名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

信じる必要などない

2024-07-10 | 宗教


 快いものに耽溺せず、
また高慢にならず、柔和で、
弁舌さわやかに、信じることなく、
何かを嫌うこともない。

中村元訳
『スッタニパータ』853

・・・・・・・・・・・・・・・

南伝仏教のパーリ語経典、
『スッタニパータ』
学術的には、仏教初期に編纂された
「最古の仏典」との説がある。

「 信じることなく 」
と記されている。
この言葉には色々な説があるらしい。



・・・私は次のように解釈する・・・

 信じる必要などない、信じる事によって、
自分が偉い人間てあると勘違いしてはならぬ 



私の勝手な解釈かも知れないが・・

仏教の奥深さを痛感されられる・・・
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善悪の違い 

2024-07-02 | 宗教


・・・親鸞聖人曰く・・・・・・

 善悪のふたつ、
総じてもって存知せざるなり 

歎異抄
註釈版853頁

・・・・・・・・・・・・・・



親鸞は、 
「善と悪の違いなど分からない 」
 と記しておられる。

 善 と 悪 との違い ・・

これを深い意味で見極めることは、
至極困難だと思う。
自分の今までを振り返ると・・・

自分の主観や、自分の都合を基準にして、
「 良いことをした 」 と思っているに
過ぎないことも多くあると思う。

人間の意思には一貫性があるとは思えない。

あるときは、他者に対して、
「 かわいそう・・・ 」 と思い、
慈悲の念を起こす。

しかし、時と、場所と、周囲の状況が変われば

「 可愛そうだ・・ 」

という思いが一変して
憎しみに変わったり
妬みに変わったり
嫉妬に変わったり・・・

人間に自分自身を救済する
力などあるのだろうか?

ましてや、苦しむ他人を
救済する力などあるのだろうか?



この疑問が、
修練の出発点であると感じる。

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善人の不幸は根が深い

2024-06-28 | 宗教


善人は不運になりやすい。

これ即ち、「 霊的因果 」である。

ただし・・・

この要素は、仏教で説かれている、
「 因果報応 」とは、別物であり、
その辺をハッきり区別する必要がある。
 
 清く正しく徳を積む
されど、貧困と不運の連続 

この落とし穴に落ちた人を
多く見てきました。

この落とし穴にはまる人には、
共通することがあります。

1・・真面目。
2・・正義感が強い。
3・・責任感が強い。
4・・親切心が強い。
5・・弱者に対して優しい。
6・・老人を労わる。
7・・愛情深く人情もろい。

8・・自動車事故をよく起こす。
9・・腰が弱い。(腰痛)
10・・食べ物に好き嫌いが多い。
11・・マルチ商法に狙われやすい。
(綺麗事を並べ、顧客の連鎖的な拡大を図る商売)
12・・騙されることが多い。
13・・宝くじをよく買う。



この12項目のうち、当てはまる項目が多い人ほど、
「 落とし穴」に嵌り易い。

この12項目のなかで、
8~12は別として、

1~7 の項目を満たす者は、
一般論で言う、 「 善人 」であるといえる。

にも関わらず、必ずしも幸運とはいえない。
このような人でも生涯、
不運の連続という事もよくある。

このような人間は、
 善行を積む、「 善人 」であるはずです。

どうして
落とし穴意に嵌ったり、不運に襲われ易いのか?

   

ここで、再び親鸞様のお言葉・・・

 

善人なほもて往生をとぐ、
いはんや悪人をや。

しかるを世の人つねにいはく、
「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。

この条、一旦そのいわれあるに似たれども、
本願他力の意趣に背けり。



・・・・・・・・・・・・・・

親鸞がいう、 善人・悪人 の定義
をハッきりさせておかねばなりません。

親鸞のいう、「 善人 」とは?

「 善行を重ねると、
往生すると信じているひと 」

( 往生=死後安楽な清浄真実の 世界に生れること )



