名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

和田一夫 ヤオハン ③

2012-09-03 | 和田一夫



 1989年に天安門事件が勃発

これを期に それまで活発だった中国に対する

世界の投資熱が冷めていった

天安門事件の8年後・1995年 ヤオハンは上海に進出

世界の資本は 中国に大きな魅力を感じてはいたが

先行きが不透明で思い切った事が出来ない

世界中の資本が中国の様子を伺っているなかで

ヤオハン は勇猛果敢に進出する

当時ヤオハンの動向は世界の注目の的となった

その後 上海ヤオハン は大成功となる

一日で100万人を超える客が押し寄せた

この記録はギネスブックにも認定されたとのこと


しかし・・・その2年後1997年ヤオハンは倒産


倒産の原因としては 経営資源の多くを海外戦略にあて

国内の消費動向を見抜く事ができず

最終的に資金繰りが悪化  株価の下落 悪循環の末

倒産に追い込まれる


上海が順調に業績を伸ばしているが故に

国内戦略を疎かにしていた事が

致命傷になってしまったようです



ヤオハン倒産後の

4年後 和田社長は再び上海を訪れる

もちろん 上海ヤオハンはすでに売却され

人手に渡っている


和田氏には 以前のような肩書きも、地位も、金もない 、

無一物である

だが・・意外にも、そんな和田氏を中国人は暖かく歓迎した

以前親交のあった

中国の要人 財界人 は大歓迎して和田氏を迎えた



・・・・・正直言って 私は中国に対して良いイメージは持っていない

でも、和田氏の この話を聞いて、少し見方が変わった・・・・・

中国人はある一面 信用を重視する義理堅い所があるのでは・・・・

ただ短にソロバン勘定だけの価値観ではなく 人と人との繋がりを

大切にする 美徳 を持っているのではなかろうか・・・・


和田氏は著書のなかでこう述べています

「 よく、中国での事業は不透明な事が多いとか、契約をしても変更される事があるなどという話を聞きますが、それは進出した企業が自分や自国の利益しか考えていないから
起こる誤解だと言えるでしょう。
相手の懐に飛び込んで、相手に喜んでもらえることを第一として対すれば、
誤解など起こらずスムーズに事業が進むはずです」


和田氏の中国に対する評価は 和田氏に人徳がある故に

和田氏だけに当てはまることなのか?


それとも、私も含めて 大多数の日本人が 中国に対して一方的な

 偏見 を持っているのか?

真偽は分からない

どちらにせよ、これからの世界経済は中国抜きでは語れない

敵を知り己を知は百戦危うしからず・・・・

 「 敵 」という表現はあまり使いたくないけど

良い面も 悪い面も  偏見を捨てて

とにかく「相手を知る」ことがこれからの課題ではないだろうか・・















 

 
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和田一夫 ② 無一物中無尽蔵

2012-09-02 | 和田一夫


無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)

この言葉 仏教(禅宗)の言葉である

和田社長が母親から教わった言葉であるとのこと

和田社長はこの言葉を詳しく解説していないけれど


私はこう解釈している


人間本来 何も持っていない 無一物

でも 無 とは 「何も無い」 という意味ではない 

「無一物」の意味が本当に分かったとき  

‘ 無 ‘ の中から

無限の可能性 無限の富 無限の徳  無限の知恵 無限の平穏

を見付けることが出来る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

和田社長のが 無一物 になったのは 1997年‘国際グループ ヤオハン 倒産‘

が初めてではない


和田社長が大学生のとき大きな災難に見舞われる

1950年

熱海に大火が発生

その頃 和田氏は大学に通いながら親の経営する八百屋

「八百半」 の手伝いをしていた

偶然その日は和田氏が1人で店の留守番をしていた


熱海の街に大火事が発生

和田氏はそれが意外に遠いと考え

何の手も打たず仕事を続けた・・・・・


火災が広がっているとの情報が入る・・・・・

それでも ウチは大丈夫  と思い仕事をつづけた

やがて 火災は更に拡大

アッという間に店を呑み込んだ

結果 何も持ち出すことが出来ず

全てを失った

でも・・・

和田氏は逃げるとき 1つだけ持ち出したものがあった

それは 「 谷口雅春著 生命の実相 」という本であった・・・・


焼け出された夜は 家族全員で知り合いの旅館に泊めてもらう事になった

そのとき 和田氏の父親は一夫氏にこう言った


「 熱海の温泉なんてなかなか来られないのに、今日は温泉に入れた。

  もし一夫が荷物を持ち出していたら、その整理をしなければならなかったんだから、
  
こんなにゆっくりはできなかったんだ。よかったなぁー 

店はなくなっても信用はのこっている」


火事の翌日には焼け跡にテントを張って商売を再開

その後 5人兄弟全員で店の再建に取り組む

和田氏の父親は、その姿をみて

「 力を合わせてガンバル兄弟がうちの財産だ 」

と言った、これぞ

無一物中無尽蔵





  





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ヤオハン 和田一夫  ①

2012-09-01 | 和田一夫


和田一夫

1929年生まれ

両親は熱海の小さな八百屋を経営

母親の和田カツさは NHKドラマ「おしん」のモデルとされている人物

1962年 33歳 のとき 両親が経営する八百屋の経営を受け継ぐ

その後 30年で

世界流通 小売業 国際グループ・ヤオハン の総帥(そうすい)となる

 世界16の国と地域に 約450店舗をもち

従業員数 2万8000人

総売上高 5000億円

の巨大企業となる

1995年 中国進出

「上海第一八百半百貨店」 をオープン

1997年9月 1,613億円の負債を抱えて倒産

68歳にして 全てを失われてしまった・・・・


私は和田社長を若い時からずっと尊敬して来た

ヤオハン倒産 は私にとってかなりショッキングな出来事だった


その後 和田社長 はどうして見えるのか?・・・・・

ずっと 気になっていた

倒産の9年後

2006年 和田社長は

 「 77歳からの再出発 」

と言う本をお書きになった

この本を読んで安心した

倒産しようが  無一物になろうが

 和田社長 はやはり尊敬に値するお方であると感じた 



和田社長 現在83歳(2012年現在) 九州に住んでおられる


過去の失敗を教訓にして 前向きに 

悲観する事無く 失望する事なく あらたに再出発されておられた

人間の値打ちは 


「 何を持つか 」ではなく

「 何であるか 」が重要であると思う



和田社長の奥様も偉大なお方である

ヤオハンが倒産したとき 和田氏にこう言ったらしい

「もともと八百屋に嫁に来たのだから、ゼロになったらまた一から八百屋をやればいい」

奥万長者の妻が 一変して 無一文 の妻になってしまったのである

かつては香港の大邸宅に住み 運転手付きのキャデラックのリムジンに乗っていた夫婦が

どん底に突き落とされても 

一切泣き言を言わず 悲嘆に暮れる事無く

力強く生きておられる
 

ゲームに負けたが

勝負 に勝っている

和田社長は

人生の勝利者

であると思う  
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