールだから。

 

主人公のモリー先生は自分の老いと筋委縮性側索硬化症(ALS)という病気と自分の死を受け入れた。

『いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる』

私は老いやいかに死ぬかを少ししか学んでいない。だから60歳位まで生きられたらいいと思ってしまうのだろう。

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TUBE  『RESTART』【この声が届きますように】

2011年07月25日 | Weblog

 ベートベンは耳が聞こえなくなるという絶望の果てに歓喜を見出し、アンゼルセンは14歳の時に俳優になる為に、少しのお金しか持っていないのにコペンハーゲンへと旅立った。ゴッホは貧乏と絶望からかみそりで耳をそぎ落として、その後ピストル自殺を図り亡くなるが、死後11年後に絵の価値が認められた。ベートベンとゴッホ、絶望の果てに歓喜を見出すことが出来る人間と、自殺してしまう人間の間では心の動きの何が違うのだろうか?

 例えば一億円の借金があろうとも死なない人間もいれば、将来を悲観したり、いじめや病気が原因で自殺したりする人もいる。死を選択するかしないかという一線を越えない境界はどこにあるのだろう。

  原発事故で放射線量の高い地域に住んでいる人達は、家や仕事やお金を失うことよりも大切なことがあることに気付いているのだろうか。アンゼルセンのように夢を持っていたり、大切な家族と一緒に暮らせたりするということや、命さえあれば出来ることがあるということを。植物や動物に異変が現れないかどうか、注意深く観察していかないと。

 被災地では孤独死が増えている。それは阪神淡路大震災でも経験していたのに、今回の震災では活かされていなかった。残された人間の中には生き残ったことへの罪悪感を持つ人がいる。多くのものを失ったことに対する喪失感と無力感。自分よりも若く希望にあふれている人達の方が先に亡くなってしまったことに対する気持ち。なぜ自分ではなかったのだろう。神様天国に連れて行く相手が違います。

 過去の扉を開きすぎると前に進めなくなってしまう。一度生まれた感情は、同じような悲しい経験を再度した時にフラッシュバックして甦ってくるかもしれない。

 TUBE RESTART』【この声が届きますように】

音楽番組をずっと見ていないので、ラジオを聞いてこの曲の存在を知ったけれど、どこかの知らない誰かの為に曲を作って励まそうとしている。自分が気付かないだけで、誰かが自分を励ましてくれているということを知ってほしい。

You Tubeより

RESTART 

http://www.youtube.com/watch?v=oIgm8oCejjU

 

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将来**にならなきゃいいけど

2011年07月24日 | Weblog

原発事故の影響で福島県では全住民の健康調査を30年間実施するとネットに書いてあった。細野さんは福島県以外でも実施する必要があるとの見解を示している。福島県内では健康診断があり、内部被曝をどのくらいしているかどうかすぐに調べてもらえるかもしれないけれど、他の地域に住んでいる人達や震災のボランティアで被災地を最初に訪れた人達はどうなるのだろう。そして時の首相が変わって30年間も健康調査を行うのだろうか。

日本では水俣病や薬害肝炎などで、救済される人間と救済されない人間の二通りが出来てしまった。健康調査を行われない方の分類に入ってしまったときに、自分の身を守るのは自分以外にはいない。もし原発事故の影響で健康被害が起こってしまったら。原発事故との因果関係を立証できるのは自分以外にはいない。毎日どのくらい放射性物質の影響を受けているか計測して、健康診断の記録を残して国や東電を相手に訴訟を起こす準備をしておくしかない。(誰もしないと思うけれど)

5年後10年後そういう状況にならないように、台風が福島の原発や被災地を通らないように、これ以上地下水が汚染されないように毎回祈るしかない。

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而今 ただ今を生きる

2011年07月23日 | Weblog

本を読んでいたら『而今』(じこん)という言葉を初めて知った。

デール・カーネギー氏の道は開けるの本の中にも『今日を生きる』ということが書かれているけれど、改めて而今の心境で生きている人達がいることをわかるようになった。

 

本の中では余命数カ月の末期がんの患者さんの例が紹介されていた。彼女は花を見て綺麗だと先生に言い、小鳥のさえずりが聞こえたことに対して今日はいい日だと先生に話していた。残された時間が短い人にとって一番大切なことは、自分が生きているというその一瞬一瞬の時間であり、生を生きているという実感だということ。

