名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

『魔よけのお札』 とは?

2016-07-30 | 宗教

我が家のお守り、
家族の人数分、ヘルメットが常備されている。
これは、魔よけのお札を貼る数十倍の意義がある。


煙や、粉塵の防御用に、防御マスクも常備されている。
このような簡易マスクが災害時、どこまで有効なのかは疑問だが、
無いよりはマシだと思っている。
この他にも、酸素のスプレー缶も常備されている。

火災などで煙に巻かれた時や
爆発などで粉塵などが充満した場合、
自分の身を守るばかりではなく、
取り残された人を、
救出することもできるかもしれない。

過剰な不安感や、暗い面のみに意識を向けた、
否定的な生活感や人生観は、

「 今現在 」を暗くすると同時に、その

「 暗い心 」が、「 暗い言葉 」となり、

「 言葉 」が未来を構築する。

悲観的に未来を考えてはいけない。

不安感ばかりで生きていたら、
‘今‘ に対しても ‘未来‘ に対しても不安要素を
引き寄せるだけです。

しかしながら・・・

『 取り越し苦労 』 と 『 危機管理 』

を混同しては成りません。

人災・天災といった不運は、
不可抗力の場合もあることは確かですが、
多くの場合、最悪の結果の原因は、
「 想定不足 」であると感じます。

地震などの天災は、いつやって来るか解らない。
こればかりは人間の力ではどうにもならない。

でも、それに対する「 準備 」はできる。

未来の不安要素を想定し、
それに対する危機意識を持った者が、
不可抗力の災害や災難に対し、
「 最善 」の結果を導く。

運が良いとか、悪いとかは、
ほとんどの場合、
「 危機管理意識 」が在るか否かで決定する。

もし仮に、運の悪い星の下に生まれた人がいるとしても、

現状把握 → 現状分析 → 想定 → 対策検討 → 対策実施

この5つを常に心がけていれば、
ただ、それだけで不運は逃げてゆく。

これはごくごく当たり前なことではあるが、
皮肉なことに、
宗教をかじったり、
打出の小槌のような精神論をかじっている人には、
こんなことが分からなくなってしまっている人が多い。

同時に、こう云うタイプの人ほど、
損害保険とか、火災保険、生命保険などを信じる傾向にあり、
そういう投資に対し疑問や不安を持っていない。

因みに、私は国民健康保険と、自動車損害保険、
は加入していますが、
それ以外の保険は一切加入していません。

保険に関しては思う事ありますが・・・
触れてはいけない部分ですので、気の弱い白ウサギとしては
怖くて書けません。

危機管理ができていない人間は、
いちど躓いたら悲惨な事になる。

祈っておれば大丈夫、
信じていれば大丈夫、
お経や、念仏を唱えているから大丈夫、
お守りを持っているから大丈夫、
自分は普段良い事をしているから大丈夫、
徳を積んでいるから大丈夫、
神様が守って下さるから大丈夫、

