名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

勝たねばならぬ・・・

2016-05-29 | 思う事

・・・写真は、20年前の白ウサギ・・
皮肉な事に、心の優しいひと程、
いろいろなマイナスエネルギーを受け易い、

それは受難を受け易いということです。
何故か???

**「優しい」とういう気質の裏には、
「弱さ」という隙が発生しやすいからです。

**「 利己的 」なひとや、「 冷淡なひと 」は、
その裏に「強さ」があります。
だから、外部からのマイナスエネルギーを受けにくいのです。

でも・・・本質的な価値を考えるなら、

*優しい事は、偉大な事です。

*『優しくない』より、『 優しい 』
のほうが良いに決まってます。


「本質的な価値観」と「生きて行く上での実益」
これを対比させるなら、どちらにもリスクはあります。

ならば・・・どういう状態が最善か?

どういう人間が最強か?
どういう人間が「運命の勝利者」なのか?
どういう人間が、自分を救い、
同時に他者を喜ばすことができるのか?

「優しさ」を「強さ」に変えた人間です!!!!

それに至るまでには、苦悩や受難があるかもしれません。
でも・・・それは無駄な事ではないのです。

ならば・・・

冷たい人間、人情味に欠ける人間は、
どうなのか・???

「 強さ 」を優しさに変えることが
出来るかどうか?
それに尽きます。

だだ・・・不運にも・・・
勢いに乗って、そのまま突っ切ってしまう人も多い。
その帳尻は、まったく想定外の要素のなかで、
いつか、必ず精算しなくてはならない・・・

輝かしい未来の到来を前提に考えるなら。
過去は、全てが最善だったのです。

生きているだけで丸儲け なのです。

これを悟るために、
今生という、ドラマが展開されるのです。

どちらにせよ・・・
勝たねばならぬ・・・・
「 勝つ 」とは???

「 運命の支配者」
「 運命の主人公 」となることです。

「 負け 」とは???

「 運命の奴隷 」
「 他力への依存 」となることです。

勝たねばならぬ・・・・


この文章は、最近、Xさん(心が優しいステキなお方)
に送ったメッセージです。
Xさんの輝かしい未来に祈りを込めて・・・。
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釈迦の本意

2016-05-28 | 宗教

一切の業障海は皆妄想より生ず、
若し懺悔せんと欲せば端坐して実相を思え、
衆罪は霜露の如し慧日能く消除す 
・・仏説観普賢菩薩行法経・・

「 衆罪 」 しゅざい = 衆生の犯す諸々の罪。
「 実相 」じっそう = ほんとうの姿
 「 霜露 」そうろ = つゆ。消えやすいこと、
「 慧日 」えにち =
仏の智慧が煩悩や罪障を除くことを、
太陽にたとえていう語。

・・・白ウサギ訳・・・・

すべての苦難は、
自分自身が創り出した蜃気楼のようなものですよ。
何か後ろめたい事や、
不安な事があるなら、
姿勢を正して、自分のホントウの姿を見てごらん、
太陽の光で、霜や露が消えてしまうように、
悪い要素は消えてしまいますよ。


