『いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる』
小学校に上がる前にお婆ちゃんが突然家で亡くなり、私はただ横で泣いていたという。
小学生の頃には姉が病気で亡くなった。そして大人になって父親が病気で亡くなった。
私には彼らが死に行く前に何を考えていたのか知るすべがない。当時の私は父親が何を考えていたのか知ろうともしなかったし、そして父も話さなかった。何か言葉を残せば私を縛るとでも思っていたのだろうか。
自分の死生観とでもいうのだろうか、私は一時期自分が死んだら自分の生きた形跡を全て消したいと思っていた。死ぬ前に住んでいる部屋の荷物は全て片付けて、自分自身も全て形が残らないようにしたいと思っていた。自分本位だったので、残された人達がどれほど悲しむかなんて考えていなかった。それとも残された人達が悲しむことがわかっていたから、自分の形跡を消して失踪したように見せかけたかっただけだろうか・・・
この本の主人公のモリー先生は、死に行く前に毎週火曜日の時間を自分の教え子に与え、人生についての講義をおこなう。テーマは『世界を語る』『自分をあわれむこと』『後悔について』『死について』『家族について』『感情について』『老いの恐怖』『かねについて』『結婚』『許しについて』etc
私はこの本を読むことで、少しだけ死に行く人が何を考えているのかを知ることが出来た。人間は誰しもいずれ歳をとって老いてゆく。私が物心ついた頃には家庭の中に高齢者がいなかったので、人が老いてゆくとどうなるかということを知らないで育ってきた。自分の髪の毛に白髪を見つけることよりも、年老いてゆく母親の顔にしわが増えることの方が驚愕する。それは母親に死が近づいていることとイコールだから。
主人公のモリー先生は自分の老いと筋委縮性側索硬化症(ALS)という病気と自分の死を受け入れた。
『いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる』
私は老いやいかに死ぬかを少ししか学んでいない。だから60歳位まで生きられたらいいと思ってしまうのだろう。