名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

回転寿司

2013-04-28 | 出来事



子供が回転すしに行きたいというので

近くにある大手回転寿司チェーンの店に出かける


安くて それなりに美味しい

液晶パネルをタッチすれば個別のオーダーにも対応してくれる

機敏で的確

合理的で素晴らしいシステムであると思う

品質も安定している。


高品質を追求する以前の問題として

 安定品質 を保つ

これがチェーン店を展開する飲食店の絶対条件だと思う


残念ながら、知名度の高い外食産業チェーンでも

この当たり前な事ができていない企業が存在している


努力を惜しまず、試行錯誤を繰り返したすえ

合理的 かつ 安定的 にサービスを提供するシステム

を作り上げてきたのだろう


経営者に敬意を感じてしまう


でも・・・・・

実をいうと・・・

わたしは 回転寿司 にはなじめない
 
コンベアーに乗せられて回ってくる寿司を見ていると

なんだか不思議な感覚が込みあげて来る

それは、少し ミジメさ を含む感覚である


ある日、この 不思議な感覚 の正体に気づいた・・・・


「 これは 養鶏場だ・・・・・・ 」


養鶏場ではニワトリに効率的にエサを与える為

一列に並んで飼育しているニワトリの前に

雨どい のようなエサ箱を設け

そこにエサを流す


回転寿司 とは まさにこれと同じ原理

回転寿司 を通して 養鶏場のニワトリさん の

心境が理解できたような気がします


私は、鳥の唐揚 が大好物

ニワトリ様に感謝して戴かなければいけないと

感じる次第でございます。

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死んだら成仏する義務

2013-04-20 | 宗教
♪ 運が良いとか 悪いとか そうゆうとって

確かにあると  あなたを見てて  そう思う ♪


さだまさし さん の歌にこんな歌がありました

この歌 

たぶんフォークソングだとは思いますが

フォークソングではないような気もします

ドンヨリとした暗い歌です


演歌でも 浪花節でもない冷たくて 暗く、陰険な雰囲気は

どうにも好きになれません

この歌を歌っている人も、あまり好きではありません

でも、言っている事は確かにそのとうり・・・・・

何をやってもうまく行かず不幸の連続、

健康問題、 家庭問題、 親子問題、 金銭問題、 

夫婦問題  不慮の事故  天災 ・・・・・ 

本人の努力や人格とは全く関係なく

これでもか! これでもか!  と言わんばかりに不運や不幸が押し寄せてくる

幸運、不運 は そのひとの人格に対して

決定的な因果関係はないと感じます


「 あんな 真面目で、心優して、誠実な人が どうしてなんだろう・・・・」


こういう言葉は誰しも耳にする言葉ではないでしょうか


「 運命は、自分の 心 が決定付ける 」

確かにそのとうりだとは思います

心のあり方次第で運命は良くも悪くも左右されます

でも・・・・・

それだけではすべを説明し切れません

私は今までその多くの例外を見てきました


神仏を拝めば不運や災難から逃れる事ができるのか?

残念ながら、これも決定的な因果関係は見受けられない

私は今まで、多くの現実を見てきました

信仰深く、真面目で心優しい人こういう人がなぜか 不運の嵐

神 は実在することは確かです

神  はすべての人間に対して平等です

拝んでくれた人は助け 拝んでくれない人は 助けない

全知全能の神がそんな事をするでしょうか?

そんな肝っ玉が小さい存在 であるはずがありません・・・・

一個人の範疇で 「 人の運命 」 を検証するなら

人間の運命を決定付ける最大の要素はなんであるか?

私は若いときから常にこのことを考え、研究し続けて来ました


今現在の私の結論

1 霊統  (祖先との霊的なつながり)

2 因縁  (祖先から受け継ぐエネルギー)

3 血統  (肉体の遺伝的要素)


