「 神州清潔の民 」
この言葉を始めて知ったのは、
高校生の時に読んだ、
長編小説 ・・山岡荘八著の『 吉田松陰 』
だった。
この作品は、松蔭の幼少期に受けた教育や、
当時の家庭環境などが、ドラマ仕立てで表現されていた。
松蔭の幼少期を描くなかで、頻繁に出てきた言葉が
「 神州清潔の民 」であった。
この言葉の意味するところは、
「 大和民族は古来より、
清潔を重んじて来た誇り高き民族である。」
戦国時代(16世紀)に日本にやって来た宣教師は、
日本の街や、個々の家庭生活習慣などに触れたとき、
日本人が清潔である事に驚いたようだ。
箸を巧みに使いこなして食事をする姿にも驚いた。
当時、西洋では、フーオークを使わず、ナイフだけを使い、
あとは、手で食事をしたいた。
山岡荘八の描く幼年期の吉田松陰を取り巻く環境のなかには、
その根底に「 清潔の民 」という価値観が表現されていた。
日本人は、当時から風呂好きで、貧乏で金が無くても、
とにかく風呂を沸かして入ることに
意義を感じて努力していたようだ。
今になって私が思うに・・・
日本人の底力は、「 神州清潔の民 」
という言葉に秘められているような気がする。
日本が世界に誇る、
精密な技術も、繊細なサービスも、お行儀の良さも、
こういった精神的な基盤の集大成であると感じる。
私の好物は「鳥の唐揚」
時々ではあるが、
街の中華料理屋に「鳥の唐揚定食 」を食べに行く。
今まで多くの店で、鳥の唐揚を食べてきた。
そのなかで感じた事・・・
これは昨日、行った台湾人が経営する
街の中華料理店の厨房の様子。
ステンレス張りの壁面がピカピカになっている。
カウンターや、テーブルも、油汚れなどまったくない。
余計な私物や、運営に関係の無いものは一切置かれていない。
テレビが置かれていない場合が多い。
この様子を見ただけで、この店の実力が判る。
こういう基本的な部分での清掃が
徹底されている店にハズレはない。
何を食べても美味しいし、満足感がある。
そして、客層も良い。
台湾人の経営する店は、ほぼ例外なく
基本的な清掃が徹底されている。
その反面、
日本人が個人で経営している街の中華料理屋は、
失望する事がよくある。
テーブルの上に置かれた、
調味料やラー油などの容器はは、油でコテコテの状態・・・
汚れた小瓶に入っているラー油は酸化していて、
古い油独特の風味がする。
なぜか、壁には野球選手か、売れない芸人のサイン色紙が
ラップに包まれた状態で貼ってある。
厨房の壁は、黒い油や煤がゴッテリと蓄積した状態・・
厨房で料理する人間は、やたら音を立てる。
通常、料理人は白衣か、専用のユニフォームを着用するが、
こういう店の調理人は、普段着を着て、エプロンすらしていない事もある。
たぶん、出前を受けた時、そのまま出発するためだろう・・・
こういう店は、多くの場合客層が悪い。
こういう店には必ずテレビが置いてあり、
なぜか、野球中継やスポーツ中継が大きな音量で流されている。
テレビの周辺には、埃まみれになった神社の御札や、
呪いみたいな札が置かれている。
その、無神経さに驚かされる。
埃のかぶった、熊手や布袋様とか・・・
といった縁起物が置かれている光景もよく目にする・・・
行儀の悪いオヤジが、カウンターで
野球中継を見ながら餃子をつまみにビールを飲み
クダ巻いている事が多い・・・
この光景を見ただけで、この店の料理の質が分かる・・・
思わず引き返したくなる。
この状態では、売り上げは、常連客を相手に、平行線。
若しくは、下降の一途。
適正な収益が出ているとは思えない。
こういう店にも、ごく稀に、「 大当たり 」があるが、
それを見つけるまでにはリスクが高い。
わたしは、日本の文化に誇りを持つ愛国者ですが・・・
この現象に関してのみ云える事は・・
「 情けない・・・」である。
この部分に関して、日本は負けていると感じる。
こういう、台湾の方の姿勢に敬意を抱く。
これから台湾は躍進するだろう・・・