名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

「話を盛る」ひと・・・

2022-07-30 | 思う事


話を盛る ひと・・・・
ときどき遭遇します。



「話を盛る」とは???

 小さな出来事を誇張して語ること。

  小さな出来事やエピソードに創作を加えて語ること。



「話を盛る」と・・・

「嘘をつく」との違いは何なのか????

私が思うに・・

1・・事実が少しでも混ざっている嘘・・・「話を盛る」

2・・事実を含まない創作・・「真っ赤な嘘」



程度の違いこそあれ、1と2、どちらも「嘘」であり、
同類であるとも思える。

何らかの目的があって、
敢えて「話を盛る」(嘘をつく)・・
という行為を習慣としている人たちもいる。

この傾向は、人格や素行とは無関係で、
心が純粋で、優しい人にも多く見受けられる。



これを「大言壮語」若しくは、

「ハッタリ」・・と呼ぶのだろう。



もちろん・・・「嘘」も、暗黙の了解と、
節度をわきまえた上でのユーモアである場合もある。
ユーモアの範囲内なら何ら問題はないと思う。



「大言壮語」の目的が、
公益の為、世の中のため、慈善の為・・
であったならば、
それは「正当化できる行為」なのか?

 「目的の為には手段は選ばない」という
傲慢さも少なからず感じます。




数値的な分析・・
事実に対する鋭い追求・・・

これのみでは人類は進歩できなかった。

現実とは別問題として、
「こう・・あって欲しい」「こう‥成りたい」・・
といった「夢」が文明を創り出した。

そういう意味で、大言壮語も必要な場合も想定される。



私が警戒するのは、
道徳論や慈善を匂わせ,た、
自己陶酔を前提とした「大言壮語常習者」・・

深く関わらなければ、
薄々それに気付きながらも
「面白いひと」で済まされます。

深く関わると、嫌気がさします。



「大言壮語・常習者」とは、
本人は悪意はありませんが、
信用できない人が多い。

 「大言壮語・常習者」は、
『事実と嘘の境界線』が曖昧です。


「事実と嘘の境界線」
をはっきりさせることが
出来なくなっている場合が多いと感じます。

こういう人間の、常識感覚は平凡な一般人とは、
別物である。

「自分は徳を積んでいるから許される」と・・
思いむと、厄介である。

悪意のない自己陶酔は、多くの人を欺く。

ここまで重傷化すると、
救いようがない。



「大言壮語・常習者」は、
追詰めらると苦し紛れに不可解なの事を言い出す。

 神仏のお告げを聴いた  

 夢の中でお告げがあった  

 インスピレーションを受けた 

 奇跡的を見た 

最もらしい虚言を吐くようになる。

この場合・・・真っ赤な嘘とは限らず、
「事実が少しだけ混ざっている嘘」
であることも多い。

話の中に出て来る「ひとつの事柄」だけは、
真実で、それに付随するドラマは
希望的観測が前提となった、
自分にとって都合が良い「創作」である場合が多い。

即ち「話を盛る」と言う事です。



こういう場合、創作したドラマ(作られた記憶)
の内容は、その時々の状況の変化に対応して、
都合の良いよい方向に微妙に書き換えられる。

記憶を書き換えているのだから、
本人には嘘を言っている自覚がない。

このような悪癖に蝕まれてしまうと、
かなり危険な状態であると思います。



このような人達の持つモラルとは、
平凡で地道な一般人の持つモラルとは別物です。

「善意の虚言」であっても、
こういう言動が習慣化してしまうと、
最終的には「信用を失う」



「話を盛る人」・・に遭遇したら、
仮に、相手が善意の人であっても、
反射的に警戒すべきです。



社会の中で生きて行くうえで一番大切なのは、
地位や金ではなく、第一に優先すべきももは、

  信用   

であると思います。

 お金は失っても、懸命に働けば取り戻せます。

  信用は、一度失ったら二度と取り戻すことはできません。

  これは「処世術」であり、
高等な精神論とか、道徳論とは別問題、

「処世術」とは・・「損得の問題」です。 

信用を失う事は「大損」です。

 偉くなくても誠実に生きてゆきたい・・

 損得勘定で生きています。



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死んだ人間は生き返ることはできない。

2022-07-11 | 思う事


 臨死体験  ・・・

という言葉がある。

死んだ人間は生き返ることはできない。

これは、「この世」の曲げることができない
 絶対原則  



「心のなかの真実」として、語るなら問題ないが、

科学的事実を認識しないと、
そこに「心の隙」が出来てしまう。

心の隙は、「理論的思考の放棄」となり、
カルト宗教や、妄信の世界に引き込まれやすい
体質を創り出す。



もちろん・・科学万能とは思わない。
しかしながら、
「希望的観測」と、「科学的思考」とを
