名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

蟹が大好き

2012-12-30 | グルメ 




北海道からカニを取り寄せた
私はカニが大好物
毎年、年末になると強烈にカニが食べたくなる
インターネット普及のおかげで
新鮮なカニが
産地直送で安く簡単に入手できるようになった
ありがたい限りです

ズワイガニ 5匹
目方にして約3~4キロ
なかなか食べ応えがある
しかも、格安

家族4人でその日のうちに食べてしまった

北海道産のズワイガニ、
割安な値段で入手できるが
味の面からいうと残念ながら・・・
越前蟹 にはかなわない
越前蟹は福井県の日本海で水揚げされる蟹の
ブランド名です

ズワイガニ、松葉蟹、越前蟹、
産地によって呼び方が違うだけで
どれも同じ蟹です

同じ蟹でも、越前蟹と北海道のズワイガニを
比較するなと
まるで別物です

値段もかなりの格差がある
ズワイガニなら1k 約千円前後ですが

越前蟹の場合、その5倍以上の値が付く

独身の頃は、2~3年に1回位、車で
越前海岸まで越前蟹を食べに行ったものですが
結婚して、家庭をもつと、そんな贅沢は出来なくなってしまった
家族4人で越前蟹を食べたら、4万円くらいかかってしまう



これは北海道産ズワイガニ
この位の大きさで 一匹約800円~1000円位

もし、これが 越前蟹 なら
4千円~6千円もする

同じ蟹でありながら、どうしてこれだけの格差があるのか?

それは食べてみれば分かる

食べてみれば誰しも納得するでしょう

別の種類の蟹とも思えるくらい
その差は激しい

まさに、越前蟹は蟹の 王様

姿形はまったくズワイガニと同じではあるが
蟹の発するオーラがまるで違う
まさしく蟹の王者にふさわしい堂々とした風格と
「 蟹の霊光 」 を発している

越前蟹は特別な存在であるが

北海道産ズワイガニ は身近な存在
庶民の味方であり
実に、有難い存在である

庶民の味方
ズワイガニに感謝しつつ

いつか、また越前蟹と再会する日を夢見る
今日この頃でございます。


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たかが金、されど金

2012-12-28 | 思う事


世の中、金だけじゃない

今までこの言葉を よく耳にしました

たしかにその通り
生命は 金では買えない
信用は 金では買えない
人情は 金では買えない
思い出は 金では買えない
悟りは 金では買えない
死んだ後、天国は 金では買えない

世の中、金だけじゃないなどと言う事は
普通の人間なら誰しも心の奥底で
価値観の大前提として分かっている。

それは、
人間が生まれながらにして既に持っている自然な感覚であり
教育されて持つようになったものではない

もっとも、例外的に異常な人もいることは確かである
金のために、人を殺したり、騙したり、異常な利己主義に傾いたり・・・
そんな事を平気でする人間もごく稀ではあるが存在する

こういう人は、たぶん育った環境とか、霊的な因縁 に支配されているのだろう

こういった 異常な人格者 は例外として、ごく普通の人間は

「 世の中 金だけじゃない 」

などと言う事は言われるまでもなく、当然な事として分かっている


にも関わらず

「 世の中 金だけじゃない 」

などという正論を頻繁に、軽々しく、偉そうに口にする人が時々いる。

私は今までの経験のなかで
この言葉を恥ずかしげもなく頻繁に発せられるお方を
何人か見てきた
残念な事に、こういう人の多くは
金にルーズ であった

「 世の中 金だけではない 」 という言葉の裏側には、

「 金を甘く見ている心 」

が潜んでいるような気がする
金の怖さ  金の重要性  金の性質が分からない人ほど、

「 金だけじゃない 」

などと立派そうな事をおっしゃる

私が20代の頃、会社の大先輩 に
5万円貸して欲しいと言われた事がある。

その人は当時50歳、家庭もシッカリしていて
仕事も真面目、責任感も強く社会的信用もある。
全ての面で信頼の置ける人だった。
30歳も年下の私にあえて頭を下げるのだから、余程の事情があっての事と思い
5万円を貸してしまった。

