胡瓜の漬け物はうまい!
そう、コレこそどうって事無い物、自宅で漬けても良いし、もらっても良いし、出来合いの買ってきたって良いし。
夏場なら、白飯なら胡瓜の漬け物だけで一杯食べれる、要するに好きだって事だけど。
浅漬けも良いんだけれど、やはりちょっとよく漬かっちゃったくらいがおかずとしては良い、胡瓜4きれで一杯完食って言うくらいの割合?(どうでも良いデータだな、こりゃ)意外と八百屋の店先とかスーパーとかで売っている「うま味調味料」っぽい味の濃いのも捨てがたいのよ(^_^)v
「味濃くねぇ?」とか言いつつも他のありがたいおかず達には酒のつまみの位置にお下がり願って、飯は胡瓜で食べる。
昔、遠足とかの弁当は大抵おむすびで帰りは荷物を減らしたいからおかず用のタッパとか持ちたくないタイプなの私。
そういえばタッパって小学6年くらいまで無かったか?なんかカーチャンが勤めていたパート先で「パーティ販売」して何個か購入したんだよな。
ってことは、低学年の頃はアルミの小さいおかず入れか♪
白いゴムのパッキンがはまっていて、フタをローラー付きの金具で「バッチン」って押さえるやつね。鬱陶しいよなぁおかず入れ、大嫌いよ、っていうか弁当箱が嫌いだね!イコール弁当が嫌いなんだけど。
話それた!!
で、おむすびの横っちょにアルミホイルとかラップとかで胡瓜の漬け物入れてくれるのさ。朝入れたときは「浅漬け」なんだけど、昼、山の上でいざ食べるときはしなびちゃって古漬けみたいになっていてしょっぱいの(^^;)
……コレが好き!
リュックサック(orナップサック)のなかで温められちゃってさ、色も緑から黄色になりかかっているのね~、俺が育てた「背中漬け」ってな感じ?
昔の胡瓜の漬け物って中心の種の部分が無くなっちゃって居るやつがあったな……ああいうの最近見かけないね?品種が変わったのかね。
でさぁ~、夏は古漬けのぬか漬け胡瓜を細かぁにきざんで、茗荷とか針の生姜とかと水に晒してね、ぎゅっと一絞り!
くぅぅぅぅぅ~たまらん!かくやのこうこ(覚也の香物)コレを冷やごはんに乗せてさ、お茶かけて……サラサラってね!うっき~~!江戸っ子な俺じゃんかよ~!(バカですか?バカです、ハイ)
脚註:「かくや」の由来には諸説あり。
一つは宮本武蔵にも登場する沢庵(たくあん)禅師、その弟子の覚也が工夫考案したと言う説。
二つめは、高野山の隔夜堂に勤める歯の弱った老僧のために香の物を刻んで食卓に添えた、との説。
他にも、徳川家康のお抱えの料理人岩下覚弥が考案したという説もある。
いずれももっともらしいが出自は不明
そう、コレこそどうって事無い物、自宅で漬けても良いし、もらっても良いし、出来合いの買ってきたって良いし。
夏場なら、白飯なら胡瓜の漬け物だけで一杯食べれる、要するに好きだって事だけど。
浅漬けも良いんだけれど、やはりちょっとよく漬かっちゃったくらいがおかずとしては良い、胡瓜4きれで一杯完食って言うくらいの割合?(どうでも良いデータだな、こりゃ)意外と八百屋の店先とかスーパーとかで売っている「うま味調味料」っぽい味の濃いのも捨てがたいのよ(^_^)v
「味濃くねぇ?」とか言いつつも他のありがたいおかず達には酒のつまみの位置にお下がり願って、飯は胡瓜で食べる。
昔、遠足とかの弁当は大抵おむすびで帰りは荷物を減らしたいからおかず用のタッパとか持ちたくないタイプなの私。
そういえばタッパって小学6年くらいまで無かったか?なんかカーチャンが勤めていたパート先で「パーティ販売」して何個か購入したんだよな。
ってことは、低学年の頃はアルミの小さいおかず入れか♪
白いゴムのパッキンがはまっていて、フタをローラー付きの金具で「バッチン」って押さえるやつね。鬱陶しいよなぁおかず入れ、大嫌いよ、っていうか弁当箱が嫌いだね!イコール弁当が嫌いなんだけど。
話それた!!
で、おむすびの横っちょにアルミホイルとかラップとかで胡瓜の漬け物入れてくれるのさ。朝入れたときは「浅漬け」なんだけど、昼、山の上でいざ食べるときはしなびちゃって古漬けみたいになっていてしょっぱいの(^^;)
……コレが好き!
リュックサック(orナップサック)のなかで温められちゃってさ、色も緑から黄色になりかかっているのね~、俺が育てた「背中漬け」ってな感じ?
昔の胡瓜の漬け物って中心の種の部分が無くなっちゃって居るやつがあったな……ああいうの最近見かけないね?品種が変わったのかね。
でさぁ~、夏は古漬けのぬか漬け胡瓜を細かぁにきざんで、茗荷とか針の生姜とかと水に晒してね、ぎゅっと一絞り!
くぅぅぅぅぅ~たまらん!かくやのこうこ(覚也の香物)コレを冷やごはんに乗せてさ、お茶かけて……サラサラってね!うっき~~!江戸っ子な俺じゃんかよ~!(バカですか?バカです、ハイ)
脚註:「かくや」の由来には諸説あり。
一つは宮本武蔵にも登場する沢庵(たくあん)禅師、その弟子の覚也が工夫考案したと言う説。
二つめは、高野山の隔夜堂に勤める歯の弱った老僧のために香の物を刻んで食卓に添えた、との説。
他にも、徳川家康のお抱えの料理人岩下覚弥が考案したという説もある。
いずれももっともらしいが出自は不明