・・・・・・・・・
これは、法華三部経 の、
仏説観普賢菩薩行法経に記された、
仏教の核心を語った部分です。

法華三部経 ( ほっけさんぶきょう )は、
 天台宗・日蓮宗の経典です。

無量義経 ・ 妙法蓮華経 ・ 観普賢菩薩行法経
で構成されていますが、
観世音菩薩普門品第は 他の宗派でも使われています。

これは、釈迦の本意を説いた
  万人成仏の教えを、
的確に表現した部分だと思います。

人間の実相( ホントウの姿 )は、
 ‘ 仏 ‘ そのものなのです。


ウサギ講では、‘ 神 ‘ と云うも
‘ 仏 ‘ と云うも、意味は同じです。

表面に現われた姿は、「 仮の姿 」
なのです。

自己の内に、‘ 神 ‘を観た者は、
他者の内に ‘ 神 ‘を観ることができる。

これが出来たとき、奇跡は起きるのです。

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貧乏神を呼ぶ言葉

2016-05-24 | 思う事

「 どちらでもイイです 」
この言葉は、可能な限り使わないようにしています。

これは、
私の今までの人間観察のなかから見つけた教訓です。

「 どちらでもイイです 」を連発するひとに、成功者はいません。

成功者に共通する事は、
「 どちらどもイイです 」という言葉を無闇に発しない。

例えば、誰かと一緒に食事をする事になったとき、
「 何か食べたいものありますか? 」
と訊ねたとき、
「 別に何でもいいですよ 」
と答えが返ってきたとします。

そこで、こちらが具体的に
「 和食にしますか?洋食にしますか?」

と訪ねたとします。

その問に対しても、
「 何でもいいですよ 」

更に、
「 私はどちらかというと和食が良いので、
和食にしたいと思うのですがどうですか?」

その問に対しても、
「 どちらでも良いです 」

ここまで「 どちらでもいいです 」を連発されると、
だんだん気分が沈んでくる。


「 どちらでもいいです 」
その言葉が会話のなかで自然な形で必用なときも
あることは確かである。

そういう場合は別として、
このような‘無気力‘状態での
「 どちらでもいいです 」の連発は、
その言葉を浴びせられた人の心を暗くする。

なぜか、私が若いころ関わった人のなかに、
この 「‘どちらでもいいです‘連発人間 」が多く存在する。

この「連発人間」に共通することは、
私の知る限り、全員「 モテナイ男 」
結婚願望はあるのだが、女性にまったく縁がないタイプである。

私がまだ若い頃、( 20代の頃 )
その頃はまだ独身だったので、
休みの日は、時間的に制約が無く、自由に動くことが出来た。

同じ職場の独身の同僚に誘われて、、
年に1回程度ではあるが、
近場の行楽地やなどへ遊びに行くことがあった。

私は、ほかにやりたい事がいくらでもあるので、
私から誘う事は無かったが、
むこうから、いちど何処かに遊びに行こう・・・
などと、何度も言われると、
一度は付き合わなければいけないような
雰囲気になってしまう。

結局、そういう場合、
お人好しの私は、いつも自分の自動車を
出すことになってしまう。

私が運転していて、面白そうなものが目に入ると、
「 あそこ、何か面白そうだから寄ってみますか?」

 「 どちらでもイイですよ 」

「車をここに停めて、いったん
ここで別れて、しばらく自由行動して、
1時間後に待ち合わせしましょうか? 」

「 どちらでもイイですよ 」


こういう人も前記と同じ・・・
私の知る限り、全員「 モテナイ男 」
結婚願望はあるのだが、
女性にまったく縁がないタイプである。
(そうい私もモテなかったが・・・)

これらの事象や、その他の事象などを観察し、
総合的に判断するなら、
・・・・・・・・・・・
どちらでもいいです
必要以上に連発ひとに多く見られる傾向は、、
異性に縁遠い
金運がない。
無駄な浪費が多い。
友達が少ない。
全般的に見て、運が悪い。
・・・・・・・・・・・

私は35歳で結婚したが、
その時点で彼らは全員独身で、彼女もいなかった・・

私が独身の頃は、どういう訳か、
「 どちらでもイイ連発男 」が私の回りにたくさんいた。

ひょっとしたら、私はその手の人に好かれるのかもしれない。
好かれることは有り難いが、
この手の人には、あまり近づきたくない。
逃げるが勝ち

ただ、私はそこから学んだものは大きい。

強運をつかむためには、
そういった悪い習慣と反対の習慣を身に付ければ、
良いと思う。

私の生活信条

適切な表現方法が他にない場合を除いて、
「 どちらでもイイ 」という言葉を発しない。

20歳後半の頃からこの言葉を常に自分に言い聞かせている。

私は45歳で脱サラしたので、
それ以降は、もう彼らと会う機会もまったくなくなった。

今現在、
付き合いも一切ないが、風の噂によると
全員まだ独身であるあらしい。

私と同年か、2~3歳年上の人ばかりだったので、
彼らも今現在50歳の大台に乗っている。

一般論として、50過ぎの男が、結婚できる可能性は低い。

「 どちらでもイイです 」という言葉は、極力つかうな!!!
これ強運の秘訣!!!

