My Favorite 《ゴールデンイーグル&Sleeping lion》

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「絆を育てる」***姜尚中(カン・サンジュン)氏講演会***

2011年04月28日 | 有名人

「絆を育てる」という題目は震災前に考えられたと姜尚中氏は話していましたが、3・11の震災が起こってこの言葉の重要性に私は痛感させられました。

震災で生き残った人達の一部には、どうして自分が生き残ってしまったのかと後悔してしまう人たちがいます。

震災から一ケ月が経ち、肉親が亡くなったという現実を受け止めるのがつらい、そういう時にどうやって生きる力を得るのか?

それは絆ですと、姜尚中氏は言います。

今度の原発事故にしても、この事故を教訓にして周りの国に技術提供をしていって絆を広げていく。

姜尚中氏は、政治家や原子力安全保安院が国民に説明する内容が不十分だと感じています。

人の心を打つ言葉を政治家が話していないと言います。

そして、3・11より前と3・11から後で価値観が変わるだろうと話してくれました。

 

【ここからは私の意見】

姜尚中氏がいうように、3・11から後で大勢の人達がボランティアに行き炊き出しをしてくれたり、被災地の子供達を動物園に招待してくれたり、ランドセルを贈ってくれたり、花を贈ってくれたり、皆が節電に取り組んだりと、自分のことだけでなく困っている人達を助けようという価値観が生まれました。

それは日本国内に限らず、海外にも広がりました。

海外から送られてきた何億という義援金や励ましの言葉の数々に、行動でも人の心を打つことが出来ると感じました。

ニュースを見ていたらドナルド・キーンさんが、原発事故が収束してもいないのに日本の国籍を取得して来月には日本に住むと話していました。

日本を愛してくれているのが伝わってきます。

 

また他の人のブログを見ていたら、被災者の男性とボランティアに入った女性が婚約したことを知りました。

被災者の男性は震災で勤め先は無くなってしまいましたが、そういう物質的には何もない状態でもボランティアの女性が惹かれるだけの精神性を持っていました。

この二人は震災がなかったら出会うことはなかったのです。

そして今度の震災がなかったら、日本はこれほどまでに世界中に絆を広げることはなかったでしょう。

 

Yahooニュースより】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110423-00000008-maip-soci

 

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自由貿易は、民主主義を滅ぼす***エマニュエル・トッド氏***

2011年04月27日 | 

エマニュエル・トッド氏は、この本の中で自由貿易により経済対立が起こって、万人の賃金に圧縮がかかりあらゆる先進国において、格差拡大と生活水準の低下が起こると述べている。

しかしトッド氏が住んでいるフランスの政治家は、自由貿易主義が最もふさわしい経済政策であると信じている。

その為トッド氏は、一時的に保護主義に舵をきる方が政策的には正しいと考えている。

欧州を例にあげて、賃金の低い国(例えば中国)からの製品輸入に関税を設けることが、欧州の労働者の給与を上げることに繋がり、さらに内需を喚起させることになると考えている。

そして保護主義をとることで、経済活動を再浮揚させる効果があると書いている。

世界的には過度の自由貿易のせいで、貿易を崩壊させて今回の経済危機を引き起こしてしまったので、保護貿易主義化が進めば輸入を再び拡大させることが出来るそうだ。

 

 

《給料の総額が、その国の内需を支えている》

日本は賃金の安い国でモノを生産してモノを輸入しているので、日本の労働者の賃金はますます低下して、失業者も増えてしまう。

日本は今回の原発の影響で、海外で高評価されていた日本製の製品や食料の信頼性を失ってしまった。

3・11の震災と原発は、もしかしたら日本が保護主義に変わるチャンスなのかもしれない。

保護主義と言っても、具体的にどの部分を保護すればいいのかは、被害が甚大すぎて私にもまだわかっていない。

しかし震災後一年ほど経過したら、またTPPが議論されることになるかもしれない。

憶測だけれど、トッド氏は日本のTPP参加には反対かもしれない。

 

