名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

ミラクル白ウサギパワー全開!!

2016-04-30 | 出来事
熱心な仏教徒のあるお方からメッセージが届いた。

捨て身でバカ道まっしぐら!!!

なんとも、力強い御言葉・・・
素晴らしい御言葉に、
ミラクル白ウサギ、パワー全開


思うに・・・

利口すぎて、バカな人もいる。
バカ過ぎてバカな人もいる。

どうせバカなら、
悪あがきをせず、バカを極めてやろう。

一善意、一善に、意味など求めず、
自分の良心の声のみを恐れ、それに従う。

これがウサギ講のスローガン。
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昨日の新聞を読む。

2016-04-29 | 思う事

3年ほど前、
新聞を取るのを辞めました。

でも・・・
毎日、新聞がポストのなかに入っています。
お金は払っていません。

ただし・・・その新聞は、
昨日の新聞です。

1日遅れの新聞???

そんな事、新聞販売店がする訳がありません。

実は、この新聞は、近所に住んでいる、
私の母親が毎日、私の家のポストに入れているのです。

私の実家は、毎日新聞を取っているので、
毎日、不要になった昨日の新聞を私の家に
配達してくれているのです。

私は毎日、昨日の新聞を読んでいるのです・・・

こういう変わり者は、
1万人に1人位いるかもしれません。

でも、これからは、
私のような人がどんどん増えてくるような気がします。
( とは言え・・・1万人に対し、10人・・・程度かな? )

新聞社・・・
私が大嫌いな物の一つです。

新聞社に金を払うのはシャクに思えます。

それに、いまはインターネットから、
いくらでも情報が入ってきます。

新聞社とは、
「 社会正義を気取る、シタタカで、傲慢な権力 」
であると思っています。

そのなかでも最も醜悪なのが、
朝日新聞であると思います。

「 必要悪 」という言葉がありますが・・・
朝日新聞は、「 不用悪 」だと思っています。

もし、朝日新聞を擁護したり、推奨する
文化人がいたとしたら、
そういう方のお話など、聞く耳を持ちません。

新聞とは、「 瓦版 」であり、
まったく存在価値がないとは言ってしまったら、
それは、あまりに極論過ぎるとも感じます。

瓦版(かわらばん)とは?
江戸時代、天変地異や火災、事故など時事性の高い情報を、
速報性を第一に、記した「 情報紙 」

新聞社とは、本来「 瓦版屋 」であり、
その領域で商売してるなら、何ら問題はないと思うが、

その「 分 」をわきまえず、イデオロギーを持ち始め、
言論の自由を盾に、
揉み消し・捏造・操作・を頻繁に行うようになった。
それは、結果的に「 権力 」となってしまった。

その権力は、情報操作による「 実行支配 」を
画策するようになた。

A新聞の経営理念とは、、
「 国家転覆 」に他ならない。
( チョット過激な言い方ですが )

とはいえ・・新聞社の本来の業務である、
「 情報誌 」 という意味では、
読んでいて役に立つ事もあります。

その「 情報 」とは、1日遅れで読んだとしても、
別段支障が無い程度のものです。

溢れる情報と、加速する流れの速さ・・・
それに振り回されては、「 軸 」がブレてしまいます。

株式投資をする人を例にすると・・・
毎日、何種類もの新聞を読んでいる人で、
大きく儲けたひとは、
私の知る限り1人もいません。

株式投資で、確実・着実・堅実に儲けている人は、
4~5種類の新聞を毎日読んだりしないのです。

ある程度、情報を遮断すべきであるとも思います。

新聞如き・・
金を払ってまで読む気にはなれません・・・

そんな事に金を使うくらいなら、
鳥の唐揚定食を食べる事に使ったほうが、
よっぽど有意義であると思えます。

でも・・・新聞は、タダなら、読んでも良い・・・・

新聞は、1日遅れで読むくらいで十分だと思っています。

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イザと言う時の為に。

2016-04-25 | こだわり
危機管理・・・

これは、私がいつも持ち歩いている鍵です。

鍵には必ず「 笛 」が付けてあります。
この習慣は、30年位前から一度も怠った事はありません。

一歩家を出ると、思わぬ危険が潜んでいます。

何らかの理由で密閉空間に閉じ込められたり・・・
怪我などで身動きが出来ない状況となったり・・・
大きな声で助けを呼ぶ必用が生じたり・・・

そんな緊急事態の為に、笛は常に携帯しています。

この笛は、自分を守るばかりではありません・・・

自動車で人を乗せているとき、
何か、チョットした理由で、
同行者を1人で残して、車を離れる場合、
2~3分で戻るような短い用事であっても、
夜などは、( 同乗者が女性の場合 )、
状況に応じて、
この笛を渡して車を離れるようにしています。