明確に区別すべきである。

これが曖昧意だと、
「悪い輩」「怪しい人間」「支配を目論む輩」
に付け込まれる隙を作る。



「臨死体験」 の記憶を語る人も存在する。

魂が肉体を離れて自分の死体を上から見た・・・

 私は、一度死んだが・・生き返った 

・・・などと主張する人もいます。



ご本人は、決して嘘を言っている訳ではないですが・・



この真相は・・・

「死んだように見えたが、実際は死んでいなかった」・・・

という事です。

即ち、三途の川を見たとか・・・
自分の死体を上から見た・・・
等々・・・の
死んだときの記憶とは・・・

  脳内で作られ、体験したドラマ  

死ぬ瞬間・・・
遠い過去の記憶が一瞬にして頭の中を駆け巡った・・・

このお話も、「死んだよう見えただけで、実は死んでいなかった」
ということの証拠です。



今から100年以上前、
カナダの、ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド
という脳神経外科医・・・

癲癇の患者の脳を調べている時、
偶然にも、重要な事実を発見しました。

「 患者の大脳の、ある一部分に微弱な電気ショックを与えると、
その患者は遠い過去の記憶をリアルに語りだした・・」



死ぬとき、過去の記憶が頭の中を駆け巡る・・・・

これは、

危機的な状況に追い込まれたときにのみ
発動する機能が、
脳に組み込まれているから起きる事であり、

脳内で起こる現象であり、
魂・・云々とは無関係。

臨死体験をした人が、「その体験」を語ることが出来ると云う事は、

 死んだように見えたが、実際は死んでいなかった ・・・

という事の証明であり、極めて単純なおはなしです。



夢の世界のお話しで済ませれば、大きな問題はないが・・

「希望的観測」と、「科学的思考」の区別をハッキリさせる必要がある。

怪しい人間・危ない輩は、
そのような「心の隙」に巧みな手法で付け込んで来る。。

ご用心あれ。






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忘れようと努力してはいけない。

2022-07-10 | その他


過去の辛い思い出。
過去の苦い記憶。
過去に自分が起こした失敗。



何十年前のことであっても、
フト、脳裏を過る事がある。

これは劣等感の強い人ほど多く見られる傾向らしい。



思い出す度に、その時の状況や、光景、雰囲気が
リアルに脳内で再現される。

そのたびに、その記憶は脳内のメモリーに上書きされ、
強固なものになって行く。

もう過ぎ去った過去のことであるにも関わらず、
脳内で展開する光景はリアルである。



過ぎ去った過去を変えることはできない・・・
夢を描いて過去を捨て去れ!!
徳を積め!!!



洞察力もないくせに、
得意満面になって
偉そうに説教する輩も世のなかには存在する。

そんなことは誰でも分っている。



忘れようと思っても、それを思い出す度に、
「今,現在の苦悩」となる。

その繰り返しが、強い劣等感となり、
強い劣等感は「自己否定」の念を創り出し、

「自己否定」の念は、夢や希望を喪失させる。

         

夢や希望を達成させる為のエネルギーとは???

  継続   

「継続」が無ければ夢や希望は実現しない。



「 継続 」とは???

 夢の実現の絶対条件 ・・・




悟りとは何か??? 

 悟りとは・・・継続  


    

襲い掛かる魔物
魔物とは・・・外からやって来るものではなく。

魔物や悪霊の正体は、
「自分の心が創り出したエネルギーの塊り」

自分の脳内で再現される過去の死骸。

この世に悪霊など存在しない。



過去の辛い思い出。
過去の苦い記憶。
過去に自分が起こした失敗。

 忘れようと努力してはいけない。

努力すればするほど、その記憶(悪霊・魔物)は
心に強く刻まれ、脳内のメモリーに上書きさせる。

ならば・・・・どうすれば良いのか????



魔物とは自分が創り出した蜃気楼。

悪霊とは自分の心が創り出した蜃気楼。



心の中に魔物(過去の苦い記憶)が現れたら、
消そうと思ってはいけない。
戦おうと思いってはいけない。



そういう時は、自分の魂を、
一旦、魂を自分の身体から分離させる。
そして、
魔物に苦しむ「そういう自分」を上から観察する。

 もちろん・・・

生きている人間が自分の肉体から魂だけを
分離させることなど不可能。

(世の中には・・幽体離脱が出来る・・・
宣伝する人も存在しますが・・・
それは・・・脳内で作らた疑似体験を
「幽体離脱した」と
思い込んでいるだけである。)



自分の心のなか(イメージ)で自分の肉体と心を分離させ、
「自分の姿や、想いを客観的に、第三者の視線で観察する」・・
とう意味です。

これが出来るようになると、
あたかも自分の魂が肉体から抜け出したような
感触がリアルに起きる。

(決して、幽体離脱したわけではない)



