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孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

恐れ入るな!

2018年04月15日 | 社会観察
私の好きなサンドウィッチマンのコントネタの中に「ハンバーガーショップ」がある。

伊達が客に、富澤がハンバーガーショップの店員になって掛け合うコントで、何度観ても笑うお気に入りのコントである。

その中で、店員が客から受けた注文を繰り返して確認するシーンが面白い。

 飲み物はバナナシェイク

店員  「それでは、ご注文の方繰り返します。ビッグバーガーセットがお一つ。お飲
     み物、バナナシェークでよろしかったですかぁ?」

客   「オイ、ちょっと待ってくれ。今バナナシェークでよろしかったですか?ってい
     言っただろ。俺、その言い方だいっきらいなんだよ。最近、若いヤツがよく
     言うけどな・・・。ちょっと、言い直してくれよ。」

店員  「はい、バナァーナシェイクでよろしかったですかぁ?」

 バナァーナシェイクで・・

客   「そこじゃ、ねーだろ!!『よろしかったですか』だ!!!」 

相変わらず、富澤の作るネタが冴えているコントだ。


これだけ世間でコンビニ言葉とか、ファミレス言葉とか話題になっても、相変わらずこの可笑しな傾向は収まることを知らないようだ。言葉は変化するものだといはいっても、正しい日本語はどんどん廃れていく気がする。

実は、先ほど人から戴いた図書カードがあったので、近くの書店に行ってきたところだ。500円の図書カードが3枚あった。

月刊HANADAと新書を1冊持ってレジに向かった。

「本にはカバーをお掛けしますか?」と店員が聞くので、「いや、結構です。」と答えると、「あっ、恐れ入ります。」と返ってきた。

「いや、恐れ入らなくてもいいですよ。」と私が言うと、店員はキョトンとしていた。

合計で1842円だったので、まず図書カードを3枚出して、不足分を払おうと1000円札を用意した。

「それでは、図書カードを精算させていただきます。えー、そうしますと、不足分が342円になります。」と店員。

「じゃあ、これで・・」と私は1000円札を渡した。すると・・・

店員は、「恐れ入ります・・・」と言って1000円札を受け取った。

「いや、恐れ入らなくてもいいって・・」と私。

今度も彼女はキョトンとしていた。


コントのネタにならないかなあ、と思ってしまった(笑)。


「老人様の席取り行為」考察

2018年04月15日 | 社会観察
歩いていて、ウッカリ犬の糞を踏んじゃったような、なんとも気分の悪いニュースだった。

先週、宮城県のJR東北本線で起きたという、ちょっとした『事件』だった。

仙台市の老人クラブが電車で花見に出かけるため、クラブの一人がA4サイズの紙に、「席をお譲りください。次の駅から敬老者が16名乗車します。」と印刷し、16席に置いたそうだ。

 敬老者が乗車??

『敬老者』とは、老人を敬う者という意味だから、言葉の使い方が間違っていると思うのだが、嫌な気分を味わわせてくれたのは、そこではなくて、わざわざ前の駅でこの紙を16席の上に置いて「ここは空けておけ」という席取りをしたことだった。

この列車は多くの花見客で混雑していたのだが、置き紙のあった席には座らずに立っていたというから、置き紙の効果は充分あったわけだ。

 老人クラブの花見?

電車の車掌は、この行為を目にして、グループのメンバーに注意したそうだが、どうも紙を撤去することはしなかったようだ。

ご時世なので、この件はツイッターなどのSNSであっと言う間に拡散して、老人クラブの事務局長が、ホームページ上で謝罪したそうだ。


そういえば、6~7年ほど前に夏の富士山五合目で外国人登山客の登山指導のアルバイトをしていたとき、他に駐車場所がないとき、登山口に一番近い特等席に設置された身障者用の駐車スペースに車を止めて登山を始めるグループがいたことを思い出した。

彼らは誇らしげに身障者手帳をかざして、頂上を目指して登っていったが、確認した同僚は、「あの手帳を見せられちゃうと、もう何もいえないんだよな。でも彼らはどういう障害者なんだろうな。富士登山するんだぜ・・・。」とぼやいていた。

私は、自分の老後の姿を、老人クラブやグランドゴルフに興ずる老人たちに投影することはできないので、花見の老人たちのような仲間には1000%有り得ないのだが、仮にもその当事者だったとしたら、多分意地でもそういう席には座らなかったと思う。

賭博場で客寄せ?反対です!

2018年04月07日 | 社会観察
敢えてカタカナで言うと、中身がぼやけて意味が曖昧になってしまう事がよくある。

会社でよく聞く、「コンプライアンス」などはそのいい例で、要するに「決まりを守れ」というだけのことである。なぜわざわざカタカナで言うのかよく分らない。

カジノだとかギャンブルなどもその類で、これはどちらも賭博場だとか博打だとか言えば、言いだけのこと。

賭博場を併設した遊園地や会議場などを集めた施設のことは、IR(統合型リゾート)と呼ぶのだそうだ。Integrated Resort の略で、こういうのをどこかに造れば、もっと外国から観光客が来るようになるそうだ。

賭博場に日本人が入り浸るようになっては問題なので、高い入場料を取って誰でも簡単には入れないようにすればいいと考えて、IR推進派の与党は、この額をいくらにすべきか協議中だったそうだ。

公明党は、せめてシンガポール並みの8000円を主張したら、自民党は「それは高すぎない?せいぜい、高くても5000円が限度じゃない?」と協議は進んで、じゃあ間をとって6000円がいいんじゃない?とめでたく決ったそうだ。

  西洋賭博場全容

観光立国の起爆剤になるからと意気込んでいるようだが、何とも、まあ、さもしい協議ではないか。

私は、野党の反対することなら、推し進めればいいのではないかと常々言ってきたが、このカジノ解禁に関しては、カピバラ立民党や共産党たちと同じように反対する立場だ。

そもそも、シンガポールをお手本とするような考えには、根本的に賛成できかねるのだ。約1年間あそこで暮らした経験から、移民政策にしろ、教育政策にしろ、あの国を模範としてはいけないと思うのだ。

外国から観光客を呼び込んで、一儲けしようなどという浅ましい考え方は止めにして欲しいと強く思う。

 賭博場はいらない

射幸心をくすぐる賭博場なら、競輪・競馬・競艇・宝くじなど今でもあるではないか。シンガポールは、なんでもカジノで大分儲かっているようだから、ひとつ我が国も・・などという、正治屋どもの卑しい考えなど即刻捨てて欲しい。

どうせ群がって押し寄せるのは、支那人と鮮人くらいなものであろうと簡単に想像できる。あんな連中が今以上に来日するようになるなんて、考えただけで鳥肌が立つのである。

カジノなど大反対です!!