もし、何者かに襲われたり、危険が迫った時、
この笛の音が聞えれば、
すぐに駆けつける事が出来ます。
それ以前に、笛の音は、威嚇にも役立つはずです。

以前、私の仕事上の関係者が、
悲しい亡くなられ方をされました・・・・

郊外の田畑に囲まれた、
古い民家に仕事上の用事で、
訪問したときのことです。

その家の庭には、
貯水の為に掘られた深い穴がありました。
その穴は、木の板でフタがしてあったのですが・・・

長い間このフタは開けられた事がなく、
その上には苔が生えたような状態、
その方は、知らずに
この蓋の上に乗ってしまったのです。
その結果・・・
井戸のような細くて深い穴に
立ったままの状態で落ちてしまったのです。

穴の底には水がありましたが、
幸運にも、顔だけは浸かる事なく、
呼吸は出来る状態だったようです。

溺れ死ぬような状況ではなかったのですが・・・
そこから自力で這い上がる事は不可能な状態・・・

その2日後にやっと・・・
悲しい姿で発見されたのです。
大声で、助けを呼び続けたはずですが・・・
その声は届かず、ついに力尽きたようです。

この方は、いま成仏されていますが

 俺のような死に方するなよ!!! 

と、あの世から、多くの人に、
「 念 」を送っておみえになります。

このような危険は思わぬところに潜んでいます。
「 自分の身は自分で守る 」
笛は、その為の必需品です。



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ウサギ講の「無限供給理論」

2016-04-24 | その他
地震等の災害が起きた時、
一番重要なのは水の確保であると思う。

「 自分の身は自分で守る 」
「 お上や、人様を頼りにするな 」
いつも、これを自分に言い聞かせています。


我が家の軒下には、常に水の入ったポリ容器が
備蓄されています。

20リットルの水の入った容器が6個、
一年に1~2回位、水を新しいものに入れ替えています。

この容器を持って、水道の蛇口があるところまで
6回往復する事は、かなりの重労働です。

この容器はの容量は、20ℓ。

私は、これを筋肉トレーニングだと自分に言い聞かせ、
行っています。

自称・合理主義ウサギ
の私としては・・・

高い金を払って、筋トレジムに通う位なら、
金が掛からず、なお且つ、実益があることで、
筋肉トレーニングをすべきだと思っています。

この水は飲料水としては使えませんが。
身体を洗ったり、洗濯をしたりする事はできます。


このポリ容器は素晴らしい
中の水は、3年間、
飲料水として使用する事ができる。
但し、光のあるところに置いておく必用がある。

20年前、4千円位で購入しました。

戸建ての家に住んでいる人間は、
この位の装備は、最低限の事として
準備しておくべきであると思います。

マンションや、アパートに住んでい人には
無理なことであると思いますが、
一軒家に住んでいる人にとっては、
さほど負担の掛かる事ではないと思えます。

これが、徹底されれば、災害時に自治体や、
ボランテュアなどから、
配給される水の需給がランスが改善されるはずです。

結果的に、
「 自分を助ける 」
と同時に、
「他人を助ける」 事になるのです。

これを、ウサギ講では、
 無限供給 
と呼んでいます。

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緊急・非常装備

2016-04-23 | こだわり
危機管理とは、
「 自分の身は自分で守る 」
という大前提を踏まえたうえで、
自らの責任に於いて果すべき義務であると思っています。

