名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

お香の香り

2017-08-28 | 宗教




仏陀の教えを謙虚に学び、行じておられる
筋金入りの仏教徒(上座部仏教)S様から
お香を頂戴した。

多くの場合、宗教を齧ると傲慢になる。
自分は徳を積んだ人間であると思いあがる。

そういう人間が放つ悪臭の被害は甚大である。

S様の場合、
謙虚に、真面目に、ただひたすら
自分の決めた道を歩んでおられる。

私は宗教臭い宗教が大嫌いな、
「 自称・宗教家 」です。

思いあがった「 自称・偉い先生 」が大嫌いである。

しかしながら・・・

S様のようなお方に対しては、
その「生き方」に対して最大の敬意を抱く。

S様から頂いたお香の香りは
S様の「生き方・生きる姿勢」を感じさせる。


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蓮の花

2017-08-15 | 出来事




白ウサギには盆休みはない。

今日も仕事で車を運転する。

蓮の花が目に入ってきた。

車を降りて、蓮の花を観賞。

蓮の花は美しい・・・

真っ白な蓮の花は仏心を揺さぶる。

泥のなかに美しく咲く、蓮の花のように
今生を生きたい・・・

極楽浄土には蓮の花が咲き乱れているなかな???

そんな事を考えながら蓮の花をジッと見つめた。



しばらくすると、別の事が頭を過る・・・



レンコンはフライにして粗塩で食べると美味しい・・・


レンコンフライに、
瓶入りの麒麟ラガービールがあれば最高・・・・



煩悩多き白ウサギ・・・自称宗教家としてこれで良いのか??



親鸞聖人の言葉を思い出した・・・

不断煩悩得涅槃

これでイイのだ・・と自分に言い聞かせた・・・





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「善い人」がどうして不幸になるのか?

2017-08-13 | 宗教


私の父親、は大腸癌で亡くなった
66歳の若さであった
あれから16年の歳月が流れた。

私の父親は13歳のとき、父親をチフスで亡くしている
それ以来、4人兄弟の長男として勉強など一切せず
ガムシャラになって働き一家を支え、
最終的には程々の財産を築いた。

父親の母親はのん気でお気楽な気質、
あまり働かない
            
父は13歳にして実質的には、
一家の大黒柱とならざるを得なかった。

そんな人生を歩んできたが故
父は物凄く金に細かく、ケチであった
幼い頃、父親に玩具など一度も買ってもらって事はない。

何か買ってと言うと物凄い形相で睨み付けられた。
父と母はいつも ‘金‘の事で喧嘩していた。

父は私の話には一切、耳を傾けず
何を言っても うるさい!!
と怒鳴った

私は、物心ついた頃から、
父親を冷たい視線で見るようになっていた。

父の ‘ ケチ ‘ な気質と
ひとりよがりな所が大キライであった。

勿論、尊敬する部分もあったが
腹の立つことの方が多かった。

いつしか、あんな人間にはなりたくない・・・・
と思うようになっていた

父を亡くして16年の歳月がながれ
私は、いま 2児の父親になっている。

今になって思う・・・・・・

私の目から観た 父親の長所、短所、は
私に科せられた課題である。

私と父親は親子と言えども別人格
私は親のコピーではない。

しかしながら、 ‘ 私 ‘ と言う人間の根底には
親から遺伝的に受け継いだ
‘ ある方向性 ‘
というものが存在する。

‘ ある方向性 ‘ とは短気だとか、
神経質だとか、真面目だとか、
と言った具体的な性質ではなく
精神や魂の根底の部分。

例えて言えば
コンピューターの
「 フォーマット 」

ハードデスクやメモリー
に文字や数字を記憶させるとき
ハードデスクやメモリーはそれを
受け入れる為の ‘下地‘ を必要とする。

もともと、ハードデスクやメモリーは
空っぽの状態であるが、
そこに、下地を覚えさせてやらないと、
データーを書き込む事はできない
その下地の事をフォーマットという。

