名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

熱いひと、

2015-02-28 | グルメ 

名古屋駅の居酒屋にて飲み会。

名古屋在住のヨガの先生A・Yさんの
友達の、〇〇〇美さん
も来てくださいました。

〇美さんは、美人料理研究家です。

〇美先生は、菌と香辛料の権威.


本も執筆しておみえで、
その業界では有名なお方
とのこと・・・

焼酎で乾杯。

〇美先生曰く・・・

「 発酵食品に含まれる‘ 菌‘は神様です・・」

〇美先生は『 菌 』のスペシャリストです。

ステキ!!!

熱意と情熱をもった人は輝いている。

こういう「熱いひと」と出会うとアドレナリンが
耳の穴から噴出してくる・・・

料理研究家の御前で、

またしても唐揚を注文してしまった・・・
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開運・唐揚パーティー

2015-02-21 | 出来事

今日は我が家で、「 開運・唐揚げパーティー 」を開催。

私の作った鳥の唐揚を食べると運か開けます。

ビールを飲みながら、楽しく唐揚を食べるだけの会合ですが、
この奇怪なパーティーは、いままで多くの奇跡を起こしました。

ウソみたいな話ですが・・・ホントウです・・・


6kの鶏肉を唐揚げにするには、約1時間を要する。
鳥の唐揚げにはコダワリがあります。

最も美味しい唐揚の造り方・・・

1・ 低温(150~170度)で10分揚げる。

2・ いったん油から取り出し、10分間冷ます。

3・ 高温(約190度)の油で、2分揚げる。


この方法で揚げれば、表面はカリッとなり、
内部はジューシー。

私は唐揚研究家として、いままで多くの店で唐揚を食べて来ました。

ありとあらゆる唐揚を食べ、
唐揚のあるべき姿を日々、考え続けてまいりました。

試行錯誤の結果、
現時点での結論としては、

・・究極の唐揚・・

1 ・ 衣に懲りすぎない。
衣に塩や醤油で濃い味付けをしてしまうと、
肉の味が殺される。
片栗粉 6・コーンスターチ4・割合で調合。
(衣には調味料は入れない。)

2 ・ 肉にさりげない下味をつける。
強い香辛料や、ニンニクの味は肉の風味を殺す。
いろいろ試した結果、
白醤油 ・ 生姜 ・ ヒマラヤ岩塩少々 ・ 酒少々・・
このエキスに、24時間以上は漬け込む。

いままで私は、
ありとあらゆる調味を使って試してみましたが、
シンプルオブベストという結論に達しました。

たくさん食べてもくどくなりません。
この味付けが一番です。
ニンニクは入れないほうがよい。

3 ・ 唐揚には薬味を乗せて食べる。
食べる直前に、唐揚の上に、
大根おろし・ オニオンスライス・を乗せ、
最後にポン酢をかけて食べる。



でも・・・6kの肉を1時間以上かけて揚げ続けると、
さすがにイヤになっ来ます・・・

これも修行の一環でございます・・・
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日経平均株価・・今世紀最高値

2015-02-19 | 金融

日経平均株価の終値.