誰も読まない全国紙ww

2018年04月07日 | 社会観察
週末なので遅くまで寝ていたいのだが、自然と朝早く目が覚めてしまうのは、これも加齢現象なのだろうか。

久しぶりに喫茶店でゆっくり時間をつぶそうかと思い立ちまだ7時前だったが、隣町のコメダ喫茶店に行ってみた。

 居心地のいい喫茶店コメダ

7時開店だというのに、30台は駐車できるであろう駐車場は、8割以上客の車で埋まっていた。相変わらずの盛況である。

昨年辺りから、結構頻繁に利用しているので、店のスタッフには馴染みの顔になっているようだ。注文も「いつものヤツ」で通用する。

しかし、いつも思うのだが、なぜこうも盛況なのか、はっきりとした理由が解からない。8時ともなれば、入口近くの二つのベンチに6人ほどが座って空席待ちをするようになり、10時を過ぎると、店の外にも数人が並ぶようになる。

コーヒーは特別おいしいわけでもないので、サイドメニューの洋菓子が人気の秘密なのかもしれない。

私は、店の雰囲気もさることながら、新聞雑誌、週刊誌が豊富に揃っていて、時間つぶしには好都合なところが気に入っている。普段はほとんど読まないスポーツ新聞などは、オリンピック開催中によく読んだものだった。

新聞も地方紙2紙と全国紙が4紙、スポーツ新聞が2紙あり、いずれも2部ずつ揃っているのはありがたい。

店が混みあってくると、この新聞の奪い合いが激しくなってきて、タイミングが悪いと読みたい新聞が、なかなか確保できなくなる。

今朝もかなり混んでいたが、いつもとは違う現象に気がついた。

私が日本経済新聞を読み終えて返しにいったときだった。他の新聞はスポーツ紙も含めて全部見当たらなかったのだが、朝日新聞だけがポツンと残されていた。しかも2部ともにである。

 反日虚報新聞『朝日』

理由は分らぬが、一番右の最も取りやすく目立つところが朝日新聞の置き場となっているのだが、その所為もあってか、今朝はやけに不自然に目立っていた朝日新聞だった。

慰安婦を始めとして、ありもしないことを大騒ぎしてデマを流し、国民に虚報を垂れ流し続ける朝日新聞が、購読部数を減らし続けていることは知っていたが、喫茶店の客にもとうとう見放されたのだろうか。

北朝鮮や支那の脅威は、まったく見ようと馳せず、銅でもいいようなことを針小棒大に報道し、政権批判を繰り返している嘘つき新聞は、ようやく世間に愛想をつかされたとしたら、それはそれで大変目出度いことではないか。

 系列週刊誌、雑誌

始末が悪いのは、このメディアは新聞だけではなく、週刊誌や雑誌を使って同じような主張をし続け、読者を洗脳してきている。

さらに、テレビという媒体も使って老若男女を洗脳しようとしているのだ。

朝から晩までである。

  デマ発信者その1

デマ発信者その2

 デマ発信者その3


私が高校生の頃は、朝日新聞の一面の「天声人語」が作文のお手本になると、国語の教師から良く勧められたものだった。

今では、嘘を嘘と知りながら、平気で国民をデマ記事やデマ拡散番組で印象操作しようとする悪質メディアの筆頭に成り下がった。

コメダ珈琲店に集まる高齢者たちも、ようやくそれがお分かりになったとしたら、どうだろう、コメダ店長。

あんな新聞は店内から追放したらいかがですか?

【成田空港騒乱】 迷惑千万の支那人観光客ども

2018年02月05日 | 社会観察
日本列島がすっぽり冷蔵庫の中に入ってしまったかのよう」と形容された厳しい冷え込みとなった先月末のことであった。

海の向こう側の中国・上海も寒波と雪に襲われた。そのため、東京成田国際空港では、24日午後10時15分発の上海行きの格安航空会社(LCC)ジェットスター・ジャパン35便が欠航。175人の中国人観光客たちが成田空港で足止めという事態になってしまった。

そして、これがやがて、航空会社に、食事を出せ、宿泊先を手配しろと要求する、集団的な騒動へとエスカレートしてしまう。


 Youtube より

Youtube で検索すれば、生々しい騒動の様子を観る事ができる。

騒動の切っ掛けは、騒ぎの中での、ジェットスターの女性スタッフ1人の転倒だった。

女性スタッフがけがをしたため、通報でかけつけた警察官が、乱暴したと見られる中国人から事情を聴くため身柄を拘束しようとしたところ、中国人旅行客たちが抗日戦争時代に創作された支那国歌を斉唱し、抗議行動に出た。

同時にインターネットにこの騒ぎの動画がアップされ、その説明には「中国人観光客が日本で差別的な対偶を受け、警官から暴行を受けた。」とあったようだ。

動画の発信者は、国家を斉唱する観光客たちに、支那全土から同情が集まり、自分たちの要求が通る。つまり、【愛国無罪】を目論んでいたに違いない。

ところが、ネット上の反応は意外なものだったそうだ。曰く・・

・ LCCを選んだ以上、このような扱いになるのは全然おかしくない。LCCの旅客運送約款はこのようになっているはずだ

・ 旅客運送約款を全く読まずに、ただ泣く子はお乳をたくさん吸えるという、中国社会在来の意識にばかりへばりついてはだめだ

・ 中国人旅行者たちは、契約精神が欠如していて、遵法意識が乏しい


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支那人たちの爆買いのニュースは鳴りを潜めていたが、彼らの傍若無人ぶりは全然納まっていないようだ。