この三要素が人の一生を左右し決定付ける 最大要素

この3要素を説明するには膨大な時間を必要とします

まずは   1 霊統    2 因縁 
 
この2つを を絡めて説明させて頂きます


「 自分 」と言う一見独立した存在であるかの如く見える「 霊魂 」 は

実は先祖の魂 と表裏一体となっています。

例えていえば・・・・・

ある不愉快な事がおきて無性に腹が立った。

物凄く悲しいことがあり、胸が張り裂けそうになった。

こういう場合、胃が痛くなったり食欲が無くなったりします。

これは  想い ( 念・魂 )= 魂  は自分の肉体のなかで 形となって現れのです。

自分の 想い ( 魂 ) は決して自分の肉体を痛めつけてやろう

などと考えているわけではありません。

ただ、 表裏一体 であるだけです

別の例えをするなら、
親と自分の関わり・・・これは 「 自分の 想い と 自分の肉体 」
との関係と全く同じ事だと思います。

子供が苦しめば 親も苦しむ、親が苦しめば 子供も苦しむ。
これも、表裏一体

それを、もっと拡大して突き詰めて考えるに
 
先祖の 念 が子孫に影響を及ぼす 

自分の境遇、 自分の心境、 自分の方向性、 自分の嗜好、その他ありとあらゆる
 
「 自分の個性 」のなかには 自分でない 背景が横たわっている

これこそが人間の運命を決定する

 最大の要素

その 「最大の要素」 がその、要素の表面の一部として
姓名に現れる (微弱なシグナルではあるが)
その要素 と波長が合う名前を呼び寄せる
 
これは、画数云々 と言う事以前の問題で 姓名の 雰囲気 に現れるような気がします。

姓名は 自分という 複雑で巨大なな実体の表面の一部であると考えます

これはあくまで 「 表面の一部 」

であり 人間そのものの本質 ではありません

でも、姓名にはその人固有の雰囲気 があります

「 雰囲気 」 などといった曖昧な主観的な言葉は全く理論性や合理性がありません。

理論性や 合理性 が無い事を主張して 、もし、仮にそれが当たっていたとしても、

これは 「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 といえます。

私はいままで多くの人の 性質や 背景  を 姓名 を見ただけで言い当ててきました。

その性質をどのように生かしてゆけばよいかのアドバイスも多くしてきました


理屈で考えれば これは、 「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」  です。


 しかしながら・・・・


「 まぐれ当たり 」 「 偶然 」 も、連発すればあながち 否定もできない。


これは、私の私自身に対する 評価 です。


それが結果的に 人の幸福につながるなら無意味ではない

実際に私はこのことで多くの実績をあげてきました


祖先の霊魂の 「 想い 」 「 心境 」 が子孫に現れる。

と前に述べましたが、

祖先やお亡くなりになった両親は 「 過去 」 です。

魂や霊魂の世界(あの世)には時間も空間もありません。

即ち 「 過去が現在 」

でも、肉体を持っていま現に 生きている 人間にとっては
過去を操作することは不可能です。

 ‘今 ‘があるのみ です

同時に ‘ 未来 ‘ に対する 責任 があります。

ここで言う ‘ 未来 ‘ とは

「 自分が死んだら成仏する責任 」です。


前に述べました、「先祖の苦しみが子孫に現れる 」

これを 自分 という立場でどうとらえるか?

自分が死んだあと 自分と 霊統 でつながっている 血縁者 に 対して
 自分の霊魂 が影響を及ぼす。

そういう意味で 「 自分が成仏する責任 」 がある。

自分が成仏すれ自分と霊統でつながる すべての子孫にたいして
大きな幸福をもたらす事ができる。

ここで重要なのは 

‘ 魂の世界‘  や ‘あの世‘ には時間がない。

過去も 未来も 無い

即ち、先祖から受け継ぐ 因縁 も中和できるということです。

 自分が成仏する ?

