名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

善人の不幸は根が深い

2024-06-28 | 宗教


善人は不運になりやすい。

これ即ち、「 霊的因果 」である。

ただし・・・

この要素は、仏教で説かれている、
「 因果報応 」とは、別物であり、
その辺をハッきり区別する必要がある。
 
 清く正しく徳を積む
されど、貧困と不運の連続 

この落とし穴に落ちた人を
多く見てきました。

この落とし穴にはまる人には、
共通することがあります。

1・・真面目。
2・・正義感が強い。
3・・責任感が強い。
4・・親切心が強い。
5・・弱者に対して優しい。
6・・老人を労わる。
7・・愛情深く人情もろい。

8・・自動車事故をよく起こす。
9・・腰が弱い。(腰痛)
10・・食べ物に好き嫌いが多い。
11・・マルチ商法に狙われやすい。
(綺麗事を並べ、顧客の連鎖的な拡大を図る商売)
12・・騙されることが多い。
13・・宝くじをよく買う。



この12項目のうち、当てはまる項目が多い人ほど、
「 落とし穴」に嵌り易い。

この12項目のなかで、
8~12は別として、

1~7 の項目を満たす者は、
一般論で言う、 「 善人 」であるといえる。

にも関わらず、必ずしも幸運とはいえない。
このような人でも生涯、
不運の連続という事もよくある。

このような人間は、
 善行を積む、「 善人 」であるはずです。

どうして
落とし穴意に嵌ったり、不運に襲われ易いのか?

   

ここで、再び親鸞様のお言葉・・・

 

善人なほもて往生をとぐ、
いはんや悪人をや。

しかるを世の人つねにいはく、
「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。

この条、一旦そのいわれあるに似たれども、
本願他力の意趣に背けり。



・・・・・・・・・・・・・・

親鸞がいう、 善人・悪人 の定義
をハッきりさせておかねばなりません。

親鸞のいう、「 善人 」とは?

「 善行を重ねると、
往生すると信じているひと 」

( 往生=死後安楽な清浄真実の 世界に生れること )



「 善行を重ねると仏に
近づくことが出来ると信じているひと」



親鸞のいう「 悪人 」とは?
自分の善行に溺れていないひと。
自分の行った、一つ一つの善行に捉われていないひと。



ここで、親鸞の言いたかったことは、

「 善人より、悪人のほうが救われる。
悪人だから救われるのではなく、
悪人のほうが救われるにふさわしい
心の状態になりやすい 」

という事なのです。

そういう意味で「良い人」の不幸は、
深い根があるのです。

即ち、善人であるが故に、
素直な心境になる事が出来ない。

自称・善人の意識のなかには、
強い信念が刻み込まれている。

「自分は善い行いを積み重ねているから、
それは必ず自分に戻ってくる・・」

これは、決して間違った信念ではありません。

これこそ、仏教の「 因果報応 」なのです。

この自覚は、
人類レベルでは大きな意義のある真理です。

全ての人間がこのことを意識して行動するなら、
争いも、略奪も、暴力も
根絶することが可能となるでしょう・・・



私は、仏教の教義を否定する訳れはありません。

しかしながら、個人の運命を、
これのみで説明する
事には無理があるのです。

皮肉な事に・・・

徳を積む・・
因果応報・・・

その信念の裏側には、
「 傲慢 」
という二文字が隠れている。

自分が善人であるという自覚は、
言葉を変えれば、
「 自力の善に誇りを持っている 」
という事。

この「誇り」が、特権意識となり、
自称・・「偉い先生」を輩出する。

ごくまれな例外を除いて、
多くの場合、
宗教団体とは「偉い先生養成機関」である。



これだけ善行を成したのだから、
自分は救われる資格があると
良い事が帰って来て当然であるという考えに偏り、
自分が成した
一善、一善を心のなかで、誇るようになる。

その、「 自信 」とは、
「 素直で、謙虚な心の姿勢 」と
相反する性質をもつ。

善人の持つ特有の
「 誇り 」と「 自信 」が、
謙虚さを失ってしまう
大きな要因となってしまうのです。

彼の内面にある、「 善人の誇り 」が、
「 因果報応 」
の絶対原則にフタをしている。

その結果、霊的因果に飲み込まれ、
振り回され、
悪い連鎖を助長している。

形の上での‘ 善 ‘に捉われているうちは、
 本質を見ることはできない。

本質とは、人間のホントウの姿。
生命のホントウの姿。

全ての人間のは、神の分霊、仏の分身
人間は、神によって生かされている・・・
全ての人間の内に神・仏は存在する。

これこそが、「 ホントウの姿 」なのです。

この心境を音にしたのが、

 南無阿弥陀仏 

( 悪あがきしません、お任せします)



キリスト教では、

 アーメン 

 ヘブライ語で
 「 まことに、ほんとうに 」
という意味。




ウサギ講では・・

 ココ掘れワン!!ワン!! 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何かの祟り? | トップ | 究極の逆詐欺 カッコイイ ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宗教」カテゴリの最新記事