名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

郷土の英雄?? 訳分からん・・・

2015-06-28 | 思う事

生まれた土地を大切に思うことは大事なことです。
逆に、自分の故郷をまったく忘れてしまうような人は、
何かにつけ不安定です。

自分が生まれた土地の神様(産土の神)は、
自分が、たとえその土地を離れたとしても、
死ぬまで縁が切れることは無いのです。

私は豊臣秀吉の生誕の地の近くで生まれ育ちました。

豊臣秀吉は、大成功したのにも関わらず、
結局一度も生まれ故郷に来る事も無く、
何かの貢献をすることもありませんでした。

こういう人は、「品の無い人」だと思います。

それ故、秀吉が郷土の英雄だとは思っておりません。

単なる、「荒くれ者」の親分です。
ずば抜けてケンカが強く、頭が良かった
だけであると思います。

秀吉が、天下統一を果した事は、
彼、個人の問題で、
郷土の英雄などと大袈裟な事を云う
問題ではありません。

故郷を大切にすることは、
「美徳」だと思います。

たとえ、地理的な問題で、
故郷に帰ることが出来なかったとしても、
心になかに故郷を思う念があれば良いのです。

秀吉の場合・・・
金ピカの悪趣味な茶室を作ったり、
成金風を吹かすことが忙しくて、
故郷の事など忘れてしまっていたとしか思えません。

こういう、美意識の無い人間の一生は
たとえ成功しようとも、
薄っぺらに思えてなりません。

「 秀吉誕生の地 」には、秀吉を祭った
「 豊国神社 」という神社があります。

秀吉がどうして神様なのか理解できません。

それ故私は、この神社には参拝しません。
とは言え・・・神社である事は確かです。
ひょっとすると、私には分からないカラクリがあって、
秀吉がホントウに明神になっているのかも知れません。

如何なる場合も、
神仏を祭る場所に対して、
無礼な態度はしてはいけないと思います。

ひょっとしたら、
この神社に秀吉の御霊(豊国大明神)など
宿っていないのかも知れまん。

でも、神社であるからには、
別の神様が宿っておみえになるはずです。

その辺のところは、私の能力では感じ取る事が出来ません。

こういう場合、
「 敬して近寄らず 」
という態度を守っています。

この神社、
私の住む地域とは離れた地域にあり、
町内の管轄から外れた場所にあります。

それ故、この神社は氏神様でもありません。
にも関わらず、どういう訳か・・・
毎年、町内会を通じて寄付金を要求して来ます。

どういう訳でこんな事になったかは分かりませんが、
これは、異例な集金です。

氏神様への寄付は当然の義務だと思っていますが、
これだけは丁重にお断りしています。

近所の方は、どの家も、
300円~500程度の寄付金を納めているようです。

町内会よという枠組みの中で、「 お願いします 」
と、言われれば、普通の人なら、ひと目を意識して、
なかなかNOとは言えないのでしょう。

これは、農耕民族特有の試練なのかもしれません。
その事をとやかく言う積もりはありませんが・・・

もし、私の事を、
「アイツ変わり者だ」などと
噂してくださる方が、おみえになったら・・・
「 お褒めに預かりまして光栄です 」
とお答えしようと思っています。
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弱い時ほど強いのだ 

