名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

ラーメンの教訓

2013-12-31 | 出来事


今日は久々に、家内と2人の子供を連れて名古屋の中心部、栄に出かけました。

子供が観覧車に乗りたいと言い出しました

じゃあみんなでで乗るか!!

と言ったものの、料金を見て気が変わる

一人、500円

4人で乗ったら2000円もの出費になってしまいます。

肝っ玉が小さい私は、なんだかもったいないような気がしてきました。

『 500円あればラーメン一杯食えるじゃないか・・・・ 』 

と腹の中で思っていると、

たぶん、家内も私と同じことを思ったのでしょう、家内が子供に言いました

『 あんた達、2人でのったら? 』

子供は嬉しそうな顔ををして答えました、

『 うん!!! 』

物分りのよい子供だ・・・・ひとまず安心。



2人の子供は喜んで観覧車に乗り込み、無事帰還しました。

そのあと、家内が言いました。

『 お腹がすいた・・・ラーメン食べたい ・・・ 』

うちの家内は、外食が嫌いで、自分から外食しましょうと言い出す事はめったにありません。

よっぽどラーメンが食べたかったのでしょう。

『 よし! ラーメン食べに行くか!! 』

観覧車から歩いて10~15分位の場所に美味しいラーメン屋があることを思い出しました。

この店は、通称、女子大小路(じょしだいこうじ) と呼ばれる、
夜の繁華街の一角にあります。
 ‘ 博多ラーメン ‘ をメインにした店で、
以前、一人で何度も行ったことがあり、この店なら大丈夫と思いました。

この店、深夜はいつも満員状態ですが、街の性質上、昼間はほとんど客がいない店です。

店に着くと、昼間の店内は、いつものようにがら空きでした。

店にはいると、50歳代位のベテラン風のオヤジが一人で店を切盛りしていました。

非常に愛想がよく、ふくよかな顔立ちで、ニコヤカで、丁寧で親切な接客。

ラーメンを4つ注文する。


私は、さりげなくオヤジのラーメンを茹でる動作を横目でチラチラ観察。

オヤジの動作が必要以上に大きい。

・・・・・イヤな予感・・・・・・

オヤジがお湯の中から、‘ 茹でザル‘ を引き上げ、そのザルを大きな動作で上下に振った。

パシッ! パシッ!! と歯切れの良い音が響いた

いかにもベテランぽい仕草であるが、

大きく振ることに何の意味があるのだろう?・・・

・・・・・・イヤな予感・・・・・・

私の今までの経験からすると・・・こういうオヤジの造ったラーメンはかなり高い確率でマズイ

ラーメンが席に運ばれてきた、

丼に沈む麺を観察・・・・

博多ラーメン独特の 麺の細さ が感じられない、少し表面がフヤケている。

・・・・・イヤな予感・・・・・

箸で麺を摘み、口に入れた

イヤな予感は的中!!!

恐ろしいほど マズイ

インスタントラーメンのほうがマシだと感じた。

スープはシッカリした豚骨スープで、かなり美味しい。

でも・・・麺が茹ですぎている・・・

まるで、ソウメンのような食感

『 なんだ!!!これは!!! 造り直せ!!! 』

と言ってやりたい気分だが、普通の日本人なら、そこまで言う人はめったに存在しない。

一人前なら600円程度だけど、4人なら、2400円もの出費

2400円払って、こんなんではどうにも納得できない、

しかしながら・・・こういう場合、私も世間一般に合わせて我慢する。


こういう場で、『 マズイねー 』 なんて言葉に出すのも行儀が悪い、

でも、つい家内に向かって小声で言ってしまった、

『 スープは美味しいけど・・・チョッとねー 』

家内も、同じことを思っていたのだろう・・・深くうなずいた


 私が知る限り、腕が良い料理人の特徴として、

1・  大きな動作をしない。

2・  音を立てない。

3・  いかにもベテランであるといった仕草や、表情を見せない。

4・  限りなくサラッとしていて露骨さがない。

5・  首をあまり動かさない。



逆に・・・下手糞な料理人の特徴、


1・ 得意げな顔をして、これ見よがしに、大きな動作をする。

2・ 露骨に愛想を振りまく。

3・ 何かと、音を立てる。

4・ 首を上下に動かしたり、傾けたりする。( 顎が座っていない )


