名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

コロンブスの日記

2015-03-29 | その他
以下、

「 いのちを守る親の会 」

大熊良樹理事長のブログから転記。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いのちは例外なく尊い。

下記、コピペしましたが
興味のある方は検索して御調べ下さい。

・・・中略・・・

コロンブスは、
黄金の国ジパング(日本)
に憧れインドを目指して
「アメリカ大陸」に到達した。

その後の
ネイティブアメリカン(先住民)は、
インドの人(インディアン)と呼ばれて
殺戮された(推定5千万人~1億人)。

人類史上最大の大虐殺である。


下記の資料を観て戴きたい。

彼(コロンブス)の
「先住民から何を奪えるかという打算に満ちた航海日誌」
が残っている。

大変ショックである。

黄金の国ジパングと呼ばれた「日本」
に行きついていたらどうなっていただろうか。
おそらく日本は侵略されたであろうし、
日本の歴代の治世者もそれを意識したであろう。

まず、キリスト教を布教する。

優しく恩を着せて、
対立させて紛争(内乱)を起こさせて
「占領する。」そして奴隷化する。


ウィキペディアより(コロンブス)

「 私(コロンブス)がインディアに到着するとすぐに、
私が見つけた最初の島で、
彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、
私に差し出さなければならないものが
この品々の中にあるのかどうか教え込むために、
私は力ずくで原住民の何人かを連行した。 」
(コロンブスの日記)


「彼らは武器を持たないばかりか
それを知らない。
私が彼らに刀を見せたところ、
無知な彼らは刃を触って怪我をした。

彼らは鉄を全く持っていない。
彼らの槍は草の茎で作られている。

彼らはいい身体つきをしており、
見栄えもよく均整がとれている。

彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。
50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、
思うままに何でもさせることができた。」
(コロンブスの日記)

「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、
彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して
『いいえ』と言わない。

逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。

彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。
彼らには宗教というものがなく、
たやすくキリスト教徒になれるだろう。
我々の言葉と神を教え込むために、
私は原住民を6人ばかり連行した。」
(コロンブスの日記)

国王に調査報告を終え、
少しばかりの援助を求めたコロンブスは、
次の航海目標としてこう述べている。

「彼らが必要とするだけのありったけの黄金… 
彼らが欲しがるだけのありったけの
奴隷を連れてくるつもりだ。
このように、
永遠なる我々の神は、一見不可能なことであっても、
主の仰せに従う者たちには、
勝利を与えるものなのだ。」

行く先々の島々で、
コロンブスの軍隊は、
海岸部で無差別殺戮を繰り返した。
まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、
彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。


コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、
窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、
インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。

非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、
数千人単位の虐殺を指揮した。

コロンブスの襲撃戦略は、
以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった。

コロンブスが願い通り、
「日本」に行きついていたら
「日本人」が、インドの人(インディアン)と
呼ばれて殺戮されただろう。

その延長線に
「日清・日露」「大東亜戦争(太平洋戦争)」
があった事を忘れてはならない。

・・・・・・・・・・・・・・

以上、

「 いのちを守る親の会 」
大熊良樹理事長のブログから転記。

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現在 ・ 過去 ・ 未来

2015-03-19 | 宗教


♪ 現在過去未来
あの人に逢ったなら
私はいつまでも待ってると
誰か伝えて
まるで喜劇 じゃないの ・・・・♪

この歌は、1977年(いまから38年前)
にヒットした渡辺真知子の1作目のシングル曲、

「迷い道」(まよいみち)