1万8264円

14年9カ月ぶりの高値水準となり
”今世紀最高値”となりました。

つい4~5年前までは、
メディアが先頭になって
悲観論ばかりが飛び交っていました。

神掛かったような
怪しい宗教の方々は、
これぞとばかりに、末法思想みたいな事を、
得意満面になって
のたまわれました。

近代文明は限界に差し掛かっている・・・

株は紙切れになる・・・・

世界大恐慌が近づいている・・・

そのあと新しい価値観の創造が訪れる・・・

こういう便乗教義は近代に限らず、
いつの時代にも現われます。

人の不安に付け込むのが一番簡単で、
手っ取り早い方法だからです。

世の中には
怪しい人、
怪しい団体、
怪しい思想、
危険な宗教・・

あちらこちらに存在しています。

「 人の不安を煽ったり、恐怖心を与えたりする
団体や思想は、ほぼ100%怪しい 」


・・・・・・

これから、近いうちに、日経平均は2万を突破するでしょう・・・

空前の金融バブルがやって来るでしょう・・・

ただし、庶民の生活が豊かになるわけでありません。

猛烈な勢いで貧富の差が拡大するという事です。

貨幣価値は下がります。

今、銀行に1千万円の貯金があったとしても、

利回り1%以下の金利など、何の足しにもなりません。

銀行に預けたお金は、
10年後は、500万以下の価値しかないのです。

「貯金があるから安心」と思っていたら、
負けます。

 




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結果に責任をもつ。

2015-02-18 | 思う事

私は
「 愛 」
という言葉はめっなことでは使いません。

このブログでも、「 愛 」 という単語は一度も
使った事はありません。

 愛情 ・ 愛念 ・ 愛国 ・ 博愛 など・・・・
二字の言葉はよく使います。

この場合、愛という言葉に具体性があるからです。

「 愛 」 という言葉は
日本人には理解できない単語である
と思っています。

現に、私の父も、母も、祖母も、
「 愛 」と云う言葉は一度も
発した事がありません。

もし、私が親に向かって、「 愛してます 」
などと言ったら、
「 あんた、熱でもあるの? 」
と真剣になって心配するでしょう。

私の知る限り 
昭和初期に生まれ育った人間は、

軽はずみに「 愛 」と云う言葉を使わない。
その背景には、日本人個有の
美意識があると思っています。

成人した大人で、
「 愛してる 」などという言葉を
何の抵抗も無く大きな声で
発することのできる人は、

宗教界関係者、
芸能界関係者、
ヒッピー系、 
芸術家系、
新左翼 (緑系)

・・・など

特殊な分野の方たちだけだと
思います。

私は、「 愛 」という言葉は、
めったな事では使わない代わりに、
「 慈悲 」 
と云う言葉は何の抵抗もなく発します。

芸能人が結婚する時、

「彼女を愛しています」
「彼を愛してます」
「 愛し合っています 」
「愛を誓います 」

などと言います。

でも、そのほとんどが、2~3年で離婚。

こういうときの、彼らの決まり文句。

「 もう彼女を愛せなくなりました・・ 」

「 愛がなくなりました・・・ 」

???

意味不明な言葉と感じます。

この人はどういう意味で、
「 愛 」という言葉を使っているのか?

好奇心?冒険意欲? 独占意識? 
優越感? 性欲? 支配欲?

