名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

幽霊より恐いもの。

2014-05-31 | 出来事
昨晩の出来事・・・

深夜、私の前に幽霊が出た、

一瞬、強い恐怖心を感じた、
しかしながら、相手も人間、肉体を持っていないだけの事、

話せば分かるはず・・・

早く成仏するように説得を始めた、

初めは穏やかな口調で語りかけた、

しかしながら・・・

その幽霊は、 私にどんどん近づいてきた、
さすがに、私も恐くなり、私の発する言葉は、
興奮した口調になっていた。

「 あなたの苦しみは、あなたの誤った信念の中で造られた、迷いの影です!! 」

というような意味の言葉を何度も叫んだ、
それでも、幽霊は消えようとはしない。

幽霊は私が何を語ろうと、終始無言のままだった。

「 まるでお話にならない 」 とはこの事だ。

私の恐怖心は絶頂に達した。


話しても無駄なら、お経を唱えるしかない・・・


羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦!!!

無我夢中で、大声を張り上げて般若心経の真言を叫んだ、


そのときだった・・・・


どこからか、大きな声が聞えてきた、

うるさい !!!  いい加減にして  !!!


その声の正体は・・・

私の家内だった・・・


そのとき、初めて自分の状況が理解できた、

「 うるさい!!! いい加減にして!!! 」  という大きな声を聞くまでは

私は、寝ていたのだ・・・

夢を見ていただけ。



この恐怖の体験は、全て睡眠中、私の脳内で描かれた体験だった。

私はいつも自分の部屋で1人で寝ています。

家内は、別の部屋で寝ていたのですが、

私の寝言が、あまりにうるさいので業を煮やして起こしに来たのでした。


家内の話によると、私の寝言は約15分間くらい続いたらしい。

しかも、私が、寝言で発した言葉は、ハッキリ聞き取れる内容だったとの事。

不思議な事に・・・私自身、夢の中で喋った言葉は全て明確な形で覚えている。

家内が聞いた 私の寝言 の内容は、ほとんど、私の記憶と一致していた。



このときの家内の恐ろしい 鬼のような形相 は、夢のなかで体験した事より、

はるかに恐ろしいものでした。

震え上がるような恐さでした・・・



幽霊より怖いもの・・・・

それは・・・・・

 逃げられたら大変な事になる大切なヒト・・・



そんな事を考えさせらた事件でした・・・




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鳥の唐揚げ理論

2014-05-29 | その他

白ウサギは、 お腹がペコペコになりました。



「  鳥の唐揚げ・・食べたい!!! 」

と叫びました。

白ウサギさんの好物は 鳥の唐揚げ です。
その願いが叶って、 その日の晩御飯は、鳥の唐揚げ を食べる
事ができました。


この場合 「 唐揚げが食べたい!!! 」 と願った気持ちは

健全な心理状態 から来る、願望


その、数日後・・・・・

白ウサギさん、とにかく仕事が忙しく、二日間ほとんど何も食べていません。

極限の空腹状態、

こう云った状況下で、白ウサギさんは言いました。

「 とにかく!! 口に入るものなら何でもイイから食べさせろ!!! 」

この場合の 心理状態は 大きな危険 をはらんでいる。




「 唐揚げ食べたい!!! 」 という願望の根底には

希望・・・・
が存在する。
希望から発する 願望 は更なる幸運を呼び寄せる。



「  何でもイイから食べたい!!! 」 という願望の根底にあるものは、
飢餓・・・
飢餓 から発する願望は、 更なる 飢餓的な状況( 不運 )を呼び寄せる。


これを私は

鳥の唐揚げ理論    と呼ぶ。

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青天の霹靂

2014-05-28 | その他


「 青天の霹靂 」




社団法人 いのちを守る親の会 理事長 大熊良樹氏 大絶賛!!!