自分を自分の魂で、客観的に観察することができたら、勝です。

そのとき・・・

  これでイイのだ・・・・

と・・・・思えたら勝です。

魔物は消え去ります。



「過去を忘れる努力する」・・という徒労とは別な次元の世界です。

「もう過去のこと・・・過去は消え去っている・・・」

それが実体験として感じられ、
心の中に光が差す・・・



それを更に訓練すれば・・・

自分以外の人間に対しても魔物の撃退が可能となる。

その人の心が創り出した
過去の死骸(魔物・悪霊)を炙り出し、

「その人自身の力」で魔物を追い払う事を
手助けする事も出来るようになります。

但し・・・
それは物凄いエネルギーを必要とします。

一瞬の出来事ですが・・
相手の苦悩が自分の魂(心)共鳴してしまうからです。
自分の身をすり減らしてしまう事もあります。

それでも、やらねばならない時はあるものです。

損得だけでは語れないことも多い・・・







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動揺、怒りの正体

2022-07-09 | 思う事


対人関係に於ける、

  失礼な対応。
  裏切り行為。
  不誠実な言動。



一瞬、頭に来る。



頭に血が昇ると判断を誤る。



対人関係や仕事上の取引、
私生活でのトラブルなどの場合などに於いては
利害が発生することもよくある。

賢く反撃しないと、自分に不利益が発生する場合もある。

相手の不適切な発言や行為に対して、
感情的になって怒り心頭となり、
反撃したら・・負ける。

挑発、悪意ある腹立たしい言動に対して、
感情的になって怒りを爆発させたら、相手の思う壺。



相手が如何に悪賢く愚劣でも。

相手の土俵に上がってはいけない。

相手の土俵に上がてしまったら自分が正しくても勝つ
ことは出来ない。

 悪い奴は、智謀に長けていて、巧みに挑発してくる。



喧嘩は両成敗。

喧嘩の勝敗は、事の善に関係なく
味方の多い方が有利となる。



なぜ多くの場合、
冷静さを失い、相手の土俵に引きずり込まれてしまうか??

  相手の出方を想定していないから 

相手が考えそうな事、言いそうな事・・・
それをあらかじめ
自分が想定していないから、
想定外の言動をされると、それに対して動揺する。

動揺するから咄嗟に怒りが噴き出す。

冷静な判断で計算づくで怒るなら良いが、
感情的になり冷静な計算ができな状態で・・
怒ったら負ける。



世の中には頭の回転が速い人も存在する。

頭の回転が速いひとは、
全く想定外な挑発で、不意を突かれても、
一瞬にして頭の中で状況を認識して、
適切な反応や反論をすることができる。



残念ながら・・私の場合、
頭の回転が遅いし記憶力も格段に劣る。



これは生まれ持った体質であり、
能力の優劣は確かに存在する。

私の場合、悪意のない世間知らずの善人に深く関わり
失敗したことはありますが・・

それ以外は大きな失敗は一度もありません。



脳の性質を変えることは基本的には不可能。

そんな私が、、、
どうして要領よく対応できるのか????



 起こり得ることを想定する事を習慣としている ・・・

ただ・・・そだけのこと。



利害や対立が発生しそうな相手に対して、



相手がどんなどんな言動にでるか?

相手がなにを考えているか?

相手が態度を変える可能性。



常に、それを頭の中でシュミレーションしている。

もし、万が一・・
相手が・・こう・・出たら
・・こう・・切り替えそう・・・

一度、頭のなかでシュミレーションしたら、
もうそのことは忘れる。

忘れていても、
その悪い想定が現実となったとしても、

もう頭の中ではそれに対する反撃方法の
「型」(パター)が出来上がっている。

その「引き出し」がすぐに開く。

動揺せず、適切かつ冷静な対応ができる。



適切な反撃・・・
そのことが、結果的に無駄な対立や闘争を減らすことになる。

不本意な損失を避ける為の手段でもある。



負けた振りしたほが有利なら、
馬鹿になれる、プライドなど捨て負けた振りが出来る。



未来に起こり得ることを想定し、
対処方法をあらかじめシュミレーションする。

これさえ出来れば、あとはその事を忘れていいても構わない。



その後は、
その事を忘れていてもよい。

必要な時に、その「引き出し」が開き、適切な対処ができる。






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想定してなければ、 人間誰でも反射的に自分が身をかわすだろう。

2022-07-08 | 思う事
奈良・狙撃事件・・・

痛ましいです。



犯人に対して腹が立ちます。

同時に、間抜けなSP、奈良県警に腹が立ちます。
想定可能な範囲内での事件。

安倍さんの後ろに立っているオヤジ、
一発目の爆発音がしたとき自分が身を屈めている。



一発音がしたら、
第一に阿部さんを押し倒してでも伏せさせるのが
プロではないだろうか?



