My Favorite 《ゴールデンイーグル&Sleeping lion》

私の好きな有名人、本、食べ物、ちょっと一言、感謝する事、etc

美味しいカレーパン  アヴァンセ

2013年08月31日 | グルメ

一味違うアヴァンセのカレーパン

どこが違うのかと考えたけれど、普通のカレーパンに比べると生地が薄くて、カレーがトロトロしているところ。

水分が多い。

夏は体が疲れているから、ちょっとスパイスのきいたカレーパンが食べたくなる。

残念なのは、牛肉ゴロゴロまでは入ってなかった点。

牛肉二個入っててほしかったな。

でも私の中では今まで食べた中でNo1カレーパン

カレーパンは160円。

なごやっ子はフランスパンにあんことマーガリンがたっぷり入っていて、これぞなごやフーズって感じで130円。

本間パンの直営なのでパンが安い。

 

アヴァンセ

http://honma-bread.mp24.biz/shop/detail.php?shop_id=2

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安くて美味しいお菓子 シャトレーゼ

2013年08月31日 | グルメ

お店に入って商品をみると、洋菓子・和菓子・ケーキ・アイスクリーム・パンも売っていて品揃えの多いことに驚いてしまう。

クーポンを持っていたから《うみたて卵のスイーツセット》5個入を483円から390円で購入。

セットには無添加契約農場うみたて卵のプリン2個

ダブルシュークリーム2個

ピュアメルテ1個が入っている

 

このほかに私のお勧めはぶどう餅とマンゴープリン

シャトレーゼ

http://www.chateraise.co.jp/products/list.php?category_id=10

 

 

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後世に伝えていきたいもの

2013年08月23日 | 

30年近く前の1983年5月26日、日本海中部地震が発生し、大津波によって青森県や秋田県の沿岸で100人もの死者が出ました。中でも涙を誘ったのは男鹿半島の海岸に遠足に来ていた小学生13人が幼い命を失ったことです。

 以下、山下文男氏の「津波てんでんこ」(近代日本の津波史)PP.177-178、新日本出版社(2008)より引用させていただきます。

『海岸から車で2時間もかかる山村(北秋田郡合川町:現北秋田市)の合川南小学校の4年生と5年生の学童45人が「美しい海を見せたい」との教師や父母たちのはからいによる遠足で、男鹿半島の加茂青砂海岸に到着したのは、地震(午後0時0分18秒)の直後であった。そのとき、子供たちを乗せた2台のマイクロバスは、急な坂道を海辺に向かってゆっくりと下りはじめていた。バスは激しく揺れたが、それが地震によるものだと知ったのは、地元の人達が、地震だ!と叫びながら飛び出してきたり、墓石などが揺れるのを見てからであった。バスが止まると、子供たちはすぐ降りようとしたが、先生や付き添いの大人たちは、地震が気になるので相談して全員を車内に留まらせた。しばらく海の様子を見ていた。だが、海は青々と、綺麗で静かだった

「ようし、出よう!」

リュックを背負った子供達は5mを超える防波堤の階段を降りて、岩場もある海辺に腰をおろし、喜々として弁当をひろげはじめた。

あっという間の事であった。突如として水面が盛り上がるようにして海が迫ってきた。これが津波だと考える間もなかったという。

「帰れ!逃げろ!」

上で見ていた地元の人達が叫んだ。然し、もう遅かった。避難階段はそこにないし、高くて飛び上がることも出来ない。子供達も先生たちも一瞬、波に叩きつけられてしまった。激浪の中にそのまま消えていく子、必死になって泳ぐ子、防波堤の上の人達がロープを投げ、竿や板きれを出した。

子供たちの所まで届かないものもある。それにつかまる子、つかみそこねてそのまま沈んでいく子、すべてが津波特有の瞬間的な惨劇であった。地震の発生から約十分後のことであった。

その頃、気象庁はまだ津波警報をだしておらず、テレビにもラジオにも警報が出ていなかった。

間に合わなかったのである。

 こうして、美しい海岸でたのしい一日をという思いやりある遠足が、一転して悲しい出来事と変わり、いたいけな子供達13人の命が奪われた。

奇跡的に命拾いしたある子供は「もう海には行きたくない」と語ったという。』

 