『 いのちを守る親の会 』 公式ブログ

    ↓   ↓   ↓   ↓
 
http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、かれこれ 10年以上、映画館に行ったことがありません。

時間がもったいないからです・・・・

でも、この映画は見に行こうと思っています。
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導き兎 その 2

2014-05-28 | 宗教


今日も 導き兎さんに問いかけてみた。


白ウサギ  問う・・・・・

   「 どうしたら悟りの境地 に達する事が出来るのでしょうか ? 」



導き兎 答える・・・・

   「 悟る ことは誰にも出来る。簡単さ。 」



 白ウサギ 
     「 意味が分かりません・・・ 現に私は悟りの境地に達していません。 」



導き兎 
   「 あんたの言う 悟り と何ですか ? 」



白ウサギ
      「 苦悩や、心の迷いから開放される事です 」



導き兎
   「 うん、そんな事誰でも出来てるじゃないか・・・ 」



白ウサギ
     「 導き兎様!! そういう詭弁はやめて頂きたい!!! 」



導き兎
 「 おい!!  白ウサギ!! 俺に向かって偉そなくち叩くんじゃない !! 」



白ウサギ
    「 ならば、導き兎様の仰る ‘ 悟り ‘ と何ですか!!! 」


導き兎
     「  持続だ !!!! 」



白ウサギ
    「  持続 が悟り??  意味がわからん!!!  」



導き兎
   「 今まで、悟る 機会は何度でもあっただろう!!!
    知恵のある人に教えられたり、
    実体験中で何かの思いが込み上げてきたり・・・
    美しい自然を眺めていて、フト何かを感じたり・・・
    感動する話を聴いたり・・・
    大きな失敗をして、懺悔の気持ちが込み上げてきたり・・・・   
    そういう機会は何度でもあったはずだ・・・ 
    そういった体験の中で、そのとき 何かを悟ったハズだ・・・
    そのときの ‘ 決意 ‘ 想い ‘ 信念 ‘  を
    そのあとも 継続し続ける事、 
 これを ‘ 悟り ‘ と言うんだ・・・ 」 

            

白ウサギ
「 ・・・・・・・・・・・・・ 」


導き兎
「 悟る 事など、誰でも出来る。
 悟り よりはるかに難しいのは ‘ 持続 ‘ だ 」



白ウサギ
    「 持続とは、言い方を変えれば 努力 と 忍耐 でしょ?  
       努力・忍耐が 悟り なら、全ての人間は死ぬまで楽は出来ない、
           それが 悟り と言えるのですか?? 」



導き兎
「  俺が言いたいのはなぁー  持続という行為のなかで、 
『 自分を忘れろ 』 ということだ。 
自分を忘れた時、初めて苦しみや苦悩から解放されるんだ。   」



                  白ウサギ、今日もまた叱られた・・・・・


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導き兎 登場

2014-05-27 | 宗教




この兎さん、

導き兎 というお名のウサギさんです。

導き兎さんの写真に向かって問いかけてみた。


なっ なっ、なんと!!!!


導き兎様・・・お答えくださいました!!!!



白ウサギ 問う  ・・・・

  「 私のような愚か者が目覚める事は可能なのでしょうか? 」



導き兎 答える  ・・・・・・・ 

    「 愚かであればあるほど目覚める力を内在している 」




白ウサギ  問う ・・・・・ 

     「 私は、いままで多くの絶望と、落胆を経験して来ました、
           
                これからもこんな事を繰り返すのでしょうか? 」 
 

導き兎 答える ・・・・・

     「 絶望するから、光が見える 」



白ウサギ 問う ・・・・・

     「 どうして私は撫男なんですか?

        どうしたら モテモテ オヤジ になれるのでしょうか ? 」


導き兎 答える ・・・・・・

      「 そんな事、俺に聞くな!!! 」



白ウサギ また叱られてしまいました・・・・・

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無難な人柄

2014-05-24 | 思う事



「 無難な人柄 」
 
無難 とは

欠点のないこと 特にすぐれているわけではないが、
格別の欠点も見当たらないこと

人間、無難である事に越した事ないけど
私の好みとして 無難な人間 とは今まであまり深く付き合った事はない
無難な人は面白みがなく、刺激がなく、何ともつまらない

誰とは言わないけど
 
司会者の 関△H 氏

日曜日の朝、テレビを点けるとワイドショー番組の司会者として
昔から活躍している
凶悪事件、や時事問題、国際問題 などで非常に腹立たしいニュースが紹介されと
関▲氏の決まり文句が必ず出る