意味がわからない・・・・・

これは私が思いついた言葉です

自分が成仏するとは 

自分が幸せになる義務 を意味します


「 人間は幸せになる権利がある 」

この言葉は間違っています

‘ 権利 ‘ などと言ったアヤフヤなものではありません

幸せになることは 

人間に与えられた 義務 です

自分が幸せになる事が 最大の先祖供養です

同時に、子孫や 霊統 で繋がるすべての親族に大きな幸福をもたらすことになるのです。

自分の事などどうでも良いとか、来世があるさ、

一見、悟りの境地のように思えますが、私が思うにこれは 義務の 放棄です
 
憎み、 恨み、 嫉妬、 未練、 怒り、 悲しみ、 心配、 後悔 

などあらゆる悪想念を 抱えて死んで行ってはいけない

もし、今生でこれが出来ない場合、マイナス要素を自分が死んだ後も引きずることになります

これは、自分だけの問題ではありません

自分という魂が 過去と未来に対して大きな影響を与える事になるからです

自分の人生  自分のあり方  自分の行い  自分の想念 ・・・・

これらは 最終的に自分と 霊等 因縁 血統 で繋がるすべての人に

大きな影響を及ぼす事となります

「 死後の自分 」に対しても責任を待たねばならないと思います。


続く






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愚かな建物

2013-04-20 | 思う事


一宮市市民会館

毎日 仕事に出るとき必ずこの前を通ります。

なかに入ったことは一度もありませんが

かなり立派な建物です

外壁はレンガ張りで造りもしっかりしています。

広い駐車場も完備されていて

多くの集客が可能な施設であると思うのですが


駐車場が一杯になっている光景を一度も見た事がありません。


日曜日は仕事が休みなのでこの前を通ることはありません

ひょっとすると日曜日は満員の状態になっているのかもしてません


でも、土曜日は時々ではありますが

仕事ととなります

土曜日なら、満員の日があっても良さそうですが


一日を通して観察していても

満員となっている状態は一度も見たことがありません


私が思うに

建物に大きな問題があるような気がします



これは酷すぎる

鉄筋コンクリートの外壁に 植物を這わせています

何を意図してこのような事をしているか理解に苦しみます


それも、建物の東側

すぐ近くを走るバイパスからは この奇怪な姿だけが目に入ってきます

建物の外壁に植物を這わせる

これは絶対にやってはいけないことだと思います


こういう建物に近づいたり、中に入ったりすると

生気が吸い取られてしまうような感覚に襲われます


私はこういう建物には出来る限り近づかないようにしています


日本では昔からの言い伝えで

これはやってはいけないと言われてきました

西洋ではこういう建物はよくあります


西洋と日本では土壌が違います

外国では良くても、日本ではよくない事は他にも多くあると

感じます


私は今まで仕事の関係で多くの家を訪問してきましたが

一般家庭でも

このようなことがしてある家は 残念ながら、あまり好い事が起きない

かなり立派な家であるにも関わらず

廃墟 状態となり

長い間誰も住んでいない家

こういう家には

なぜか不思議と このような状態が多く見受けられます

もちろんこれは、

空き家になったから 植物が外壁を登って来たのではなく

人が住んでいるときに意図的に植えられたものです


現在人が住んでいても、こういう状態だと

ほとんどの場合、好いことは起きません



一宮市は速やかにこの植物を除去すべきだと思います。

それが出来れば、必ず集客力アップのキッカケが出来るはずです



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「許す」 という傲慢

2013-04-17 | 思う事
宗教関係の本を読んでいると

「 人を裁いてはいけません。‘ 許しの心 ‘ を持ちなさい 」

と言うようなお話がでてきます。

こういう教えは

確かに尊い教えであると思いますが

この言葉を浅はかな捉え方で吸収してしまうと

大きな落とし穴にはまるような気がします


私が20代の頃  深夜アルバイトで働いていたレストランに

Tさんという50代の男性がいました

Tさん本職は 洋服の仕立て職人 

近年、洋服をオーダーメイドする人が激減して

本業だけでは生活できる収入を確保できない

やむを得ず、毎日8時間、パート社員として

このレストランで働いていました。


Tさんの仕事は主に 仕込み でした。

店に出たり、厨房で料理を作ったり といったことは

一切できません

野菜を切ったり、米を研いだり、皿を洗ったり

といった 裏方の仕事のみを毎日黙々とこなしてゆく

そういった仕事を任されていました

このTさん、真面目で大人しく、温厚な人柄

悪い人ではないけれど

周りの評判は物凄く悪い

何故かというと 

Tさん 常に マイペース

ピークの時間 他の人達は必死になって走り回っているときも

自分だけは常に涼しい顔をしている

人手が足りないとき、他の人達は、自分の担当以外

の仕事でも無理をしてでも助け合う

Tさんはそういう状況でも、自分の仕事さえ切りがつけば

あとは、さも仕事をしているようなフリをして時間を潰す


他の従業員はこういうTさんの態度に相当イラついている

しかしながら

従業員のなかで

Tさんが最年長であったこともあり

Tさんをバカにしたり

感情的に苦情を言ったり

そういった態度は誰もしませんでした

そういった意味でこのレストランの従業員はみな紳士的な

人ばかりでした

「 あれでも、Tさんは Tさんなりに精一杯やっているのだろう 」

そう言って、Tさんの態度をかなりの部分で黙認していました


それでも、ごくごく稀な事ではありますが

忙しいとき 誰かが Tさんの態度に腹を据えかねて

強い口調で 

「 Tさん! 少しは周りの状況を考えてください!!!! 」

「 Tさん、早くやってください!!! 」

などと言ったりすることがありました。


こういうとき私は Tさんをフォローしようと思い

Tさんのそばに近づくと

Tさんが必ず言う言葉


「 ああいう人はどこにでもいるけど、私は憎んだり怨んだりしませんよ

‘ 許す ‘ という気持ちが大切だからねー 」



  許す??????? 



この言葉、Tさんが使うべき言葉なの?