30年前の5万円は、若い私にとって大金であった。

貸した金帰らない

これが 「この世 の摂理」結局、この金は返ってこなかった

この人が普段、口癖のように言っていた言葉は、

「 世の中 金だけじゃないよ 」である。

5万円損したけれど、いい勉強になった。

それ以来、絶対に人に金を貸してはいけない という教訓を身に付けた。

もし、この経験が無ければその後、もっとヒドイ目に
遭っていたかも知れない
そういう意味でその人に感謝している。

金は、貸すぐらいなら 差し上げたほうがよっぽどマシであると思う


この事があって、それ以来
「 世の中 金だけじゃないよ 」
という言葉を発する人と接すると、少し警戒するようになった

もちろん、この言葉を発する人すべてが疑わしい訳ではない。
話の前後や、趣旨 によっては
深い意味で言ってい場合もある

ただ、この言葉を軽々しく連発する人間は、信用できない

よくよく観察してみると、こういう人の多くは、

やはり、金に対する認識が甘い

借金を踏み倒す とまでは言わなくても
些細なこと、
たとえば、何かの代金を払うとき
一緒にいた知人が偶然小銭をもっていなかった場合
100~200円くらいの金額なら立て替えてあげる。

でも、そのあと 一向に返す気配がない
こういう場合、催促するのも気が咎める
こういう人は催促されなければ結局返さない

目くじら立てるようなことではないが
たとえ、小額でも気分が悪い
同時に、その人を少し疑うようになる

残念ながら、「 世の中 金だけじゃないよ 」と頻繁に言うひとほど
こういうタイプの人が多いような気がする
要するに、金の怖さ が分かっていないのだ

わたしは、変わり者なので、あえて
 
「 世の中 金だ !! 」

と言うようにしている
それをどう受け取るかはその人の自由です

この言葉の裏には、

「 たかが金、されど金 」

という意味を含みます

これが、私流の 美学 です


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幻のハンペイ

2012-12-24 | グルメ 


このハンペイは
名古屋市○区の住宅地のなかにある
小さな町工場で作られている

いままで私はいろいろなハンペイを食べてきたが
このハンペイに勝るハンペイはいまだかつて食べた
事がない

よく、デパートの地下などで
名門店の高級ハンペイ などと称して
高価なハンペイが売られているが

期待して買って食べてみると
いつもがっかりする

スーパーなどに売られている
パック詰めされたハンペイも
美味しい と思えるものはない

特に、 ○○ とかいう
某有名メーカーの製品はお話にならないほど〇〇い

でも多くの人は 〇 〇 を美味しいと
信じているみたいだ

これは、「宣伝の上手さ」 と 「イメージ戦略」のなせる業
そういう意味では 〇 〇 は凄い会社だとも思える
「経営戦略」
という面では大いに見習うべきところはあると思う

隠れた逸品とは
意外に、名も知れぬ小さな町工場で
小規模に作られている事が多いと思う

このハンペイは 

マルエ というハンペイ屋さんが作っている

私は20年以上前、このハンペイと出合ったのだが
それ以来、どこに行けば入手できるかが分からなくなってしまった

スーパーへ行く度にひょっとしたら置いてあるのではないかと
期待して、練り製品売り場を探してみるのが習慣と
なっていた

20年間探し続けたが、見つからない

マルエさんは、インターネットで調べても
出てこない
ひょっとしたらもう廃業されたのかも知れない
と思い、諦めかけていたとき
思いついた
食通の知人、アンパンマン氏 (通称)
ならひょっとして知っているかも知れない

アンパンマン氏に早速電話をする
意外や意外
あっけない回答だった
「 よく知ってるよ、私は時々工場へ行って
直接分けてもらっているよ 」

アンパンマン氏から マルエ さんの所在地を教えてもらった

探し求めていたハンペイに再会する日がやって来た
一刻の猶予ももてない
電話を切るとすぐさま教えてもらった場所に向かって
車を走らせる

マルエ さんは
住宅地の一画にあるほとんど目立たない
小さな町工場だった
この工場は 旦那さん奥さんの2人で運営している
典型的な個人工場だった
訳を話してハンペイを分けてもらうことに成功
一袋20枚入りで千円以下の値段、

安い!!!