《日本の核武装》

この本の中にも日本の核武装の項目がある。

私が以前「帝国以後」と日本の選択のブログの中で、北方領土問題、尖閣列島の問題を考えると日本の核保有を議論する時期にあると書いたことがある。

しかし福島で原発事故が起こってしまい、原発の怖さを知ってしまった。

そうして気付いたのが、別に日本が核を持つ必要はなかったという点だ。

核を持たなくても相手国に原発があり、それを攻撃出来るだけの装備があれば事足りるのだ。

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核燃料プールの再臨界

2011年04月26日 | Weblog

浜岡原発、巨大地震対策 虹のネットワークネットを見ていたら核燃料プールにある使用済み燃料も、再臨界の可能性があると書かれていました。

そして再臨界をさせないために、燃料プールの中に燃料を入れない、ぬいてしまうという方法もあるとありました。

もし取り出すことが出来るとすれば、冷却システムが作動している地域に移動する方が、何が起こるかわからない場所に置いておくよりは安全だと私は思います。

 

福島原発では建屋はすでに壊れていて、核燃料プールも水圧で壊れる危険性があるため補強工事をおこなうとニュースで流れていました。

もしも水圧や地震で核燃料プールが壊れたら?

核燃料プールにある使用済み燃料は、火薬庫の中にある爆弾みたいな存在なのかもしれません。

 

新聞を見ていたら、福島原発で格納容器を水で覆う水棺が検討されていると載っていました。

私はすぐに石棺で覆われたチェルノブイリの姿を思い出しました。

水棺にした場合、第二のチェルノブイリのように何十年も放置することにならなければよいのですが。

浜岡原発、巨大地震対策虹のネットワークのネットの中で、浜岡原発の危険性が挙げられていました。

震源域の真上にある静岡の浜岡原発の存在は、とても脅威だと言わざるをえません。

 

浜岡原発、巨大地震対策虹のネットワークより

http://www.stop-hamaoka.com/

プールの使用済み核燃料もメルトダウンの可能性より

http://www.stop-hamaoka.com/kaisetu/pool.html

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まんがアトム博士の電磁気学入門①

2011年04月25日 | 

 

まんがアトム博士の電磁気学入門を読んでいましたら、面白いことが書かれていました。

それは、この世の最低温度は273℃(26気圧)で、この温度ではすべての原子や分子たちは分子振動を完全に停止して眠り続け、気体や液体の分子たちは凍結して個体になるそうです。

273℃(26気圧)という数字が気になっていた私は、次の二冊の本の中にあったヘリウムという元素に注目しました。

その二冊の本とは、「イラスト図解 元素」の本と「元素周期 萌えて覚える化学の基本」です。

この本で1から118まである元素を調べると、ヘリウムの融点(個体が液化するときの温度)・沸点(液体が気化するときの温度)がそれぞれ-272.2-268.934で、この世の最低温度に近く、液体ヘリウムが冷却材として活用されていることが解りました。

 

以前のブログで、原発の冷却方法として水以外にも氷を使ってみたり、液体窒素を使ってみたりする方法はないのだろうかと書きましたが、元素の本を読んで液体窒素よりも液体ヘリウムを使って凍らせたらどうだろうかと思うようになりました。

窒素よりもヘリウムの方が融点・沸点が低いからです。

 

液体ヘリウムを使ってこの世の最低温度273℃(26気圧)まで凍らせたら(水素と酸素の融点・沸点が低すぎる為この温度まで下げないと個体にならない)、放射性物質の飛散を止めることが出来るのではないだろうかと、素人の私は考えた訳です。

 

下記にそれぞれの元素の融点・沸点を示します。


1-水素-259.14℃と-252.87℃)

2-ヘリウム-272.2℃と-268.934℃)

7-窒素-209.86℃と-195.8℃)

8-酸素-218.4℃と-182.96℃)

38-ストロンチウム769℃と1384℃)

53-ヨウ素113.5℃と184.3℃)

55-セシウム28.4℃と678℃)

44-ルテニウム2310℃と3900℃)

92-ウラン1132.3℃と3745℃)

94-プルトニウム641℃と3232℃)

 

私は物理学者ではないので、この世の最低温度まで凍らせたら放射性物質の反応を止めることが出来るのか、その実験をすることは出来ません。

私が学生の時に元素のことを判り易く理解して、物理が面白い学問だと思っていたら、今頃は学者になっていたかもしれません・・・

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ノアの方舟

2011年04月24日 | Weblog

福島第1原発から半径20キロ圏内の家畜が殺処分される。

育てていた畜産家からすれば、餓死させるのも殺処分されるのも耐えられないこと。

これから先も計画的避難区域にある家畜が餓死したり、殺処分されたりする可能性もある。

このまま見殺しにしていいのだろうか。

 

福島県外で畜産をすることを放棄した人はいないのだろうか。

宮崎県では鳥インフルや口蹄疫でたくさんの家畜が殺処分された。

そういう宮崎だからこそ、福島の家畜の一部分でも受け入れてはくれないだろうか?