口まで出掛かるけどいつも我慢しました


いつも許されているのはTさんであって
他の多くの従業員ではありません

要するに、Tさん 自分の立場 自分の状況 自分の能力  

がまるで分かっていない


Tさんの「 許す 」 という言葉の裏には

傲慢さがあるのではないでしょうか・・・


じつは許されているのは Tさん であり

許されている Tさんが

人を 「 許してやる 」 などと思うのは全くオカシナ話であると思います



Tさんは極端な例ではあるけど、

Tさんに限らず

 ‘ 許す という傲慢 ‘ を

何の恥じらいも無く犯している人を時々見かけます。


こういう人は 、何らかの宗教を信じていることが多いと感じます



これが 「 宗教の落とし穴 」であるといつも感じます


わたしは常々 ‘ 人を許す ‘ と言う言葉に対して

大きな警戒感を抱いています。

この言葉を軽々しく発する人を見ると何かの違和感を感じます


誰かに対して腹が立った瞬間、

許してあげよう と思った瞬間、

「 許されているのは実は自分ではないだろうか? 」

常に こう自問自答してゆく事が大切であると

自分に言い聞かせる今日この頃でございます。


 
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棚からボタモチ 

2013-04-13 | 出来事


私がサラリーマン時代のことですが

同じ会社にM君という同僚がいました

このM君、年は私と同じだが会社のなかでは私の後輩でした

彼は私の当時働いていた会社に中途採用で入ってきました

私は彼と同年という事もあって

右も左も分からない彼に対して

早く職場になじむ事が出来るよう色々気配りをして

出来る範囲内であるが面倒を見てあげていました

彼は気さくで愛嬌のある男でした

彼と出会って約4年後の事です

私は兄弟会社に出向となりました

私が出向した会社では 竹 様という実力者のおかげで、

治外法権 状態のなか 至れり尽くせり の待遇となりました


それから約6年の歳月が流れました


私は再び元の会社に戻ることになりました

元の会社の戻り、M君と再会


6年前、まだ平社員であったM君は

私と同格の職位に着いていました

彼もこの6年間、相当努力したのだろう・・・・

彼のスピード出世を嬉しく思いました

しかしながら・・・・

このとき会社の情勢は極めて不穏な状況でした

会社は長い不況のあおりで リストラ戦略 を開始していたのです

会社の立場もよく判ります

リーマンショック以降、今までの経営体制を維持することは

不可能です。


厳しい自由競争のなか会社か生き延びてゆく為には

綺麗ごとだけでは済まされない

残念ながらこれが社会の実態です


会社はとにかく人件費を削減したい  人員を減らしたい

企業は数字で動いている。

会社の方針として人件費を30%減らせと言う事になれば

法律に触れない限りどんな事をしてもそれを達成しなければなない。

そこに 人情 だとか 昔の恩 過去の実績 などという甘い理屈は通用しない。

あるのは 数値目標のみ

そういった厳しさのなかで経済は動いていると思う。

会社は

給料の高い役職者に対して 揚げ足を取り  を始めました

何か理由を見つけて降格させようと

目を光らせていました


私が会社に戻ったときには既に3人の役職者が槍玉に上げられ

降格されていました

私が元の会社に復帰したことは

結果として、職場の生態系 を乱す事になってしまいました

私が復帰した事により
会社はあと1人生贄(生贄)を見つけなければならない

役職をもつ人間のあいだには
不穏な雰囲気が常に漂っていました

役職でない社員のなかには
劣悪な待遇に耐え切れず
最終的に 自主退職 に追い込まれた
人間も多くいました

誰しも生活がかかっている
降格の犠牲者になりたくない
仕事を失いたくない

でも、誰かあと最低1人は降格の犠牲者となる

私も、M君もその例外ではありません

そんな状況下で

M君は信じられない態度に出ました

M君、私の足を引っ張るような行為を始めたのです

初めは、些細な嫌がらせでしたが、
それはだんだんエスカレートして行きました
いつしか彼は