要は、自分に酔っているのだろう・・・・

料理に限らず、何事も、達人と呼ばれる人、質の高いひとほど、

さりげなく、サラッと神業を演じる。


自分に酔っているような人は、いくら愛想が良く親切であっても
すぐに人に見透かされてしまう。


極論を言えば・・・

親切で愛想が良くても、自分に酔っている無能者より、

無愛想で、不親切であっても、‘ 誠意のある達人 ‘ のほうが立派であり、有益である。

もっとも・・・

親切で、愛想よく、尚且つ、有能である事が一番の理想ですが・・・・

今日のラーメン事件、大いに教訓になりました。

一年の最後の締め括りに、天が私に伝えて下さったメッセージだと感じます。

私も、来年は達人を目指し更なる精進をしようと決意しました。

来年もよろしくお願いします。
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Christmas Songs 2013

2013-12-23 | その他
Christmas Songs 2013/Goosehouse


慶ちゃん完璧すぎる。

汀(みぎわ)ちゃんの日本人らしい「 固めてから開く 」微笑み、
安心感を抱く。

最近の若い人は、昔の若い人より、好感がもてる。

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熱田神宮 ・ 一之御前神社 参拝

2013-12-14 | 出来事


今週も熱田神宮参拝に訪れました。



熱田神宮は名古屋の街の中に位置しています。

境内の敷地は総面積、約29万平方メートル(約9万坪)にのぼります。
神苑の樹木はクス・欅・樫・シイ・ムク・いちょう・楠
楠木は巨木が多く、
樹令千年前後と推定されるもの数本存在ています。