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初シソジュース

2011年07月21日 | Weblog

友達の家で飲んだシソジュース。

綺麗な色で美味しかったので、自分で作ってみることにした。

鍋にシソを入れてお湯を沸騰させると、シソの紫色がすぐに出てきた。

シソの葉を箸で持ち上げると不思議な事に葉の色が緑色に変わっている。

私は甘党なので砂糖をドバドバ入れる。

それからお酢を入れると、不思議な事に色が鮮やかな紫色に変化した。

グレープジュースみたい。

初めてのシソジュース。

少し苦味が残ってしまったけれど、炭酸で割っても美味しいかもしれない。

とてもミラクルな飲み物。

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ビビった

2011年07月19日 | Weblog

 連休で実家に行って、帰ってきてポストを見たらお札の紙だけが入っていた。

誰が入れたのかは不明。

昔の字で書かれているので意味がわからず、とりあえずネットで調べてみる。

夜中に親切な人が私の質問に答えてくれていた。

お札の意味はわかったけれど、誰が何の目的で入れたのかを考えていると怖くなってなんだか眠れない。

どこかの宗教団体がお札だけ入れて、あとからお布施をして下さいといいに来るのだろうか?

それともこの地域では週に1回ぐらいのペースで性犯罪が起こっているし、ひったくり事件も多発しているので変な人がうちに目をつけたのだろうか?

過去のトラウマが甦る。

犬はいるけれど昼間窓を開けるのは危ないだろうかと心配になってしまう。

 

翌日念の為に隣の家の人にお札が入っていたのですけれど、知っていますかと聞いてみた。すると子供神輿がきて置いていったとのことだった。

私はここにきて一年経っていないから、そんな風習があるとは知らなかった。

私は神経質だし怖がりだから一言紙に書いてほしかった。

警察にも電話してしまったではないか。

 

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カーヴィーダンスで即やせる! 樫木裕実

2011年07月18日 | 

友達の家に遊びに行ったら樫木裕実 さんのDVD付きの本が二冊あった。

表紙にはバスト84cヒップ84cmのかわいい顔をした女性が写っている。

そして年齢がなんと48歳。踊りもセクシーでスレンダーな体型の彼女。

私も脱いだら凄いんです!

下腹ぼっこりで・・・(笑)

ということで、せっかくだからDVDを見ながら私も踊ってみることにした。

最初はリズムがゆっくりで楽かなと思っていたけれど、何しろ体力不足。

リズムが速くなっていくと10分以上続かない。

あえなく挫折。私は続かなかったけれどこれだと確かにお腹周りのお肉が落ちていいかもしれない。

 

http://books.rakuten.co.jp/rb/%E6%A8%AB%E6%9C%A8%E5%BC%8F%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%A7%E5%8D%B3%E3%82%84%E3%81%9B%E3%82%8B%EF%BC%81-%E6%A8%AB%E6%9C%A8%E8%A3%95%E5%AE%9F-9784056059748/item/6482593/

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ナッちゃん

2011年07月13日 | 

出来るかどうかを考えるんやない

どうやったら出来るかを考えるんや

それが工夫ちゅうやつや

 

<ナッちゃんの親父 >

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道は開ける***デール・カーネギー氏***

2011年07月12日 | 

 自分一人では到底解決できない問題に直面して、将来に対して絶望して生きていくのが辛くなった時は、ただ今日という一日を生きなさい。心の中はどしゃぶりでも、息をして食事をして、ただ今日という一日を生きていきなさい。いつか必ず雨がやみ、光が差し込む時がくるから。

 

☆過去と未来を鉄の扉で閉ざせ、そして今日という区切りの中で生きよ。

以下のような自問自答を書きしるしてみたらいい。

一、私は未来を心配したり、はるかかなたの魔法のバラ園にあこがれて、現在に生きることを避けようとしていないか。

二、私は過去に起きた事柄を後悔することにより現在を苦々しくさせることはないか。

三、毎朝起きた時『今日を把握しよう』今日という二十四時間を最大限度に活用しようと決心しているだろうか。

四、『今日に生きる』ことによって人生からより多くをつかみ取ることが出来るか。

五、これをいつから始める?来週? 明日? 今日?

 

悩みを解決するについての魔術的公式

『第一.      まず状況を大胆率直に分析して、この失敗の結果、起こりうる最悪を予測してみた。・・・』

『第二.      起こるかもしれない最悪を予測してみた後、私はそれを甘受することにした。・・・

『第三.      それ以後、私は、すでに精神的には受けいれていた所の最悪の事態を少しでも緩和する為に、静かに私の時とエネルギーを集中させた。

 

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