私の知る、成功者で、強運な、ある男は、
何度も飲食したり、一緒に行動しりする機会があったが、
この男、この言葉を滅多に使わない。

5年ほど年前、
結婚したくてもなかなか相手が見つからない
30歳過ぎのある独身女性から、
相談を受けたことがある。

彼女と会った瞬間、彼女の発する「 風 」( 雰囲気 )が
強く伝わって来た・・・
彼女の大きな問題点が一瞬にしてわかった。
彼女に、満身の力を込めて、
私の強い‘ 風‘ (言葉にならない言葉)を送った。

そして、私は唐突に申し上げた・・・

しばらくの間、『どちらどもイイ』という言葉を
一切使わないようにしてください。

私の唐突な言葉が彼女の魂に共鳴しことを実感した。
そういう時は、一瞬、
体がゾクゾクして、ブルブルッとなる。

彼女は素直な表情で答えた、
「 はい、絶対に守ります 」

その6ヵ月後・・・
彼女からメールが入った・・・

ウサギ先生!!!
結婚が決まりました
ビックリです!!



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生きている人間の幽霊

2016-05-22 | 宗教

舛添要一東京都知事
議員になる以前は、よくテレビの討論番組に出演していた。
当時の言動は、実に痛快で、理に叶ったものだった。

特に、外交問題、国防問題に関しては、
共感できる発言が多かった。

都知事になってから、東京都知事という立場で、
なにやら不穏な外交みたいな事をやり出した。

ある国に対して、ご機嫌を伺い、媚びるようなことをし始めた。

それが良いのか悪いのかは判りませんが、

何らかの深い考えがあっての事なのか?
それとも、個人的な思惑だとか、感情があるのか?

よく判らん・・・が私の率直な感想でした。

そんな矢先、週間文春による、枡添叩き。

これも、何らかの背景があるのだと思うが、
結果的に、枡添氏は窮地に追い込まれてしまった。

ある調査では、
枡添氏の説明に「 納得した、」というひとはわずか2%
98%の国民が「 納得できない 」とい結果・・・

知事選のときは圧勝しているのだから、
知事になるまでの好感度はかなり良かったはずであるが、

今現在、メディア、SNSなど、よってたかって袋たたき。

あっというまに 「 嫌われ者 」と成り果てた・・

わたしも、枡添氏に対しては、今現在は好感を持てない。

でも、それは、
公費で豪華な食事をしたとか・・・
スイートルームに泊まったとか・・・

そんな問題ではなく、
枡添氏の‘ 公人 ‘ としての
「 使命感 」「 意欲・熱意 」
に対するものです。

公私混同で豪華な飲み食いしたとか・・・
公用車で別荘に通ったとか・・・

たしかに、庶民感覚では腹立たしく感じるのですが、
そんな、重箱の隅を突くような事で
枡添氏の「 東京都知事 」という役職に対する、
適正の全てを評価し、烙印を押す事は、
公平な立場にたって判断するなら、
あまりに大人気ないような気もします。