このとき、あの「稲むらの火」の教材が教科書に残っていたならこの悲劇は防げたかもしれない、という声が聞かれました。この物語はぜひ後世に伝えていきたいものです。

 

災害列島日本の地盤を探る  前野昌弘

 

☆☆☆

災害は忘れたころにやってくる。

津波の怖さを伝えるものが「稲むらの火」ならば、戦争の悲惨さを子供に伝えるのは「はだしのゲン」

同じことを繰り返さないように、後世に伝えていかないといけないんだ。

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稲むらの火

2013年08月22日 | 

ある秋の夕暮れどきのことです。庄屋の五兵衛は高台にある自分の家の縁側に座っていると長いゆったりと揺れ方とうなるような地鳴りの不気味な地震を感じました。

その直後、ふと目を海に向けると、波が沖へ沖へと逆方向に動いて、次第に海の底が広がっていく状況に思わず息をのみました。

とっさに津波だと予感した五兵衛は、このままにしておいたら400の命が村もろともひと呑みにやられてしまう。

一刻もぐずぐずしてはいられない。「よし」と叫んで、家へ駆け込んだ五兵衛は、大きなたいまつに火をつけ、それをもって飛び出しました。

そこには取り入れたばかりのたくさんの稲束「稲むら」が積んでありました。

「もったいないがこれで村中の命が救えるのだ」と叫んだ五兵衛はいきなり、その稲むらのひとつに火を移し、次々と火をつけて走り回りました。

やがて夕闇の中に天を焦がすほどの高さに燃え上がった炎を見て、村人が半鐘を鳴らし、海辺に住んでいる村人たちは高台にある彼の家に駆け上がってきました。

五兵衛が後から後から上がってくる老若男女を一人一人数えました。

ほぼ一同が揃ったとき、五兵衛は力いっぱいの声で叫びました。

「見ろ、やってきたぞ」

黄昏の薄明かりをすかして、一同が彼の指さす彼方を見ると、黒々とした大きなうねりの波がこちらへ向かって押し寄せてくるのを目にします。

やがて百雷が一時に落ちたようなすさまじい轟きとともに押し寄せた波が村全体を呑み込み、そのあと潮が引くと同時に村全体がえぐりとられ、跡形もなく消えていました。

こうして、彼の機転が多くの命を救ったのです。

  

これは実際にあった話で、安政元年(1854年)12月24日に、安政の南海地震が発生し、日本各地に大きな被害をもたらしました。

この時の地震はマグニチュード8.4であり、1923年の関東大震災の7.9から比べると、いかに大きかったかがわかります。

この地震で津波の高さは30mを超えるものといわれます。

このモデルとなった濱口儀兵衛(1820~1885)は当時34歳でした。

 

儀兵衛は、この津波の後、コメの借り入れなどに東奔西走し、避難民の為に私財を投じて50軒の家を建てました。

さらに、私財を投じて津波を防ぐための防波堤をつくりはじめ、4年の歳月をかけて完成した堤防は、高さ4.5m、全長670mに及ぶものでした。

この堤防工事には被災して職を失った地元の人達があたり、この賃金によって日々の暮らしを支えることができました。

この堤防は「広村堤防」と呼ばれ、儀兵衛の遺志の通り、92年後の昭和南海地震によって発生した津波からも広村の人々の生命を守りました。

現在もこの防波堤はコンクリートで補強され、住民を守り続けています。

 

災害列島日本の地盤を探る  前野昌弘

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母と子で見る水爆ブラボー 3月1日ビキニ環礁・第五福竜丸 豊崎博光・安田和也

2013年08月18日 | 

しかし、人々の健康は見えないところでむしばまれていた。血液中の白血球数が異常に低下していた。ロンゲラップ島で死の灰をあびた64人のうちの約一割の住民の白血球数が一立方ミリあたり1000個以下となり、なかには700個という住民もいた。

通常、人間の白血球数は血液一立方ミリあたり6000個から8000個であることから、その少なさは異常だった。白血球数の異常は外見からは見えない。“血液のガン”と呼ばれる白血病になるのではと恐れた医師団は、再び抗生物質等の薬を与えようとしたが、将来の治療への影響を考え、薬を与えなかった。その後しばらくたって、人々の白血球の数は次第に回復していった。