奈良公園の鹿たちには、鹿煎餅以外のものを食べさせ、弁当の包装紙を食べさせる馬鹿な支那人もいるという。
 奈良公園の鹿

北海道の小樽の人気喫茶店を占領した支那人観光客たちは、別の洋菓子店で買い求めたシュークリームを開けて堂々と食べ始めるそうだ。


こういう下賎な行為を黙ってするならまだかわいい方で、未開の土人たちみたいだなあと言って笑ってやるのだが、彼らはまるで夕方の茂みに集まってくるカラスの集団のように、けたたましい騒音で周囲を圧倒するのが常だ。

今は、大阪が人気があるらしく、黒門市場などは支那人が通りに群がって、立ち食いして通行の妨げになるは、手づかみで商品を掴んで食べるは、その非道ぶりは目に余る者がある。

観光地の関係者たちは、それでも「お客様は、神様です」の姿勢を変えないのだろうか? まだまだ、我慢できる範囲内なのだろうか?

台湾から来る観光客たちは、自分たちが支那人に見られない様にと、話し声はなるべく小さくするのだと聞いた。

台湾の観光客の皆さんには、心から同情する。


【二番目の方、どうぞ・・・】 考

2018年02月03日 | 社会観察
最近、立て続けに同じような体験を、コンビニとスーパーマーケットでした。どちらも、ほとんど同じ状況で、どちらも不愉快で不可解な気分になった。

それは、買い物をしてレジに並んでいる時のことであった。

少しの間に客がワーと入ってきて、レジに並び始め、さっきまでガラガラだった店内が、急に混み始めた。

私はほしい物を買い物カゴに放り込み、レジに向かうと、コンビニの二つあるレジの片方しか店員がおらず、そのレジに4名の客が列を成していた。仕方なく私はその最後尾に並んだのだった。店内を見渡すと、別の店員は、何やら菓子類の棚卸でもしているようだった。

列ができたレジに気が付いたその店員は、そそくさと作業を終え、別のレジの方に早足で戻った。それを見た私は、「ラッキー!」と思い、そっちへ向かおうと移動し始めた。

すると、彼女は私をチラッと見てから、隣のレジに並んでいる人に向かって、「二番目でお並びの方、こちらへどうぞ!」と声高に言った。明らかに、彼女は私を無視しようとして、となりの列の「二番目の方」の方を見ていた。

  レジ待ちはイラつくもの


私は、(なるほど、そういうルールがあるのか・・・)と察して、元の列の最後尾に並び直したのだった。しかし、「二番目の方」は、レジを移動するまでもなく、自分の順番がきたようなので、片方のレジの店員は、ただ困ったような顔をしていたようだ。

そのうち、そちらのレジにも別の客が並び始めたのだが、私はそちらへは写りたくなかったので、そのままおとなしく自分の順番が来るのを待った。

これとほぼ同じようなことが、今度はスーパーマーケットであったのだった。

全部で6~7箇所のレジが並んでいるスーパーなのだが、その時は時間帯の所為か一つしかレジ担当がいなくて、客の列はあっと言う間に6~7人に増えた。

店員はそれを見て、マイクを取り、「レジ解放をお願いします」と店内放送をした。するとどこからか男性店員が早足でやってきて、レジの前に立った。それとほぼ同時に私の後ろに並んでいた老人が、そちらのレジに向かった。

私は、「あっ、ルール違反だな・・」と思ってみていると、案の定男の店員は、片手でその老人を制して、「すみません、二番目でお待ちの方、こちらへどうぞ・・」と言うのだった。

二番目で順番を待っていたご婦人は、商品で一杯になっていた買い物かごを抱えて、そちらのレジに移っていった。


私は最近までこの暗黙の「二番目の方、こちらへ」ルールについては知らなかったが、こうすることで、店側は大切なお客様に対して、平等に対応しているのだとアピールしているつもりなのだろうか?

そんなつまらぬ気遣いをするより、店員がもう少し客の動きに気を配り、レジに列が出来始めるのを予想した上で、事前に店員を配置させるように指導すれば、簡単に済むことではないのかと思うのだった。

大した数の買い物でもないのに、レジで何分も待たされるのはイライラするもので、前の客が、がま口の奥の方の小銭をほじくりだそうとしていたりすると、そのイライラはさらに募るのである。


【コンビニ、バイト募集中!】 考

2018年02月03日 | 社会観察
トイレで用を足してから、何も買わずに店を出るのは気が引けるので、ガムなんかを1個買うのだが、実はあれはコンビニの店員にしてみると、非常に「ウザい」のだそうだ。

トイレ使ったら、そのまま出てってくれた方が楽でいいのだそうだ。

たった1個のガムでも、それに伴う作業は、レジ打ち、入金、つり・レシート渡し、包装などがあり、「ポイントカードは?」とかの確認もあって、確かにやること、言うことが標準化されているとはいえ、面倒といえば面倒なのかもしれない。

それが昼時などで客で混みあっていたりすると、益々イラ立つのだろう。

そうと解かれば、これからは堂々と黙ってコンビニのトイレを借りて、何も買わずに店を出ることにしようかと思う。

先日、近所のコンビニでレジにいたオーナーと立ち話をしたとき、学生バイトを募集しても最近の高校生は、コンビニのバイトは敬遠しているようで、なかなか応募者がいないと嘆いていた。

そのコンビニは、我家の愚息たちが高校生のときにお世話になったコンビニで、当時は賞味期限が切れる食品を、よく貰って帰ってきて、そのうちカミさんなどは、それを楽しみにするようになったものだった。