2015-06-25 | 宗教


アジサイの花が囁いた

皮肉なことに・・・
優しい人間は「弱い」

優しい人間ほど、
優柔不断、意志薄弱、自虐意識、という
マイナス要因を内在し、
それによる弊害を撒き散らすこともある。

強い人間は横暴になりやすい。

懸命に努力してきた人間、
負けてはならぬと闘争心を持った人間、
強い責任感と、危機感を持った人間。

そういう人ほど、思いやりや
優しさに欠ける事が多い。

「 優しさ 」 には裏側があるし、

「 強さ 」 にも裏側がある。

優しい事は良い事。

強い事も良い事。

それは、人それぞれのもって生まれた天性。

どちらが良い悪いではない。

「 イヤな奴 」が悪い奴とは限らない。。

「 イイ人 」が、
結果的に多くの害悪を垂れ流す事も良くある。

社会経験がある人間なら、そんなこと誰でも分かっている。

でも、残念ながら・・・
生半可に宗教 ( 赤や緑も宗教 )をかじると、

こんなあたり前の事が分からなくなってしまう。

そして、無意識のうちに 
「 自分こそ神から特別に、選ばれたる人間だ 」
と思い込んでしまう。

こういう思いあがった状態が一番危険な状態だと思う。

「 弱い 」 ・ 「 強い 」

「 イイ人 」 ・ 「 悪い人 」

「 あの人は徳を積んでいる 」・「 この人は積んでいない 」

そんな二元的な見方でしか、
人を見ることが出来なくなってしまう。

キリストさんは言った・・・

「 弱い時ほど強いのだ 」

表面をだけみて一喜一憂しては、
それだけで今生が終わってしまう。

優しさの奥に、強さの奥にある、
「本質」を感じなければならない。
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3つの「つ」

2015-06-20 | 宗教

東方にお住まいの、
仏教徒、M様から教えて頂いたお言葉・・・

『 3つの「つ」 』

続ける。

伝える。

つながる。

M様は、今生を
仏教に託しておみえになる
筋金入りの仏教徒の女性です。

不真面目な白ウサギも、
フンドシを絞めなおさなければなりません。
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尾骨に響く・・・

2015-06-19 | 思う事
年寄りは何を言っても許される。

『 本当のね、恋の醍醐味は不倫ですよ 』

と、のたもうた、有名な物書きの尼僧がいます。

この、お偉いお方・・・
かなり人気がおありのご様子ですが・・・

私は、この御老人・・・大XXです。

私がおもうに・・・
浮気は人間の性(サガ)かもしれません。

もし、私の目の前に松坂慶子が現われて
「 ウサギさん・・・好き・・・ 」
などと言われたら、カワイ2人の子供と、
最高に恐い妻を持つ、私でさえ、
頭に血が昇ってしまうでしょう・・・

この状態を「 浮気 」というのかも知れません。

・・・(実際にそん奇跡が起こるはずありませんが)・・・

「 浮気 」と、「 不倫 」の違いは、

「 建て前 」を守る事ができるか、
出来ないかの違いだと思います。

「 建て前 」を守った
感情、 衝動、 行為、 が浮気であり。

「 建て前 」すら、守ることが出来ない衝動、
自分や相手の家族を不幸にしても構わないとおもう、
自己本位の、恥じらいのない、行為を、
「 不倫 」と呼ぶのような気がします。