この曲は、作詞・作曲・歌
すべて渡辺真知子の手によるものです。

この曲がヒットしたのは、私が12歳の時です。

当時の私は、
この曲は始まりの部分。

♪ 現在 過去 未来 ♪
という歌詞が大好きでした。。

この初めの部分の歌詞を聴いただけで、
当時の私は、心の中で、
大きな感動が込み上げてきた事を
いまだに覚えています。

この年になっても、私の脳裏にこの言葉が
染み付いている。

でも、
なぜ、この部分に感動するのか、
その理由は分かりませんでした。

なぜだか分からないけど、
この歌詞は私の魂に響く、
「何か」があったのです。

最近になって、
どうして、この歌詞が私の魂を擽るのかが
分かりました。

この歌詞には矛盾があります。
時間の流れを現すには、

過去 → 現在 → 未来

これが順番です。

しかしながら、
この曲は
現在 → 過去 → 未来 
と言っています。

作者の渡辺真知子さんは、たぶん、
このほうが語呂がよいので、
この表現をしただけだと思いますが、

よく考えてみれば、オカシな歌詞です。

でも、
この順番に深い意味があるような気がするのです。

いま私が思うことは・・・・・・・

現在 ・ 過去 ・ 未来
は3つの要素でなく、
「ひとつ」の要素である。

過去の結果が現在であり、
現在の姿が、未来を構築する。

これは、ひとつの真理であると思うのですが、

更に突き詰めれば、
現在は、過去の要素を書き換える事ができる。
現在は、未来の運命を書き換える事ができる。

自分の過去を、「現在の自分」
が書き換える事ができる。

「過去と現在」の結果として、
未来に起きる事(運命)も、
「現在」の自分が書き換える事ができる。

「  現在 ・ 過去 ・ 未来 」は、
同時進行している・・・・・・・

・・・・・・・・・・・
支離滅裂・意味不明な理屈に思われるかもしれませんが、
ここに、「 運命の真実 」がある。

これは、言語を越えた世界のお話となっしまいます。

もし、これを無理やり言語にしようと思うなら、
量子力学 (最先端物理学)
の領域となるでしょう。

近い未来、最先端物理学は、
釈迦の説いた「 仏教 」を
数学的手法で立証する時が来るでしょう。




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古い友達

2015-03-15 | 思う事
パセリ兎


昨晩、古い友達から電話がありました。

この人物は、通称「 アンパンマン 」
という人物。

アンパンマンは、
私に負けず劣らずの怪人です。

彼とは30年来の付き合いがりますが、
住んでいる場所が離れているため、
2~3年に一度お会いする程度です。

アンパンマンは、
受話器の向こうで、
唐突に言いました。

「 私の現在の状態は、
20年前、ウサギさんが予告した通りです・・・
私のいままでの経緯も、
ウサギの予測、ズバリそのものでした・・・・ 」

アンパンマンは現在、
経済的にも、
家庭的にも、
すべてうまく行っている。

彼に子供ができたとき、
子供の未来についても、
色々な予告をした。

じつは、
今現在、そのとき私が何を言ったか
あまり覚えていない。

発言した当の本人が、
半分以上は忘れてしまっている。

アンパンマンの娘さんは、
今年、大学に進学するとのこと、

非常に優秀なお子さんらしく、
難関をを突破し、
一流の大学に合格した御様子。

これに関することも、
私が20年前に予測していたらしい。

でも、言った本人である私がその事をハッきり
覚えていないのだから、
何だか、ピンと来ない・・・

どちらにせよ、
アンパンマンは、
紆余曲折、や多くの障害をを乗り越え、
最善の今を勝ち取った。

これは、
私の予言が当たったというよりも、
彼の「心の方向性」が、
当時私が心に描いた私の彼に対する
「 希望的観測 」
に共鳴したのだと感じます。




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欠けたレンガ。