当時と比べると、今のコンビニの業務は相当増えているようで、傍から見ていてもその忙しさは尋常ではないと感じる。

果たして、こういう仕事を外国人留学生に任せられるのかと心配していたら、すでに大手のコンビニ各社は、海外にコンビニ店員養成所を作っており、そこで接客の仕方や、レジの打ち方などを徹底的に訓練して、日本に来たら即戦力として雇える体制を整えているそうだ。

 コンビニ店員養成所

外国人を労働者として受け入れるには、まだ法制上の規制があるため、彼らは留学生として入国する。日本の大学は慢性的な学生不足のため、これは大学側にとって大学経営上、願ったり叶ったりなのだそうだ。

昔は就労ビザはなかなか下りなかったものだが、今では留学生に1週間28時間以内という条件で、アルバイトをすることを認めているそうだ。

コンビニでアルバイトをして金を溜めるのが、本来の目的であり、留学とは単なる手段に過ぎず、勉学する気など最初から無いのは、解かりきったことなのだ。

これで、コンビニ側も、大学側も、外国人側もみんな得するようだが、この影響はジワジワと日本の地域社会に良からぬ影響を及ぼしてくることは、素人でも想像できる。

ちょうど、外来種の昆虫や動物が、ジワジワと拡散増殖していき、生態系を破壊していき、気が付いたら取り返しのつかないことになるのと似ている。

コンビニ業界や大学側とてそうした影響はわかっているはずなのに、目先の利益に目がくらんで、この国の将来にどういう悪影響を及ばすかなどは考えたくないのだろう。

ヨーロッパではどういう結果になっているのか・・・。

調べようとすれば、あんなにいい教材はないはずなのに。

保守論客逝く。

2018年01月25日 | 社会観察
21日(日)早朝、評論家の西部邁さんが他界した。多摩川に飛び込む自裁死であったという。

一報を知った時、私は反射的に、心から『惜しい人を失ったなあ』と思った。お悔やみの言葉の定番で、言うのではなく、本当に心からそう思ったのだった。

これとほぼ同じ感情が湧いたのは、コラムニストの山本夏彦さんが他界したときであった。

私のような浅学非才は、死んでも何も残らないが、上記のお二人の場合は、書物や文献でこれから何十年も残って、その主張や考え方が後世に伝わる。西部さんの場合は、動画としてもたくさん残されていて、その飄々とした語り口がいつでも観られるのはうれしい。

お二人は、それぞれ評論家とかコラムニストという肩書きが付くが、お二人とも社会批評家、文明批評家と呼んだ方がふさわしく、おそらく性格なのだろうが、その批評を上手に、極めて皮肉っぽいオブラートに包んで語ってくれるので、たちまち虜になるのである。

西部さんがテレビに出るようになって、その巧みな評論と共にお顔が世間に広まったのは、テレビ朝日系列の「朝まで生テレビ」という月末金曜日の深夜に始る討論番組が切っ掛けではなかったろうか。多分20年ほど前のことだったと思う。

 西部邁さん

それ以前も私はその番組を観ていたが、西部さんの御意見や解説には、いつも私が感じているのだが上手く言葉に表せないことを、代わりに上手に解かりやすく言ってくれたので、最初の段階ですぐにファンになっってしまった記憶がある。

いつからか「朝まで・・・」は観なくなったので、西部さんがいつも出演していたかどうかは分らない。しかし、その番組に出なくとも、youtube などで検索すれば、「西部邁ゼミナール」という言論ネット番組を持っていたので、よく拝見していた。

  晩年の西部さん

西部さんが多摩川に身を投げてから、様々な方が話していたが、彼はもう昨年の秋頃から事あるごとに、『病院では死なない。』

『生の最期を他人に命令されたり弄(いじ)り回されたくない』とし「自裁死」を選択する可能性を周囲に示唆していたそうだ。


その死生観は実は私も強く共感するもので、私の場合、父の晩年、特に入退院を繰り返しながらやせ衰えていく父を眺めながら、感じたのであった。

ただ、強いて言えば、西部さんのように「自裁死」を著書に書いたり、知人友人に言いふらしたりすることは、私にはとても出来ないことだし、絶対にそうはしたくないことであると思った。

多分、西部さんはそうすることで、信念を曲げないように保っていたのであろうし、もしかしたら、自らが怖気づくことを予防するためであったのかもしれない。

『朝まで・・・』の番組は、意見の対立する論客たちを対峙させて座らせる演出をしていたが、番組を見ていて、私はいつも西部さんに対峙する側の人は、みな発育不良の幼児病に患っているのではないかと思いながら見ていた記憶がある。

そして、当時から異常な進行をしていた司会者が、近年ますます売国度を増してきて、もしかしたら脳味噌が痴呆症に冒され始めているのではないかと思いたくなるほどだ。

ああいうのこそ、とっとと川に身を投げてくれればと思ってしまうのだが、それはちと言い過ぎか・・・。

大相撲観客もビラかい・・・

2018年01月23日 | 社会観察
国会周辺の反日左翼のデモなどで、よく反日左翼の高齢者たちが印刷したビラをみんなで掲げている場面がマスコミによって映し出されていたのを覚えていますか

「アベ政治許さない」などと印刷されたビラなどは、いまだに記憶にあります。

元祖は共産党のみなさん?


『自民党感じ悪いよね』とか、『強行採決反対』などというのもあった。

  テレビカメラに向けて


  カメラに映ればいい

今場所から大相撲の観客席でやたらと目立つのが、これと同じアピールで、応援する力士の名前が印刷されたタオルや紙を胸の前にかざす人がやたらと多いのだ。

 大相撲でも以前からあった?

NHKの指図ではないのだろうが、テレビカメラもよくこういうのが映るショットを多用しているような気がするが・・・。

もしや、こういう人たちの中には、団塊の世代でデモ好きな反日左翼人がいるのではなかろうか、と勘ぐりたくなってしまうのだ。

あんなもの止めたらどうだ!!