露骨に大人気ない嫌がらせをするようになっていました

昔の恩を忘れて、今になって手のひらを返したように
私に牙を向けてくる

彼は私の評価が落ちるような状況を
意図的に作り出し、私を追い込んできました

何とも哀しい現実でした

とにかく生き残ろうとする意欲はある意味立派にも思える。

同じ同僚のなかには追い詰められて 遂に最後は人間として

 ‘ 最悪の選択 ‘をした人間もいる。

最悪の選択をする者より、M君のほうがまだマシなような気がする。

彼の気持ちもよくわかる

彼の行為を軽蔑する気持ちもない

そういう人間になってしまった彼自身も犠牲者のひとりであると感じた


M君は6年間必死になって働き 今の立場を勝ち取った

私はその間、他の会社で涼しい顔をしていた

そんな私に自分の立場を脅かされたくないのだろう・・・

彼の執拗な攻撃に対して哀しい思いが込みあげてきました


彼に対して「 やられたら反撃する 」 などという気が起きてこない

彼にも家庭がある。

降格させれたら困るだろう・・・・

でも、そんな事を思っていたら、自分はドンドン追い込まれるだろう・・・・


サラリーマンとして生き残るには反撃する闘志が必要

でも、そんな土俵で戦いたくはない

勝ったとしても

虚しいだけだ

約1年間、彼の攻撃に対して ひたすら無抵抗を貫いた

これはある意味私の弱さだったのかも知れない、

「 武士の礼 」 を持って相手に一撃を加える

これが最も適切な方法だったかも知れない


もっとも、すべての人がM君のような状態に変貌したわけではない

なかには あくまで紳士的に公正な態度を貫いたひとも多くいる


誰しも生き延びなければならない

こういう状態では未来の事など考えておられない。

一日を後切る事だけで精一杯、

毎日仕事が終わると、 「 今日も何とか乗り切った・・・・ 」

と思うだけ。

それ以上のことを考え出したら気が狂ってしまう。

まさに戦国時代です

あれこれ思い悩む日々が続きました


そんな時、ある日、突然

棚からボタモチ が落ちてきました

ある事業をする為の利権が舞い込んできたのです。

それは想いも寄らないところからでした。

私はやはり強運の持ち主なかも知れません

もうサラリーマンは御免だ!!

何の未練もなく、あっさり会社をやめました。

いまは 個人事業主 として有意義な毎日を送っています。



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金持ちになれない人 ①

2013-04-11 | 出来事
10年くらい前のはなしですが・・・・

同じ職場で働いていた同僚A君が私に質問して来ました。


A君  「 金持ちになりたい。でも僕には金運がない。どうしたら金持ちになれるか教えて欲しい 」


「 君は本当にお金が欲しいと願っているの? 」


A君  「 誰だってお金が欲しいに決まってるでしょ 」


「私が君に尋ねているのは、本当に金持ちになりたいと願っているかどうかだよ」


A君  「 もちろん金持ちになりたいと願ってるよ 」


「 いや、君は金持ちになる事を心の底から望んではいない 」


A君  「 あんた、ヘンなことをいうねー 」


「 ヘンなのは君だ 」


A君  「 とうしてだ? 」


「 君、パチンコが趣味だよね、金持ちになりたいならどうしてパチンコをする?
パチンコで財産築いた人が世の中に1人でもいるか?」


A君  「 それは・・・・いない 」


「 金が減るだけでしょ? 」


A君  「 まあ・・・たしかに・・・・」

「 君は金が減ると分っていてパチンコをやっている。
それ即ち金が欲しくないと云う事ではないのか? 」


A君  「 ・・・・・・・・ 」


「 わたしは、金持ちになりたいから絶対にギャンブルはやらないよ 」


A君  「 でも、仮に僕がパチンコをやめたとしても、
この会社の給料じゃいくら貯金しても金持ちにはなれないョー 」


「君は高級な車に乗っているけど、ローンの返済をしていて貯金が出来るのか?」


A君 「 ・・・・・・ 」


金持ちになりたいならまず貯金する事が優先じゃない?
分不相応な車をローンで買う。
これ即ち 金が欲しくないと言う事ではないのか?


