My Favorite 《ゴールデンイーグル&Sleeping lion》

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核融合科学研究所

2013年09月26日 | Weblog

核融合のしくみ

原子核同士を勢い良くぶつけるとくっついて別の新しい原子核がつくられます。このことを核融合といいます。原料の原子核と新しくできた原子核の質量を比べると、反応後の質量が減少しています。この減少した質量の分がエネルギーとして出てきます。

将来の核融合発電は、水素の仲間の重水素と三重水素を核融合させて発生するエネルギーを利用します。

通常の状態では原子核が単独で存在することはない為、核融合反応が起こる事はありません。

まず初めの段階として、原子核と電子をばらばらにしなければなりません。物質を加熱していくと、固体、液体、気体と形状が変化していきます。気体をさらに加熱していくと、原子の原子核と電子がばらばらになって飛びまわるプラズマ状態に変化します。

物質をプラズマ状態にして、原子核と電子をばらばらにするだけでは、まだ核融合反応は起きません。

原子核はプラスの電気を帯びている為、互いに反発してしまい、近づくことが出来ません。

その反発する力に打ち勝つためには、プラズマを高温にすることが必要です。そうすると、原子核が勢い良くぶつかって、核融合反応が起きやすくなります。

 

核融合炉の3大条件

a 約1億度(温度10keV)

b   100兆個/cc(密度10 14cm-3)

c   閉じ込め時間1秒以上

 

{パンフレットから}

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贖罪

2013年09月25日 | 

一枚の写真がある。

入浴する智子と母

 

この写真を見てなんともいえない神々しさを感じた。

まるで聖母マリアとキリストのように。

贖罪の羊。

自己を犠牲として、罪を負ったキリストが智子と重なる。

わが子をやさしく抱える母親の優しい眼差しは、まるで聖母マリアのようだ。

 

一枚の写真から、一言で言い表すことができない、あらゆるエモーションがあふれ出ている。

無償の愛・人間が犯した罪の重さ・権力への迎合・闘争・悲しみ・欺瞞・恐れ・無知・貧・希望…

 

智子の手は曲がって変形している。

痩せた身体・とても細い足…。

本当はこの写真をブログに載せて、皆に見てもらいたい。

人間が犯した罪を、水俣病のことを皆に知ってもらいたい。

でもご家族の思いを、ネットで見て知ったのでそれはしない。

 

 

写真集をみて思う。

同じ過ちを繰り返してはいけないということを。

真実を見ないで、知らないふりをするのも罪だということを。

経済発展の裏で、犠牲になった人たちがいることを。

経済発展の裏で、自然環境を破壊してきたことを。

 

権力をもつ人間が、先見の明をもちその力を正しく使わないと、どうなるかということを。

見えているものを正しく認識しなければ、歴史という時の流れの中で、汚点として歴史にその名を刻むことになることを。

 

この写真集の復刻版はこれから先出ないだろう。

戦争と同じように、水俣病があったことを知らない人達が増えていく。

だけど水俣病はいまも終わっていない。

そしてこれから先も、人の命よりも利権を第一に考える人達がいるかぎり、名前を変えて第二、第三の水俣病は続いていくだろう。

  

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス  

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いつになったら気づくのだろうか?もっと経験しなければならないのか?

2013年09月24日 | 

事務所を訪れる客は、とくにきかないかぎり、水銀のことは知らされない。いや、知らないから聞かないのだ。ケノラでの空気は「知らなければ無害だ」というようなものだった。

どうしようもない状況にいるカナダの活動家数人をのぞいて深刻な憂慮を表明したのは、水俣と新潟の人たち、医師たち、弁護士たちである。私が日本にもどると彼らは「カナダには最新の医学的情報がありますか」ときいた。私はあると答える。そう、あるけれども、カナダでは役にたてたくないらしいのだ。水俣病を知る私たちが充分説明していないのだろうか?いま以上に何を知らなければならないというのだろうか?

私たちは新潟と水俣を経験してきた。もっと経験しなければならないのか?

世界は隔離箱で出来ているのではなく、日本で起ったことは、飛行機で氷漬けの魚を持ち帰るシカゴのビジネスマンにも起きうることを、いつになったら気づくのだろうか?