即ち、こういう方々にとつて「 愛 」
とは、
「 衝動的情念 」
のように思えてなりません。

あまりに漠然としている表現であり、
気取った言葉であると感じます。

こういうのを
茶番劇というのではないでしょうか・・・

宗教では、「 神の愛 」
という言葉を使いますが。
この場合は、深い意味を感じます。

なぜなら、ここで使う「愛」とは、
永遠、普遍、 不滅、絶対、
を意味しているからです。
 
もし、自分の子供や、親兄弟に対して、
「 愛する 」と云う言葉を
使ったとしたなら、
その内面において、
何の違和感もありません。

親子の情 (愛?)は、
それを継続するにあたり、
何の努力も必要としません。
 
普遍にして永遠だからです。

でも、元は赤の他人である
結婚相手に対して、
「 愛する 」などという
言葉を使う事に、
私は大きな抵抗と恥じらいを感じます。

ただし、
「 愛 」という言を使わなくても、
心の中に、妻に対して、
大切に思う気持ち、失いたくない気持ち、
労わる気持ち、心配する気持ち、
は持っています。

これらの想いを、西洋の言葉で
「 愛 」と言うのかもしれませんが、

私は妻に対して
「愛してる」などと言ったことは
一度もありません。

世間を見渡すと、
軽薄な、漠然とした、
「 愛 」という言葉だけが
独り歩きしているような
気がしてなりません。

異性(結婚相手)に対して
「 愛 」? を抱き、その結果、
結婚したからには、
それを死ぬまで貫かなければならない
責任が発生すると思います。

何があっても、
一緒に歩んでゆく責務がある。

相手の運命にも
責任を持たなくてはいけない。

これは、相手に対して、
好きだとか、嫌いだとかの問題ではなく、
「 責任 」であると思うのです。
相手を「好き」であり続けるためには
努力が必要です。

動物的衝動だけに身を任せるなら、
結婚制度など必要がなくなってしまう。

「 責任を持つ 」
これこそが、
人間の人間たる所以であると思うのです。

配偶者に対しての
「いのちの尊厳」を見つめる事こそが
その人にとっての課題であると思います。

相手に対して、責任を果して
初めて「 愛 」
といえるのではないでしょうか。

だからといって、
「離婚は絶対に許されない」
などと言った原理主義的な
考え方には、無理があります。

その人にしか分からない、
複雑な事情があって、
止むを得ない理由で離婚に
至るケースもある事も確かです。

そこまで、否定する気はありませんが、

結婚とは、今生において、
第一級に重大なことだと思うのです。

この事に限らず、
深い考えや信念もなく、
軽々しく日本人が
「 愛 」という言葉を使うことは、
言葉が、ひとり歩きしてしまうことになます。

現に、私の知る左翼系(緑)の活動家のある人は、

愛だ!!!

ハートだ!!!

と事あるごとに叫んでいるのですが、
その人の実際の行いは、
自分の地位とと名誉のために、
画策、陰謀、智謀、
恩のある人に対する裏切り、
工作、嫉妬ばかり・・・

あまりにもミットモナイ・・・

こういう人は、愛という言葉に
酔っているのでしょう。

若しくは、この言葉さえ唱えていれば
自分を美化できると思っているのでしょう。

こういう人が、
結果的に多くの人を不幸にしてしまうような
気がしてなりません。






 
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人類の歴史

2015-02-15 | 思う事

親は、子供のために悲しみ・・・・
子供のために苦しみ・・・
子供のために喜び・・・
子供のために年を取り・・・
子供のために死んでゆく・・・

子供のなかには
自分を通して、現われた、
祖先の魂が宿っているからだ。

その連鎖が人類の歴史。
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西洋の易?

2015-02-12 | 出来事

名古屋在住の、
有名、美人女性占い師のY先生
とお友達になりました。

Y先生は、踊りの師匠と、
ヨガの先達もやっていて、
その方面の本も出して見える
スゴイお方です。

早速、一手拝見いたしました。

Y先生によると・・・

このカードは黄金を意味
するそうです・・・

私にとってまったく未知の世界ですが、
どうやらこれは
西洋版の易のような気がしました。

お金が舞い込むみたい・・・
なんでも良いに越した事ないです。

このあと、ビールで乾杯。

美人占い師と、
鳥の唐揚げを食べながら飲むビールは
これまた最高!!!

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交通安全のお守り

2015-02-11 | 宗教

高速道路でよく発生する「 玉突き事故 」

玉突き事故で怪我をしたり、亡くなった方は
運が悪かったのでしょうか?

日頃の行いが悪かったから
不運な目に遇ったのでしょうかでしょうか?

私は思います・・・

この場合、
「 運 」や 「 人格 」とは無関係。

ならば、そういう結果に至った要因は?