私の意見としては、枡添氏は辞任して頂きたいと思っていて、
決して擁護しよとは思っていません。

「 枡添辞任 」という結果になったとすれば、
それが妥当であるとは確かです。

ただ・・・
その結果に至るまでの、
ヒステリックな枡添叩きと、その背後にあるメディアによる、
「 審判 」は、見方を変えれば大きな危険性を感じます。

メディアのサジ加減ひとつで、
どんな政治家も簡単に潰す事が出来るという
事になってしまいます。

私は、枡添氏を支持しないと同時に、
マス・メディアも信用しません。
   
ここからは、文学の話だと思って聴いてください・・

霊的な直感力で、
今現在の個人レベルでの、枡添氏の背後をを観ると・・

何ゆえ、今まで順風万帆な人生を送ってきた
枡添氏が一瞬にして
世論から圧倒的な批判を受け、
近年稀にみる「 嫌われ者」となり、突き落とされたのか・・・


彼の背後に、4人以上の女性の「 念霊 」を感じる。

「 念霊 」とは、
人が強く発した 「 念 」が創り出す、「 幽霊のようなもの 」
たぶん、彼は過去に於いて、
4人の女性を裏切り、苦しめたのだろうと感じる。

その女性は、まだ生きているのだが、
その女性の発した、
「 強い未練 」・「 強い執念 」は、本人から離れて、
あたかも別人格のような形で残留する。

それを「 念霊 」( ねん・れい )と呼ぶ。

念霊とは、必ずしも死んだ人の幽霊ではなく、
生きている人のモノである場合も多い。

念霊( 生霊 )の起こす「 霊的障害 」は、
‘ 死んだ人の霊‘ の起こす霊的障害より数倍恐い。

生きている人の「 念霊 」とは、
生霊(いきりょう) という言葉と意味はほぼ同じ。

皮肉なことに・・・

「 枡添叩き 」の事の発端となった、
公用車で通ったとされている彼の別荘に、
その「 念霊 」を強く感じる。

順風万帆の人生でも、
人を苦しめたり、泣かせたり、裏切ったりしていると、
思わぬしっぺ返しがあるのです・・・・
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ありがた迷惑ランキング

2016-05-18 | 思う事

洋服屋とか、家具屋、眼鏡屋などといった
専門店などで買い物をしたとき、
レジで精算を済ませ、店を出ようとすると、
店員さんが出口まで見送りをして来ることがある。

こういう場合正直いって・・・
私はいつも内心、不愉快な気持ちになる。

財布にお釣りを入れたり、、
買ったものをカバンに入れたり・・・
その他、些細な動作をしているあいだ
店員はこちらの動向を終始観察している。

これは私にとって大きなプレッシャーである。

わずかな時間ではあるが、
この時間は店員さんにとっては、
客が、店を出て行くとき、玄関まで着い行くための
待機時間であり、
出口で「有難うございました」
と深々と頭を下げる為の待ち時間もである。

こちらとしては、
店員さんに待たせては申し訳ないという感情が働き、
早く退出せねばと思い、焦りを感じる。

他に荷物を持っていたりする場合、
自分の手荷物を整理したり、
買ったものをカバンに納めたり入れ替えたりしたい時もあるが、
こちらが出てゆくまで店員さんは、さりげなくこちらを見て、
ジッと待機している。

店員さんの熱い視線( ? )を感じると、
何はさておき、速やかに退出せねばならない状況となる。

普段、仕事で1分1秒単位で追われまくっているのに、
買い物をしたと時まで店の店員さんに、秒単位で追われとは・・・
どうにも理不尽に思える。

そういう意味で、私はいつも心の中で不快になる。

とは言え・・・同じ行動でも、
人と・時と・場所・・・次第では、意味が違ってくる・・
その相手が、

気心知れた相手であったり、
意気投合した相手であったり、
別れが名残惜しいと思える相手であったり、
深い信頼関係がある相手だったり、
親近感を感じる間柄であったり・・・・

そういう場合は、以心伝心で嬉しく思う。

そんな間柄でもない人に、事務的にそれをされるのは
苦痛である。

しかしながら・・・

店員さんの立場で考えれば、
それは、その店の接客マニュアルであり、
店員さん個人の「 粋な判断 」で、
その接客マニュアルに反した対応をする事は出来ないだろう。

そうおもうと、「 ウザイなー!! 」と内心は思いつつも、
不愉快な感情を押し殺して、
愛想笑いして、満足げな顔をせなばならない。

これがまた、苦痛である。
出来る事なら、「 見送りは不要です 」
と最初に宣言したいところだが、
気の弱い私は、そんなことを言う勇気がない。

店員さんも仕事で止むを得ずやっているのだろうし、
そういう対応を望んでいる人が多いのかも知れない・・・

不快感を感じるのは私だけであり、
そんなこと感じる私のほうが異常なのでは・・・
と常々思っていた

インターネットを何気なく見ていると、
興味深い見出しが目に入った・・・

「ありがた迷惑ランキング」
という記事が目に入った・・

女性向けコラムを掲示する、
「 女子SPA! 」というサイトの企画だった。

このランキングを見て、なるほど・・・・と思った。


・・・・ありがた迷惑ランキング・・・

5位 ・・結婚や子供はまだかと心配される  146票
4位 ・・美容師のおしゃべり  152票
3位 ・・断った飲み会の日程変更  159票
2位 ・・レシートは不要だろうと勝手に判断する店員  191票
1位 ・・洋服買った後の出口までの見送り  210票