とりあえず3袋分けてもらった

帰り道 車の中で我慢できず
一枚取り出して かじってみた
おいしい!!!!
20年前の味が今ここによみがえった

不思議なもので、感動した味は
20年経って脳の中に残っている

こういった素晴らしモノを造る 個人経営の小規模生産は
年々減り続けているのが現実である

寂しい限りではあるが

マルエ さんにはいつまでも頑張って欲しい
と強く感じた






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無意味を極める

2012-12-23 | 宗教
山田龍真先生は想像を絶する数々の修行を重ねてこられたお方である

私が思うに、修行を極めた という意味において
役行者(えんのぎょうじゃ)や 空海
と肩を並べる程のお方だと感じる

龍真先生は
修行で悟りがひらけましたか ?

と質問されると意外なお答えをされる

「 修行でさとりなんかひらけないよ 」

何のために修行を続けるのですか?

と問われると

「 わからない 」

とお答えになる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

龍真先生いわく

来る日も来る日も深夜の山歩きを繰り返す 千日行 も、
ある意味 無意味 である
もし、期限がなく、
「できるだけ長く続けてみよう」
などという気持ちで始めたら、おそらく一ヶ月ももたなかったろう。
人生という修行でいえば、
しっかりした目標設定がだいじなのだ。
一度、期限や目標を決めたら、
どんなに苦しくても実行するのが修行である。
けれど苦しくなると、人の心には 

「 こんな事して何になるんだ 」

「 ムダじゃないか」

 というささやきが聞こえてくる。
この点でも修行と人生はまったく同じである。

          山田龍真著  われかく修行せり より抜粋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

龍真先生のお弟子さんに
千日行に挑んだ一人の優秀な弟子ががいた

そのお弟子さんは123日目にして

「 悟りをひらいた 」

と言って 修行を辞めてしまった
その弟子に対し、龍真先生、
喉まで出かかったがやめた言葉

「 悟りを口にするなら、立派に無意味をいきてみろ。
それもできないのに、どうして無意味に生き、
無意味に死んでいく人達が救えるんだ 」

その弟子は、その場で破門したとの事。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、修験者になるつもりはない
出家するつもりもない
そんな根性は私にはない

でも、一般人として、実業家として

生涯、求道を続ける覚悟でいる

何のために 人に親切を施すか?・・・・・ 意味は無い

困っている人を助けて何の意味があるのか? ・・ 意味は無い

徳を積む事に何の意味があるのか? ・・・ 意味は無い

社会に貢献する事に何の意味があるのか? ・・・ 意味は無い

毎日、せっせと働く事に何の意味があるのか?・・・意味は無い

龍真先生に出会ってから
そう自分に言い聞かせるようになっていった

これは、私が勝手にそう思うだけであって
龍真先生が言われた事ではない
こういう考え方が果たして正しいかどうかは解らない

でも、こういう風に考えると
私が、今まで歯がゆく思っていた
多くの矛盾や、理不尽で不条理な事例が

「 それもアリかな・・・・ 」

と軽く受け流す事ができる

無意味 を生き
無意味 から逃げず
見意味 を業ずる とき
はじめて、その奥にある

有意義 が見えるのではないのだろうか

無意味を徹底的に極めたとき
私にも、何かが見えるような気がする

よくよく考えてみると、
私が今まで接して来た多くの人間のなかで
尊敬できるひとは

無意味な事を真剣に、ガムシャラになって
行う事の出来る人間であった

それは、能力などとは
はあまり関係ないように思える

神を信じる 信じない とも関係がない

明確な 方向性、や 目標設定 をもったうえで
そのあとは、何も考えず、一見無意味とも思えることを
ただガムシャラに 業じた者 は
その人に応じた分野や、世界で、必ず大成している