ブラボー爆発の死の灰をあびてから52日目、医師団はロンゲラップ島の64人のうちから7人を選びだして、体内の死の灰の排出を促す新薬EDTAを与えた。しかし、5日後には中止した。

死の灰をあびてから二カ月近い時間が過ぎ、体内に入った死の灰はすでにすみずみまでしみこんでいるから効き目がないという理由からだった。

  

☆★☆☆★☆

 

この本から死の灰をあびると、嘔吐・下痢・頭痛・火傷・脱毛の症状が初期に現れ、白血球数の減少・リンパ球の減少がおこることがわかる。

治療の為に第五福竜丸の患者たちは、新薬EDTAを使い骨に付着している放射性物質を取り除こうとした。

しかし治療のかいなく久保山愛吉さんは亡くなり、ほかの乗組員の12名も亡くなり死因は肝臓障害とある。

第五福竜丸の久保山さんやロンゲラップ島の人達は、急性放射能症を発症したけれど、低線量被曝をしたらどのような症状が現れてくるのだろうか。

アメリカの放射線科学者たちは、どれだけの量の放射線を浴びたかを計算し、どのような病気にかかるのかのデータを取っているはず。

核保有国でもあるアメリカは、新薬EDTAに変わる新しい薬の開発も必ずしているはず。

 

☆1999年9月30日に東海村JCO臨界事故がおこる。

住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下

「JCO」)が起こした原子力事故(臨界事故)では、事故被曝により二名の方が亡くなった。

ネットで画像を見ていたら、被曝した大内さんの治療の為に、妹から白血球を作る細胞を取り出し大内さんに移植したとあった。

大内さんの染色体は放射線の影響で破壊されており、新しい細胞を作ることが出来なかったからだ。

妹の染色体は大内さんの体の中の放射線により破壊されていき、大内さんは治療のかいなく亡くなってしまう。

 

医療技術の進歩により、ヒト人口染色体やIPS細胞などの研究が進んでいる。

それらを研究して白血球数の減少を抑える薬、リンパ球数の減少を抑える薬などを併用して放射線治療にあたれば、光が見えてくるのだろうか?

原発を再稼働させれば、東海村JCO臨界事故で亡くなった大内さんや篠原理人さんのような悲惨な犠牲者を新たに出してしまう可能性がある。

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母と子で見る水爆ブラボー 3月1日ビキニ環礁・第五福竜丸 豊崎博光・安田和也

2013年08月18日 | 

ブラボー実験から10日後、ロンゲラップ島で、死の灰をあびた64人の症状がさらに悪化した。

火傷が出来た頭や脇の下などの皮膚がひどい痛みをともなって膿んできたのである。

足の指に火傷が出来た者は、爪が剥がれた。それでも医師団は治療をしなかった。

医師団が次に行なったことは、死の灰をあびた人々を分類することだった。ロンゲラップ島で死の灰をあびた64人は「グループ1」とされ、アイリングナエ環礁の18人は「グループ2」そしてウトリック島住人は「グループ3」と分け、一人一人に番号を付け、名前と性別を書いた板を持たせた証明用の顔写真を撮った。それは、人々に標識を付けたに等しいことで、村長ジョンの番号は40、教師のビリエットは9とされた。この番号は死の灰をあびた住民を特定するもので、その後、現在まで検診の時に使われている。

こうした一方で、医師団の中の放射線科学者たちは、両島の住民が死の灰からどれだけの量の放射線を浴びたかの計算を行っていた。

浴びた放射線の量(被曝放射線量)を割り出すことは、今後どのような病気にかかるか、そのためにどのような予防対策を取ればよいかを知るためのものだった。

(省略)

被曝放射線量が判明した頃、ロンゲラップ島の人々の髪の毛が以前よりもっと大量に抜け始めた。

アインリ・ハインリッヒもアビア・アンジャインも髪の毛が束になってごっそりと抜けた。脱毛の症状は、大人では約三割の人に、また子供たちのほとんど全員に発生した。

このころ、12人が気管支炎をおこして高熱をだした。血液中のリンパ球の極端な減少によって体の抵抗力が落ちた事が原因だった。この時、アメリカ医師団は初めて、抗生物質を与えた。

(省略) 

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さらなる地盤沈下を併発しないだろうか?