店員の過剰な見送りに不快を感じるのは、
私だけではなかった・・・・

「 だれしも、思うことは同じなんだなー 」
と思うと同時に、

私の感じる事は、異常なのではなったのだ・・・
と思い、安心した。

飽和状態の市場では、、こう云った客の心理を、
深い部分で分析し、臨機応変な対応しなければ「 負ける 」と思う。

現に、私は、全国チェーンの
「 メガネの●● 」 は、以前2~3回程
店にいった事があるが、
もう二度と行きたくないと思っている。
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「 人格的雰囲気 」は、あり難く頂戴したい。

2016-05-15 | 出来事

今日の休みは、
久しぶりに全く予定が入っていない。

昼飯は、ビールを飲んで、
スペシャル野菜ラーメン作って食べた。

最近、過労気味なので、
このあと昼寝をしようと思っていたら、
家の、インターフォンが ♪ピンポンと鳴る。

思わず・・・ひゃーーーー 
と奇声を漏らした・・

ビールを飲んでラーメンを食べたあとは、
直感力の感度が約1.5倍アップしている。

インターフォンを取ると・・

「 ●●ですが・・・ 」

予感は的中・・・
●●さんと最後にお会いしたのは3位年前・・・

●●さんには、
ある止むを得ない事情があって、
不動産賃貸に関わる事で、
御迷惑をおかけしてまったことがある。

当時、●●さんは、旦那さんと2人で公団に住んでいた。

長男夫婦と、孫は、近くのアパートで、
別居していた。

末っ子の娘さんは、、旦那に先立たれ、
近所のアパートで小学生の子供と2人で暮らしをていた。

●●さんは、60過ぎて、あと残りの人生は、
長男夫婦、娘親子と同居して、
助け合いながら、賑やかな環境で余生を過ごしたいと考えていた。
その夢を実現するためは、二階建ての一軒屋が必用だった。

古くても良いので、
家賃の安い二階建ての一戸建て賃貸住宅
を必死になって探していた。

そんな●●さんに、私の仲介で、絶好の物件が見つかった。
●●さんにその物件をお貸しすることで話が進んだ・・・

話がほぼ確定したとき、
●●さんは、涙を浮かべて、大喜び。
「 これで安心して余生が過ごせる 」と仰っていた。

だが・・・その喜びもつかの間・・
突然の、私側に、ある事情が発生・・
●●さんに、その物件をお貸しすることが出来なくなってしまった。

まだ、契約を交わした訳ではなので、
法的には問題は無い。
だからと言って、
「 まだ契約していないのだから当方に責任はない 」
などというような事は言いたくない。

そんな理屈は、話が付いたとしても、
「 道理 」は通らない。

そのときは、こちらの事情を包み隠さずず、洗いざらい
誠心誠意お話して、謝罪した

●●さんは穏やかな表情で答えた・・

「 あなたの立場と、仰る事はよく判りました。
あなたの説明は、駆け引きや、ゴマカシなど
ない事はよく判ります。
この事は、なかった事だと思って諦めます。
わたしは、あなたを責める積もりはありません。
あなたとご縁があったことだけで嬉しく思います 」

●●さんは、そのあと、顔をうつむけ、
ポロリと涙を流した・・・

その涙は、息子家族と同居する夢が絶たれた無念さであった。

普通の人なら、怒り心頭となるはずだが、
●●さんは、私の苦しい立場も理解して、
不満や小言など、一切くちにしなかった・・

●●さんの気持ちを思えば、胸が張り裂けそうになった。

誠意は必ずしも通じるとは限らない。
でも、通じる事もたまにはある。

「 誠意の通じる相手こそ、信頼するに足る、
自分にとって大切な人間である 」
と常々思っている。

今までの経験のなかで、
ヒドイ目に遭わされた事も数回あった。

こちらに、まったく非がある訳ではないが、、
事の成り行きと、立場上、止むを得ず下手に出て、
頭を下げ、
事を穏便に解決するために、相手の立場を尊重し、
理論立てて、誠意誠意お話しをしても、
あくまでも、頑として一歩も譲らない人もいる。