今日の目的は、天照大神荒魂 をお祭りする

 一之御前神社 (いちのみさきじんじゃ、)に参拝する事です。

熱田神宮の境内は、本殿より前方に細長く、
原始林に覆われた広大な杜が存在してます。

この神域はほとんど開放されていて自由に散策することが出来ますが、
本殿の裏側の神域は、熱田神宮で最も神聖な場所され、今まで非公開となっていました。



そういった重要な場所が、いま、なぜか一般公開されています。
私は、高校生の頃から、なぜか本殿の裏側に強い好奇心と、憧れを持っていました。

でも・・・・永遠に立ち入ることは出来ないだろう・・・とあきらめていました。

私が30年以上持ち続けてきた夢が、叶うときがやって来ました。


本殿の向かって左側に案内看板が設置されていました。

この看板は以前は存在しませんでした。
最近立てられたものです。

これより先、写真撮影禁止 と記されています。
開放時間も、決められているようです。
胸が高鳴ります。



これより奥は撮影禁止と記されているので、
入り口の看板の場所から、望遠撮影した奥の様子です。

有刺鉄線張られた頑丈な塀と門が見えます。
その遠方に見えるのが 一之御前神社 です。

この門は最近まで開放される事はありませんでした。

ここから奥が、いかに重要で、神聖な場所であるかが伺えます。
ここから先は、神聖な場所なので残念ながら、写真撮影は出来ません

神社の手前には、公衆電話BOX位の、詰め所のような小屋があり、
そこには、警備職員が座っていて、聖域を警護していました。

私は普段、天照大神様に個人的なお願い事をする事はありません。
天照大神様は、天皇陛下の御先祖であり、
国家安泰、世界の平和を司る神様です。

個人的なことや俗な事をお願いするのは筋違いで、
俗っぽい願望を訴えたところで、周波数が違うので神様としては
受信出来るはずがないと思います。

私の場合は 天照大神様の前では、
「祓い給え、清め給え」と述べたあと、
「 感謝の念 」 を言葉でない言葉で心に念じるのみです。

しかしながら、今日は特別です。
この神社は天照大神の荒御霊(あらみたま)をお祭りしています。

今年になってから、私は新しい事に取り組んでいます。
そのことで、天照大神様の荒御霊にお願い申し上げたいとがあったのですが、
今回、その希望が実現しました。

神の霊魂は2つの側面を持っています。
これを
荒魂(あらたま、あらみたま)   和魂(にきたま) と呼びます。

これは、神道(古来から伝わる、日本固有の宗教)の概念です。

荒魂とは、神の荒々しい側面、を意味します。
これ即ち、躍動的な性質です。

和魂は、神の優しく穏やかな、静かな、平和的な側面を意味します。

一之御前神社参拝を無事に終え、
本殿の真裏を横切る道を東に進みました。
本殿のちょうど真裏の位置に  
直径20m、高さ2~3m位の丘が存在していました。
この山の存在は、事前にネットで調べて知っいました。

「 本殿の裏に、古墳が存在する 」

「 これこそ、秘密の地下神殿だ!!! 」

「 ここに草薙の剣は隠されている 」

なんか・・・・怪しげな情報・・・・
でも、これがもし、古墳なら興味深い・・・
少しの期待を抱いていたのですが・・・

熱田神宮の社殿の真裏の鳥居の付近は、
強烈な光を感じるけれど、この丘を眺めても、丘自体には
強いエネルギーを感じない。

古墳の雰囲気のも感じられない・・・・
特に強い力のようなものも出ていない・・・・
丘の、西側の端の部分に天井石を失った、石室の様な石組みが見える。

古墳の丘の一番端に、わずか畳3/1枚ぐらいのスペースの石室など見た事がない。
古墳の石室にしては小さすぎる。

それに、石の積み上げ方が、古いものに見えない。
丘の斜面が歪な傾斜になっている。

本殿のちょうど真裏の場所まで歩いてみると、
謎の地下室入り口が目に入ってきた。

丘の真南の部分には、地下室のような入り口があり、大きな鉄の扉で塞がれている。
神殿の扉が鉄製であるというのも滑稽に思える。
扉の前には、幅1メートルくらいの参道があり、
結界がされている。
しかしながら、その参道の路面は神殿の参道にしては質素である。

これが地下神殿の入り口???

いったいこの丘はなんだろう????

興味が深まるばかりだ、
警備小屋で、詰めている年配の警備官様に尋ねてみた。

「 いったいこの丘は何ですか? 古墳ですか? 」

警備官はあっさり答えた

「 戦時中、空襲から宝物を守るため作られた貯蔵庫です 」


思わずズッコケそうになった

「 と言う事は・・・・、防空壕のようなものですか? 」

警備官様は微笑んでお答えになりました。

「 まあ、そのような意味のものです 」

世の中、怪しげな情報が飛び交っていますが・・・・

鵜呑みにしない事が大切だと痛感した次第でございます。
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熱田神宮

2013-12-08 | 出来事
今日は、熱田神宮に出かけました。


熱田神宮は、三種の神器の
1つ・草薙剣(くさなぎのつるぎ、天叢雲剣)を祀る
歴史ある重要な神社です。

熱田神宮の歴史は古く、
景行天皇43年(西暦113年)
創祀とされています。

今年、2013年(平成25年)
は創祀1900年を迎えるとされ、「創祀千九百年大祭」
が行われました。










主神 熱田大神

相殿

天照大神 (あまてらすおおみかみ)
素盞嗚尊 (すさのおのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
宮簀媛命 (みやすひめのみこと)
建稲種命 (たけいなだねのみこと)


お祭りされてい神様のお名前を拝見すると、
素盞嗚尊 (すさのおのみこと)
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
建稲種命 (たけいなだねのみこと)