「 やるせない ですね・・・・・ 」

こういう人を 無難な人 と言うのでしょう


凶悪な人間が、罪のない人を無差別に殺した・・・・

こういう場合、関△氏は

「やるせない想いがします・・・・ 」

と仰る


中国の漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた・・・・

こういう場合も、関▲氏なら

「 やるせないですね・・・・・ 」

感情や意見を常に あやふやのまま保留し、明確にしない事を美徳とする

「 関▲宏的 感情保留術 」

これは 日本人サラリーマン の見本なのかもしれません。

何十年もの間、日曜日の朝と云う時間枠で番組が続いていると言うことは、

サラリーマンの関▲氏に対する好感度は高いのでしょう。


これが良い事なのか、悪い事なのかは分からないけれど

こう無難なお方を見ていると、ストレスが溜まります。

しかしながら、

感情保留の達人 関△氏も年を重ねるごとに
芸風が変わってきた御様子。

最近、日曜日の朝、灯りの代わりにりテレビをつけ、何かをしながら、
関△氏が司会をする報道番組を見ていると、

関△氏の顔つきが昔と少し違うように感じられます。
昔と比べると一癖ありそうな気配が漂っています。

ユーチューブで言動を検索してみると、
なんだか様子がおかしい。

関口氏は自民党が嫌いの御様子。

安部政権を批判する発言や、
原発批判。
政策を批判する発言が目立つ。

憲法!! 憲法!!! をやたらと連発あそばされている御様子。

憲法!! をあまり連発すると、私の耳にはこの言葉が

念仏のように聞えて来る。

「 憲法教 」という宗教なのかもしれません。


どうやら関△氏は、民主党がお好きな御様子。

考え方や思考がどうであれ、
人間、普通、年を取ると、それなりの貫禄が出てくるものですが、
関△氏にはそれが全く感じられません。

それどころか、浅はかさと、薄っぺらさ が際立って感じられます。

関△氏、人間的には真面目で、温厚で、几帳面で、穏やかな人だと思います。

けれども、こういう 優柔不断で一貫性のない、

風見鶏のような芸を見せられると

ストレスが溜まってしまいます。


「  やるせないですねえ ・・・・・・・  」








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戦争の悲惨さ

2014-05-23 | その他

・・・フェイスブック   ~癒しの話~さん  から転記・・・・・・・・


《 アメリカの青年達よ。東洋には、すばらしい国がある。》

『 アメリカの青年達よ。 東洋には、すばらしい国がある。 それは日本だ。
 日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
 ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。 奮起しろ! 』

硫黄島での戦いの時に第五艦隊司令長官としてアメリカ海軍を指揮した
レイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言葉です。

彼は戦後、この言葉を伝えるべく全米各地を公演して回りました。

彼が、このように日本の事を言うようになっ たのは、
次のようなエピソードがあったからです。


1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出して、アメリカ軍が硫黄島を占領した
あくる日のことです。

岩山の穴の中から負傷した日本の陸軍少佐が降伏のしるしのハンカチをもって出てきた。


彼は

『 司令官はいないか。 穴の中には、有能な30名の青年達が残っている。
 彼らを日本のため世界のために生かしてやりたい。 私を殺して彼らを助けてくれ。』

といいました。


少佐を引見したスプルーアンスが

『 お前も 部下達も助けてやろう 』

というと、彼は

『 サンキュー 』

といって絶命しました。

その後、アメリカ軍は、青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れたりして、
残された青年達に穴から出てくるよう勧告をしますが、
彼らはそれに応じず抵抗を続けました。

数ヶ月間の抵抗の末、やがて何名かが餓死し
最後に残された者たちは手榴弾で自決して果てました。

その爆発がした時に、
スプルーアンス司令官が穴の所に飛んで行くと
穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙がおかれていました。

『 閣下の私達に対する御親切な御厚意、
誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。
最早(もはや)水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、
全員自決して天国に参ります。
終りに貴軍の武運長久を祈って 筆を止めます。』