答えは明白

「 危機意識 」 を持っていなかったから。

いつも高速道路を走っていて思うことは、   
多くの車が(7割位)車間距離を十分にとっていない。

車間距離を十分にとらず、
時速90キロのスピードで走っている車が、
急ブレーキをを踏んだらどうなるか?・・・

確実に玉突き事故になる。

これは絶対的な物理的法則です。

これくらい誰にも分かる簡単なことだと思いますが、、
不思議な事に、交通量が多いわけでもないのに、
大多数の車が車間を取らず、金魚のフンのように走っている。

不思議でならない。

ひょつとしたら・・・
前の車に近づけば近づくほど、
目的地への距離が狭まり、早く目的地に到着するとでも
思っておみえになるかもしれません。

私は、仮にお金をもらってもそんな自殺行為はしません。

事故で死なない方法・・・

1 ・ 前の車に近づかない。

2 ・ 後方に車がへばりついて来たら、
追い越させるか、逃げる。

これ以外ありえません。

私は車を買ったとき、必ず三重県鈴鹿市の
椿大社に行ってお払いをしてもらいます。

椿大社の交通安全のお守りも車内にぶら下げてあります。
だからといって、

1 ・ 2 を守らなかったら、
追突事故に遇う確率は5分5分。

逆にいえば・・・
交通安全のお守りを持っていなくても、
1 ・ 2 を守っていれば、特殊な例外を除いて、
事故を起こす事はまずあり得ない。

私が、若い頃(30年以上まえ)、ある宗教団体に
接近した事があります。

この団体は良識的で、真面目な団体なのですが、
この団体の中堅クラスの人間に共通していた事は、

「 車の運転が荒っぽい 」

急発進、急ハンドル、前の車に接近、割り込み・・・

関係者は人格高貴なお方ばかりでした。
にも関わらず、こんな悪習慣・・・
私が思うにこれが、

「 宗教病 」

この方たちは、
自分は徳を積んでいるから悪いことは起きない。

事故など起こすはずがない。

神様が守っていてくれると
無意識のうちに信じているのでしょう。

こういうのを「 傲慢 」と云うのでしょう・・・・

当時、若かった私は、こういう人たちをみたとき、

「こういうオエライ先生のように
はなったらおしまいだ・・・ 」と、

強く感じた記憶があります。

コノ世で起きる事は、すべてが法則に則っています。

神様は、
基本的な自助努力をしていない者を
原因  →  結果の法則を捻じ曲げて、
魔法のような力で助けてくれたりはしない。

神様は、あくまで民事不介入。

それは、神が人間に「 運命選択の自由 」 
を与えているからだと思います。

もし、追突されたり、追突した場合、

運が悪いのか?

運が悪いのではない・・・

自分悪い。


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白兎 、開かずの間に潜入

2015-02-08 | 宗教
ある日、仕事の関係者、宮田さん(仮名)が、
私にある相談を持ちかけてきた。

「 私の家の2階には、三つ部屋があるのですが・・・
一番北側の6畳間に入ると、
なぜか気味が悪いんです・・・
初めは気のせいだと思って、
家内には黙っていたんですが・・・
ある日、うちの家内が突然同じ事を
言い出しまして・・・
これは一体どういう事なのでしょう ? 」

彼の家は、まだ新築して2年位の新しい家です。
この家を建てる前は水田だったとの事。
この家が建っている土地に因縁があるとは思えません。

私は答えました・・・

「 私のいままでの経験では、
そういうお話は8~9割方、気のせいです。
何かの因縁とか、霊的な障害とかがあることは、
めったにありません。
あったとしても1~2割位。
 たぶん彼方の気のせいでしょう・・・ 」

私が、そう答えると宮田さんは言った。

「 私の単なる気のせいだったら良いんですが・・・
でも、絶対に気のせいであるとは
仰っていませんよね・・・・ 」

私が答えて、

「 ええ、絶対にとは言っていません 」

すると、宮田さんは真剣な顔で私に訴えてきた・・・

「 お願いです・・・ぜひ一度私の家に来て、
例の部屋を見て頂きたいのですが・・・・」

こんなお願いをされてしまって、
正直いって恐くなって来ました
確かに、こう云うお話の8割がたは気のせいです。

しかしながら、
私が現地に行って、もし仮に気のせいではなく、
私では太刀打ち出来ないほどの、
強烈な魔物がいたり、
強烈な因縁が籠っていたら困ってしまう・・・
私にとばっちりが及ぶ事も考えられる。