といった、威勢のよさそうな神様のお名前が目立ちます。

わたも、この威勢のよさにあやかりたいです。






境内には‘ きしめん ‘ を食べさせる茶屋があります。
この前を通ると、カツオだしと赤醤油の、
きしめんの汁、の良い香りが漂っています。



ここを通るたびに、名古屋人のDNAが目覚めて、
食べたーい!!!!
と思うのですが、なぜか未だかつて一度もここで
 ‘きしめん‘ を食べた事が
ありません。

‘ きしめん‘ 如きにお金を払って外食する気になれないからです。

ひょつとすると・・・私の想像ですが、
ここで ‘きしめん‘ を食べている人の過半数は、
名古屋の人ではないかもしれません。

今日の晩御飯は家で ‘ きしめん ‘ を造ります・・・・

‘ きしめん ‘ ドエリャー うみゃー デョー


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維摩経

2013-12-06 | 宗教


維摩経 

弟子品 第三
摩訶迦旃延(まかせんねん)論議の一節


諸法畢竟不生不滅。是無常義

   あらゆる物事は、結局、始めはなく、終わりもありません。 
   無常とはこれを言うのです。


五受陰洞達空無所起。是苦義

 人の身心とは、深く観察すれば空っぽです。本々存在しません。
     苦とはこれを言います。



諸法究竟無所有。是空義

 あらゆる物事は、突き詰めれば存在しません。
これが空です。


於我無我而不二。是無我義

 我と無我とは、別物ではありません。
これが無我という事です。


法本不然今則無滅。是寂滅義

物事は本より見かけ通りではなく、当然滅することも無い。
 これが寂滅(ジャクメツ・煩悩の境地を離れ、悟りの境地に入ること)の意味です。

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時間の正体

2013-12-05 | 思う事


仏教の教義を究極の部分で解釈するなら、

人間は、不生不滅
 
生まれた事もなく、死することもない。

ひとりの人間が誕生したあと、必ず歳をとり、やがて死んでゆく。

よく考えてみれば、これは 人間の生命を 
時間的尺度 を基準として考え、
感じた 命 に対する認識だ。

ならば・・・不生不滅とは荒唐無稽なお話になってしまう。

しかし・・・・

現代物理学は量子物理学の分野でめまぐるしい進化を果している。

つまるところ、量子物理学の視点で 
「 時間 」 の正体を究明してゆくと、

「 時間の正体 」 とは、我々が認知している感覚とは程遠いものになってしまう

いつか必ず、量子力学は釈迦の説いた
 空 の思想を理論的に完璧な数式で立証する時が来るだろう。

とは言え・・・

現象世界に生きる者として、

「 時間は無い 」などといった認識を基準に生活し行動する事はできない。

もし、それがしたければ、山に籠って仙人になるしかない、
文明社会で、そんなブッ飛んだ考えをもって生活する事はできない。

あくまでも、社会基準の 時間 という枠組みのなかで生きてゆくために
この世に生まれ出たのだとおもう。

思考とか、 感情とか、信念とか、内面的な 心のあり方は、
確かに重要であると思う。

それを踏まえたうえで、、もうひとつ大切なモノがある

それは、 時間の使い方

一人の人間の性質を判断する尺度ととして、最も正確で、的確な基準とはなにか?

わたしは思う

その人が  「 何に時間を使っているか 」
これこそがその人の性質や本質を知る上で一番重要な事だと感じる。

金持ちになりたい人は、お金になる事に時間を使う。
地位と名誉が欲しい人は、それを得るために時間を使う。
家族の幸福を願う人は、そのために必要な事に時間を使う。

時間の使い方は人それぞれの価値観で千差万別であるとおもう。
ただ、ここで一番重要なことは、

無駄なことに時間を使わない

ならば、無駄ではない時間とは?

一見、無駄に見えたとしても、理性で考えて、それが自分に必要と思える時間。
積極的な目的意識のある時間。
あとで、虚しくならない時間。
自分の魂が喜ぶ時間。
自分以外の誰かに幸福をもたらすことが出来る時間。

くだらないテレビを長時間、夢中になって見たところで、何の意味も無い。
賭博に夢中になっても何の意味も無い。

もっとも、それが、その人にとって、人生の意義を感じる事が
出来る重要な事なら話は別ですが・・・・

自分の時間の使い方を客観的に分析してみることが、

「 今の自分 」を知る事になる。

「 今の自分 」 が未来を築く。

「 今の自分 」 こそが、未来の運命を決定付ける。

「 今の自分 」 とは、それイコール未来の自分。

「 今の自分 」 とは 運命 そのもの。



この世に生まれ来たからには
無駄な時間を使わない

これこそが最重要課題ではなかろうか


 

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