「 善行を重ねると仏に
近づくことが出来ると信じているひと」



親鸞のいう「 悪人 」とは?
自分の善行に溺れていないひと。
自分の行った、一つ一つの善行に捉われていないひと。



ここで、親鸞の言いたかったことは、

「 善人より、悪人のほうが救われる。
悪人だから救われるのではなく、
悪人のほうが救われるにふさわしい
心の状態になりやすい 」

という事なのです。

そういう意味で「良い人」の不幸は、
深い根があるのです。

即ち、善人であるが故に、
素直な心境になる事が出来ない。

自称・善人の意識のなかには、
強い信念が刻み込まれている。

「自分は善い行いを積み重ねているから、
それは必ず自分に戻ってくる・・」

これは、決して間違った信念ではありません。

これこそ、仏教の「 因果報応 」なのです。

この自覚は、
人類レベルでは大きな意義のある真理です。

全ての人間がこのことを意識して行動するなら、
争いも、略奪も、暴力も
根絶することが可能となるでしょう・・・



私は、仏教の教義を否定する訳れはありません。

しかしながら、個人の運命を、
これのみで説明する
事には無理があるのです。

皮肉な事に・・・

徳を積む・・
因果応報・・・

その信念の裏側には、
「 傲慢 」
という二文字が隠れている。

自分が善人であるという自覚は、
言葉を変えれば、
「 自力の善に誇りを持っている 」
という事。

この「誇り」が、特権意識となり、
自称・・「偉い先生」を輩出する。

ごくまれな例外を除いて、
多くの場合、
宗教団体とは「偉い先生養成機関」である。



これだけ善行を成したのだから、
自分は救われる資格があると
良い事が帰って来て当然であるという考えに偏り、
自分が成した
一善、一善を心のなかで、誇るようになる。

その、「 自信 」とは、
「 素直で、謙虚な心の姿勢 」と
相反する性質をもつ。

善人の持つ特有の
「 誇り 」と「 自信 」が、
謙虚さを失ってしまう
大きな要因となってしまうのです。

彼の内面にある、「 善人の誇り 」が、
「 因果報応 」
の絶対原則にフタをしている。

その結果、霊的因果に飲み込まれ、
振り回され、
悪い連鎖を助長している。

形の上での‘ 善 ‘に捉われているうちは、
 本質を見ることはできない。

本質とは、人間のホントウの姿。
生命のホントウの姿。

全ての人間のは、神の分霊、仏の分身
人間は、神によって生かされている・・・
全ての人間の内に神・仏は存在する。

これこそが、「 ホントウの姿 」なのです。

この心境を音にしたのが、

 南無阿弥陀仏 

( 悪あがきしません、お任せします)



キリスト教では、

 アーメン 

 ヘブライ語で
 「 まことに、ほんとうに 」
という意味。




ウサギ講では・・

 ココ掘れワン!!ワン!! 
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ウサギ講の目指すもの。

2024-06-17 | 宗教


「 太陽は明るい 」
「 炎は熱い 」
「 氷は冷たい 」

当然の事です。
別に「 信じる 」必用などありません。

「 太陽は明るい事を信じます 」
「 炎は熱いという事を信じます 」
「 氷は冷たいと信じます 」

もし、こんな事をいう人がいたら、その人は、
太陽も、火も、氷も・・見た事も体感したこと
もない人でしょう。

これ即ち、腹の底では信じていないのに、
「 信じるべきだ 」
と自分に対して言い聞かせている事になる。

太陽を見た事がない人が
もしいたとするなら、その人は、
「 私は太陽を信じます 」
という言葉を使うことが適切です。



「 神を信じる 」 
私はこの言葉を使いません。

「徳を積む」・・
この言葉も使いません。

私の場合、この言葉を使うことに
大きな恥じらいを感じるからです。

そういう意味で、
日本古来の神道は素晴らしいと感じます。

神道は教義を持たないからです。



真の宗教の目指すものは、
「 信じる 」ことでは無く。

「 自分の内に宿る永遠の生命 」
を実感することであると思います。



 永遠の生命  

こそが、神の分霊であり、
仏の化身であると感じます。



「 信じる 」を超越した人こそが、
真の宗教家であると思う。

即ち、神を信じる・・信じない・・
そんなことは、どうでもよい事であると思う。

現に、無神論者のなかにも
「 自分の内に宿る永遠の生命 」
を自覚する偉大な人間は多く存在する。



故に、真に偉大な人は
「信じる努力をしていないごく普通の人間」
であると感じます。



そう云う私も、
幾重にも重なる皮を剥がしてみたら、
実は「信じようと努力している」
人間であるかも知れない・・

自問自答しながら生きています。



ウサギ講の目指すものは、
「 神仏を信じる 」
という言葉を忘れることです。

同時に「徳を積む」という言葉を
忘れることです。

皮肉なことに・・・

宗教団体は、 
「神仏を信じる努力をする偉い先生」
を多く排出する。
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意味など求めない・・

2024-06-16 | 宗教


単純な宗教屋さん,
貪欲なスピリチャル
関係者は言います・・・

 善行せよ、徳を積め!! 

天に宝を蓄えれば、
運命が好転する。



巻向山のウサギ仙人

  謹んで申し上げます。



行為が人の運命を作るのではない!!!