これが、私に強い縁のある人や、
恩のある人の頼みなら、
決死の覚悟でなんとか原因だけでも突きとめて、
私の「 カマシ技 」若しくは、
「 無言の言葉 」
で何とかして差し上げるところですが、
正直いって、私は宮田さんは
仕事上の付き合いは止むを得ませんが、
個人的には、
あまり関わり合いたくない存在なのです。

とはいえ・・・
宮田さんの立場になって考えれば、
彼の気持ちもよくわかります。

でも、やはり乗り気になれません。
回答を先延ばしして、
何とか逃げ切ろうと思っていました。

そんなことを考えていた私ですが・・・
先日、とうとう逃げる事ができない状況に
追い込まれてしまったのです。

・・・2・・・

ある仕事上の都合で、彼を私の車で自宅まで
送り届けなければならない状況が発生したのです。
彼を車で自宅まで送って行けば、当然その時、

「 家の中を見てください!!! 」 
と懇願されてしまうでしょう。
そういった状況下で、
「 いや、帰りを急いでいますので・・・ 」

などと白々しい事を云うのも気がとがめる。
家の前まで行ったからには、事情を知っているにも関わらず、
そこでサヨナラではあまりにも薄情である。

もう、逃げる事はできない・・・・・
私はそのとき腹を括ったのです・・・

ついにその日がやってきた・・・
仕事上の用事を済ませ、彼を私の車に乗せて、
彼の家の前までやって来た。
時計をみると、夜10時をまわっていた。
案の定、彼は私に言った。

「 お忙しいなか申し訳ないですが
・・・ぜひとも
家に入って例の気味の悪い部屋を
見ていただきたいのですが・・・ 」

私はやせ我慢してニッコリ笑って答えた
「 お安い御用です。ぜひとも見させて頂きます。」

玄関のドアを開いて中に入った。
家に入った瞬間の雰囲気は別段なんら
変わった事はなかった。

中に入った瞬間、私が尻ごみして
しまうような家なら、
逃げるしかない。

私は祈祷師でもなければ、
拝み屋さんでもない。
強烈な因縁やいわくがある場合、
深入りはしないことにしている。

玄関の真正面に階段が見えた。
玄関の真正面に階段があると、
あまりいい雰囲気はしない。
でも、このことが致命的で、
大きな弊害をもたらすわけではない。

こういう場合、階段の昇り口に、
暖簾(のれん)を掛ければよい。
それだけで十分です。

私は家相を全面否定している
訳ではありませんが、
「 家相は善いに越した事はない 」 
程度の問題だと考えています。

細かな事を言い出せば、
狭い土地に家を建てざるを得ないといった、
日本の住宅事情では、
完璧な家相の家などめったにありえない。

最近、風水と家相をごちゃ混ぜにして、
家相が悪いと命取りになる。とか、
絶対に悪い事が起きる。

などと言って、人の不安に付け込んで
脅しをかけて何かを企む奇怪な
輩がはびこっている。

もし、家相が犯してはならない 
「絶対的な法則」なら、
日本人の過半数が家相のせいで、
不吉な目に遭ったり、
不幸のどん底にに落ちているはずだ。

そんなお話はナンセンスだと思う。
家相云々と云ったことより、
はるかに重要なのは、
その家に住む人の ‘ 心の方向性 ‘
これ即ち、家族の絆、先祖との絆。

彼に案内されて、階段を昇った。

2階には3つの部屋があった。
新築してまだ、2年足らずの家だけあって、
まったく汚れや痛みがない。
ハウスセンターのモデルルーム
にでも来たような感じがした。

階段をあがると、左右に2部屋、
狭い廊下を歩いて
正面突き当たりの部屋が
例の、気味が悪い部屋らしい。
この部屋だけは、あまりに気味が悪いので
現在は一切使っていないとのこと。

