名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

奄美の黒ウサギ

2014-03-30 | 出来事

奄美大島に住んでいる知人「 奄美の黒ウサギさん 」が名古屋にやってきました。
約10年ぶりの再会です。

お土産に、奄美大島で自分で栽培した椎茸を頂戴しました。



奄美の黒ウサギさん、との出会いは
今から、約20年来前、友達の結婚式に出席した時のことでした。


彼は、当時、大阪で普通のサラリーマンをしていました。

そんな彼が、ある日突然脱サラして、奥さんと子供を連れて、
長野県の農村に移住してしまいました。
農業を学び、自給自足の生活を始めたのです。

その後、数年あと、

黒ウサギ氏は、淡路島に移住して、そこでも農業をして生計を立てました。

更に、数年あと、彼は、とうとう奄美大島に移住しました。

そして、現在に至っています。


奄美大島は鹿児島からフェリーで約12時間ほどかかる場所にある離島です。

彼は、普通に大学を出て、普通に就職して、普通に結婚して、

そのあと、突然、僻地に行って農業を始めたのです。

そんな生活を初めて、約20年、いまなお挫折することなく
懸命に田舎暮らしをしています。

約10年ぶりに再会した黒ウサギ氏の表情はイキイキしていました。

20年前、初めて会ったときと、今の人相を比べると、

当時あった、「 影 」 が完全に消え去っていました。

黒ウサギ氏の目指すものは、黒ウサギ氏の「 魂の底から湧き上がる想い 」

であると感じました。

これは、他者との比較でもなく、 コンプレックスでもなく、 劣等感でもなく、

諦めでもなく、虚無的な感覚でもなく、虚栄心でもない。

黒ウサギ氏の内から湧き上がる 「 真の夢 」 であると感じました。

人間、こうなった瞬間、慣性の法則に支配されている、
「 未来 」 をも書き換えることが出来たのだろうと思います。

無心になってガムシャラに修験者の如く農業をやり続けたことが、黒ウサギ氏の魂を
洗練させたのでしょう。

黒ウサギ氏の生き方に敬意を抱くと同時に、
それを支えて来た奥さんの偉大さを感じます。

奥さんは、関東出身の方ですが、
文明社会の枠組みから離れ、
南の果てまで付いて来て、子供を育てながら平和な家庭を守っています。

バブル再来こそ健全な経済だ!!! と叫ぶ私と正反対の世界のお方ではありますが、

個人という枠組みにおいて、

黒ウサギ氏の家族は、 「 真の成功者 」 と感じました。
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真の勝利者

2014-03-29 | 思う事
金持ちになれたら幸福だ・・・
良い大学出て一流企業には入れたら幸福だ・・・
中島みゆき と結婚できたら幸福だ・・・
紅屋おかめ と同棲できたら幸福だ・・・
立派な家に住み、高級車を何台も所有できたら幸福だ・・・
強靭な肉体を獲得したら幸福だ・・・

幸福に対する欲求とは、言葉を変えれば、 「 その人の夢 」 となる

その欲求 ( 夢 )が現実となった時、幸福を感じる。

でも・・・・

もし、その欲求( 夢 )が現実と ならなかった らどうなる?

失望、 憂鬱、 後悔、 悲しみ、 

自己嫌悪、 不満、 孤独、 憤慨、 寂寥、 疑念、

夢や願望の裏側には、これらの 不幸や苦しみ が隠れている。


もし、仮に、夢が実現したとする。

悲しい事に、それがその人にとって真の幸福である保証はない。

自分に幸福感を与えてくれたはずの、

金も・・・ 物も・・・人も・・・・栄誉も・・・

永遠に自分にとって心地よいものである保障はない。

宝くじに当選して幸福になった人より、
不幸になった人のほうが圧倒的に多いはずだ・・・

成功して、大スターになった人は全員、幸福になっただろうか?