多すぎるコンビニ、早すぎるアマゾンpart 2

2018年01月19日 | 社会観察
私の住んでいる田舎街にもコンビニが現れて、早14~15年になるだろうか。

その当時は、自宅から車で10分ほどの圏内に確か2件ほどしかなかったと記憶する。なぜ当時を思い出せるかと言うと、愚息たちが高校生の頃コンビニであるバイトをしていたからである。

当時は、よく賞味期限切れのお弁当や、おむすびを家に持ち帰ってきたものだった。今では禁止されているようだが、当時はその辺りは店のオーナーの判断でそれが可能だった。

コンビニは確かに便利で、私も週に3~4回は立ち寄ってしまう。必ず買い物をするわけではなく、自家用車内でたまったゴミを捨てたり、週刊誌の気になる記事を立ち読みしたりすることが多い。

「家庭のゴミは持ち込むな」という表示がされている場合があったり、最近のコンビにではそれをやりにくくするために、わざと店内にゴミ箱を置く店舗設計にしているようだ。

週刊誌の立ち読みも、コンビニが全国に広まり始めた頃は、禁止するどころか、むしろそれを奨励していたと記憶する。それは、あえて立ち読み客を呼び込んで、店外から見て、客がたくさん入っている様子をアピールするためであったそうだ。

コンビニの新店舗はあっと言う間に完成する。いつも通っていた道に、忽然と新しいコンビニが現れて、驚く事がある。

  コンビニ、オープン間近の気配

実は、今日もそれを体験したのだった。

恐らくあと2~3日で開店するであろうコンビニ店内に荷物が運び込まれているところだった。「ハテ、以前ここには何があったんだっけ?」と思い出そうとしても、なかなか思い出せなかった。

その場所の数百メートル手前にも、そこから数百メートル先にも、コンビニがすでにあるのに、また新規コンビニを始めようとするなんて・・・。

コンビニとは、それほど儲かるモノなのだろうか?

私の愚息たちがあるバイトをしていた頃のコンビニと、現在のコンビニでは、その業務内容も客層も大幅に変化している。レジの周りには様々な商品が陳列され、狭い商品棚に並べられる多種多様な商品は、めまぐるしく新陳代謝を繰り返しているようだ。

  今日もどこかで新規オープン

公共料金の払い込みやら、通販の受け渡しやら、本部は何でもかんでも業務を増やしていくようだ。

台湾に旅行すると、台北市内のコンビニの多さにまず驚かされる。道を隔ててコンビニが向かい合って存在していることなど珍しくない。台北駅近くの予備校通りなどでは、店内でコンビニ弁当をがっつく若者が、どの店にもたくさんいる。

台湾のコンビニの商品と日本のそれとはほとんど差が無いどころか、むしろ台湾らしさを見つける方が難しいほどである。強いてあげれば、台湾では袋は有料で、『袋が欲しい』と言わない限り、店員はレジを売って金額を受け取るだけとなる。

従って、私は台湾旅行の際は、日本から使用済みコンビニ袋をいくつもバッグに小さくたたんで入れておくことにしている。

台湾スタイルを日本のコンビニも取り入れるべきだ。何でもかんでも袋に入れたがり、頼んでもいないのに、割り箸やお手拭きを入れたりする。しかも商品の温度によって袋を別にするようにしどうされているらしく、過剰包装もいい加減にして欲しいものだ。

アルバイトのなり手がなくて、都会ではアジア人の偽留学生を手当してしのいでいると聞く。いったい、そうまでしてコンビニを維持し続ける必要はあるのだろうか?

我々は、もう少し不便を経験した方がいいのではないだろうか?

おもてなしとお節介は、似て非なるものだと心得るべきであろう。

『 人が犬を噛めばニュースになる 』

2018年01月19日 | 社会観察
英国の[新聞王」と呼ばれた、アルフレッド・ハームズワース(Alfred・Harmsworth)の言葉を思い浮かべてしまった。


“When a dog bites a man, that is not news because it happens so often.
But if a man bites a dog, that is news.”


(犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになる)

誰もがどこかで聞いた言葉だろう。まさか!と驚く事件や事故は、報道価値が高くなるということなのだろうが、実際には、小説でも表せない様な出来事は世界のどこかで、よく発生しているものだ。

Yahoo ニュースを見ていても、この種のニュースに遭遇することは結構ある。

日本の長野県で起きた出来事もそうだった。


jiji.com のニュースから抜粋・・・。

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【北京時事】長野県の志賀高原を訪れスキーを楽しんでいた中国人男性が、滑落した日本人女性を救助した。

 男性はその結果、遭難して一晩雪山で過ごし、駆け付けた救援隊に助けられた。中国メディアは18日、両国友好を印象づける逸話として詳しく報じた。

 18日付の北京青年報によると、13日午後、志賀高原の横手山(2307メートル)でスキーをしていた李中大さん(64)=中国黒竜江省大慶市=が、コース脇の斜面下で助けを呼ぶ高齢の女性を救助。散乱したスキー板や眼鏡などを拾って渡した後、女性を別の日本人に引き渡した。ただ、李さん自身は自力でコースに戻ろうとしたが迷い、携帯電話の電波も届かなくなり遭難した。

 李さんは大木の空洞で一晩眠らず過ごし、保温のため2時間ごとに体を動かしたという。14日昼に助け出された際、軽い凍傷を負っていた。

 帰国した李さんは新華社通信に「日本の積極的な救援に感謝する」とコメント。在日本中国大使館は「勇敢な行動は称賛に値するが、旅行者は自身の安全にも注意して」と呼び掛けている。 

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 仲間の支那人は動画も撮っていた・・

64歳の李さんは一人でスキーをしていたのだろうか?

救助された高齢の日本人女性は、一人で下山したのだろうか?