●●さんは、ある政党の熱心な支持者だった。
その政党は、実質的には、ある宗教団体が運営している。

●●さんが、やって来た目的は、すぐにわかった。
▲▲党のある議員に対する支援のお願いだった。

私は▲▲▲▲という団体は好きではない。

でも・・その団体の
「 勢力拡大の為の手法 」が嫌いなだけで、
それに属する 「 人間 」が嫌いな訳ではない。

視点を変えれば、▲▲▲様の存在が、結果的には、
赤や緑の「 封じ役 」として、
大きな力を発揮して来たのかも知れない。

その逆もある。
わたしが、、信用している団体でも、
(私は如何なる団体にも所属していません)
それに属する幹部や、会員のなかには、
私が最も嫌いなタイプの人間が多くいることも確かです。

●●さんの差し出した、●●新聞。
普通なら、この手のものは、絶対に受け取らないのだが・・・

▲▲▲という団体様に対しては、共感はしないが、

●●さんの高貴な人格と、霊的雰囲気は、十分理解できる。
イデオロギーは頂かないが、
「 人格的雰囲気 」は、あり難く頂戴したい。

その政党を支持するかどうかは別問題として、

●●さんに対する敬意の思いで、
新聞を丁重に頂戴した。
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何よりも大切な事は、 「 真実 」です。 

2016-05-14 | 思う事

夢は必ず実現するとは限りません。
努力は、必ずしも報われるとは限りません。

必死に努力しても、
成果が得られないこともあります。

切実に願って努力を重ねても、
夢が叶わない事もあります。


それを言ったら身も蓋もない

事実と、真実とは違います。

「 事実 」は、目に見えます。
「 結果 」も、目に見えます。

でも・・
「 真実 」は、目には見えません。

‘ 目に見えるモノ ‘ 
が全てではありません。

‘ 目に見えるモノ‘ は、
‘ 目に見えないモノ‘ を知る為の
仮の姿でしかりません。

・・・ 努力はしたが、成果が得られなかった・・・
「 努力した 」は、事実です。

「 成果が得られなかった 」は、結果です。

「 結果 」の奥には、 「 真実 」があります。

何よりも大切な事は、 「 真実 」です。 
真実は、絶対普遍です。











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「神仏を信じる」 落とし穴

2016-05-11 | 宗教

私は自称・宗教家です。
宗教家というからには、神仏を信じています。

他者に対する言語として、
「 神仏を信じます 」
という言葉を使うことはありますが、

これを自分に言い聞かせているようでは、
まだまだ生半可であると感じます。

「 太陽は明るい 」
「 炎は熱い 」
「 氷は冷たい 」

当然の事です。
別に「 信じる 」必用などありません。

「 太陽は明るい事を信じます 」
「 炎は熱いという事を信じます 」
「 氷は冷たいと信じます 」

もし、こんな事をいう人がいたら、その人は、
太陽も、火も、氷も・・見た事も体感したこと
もない人でしょう。

これ即ち、腹の底では信じていないのに、
「 信じるべきだ 」
と自分に対して言い聞かせている事になる。

太陽を見た事がない人が
もしいたとするなら、その人は、
「 私は太陽を信じます 」
という言葉を使うことが適切です。

「 私は神を信じる 」 
捻くれた見方をすれば、これは、ある意味、

** 権威意識。
** 未知に対する依存
** 自分自身が、‘見ること‘‘知ること‘
が出来ないモノに対する、恐怖心の裏返し。



真の宗教の目指すものは、
「 信じる 」ことでは無く。

「 自分の内に宿る永遠の生命 」
を‘ 実感‘することではないだろうか?

永遠の生命 
こそが、神の分霊であり、仏の化身である。

神そのもの、仏そのもの、とも言える・・・

「 信じる 」を超越した人こそが、
真の宗教家であると思う。

ウサギ講の目指すものは、
「 神仏を信じる 」という言葉を忘れることです。

皮肉なことに・・・

宗教団体は、 
「 神仏を信じる‘ 偉い先生 ‘ 」
を多く排出する。


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伊勢・・伊雑宮(いざわのみや)参拝

2016-05-08 | 宗教
2016年5月3日・・伊勢 伊雑宮参拝・・・

伊雑宮(いざわのみや、正式名:伊雜宮)
三重県志摩市磯部町上之郷式内社(大社)・・・
志摩国一宮。

伊勢神宮内宮の別宮の一社で、度会郡大紀町の瀧原宮とともに、
「天照大神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれる。