この御老人、若い頃はそれを実践されてこられた、
絶倫女とのこと、
過去のこの事はどうあれ、今現在どうであるかが肝心なのですが、

「 醍醐味 」などとお吐きになようなお方は、
単なる「 物書き 」でしかないと感じます。

倫理に反する行為を「 醍醐味 」と仰るなら、
泥棒も、 詐欺も、裏切りも、略奪も、
「 醍醐味 」という事になってしまう。

「 不倫は文化だ 」と発言した、
ゆで卵みたいな顔をしたオジサンがいましたが、
この老人より、ゆで卵オジサンのほうが、
よっぽどマシに思えてきます。

この御老人、最近、現政権の政策批判 、
反原発を叫んでおみえのご様子。

こういう御立派なお方が吐く言葉は

心に響かず、尾骨に響く・・・

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絶対的因果

2015-06-17 | 宗教


私は、自称宗教家ですが、
宗教家らしからぬ事をよく言います。

「 善い事をしたからといって、善い事が帰って来る訳ではない」

「 善行に意味など無い 」

私のこの、言葉に対して、真面目な宗教家や、
信仰者・善人のなかには、
怒り出す人が多くいます。

真面目な宗教家や善人が、
怒る気持ちはよくわかります。

善因善果(因果報応)が仏教の根本教義であり、
それを否定するような人間は、
宗教家ではないと思えるのでしょう。

実のところ・・・私自身も、
以前は、「善人宗教家」と同じ事を思っていました・・・

現在の私は、
 因果の法則を、極限まで掘り下げて、
その上であえて、
「 善行に意味など無い 」
と言っているのです。

四角四面な信仰者や、自分が偉い人だと思っておみえの
「善人・先生」は言うでしょう・・・

「 ならば、アンタ!!!悪いことをしても良いと思っているのか!!!
悪い事がしたいなら、すればいいだろ!!! 」
 
溜息が出ます・・・・

私は、因果の法則を、否定している訳ではありません。

肯定しているのです。

宗教病に犯された「善人宗教家」や、「偉い先生」は、
それすら理解できなくなってしまっている。

私は・・・
強く、熱く、全生命を賭けて、
肯定しているが故に、
「 善行に意味など無い 」と主張するのです。

わたしは、長年、多くの人間を観察し、洞察して来ました。
その結果分かった事、

「 人格と運命に絶対的な因果関係はない 」

これは、あくまで現象的な側面から言っている事です。
言葉の尻を掴もうと思えば、
いくらでも非難する事が可能な発言です。

人格高貴である事に対し、
無意味であると思っている訳ではありません。

偽善でも、「善い行い」をしたからには、
それは、他者に対して、何らかの実益があります。

善因善果・悪因悪果 とは、絶対原則であり、
永遠とうい枠組みのなかで語るなら、
それは誤魔化す事ができな、絶対的な宇宙の法則です。

その、ある意味、「 分かりきった原理・原則 」
という宝刀を、・・・
理不尽な運命に翻弄されている人にたいして、
闇雲に振り回すところに、宗教の功罪があると思える。

恥ずかしながら・・・私も15年前までは、
得意満面になって宝刀を振り回していた人間のひとりです。

ずる賢く利己的な人間が、生涯幸運であったり、
善良な心優しい人が、生涯、不運や苦労の連続だったり。

こういう理不尽な不可解な現象は、世の中を知っている人なら、
誰しも目の当たりにしているはずです。

どうしてのような現実があるのか?

私が思うに・・・

善い人ほど、「 欠く、あらねばならない・・・」

「善い行いをすれば、それが必ず自分に帰って来る」

と強く思い、それを信じ、縛られている。

「 欠く、あらねばならない・・・」とは、
「これをしないとダメだ」という意味。

「善い行いをすれば、それが必ず自分に帰って来る」とは・・・
「善行を積まなければダメだ」という意味。

この、「 ダメだ 」が人間を不幸に陥れる大きな要素なのです。

それ故、善い人、心優しいひと、
正義感の強い人、真面目な人、ほど、苦悩や葛藤が多く、
その意識が、具現化して、結果的に不幸を招く。

自分の内から発する、「ダメだ」という意識(念)を、
取り除かない事には、

いくら、善行をなそうとも、
いくら徳を積もうとも、
いくらお経を読もうとも、
いくら、神仏に手を合わせようとも、

「ダメだ・ダメだ」の念を、更に強固なものにするだけなのです。

ある善良な人は・・・
懸命に「 マトモな行い 」、をしている。

ににも関わらず、迫り来る逆境に、
これでもか! これでもか!! 
と言わんばかりの攻撃を受ける。

「 まとも 」な事をしていて、この結果である。

「 まっとう 」な考え方を捨てきらねば、
今生で、その連鎖を断ち切ることなどできない。

「 まとも 」など投げ捨てろ!!!

バカになれ!!!!

これ即ち、「 意味など求めない 」ということ、
 善行に意味など無い!!!

その覚悟で、自分が何をなすべきか?
と、問うたとき、
意味など求めず、バカになりきったとき、
自分の内から湧き上がる「良心の声」を聞く事ができる。
良心の声とは、自分の内に宿る神の声
その声を聴くとき、
おのずと自分がすべきことが分かる。

そのなかから、自然に湧き上がる、行為・思考こそが、
善因となり得る。

最善の行為が、最善の願望を造りだす。
結果、願わずしても「 良い芽が実を結ぶ 」


意味を求めめず、バカになったとき、
初めて 「ダメだ」から開放されるのです。

何も考えなくても、何も求めなくても、
必然的、「 絶対的な因果の法則 」が機能する。

何を申し上げたいかというと、
「 善・悪に縛られてはいけない 」
ということです。
・・・・・・
信心深く、善行を積んでいるにも関わらず、
不幸の連続、不吉なことの連続・・・

こういう「 善人 」が発する言葉。

「 私は日々、徳を積んでいる・・・ 」
「 私は、慈善をしている ・・・」
「 私は、親切を心がけている・・・」
「 私は毎日必ずお経を上げている・・・」

確かに立派な行いではありますが・・

この人達、私の眼から見ると、
‘ 型 ‘ に執着するあまり、
その結果を信じて、求めている。
それ故、信仰心や、宗教が「人を不幸にする」
「 善人 」ほど、多くのリスクを背負っている。