ビジネスマンは自分はかからないと思うかもしれないが、彼だってインディアンや水俣の人びとと同じ人間なのだ。

おそらくーそうあってほしいがーカナダでの発病は流行性の水準に達さないかもしれない。しかし、そうなった時は、犠牲者にとっては、何をしても手遅れなのだ。

カナダで見てきたこと聞いたことを水俣で話すと、友人たちは頭を振るのだった。水俣の患者たちがカナダのことをまるで水俣のどこかすぐそこのことのように話すのをカナダの人たちが聞ければいいのにと思う。カナダの人たちが、水俣の患者たちの目にある未来の患者を思う悲痛を感じてくれることを願いたい。

 

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス          

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しのぶ

2013年09月23日 | 

小さいときから、しのぶは自分が水俣病であることを知っていた。

「ばってん、なんしてか、わからんじゃった。食わんじゃった…悪か魚は…悪か魚は、食わんじゃったとに、なんして病気じゃろか。お父さんとお母さんにきいた…言わんじゃった。」

「いつか、お母さんと私とふたりっきりだったけん、お母さんにきいたとよ。『水俣病てどげん病気ね?』ち。お母さんだまっとらした…でていった。お母さんは泣くところば見らるっとようなかて思わしたとよ。お母さんは優しかばってん、憎らしかったとよ。海ば見に行かした。私は走っておいかけたとよ。はなれてから夕陽ば見たと。1時間半。海、ほんとに…なんしてか美しかった。考えたよ。『私の病気は…なおらんと。海はこげん美しかて、なんしてこげんひどかこつのあっとね』

「その晩、お母さんの前で言いたかった『いつか、ようなるて思う』ち。お母さん、お父さんの前では元気のなかとはようなかち思った。」

「そっで、なして…こげんなったか…考えた。」

 

3年のとき、しのぶの学校はバス旅行に行った。

「私は考えたと。『なんして特殊学級の子どもたちはバスのうしろに坐らんばんとだろうか。みんなおんなじ人間じゃなかね?』ち。そん旅行んときにね、どぎゃんふうに病気になったかわかったとよ。先生たちがしゃべっとらしたとば聞いたよ。ひとりの先生が、私んこつばしゃべっとらした。『ああ、あん子は胎児性だ。母親が汚染した魚を食べて、生まれつき病気になった』ち。ショックだったよ。はじめてわかったとよ。」

「バス旅行のあいだずうっと考えとった。恐ろしかこつば考えとった。お母さんが憎らしかったと。私を病気にした。恐ろしか。恐ろしか。恐ろしか、私が考えたこつは。出刃ぼうちょうで殺そうて決めたよーグサッーそっで、自分も死のうて。恐ろしか…恐ろしか…そげんせんだったとは、弟がかわいそうかし、お母さんもかわいそうか。ばってん、6年になるまで、ときどき考えたこつのあるとよ…自分だけ死ぬこつもときどき考えた。一回したばってん、お医者さんにおごられただけだった。」

 

「お父さんとお母さんがおられんごつなれば…心配…。自分でなんでんせんばち思えば心配…自分でしやならんど。ほんとは、ほんとは、残ってもらいたい、みんなに。」

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス    

 

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カネ

2013年09月22日 | 

カネが水俣の村々に侵入する。渡辺の家で、判決後の夏のこと、保さんは言うのだった。

「おもしろかもんば見せちゃろか?」そして彼は名刺の束を私たちに見せる。

100以上はあったに違いない。彼はそれを二つに分ける。「こっちは、3月の判決んすぐ前来たマスコミんもんたい。あんたも見たろ、取材の順番ば待ってから外に列ばつくっとったもんたちたい。こっちんとは、マスコミんもんたちの来んごつなったそん日、判決の日から、来はじめたもんたちたい。」

カードをポンとたたいて彼はづづける。「銀行、また銀行、労働金庫、郵便局。郵便貯金のあっとは知っとっでしょ。家具のチェーン店、建築業者、いっぱいこっぱい。この寝椅子も、そこん毛布も、ライターも、万年筆も、全部そげん人たちのくれらしたと。全部おったちの保証金めあてに、こげんさびれてしもうとるとこっまで来っとたい。金ば入るっと、北海道旅行ばさせちくるる銀行もあった。」

 

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス 

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熊本地方裁判所 判決理由 (要旨) 1973年3月20日