まず、手前の左右の部屋に入った、
別になんら変わった空気や風は感じられない・・・

そして、そのあと、
突き当たりにある例の部屋に案内された。

6畳くらいの小さな洋間だった。
部屋にはまったく何も置かれていない。
部屋の中央に花柄の1.5メートル四方の
絨毯が一枚さりげなく敷かれていた。

私は部屋の中央に歩み寄った、
別に怨念だとか、怒りだとか、
そういった強烈な雰囲気とか、風 は感じられない・・・

でも、なぜだか「 悲しみと寂しさ、」
の雰囲気が伝わってきた。
部屋の中央に立って部屋のなかをくまなく観察した。

すると・・・・部屋中央、の東側の壁に近いところに、
何かを感じた・・・・
その瞬間、その場所に何かが観えた・・・

『観えた』とは、あくまで文学的表現です。
実際に映像が見えたという意味ではありません。
『強く感じて確信した』という意味です。
( 私は目を閉じても何も見えません。
真っ暗になるだけです。)

そのとき私は、

うんん・・・・ 
なるほど・・・・・
と思った・・・

・・・3・・・

部屋中央、の東側の壁に近いところに、
何かを感じた。
その瞬間、その場所に何かが見えた。
私は小声でつぶやいた。

ううん・・・なるほど・・・・わかりました・・・

宮田さんが不安そうな表情で私の顔を見つめ
「 何が見えるんですか?・・・・ 」

しばらく沈黙したあと、
私は部屋のなかのある一点を指差して言った。
「 以前、この場所に誰かが長時間、
ジッと座っていた事があるでしょう? 」

彼は答えた。
「 ひょっとすると・・・たぶん・・
家内の父親かも知れません・・・ 」

そすると、その時、彼の奥さんが
不安そうな顔つきで、部屋に入ってきた。

彼の奥さんは北京郊外の農村出身の中国人である。
若い頃、日本の大手企業に技術研修という
名目で出稼ぎにやって来た。
そのとき、彼と知り合って
結婚したという経歴がある。

日本語は堪能で、ひょつとすると私より
日本語が上手いかも知れない程の方でした。

こんどは奥さんに同じ事を聞いてみた。

奥さん答えて・・・

「  はい、一年ほど前、
初孫が誕生した時のことですが、
中国に住む私の両親がやってきて、
約2ヶ月間この部屋に滞在した事があります。

中国人である両親は、言葉もわからず、
お金もない、
日本の雰囲気になじむ
事ができませんでした・・・
文化や習慣の違いで、主人とも反りが合わず、
毎日この部屋に閉じこもって外には
出てきませんでした。
その時、父ははいつもこの場所に座って、
下を向いていました・・・  」

私は言った 

「 それが、この部屋の暗い空気を作り
出したのでしょう・・ 」

奥さんは不思議そうな顔をして言った。

「 意味がわかりません・・・
私の親は今現在、生きています。
中国に帰って元気に生活しているんですよ・・・
生きている人間の魂がここに
残っているんですが?・・・ 」

私は答えた

「 彼方の両親はこの場所で、何かの強い
「 念 」を持ち続けていた・・・
それも、悲痛で、強烈な念を発していた・・・
‘ 強い念 ‘ とは悲しいとか、
寂しいとか、情けない、とか・・・・
‘ 強い念 ‘ とは魂の事、
肉体の親は今現在、中国にいて、
この事はもう水に流しておみえに
なるかも知れません。
でも、約2ヶ月間、この場所で強く
発し続けたエネルギーは
‘ 魂‘となって、現にここに残っている。
この場合、これが幽霊の正体なんです。  」