と思っている精神論系の人が多く存在しますが、

神仏は、すべての人に対して平等です。
特定の人だけをエコヒイキしたりはしません。

お経よ読んだり、寄付をしたり、
お守りを持っている人だけは助け、
それをしない人を見捨てたりはしません。

「 天は自らを助ける人を助ける 」

これこそが、絶対的な法則なのです。

これは企業経営や、
資産運用などに関しても同様であると思う。

宗教や、打出の小槌みたいな精神論を信じる者は、
この、人間として生きて行くうえで当たり前な
ことを忘れてしまっている人が多いと感じます。


 人事を尽くして天命を待つ 
という諺があります。

出来る限りのことをしたら、
あとは心配したり焦ったりせず、
結果は神仏の意志に任せましょう。

というような意味で使われているようです。

この諺はの出典は、
南宋初期・中国の儒学者である胡寅の
「 読史管見 」

読史管見 に記された原文には、
「人事を尽くして天命に聴(まか)す」と記されています。


「 天に任せる 」とは、
人事を尽くしてからのことであり、

人事を尽くさず、天命に任せるような者には、
結果的に天は守ってくれません。

これこそが、法則であり、「 公平 」なのです。

取り越し苦労は、多くの場合、よい成果を生みません。
未来に対する過剰な不安感は、生命の浪費です。

現状分析・現状把握 → 危険予知・危機管理
それに基づいた、
最悪な事態を想定したうえでの、
できる限りの備蓄・準備

もし、仮にこれらの準備が役に立つことが無かったとしても、
それはそれで大きな意味がある。

現に、私もこれ以外に数々の危機を想定したうえで、
準備や、備蓄、警備を行っているが、
それを必要とするような事態に直面したことは一度もない。

起こり得る事態を想定して、人事を尽していたが故に、
悪いことが相殺され、悪い事態が消え去ったのだ。

これが出来ている人間には、不運が寄り付かない。

これこそが真の「 魔よけのお札 」

わたしの知る限り、これこそが 
「 安定的な成功者、」
の条件である。

私もそれを心掛けている。



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正統性を伝えたければ 「悪」でなく「善」をなすべきである。

2016-07-29 | 宗教

以下・・・・社団法人・「いのちを守る親の会」
理事長・大熊良樹氏のブログから転記・・・・

相模原市の障害者施設
大量殺傷事件。

障害者は人間ではない。

家族のためにも殺す・・と

今回の凶行を決行したという。

こういう考え方。

いのちに線引きをする考え方を
「優生思想」といいます。

お腹の中で「ダウン症かどうか検査して」
いらない子であれば堕胎するという発想と同じです。

老人も赤ちゃんも弱くはないが、
状況により、社会的弱者になりやすい。

しかしそのような立場の人をどれだけ守れるかで、
社会全体の「幸せ」や「心の豊かさ」が守られ、
究極の表現をすると
「戦争」と反対の生き方ができるのです。

これを平和といいます。

陰で多くの弱者を苦境に追いやり、
みんなで幸せになることなど
できないのです。

尊くない「いのち」
などひとつもないのだ。

すべての「いのち」が
無限の尊さを持つのです。

社会的弱者への待遇こそ、
すべての人々の未来を
暗示するのである。

最近のイスラム国を自称する
「大量殺人」と組織的関連はないが、
社会的には(心の世界では)
、実は連動しているのである。

最近多発する「テロ」を口実にした
大量殺人事件。

自分たちの正統性を伝えたければ
「悪」でなく「善」をなすべきである。
良き行い、よき言葉を発するべきである。

悪業が悪業をよび循環する。
これを超える道はただ一つ。
生命への徹底礼拝である。

憎しみの連鎖。
報道された時点で「心の事実として」
見聞きした人の心の体感(体験)として
認識するのである。人類暗黒化である。

すなわち影響されるのである。
その意味で私たちのいのちは
深く影響し合っているのである。

光明化こそ重要である。

以上・・・・
社団法人・「いのちを守る親の会」
理事長・大熊良樹氏のブログから転記・・・・

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優しい目

2016-07-26 | 思う事

正義感が強い人ほど、
追い詰められたとき弱い。

ちゃらんぽらんで、頼りなさそうに見えるひと程、
ここぞとと云うとき、強い。

これは、私がサラリーマン時代
リーマンショック以降に見た、
企業内の修羅場のなかで感じたことです。

正義感が強い人が発する風とは、

これが正しい!!!
あれは間違っている!!!
自分は欠くあらねばならない・・・

これは立派なことだが、
こういう人ほど、自分の責任を重く感じて、落ち込み、
その果てには、挫折してしまう。

小さな勝ち負けなどどうでもよいが、
肝心なところでは勝たねばならぬ・・・

 「 勝つ 」とは、
どういうことか???

私は思う・・・

物事には裏表がある。

裏表のない事物や、人間などこの世の中に存在しない。

この裏と表を、
‘ 優しい目 ‘ で観ることができるかが勝敗を分ける。

「 優しい目 」とは、
‘妥協‘ とか、‘諦め‘ という意味ではない。

現実の奥に、現象の奥にある、
普遍的な姿を見る。

これが出来たとき、「 優しい目 」となる。

勝たねばならぬ・・・・






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右翼Vs左翼の時代は終わった・・・

2016-07-10 | 思う事


右翼・・対・・左翼

この分類は、
ひと昔前まではある程度通用したが、
今の時代には通用しないような気がする。

現在の国際情勢を勘案するなら、

「 リアリスト 」 対 「 ドリーマー 」

リアリストとは・・・
歴史・人間の性(サガ)を直観したうえで最善を願い、
そのために動く人。

ドリーマーとは・・・
泣いて叫ぶ、夢見る善男、善女

若しくは、 ‘ 悪意ある勢力 ‘の
情報戦に乗せられてしまう純粋な人

‘ 夢見る善男、善女 ‘とは???