特に、突然にして襲い掛かる危機に対しては、
瞬時に対応できるよう、
常日頃から、非常事態を想定して、
それに対する対策を講じておかなければなりません。

我が家の「 緊急・非常装備 」

玄関のホールの本棚には秘密が隠されている。


この装備は、危機が迫った時、一瞬にして取り出せる状態で
本棚のなかに、収納されています。

突然襲い掛かる危機とは?
強盗
泥棒
火災
写真の「 緊急・非常装備 」は、
この3点に対応する為の防備です。

・・・酸素缶・・・
火災が発生したとき、頭から大きなポリ袋を被り、
そのなかに酸素を充満させ、突入。
取り残された人間を救出する。

・・・皮手袋・・・
( 軍手では役に立ちません )
火災発生時に着用
刃物を持った暴漢に応戦し、取り押さえる。

・・・ヌンチャク・・・
強盗などが押し入ったとき、
屋内に於いては、障害物が多いため、
木刀などで応戦する事は出来ない。

木刀は、攻撃には有効だが、
「 身動き封じ 」する事はできない。

ヌンチャクは後方から敵の首を挟み込み、
身動きを封じる事ができる。

相手が刃物を持っている場合、振り落とす事ができる。

・・・ロープ・・・
ロッククライミング用のロープで、
100kの重量対応する。
建物の2階から脱出する事も可能。

泥棒や、強盗を取り押さえたとき、
「 お縄 」にする事が出来る。

・・・ヘルメット・・・
このヘルメットには、透明色の「 防災面 」
が取り付けされています。
この「 防災面 」は、飛来物や粉塵、から
顔面を保護するばかでではなく、
耐熱強度ある為、電気爆発のような、
吹き上がる炎からも顔面を守ることができます。

・・・・・・・・・・・・・・・

この家に住んで、21年間になりますが、
この装備は、未だかつて、
一度も使ったことはありません。

たぶん、これからも使うことは無いでしょう・・・

ただし、この装備は近所の家で発生した
緊急事態にも対応できます。

近所で事件が発生したとき、
「 月光仮面 」ならぬ、
「 月光ウサギ 」が出動します

「 無駄ではあるが、無ければ成らない装備 」
であると感じます。

無意味なことに意義があるのです。

危険を想定し、
それに対するできる限りの対策を講じたならば、
その時点で、未来に起き可能性のある
「 最悪な事態 」( 運命 )が、
「 最も適切な方向 」に修正されるのです

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死に方に良い悪いなど無い

2016-04-21 | 宗教

「 あのひとは、よい死に方をした 」
というような言葉をよく耳にします。

その反対に、
「 あの人は、心掛けが悪いので、
良い死に方は出来ないだろう・・」

などというような意味の言葉もよく使われています。

私も、以前は
 ・・良い死に方・・ 悪い死に方・・
と云う目で、人の死を捉えていました。

しかしながら・・・いつしか、
そういう見方はしないようになっていました。

そのような観かたは、軽率であり、
本質から外れた考え方だと思っています。

死に方に良い悪いなど無い

病気で死んだとしても・・・
交通事故で死んだとしても・・・
天災で死んだとしても・・

それは、永遠不滅の生命の、
‘ 一幕 ‘ でしかない。

廻り舞台がグルリと回っただけ。


どんな死に方をしたとしても、
それはそれで、「 天命を全うした 」
と言える。

ただし・・・自殺だけは例外・・・

自殺して楽になったり、得をする事は絶対にない。
この事は、重大すぎることなので、
深くを語ることは出来ませんが

自殺して、楽になった人は、皆無に等しい。

・・例外として・・
精神を煩っていた人の自殺は、
霊的観点では、自殺ではなく、
精神の病という意味で
「 病死 」と言えることもある。

慈愛に満ちた、心優しい慈善家が、
悲惨な死に方をする事もある。

かと思えば・・・
利己的で、意地が悪く、ひとを困らせ続けて来たひとが、
苦しむことなく平穏に、死んで行くこともある。

人間の運命は、
多種多様な、要素が螺旋状に絡まって形成されている。

それは、細い糸を何本も使って
作られた縄のようなものである。

その、細い糸の一本だけを摘み、
「 この糸が原因だ!!! 」
と言ったところで、
本質を見ることはできない。

それ故、占いには限界がある。

「 あの人は心掛けが悪かったから、
良い死に方が、できなかったんだ 」

「 業が深いから、ああなったんだ・・」

などと抜かす‘ 信仰深い人? ‘ 
も世のなかには存在する。

こういう‘ 信仰深い偉い人 ‘ にこそ、
「 業が深い 」という言葉が、そのまま当てはまる。

そういう事を言う 「 自称・偉いヒト 」こそ、
「 ホントウに業が深い 」

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生命は永遠不滅

2016-04-19 | 宗教

寝ている人と会話をする事はできません。
 
その人が、自分の肉親であっても、
どんなに仲の良い間柄であっても、
相手が眠っていたら、交流することは不可能です。

ならば・・・

眠っている人は、寝ている間は、
生きているのではなく、
「 死んでいる 」ことになるのか?