旧日本兵2万2000人が戦死。

今だに1万3000人あまりの遺骨がみつかっていない。

昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿


ー 祖国と青年 平成7年6月号 ー

---------------------------------------
将来ある多くの若者たちが自らの命を絶ったことは誠に残念で悲惨なこと。

当時の戦時教育の基では自決は仕方ないこととはいえ、
その苦しみは想像さえできません。

その上に、敵軍にさえ厚意へのお礼の手紙を残していたこと・・

その崇高で気高い精神は、想像もつきません。

彼らの精神を受け継ぐ日本人として、私達は何をするべきなのか、
真剣に考えなければならないでしょう。

戦争の悲惨さ。そして私たち日本人の生き様を
一人でも多くの人に考えて頂きたいと思います。

どうぞシェアして伝えてください。
お願いします。


・・・・以上、フェイスブック   ~癒しの話~さん から転記 ・・・・・・・・・・




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消えた!!!

2014-05-21 | 出来事
先月の下旬

私が 仕事で使っている車がパンクしてしまいました。

約4年ぶりの出来事でした。

その時、一瞬、不吉な感触を感じました。

思い当たる節があったからです。

「 不吉だなあ・・・・ 」

でも、その後、

すぐに、私の頭のなかを別の言葉が駆け巡りました。

「 消えた!!!!! 」

実は、その前日、あるお方の背後に全力で、強い‘ 風 ‘ を送ったのです。

‘ 風 ‘ とは 想念の事です。

私が風を送ったことで、その方が持つ「 妄念の一部 」が消えたのです。

といっても、これは私の力ではありません。

あくまで、その方自身の意思の力です。


その方の 本性 をチョイと後押ししただけです。

暗いエネルギーが消え去る時、何らかの カタチ となって現れます。

これは、歓迎すべきこと。

そのとき、

「 どこからでも掛かって来い !!! 受けて立とう!!! 」

と思いました。

すると・・・・

またしても!!!!

昨日、またパンク・・・・

不思議な事に、前回パンクしたと同じ、後輪、左タイヤ。

クギが刺った場所も、ほぼ同じ、

タイヤに向かって思わず ・・・

つぶやいて しまいました・・・

「 ありがとう!!!! 」




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正史 復活の時

2014-05-20 | 思う事


私が小学生の頃(今から約40年前)
学校の教科書にはこのような事が書かれていました

「 稲作は大陸から朝鮮半島を経て日本に伝わった 」

でも、これは大きな間違いです。

根拠
  
1 ・・・・ 今から8年前、2005年岡山県の縄文時代の遺跡、彦崎貝塚 の地層から
紀元前6000年前の稲のプラントオパール発見された。

( プラントオパールとは、植物の細胞内にガラスの主成分である珪酸が蓄積し、
             植物が枯れた後も土壌中に半永久的に残る成分。)


日本で発見された最古の米 (プラントオパール)は紀元前6000年。
それに対し、朝鮮半島で確認された最古の米は紀元前2000年。



2・・・・朝鮮半島や中国東北部からジャポニカ種の遺伝子が見つかっていない。


この2つの事実から判ること・・・・

水稲は大陸( 中国南部以南 )から直接日本に伝来し、日本の中で
独自の発展を遂げた。


と言う事です。

私が小学生の頃、40年前は、まだ考古学的な研究が進んでいなくて、
推測で「 朝鮮半島を経由した 」 と教科書に記したかも知れません。

でも、現在、それは間違いであったことはハッキリしています。

にも関わらず・・・・

未だに、教科書には「 朝鮮半島を経由した 」 と記されています。

なぜ、訂正しないのか?

このことに限らず、これと同じような「 間違った歴史認識 」は数多く存在します。

ならば、何故、そのような事が起きるのか?
何を意図してそういった間違った歴史を国民に植え付けるのか?

「 日本人に、日本独自の文化に対する誇りを持たせない 」

これが、目的です。

「 日本の文化、技術、伝統、それらは全て、大陸から朝鮮半島を経由して
伝来したものである・・・  
日本が独自に培って来たものなど何もありません・・・ 」

こう国民に思わせたいのでしょう・・・・

若しくは、そんな事どうでも良い問題だと思っているのでしょう・・・

どうして、こうなったか?