参拝者駐車場・朝9時。
車は一台、関西ナンバーの白い車。

50代後半と御見受けする夫婦の車だった。
ご夫婦は参拝を終えて、帰路に着くところだった。
御婦人と目が合った、
御互いほとんど同時に会釈した、
「この御夫婦・・只者ではない・・」と、感じた。

その瞬間、御婦人は澄み切った眼差しで、
ニッコリ笑った・・・
私もニッコリ笑った・・
以心伝心とはこの事だろう・・
この御夫婦、高貴な光を放っていた・・
言葉を交わしたいと思ったが・・・
野暮に思えて、頭を少し低くして、さりげなく離れた・・・
御夫婦も頭を低くして、さりげなく離れて行った・・・












黙々と清掃をしている方が見えた、
神職の衣を、まとっていない。
たぶん、この集落の人だと思う・・・
奉仕活動だとは思うが・・・
この方が、ここで清掃をしている事にも、
深い意味を感じた・・・


観光客がわんさと押し寄せて来る場所ではない。
メディアや、貪欲を煽る怪しい
精神世界の人々に荒らされていないようだ。



荘厳極まる光景。
この地こそまさに・・・・


伊雑宮・・・その歴史において、
静寂と、神聖を守る為の筋書きがあった・・・
と感じる。



参道を引き返す・・・
20~30mの短い参道ではあるが、
この短さにも大きな意味を感じる。

生い茂る樹木の間から差し込める光を
感じながら参道を下って行くとき、
天界から、地上に降りて行くような幻想に駆られる。

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伊勢の神宮・外宮・多賀宮

2016-05-06 | 宗教

外宮正殿に向かう参道の途中、
細い参道が山側に向かって分岐している。

その参道の入り口には、
大きな「亀石」と呼ばれる、一枚岩が敷かれている。

この石は、高倉山の天岩戸の入り口の岩を
運んだいう言伝えがあるらしい。

よく見ると、名前の如く、亀の姿に似ている。

この伝説の真偽は別として、
この石の前に立ち止まると、
ただならぬ「 何か 」が伝わって来る。

その「 何か 」とは・・・
言葉に言い表す事が難しい。

もし、それを言葉にしたら、
「 アンタの妄想だ 」と言われてしまうだろう・・

恐れ多いことだが・・
参道に入るとき、この岩の上を歩く以外の方法はない。




亀石を通過し、参道をまっすぐ進むと、正面に石段が見えて来る。



98段あると言われている石段を登ると、

神々しい光が降り注いでいる。


多賀宮(たかのみや)
祭神は、外宮の祭神の豊受大御神の荒魂
豊受大御神荒魂
(とようけのおおみかみのあらみたま)

外宮、正殿を参拝する人は多いが、
この多賀宮まで登ってくる人は少ない。

ある意味、これはこれで良いのだが、
多賀宮まで登ってくる人は、
「 神縁 」があるひとであると感じる。

多賀宮は、明治までは、「 高宮 」と表記されていたらい。

奈良の三輪山、山頂には、
高宮(こうのみや)という神社が存在している。
・・多賀宮(高宮)・・・三輪山の高宮・・・

この共通点には、深い意味があると感じる。

多くを語れないが・・・
三輪山の高宮・・・・外宮の多賀宮

地球レベルで見ても、
巨大な‘ 聖地 ‘ であると感じる。

多賀宮の正面は、深い谷のような窪地になっている・・
この谷にも深い意味があるような気がする。
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伊勢の神宮・外宮参拝

2016-05-04 | 宗教
伊勢の神宮・外宮
平成28年5月3日













明るすぎる場所・・・


天をから、光の束が降り注ぐ。
光の束は、不思議な風を発する。
その風は、私の肉体を突き抜ける。



外宮は、内宮ほど多くの人が押し寄せていない。
そこに、深い意味を感じる。

ある視点から見れば・・
外宮は、重要で、特別の意味がある。

多くを語ることは出来ませんが・・

神聖なる場所を守るための、
絶妙な仕掛けがあるのでしょう・・・

今回の伊勢参りは、あえて、内宮参拝はせず。

外宮 → 伊雑宮 のみの参拝としました。


「 ウサギ講 」では、近いうちに、
希望者を募り、名古屋発、伊勢の神宮参拝ツアーを
企画する予定です。


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