GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

産業道路

2009年06月16日 08時51分17秒 | 徒然なるままに
通勤経路を変えてみる。

上の地図だと我が家はほぼ「糀谷駅」の南側にある「文」のマークの辺りになる。
今迄は西に出てR15(国道15号線・第一京浜国道)を北上するというパターンを何十年も続けてきた。現在、京浜急行の高架工事の影響から、正月の駅伝でも有名な京急羽田空港線の踏切では相当な渋滞に成る。

なので、あえてほんの少しだが距離は長くなる東に出て北上する産業道路(都道・県道6号)を使うパターンに変えてみた。かつては、大鳥居駅の所に大きな踏み切りがあって、開かずの踏み切りではないのだが、環八と産業道路と踏み切りが集合した交差点のため異常な渋滞地点だった。

現在は踏み切りが無くなり(線路の地下化)交差点自体が広くなった為かなり快適になった。なので、距離は少し長くなったが時間的には若干早く着くくらいの状態だ。

産業道路」というのはおそらく正式名称ではなく通称だと思うが、そもそもの成り立ちが工業地帯と港をつなぐ目的で作られた物のようだ。そのため、R15と比べてトラックや業務用車両が多く「殺伐」とした感じを受けるが地域住民は「危険な道路」という若干マイナスイメージを持っているのと、まだ拡張工事が完成していない為に若干道幅が狭い事もあって自転車通勤率が低く、実は意外と走りやすい事に気が付いた。

多くの産業道路は高度成長期以降にそう呼ばれるようになったようだが、私の利用している道はなんと戦前からそう呼ばれていたとか!なかなか歴史のある「元祖産業道路」ってことだ。

道というのは境界線の要素も強く、我が地元では「産業道路」より西か東かで大きく姿が違う。西側は町工場は勿論のこと、学校も多くいくらか早い時期から開けてきた感じ。(JR蒲田により近いせいもある)
東側は、古くからの土地の人間が多く住んでいる「元祖羽田」な地区で、漁師や海苔屋が多くて小さい家が密集しているイメージ。

実際に自宅から散歩をしていても産業道路を空港方面に越すと、一気に町の感じが変わる。

あくまで私個人のイメージだが、町に出で生活している者が週末にいなかの実家に帰るってこんな感じ?というような……もちろん、実家はないけれど父親のルーツはこの東側にある、そこで漁師で魚屋で馬車屋だったんだとか。

産まれてからずっと同じ今の場所で生活しているけれど、何となく我が本羽田地区から羽田地区に散歩に行くと「妙な懐かしさ」を感じてしまう。

たぶん、我が家のまわりも私がごく小さい頃はもう少し田舎っぽかったんだろうな♪その記憶がそう思わせるのかも知れないな。
コメント
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