フォーマットはデーターそのものではないが
データーを受け入れる基盤。

下地はイロイロな種類がある。

Aのフォーマットで書かれた文字やデーターは、
Aのフォーマットの媒体にしか
読み取る事が出来ない。

Aのフォーマットで作られたデーターは、
Bのフォーマットに読み取らせる事は不可能。

私の持つ人格や考え方と
父親の持つ人格や考え方は
まったく別物ではあるけど、
そのデーターが乗っかっている。

土台 (フォーマット)はまったく
同じものであると思う。

父親もフォーマットを、その両親から受け継いでいる。
血統とはそういうものではなかろうか。

昭和初期、出口仁王三郎 という宗教家がいた
このお方、幼い頃から神通力があり
神童と言われていた。

回りから 「八つ耳」
(直感力や理解力に優れた人間という意味)
と呼ばれる程であった。

後に、宗教団体を創設し、カリスマ的教祖となった。

最近知った事だが、

出口仁王三郎の孫Wさん、
ある有名進学塾の講師をしているらしい。

このお孫さん、進学塾講師の世界では、
‘ カリスマ講師 ‘ と呼ばれているらしい。

仁王三郎さんの作った宗教とは無縁で、
あくまでも講師という土俵で活躍しているのだが、
その世界で仁王三郎さんと同じように
‘ カリスマ ‘
になっている。

やはり、出口家の血統のなかには
カリスマを輩出するフォーマットがあるのだろう。

Wさんの子供もそれを受け継ぎ
また別の世界で‘カリスマ‘となるだろう・・・・

よくよく、調べてみると
この手の話はいくらでもある。

私の目に映る親の姿は、
客観的に見ているつもりでも
限りなく主観的であり客観的ではない。

実は、自分の意識を通して親を見ている

自分の意識 = 自分の根底( フォーマット )= 親の根底( フォーマット )

即ち、 私の目に映る親の姿は 
‘自分自身の本性‘ を見ているに過ぎない。

もし私が親の事を心の底から憎んだり、
怨んだりしたとするこれは、 

完全な自己破壊

親と自分は同じフォーマット、

親の性格、や気質、人格、モノの考え方を完全否定してしまう事は

自分の根源 ( フォーマット ) を否定する事になってしまう

もっと突き詰めて考えれば、

私の持つ 、親への思いは

「 私自身の心 」 なのだ。

親を見ているようで、そうでない。

実は、自分を見ている事に他ならない。

親の人格を否定したり嫌ったりしている限りは、
自分が潜在的に持つ 
  要因 ・ ( 宗教では‘因縁‘と呼ぶ)
から永久に抜け出すかとは出来ない。

即ち、自分の意識が受け取る、
親の短所、嫌いな面は自分の課題であり
真摯に受け止め、自分がそれを打破
していかなければならない宿命をもつ。

血統はいくらあがいても変え
ることの出来ない宿命。

だからと言ってそれを悲観的に考えてはいけない。

現に今、ここに自分が存在すると言う事は、
存続するに値する血統であるからである。

これは、私に限らずどんな人間にもいえる事である。

ダーウィンの進化論的に 
‘自然淘汰‘ の観点で人間に血統を検証すれば、
存続する意義のない血統はとっくの
昔に滅びていたはず。

でも、現に今ここに存在する人間に関しては
淘汰されずに先祖から血脈を受け継いでいる。

如何なる人も

今、現に、生きているだけで、だたそれだけで
素晴らしい事であると思う。

ならば、子供がいなかったり、親族すべて死に絶えた人、
そこで、血統が途絶えてしまうヒトは
存続意義がないので‘淘汰‘されという意味なのか?