そんなハズはありません。

眠っていても、目が覚めて活動していても、
その人の「 いのち 」は、紛れも無く存在しています。

ごくごく当たり前なことですが・・・
この話は、
‘ この世 ‘ と、‘ あの世 ‘
との関係を説明するうえで、重要なお話です。

動いていようとも、寝ていようとも、
・・・いのち・・ 
( 言葉を変えれば霊魂 )
は、肉体という乗り物のなかに宿り、
「 生きている 」
だから、安心しておられるのです。

人間、いつかは必ず死にます。

死んだら、焼かれて灰になります。

焼かれなかったとしても腐ってしまう。
冷凍保存しても、それは単なる
「 人間の抜け殻 」です。

即ち、
「 死 」とは、
「 霊魂が、肉体を失う 」という事です。

動いたり、対話したりすることが
出来なくなるという事です。

でも、「 いのち 」は、永遠に滅びる事はない。
 
眠っている時も、起きているときも、
‘ いのち‘は存在している
と云う事実と、事は同じなのです。

肉体を失っても、
そこに宿っていた「 いのち 」は、
そのまま継続するのです。

生命は永遠不滅なのです
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初公開・・ウサギの秘密兵器

2016-04-17 | こだわり

‘ 危機意識 ‘ とは、

未来に起こり得る危機をあらかじめ想定し、
それを、回避するための対策を講じること。

危機的な事態を想定し、
その被害や弊害を、
最小限にするための対策を前もって準備すること。

未来に起きるかもしれない危険や、危機な対して
できる限りの対策を講じることが肝心。

「 そんな・・・縁起でもない・・・ 」
「 不安や取り越し苦労が、悪運を引き寄せる・・」
などと思われる方もおみえになるかもしれませんが。

「 一寸先は光 」です。
これを判った前提で、

起こり得る危険や危機を想定し、
それに備えた対策や、準備をする事は、
それが出来来た瞬間から、
未来に起こる、悪い事態を、打ち消す。
若しくは、修正し、最善の結果を導く

即ち、未来に「 悪い現象 」を発生させるはずだった、
 悪いエネルギー ( 悪因縁 )を
打ち消す  
相殺する 
という事である。

これは、言葉を変えれば・・

自分の運命に対する責任感
自分に関わる人の運命に対する責任

この反対が、「 思考停止 」
精神論とか、スピリチャルとか、依存的な宗教思想を、
生半可にかじったひとのなかには、

この、「 思考停止 」
という罠に嵌まってしまったひとも存在する。


これは、私が自作した、我が家の秘密兵器


裏側には、車輪が8個付けてある。
車輪1個、20㎏に対応しているので、
この台車は、160kgの重量に耐える。

車輪は360度全ての方向に回転するので、
小回り自在、どんなに重い荷物を載せていても、
直角に方向を変えることもできる。

必用と想定される最大重量(人間を乗せた場合)
80㎏に対し、その2倍の強度と、
許容重量が確保されている。

軽く・薄く・頑丈
を念頭にして、細部に拘って製作した、
シンプルにして、ベストな兵器である。

この兵器は、多機能を有する。

災害時、水の入ったポリ容器など持ち出したり、
移動したりすする時に使用する。

この台車の上に、コタツの天板など、大き目の板を載せ、
けが人などを移動させる。

冷蔵庫だって持ち出せる・・・
( そんな必用はナイと思いますが・・)

