孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

不倫か浮気か御妾か・・

2016年02月24日 | 日記
今朝のニュース番組の芸能コーナーで、関西の落語家のゴシップ話を報道していた。いつもの通り司会者が、何の話題でも評論する「コメンテーター」に、どう思うかと聞くと、中尾彬がいつもの低い声で「俺とほぼ同じとしだけどねえ・・・。」と言って間をおくと、「・・・元気だネエ。俺はもうダメだけどね。」と、意味深なコメントを吐き出すように言っていた。



私は落語は大好きなのでよく聴くのだが、今の現役の落語家の中には贔屓は一人もいない。しかも、創作落語とか、関西の落語家にはまったく馴染みがない。

ただ、この関西の重鎮は、新婚夫婦をからかう長寿番組の司会者としてよく知っている。中尾彬はもう72~3歳なので、彼らは立派な老人と呼べるのだろうが、自分の娘のような若い女性とお付き合いできるのは、確かに体力が普通以上必要となるだろう。

20年間以上、自分の東京事務所の「東京支社長」として雇っていたということらしいが、本人もそれは形だけであることは否定していないようであった。

落語家だけに、何か気の利いたオチでも言うかと思って観ていたが、世間にばれてしまったことが、ただバツが悪いといった面持ちだった。

 春日八郎「お富さん」

昔なら、「お富さん」の歌詞にあるように、粋な黒い塀越しに、松の木が見える、庭付きの家に住んで、旦那が通って来るのを待つ身だったのだろうが、18歳の頃からそういう生活などは無理だろうから、好き放題遊び呆けて、お小遣いを貰ってお相手をするという「援助交際」という関係だったみたいだ。

 粋な黒塀 見越しの松に・・

弟子もたくさんいて、名前もお笑い芸人のイメージが強い「三枝」から、六代目「文枝」を命名して5年目になろうとしている。

しかも、上方落語協会の会長という要職にある「文枝」は、まだ弟子を取り始めた「三枝」だった頃、弟子にアンパンを買って来いと50円玉を渡して買いに行かせた。弟子が、言われた通りアンパンを買って楽屋に戻ってくると、目の前にスッと三枝の手のひらが現れた。

「おつり。10円おつりがあるやろ。」と三枝がおつりを請求したそうだ。

このエピソードが頭に残っていたので、毎月60万円のお手当てを娘さんに払っていたと聞いた時、私は俄かに信じられなかった。

歌舞伎「お富与三郎」の名場面、「切られ与三」が、とある妾宅に金の取立てに行き、その妾というのが以前一目惚れした「お富」だと気が付いたときの名セリフは、

『御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、お富、久しぶりだなぁ。』

という、有名なものだ。最後の「久しぶりだなぁ・・・。」は、特に痺れる。

お富に首っ丈だった与三郎は、お富を囲っていた親分にバレて、メッタ切りにされることになるのだが、それ以降もお富のことは片時も忘れることはなかった。

  『そういうお前は・・・』

そのお富とこうして再会できたと思ったら、またしてもお富は別の男の妾になっていたのだった。複雑な心境を訥々と語る科白も味があるものだ。

上方落語協会会長の場合は、なぜこんな騒ぎになったのか、どうもその点が腑に落ちない様子で、歌舞伎の与三郎のような立派なセリフではなかった。

本妻が離婚すると言ったら、「しゃあないなあ・・・。」とボソッと言うのが精一杯だったようだ。

観ていた私は、ソファからドタッと床に転げ落ちるところだった。


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