答えは簡単です、

日本が戦争に負けたからです。

終戦後、アメリカさんは日本を占領し、
日本の学校教育をも支配しました。

その、目的は・・・

日本との戦争で散々な目に遭わされた・・・
日本人から誇りを奪い取ってやろう・・・
そうすれば、日本は二度とアメリカに牙を向けてこないだろう・・・
骨なしチキンにしてしまえ・・・

とはいえ、現在はその当時と状況が大きく変わっています。
日本は、アメリカの占領下にはありません。
それどころか、日本はアメリカにとって、
良くも悪くもパートナーとなっています。

現在のアメリカが当時の目的意識を今だに持ち続けている訳ではありません。

もう、これは過去の事、 

過去の事をウダウダ言っても未来は見えてきません・・

でも、残念ながら・・・・

この古い、過去の残骸

「 日本骨抜き戦術 ・ 弱体化戦略 」の理念を

今なお持ち続けている化石のような連中が、
日本の内部に存在しているのです。

こういう連中は昔は 赤い顔 をしていましたが、
赤い顔に限界を感じ、緑っぽい顔 に変色して生き長らえています。

その代表格が、朝○新聞

○○組の低俗な一部の教師

朝○新聞に至っては、間違った認識を通り越して、

「 歴史の捏造 」 までやってお見えになります。

人は、一度持った信念を、めったなことでは変えません。

こういう連中に、どんな証拠を見せ付けて、「 あんた間違ってる 」

と説明しても、「 なるほど・・・ 」 とは言いません。

●日新聞なら、歴史的事件の捏造まで平気でやってのけます。

朝○新聞にとっては、

愛国心や、日本人のとしての誇り、は‘ 悪 ‘ なのです。

愛国心の否定こそ、正義と思っておみえになる。

「 正義のためなら何でもやるぞ 」

と思っているのでしょう。

「 愛国心 」 と言う言葉を聞くと、現在の日本人のほとんどが、

ドン引き するでしょう・・・

なぜなら・・・愛国心と云う言葉は、戦後教育と朝●新聞を筆頭とする、
反日勢力によって、

「 古い考え方 」 「 戦争の象徴 」
 
というイメージが植えつけられているからです。

「 愛国心が戦争を呼ぶ 」 と仰るかたもおみえになります・・・

愛国心 が戦争を引き起こす訳ではありません。

戦争は民族レベル、国家レベル、での双方の
因縁 ( 業 )がぶつかるから起きるのです。

戦争の背後には、目には見えない背景 ( 霊的 ) な要因が存在していて、
現象論で説明する事は不可能です。


残念ながら・・・悲しいことに・・・

戦争のない世の中など永遠にやって来ない・・・

悲しい現実ではあるが・・・・

それを認識しないと、結果的に更に多くの犠牲者を出してしまうであろう・・・


世界中、どの国の人間も、自分の国に誇りを持つべきです。

自分の国に誇りがもてない人間が、
よその国の尊厳を尊重できるはずがありません。


いま、まさに、

長らく忘れ去られていた、日本の ‘ 正史 ‘ ( 正式な歴史書 )

古事記 と 日本書紀 の復活

の時期が到来しています。



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ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれますよ・・・・