2013年08月16日 | Weblog

福島第一原発で、震災の影響で敷地全体が約70センチ地盤沈下したという。

(70センチも地盤沈下しているなんて今日初めて知ったけれど…)

放射性物質に汚染された地下水が、1日約300トン海に流出していて、それを食い止める為に地下の汚染水のくみ上げが始まっている。

汲み上げられた汚染水は、地上タンクに保管するという。

専門家ではないからわからないけれど、その行為はさらなる地盤沈下を併発しないだろうか?

図解雑学 河川の科学の変動する地下水という箇所にこう書いてあった。

地下水は地層中の砂礫と粘土の間に蓄えられている。地下水を汲み上げると、砂礫層から水が流動し、採水が地下水補給を上回ると砂礫層の水圧が下がり、砂礫層をはさむ上下の粘土層から水が絞り出される(圧密)。

この圧密により粘土層が収縮すると、地盤沈下が発生する。

以上

東日本大震災の余震が頻繁に起こっていること。

地下水の流量の計算が正確なのかどうか。

配管が腐食して強度に問題はないだろうか。

福島第一原発の敷地全体には大量の地上タンクが保管されている。

その重みに地盤は耐えられるだろうか。

判断を誤ると大変な事になる。

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母と子で見る水爆ブラボー 3月1日ビキニ環礁・第五福竜丸 豊崎博光・安田和也

2013年08月15日 | 

 主治医の熊取敏之医師はその手記で、

「尊いその死―最後の瞬間まで、久保山さんは男らしく闘った。死亡当日、私が「久保山さん頑張ろう」と耳元で言うと、「ウン、ウン」と肯き返していた。しかし私の聴診器の中で心臓の鼓動がハタと途切れた時、とうとう半年にわたる私たちの闘いが、敗れさったことを知らなければならなかった…

「ご臨終です」小山内科医長と私が久保山さんの家族にそう告げた時、医者として冷静であるべき私の眼から不覚にも涙が溢れてくるのを、どうする事もできなかった」

死因について、「半年の治療結果を見れば、まさしくこれは放射能症である」、「アメリカ側としては血清肝炎であろうとか、直接放射能によるものではないと仄めかしたいようである」しかし、「久保山さんは放射能症の続発症でついに倒れたということは蔽うことはできない。放射能症は時間が経てばいろいろな疾病の恰好をとるのである」と述べている。

 

全国民の願いはかなわなかった。

遺体は、久保山の遺言により病理解剖に附された。それは残った患者の治療に役立ててほしいとの強い願いからであった。久保山愛吉は

「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」との言葉を遺した。

 

 

1969年3月、NHKテレビがドキュメンタリー番組「廃船」を放映し、第五福竜丸への関心が高まった。

4月10日には、船の保存を訴える「第五福竜丸保存の呼びかけ」が出され、7月には保存委員会が結成された。このときのよびかけ人は、三宅泰雄、檜山義夫、中野好夫、美濃部亮吉、鈴木正久、壬生照順、森滝市郎、畑中政春の八名で、個人の資格で呼びかけたものだった。そして保存委員会には、ビキニ水爆による放射能雨や海洋の放射能汚染問題にかかわった専門家、評論家や宗教者、原水爆禁止運動の関係者などが参加した。

その訴えは、-(1954年3月1日の第五福竜丸被災の衝撃は)広島と長崎における悲惨の記憶からまだ日も浅く、原爆被爆者の援護すら放置されている中で、三たび核兵器の悲惨を、しかもより巨大な威力をもって体験させられた…これを契機に日本国民の原水爆禁止の国民運動を呼び起こした…

15年前の恐怖は、今日もなお、消えるものではなく、核戦争の危機はますます強まっている…平和への希いと理性への信頼を同じくする国民と共に、保存への具体的な責任を果たそう―と呼びかけている。

ここには、広島・長崎とともにビキニの水爆実験被害を伝えていこう、原水爆のない世界の実現に向けて、国民の平和への願いを集めようとの思いがこめられていた。

 

こうして、1976年6月10日、都立第五福竜丸展示館がオープンした。展示館前の広場には、久保山愛吉無線長のことば、「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」を刻んだ記念碑が建てられた。

  