この台車の板に開けられた
横長の楕円形の穴は、大きな意味がある。

1・・・ 持ち運びする為の‘ 取っ手 ‘

2・・・ 重い荷物を載せて移動する時、
この穴にロープや紐を通し、引っ張ることができる。

3・・・ 盾として使う・・
( 機動隊が使っている‘ 盾 ‘の簡易版。)
外敵が襲ってきた時、この台車を立てた状態にして、
その後ろに身を隠し、楕円の穴から前方の視界を確保し、
防御・応戦する。
これがあれば、凶器を持った暴漢から身を守り、
最悪の場合、体当たりしたり、押さえ込んだり、
といった反撃の道具にもなる。。

4・・・ 危険物や、不審物、
得体の知れないモノや、
少しでも不信を感じるモノに接近する
必要に迫られたとき、
この盾で防御しながら接近する。
破裂、爆発などが起きたとしても小規模なら
身を守る事ができる。
大きな破裂や爆発が起きたとしても。
無いよりはマシ。

5・・・凶暴な野良犬などに襲われた時や、
誰かが危険に晒されているとき、
この盾を持って応戦する。


この秘密兵器は、20年前作成して、今尚常備されているが、
この秘密兵器を使ったことは一度もない。

妻は冷ややかな目で見ているが・・・・

無駄である事に大きな意義がある。
一寸先は光です
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‘ 危機意識 ‘ とは?

2016-04-16 | 思う事


「 私は、絶対に騙されたりしない 」
と思っているひとほど、
不当に高額な商品を買わされたり、
巧妙な詐欺の餌食になることが多いという話を
耳にしたことがある。

このような事象を招く最大の要因は、
「 危機意識の無さ 」
ではないだろうか。

‘ 危機意識 ‘ とは、

起こり得る危機をあらかじめ想定し、
それを、回避するための対策を講じること。

危機的な事態を想定し、
その被害や弊害を、
最小限にするための対策を前もって準備すること。

「 自分だけは絶対に大丈夫 」
と思うならば、もうその時点で、
重大な問題の種を撒いたことになる。

どんな人間も、
判断を誤る事は必ずある。

これは、ごくごく当たり前のことではあるが、

この当たり前の事が分からなくなっている状態が、
一番危ない。

この事は、どんな事にも共通する。
自動車を運転する者が、
「 自分が事故を起こす事は絶対に有り得ない 」
と、思ったなら、
この人はいつか、重大な事故を起こす能性が高い。

投資、資産運用・・・など、経済活動
に於いても、まったく同じことが云える。

どんな時も、未来に起こり得る危機を想定して、
可能な限りの資金の「 余力 」を確保しいなければ、
もし、危機的な状況に追い込まれた時、
そこから脱出することは難しい。

危機的状況に追い込まれても、
「 心正しく、神頼みをすれば奇跡が起きる 」
などという甘い考えは通用しない。

危機意識とは、言葉を変えれば、
「 現状分析 → 対策検討 = 危機意識 」

‘ 因果 ‘とは、絶対的に公平である。

「 現状分析 → 対策検討 = 危機意識 」

この基本を守ったものこそ危機を回避できる。
更に、こういう人に、奇跡が起きる。
それは神頼みするしないとは関係がない。

神様は公平であり、
それ故、神様なのだ。


昔、ある‘ 偉い人?‘ が私に言った・・・
「 小売業を営む、大企業 Y が倒産した・・
この会社の創業者は信仰深い人だったが、その息子は
信仰熱心ではなかった、だから潰れた・・・」