2015-03-14 | 思う事

私が、25歳の頃、( 25年前 )
栄のテレビ塔の近くで働いていた。

毎日、仕事が終わったあと、
この場所に来て、
レンガ張りの階段の
最上段に腰を下ろし、
ジッとテレビ塔を見ていた。

今日、最近、強い因縁で知り合いになった、
アヤヤというお方とお会いした。

その帰りに、
偶然この近くを通り掛かった。

吸い寄せられるように、
その場所に向かって足が動いていた。

この場所に立つのは
実に、25年ぶりだ、

25年前、この場所に、
ジッと座っていた時の
光景が脳裏に浮かんできた。

私がいつも座っていた場所の、
タイルが半分欠けていたはずだ・・・・

その場所に近寄ってその地点を見た、



よく見てみると、その箇所だけ、
レンガが張りかえられていた。

少し、残念な気分になった。

同時に、言い知れぬ寂寥感が込み上げてきた。

じつは、
25年前、私がこの場所に立ったとき、
強く思ったことがある。

その事は、今も忘れてはいない。

その事と一緒に、
レンガが欠けていた光景も覚えていたのだ。

当時私が強く思ったこと、
それは、自分の未来に対する予言でもあった。

「 50歳過ぎた頃、私は再び一人で、この地点に立ち、
テレビ塔をジッと見つめている。
そのとき、私は成功者となっている・・・ 」

今日、25年ぶりにこの地点に立った。

はたして、今現在の自分は、
25年前に、この地点で予言した姿なのだろうか?

その予言が的中したという実感は沸いてこない。

外れたという気もしない。
夢とか、希望とかはこういうものなのだろうか?

25年前の自分と、
今の自分に大きな違いがあるのだろうか?

若い頃、大資産家になるのが夢だった。

現在、私は大資産家になっていいない。
でも、それほど貧乏なわけでもない。

成功・失敗・とは、
実に曖昧な言葉であり、
何をもって成功なのかが分からなくなる。

25年の歳月のなかで、失ったものもある。

体力を失った。
根気を失った。
好奇心が減った。
髪の毛が減った。
ハングリー精神が減った。
素直さが減った。

得たものも多くある。
妻、子供。
よき友達。
信用。

よくよく考えると、
これ即ち、フラス・マイナス・ゼロなのか?

少し寂しい気分になって来た・・・

でも、よくよく考えてみると、
プラス・マイナス・ゼロなら、
マイナスよりまし。

これ即ち、成功者??

よし!!!
1からスタートしよう!!!

そんな事を思った今日でした・・・

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結果がすべて、過程もすべて。

2015-03-09 | 宗教

人一倍働き、勉強し、努力し、
その結果、大金持ちになった人がいるとします。

「 大金持ちになった 」と云う事は、
その人が、それまで行って来た行為の結果です。

この「金持ち」という結果自体には、
善悪はありません。

貧乏より、金持ちのほうがイイに決まってます。

私も金持ちになりたいです。

でも、
それに至る過程に大きな意味があるのです。

かなりアクドイ商売をして、
金を貯め、大金持ちになった人がいたとします。

この場合、この人は、
「 結果よければすべて善し 」
と思うでしょう・・・・

このひとは、有り余るお金で、
誰もがうらやむような
悠々自適な生活を送っています。

でも、この人には、
その幸福な状態を奪い去ろうとする
強い力が働いています。

裕福で、経済的に成功していたとしても、
それ以外の思わぬところで
敗北を強いられるでしょう・・・

その圧力は、
この人の「外から来るモノ」ではありません。

ヒドイ目に遭わされた人が発する、
恨み・呪い・のエネルギーでもありません。

神様が天罰を降す訳でもありません。

仏様が罰を与える訳でもありません。

この人を処罰するのは、

「 このヒト自身 」

「 このひと自身 」とは?

このヒトの魂の奥底に宿る「 良心 」です。

この、「 良心 」の正体は?