第五福竜丸は、いまだ航海中である。

この船を守り保存と展示を実現させたのは、多くの市民の原水爆のない未来を求める声であり、戦争も核実験もなくしてほしいという平和への願いである。

その実現の日まで、平和な港に錨を降ろすその日まで、第五福竜丸は航跡をきざみつづけるだろう。

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ラッセル・アインシュタイン宣言

2013年08月14日 | 有名人

人類が直面している悲劇的な情勢の中、科学者による会議を召集し、大量破壊兵器開発によってどれほどの危機に陥るのかを予測し、この草案の精神において決議を討議すべきであると私たちは感じている。

私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。

政治的な関心の高い人々のほとんどは、こうした問題に感情を強くゆすぶられている。しかしもしできるならば、皆にそのような感情から離れて、すばらしい歴史を持ち、私たちのだれ一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員としてのみ反省してもらいたい。

私たちは、一つの陣営に対し、他の陣営に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう。すべての人がひとしく危機にさらされており、もし皆がこの危機を理解することができれば、ともにそれを回避する望みがあるのだ。

私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいずれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。

一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。

水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。

信頼できる権威ある筋から、現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。

著名な科学者や権威者たちによって軍事戦略上からの多くの警告が発せられている。にもかかわらず、最悪の結果が必ず起こるとは、だれも言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、そしてだれもそういう結果が実際起こらないとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が彼らの政治上の立場や偏見に少しでも左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになったかぎりでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲にもとづいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しをもっていることがわかった。

さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?人々はこの二者択一という問題を面と向かってとり上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにもむずかしいからである。

戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかし、おそらく他のなにものにもまして事態の理解をさまたげているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。危険は単にぼんやり感知される人類に対してではなく、自分自身や子どもや孫たちに対して存在するのだが、人々はそれをはっきりと心に描くことがほとんどできないのだ。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争はつづけてもかまわないと思っている。

この希望は幻想である。たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。第一に、およそ東西間の協定は、緊張の緩和を目指すかぎり、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じられるとすれば、現在双方を神経的な不安状態に落とし入れている真珠湾式の奇襲の恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、ほんの第一歩には違いないが、そのような協定を歓迎すべきなのである。

大部分の人間は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望んでいる。

私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか?私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。

決議

私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」

1955年7月9日 ロンドンにて
マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授
F・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ポーリング教授(ノーベル化学賞)
C・F・パウエル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)

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母と子で見る水爆ブラボー 3月1日ビキニ環礁・第五福竜丸 豊崎博光・安田和也

2013年08月13日 | 

1968年3月1日、原水爆禁止の運動の大会、3・1ビキニデー集会に江東区の代表が参加し、第五福竜丸が夢の島で沈みかかっていると報告、その保存を提案した。新聞やテレビが取り上げた。

3月10日の「朝日新聞」読者欄に投書が載る。

「沈めてよいか第五福竜丸」

―第五福竜丸。それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。決して忘れてはいけないあかし。

知らない人には、心から告げよう。

忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。

いまから14年前の三月一日。太平洋のビキニ環礁。そこで何が起きたかを。

そして沈痛な気持ちで告げよう。いま、このあかしがどこにあるかを。

東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。

それは白一色に塗りつぶされ、船名も変えられ、廃船としての運命にたえている。

しかも、それは夢の島に隣接した15号埋立地にやがて沈められようとしている。

だれもがこのあかしを忘れかけている間に。

第五福竜丸。

もう一度、私たちはこの船の名を告げ合おう。そして忘れかけている私たちのあかしをとりもどそう。

原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。

今すぐに私たちは語り合おう。このあかしを保存する方法について。

平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして―   武藤宏一

  

☆☆☆

静岡県焼津港の遠洋マグロ漁船第五福竜丸は、1954年3月1日マーシャル諸島のビキニ環礁で行なわれたアメリカによる水爆ブラボーの実験で死の灰をあびてしまう。

戦後生まれの私は、第五福竜丸という言葉をどこかで聞いたことがあるなという位だった。

1954年水爆ブラボーのせいで、第五福竜丸の船員が急性放射能症にかかったこと。海が汚染されてマグロから強い放射能が出て、それが原子マグロと呼ばれていたことも勿論知らなかった。

さらに水爆ブラボーにより、鹿児島、京都、東京に放射能雨が計測されたことも。

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