結果や、意味を求めた瞬間、それは、
「何々しなければダメだ」になってしまうのです。

こういう駆け引き的な「 心の方向性 」は、
商売上の取引なら、有効だが、
「この世」と「あの世」との間では通用しないのです。

人間の本質は、「 神そのもの 」
 善であり、義であり、完全であり、円満なのです。
これを 「 絶対的因果 」と呼ぶのです

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熱田神宮参拝のあと、「ひつまぶし」を食する。

2015-06-13 | 出来事
名古屋といえば、熱田神宮
熱田神宮は三種の神器のひとつ、
草薙の剣をお祭りする神社で、伊勢の神宮にならぶ、
重要な神社です。

今日は、伊豆のヨガ仙人様と、その御一族様を、御案内



参拝のあと、蓬莱軒屋に向かう。

これが有名な「 ひつまぶし 」

「ひつまぶし」とは、
基本的には鰻丼ではありますが・・・
従来の鰻丼と異なる点が数点あります。

1・ 鰻が細かく切られている。
2・ 薬味が添えられている。
3・ お茶漬け用の、だし汁が付いている。
4・ お櫃から茶碗に移し変えながら食べる。

・・・食べ方の基本・・・

1. お櫃の中のご飯を、しゃもじで十字に4等分する。

2. ご飯の1/4を茶碗によそい、普通の鰻飯として食べる。

3. 次の1/4をよそい、薬味のネギ、ワサビ、海苔などを
好みに応じてかけ、混ぜて食べる。



4. さらに次の1/4をよそい、ダシ汁を注ぎ、お茶漬けのようにして食べる。

5. 最後の1/4は、上記3つのうち最も気に入った食べ方で食べる。

ひとつの鰻丼を数回に渡って
茶碗に取り別けながら食べる。

変化を楽しむ事が出来る。

鰻丼に付加価値を付けている訳です。

うなぎ通の、ヨガ仙人様の旦那様も絶賛、
ヨガ仙人様の旦那さんは、各地で鰻を食べてこられたお方です。
この方が「 おいしい 」と言われという事は、
やはり美味しいのでしょう。

「ひつまぶし」が考案されたのは、明治時代とのこと、
素晴らしい発想だと関心してしまいます。
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手相を拝見

2015-06-13 | 出来事
富山からの来客。
名古屋駅に足を運ぶ。

ナナちやんは、水着姿だった・・
私は、昔から、
手のひらが目に入ると、
思わず観察してしまう癖がある。
手相を拝見・・・

ナナちゃんの手のひらには、手相はなかった・・・
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戦わずに滅びる日本-『世界を救う日本の心』第五章

2015-06-07 | 時事

与国秀行氏のYoutube動画・・・・

日本の反日メディアの愚かさと、
日本では報道されない、
隠蔽された中国近隣、アジア諸国の
現状を具体的に語っています。

そのなかで、「日本はどうあるべきか」を
聖徳太子の説いた理念から導いている主張は、
正論であり、
理に叶った素晴らしいと考え方だと思えます。

この動画は、初めて知ること、共感すること、
驚く事は多くありますが・・・

与国秀行氏を後ろ盾している●F●●●様や、
●・・・党のことは切り離して考えるべき
だと思っています。

【中国の日本侵略の恐怖】戦わずに滅びる日本-『世界を救う日本の心』第五章


(白ウサギは、●●科●様とは、一切関係ありません。)
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株価は・・・まだまだ序の口。

2015-06-01 | 金融

2015年6月1日・・・
東京株式市場、12日連続上昇
東証1部時価総額は、
初の600兆円の大台に乗った。

1989年12月末のバブル経済絶頂期の時でさえ、
時価総額600兆円に届く事は出来なかった。

庶民の暮らしが豊かになった訳ではないのに、
株の時価総額だけは1989年バブル期を上回っている。

この状況こそが、
良くも悪くも、未来を的確に
映し出しす前兆であると感じます。

国債はどう見ても危険水域・・・

いつか必ずカマして来るだろう・・・

お盆をひっくり返して、次のステージに移る・・・

世界一優秀な日本の役人、政府高官には、
もうそのシナリオが
頭の中で出来ているのだろう。

まだ、まだ、序の口・・・
株価はまだ上がる・・・
 
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