防御するから、襲われると信じて、
自分の家に鍵を掛けない強い信念?のあるひと。

自分の子供が襲われた時に、
「 暴力反対!!! 」と言いながら
泣き叫ぶだけで何もしないひと。

極端な右脳崇拝に端を発するスピリュユアル左翼(?)


‘ 悪意ある勢力 ‘ の特徴・・・とは???

戦争反対と泣き叫ぶが、、某・大国の軍拡は黙認。

原発反対と言いながら、某・大国の原発は黙認。

戦争反対と言いながら、拉致問題には言及せず。



正論ぶった、「 夢見る善男・善女 」的な、
極端に偏った報道の嵐にも関わらず。
選挙の結果を見るに、
リアリスト優勢であると感じる。

日曜日の朝、テレビに顔を出す俳優崩れの
反体制・優柔不断男
(確か・・咳口とかいう名前だったか?)は言うでしょう・・・
「 やるせないですね・・・・ 」

日本人の思慮深さに拍手喝采

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運命のメカニズム

2016-07-09 | 思う事

アイドルなどに興味は全くありませんが、
松井玲奈だけは別格。

家族でテレビを見ていて、松井玲奈が映ったとき、
私はいつも決まって、松井玲奈を褒め倒す。

娘は、松井珠理奈のファンだったが、

ある日、突然、娘は言った・・・

「 玲奈の大阪の舞台に連れて行って欲しい」

少し面倒臭そうな表情で、答えた・・

「仕方ない、連れて行ってやるか・・」



この会話は、「 事実 」である。
でも、この会話の背景には
「 真実 」が隠されている。

真実とは???

私は、
 娘を通して、自分の願望を実現させたのだ 

大袈裟な言い方ですが、
これは、ある種の「 洗脳 」なのかも知れない。

この場合、ホント、他愛もない 
‘ 事実と真実 ‘ ではある。、

しかしながら・・・
これに似た手法で、
人を支配したり、不幸に落とし入れたり、
人の運命を操作したり・・・
そういう真実は多く存在する。

もっと高度(?)になると、
本人には、自覚はないが、
自分の運命に対して、ドラマを演出する事もある。

この辺のメカニズムを知ることが、
運命を語るうえで重要なことである。

聡明で純粋なる娘よ・・・・
シタタカな父を許し給え・・・
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恐怖の体験・・白ウサギ、若かりし時の出来事・・

2016-07-03 | 宗教

私が20歳の頃(今から31年前)
奈良大和路に魅了されていました。

当時、毎年、4~5回は通ったと思います。

奈良に行ったとき必ず、
大神神社(おおみわ神社)を参拝し、
この神社の御神体である、
三輪山を眺めるのが至福の時でした。

三輪山山麓に桧原神社という神社があります。

この神社のある場所は、
「 倭笠縫邑伝承地 」と呼ばれています。

「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」とは、
現在の伊勢神宮(内宮)に祀られている天照大神を
初めて宮中の外でお祭りした場所です。