それは、事前に起こり得る危機を想定していなれば出来ない。

想定してなければ、
人間誰でも咄嗟に、反射的に自分が身をかわすだろう。



自分が避けてどうする

常に最悪の事態を想定して、それに備える。

これはどんな世界にも共通する自然界の原則であると思う。



世の中には・・ヘラヘラ笑いながら
「心配すると、マイナスエネルギーのを蓄積させ、
悪い事を引き寄せる」などと・・・

寝言をいう馬鹿者も存在する。



耳障りの良い言葉を真に受けてはいけない。

「危機管理」と、「取り越し苦労」は別物です。

「想定→対策」こそ最大の誠意と思う。
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安倍元総理のご冥福をお祈りします。

2022-07-08 | 思う事
日本にとって大切なお方が
銃撃でお亡くなりになりました。
日本にとって大きな損失であると思います。

悲しいです。

安倍元総理の訃報に心より
お悔やみを申し上げるとともに
ご冥福をお祈り申し上げます。



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笑いの強要は時代錯誤・迷惑行為。

2022-07-01 | 思う事


昭和のオヤジギャグ・・・

聞き苦しいダジャレ・・

職場など人が集まっているとこで、
得意満面になってダジャレを吐く人がいた・・

その人は、時折、オヤジギャグも吐いた・・



無視する訳にはゆかない、
ダジャレを吐く人間はそれが親切な行為だと思い込んでいる。

その場の雰囲気を和ませる為に・・・
などと・・「慈善の行為」と思ってやっている・・



ダジャレ攻撃をされた人間は、
「笑を強要する慈悲深さ」???
に対して、忖度しなけばならない、

笑いたくなくてもワザとらしく笑わなければいけない。

笑いの強要・・・不愉快になって来る・・・
されど・・怒る訳にはゆかない。

怒つたり、嫌味を言うのも大人げない。

笑いを強要されると、
逃げ場のない脅迫観念に襲われる・。。
これが積み重なると大きなストレスになる。



私が若い頃・・・働いていた職場に、M君という人がいた・・・
M君は同じ職場の多くの人間から嫌われていた。
(多くの人間とは、過半数の人間という意味)

「嫌われていた」・・と言うより
「避けられていた」が正確かも知れない。

忙しい一日の仕事が終わり、事務所に人が集まると
全員がホットして、言葉少なく、和やかな雰囲気になる。

そこにM君がニコニコ笑って現れる・・・



その後・・彼は得意満面になってダジャレを連発する・・・

その場に居合わせてしまった人間は、
彼に忖度しなければならない羽目になる・・

嫌々ながらも、
笑わなければいけない・・・



「他人の心の平穏に土足で足を踏み入れる行為」
としか思えない。

M君の迷惑行為に我慢出来ない人間は、
さり気なく部屋から出て行く、

それでもM君はその空気が読めない・・・
自分の姿が見えていない・・・



M君は・・それどころか・・・
「自分は・・頭の回転が速い・・お笑いのセンスがる・・皆の人気者だ・・・」
と思い込んでいる。

若いOLからは特に嫌われていた。

若いお姉ちゃん達は、陰でいつも怒っていた。

あのひと・・何とかならないの!!!!何とかして!!!

ヒステリックに怒っている女性もいた。



M君は、自分が陰でそんな風に言われているなどとは・・・
夢にも思っていないだろう・・・

実に・・御気の毒で残念な男だった。

この話は30年位前の話ですが。



世の中が成熟した現在に於いても、
いまだにM君のような輩が存在している。

その最たる例が・・NHK

私は、朝のNHKの報道番組を通勤途中、
車の中で音声のみ聞いています。

アナウンサーが必ず臭いダジャレを吐く・・・

オヤジギャグ攻撃も突発的に行っている・・



私は、不愉快になる・・・

頭の固さ、センスのなさ・・・
時代錯誤も甚だしい・・・

現在の優秀な若者はバカににして見ているだろう・・・

冷ややかにドン引きしているだろう・・・

「自虐ギャグ」という前提でやっているならまだ分かるが。
得意満面になってやっているなら、まさに社会の迷惑。

昭和生まれの私も・・・気を付けなばならない・・・

NHKはその空気が読めない。

先日のNHKのアナウンサーが吐いた
素晴らしいお言葉・・・・

「毎日暑くて、クーラーつけないとク~ラ・クラします・・・」

お見事!!!
センスのよい、見事なギャグ・・悪寒がはしりました・・

某国営放送・・
明らかに・・近いうちに「ぶっ潰れる」宿命にある。










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