自分達が大切に育てた家畜を殺すしかなかった畜産農家の人達。

同じ痛みを共感することが出来るはず。

今生きている家畜達を、人間の手でノアの方舟に乗せることができるのだから。

 

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② 利権を求めてはいなかっただろうか? 

2011年04月23日 | Weblog

 生きていたい!チェルノブイリの子どもたちの叫びから

「小さなあやまちが大きな悲劇を生んだ」より ナジェージダ・ガエヴァ(13歳)ウクライナ

いったいだれが放射能を降らせたの?

どうして今になって。

原因を作ったのは大人たち。

そして、今その犠牲を子どもにおわせている。

そう、大人たちは過去のあやまちを子どもたちにつぐなわせた。

でも、大人たちはただ、だまったまま。

わたしたちの質問には答えようとしない。

だから、つぐなうのはわたしたち子ども。

自分の命とひきかえに。

あなたたち大人が命を大切に思うようになるまで。わたしたちは人間のあやまちをつぐないつづける。

 

自分達の利便性の為に原発を作った大人達。

津波と地震があったとはいえ、原発の事故で子供達が校庭で無邪気に遊ぶことが出来なくなってしまった。

夏になってプールで泳ぐことも出来なくなってしまった。

何の罪もないペットや家畜達も餓死してしまった。

大人が作った危険な創造物で、これ以上の犠牲者をだしてはいけない。

私も含めて大人は、目の前にある大きな利権を求めすぎているのかもしれない。

 

☆ニュースで地震の影響で干潟が消えて、貝が減っていると話していた。

それでも潮干狩りをしている人達が数人いた。

自然が今の海の状態は危ないから今は潮干狩りをしてはいけないよと教えてくれているのではと私は感じてしまった。

貝のモニタリングはちゃんとされているのだろうか?

 

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① 利権を求めてはいなかっただろうか?

2011年04月22日 | Weblog

 最近受けたセミナーでは結論を先に話しなさいと教わったので、結論から先に書こう。

原発がある地域の住民は、原発が地元にくることによって自分達の利権を求めてはいなかっただろうか?

答えは「Oui」と言わざるを得ない。

 

「ノンちゃんの原発のほんとうの話」の本の中で、電源三法という法律の事が書かれていた。

この交付金のおかげで地元に億単位のお金が入ってきて、立派な公共の施設を建設することが出来たり、雇用が生まれたりすることによって町が潤ったのではないだろうか。

そして原発がある地域の住民は、自分達の意思で原発を容認している議員や政治家を選んだのではないだろうか。

原発は安全だからという電気会社や学者の説明を鵜呑みにして。

 

ソ連のチェルノブイリ原発事故・スリーマイル島での原発事故が起こった後で、対岸の火事だと思わなかったら、原発に反対する住民や県知事が一緒になって原発推進に反対することが出来たのではないだろうか。

そういった視点から改めて考えてみると、誰が悪いのかということは言えないと思ってしまう。

 

私が住んでいる県に、原発がなくて今回の震災の被害を受けていないから、冷静にこういうことが書けるのは判っている

 

福島県知事は原発の再開はあり得ないと話していた。

国民の記憶に原発の怖さが残っているうちはいいけれど、これから先原発が収束して数年経って記憶が薄れて子供が大人になった時に同じ過ちを犯さない為にも、原発推進の議員や政治家を国民は選挙で選んではいけないということだ。

そして大人は子供にこのことを伝えなくてはいけない。

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自然と共存しなければならない

2011年04月18日 | Weblog

週末実家の門柱が壊れたので修理に帰ると、実家の横で建築中の中学校の校舎、体育館、武道場の外観がほとんど出来上がっていた。

中学校と家の間の小川は以前からコンクリートで整備されていたけれど、改めて気付くことがあった。

それは今年から蛍の幻想的な光を見ることが出来なくなるということ。

今までは小川がコンクリートで整備してあっても横が田んぼのせいもあり、少しだけれど蛍が畑や小川の上を舞っていたのだ。

それが見られなくなってしまうのだ。

私が子供の頃はその小川には鮒がいて、蛍が舞って、田んぼでは蛙の鳴き声が聞こえ、オタマジャクシやアメンボやメダカがいたのに、時代の流れと共にそれらは全て人間のせいで失われてしまった。