多くの人は、幸運や不幸に対し、その原因を求める。

前世・・・因縁・・・カルマ・・霊的要素・・・過去の努力・・・過去の行い・・・

私は思う・・・・

因果報応・・・・これはごくごく当たり前のことでと思える。

これは、経済における市場原理とまったく同じで、

顧客が満足すれば、売り上げが上がり、健全な財務体制が整えば、その会社は繁栄する。

人を喜ばす事が、結果的に、自分に繁栄と幸福をもたらす・・・・

人間の運命も個々の願いに対しては、基本的にはこれとまったく同じと思える。


因果報応・・・それが全てを納得させるほどの大袈裟な理論ではないような気がする。


一生のうちに自分が体験する 経験 に対して、全てに「 原因 」を求めることが、

結果として、、夢や失望を作り出す。

原因 → 結果  という枠組みのなかから姿を現した 夢と幸福  とは、

実に危ういもののように思えてならない。

こういう感覚は、幸福と不幸が表裏一体となっている状態ではなかろうか?


幸福に原因を求め続ける・・・

不幸に原因を求め続ける・・・

これは、

月を追いかけて走る子供 のような状況ではなかろうか?

私は思う・・・

真の幸福・・・・真の喜び・・・真の成功・・・には、その原因など存在しない。

原因のない幸福こそが、「 至福 」 ではなかろうか・・・

至福とは、心の底から、湧き上がってくるもの。

理由無き幸福感、これこそ 人間が目指す究極の世界。


Aさん  「 あんた、何がそんなに幸せなの?・・・・ 」

Bさん    「 理由なんぞありません・・・
          ただ、自然と感謝の念が込み上げてくるんです・・・ 」

Bさん・・・・ 真の勝利者だと思います。













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維摩経 ・ 仏国品第一(ぶっこくぼんだいいち)

2014-03-25 | 宗教


方便は是れ、菩薩の浄土なり、

 菩薩成仏の時、

一切の法に於いて方便無碍の衆生、その国に來生す。

   

・・・・訳・・・・・

 方便 (ほうべん、人間を導く手段) は、菩薩の浄土である。
 菩薩が到達した浄土には、
 一切の物事を方便として自在に使いこなす人間が
 生まれるだろう。

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11回目の静岡

2014-03-17 | 静岡遠征


今回は、少し時間に余裕があったので、空き時間を利用して、
日本平までドライブに出かけました。

静岡市街を抜け、曲がりくねったドライブウェイを登って行くと、
不穏な気配を感じる場所が何度かありました。
なんだか心細くなって来ましたが、
日本平の頂上付近に達すると、その雰囲気は一変しました。
明るく、力強い光が天上から差し込んでいる。


日本平ホテルのレストランからの眺めです。

運がよければ海の向こうに、富士山が見えるらしいです。

残念ながら、今日は空気が霞んでいて見ることが出来ませんでした。

富士山の姿は見えなくても、富士山の雰囲気は十分伝わって来ました。

ここは、日本有数の絶景の地であると思いました。


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嬉しい時は、ワインを飲む。

2014-03-13 | 出来事
毎年、3月に入ると気が重くなります。
3月17日は、確定申告の締切日。

実は、私の本職は、電気関係の自営業個人事業主 なのです。

決算、経理なども全て自分でやっています。
『 めんどくさい事は先にやる 』 主義の私も、
今年は、忙しさに飲み込まれてしまって、
前倒しして完成させることが出来ませんでした。

昨日、やっと完成。 やれやれ・・・と思っていると

嬉しい知らせが入って来ました。

今からちょうど一年前、初めて静岡にお邪魔したときお会いした
あるお方から、良い知らせのメールが入ったのです。

嬉しい!!!!!

こういうときは、ワインを飲みます。



と言っても、高級なワインは家にはありません・・・

大好物の「 鯖の水煮 」 を食べながら、

激安ワイン・・・・

大切にしている富士山のカップでこれを飲めば、

安いワインも、甘露の法雨

鯖の水煮も、極上、黒マグロ・・・・

ありがとうございます。
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恥ずかしい・・・・

2014-03-08 | 思う事


スポーツの国際競技などで目にする光景です。

国旗にマジックで寄せ書き・・・・

こんなこと平気で行う国は、日本だけだと思います。

国旗に対する敬意が感じられません。

日の丸の 白い部分は、余白ではありません!!!