時事通信の記事だけでは、不可解な点があったので、さらにこの事故に関する情報を検索してみた。



支那のネット情報サイトのレコードチャイナの記事を見ると、このニュースを更に詳しく伝えていた。そこで感じた疑問に関する要点を抜粋してみた。


●女性を発見した日本人スキーヤーたちは自力救助が難しいとみて、救助要請を出したうえでその場を立ち去った。その後、救助隊がやって来て女性を救助するのを見届け、李さんは現場を離れた。


●李さんは先に行った仲間を追い掛ける途中の分岐点で別の道を行ってしまう。どんどん谷底の林に進み、ついには携帯電話の信号も切れた。女性を救助した後に自身が遭難してしまったのだ。

●13日午後3時半ごろ、李さんと連絡が取れなくなった仲間が救助を要請。救助隊は夜まで捜索を行ったが李さんを見つけられず、翌日に持ち越しに。李さんは極寒のなかで一夜を過ごすことになったものの、遭難から21時間後の14日昼ごろにヘリコプターで無事救助された。

●スキー歴25年という李さんは「女性を助けに行ったのは本能だと思う。あんなに高齢の女性が倒れて動けないのを見て、多くを考えずに助けに向かった」「まさか(自分が)こんなに危険な目に遭うとは思わなかった」などと語っている。


時事通信の記事にある、『日中友好を印象付ける逸話・・・』というはしゃぎぶりは、はたして妥当なんだろうか?

スキーヤーが崖から落ちて救助を求めていたのを、通りかかった別のスキーヤーが身を挺して助け出した・・・。この程度なら、「犬が人間を噛んだ」レベルか。

ポイントは、日本人女性を救った「別のスキーヤー」が、実は支那人であった・・・ということか。

支那人観光客は、世界中でそのマナーの悪さで迷惑を振り撒いているのは、すでに何年も前から起きていることで、今や報道価値など皆無だろう。

それどころか、日本の正月の風物詩となった『福袋』商戦に、今年から支那人たちの大量買占めという新手の非常識行動が今年は報道されていた。

 福袋買占め#1

 福袋買占め#2

ちょっと前には、支那人技能実習生が広島県の仕事先の日本人9人を殺傷した悲惨な事件があった。(3名死亡、6名重症)

去年だったか、北海道の新千歳空港で支那人乗客たちが暴動をおこした。

  支那人の粗暴性!

こんな交通事故は、日本人ではまず起きないだろう。

  異様な粗暴性が分る

こんなことを調べていけば、枚挙に暇がない。

多くの日本人には、こういった支那人の凶悪さ、残酷さが刷り込まれているので、スキー場で支那人観光客が日本人スキーヤーを救助した・・などと知れば、『人が犬を噛みついた』クラスのニュース性を感ずることになるわけだ。

それにしても、64歳の李さんは、実に支那人らしくない。李さんを残してその場を立ち去った仲間の支那人たちこそ、実に支那人そのものだと、再認識させてくれたできごとだった。

李さんは「支那人の代表」たり得ませんから・・・。念のため

被害者より加害者。老人の交通事故

2018年01月17日 | 社会観察
老人の交通事故という場合、ちょっと前までは横断歩道での事故や、歩道で自転車との衝突などを連想したものだが、今では老人が加害者となるケースの方が多いのではないかと思いたくなるほど、老人の運転する自動車が起こした事故の発生が急増しているようだ。

 登校中の小学生の列に・・

私は自分の父親の運転する車の助手席に乗った時に、その異様さにハッとして以来、機会あるごとに新聞の読者欄への投稿や、ブログでその怖さを訴えてきたつもりだ。そして今日本のあちこちで、心配した通りの事故が発生している。先週も発生した。

以下、産経WESTの記事から・・・

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大阪府藤井寺市の路上で11日午後、女児(1)が乗用車にはねられて重傷を負った事故で、大阪府警羽曳野署は12日、自動車運転処罰法違反(無免許過失傷害)容疑で、同市藤ケ丘の無職の男(91)を逮捕した。「この時間に通ったことは間違いないが、人をひいた覚えはない」と供述している。

 逮捕容疑は11日午後、同市内を無免許で乗用車を運転し、女児をはねて頭の骨を折るなどの重傷を負わせたとしている。

 同署によると、黒岡容疑者は平成24年4月に免許を失効したが、その後も無免許で運転を続けていた。事故後、目撃者の証言などから現場近くの駐車場で乗用車を発見。車体に接触痕があったという。

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私の父親の場合も、免許証返納に関しては、かなり頑固に拒否して困らせた。仕方なくいつも足代わりに乗っていた軽トラックの鍵を隠して使えなくした。

その頃は、かなり体力も落ちていて、ボケてはいなかったが、時々奇妙な行動を起こして、家族を心配させることがあった。

例えば、車の鍵を捜し始めて、通常あるはずもない物置の道具箱の中や、下駄箱の隅々。トイレの中から、ひどい時には近所に聞きに行ったりしていた様だった。

やがて、内臓や肺の疾患が酷くなって入院、退院を繰り返して、挙句の果ては養護施設にお世話になることになっていくのだが、あの時もしそのまま見過ごして運転をしたい様にさせていたらどんな事故を起こしていたかを考えるだに、背筋が寒くなる。

車が無いと、病院にいけない、買い物に行けない、床屋に行けない、などという言い訳を素直に聞いていると、老人が加害者となる事故は急増し続けることは火を見るよりも明らかであろう。


カヌー、薬物混入。増田明美の場合。

2018年01月10日 | 社会観察
昨日の夕方、台北の旅で撮った写真の整理をしていた時、背中から聞こえてきたテレビのニュースの声に、引っ掛かった。

その声は、元マラソン選手の増田明美の声で、何かについての解説をしていたようだった。手を止めて、背中の方から聞こえてくる声に集中すると、「・・・だから、今の選手たちは自分たちの飲み物の管理には相当神経を使ってるようですよ・・・」