 

東北地方の大震災で津波の被害が起こり、同じことを起こさないために高台の安全な場所に新しい街を作ることになる。

森を切り崩して人間が住みやすいように作り変えようとしている。

そこに以前から生息していた鳥や動物達は、住めなくなって姿を消すかもしれない。

また木を切り倒すことで新たに災害を引き起こす可能性もある。

自然をなるだけ破壊しないように、生態系を壊さないようにして、新しい街を創らなければいけない。

一度失ったものは簡単には取り戻すことは出来ないのだから。

失って思い出にしてしまうのか、それとも共存するのか、人間は事を起こす前に考えなければいけない。

 

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信じるしかないのでは②

2011年04月14日 | Weblog

 

自分が首相だったらこの不測の事態に決断することが出来ただろうか?

行動することが出来ただろうか?

不眠不休で働くことが出来ただろうか?

皆から色々批判されて怒らないでいられるだろうか?

 

国民は不安心理と怒りの中にあり、冷静な判断が出来ないでいる。

そのストレスを政府や東電に過剰に向けていないだろうか?

私も一時期 政府や東電の対応の遅さに、政府と東電から殺されてしまうと考えた事もあった。

しかし彼らは少しずつだけれど確実に前に進んでいる。

そして、首相は一人の人間である。判断を間違う時もあれば、知識が足りない時もある。

そんなときに辞めろと言うのではなく、力が足りないのなら手を貸してあげたり、支えてあげようと思う人はいないのだろうか。

人間は一度嫌いだと思ったら、その人が幾らいいことをしても批判的になってその人に協力などしなくなってしまう。

 

民主党の力が弱くなるということは、首相の指導力が弱くなるということ。

その状態を作り出したのは他ならぬ国民である。

統一地方選でも民主党が負けてしまい、今度の市議選でも負けるかもしれない。

そうするとますます首相の指導力が落ちて、国会での政策決定に影響を及ぼし、震災・原発対応が遅れてしまうだろう。

 

菅首相が原発の被害補償の件に対して、最終的には政府が責任を持つと発言されたけれど、1企業が補償できる額はすでに超えている。

そうすると国民の負担になってしまう。

国民の負担を増やさない為にも、日本の国が国家破綻しない為にも、政治家も国民も人の批判をしているヒマはないのだ。

震災や原発よりも怖いのは、こういう状況にあるのに先の事を考えないで一致団結しようとしない人の心かもしれない。

 

結局、一般市民にはすぐに国を動かせるだけの権限が与えられていない。

この国で一番の権限を与えられていて、尚且つ一番の重責を担っているのは国のトップである首相であり、次に重責を担っているのは東電の社長と作業員である。

私達は、首相や東電の社長や作業員や協力企業の人達が命を削って事態を収束してくれるのを信じて祈ることしか出来ないのだ。

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信じるしかないのでは①

2011年04月13日 | Weblog

昨日菅首相が会見を開いた。

菅首相は、東京電力に将来の見通しを示すように指示したけれど、当事者の東電自身が見通しをつけることが出来ない状況にあることは、素人の私の目から見てもわかる。

会見の中で、記者の一人が総理の存在が国民の不安材料になっていると発言したけれど、あえて私は首相を擁護しようと思う。

テレビのコメンテーターや政治家の中には、震災後に東電にのりこんでいった首相に対して批判的な発言をする人がいるけれど、私はその行動は正しかったと思う。

原発で大事故が起こったら、福島だけではなく日本全土に影響を及ぼすからだ。

それは時間の経過とともに事の重大さがわかるだろう。

それと自民党の谷垣総裁に電話で入閣を要請した件も、順序が違うと自民党の政治家から批判されていたけれど、緊急に与野党で結束する必要があると判断されたと思うので、国難の時にまで形式を重視するのかと私は疑問に思ったぐらいだ。

 

最近民主党内での一部の政治家の動きや、野党の方々の発言を聞いていると、表舞台に復帰して権力を振るいたい、本心では政権を取りたいという気持ちが見えてしまって辟易してしまう。

 

テレビを見ていたら、一部のコメンテーターがさきほどの記者と同じように、首相の存在自体が不安材料であり早く辞任してほしいとか、指導力がないとか、史上最低の首相とかいろいろ話していた。

そして国民の一部もそう思っている。

しかし、自分が首相だったら今回の震災や原発の対応について、どう決断してどう行動するだろうかと考えたことはあるのだろうか?

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