呆れて返す言葉がなかった・・・
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神州清潔の民

2016-04-09 | 思う事
「 神州清潔の民 」
この言葉を始めて知ったのは、
高校生の時に読んだ、
長編小説 ・・山岡荘八著の『 吉田松陰 』
だった。

この作品は、松蔭の幼少期に受けた教育や、
当時の家庭環境などが、ドラマ仕立てで表現されていた。

松蔭の幼少期を描くなかで、頻繁に出てきた言葉が
「 神州清潔の民 」であった。

この言葉の意味するところは、
「 大和民族は古来より、
清潔を重んじて来た誇り高き民族である。」


戦国時代(16世紀)に日本にやって来た宣教師は、
日本の街や、個々の家庭生活習慣などに触れたとき、
日本人が清潔である事に驚いたようだ。

箸を巧みに使いこなして食事をする姿にも驚いた。
当時、西洋では、フーオークを使わず、ナイフだけを使い、
あとは、手で食事をしたいた。

山岡荘八の描く幼年期の吉田松陰を取り巻く環境のなかには、
その根底に「 清潔の民 」という価値観が表現されていた。

日本人は、当時から風呂好きで、貧乏で金が無くても、
とにかく風呂を沸かして入ることに
意義を感じて努力していたようだ。

今になって私が思うに・・・
日本人の底力は、「 神州清潔の民 」
という言葉に秘められているような気がする。

日本が世界に誇る、
精密な技術も、繊細なサービスも、お行儀の良さも、
こういった精神的な基盤の集大成であると感じる。

私の好物は「鳥の唐揚」
時々ではあるが、
街の中華料理屋に「鳥の唐揚定食 」を食べに行く。

今まで多くの店で、鳥の唐揚を食べてきた。

そのなかで感じた事・・・
これは昨日、行った台湾人が経営する
街の中華料理店の厨房の様子。
ステンレス張りの壁面がピカピカになっている。

カウンターや、テーブルも、油汚れなどまったくない。
余計な私物や、運営に関係の無いものは一切置かれていない。
テレビが置かれていない場合が多い。

この様子を見ただけで、この店の実力が判る。
こういう基本的な部分での清掃が
徹底されている店にハズレはない。

何を食べても美味しいし、満足感がある。
そして、客層も良い。
台湾人の経営する店は、ほぼ例外なく
基本的な清掃が徹底されている。

その反面、
日本人が個人で経営している街の中華料理屋は、
失望する事がよくある。

テーブルの上に置かれた、
調味料やラー油などの容器はは、油でコテコテの状態・・・
汚れた小瓶に入っているラー油は酸化していて、
古い油独特の風味がする。

なぜか、壁には野球選手か、売れない芸人のサイン色紙が
ラップに包まれた状態で貼ってある。

厨房の壁は、黒い油や煤がゴッテリと蓄積した状態・・
厨房で料理する人間は、やたら音を立てる。

通常、料理人は白衣か、専用のユニフォームを着用するが、
こういう店の調理人は、普段着を着て、エプロンすらしていない事もある。

たぶん、出前を受けた時、そのまま出発するためだろう・・・

こういう店は、多くの場合客層が悪い。
こういう店には必ずテレビが置いてあり、
なぜか、野球中継やスポーツ中継が大きな音量で流されている。

テレビの周辺には、埃まみれになった神社の御札や、
呪いみたいな札が置かれている。
その、無神経さに驚かされる。

埃のかぶった、熊手や布袋様とか・・・
といった縁起物が置かれている光景もよく目にする・・・

行儀の悪いオヤジが、カウンターで
野球中継を見ながら餃子をつまみにビールを飲み
クダ巻いている事が多い・・・

この光景を見ただけで、この店の料理の質が分かる・・・
思わず引き返したくなる。

この状態では、売り上げは、常連客を相手に、平行線。
若しくは、下降の一途。
適正な収益が出ているとは思えない。

こういう店にも、ごく稀に、「 大当たり 」があるが、
それを見つけるまでにはリスクが高い。

わたしは、日本の文化に誇りを持つ愛国者ですが・・・

この現象に関してのみ云える事は・・
「 情けない・・・」である。

この部分に関して、日本は負けていると感じる。

こういう、台湾の方の姿勢に敬意を抱く。

これから台湾は躍進するだろう・・・



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強い者に与えられた責任

2016-04-03 | 思う事

かつて、日本経済がバブル絶頂のとき、
主要産業の大企業は、
売り上げ、利益共に好業績となった。

その頃、テレビで、パナソニックの社長と、
トヨタの社長の記者会見の様子を目にした。

当時は、世間は好景気に浮かれたいた。

当然、トヨタも、パナソニックも空前の好業績。