彼と奥さんの表情が強張った。
奥さんは更に続けて

「 ええ・・・実は・・・ 」

と言いかけたが、
それ以上は言葉が続かなかった・・・

私には、宮田夫婦の家庭事情がある程度わかった。
しかしながら、頼まれてもいないのに、
他人の複雑な家庭問題に、
私が口を挟むことも気がとがめる。

宮田さんに「 彼方のここがいけないんだ!! 」
などと言う説教じみた事は言いたくない。

私は人にそんな事を言えるほど立派な人間ではない。

同時に、
「 ここがいけない 」 「 あんたが悪い 」

などと指摘したところで、
これが大きな改善策になるとは思えない。

なぜなら、
どうすべきなのか、その答えは
その本人が魂の底では分かっているからだ・・・

本人が「 自分の内側 」から気付かない限り、
いくら指摘しても、
それに伴う弊害が多く発生するだけで、
根本的な改善になるとは思えない。

他人からの指摘や指示で自分を変えようと
努力したとところで、
それは「 真の体験 」 とはなりにくい。
むしろ、罪悪感を助長するだけのような気がする。

罪悪感はやがて、「 自己処罰 」 
という姿に変貌して、
自分で自分を苦しめる。
この、自己処罰こそが、
人の運命を左右する不運の最大の要素である。

「 自分の内なる気付き 」
「 真の体験 」であり、

真の体験とは 
「 感謝の念 」「 喜びの念 」
に他ならない。

それが出来たとき、誤った自分(偽者の自分)は
太陽の前の霜の如く消滅すると考える。
恐怖心からは何も生まれない。

私は宮田さんに向かって脅すような事は
言いたくない。

遠回しに、ギリギリの線で語った。

「 中国と日本では、文化も習慣も、
価値観も違っている。
これは 事実 です。
現実問題、日本人の価値観で量れば、
中国のひとに疑問を感じる
事もあるかもしれません。
でも、中国の方であったとしても、
奥さんの親は、彼方の子供とは
血が繋がっています。
これは絶対に変える事はできない 真実 です。
わが子を思う気持ち、孫を思う気持ちは
日本人であろうが
中国人であろうが関係ありません。
可愛い孫に逢いたい一心で、
必死な思いでお金を工面して、
日本にやって来たのです、
その結果、娘の旦那にバカにされたり、
野蛮人扱いされたりしたら、
腹が立ったり、怒ったりする以前に、
悲しい・・・惨めだ・・・情けない・・・
と強く感じるはずです。 」

彼は、うな垂れて、
中国の義理の父親が座っていた場所を
ジッと見つめていた・・・

これで、話は終わりとおもいきや・・・・

このあと、私は、
更に重大な事を突きとめてしまうことになる・・・
私が指摘した
「 幽霊の正体は、この部屋に残留する、
両親が発した強い念である 」
 
という話に、彼の奥さんは最初は、
なるほど・・・と、うなずいていた。

だが、しばらくすると、
奥さんは異論を唱えてきた。

「 この部屋が不気味だと
強く感じるようになったのは確かに、
中国の両親が帰ったあとだったけれど・・・
よくよく考えてみれば・・・
両親がこの部屋に滞在する以前から、
この部屋に入ると何となく
不気味な気配が漂っている気がしていました。
両親が日本に来る前、一度だけ、
夜この部屋で寝た事があったんですが、
その時は、寝ていると寂しくて、
悲しいいような気分になってきて、
一晩中うなされて、ぐっすり眠る
事ができませんでした。、
その時、もうこの部屋では二度と
寝たくないと感じたのです・・・ 」

私は、しばらく天井を見上げて考えた・・・
すると、その時、
すべての事情が走馬灯の如く、
凄まじい速さで私の脳裏を走った・・・
私は思わずつぶやいた。

おおぉ・・・んんン・・・

なるほどそう云うことか・・・

・・・3・・・

宮田夫妻が私の顔を凝視した。

しばらく沈黙したあと私は、
旦那の顔を見つめて言った
「 あなた・・・
先祖代々受け継ぐ宗派を変えたでしょう・・・ 」

彼は、答えた。
「  ええ、実は・・・以前、
ある宗教の霊能力者に
『 仏壇と神棚を焼き払いなさい、
そうしないと彼方に災いが及びます 』 
といわれ、恐くなって、
実家の仏壇と神棚を処分しました・・・    」