A君  「 もし仮に僕が安い軽自動車に乗ってコツコツ貯金したとしても、
今の稼ぎじゃ到底金持ちにはなれないよー 」


「 ならば、人の2倍働くしかないだろ・・・本業が終わってから深夜ファミレスで皿洗いのバイトでもしたらどう?深夜が無理なら休みの日、どこかでバイトでもすればイイでしょ? 」


A君  「 そんな無理な事はできないよー 」


「  でも収入を増やすにはそれ以外方法が無いんじゃない? 
にもかかわらず、それが出来ない?
これ即ち、お金が欲しくないと言う事じゃない?  」


A君 「 そこまでして働いている人なんか僕は今まで一度も見た事がない」


「 そこまでして働いて金をコツコツ貯めて、ある程度の財産を築いた人はいるよ、
君が知らないだけだよ、私は現にそういう人を知ってるよ  」


A君 「 僕はどうしたらよいのか? 」


「 簡単な事だよ、心の底から ‘ 金持ちになりたい ‘ と願えばいい、それが出来れば、君の悪い習慣ははすぐに消えてなくなる。
自然に金が貯まり始めるよ 君は、今まで口では金が欲しいといいながら、
心の奥底で 何とかなるさ と思っていたんじゃない? 
何とかなるさ で金持ちになれるはずがないだろ? 」


A君  「 ・・・・・・・・・・・・・・ 」



A君とのそんな会話があったあと

約半年くらいは彼と会話する機会は一度もなかった


正直言って 私はA君のことがあまり好きではなかった


彼は何でも知ったかぶりする性癖があった最新の情報や

彼が知っているはずのない話を私がすると

彼は決まって 「 うん、そうだよ 」 と返事をする


「 うん、そうだよ 」 とは

「 そんなこともちろん知ってるよ 」

というニュアンスのある返事であると感じる。


「 なるほど・・・・ 」 とは絶対に言わない


こういう人と話をしているとこちらもだんだん不愉快になってくる。

そういった事もあって、あえて私から彼に話しかけることしなかった。


彼と私は部署が違っていて毎日顔を合わせて仕事をしている訳ではない。

たまに、すれ違うと社交辞令程度の会話をするのみだった。



そんなある日、彼が私を呼び止めて話しかけてきた


A君  「 いい儲け話があるんです!!! 」


どんなイイ話があるの?



A君  「 絶対に儲かる話なんです 」


競馬の予測屋にでもなったのかい?



A君  「 いや、そんな話じゃないんです。僕はギャンブルから足を洗いました 」


それはよかった、ならばどんな儲け話があるのかな?



A君  「 IP電話の回線とサーバーの所有権です 」


ナニそれ?


A君  「 知らないんですか? これからIP電話回線の時代です。
サーバーの権利をもっていると自分の管轄のIP電話番号を誰かが使ったらそのたびに
回線使用料がは入って来るんです」


絶対に儲かるのか?


A君  「 はい、絶対にです 」


ならば辞めといたほうが良いよ、絶対に儲かる などという儲け話はあり得ない。
もうその時点で怪しいと思うのが金儲けの原則じゃない、


A君  「 うん、そうですよ、 でも、これは確かな話なんです 」


どうせキャバクラの姉ちゃんから勧められたんでしょ?



A君  「 鋭いですね!! ええ、実は昔からよく知っている。
女の子から持ちかけられたんです。
でも、この子は本当に良い子で絶対に人を騙すような女ではありません」


たぶんその女の子は騙すつもりなど無いでしょう・・・

その女の子も騙されているだけだでしょう・・・・


A君 「 そんなハズはありません 」



世の中には一定のパターンというものがあるだよ、その女の子は優しくて、
ハンサムな男に話を持ちかけられてその男に金を貢いでいる。

そして、それは更にエスカレートする。
ハンサム男を喜ばせたい一心で、話に飛びついてきそうな男を見つけると
誰でもいいから手当たり次第勧誘する・・・・

これが、色と欲にまみれた男女の生態系なんだよ、最終的に儲かるのは 
胴元のハンサム男 だけさ・・・ハンサム男 はその金で豪遊する。
でも、ハンサム男、最後はヤクザ屋さんの眼にとまり、金を巻き上げられる・・・
こうやって裏経済は循環しているだよ