2014-05-18 | 思う事



ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれますよ・・・・

子供の頃耳にした言葉です。

閻魔様がいるいないは別として、

この言葉が大きな害を及ぼすとは思えません。

「 ウソをつくと自分にとって マイナス になりますよ 」

ということを子供に感覚的に教えるという意味で、

この手のお話も必要なのかも知れません。


仏教ではこういうのを 「 方便 」 と呼びます


最近、 疑似科学  が横行しています。

これは非常に危険であると思っています。


水に 「 ありがとう 」 と語りかけると

その水に科学的な変化が生じるとか・・・・・


この手のお話は、

方便 として道徳論や精神論を説くという意味においては

べつに問題ないと思います。


間違った事を教えている訳ではありません。


感謝の心は大切です。

感謝の心は如何なる邪悪な要素も 「 消し去る 」


汚い言葉や 暗い言葉を使うと 自分にとってマイナスとなります。


しかしながら・・・・

水の性質が変わると言ったことを、科学的に立証した という類のお話は

危険極まりない と思えます。

絵本の世界のように「 たとえ話 」 として述べることは問題ありませんが、

それに無理やり 科学的 という言葉を当てはめる手法は感心できません。


あくまで 「 方便 」 として

程々のところで抑えておけば良いと思うのですが、
これが更にエスカレートすると、
カルト になります。


水の結晶 を顕微鏡カメラで撮影した写真が、

科学的根拠 があるかの如き解説で紹介されているのを目にしました。


少しでも科学的知識がある人が見れば

???????

です、

有識者は ??????と思っても、

大真面目に議論するのも野暮と思って黙っているだけのような気がします。


私のような無学な人間でも、こういったお話が荒唐無稽である事ぐらい、
容易に判断できます。

結晶の写真 と称するのは

厳密に言えば  「 氷が解けてゆく過程 」 の写真

綺麗な幾何学模様は 氷に周辺の水蒸気がくっついてできたもの。


それは、固定した姿ではなく 刻々瞬瞬と形を変えます。

「 どのタイミングで写真を撮るか 」

の問題であり、水の継続的な状態 を表すものではありません。


要は、


何百枚も写真を撮って その中から 

‘ 趣旨に沿った綺麗な図柄の写真 ‘ を選び出す。

まあ、そう言う事なんです。

この写真を 科学的  と仰りたいなら、

どういう条件で、 何枚撮ったのか、

この2点を明記しなければなりません。

たぶん・・・この事は絶対に公表できないはずです。

現に、一切、公表されていません。


こういう写真を  「 選び出す 」 為には、膨大な時間と、根性と執念が必要だと思います。

そういう意味ではたいしたものだと思います。

「 精神論 」 「 例え話 」 「 ご愛嬌 」 「 軽い冗談 」

という土俵で語っているなら、

このこと自体を批判する気はありません。


メルヘンの世界、( 方便 ) と言う意味では無意味ではありませんが、
大真面目に 「 科学的だ 」 などと言ってしまったら
チョッと行き過ぎです。

手のひらから、何かを取り出す、
イ〇ドの 〇者 差異〇〇 さんと同列な気がします。

信じられない事に、ある程度教養を備えた、インテリ階級の人まで
このお話を信じているようです。

この手のお話は、

ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれますよ・・・・程度に解釈して、

あくまでも 童話の世界 に留めるべきだと思います。


こういう手法で 科学 を振りかざすことは、

地道に努力している科学者に対して失礼です。


科学者の背後にそも、
神を否定する唯物論者の背後にも、
それを守護する神の英知が存在しています。

この手のお話は、純粋な人間ほどコロリと行ってしまいます。
そういう意味で、私のような捻くれた人間は安全です。


純粋過ぎることは、多くの危険を伴うと云う事です。


悲しい事に・・・

純粋な人間ほど、利用されやすい・・・・

純粋な人間ほと不幸になりやすい・・・・

純粋な人間ほど、‘ ‘ の類のお話に振り回される・・・

でも・・・

全てを疑っていては、それだけで人生終わってしまいます。

「 何かを信じる 」 と云う事は大切な事です。

「 何を信じるか 」 でその人の運命は決定します。

ならば・・・・

信じるべきものはなにか?

私は思います・・・

「 自分の内に宿る 神 」

これを信じる事が、全ての根本だと思います。

全ての人間は 神の分身 です。
これはウソではありません。

ウソをつくと閻魔様に舌を抜かれてしまいます・・・・




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今生は死後のための修行期間なのか??