  増田明美さん

何のことなのかはその時は理解できなかったが、その後の夜のニュースで盛んに報道されていた、カヌー選手の犯した同僚選手への悪質な妨害行為を知った。

そして、夕方聞こえた増田明美のコメントは、この事件に対するコメントを求められたのに対して応えたものであったと理解した。

カヌー・スプリント選手、鈴木康大がライバルの小松正冶の飲み物に、ドーピングに引っ掛かる禁止薬物を混入させたり、競技用の道具を細工したり、盗んだりする極めて悪質な妨害行為は、聞くだに胃液が逆流しそうになる事件である。

  鈴木康大選手

この選手の飲み物に薬物を混入する、という点で、陸上競技の場合はどうなのか?とテレビ番組で、マラソン解説者の増田明美に聞いたのだろう。

それで、多分彼女は、陸上の場合でもドーピング検査は厳しくなっているので、選手それぞれが神経を使って自分の飲み物を管理しているようだ、と応えていたのだと私は察した。

同時に、「うん??待てよ・・」と私は首をかしげた。

というのは、増田明美が選手時代に、ライバルの同僚選手を陥れるため、こんなことをしたんだと、何かで打ち明けていたのを読んだ記憶があったからだ。

私は、早速インターネットでこれを検索してみた。そして、難なくその根拠となる記事を発見する事ができた。

それは、作家・林真理子氏と増田明美との対談の記事だった。(2017, 5.30 週刊朝日記事より)

以下、抜粋する・・・。

* * *

林:増田さんは、千葉の成田高校陸上部のとき、監督の自宅に下宿していたんですよね。同い年のライバルの子との同居生活が、すごくつらかったとか。

増田:ライバルがふすま一枚隔てて隣にいるんですからね。住み始めるまで知らなかった。同じ屋根の下に、同じ種目の、しかも力が同じぐらいのライバルと同居するなんて。

林:そうなんですか。

増田:同居していたのは樋口葉子さんという選手ですが、私はすごく負けず嫌いだったので、葉子に負けたくないといつも思っていて。

1週間後に試合というときに、彼女の練習タイムのほうがよかったりすると、この1週間で葉子を太らせようと思って、彼女のごはん茶碗にギュウギュウ詰め込んだり、朝練習に遅刻させようと思って時計を遅らせたり。

林:まあ! それって少女漫画みたいじゃないですか(笑)。

* * *
(下線は、孫ふたり)

ケラケラ可笑しそうに話していたようだが、この腹黒さは読んだとき反吐が出そうだった。どうも、私はこれがきっかけで彼女が嫌いになったのかもしれない・・・。

 負けず嫌いですから・・

あれだけ、コンプライアンス、コンプライアンスと馬鹿の一つ覚えのように連呼していた、日本の製造業での信じがたい品質管理や不正行為が発覚し、一体何が起きているのかと思っていたら、今度はフェアプレーが信条のアマチュアスポーツ界での事件だ。

大袈裟かもしれないが、確固たる日本の信用度が急降下しているようだ。

もしそうだとしたら、急降下を止めるには、思い切った頑丈な防護壁でそれを防ぐ必要があるのではないか。

カヌー選手の件も、自首したから情状酌量を、などと言ってる場合ではない。ましてや、スポーツ解説者が自分の過去をオチャラケで披露している場合ではない。

懐の広さか、節操の無さか。

2018年01月02日 | 社会観察
昨年、暮れに他界した義母の葬儀で、葬儀社や寺の僧侶たち、火葬場の職員たちの言動などを傍から見ていて、自分の来し方行く末や、その他様々なことに思いをめぐらすことができた。

通夜のとき、菩提寺の僧侶が最後の法話で、「人が亡くなって仏になって、十万億土という果てしなく遠いところへ旅たっていくわけですが、大切なことは残された私たちが、心の中に、仏を想う心を持ち続けることではないか・・」と言っていた。

これは、正に私が常々感じていたことで、寺の僧侶が同じことを言ってくれたので、何だかとても嬉しかった。

仏教に限らず、世界の宗教に眼を転じると、その組織の大小に限らず実に様々な儀式が付きまとう。そして、大抵その組織の頂点に立つ者の格好は派手派手しく権威付けされているものだ。

誰がどうやって決めたのか知らないが、儀式の流れや数々の所作は複雑で、一体どういう意味を持つものなのかは、素人にはまったく分らない。

宗教は、洋の東西を問わず、広まるか否かはその発生原点の教義よりも、むしろその後の者たちの手による一種の「マーケティング手法」に関わっているのではないだろうか。

人類の発生から今日までの間に、生物の宿命である、やがて訪れる「死」に対してどう向き合うべきか。宗教の原点はこんなことだっただろうが、それが何十何百にも枝分かれしてきたのは、その「マーケティング手法」の違いに拠るものだったと思うのだ。

ひるがえって、お正月という行事は、これは宗教行事ではない。元来正月は暦の上でのひと区切り、新年を迎えるのを祝う心機一転のための祭事だったはずだ。

しかし、ここにも今では様々な宗教的な小道具や仕来りが存在していて、各地域ごとにその特色を持つものになっている。

日本人は、クリスマスを祝い、教会で結婚式を挙げたがり、神社に初詣に行って願い事を祈念する。正月にはお年玉を配って、人が無くなれば寺の僧侶が出てきて念仏を唱えてお墓に埋葬する。

キリスト教あり、神道あり、儒教あり、仏教あり、近頃では古代欧州のケルト人のお祭りを真似て、秋になると馬鹿騒ぎをするようになってきた。

宗教観なんてまったく無いが、楽しけりゃ何でもいいじゃないか、といった感覚らしい。

こういう日本人の宗教観を、特に西洋人は理解しがたいようだ。教義やルールでがんじがらめにする西洋的な宗教感を持っている人たちには、日本人の振る舞いがほとんどりかいできないようだ。

実際、江戸時代に意気込んでやってきたキリスト教の宣教師たちは、日本人に布教は無理だとお手上げの報告をしていたそうだ。

元来、「宗教」という言葉自体が日本には無かった言葉で、これは英語の religion 二対する翻訳語なのである。従って、それから派生する「宗教観」という言い方も、昔の日本には無かった概念である。