神であり、仏です。

ずべての人間は、

神の分霊であり、

仏の化身。

まわりのすべての人間を欺く事ができたとしても、
まわりの人間から、いくら賞賛されようとも、

自分の良心は欺くことはできない。

表面意識の自分は、
何の罪悪感を持っていなったとしても、

魂の奥底に宿る「神・仏」は、
悪しき自分の行為をを容認しません。

魂の奥底に宿る本当の自分に対して、
ウソ偽りは通用しません。

これ即ち、
善い事をすると、
自分の内に宿る「 本当の自分 」(神)が、
「善い事をした」ことを知るのです。

それ故、「 本当の自分 」(神)が喜ぶ。

喜ぶ事こそが、すべての魔物を追い払い、
最善の運命を切り開く。

本当の自分が喜べば、
最善の思考、欲求、が湧き上がり、
最善の選択を自然に行う。

長い目で見れば、その人にとって
最も適切な環境、運命が実現するのです。

神はすべての人間に対して、公平に
救いのを差し伸べている。

幸運とは、あくまで自分が作り出す
結果であり、
幸運とは、天に積んであった宝(善行)に、
利子が付いて返ってくるというものではないのです。

自分の利害のために、
他人を苦しめたり、騙したりしたり・・・
そういった非道を行ったならば、
その行為を「 本当の自分 」が知るのです。

そして、本当の自分が悲しむのです。

その深い悲しみが、更なる悲しみを引き寄せる。

無意識の領域で、
本当の自分が、悪しき自分を許さないからです。

それ故、このヒトは、
自分にとって不利な思考や選択を行う。
いくら金持ちになったとしても、
結果的に、この人は、
絶対に得することはありません。

これを、

「 自己処罰 」と呼ぶ。

運命の勝利者に、なり得る人間とは?・・・・

自分の良心の声のみを恐れ、それに従う人間です。

神・仏は、人を裁かない・・・










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安全帽

2015-03-08 | その他


この、趣味の悪い柄の帽子

私の車にはいつも常備してあります。

みっともなく、
いかにも怪しそうな柄です。

この帽子は特別な場合のみ、
使用します。

車を運転していて、
マナーの悪い車が多い地域や、
危険を感じる場所に差し掛かったときのみ
この帽子を被ります。

50歳のオヤジが
この帽子を被っている姿は
誰がどう見ても異様です・・・・

この帽子を被った自分の姿を
ルームミラーで見てみると、

余りに怪しすぎる・・・

我ながら呆れてしまう・・・

それ故、これが厄除けの安全帽となるのです。

この、
趣味の悪い帽子を被って運転していると
マナーの悪い老人や、
セッカチな若者の運転する車が、
必要以上に幅寄せしてきたり、
強引に割り込んできたりする事は
ほとんどありません。

「 怪しきものに近づかない 」

これが人間の習性です。

それ故、この帽子を被っていると、
必要以上に他の車が接近して来ない。

その結果、
厄介ごとに巻きもまれる危険性が減るのです。

災難を避ける方法は、
危険を想定した上での、
自己防衛であると思います。

ただし、
この帽子は、
妻が横に乗っている時は
怒られるので使用しません。

ひとりで運転しているときに限り、
危険を感じる場所や道路に差し掛かった
時のみ使用してます・・・
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豆腐の黄金比率

2015-03-06 | グルメ 

不思議な事に・・・

私の場合、
豆腐が1丁丸ごと皿に乗せてあったら、
半分くらい食べtところで、
イヤになって来る。

でも、

1丁を、4分の1の大きさに切ってあれば、
1丁の分量の豆腐を最後まで
美味しく食べる事ができる。

場合によっては、1丁半食べる事もある。

4/1にカットされた豆腐は
明らかに味が違う。

私はこれを
「豆腐の黄金比率」
と呼ぶ。

豆腐の上にシラスが
乗っていれば最高。

シラスの塩分が豆腐の
風味を後押しする。

油揚は、オーブントースター
でキツネ色になるまで焼く。

これに醤油を付けて食する。
パリパリした食感がたまらない。

オイシイ!!!!
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ベーコンが軽くなる

2015-03-02 | グルメ 


フライパンで焼いた厚切りベーコン。

大好物のクレソンと一緒に食する。

クレソンの苦味が、ベーコンの重さを軽くする。

これを「調和」と呼ぶのだろう・・・

かかったお金は、300円だが、
3千円以上の価値がある。

これぞグルメの王道。
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