2013年09月21日 | 

「化学工場が、廃水を工場外に放流するにあたっては、常に最高の知識と技術を用いて排水中に危険物混入の有無および動植物や人体に対する影響のいかんにつき調査研究を尽くして、その安全性を確認するとともに、万一有害であることが判明し、あるいはその安全性に疑念を生じた場合には直ちに操業を中止するなどして必要最大限の防止措置を講じ、特に地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するものといわなければならない。

いかなる工場といえども、地域住民の生命・健康を侵害し、これを犠牲にすることは許されないからである。」

「被告工場における排水の水質が法令上の制限基準や行政基準に合致し、その排水処理方法が同業他事業所のそれより優れていたとしても、被告工場がアセト・アルデヒド排水を放流した行為については、終始過失があったと推認するに十分であり、廃水の放流が、被告の企業活動そのものとしてなされたという意味において、被告は過失の責任を免れないものといわなければならない。」

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス

 

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ジャーナリスト ユージン・スミス

2013年09月20日 | 

しかし、私は気づいてもいた。黒ぬりの会社の車がゆっくりと通りすぎながら偵察をしたのを、守衛たちが頻繁に工場の奥へ入って行っては、作業衣の男たちとやり取りするのを。私は不安だった。

突然、労働者の一群がある建物のかげから守衛室に集中攻撃をかけた。私は守衛室に向かって走った。妻のことを思ってだった。取材など頭になかった。暴徒はわれわれを守衛室に押し込んだ。ひとりが吠えるように命令する。彼は帝国陸軍の軍曹だったに違いないと思った(これは正しかった)。

3分以内にここから退去せよーしかしどの出口もふさがれているのだ。

「川本さんに3時の電話を受けさせないつもりだわ!」とアイリーンが私に叫ぶ。

攻撃開始。最初にやられたもののうちわたしはもっともひどくなぐられた。いや、たぶん私のカメラはもっとひどくやられた。最後の一枚は、出来の悪い手ぶれだが、左の男はその瞬間私の股ぐらを蹴りおえ、カメラを取ろうと手を伸ばしているところ。右の男は私の腹をねらっている。4人の男が私の手足を取って、ひっくり返った椅子の足の上を引きずり、別の6人の手に渡し、今度は私の頭は外のコンクリートにたたきつけられた。ガラガラ蛇の尾をもって叩きつけ殺すあのやり方だ。そしてゲートの外にほうりだされた。

目がくらみ、私はふらふらしながら起きあがる、殺してやりたいほど怒りに震えながら。ガラガラを閉まるゲートの向こうに暴徒は腕組みをして立ち、笑っていた。

チッソに仕組まれたのだー連中は、まったく、はじめから患者たちを脅かし、例の外人ジャーナリストをかわいがってやろうというつもりだったのだ。まちがいない、3時の電話などはじめからなかったのだ。

しかし連中は誤りを犯した。著名なアメリカ人ジャーナリストをなぐったことで、チッソに対する不評がなだれのように押しよせ、川本輝夫や水俣の正義の高潔さをきわだたせるばかりであった。もしこれがチッソの本性なら、と人びとは言うのだった。正しいのはたぶん患者のほうだ。私は傷の痛みに苦しまねばならなくても、患者への国中の共感が増したという事実がなぐさめだった。

事件ののちチッソは即座に声明文をだした。つまり、ユージン・スミスはヒステリックになり自らを傷つけたと。実際の殴打よりもこのことのほうに私は腹を立てた。私たちは襲撃者たちとの公開討論会を要求し、また声明の取り消しを要求した。数回の会見で、チッソは、「遺憾」であるとの声明を出してもいい、あなたがたが警察に訴えないならば、責任は認めませんが医療費は払いましょう、と提案した。うそを公式に訂正してほしい、と私は言った。彼らは個人の財産―私の名誉―を破損したのだ。もしほんとのことを言えば彼らに不利に利用される、とチッソの代理人は私にこっそり言うのだった。私は言った、「あたりまえだ。」

彼らは何も撤回せず、何も認めなかった。会社のやり口のおかげで、私は、患者たちが長年苦しみに耐えて来た、やりきれなさをまのあたりにしたのだ。

私は告訴はしないことにした。原告とジャーナリストの両方ともをまっとうすることは無理だから。

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス 

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人間破壊

2013年09月19日 | 

父さんは悪くなる一方だった。ひとり部屋に移しロープで手足をベッドにしばりつけた。それでも彼は暴れ狂い、言葉にならない言葉を発し、よだれを垂らし発作を繰り返した。3人の子どもたちが看病した。眠らないので、睡眠薬を注射した。看護婦たちが管で流動食を与えても、その管をすぐはきだしてしまう。発作は、始め短かったが、日がたつにつれて長くなった。「おっかさんは」と二徳は思いだす。「よう、おとっつぁんのことばじいっと見とらした。ただ立ってからー涙ぼろぼろこぼしながらーぼうっとしとらした。だけん、おっかさんも同じ病気にかかっとるてわかった。」