この地こそ、現在の伊勢の神宮の出発点であると感じます。

桧原神社の境内からは、大和盆地の景観が一望できて、
この地に立つと、
「 大和は国のまほろば・・・」
の歌が心の中に響いて来ます。

大和盆地の反対側には、
生駒山系がそびえています。

生駒山、信貴山は、
修験道系・密教系の霊場が点在していて、
日本有数の霊山としてもその名が知られています。。

私はそれまで何度も奈良に訪れていたのですが、
生駒山の方面には一度も足を踏み
入れることありませんでした。

理由は分かりませんが、
私には相性が良くない土地だと思えたからです。

そんなある日の事、
なぜか、フト思いつきました・・・

生駒山に行ってみよう・・・・

生駒山中にある、x寺というお寺には宿坊があり、
格安な値段で宿泊できあると云う事を知りました。

安いことも魅力でしたが、
好奇心のような感覚もあり、
その寺で、泊めて頂く事にしました。

この寺は、役行者が開山したお寺で歴史の古いお寺でした。

対向車が来たらすれ違うこともできない、
曲がりくねった細い山道を車で登って行くと、
いかにも役の行者が好みそうな場所に、
xx寺がありました。

掃除や庭木の手入れなども行き行き届いた、
立派なお寺でした。

寺にたどり着くと、日が暮れ始めれいました。
夕暮れの濃い霧の中に本堂が浮かんでいました。

独りぼっちの私の目には不気味な光景に映りました。

ほかに宿泊客がいると思っていたのですが、
私以外誰もいませんでした。

どう訳か分かりませんが・・
今日は、寺にいるのは住職ひとりだけの様子。

臆病な私は心細くなってきました・・・

夕食は、住職が鶏鍋を作ってくださいました。

鶏のひき肉に卵を加え作った鶏団子が沈んでいて、
ネギがたくさん入っている、シンプルなものでした。
(これはスキ焼と云うのかもしれません)

不平を言っては失礼ですが・・・
まったく味の無い汁でした・・・

住職は、これに醤油を加え、スプーンに
山盛りの砂糖を加えて、
美味しそうに食べてお見えになりました。

薄暗い本堂の密教の護摩壇の横で、
住職と2人でほとんど会話もなく、黙々と食べました。

そのあと、住職は住処に帰り、
私は離れの宿坊で一人になりました。

物音ひとつしない、無音状態。
テレビもない。

気味が悪く、怖くなってきたので、
寝るのが勝ち!!と思い、
8時くらいに布団にはいりました。

そのあと・・・
恐怖の一夜が待ち構えていたのです・・・

布団に入って目を閉じると、
何やら、只ならぬ気配を感じる・・・

数人の人にジッと見つめられているような感覚・・・
四方八方から視線を感じる。

怖くて、頭から布団に潜り込む。
眠れない。

恐怖のあまり、
布団の中に潜り込んでも、視線を感じる。

住職に助けを求めに行こうと思っても、
布団から出て、真っ暗な本堂を通り抜け、
住職が寝ていると推測されるお堂まで
歩いてゆく勇気もない。

じっと耐え続けていたら、
今度は小便がしたくなってきました。

強い尿意を感じるも、更に強い視線を感じる。

やはり怖くて布団から出ることができない。

尿意が更に睡眠を妨げる。

結局、夜が明けるまで一睡もできませんでした。

長い夜が明けました・・・

住職と2人で朝食を食べました。
そのとき、住職に昨晩の事を話しました。

住職は笑うだけでした。

そこで私が尋ねました、
「 幽霊は存在しますか? 」

住職、ニッコリ笑って答えました・・・

「  そんなものは存在しません、
怖いと思うから怖いだけですよ  」
・・・・
修験道系の密教では、
護摩壇の前での加持祈祷は必須で、
その場合、加持祈祷を受ける人には、
頻繁に憑依現象が起きているはずです。

それに、この寺に住んでいれば何らかの体験を
しないはずがありません。

浄土真宗系ならば、基本的には霊魂の存在を認めていないので
霊的現象を否定されたとしても不思議ではありませんが、

この寺は、役行者の開山した寺で、
現在は修験道系の密教寺院です。

それでも敢えて否定されるところに
深い意味があると感じます。

今になって思うに、
これは修験道で言う、「 行試 」(ぎょうためし)

あのとき体験したことは、霊や魔物の仕業ではなく、
そういう「 現象 」を通して、
役行者が私を「 試した」 のだと思えます。

今思えば・・・
あのとき、私が取るべき最も適切な対処方法は、
迫り来る只ならぬ気配と、四方八方から注がれる
強い視線に対して、
ニッコリ笑って

注目して頂けて光栄です!!

歓迎して下さって有難うございます

というべきだったと思います。

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