2014-05-09 | 宗教
「 善い行いを重ねると死んだあと天国へ行けます。」

こういうお話を聞かされると情けなくなってくる。

こういう言葉の裏側には、

「 脅し 」  と、 「 あきらめ 」

という卑屈な感情が横たわっているように思えてならない。


「 天国へ行けます 」 と云う言葉の裏側には、「 地獄 」を匂わせる意図を感じる。


「 善い行いを 重ねる と死んだあと天国へ行けます。」 は  

言い方を変えれば、

「 善い行いを 重ねない と、死んだあと地獄に行きます 」 という事になる。

これ、即ち 脅し

善い行い の動機は 「 不安感 」 となってしまう。

果たして、これが 善行 と言えるのだろうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「 死んだあと天国へ行けます。 」

と云う言葉も、  よく考えてみると何だかおかしい・・・・

‘ 人間は死んだあと天国に行く‘  ために生きている事になってしまう。

今生は、

天国、若しくは 来世のための待合室なのか?

今生は死後のための修行期間なのか?


こういうのを 「 あきらめ 」 と云うのではないだろうか。

「 善い行いを重ねると死んだあと天国へ行けます。」

この言葉、 私の耳には 、

「 生きていることが辛くても、諦めなさい。死んでから良い事ありますよ・・・ 」

と聞える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう考え方が、果たして 真理 と言えるのだろうか?

私は思う・・・・・

この人生は、 期間限定、一本勝負。

生きているうちに必ず決着を付けるべし。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

親鸞聖人の言葉

現生不退  
( げんしょう ふたい )

とは、こういう意味だと解釈しています。


これこそ、釈迦の説いた教えの核心部分ではないでしょうか。





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最も扱い辛い子供

2014-05-07 | 出来事
私の子供が中学に進学したときの出来事。

家内の強い要望で、子供を塾に通わせる事になりました。

さて、どこの塾は通わせよう・・・

近所の子供たちは有名な大手経営の塾へ通っている様子。

でも、私はそんな塾に通わせるのはやめたほうがいいと思っていました。

その辺のところは妻も私と同じ考え方をしていました。


個性的で実績のある塾は無いだろうか・・・


妻がネットなどでいろいろ調べた結果、個人経営の小規模の塾を見つけました。

噂によるとこの塾からは、一流高校合格を多く輩出していて、かなりの定評があるとのこと。


よし、ここに決めよう・・・・


ただし、この塾に入るには審査があり、

審査に合格しないと受け入れしてもらえないらしい。

審査といっても、塾長が親子と面接するのみ、


早速、家内が子供を連れてこの塾に面接に出向きました。

無事面接が終わり、帰ってきた家内に面接の内容を聞かされました・・・・・


塾長   「 あなたのお名前は? 」

私の子供、  蚊の鳴くような小さな声で、うつむき加減に「 ● ● ● 子 です 」

塾長   「 んん・・・・・・・御希望なら、うちにの塾にきて下さい・・・・ 」

家内が、 ????? と思っていると、

塾長が語りだした・・・

「 ときどき、年不相応に、物凄く礼儀正しくお辞儀をして、
必要以上に大きな声でハキハキと受け答えをする子供が面接に来ますが、
そういうお子さんの受け入れは、はうちの塾ではお断りしています。
そういう子供は素直さが無く、最も扱い辛く、結果として大きく伸びる事はありません。 」


この話を家内から聞かされ、

んん・・・・なるほど・・・・・と唸ってしまいました。










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ドイツワイン大好き

2014-05-06 | グルメ 



ツェラー・シュバルツェカッツ ゾネンゴルト

ドイツ、モーゼル地方産の白ワイン

やや甘口、 750ml 800円から1000円程度で入手できる。

これ以上高価なワインを買ったとしても、タバコを吸う私に

その価値が分かるかどうか疑問です。


このワインを飲みながらバッハを聞くと、心が静まる。

ドイツワイン大好き。

普段は発泡酒ばかり飲んでいる私も


今日は自分の魂にお供え物をすることにしました。
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我 忘れるが故に、我 あり 