精進する者の頭上には
神 を意識していなくても

神の光が燦然と輝く

以前、このブログで紹介した私の古い知人
アンパンマン氏 (通称)
も 徹底的に無意味を業じた人間であった
彼は、
地位も、名誉も、金も、教養も、人脈も
何も無い 柄の悪い 砂山オヤジ の親切にたいして
極限の誠意を見せた

砂山オヤジが勧める
大皿に盛られた 恐ろしくマズイ 野菜炒め を
一人で、平らげた
それは
砂山オヤジを悲しませたくないという
アンパンマン氏の 思いやりであった

利害関係や 合理性から考えればこれは
無意味 なことに思える

相手が権力者であったり
何らかの利害が生じる関係であるというなら
無理をしてでも相手の気分を害しないように
することは誰しもある

砂山オヤジは そういった対象ではない
柄が悪く、金も権威も何も持っていない
何もないけれど、心の優しい 純粋なお方であった

そういった相手に対しても
アンパンマン氏は 「 無意味な事 」を 徹底的に行う
事の出来る男であった

無意味は必ずしも 無駄な事ではない
彼は、そういった一見ムダとも思える事を
どんな時にも、常にやり続けた人間である

あれから約25年の月日が流れた
今現在、 アンパンマン氏は 大成している
仕事面でも、金銭面でも、家庭面でも
成功者となっている

私は、私の世界で
徹底的に バカ になろうと思う
天才バカボン になり切ることが
わたしの使命 と感じる


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小林幸子

2012-12-10 | 思う事


小林幸子 がとうとう紅白 落選したらしい

余計なお世話だが、小林さん、心の方向性 をここで修正したほうが良いと思う

小林さん、今から33年前、
1979年に

おもいで酒 を大ヒットさせた

当時、彼女はテレビに出ると
常に 泣いていた

「 今まで自分は大変な苦労をして来た。
大ヒットを出すまでの人生は 苦労の連続であった 」

そういった、浪花節 をひけらかすのが彼女の芸風であった
わたしは当時、15歳 まだ幼かったが、幼ながらに思った

この人、一生苦労するだろうな・・・・・

そんな彼女の芸を観るたびに、不愉快な思いがした
いつしか、彼女がテレビに映ると不快を感じるようになった
紅白 を見ていても彼女が出てくるとチャンネルを変えた
貧乏神 が寄ってくるような気がして、なんだか嫌な気分になるからだ

演歌歌手という立場もよく判る
演歌歌手はある程度 影 がなければサマにならない
でも、
小林さんの場合、度が過ぎる
それは 芸 ではなく 「 歪んだ心の習慣 」であるような気がする 

2007年に起きた 新潟県中越沖地震 のときは
新潟県が自分の故郷だということで、新潟の被災者の方々の事を同情して
お得意の 泣き芸 を頻繁に行った

唯一の持ち芸である 紅白の ド派手な衣装を取りやめるとか言い出して

お涙ポロポロ

ド派手な衣装を止めたいという願望の口実としか思えない

被災された方々の苦しみや悲しみを思うと、確かにお気の毒で涙が出る
でも、それに同情して涙を流し、哀れんでいるばかりいる事が 真心 なのか?
テレビに映るだびに、同情の お涙ポロポロ では情けない
かえって被災者に対して失礼ではないだろうか

こんな 芸 ばかりしていては現代の若者に笑われる
最近の若者は 賢く 優秀 である
一節太郎の時代は終わった
こういう 化石のような人に遭遇すると、現代の若者は

「 ドン引き しちゃう !!! 」

と表現する

慈悲と知恵 のみが人を幸福にする手段であり
同情からは何も生まれない


もし、私が人から同情されたら、嫌な気分になる。
哀しい気分になる
嬉しいとは思わない
もし、同情される事が 嬉しい感じたら、その時点で 私も終わり だろう 
未来がないだろう・・・・