株価も最高値を更新したいた。

にもかかわらず・・・
松下の社長も、トヨタの社長も、
深刻で、厳しい表情でこれからの
経営に関する指針を語っていた。

その表情は悲痛であった。

浮かれた表情や、
世間の雰囲気に呑まれ様子は微塵も感じられなかった。

その光景を目にしたとき、当時の私は思った・・・

いずれトヨタは必ず世界一になる・・・
松下は更に躍進する・・・

現実問題として、
自由競争を軸とした市場のなかで、
生き残ってゆくためには、
勝たねばならない。

即ち、強くあらねばならない。

いくら、心正しく、心優しくても・・・
弱ければ負ける。

宗教的観点で云うなら・・・
「 徳を貫く」ことのみでは、十分ではない。
その背後に「 強さが 」なければ負ける。

「 徳を貫く者 」は、強くあらねばならない義務がある。

ここで云う、
「 強い 」の定義は・・・
好調なときに危機感を持つこと。

好業績の時、財布の紐を更に絞め、危機に備える事。
余裕があるときこそ、フンドシを引き締めること。


 「 弱い 」との定義は・・・
好調なとき、無意識のうちに、
「 この状態が、未来永劫に継続する」
という幻想を持つ事。

少しばかり追い風が吹いたからといって、
夢が膨らんでしまい、危機感を失う事。

少しばかり、財布に金があると、財布の紐を緩めてしまう事。

「 危機感・危機管理意識 」とは、
「 取り越し苦労 」 「 不安感 」とは意味が違う。

危機感・危機管理意識とは、今現在を律することで、
未来の納得を先取りすること。

これは、ある意味、「 強いもの 」に与えられた
「 自らを律する責任 」であると思う。

勝たねばならぬ・・・






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不倫とは「倫理に反する」ことだが・・・

2016-04-01 | 思う事

最近、テレビ、雑誌、インターネットなどで、
不倫報道が目立つ。

こう云った報道を見聞きするたびに不快な思いになる。

有名人の不倫を暴露・・・

社会正義を盾にしているのだろうが、
結局のととろ、突き詰めれば、
ひとの秘密を暴く事によって、
利益を得ようとする営利活動である。

その目的のためなら、他人を傷つけても、
他人の家庭や、人生を台無しにしても構わないという、
プロ意識? をもっているのだろう。

不倫とは、「 倫理に反する 」ことであり、
それを肯定したり、推奨したりすることはできない。

だが・・・それはあくまで個人の問題である。
どうして、謝罪会見をせねばならないのだろう?

メディアにむかって、謝罪会見・・・
「 御心配おかけして申し訳ございません 」
「 お騒がせして申し訳ありませんでした」

まったく不可思議である。

謝罪すべき相手は、裏切った配偶者や、関係者であり、
一般大衆ではないはずだが・・・

ひょっとしたら、
私の頭では理解できない高等な理論と、
意義があるのかも知れない・・・

私は、不倫を擁護したり、正当化したり、肯定している訳ではない。

ただ、それを
他人が無闇に暴露する事は、
あまりにも見苦しく‘ ミットモナイ ‘と思えてならない。



こういう‘ ミットモナイ人 ‘ を私の尺度で分類すると・・・

1・・人間の性( サガ )と、その裏表を知らない、世間知らず。
2・・裁判官にでもなったような気分になっている「自称・ 偉い人 」
3・・金のためなら何でもするひと。
4・・他人ののアラを探す事に快感を覚えるひと。
5・・自分は清廉潔白だと信じている人。
6・・他人の行為を暴く事によって、社会が進歩すると信じている人。



陰険な手段で、人の秘密を嗅ぎまわり、それを暴露して、
偉そうな正論を吐く人間に尋ねしたい、

洋の東西を問わず、過去の歴史に於いて、
不倫のない時代が一度でもあったのか?

社会の進歩、人類の進化によって、
不倫の無い時代がやって来ると思っているのか?

不倫という行為と、その人の
人間性との因果関係はあるのか?

「知的レベル」と、「不倫という行為」
 との因果関係はあるのか?

「社会的立場」を基準に、不倫の可否が決定されるのか?


私が、感じるに、メディアを含め、
モットもらしい正論を、
何の恥じらいも無くのたまう輩の背後には、
「 それを暴露された人間 」とは比較にならないほどの、
別の意味での「 邪悪な何か」を感じる。

これは、妖怪のような姿をしている。

他人の秘密を暴露して何らかの利益を得る行為とは、
男女間の「 不倫 」とは異質であるが、それとは別の意味で、
人間としての、「 倫理に欠ける行為 」ではないだろうか・・・
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