A君  「 うん、そうですよ、 でもねー この場合は信用できる話なんです 」


それほど信用できる話なら、好きなようにしたらいいんじゃない・・・・
でも、私は遠慮しときますよ 


A君  「 ・・・・・・・・・ 」


こんな会話があってから約1年後、彼は突然会社を辞めてしまった

何があったかはだいたい察しがつく。


後から知った話だが、彼はサラ金で金を借りていたらしく返済期限が来ると
サラ金業者から会社に頻繁に電話が入っていたらしい。

その後、会社の出入り業者からある情報が入ってきた。


彼は、会社を辞めたあと、〇〇市の駅裏のキャバレーで客引きをしているらしい


これも 運命選択の自由 でございます









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静岡にやってきた

2013-04-07 | 静岡遠征


静岡にやってきた

私は昔から

静岡の人は良い人ばかりという印象を持っていました

私が今まで関わった静岡人の中に

私から見て 嫌な人 はひとりもいません

これは単なる偶然なのかもしれませんが

その偶然の背後に 何らかの縁 というものがあったのかも知れません

私にとって縁もゆかりもない土地ですが

なぜか親しみを感じています

今回、 静岡の   風  と   人   に接して改めて感じました

やはり、静岡は良い所です


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占いの限界

2013-04-03 | 姓名判断
姓名判断とは 人の姓名の画数でその人のもつ特性をを判断する

人の性格や個性 ・ 志向 ・ 家庭環境 ・ 対人関係などを推測する占いである

あくまで占いは 占い 、科学的な根拠はない


統計的手法で真偽を正そうと思っても簡単には答えが出ない

確かに姓名判断上、明らかに悪い名前の人は

微弱な範囲ではあるが不運や障害に遭遇する確率は高い

だけど、人間誰でも一生のうちで一度や二度は必ず悪い事が起きる

名前が完璧なら その人は一生涯幸せな日々が続くのか?

悪い事や不本意な事は何一つ起きないのか?

そんなハズはない

人間誰しも必ず失敗はあるし、不運な時期がある失敗やピンチを教訓にして

それを如何チャンスに変える事ができるかどうかが重要な事であり、

失敗しない事が必ずしも 最善 とは思えない

もし、失敗しない事だけを人生の目標にしたなら

「 何もしない 」 に限る

そんな人が幸運な人になれるのだろうか?



三千人近くの姓名を分析しているうちに、

名前に良い悪いがあることは 何となくではあるが分かってきた

でも、大きな矛盾も感じる仮に同姓同名の人間がいたとする

この2人の人間は住む環境も、生い立ちも、仕事もまったく違う

もし、姓名判断のみでこの両者の特長や性格、運の強弱を判断したなら

両者とも まったく同じ答えがでてしまう


この両者は果たして瓜二つな人間なのだろうか?

似たような運命をたどるのだろうか?

そんなハズはない


仮にこの両者が 「 基本的に同じ傾向の運勢 」があったにせよ

まったく別々の 個性的な人生を歩むはず

ならばその「 基本的に同じ傾向の運勢 」 の意味するところは

あまりに漠然としていて具体性がない



即ち、それは、たった 5つのパターンで性格を占う血液型占いと同列となってしなう

血液型判断が当たる理由は簡単である

どの答えを当てはめても ハズレ にならない答えが用意されているだけの事

人間誰しも 頑固なところを持っている

人間誰しも いい加減な所がある

人間誰しも 几帳面な所がある


それは誰にも当てはまる事だから

そのうち1つをモットもらしく指摘されれば

あたってる!!!  と言う事になる


姓名の画数のみで その人固有の運勢や特性が分かるはずがない

ならば、姓名判断はまったく意味がないのか?

ここからが神秘の世界

私が身に付けた ‘ 姓名判断術 ‘ は直感的な手法であり

非科学的で 理屈では説明できない世界のお話となってしまう

科学的であろうとなかろうとそれが、人のためになればそれでよい

そういう思いで、この技を使う決意をした

続く

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