懸命に努力し、前を見つめ、前進する意欲のある人に対して
同情するのは 失礼な行為 と思える
そういう彼女の 心の習慣 が、自分自身に対しても、 
「 同情されるような運命を 」
引き寄せてしまうのだろう

未来のみを意識して
希望のみを語るのが
真の慈善ではなかろうか

泣き言ばかり言っている人、
過去にすがってばかりいる人
人に同情されたいと願っている人

どうぞ御自由に ・・・・・と思ってしまう

普通の演歌歌手なら、一度、大ヒットを出せば不動の地位が築けるはず
演歌歌手は息が長い。

でも、彼女の場合、イロイロな報道を見聞きする限り、大ピンチの様子、
いま、彼女が今すべき事は、これを期に

自分の中から 貧乏神 を追い払うことだと思う。

そういう意味では ピンチがチャンス、果たして、彼女はこのチャンスを活かす事が
出来るだろうか・・・

ビンボウ神 は人の心のなかにいる

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ナディアパーク

2012-12-09 | 思う事
名古屋の中心部にある
通称「ナディアパーク」


名古屋市立中央高等学校の跡地を利用し
1996年に建てられた商業施設

地上12階、地下4階、高さ70mのデザインセンタービルと
地上23階、地下4階、高さ108mのビジネスセンタービルで構成されている。

テナントとして ロフト 、
その他 衣料・雑貨・インテリアなど21の専門店が出店している

名古屋、栄の超一等地であるにも関わらず
このビルはいつも閑散としているように感じられる

休日の昼時でも、このビルに入居する
カフェ やコ洒落た飲食店はいつもガラガラ
雑踏が嫌いな 私としては、非常にありがたい商業施設ではあるが
なんだか、可哀想になってくる

この場所は 風水的 に観ても超一等地

名古屋城から熱田神宮にかけて伸びる 熱田台地 と呼ばれる
盛り上がった 大地の頂上に
このビルは建てられている

濃尾平野 の中ではあるが 起伏した強固な地盤であり
最高の場所である

南の方角には 熱田神宮
北の方角には テレビ塔 名古屋城

名古屋の背骨のような大地のライン上に位置している

こいいう場所には普通 神社 仏閣 が存在する場合が多い


こんないい場所を活かし切れていない感がする

モッタイナイ

その原因は、建物の設計にあような気がする



南に向かって大きな玄関

中に入ると、だだっ広い 大きな吹き抜けのホール

日当たりが良く、明るい空間

真正面にエスカレーター

最悪だ!!!

このビル

照明普及賞、名古屋市都市景観賞、中部建築賞、第39回BCS賞
など数多くの賞を受賞しているらしい

笑ってしまう

賞 などと言うものは お役所的発想
の産物としか思えない


商業施設でも ホテルでも
入口を入ってすぐにエスカレーターや階段が
目に入る構造の場合
その施設は 必ず人の出入り が少ない

広すぎ て 日当たりの良すぎる玄関ホール

真正面に見える 階段やエスカレーター
私の知る限り
こういう施設は必ず 人の出入り が少ない


昔からある 名古屋の 中日ビル も同様 
玄関ホールにはマアマア人が集まるが
その上の商業施設はいつも閑散としている

とにかく人の出入りを多くしなければ商業として成り立たない
のではなかろうか



ビルの裏側

このビルを出入りする人間は
ほぼ9割以上が裏側から入る
北向きにある 裏側出入り口 を入ってもすぐに
大きな中央ホールに入ってしまう

これも最悪



ほとんどの人が 北側入口 から出入りするにも関わらず
何故か、安っぽく、雑然とした景観
ビルの運営会社は

やる気があるのか?

このビルは たぶん 第3セクター か 役人の天下り会社
が運営しているような気がする

入居するテントの店は 果たして採算が取れているのか
大きなお世話かもしれないが
テナントの人が気の毒に思える

これが 名古屋のレベル かと思うと
何だか情けなくなってくる



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