「医者どんに、おとっつあんば死なせちくれて何べん頼んだかわからん。あぎゃんおとっつあんば見るとは耐えられんだった。だけん、おっかさんは、自分もどんどん、わからんごつなっとに、『早う死なれるもんなら、死んだ方がいいのにね』ち、言わした。」

死はすぐにはこなかった。安楽死もさせなかった。発作は頻繁になる。意識はもうなかったが、壁に、自分の身体―足、頭、手―に爪をたて、爪がはがれ身体から血が流れるまでひっかいた。死ぬ二、三日前には、目は動かなくなっていた。父さんは発病3週間で死んだ。

熊本大学の医師たちは死の直前の浜元惣八を8ミリにとった。フィルムを見たものは、それは人間破壊についての痛ましい記録である、という。

 

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス

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災害によるNHK受信料の免除

2013年09月18日 | Weblog

NHKの地上契約から衛星契約に変更する件で、NHKの対応に疑問を感じた私は、暫くNHKの営業担当者と話をしていた。

納得いかなかったので、衛星契約は結ばなかった。

 

その時に貰ったNHKのパンフレット。

私の件とは関係ないけど、そのパンフレットにこう書いてあった。

放送受信料の免除

「日本放送協会放送受信料免除基準」に該当する場合は、放送受信料の全額または半額が免除となります。

免除申請書をNHKに提出していただきNHKが受理した月から、免除の事由が消滅した月まで免除となります。

詳しい免除の対象や申請方法については、NHKにお問い合わせください。

全額免除

○公的扶助受給者

○市町村民税非課税の障害者

○社会福祉事業施設入所者

○災害被災者(半壊、半焼、床上浸水以上の被災。原則2か月間の免除で、申請書の提出は不要です)

○社会福祉施設

○学校

 

市町村によっては、災害で被害を受けたら水道代が一ヶ月分全額免除になるところもあるけれど、NHKの受信料にも災害時の全額免除制度があるとは知らなかった。

 

台風18号でかなりの地域が床上浸水の被害にあってしまった。

私は子供の頃から水害で床上浸水の被害に何度かあい、畳を机の上にのせたりして、水害の大変さはわかっている。

被害を受けた人達は、こういう制度を活用しないとね。

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サイクレーター

2013年09月17日 | 

水俣では神話が力を持つ。たとえばサイクレーターの神話。

1959年12月のサイクレーター開設式のとき政府の役人やほかの来賓たちの見守るなか、チッソ社長は「直接」この最新型排水処理装置から水を飲んだ。だからそれ以来、ほとんどの人たちはチッソの排水はきれいだと信じてしまったのだ。

「結果的に言うと私はだまされとった」と熊本の前知事寺本広作は言う。彼も儀式に参列していた。「あれに最初から…アセトアルデヒドの製造工程で出た廃液を入れないことになっておった。」「それはずうっと、何年かあとに知ったわけです。」

これを知事が認めたのは法廷の宣誓のもとである。にもかかわらず、今日でさえ、裁判で明らかにされた証拠すら知るものは少ない。町のほとんどの人がいまだに、サイクレーターは排水から水銀を完全に取りのぞいた、そしてまちがいなく1959年以降水俣病の毒素は排出されていない、と信じている。

チッソ幹部はだまされていない。あたりまえである。ある日、私がサイクレーターから水を1杯とって口に持っていくと、私たちを連れて工場のなかを案内していた男は、とめようとあわてて、ころんでしまった。もう水銀を使用してはいなかったが、私が毒を飲むところだったとするなら、やはり何かが装置から漏れだしているに違いないのだ。

患者たちですらサイクレーターが効果がないのを知ってショックを受けたのである。あのサイクレーター神話は水俣ではそれほど強く、住んでいるだけでなかば信じてしまうほどである。

それでも人生はつづく…

 

写真集 水俣 MINAMATA W.ユージン・スミス、アイリーン・M.スミス 

 

☆★☆歴史は繰り返す!

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