それは違う。

どんな血統も、いつかリセットしなければならない時期が
必ずやって来る。

その時期に使命をもって生まれて来ただけの事なのです。

その場合、こういう人は、
血統維持の使命がない代わりに
普通の人とは違う、別の
大きな使命がある。

そういう意味で、重要な人間である。

聖徳太子は偉大なる聖者であるにも関わらず
敵対勢力の陰謀で一族全てが殺され
完全にその血統を絶たれた。

しかしながら、聖徳太子の人徳と功績は、現代の日本に
今なお大きな恩恵をもたらしている・・・・・

親との、確執を乗り越える事は、
先祖から受け継いできた課題を清算し、
新たなる飛躍を遂げる為のチャンスである。

まさしく
神が、人間に与えたチャンスと
受け止めるべきではないだろうか・・・

嫌悪で終わったら悲しい。

親を怨む事は、 「 自分を怨む事 」に他ならず。

自分で自分を怨めば、無意識のうちに自分にとって
不利な選択をする。

「 選択 」が未来の自分をを決定する。

結果、悪い運命を呼び寄せる。

これ即ち、「 自己破壊 」。

親を否定してしまったら、もう自浄作用はなくなり
自己の破滅へと向かう・・・・

不幸・不運・苦悩・挫折・不調和はこれが
原因であることが多い。

それを呪いや祈祷で打ち消すことはできない。
絶対に他力では解決できないのだ。

いくら善行をしても、それはそれ、
個人レベルでの根本的問題( 種 )を
消すことはせきない。

それ故、慈善的で、奉仕の精神を持つ「 善い人 」が
生涯、、不幸や、苦悩、不遇の連続・・・
このような不条理な現象が起きる。

このことは、長年、人間観察や分析をして来た私の結論、

親の全てを受け入れ
親に理屈ではない、無条件の感謝・・・・
これが出来ないと現状を打破すると徒はできない。

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大嫌いとは・・・ひょっとして・・・

2017-08-09 | 思う事


最近、色々な 「うさぎ」 がネットの掲示板で
出没しています。

 ◎ ◎うさぎ・・
 ■ ■ うさぎ・・
 ▲ ▲ うさぎ・・・ 

初めは「 ◎◎うさぎ 」のみだったが、
それに連鎖して、次々と新しい兎が現れている。

これらの「 うさぎ 」は、うさぎ軍団と自称していて、
全国組織?のご様子・・・・

わたくし「 名古屋の白ウサギ 」は約10年位前から、
「 白ウサギ 」と名乗っています。

これらの「 うさぎ軍団 」様の面々は、
最近出て来た新兎さんばかりです。

わたくし 「 白ウサギ 」とは何の関係もございません。

皮肉な事に・・・

これらの「 うさぎ様 」は、
全員、私の大嫌いなタイプの方ばかりです。

思想の主張は正論かもしれないが、
方向性がオカシイ

更に、もっと大人げないのは、
‘◎◎うさぎ‘ をおだてて、尻を叩いている
「 えらい人 」

こういう場合、‘うさぎ‘が不要となったとき、

 「 トカゲの尻尾切り 」ならぬ、
「 うさぎの尻尾切り 」が運命であろう。

先は完全に見えている・・・


「 まずは自分の感覚を疑え 」
これウサギ講の心得。

自分の 「 実感としての感覚 」を疑ってみると、
フトある可能性が頭を過りました。


大嫌いなタイプの人間(うさぎ軍団)とは、
実は、その面々と同じ要素が
自分のなかにも存在している。
それ故、
同極どうしの磁石が離れ合うように、
強い拒絶感を感じるのでは・・・


科学は疑う事から始まる・・・

自分の感覚や認識も、疑う事から始まる・・・

 

‘ ◎◎うさぎ ‘ を筆頭とする、うさぎ軍団の出現は、
わたくし「 白ウサギ 」にとって、
何かのシグナルであるのかも知れない。
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成功の秘訣・・・されど美意識・・・勝たねばならぬ・・・

2017-08-06 | 思う事

・・・成功の秘訣・・・・

1・・運の良い人に近付き、運の悪い人に近寄らない。

2・・成功者・強者に近付き、弱者に近寄らない。

3・・金のあるひと、人脈のあるひと、権力のある者と、
と仲良くし、その反対の人間は相手にしない。

  

経験的に感じるとは・・・
上記の3要素は確かに機能している。

これは、サラリーマン時代、痛感したことだ。

会社組織では、
上記の3点を徹底して守った人間は出世する。
( ある程度の、最低限の能力があることが前提だが )