2014-05-05 | 思う事


四苦八苦・・・

やはり、生きているからには多くの苦しみが伴う。

苦悩、 後悔、 不安、 いらだち、 孤独、 肉体的苦痛・・・・

嫉妬、 憎悪、 憎み、 怒り、 嫉み、 妬み・・・・

どんな人間でも必ず持っている。


どんな大富豪も、

どんな成功者も、

強烈に陽気な人も、

誰もが羨むヒーローも、

穏やかで、平和な生活をしている人も、


人知れず 「 苦 」 と戦っている。


なかには、想像を絶する大きな苦しみを抱えている人もいる。

ただ、それを他人に見せないだけ。


私は、若い頃、こんな簡単な事が解かっていなかった。

高等そうな立派な理屈を並べ、「 真理は普遍にして万能なり 」

と信じ、それを得意満面に人に語った事もあった・・・


今思うと・・・そういった思い上がった自分が情けなく思える。


人間はそれぞれ、その人にしか分からない苦しみがある。

人の苦しみをその人の身になって理解したつもりで偉そうな事を言う事は簡単だ。


あるとき思った・・・


苦しむ人を助けたい・・・と真剣に思うなら、

自分のなかに、その人の意識を入れなければならない。

その人の苦しみ( 心の状態 )を自分で中で再現しなければならない。


そのうえで、何かを語るべきだ、


でも・・・・そんな事を常にしていたら、自分自身がイカレてしまう・・・・


自分がイカレてしまっては身も蓋も無い・・・・


ならば、どうしたらよいか・・・・


「 自分を忘れる 」 これしかない・・・


デカルトさんは、 「 我思うゆえ、我あり 」 と仰ったけど、

私の場合、

「 我、忘れるが故に、我あり 」 と考えるのが自分にとって最も効率的な

生き方であるような気がして来た・・・


それ以来、自分以外の誰かの事を考える時間が増えて行った。


と言っても、常に自分を忘れる事は不可能だ、

自分の前に、苦しむ人が現れたとき、

その人のみに全身全霊を込めて、意識を集中する。


これを行っている間は、「 自分の苦しみ 」 など存在しない。

ひょつとしたら・・・この状態が 浄土であり天国なのかも知れない。


苦しむ人の意識を自分の中に入れなくても、何らかの手助けができる。


自分以外の誰かに強烈に意識を向ける。

これが出来れば、結果として、必ず何らかのかたちで自分の存在が人の為になる。


最も、これは「 世の為、人の為に何かをする 」 などという高等な意識ではない。


恥ずかしながら・・・わたしはそんな立派な人間にはなれない。


「 自分を忘れるために、何かをする 」 ただそれだけだ、


自分の行為や存在が、人の役に立つことが出来た時、

誰かが深い意味で喜んでくれたとき、


ありがとう・・・・


とお礼を言いたくなる。


自分の愚かさに打ち砕かれそうになったとき、

自分の子供の事、家族の事で苦悩が襲い掛かってきたとき、


「 我 忘れるが故に、我 あり 」 念じる。


このあと、私がどうなるかは 全て神様にお任せしようと思っている。















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煩悩は多いほど良い

2014-05-04 | 宗教


親鸞いわく・・・・

罪障、功徳の体となる
こほり とみず のごとく
こほり おほきに みずおほし
さわり おほきに 徳おほし

  三帖和讃 第21首

・・・・訳・・・・

罪障( 悪い行為 ) が 
功徳 (幸福をもたらす善行) の
妨げになるのではなく、かえって体となる。
それは、氷と水の関係に似ている。

氷が多い場合、水が多くなように、障り ( 妨げ 支障 ) が多いときに
かえって功徳が大きくなる。


・・・・・・・・・・


罪障を感じて、苦悩が込み上げてくる・・・・

煩悩が次から次へと押し寄せてくる・・・・


煩悩があっては極楽に行けない?

煩悩を絶たないと、苦しみ続ける?

そんなはずはありません・・・

親鸞聖人の理論から言える事は、 誤解されやすい言い方ですが・・・

煩悩は多いほど良い。

煩悩が功徳の妨げになる訳がない・・・

煩悩にも感謝すべき・・・

唯円さんは、

煩悩に対して、「 悪魔と戦う 」というような事を言っておみえですが、

親鸞聖人の云わんとすることは、

そんなちっぽけな価値観では無いような気がします。

障り多きに徳多し
コメント (2)
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