私は、思わず「 バカ者!!!! 」
と言いたくなりましたがグッと堪えた。

そのあと、気を静めてから彼に向かって、
出来るだけ冷静に、柔らかい口調で
語り掛けた。

「  先祖の霊にとって、強烈に悲しく、
苦しい事は、
子孫が勝手に宗派をに変えてしまうことなのです。
‘宗教‘と ‘ 宗派 ‘
は混同されていますが意味が違います。
‘宗教‘は、何を信じようがその人の自由です、
聖書を読もうが、仏典を読もうが、
論語を読もうが、
そんな事で先祖は怒ったり悲しんだりしません。
宗教は自己責任において
何を信じようがその人の自由です。

でも、
宗派は絶対に変えてはいけない。
宗派を勝手に変えられると、
何百柱、何千柱という膨大な数の
御先祖様は、戸惑い、悲しむのです。
‘ 宗派‘とは、死んだとき
葬式を行ってもらう会派を意味します。
そのあと、その流儀に則って供養、
祭祀を行ってゆくのです。

その精神の象徴である仏壇を
焼き払うなどもってのほかです。
これは、どの宗派が良い、
悪いという問題ではありません。

それ相応の事情があり、
道理の通った事なら、
それなりの手順を踏んだ上で改宗
することもあり得ますが、
それ以外は、軽はずみな気持ちで行っては
いけない事なのです。
これは、自分の意思や、
理屈とは関係なく、
どんな事があっても
絶対に守らなければならない
霊的なルールなのです 」

彼は、しばらく考え込んでから口を開いた・・

「 ならば、この部屋には、
私の先祖の悲しみが籠っているのですか? 」

私が答えて、

「 そうです!! 彼方の先祖は怒っている訳でも、
彼方を怨んでいる訳でもありません。
ただ、悲しく、寂しい想いを抱いているのです。 」

彼は言った
「 このことと、
先ほど中国の義理の両親の話と何か
関連があるのですか? 」 

私答えて、
「 彼方の先祖が発している、
『 悲しみ、寂しさ、惨めさ、 』が、
中国の義理の両親の、 悲しく、寂しい、
惨めな思いを更に増幅させ、
重なり合ったのです。
彼方の先祖と、奥さんの親とは血統的には
まったく無関係ですが、
あの世では、
共鳴し合っているのです。 」

もう、
これ以上の事は言いたくない思った・・・
最後、一言だけ彼に言った。

「 自分が何をなすべきか?それは、
自身の良心の声に耳を傾ける事です。」

・・・・終わり・・・・
 
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熱田神宮・上知我麻神社(かみちかま)参拝

2015-02-07 | 出来事

熱田神宮参拝。

東方より菩薩来る。
当地より女神の如き女性現る。


熱田神宮内、上知我麻神社(かみちかま)参拝と相成り候。


ご祭神・乎止與命(おとよのみこと) 知恵授け・商売繁盛


大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)



事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)






















湧き水あり








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イカの丸焼き

2015-02-06 | グルメ 

特大・生イカ  3杯300円

迷わず購入・・・
傷があるから安いのだろう・・・
こういう商品を見逃さない為
仕事か帰りに、頻繁にスーパーに立ち寄る。

一切手を加えず、アルミホイールに乗せて
オーブントースターで丸焼きにする。


皿に乗せ、ハサミで切断。


イカのハラワタが加熱された事によって、
独特の風味を帯びた液体に変貌する。

ハラワタの臭みがイカの身に
最高の風味を与える。

この風味こそ、
イカの身を最大限に引き立てる
最高の調味料


細かく輪切りにして、
最後に対馬の塩を乗せて食べる。

「 安くてシンプル 」これこそグルメの王道

美味しい!!!!
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