白い白紙の部分に、目には映らない「 理念 」 が描かれているのです。


この恥ずべき風習は、大東亜戦争の時代からあったようですが、

これを規制しない お上 にも責任があるような気がします。

これは、「 国旗に対する愛着の表れである、」 

と説明する人もいるかも知れません。


敬意を伴わない愛着は、「 幼稚な精神構造 」ではないでしょうか。

もちろん、よその国でもも、これと同じ事をする人もいますが、

オリンピックの映像を注意深く見てみると、

ごくわずかしか目に入りません。

落書きされた国旗を得意げに振り回す行為は。

全世界に日本の幼稚を曝す醜態です。
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どうあがいても、変える事が出来ない、絶対的真実

2014-03-02 | 宗教


霊的に言えば、自分の霊魂は、 

「 親の霊の分身( 分霊 ) 」

いくら嫌いであろうと、憎んでいようと、
それは魂の表面の意識でしかありません。
魂の根底では、つながっている。

いや、同体である。

即ち、親に対する憎しみや、否定は、
自分自身の否定、自分自身の破壊となる。

 「 嫌い 」 という思いが出てくることは、自分の責任でもあるが、
ある意味、その根源、霊的同体である親にも何らかの
要因があると考えられる。

ここで肝心なのは、誰の責任だとか、誰が悪いとか、
そんな 善・悪 の道徳観などではない。

そんなことどうでも良いこと。

表面の意識がどんな感情を持っていたとしても、親の魂と、自分の魂は同根であり、
それをもっと突き詰めれば、先祖につながる。
さらにその先を行くなら神・仏 につながる。

全ての人間は、

神・仏  →  先祖  →  親 という経路でこの世に現れた。

即ち、人間は神の分身


この真実は、どうあがいても、変える事が出来ない、絶対的真実
それを、否定したり、忘れたりしたら、
絶対的真実 を歪曲する行為となり、

自己破滅以外の未来はない。

その事さえ理解出来れば、好きとか、嫌いとかの次元を越え、
無条件に感謝の念が沸いてくる。

この、「 無条件の感謝 」 こそ、親、先祖に対する最大の供養、

自分自身の霊魂に対する、供養。

人間には、この世に生まれてきた限り、

自分が死んだ時、自分が成仏する義務がある。
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人食い人種

2014-03-01 | 宗教


神・仏は公平である。

決してエコヒイキはしない。

本当の神様は

神様を崇め、祭る人間のみに幸福を与えたりしない。

賽銭を持ってくる人間は助けて、持ってこない人間は見捨てる
などといったことはしない。

そんな事したら、それは神ではなく 時代劇に出てくる悪代官だ。

全ての人間に対し平等に救いの手を差し延べる。


仏は、念仏やお経を唱える人のみに慈悲を与えたりはしない。

そんなことしたら、接待してくれた人のみに便宜を図る役人と同じ。
全ての人間に対し、平等に慈悲を与える。

それ故、神・仏 である。

だから、宇宙根源の神・は、直接個々の人間に便宜を図ったりはしない。

その代わりに、先祖、親、という名の

個別の 「 神 」 のみに一人の人間を守護させる。

先祖 ・ 親  ・ 兄弟 ・ 家族

自分を取り巻く、一番身近な存在を憎んだり、対立したりすることは、
自己破壊以外、何者でもない。

優秀な家系に生まれ、 立派な肩書きと、地位と名誉がある人で、
この大前提を無視するものも存在する。

こういった人は、いくら偉そうなことを言ったところで、

自分で自分の手や足を かじる 「 人食い人種 」

人食い人種 とは他人を食べてしまう人間ではなく、

自分で自分を食べてしまう人間ではなかろうか。



  
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