もちろん、出世や成功の為の要素は多種多様な複雑な
要素が絡みあっていて、
「これのみ」と言ってしまうと極論過ぎる。

とはいえ・・・
このことは、良くも悪くも、大きな要因となっている事も確かである。

これは自営業でも、基本的に同じだと思う。

人生の於ける「 運 」全般にも同じ事が言えると思う。

なんだか物悲しい・・・・


ただ・・・
その正反対な事をして、
地位を確立して成功した人も存在することも確かである。

私としてはこういう方こそ
「 カッコイイ!!成功者 」だと思う。

私もこのような成功者となりたい・・・・

カッコ良くなりたい・・・



私は45歳まで、某大企業の末端の子会社で
サラリーマンをしていた。

私の所属する会社の親会社に
M様というお方がいた・・・

M様は、私に対してすべてに於いて、
優しく、親切で、寛大だった。

私など相手にしたろころで、出世や昇給などの
メリットなど何もない。

にも関わらず、私に対して常に便宜を図ってくれた。

私にとって今までの人生の中で、
これほどまでに自分を可愛がってくれた
人は他にいない。

M様は、私の立場からすると雲の上の人で、
普通なら、気安く口を利く事すらできない
ほどの身分の差があった。

年も20歳以位年上だった。

M様はが「強者」 なら、私は比較にならない程の
末端の「 弱者 」だった・・・

にもかかわらず、M様は、私に対して友達と
接するような感じで、
近付いて来た。

そして、最後にはM様は、通常なら
不可能な事だが、「 逆出向 」という形で、
末端の子会社に所属する私を、
その親会社であるM様の会社に引っ張ってくださった。

これは前例のない、前代未聞の珍事だった。
M様と、6年間一緒に働いた。

M様はいついかなる時も私をかばってくれた。
M様から受けた恩恵は、膨大だった。

M様は本来なら、部長・支社長位の地位に
なって然るべきの実力者だったが、課長止まりだった。

しかしながら、M様に逆らう者はい一人もなかった・・・

M様に牙を向けたら、10倍返しされるからだ。

M様は何でも知っていた、
大多数のホワイトカラーの人間は、
現場の細かいことは全く分かっていない。

M様は、現場の末端の事細かな些細な事も全て把握していた。

机にふんずり返って、机上の空論で、
無理な事を言う人間に対しては、
相手がどんな偉い人であろうと、
先輩であろうと、後輩であろうと・・
容赦なく反論して、口汚い口調で論破した。

口だけではなく、行動力も人一倍あった。

会社の業務に関わることで多くの功績を遺した。

M様はそういう意味で「 裏表のない人間 」だった。

上にも、下にも・・良くも悪くも・・・
態度を変えない。

そのせいか、M様は多くの者から嫌われ、
敬遠され、恐れられていた・・・
特に「 威張っているひと 」からは敵対視されていた。

敵が多く、M様の事をよく言う人は少なかった。

M様はよく呟いた、
「 俺は、誰からも好かれようとは思っていない、
望むところだ!!!」

不思議なもので、私にとって最大に優しく、
寛容な仏様のような存在であるM様が、
私以外の人間からすると、ほとんどの人から
「怖いひと」
「あまり近寄りたくないひと」
「意地の悪い人」
という烙印を押されていた。

こういうのを、理屈では説明できない
「 不思議な縁 」
というのだろう。

普通なら、このような人間は不当な上からの
圧力で潰されてしまうのだが、
M様は、最後までその姿勢を変えなかった。

それを跳ね除けるだけの実績と行動力があったからだ。
その上で、M様は、自分の生き方を貫いた。

そして、無事に定年退職された。



昨年・・・
M様が70歳にして、お亡くなりになられた。

M様は、癌を患い、入退院を繰り返し、
2年間病気と戦ったとのこと、
治療の成果が出て、元気になってきた矢先、
ある日突然お亡くなりになったらしい。

もし、「 俺が死んでも誰にも連絡するな・・・」
と家族に言い残していたらしい。

もしものとき、家族や親族が後処理に困らぬよう、
生活上の事細かな伝言事項が
ビッシリと書き込みされた
大学ノートが残されていた・・・

お亡くなりになった時は、
親族だけでひっそり葬儀をしたとのこと。

私にも連絡はなかった。

お亡くなりになった半年後、喪中葉書が届いて初めて知った。

M様らしくて涙が出る・・・

私もM様のように「 裏表ない生き方 」をしたい。

私もいつか、今生を終えるときか来る。
その時はM様のように
カッコよく帰幽したい・・・





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