こういう日本人の生態を言葉で説明したり、定義づけしたりするのは、なかなか難しく、どういってみたところで、100%言い表すことは出来ないかもしれない。

「日本人は、懐が深いので、外国の文化や宗教などをなんでも簡単に受け入れて、自分流に解釈して、加工するんです。」などと分りきったことを言う学者がいたが、私はこれを聴いた時、素直に賛同できなかった。「違うなあ・・」と思った。

我々の祖先は、そんな節操の無い人たちだったとは思いたくなかったのかもしれない。

「いや、昔はいざ知らず、最近の日本人はそうでしょ。」と言われれば、そんな気もするが、それをよしとする気には到底なれない。

  お墓に正月飾り

だから、私は、「この辺の人は昔からこうやってるよ。」と言って、お墓にしめ飾りをぶら下げたり、禅宗の菩提寺の僧侶が、サイドビジネスで【宗派不問の永代供養・ペット霊園】などと謳って、霊園ビジネスに精を出したりすること。

 霊園ビジネス

さらに、その同じ霊園の一番奥の一等地に十字架を掘った墓石を抱く馬鹿でかいお墓設置を許容したりするのを見るのは、もう耐えがたい気分になるのである。

 でかい!!

 キリシタンのお墓


こういう懐の広い「お寺さん」には、いくら自分の先祖を守ってくれているからといって、私は敬意を持って接したくともそうすることはできないのだ。

折りしも、今年から二年間、私は地区を代表する菩提寺の世話人を担当することになった。

新年から、少々気が重いのはその所為である。

火葬場にいる、理科の先生

2017年12月31日 | 社会観察
年末の義母の葬儀に参列して、葬儀業者の仕切る様子や僧侶たちの所作、あるいは火葬場の担当者の作業などなど、人間観察好きにとっては、飽く事のない非常に興味深いじかんであった。

一番可笑しかったのは、葬儀社の女性担当者が、何度も何度も「さあ、もっと近くに寄って、故人との別れを惜しめ」と勧めることであった。

家が街の住宅地なので、ご遺体はまず実家に寝かされるが、通夜は少し離れたところにある、葬儀社の「セレモニーホール」に移動される。そこは、大きな駐車場のある近代的な施設だが、テーブルや椅子などは良く見ると、徹底的にコストダウンをして作られていた。

葬儀社ほど利益率の高い職業は無いといわれる。原価が数百円の中国製骨壷を数万円としたり、「舞台装置」の祭壇も目を凝らしてみれば、子供の工作のようなシロモノ。

7~8回使えば原価は軽く償却できてしまって、それ以降は原価ゼロとなるわけだ。不透明な部分が多いが、一般的に葬儀社の原価率は20%未満だと言われている。

今のご時世、葬式には約200万円かかり、その内訳は葬儀社と坊主に6:4の割合で支払われる。

話が横道にそれたが、セレモニーホールでの通夜の為に、自宅から会場にご遺体を移動する。自宅で寝ていたご遺体を簡単に言えば真白な専用のシーツで包んで、病院で使うようなストレッチャーに載せてセレモニーホールまで移動する。

シーツでご遺体を包む時、係りの女性はそこにいた私を含む近親者たちに、「もっと近づいて、別れを惜しめ。顔を良く見てやれ」と言った。そして、遠巻きに見ていた近親者たちは近づいて、ご遺体の顔をシゲシゲと見た。

通夜の際はご遺体は棺桶に入り、極楽への旅装束をまとうことになる。みんなで棺桶にご遺体を移し、係りの女性から渡される、足袋や脚半や手甲、杖などの小道具をご遺体に着けていく。

すべてが終わると、係りの女性は、これで後はフタをするだけだ。「さあ、みなさん、もっと近寄って、最後のお別れをしてあげてください。」と告げるのだった。

通夜は、坊主の念仏、列席者の焼香、施主の挨拶と続いて終了する。

その後、ご遺体は棺桶にはいったまま、再び実家に戻る事になる。なぜか。

それは、翌日の出棺を自宅から始めたいからであった。出棺時に近所の人たちが道の両脇に並ぶ。そして、家の玄関以外から棺桶を運び出し、霊柩車に載せる。近所の人たちはそれを見ながら、最後の別れを惜しみ、施主は集まった人たちに挨拶をする。

時間通りに火葬場に着いたご遺体は運搬用の台車に載せられ、係りの男性がテキパキと炉の前に移動させて炉に入る。

「最後のお別れとなりますので、どうかもっと近づいてお顔を良く見てやってください。」と言われた遺族たちは、代わる代わる顔を覗き込んで、中には涙ぐむ親族もいた。

係りの男性は、時計を見ながら「それではこれより点火となります。お時間は1時間半ほど掛かりますので、お時間が参りましたら放送にてお知らせします。」と早口で事務的に告げて、炉の扉を閉めた。

言ったとおり、1時間半経った頃、放送があった。

炉の前に行くと、すでにお骨が1.5m四方くらいのステンレスの台に何かの基準で分別されて置かれていた。係りの男性は、遺族を回りに集めて、お骨に関して講釈し始めた。

このグループは腰から下です。ここは、腕の骨と上半身、そして、ここが頭です。

男性は骨の一つを手にとって、これはちょうどこの部分の骨です、などと言って自分の腰あたりに当てて見せた。遺族の中には、興味深げに聞き入っている人もいたが、私はまったく興醒めで、まるで理科の授業みたいな講釈に腹を立てていた。

表には出さなかったが、あの時私の血圧は300位に跳ね上がっていたと思う。

遺族は炉に入る遺体をほんの1時間半前に見ている。それがお骨になって炉から出てくる。その変り様を目にして、感極まってしまい、私はその場面こそ葬儀のクライマックスであると思っている。確かにショックは大きいが、それが人間の最後なのだ。

それを、まるで小学校の理科教師みたいな馬鹿者が、見事に台無しにしてくれた。