 行為の前提(心の方向性)が運命を決める 

親切・・善行・・愛行・・慈善・・笑顔・・

その前提(動機)が、コンプレックスであったり、
トラウマが原因である場合も多い。

親切・・善行・・笑顔・・・優しさ・・

素晴らしい事ではあるが、
一皮めくれば、
その正体は

自己顕示欲・・
支配欲・・・
依存症・・
現実逃避・・

で・・
あっありすることもよくある。



人間の深層心理は千差万別であり、
奇怪過ぎる。

幼い頃から、気が優しく、親孝行で愛深い人間が、
成人したころ、親を憎み出し・・
惨殺したという事件もある。

これは・・・まさしく・・
      
常に善い子を演じざるを得ない状況のなかで、
親からの「誘導・圧力・支配」への忖度。

この負の感情の蓄積が自我の形成の段階で、
攻撃に転じ、爆発。
     


親孝行は最大の美徳・・・
これは真実ですが。

その「美徳」を行う前提(動機)
が肝心なことである。

行為だけに価値を求める固まった心の方向性は、
自分が支配できる人間に対して
「脅し」「誘導」という方法を無意識の内に行なう。

「愛情という名のオブラートで包まれた支配欲」
「教義と云う名の傲慢」



これが一番怖い・・

この魔物は支配下にある人間の自由意志を押し殺す。

その反動はいつか、
何らかの形で爆発して表に出る。

魔物を呪文で封印して逃げ続ければ、
魔物は肥大化し続ける。

臭いもの蓋をしても解決にはならない。
この魔物と向きあって相撲をとらねば前に進まない。

結果的に魔物と和解するまでは
魔物は消えない。

魔物と和解する為の第一課題は、

魔物の正体を見極めることである。



「優しさ」の正体が
共嗜癖(きょうしへき)
であることもよくある。

この場合、必ず不幸を引き寄せる。

不幸とは・・
自分に不利な選択を何度も繰り返すこと。 

共嗜癖とは、自分と特定の相手が、
その関係性に過剰に依存している状態。

「人間関係に囚われている関係」
への依存状態を意味する。



宗教系の自称・ベテランカウンセラーの中には・・
「 共嗜癖 」「共依存」
という言葉すら知らな人も存在する。

それ故に傲慢な宗教屋さんは危ない。

以前、付き合いのあった
ある偉い宗教の先生・・・

心理学も勉強していると自称して
カウンセリングを行っいるお方ですが、

この御方に、「共依存」
という言葉を出したら、
「 なんですか? それ? 」と・・
言われました。

耳を疑いました・・
何ともお粗末な・・・

雑学程度に近代心理学を齧った者なら、
分かり切っているお話しです。

この御方は、
年間、数百冊以上の本を読んでいるとのことですが、
たぶん・・・数百冊の本の中から、
「自分の知っている
言葉のみを探し続けている。」
と推測しています。



すばらし!!! あなた慈悲深い!! 
あなたは徳の高い人だ!!

彼方は神から選ばれた存在だ・・

必ず神様が願いを叶えてくださる。
貴方は、天に宝を積んでいる・・

持ち上げて煽てる。

その場は甘い蜜でも、
甘い耳障りの良い言葉を無条件に信じると、
何時まで経っても堂々巡りとなる。



行為に意味などない・・
自分行った善行に意味などない。

それでも・・

 目の前で苦しんでいる人がいたら助ける 

善行に意味など求めない・・
見返りなど信じない・・・

この「心の方向性」のみに意義がある。

 この「心の方向性」こそが、

人間が万物の霊長たる所以であり、
神が人間に与えた
 特権である 



 神様は万人に対して公平です。

見返りを求めるような取引には応じません。
運命はその人の選択の自由であり、
神様が饅頭を持ってきた人のみに
エコヒイキしたりはしません。

自分の行為の前提と、
自分の内に潜む、潜在的な特性を
勇気を持って抉り出す。。

これに成功した者のみが
左右に揺れる振り子の重りを、ピタリと止め、
真上に跳ね上がることができる。

恐れるべからず!!

心配無用  必ず勝てる!!!

勝たねばならぬ・・・








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石上神宮

2024-05-05 | 宗教












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行為より大事なのは

2023-08-06 | 宗教


「嫌われるのが怖い」
嫌われるのが怖いから我慢する。

嫌われるのが怖いから、
嫌なこともニコヤカな顔で引き受ける。



行いは良くても、動機に危険性が存在する。

この場合・・
自分自身を放棄したことなる。

これが積み重なると、
最終的には追い込まれて行き詰まる。



宗教や、スピリチャル屋さんは、動機や背景を無視して、

親切を施せ。
徳を積め。
愛業を施せ。

苦しむ者に対して誰構わずと綺麗ごとを並べる・・・

もっともらしい正論、美談、格言を
得意満面になって吐き続ける。

 行為より大事なのは 

「その行為の背景にある動機」



他者に支配されると
「自分を失った人間」
となってしまう。
それ故に宗教やスピリチャル屋さんは怖い。



人を支配することを美徳とする、
怪しい宗教屋さん、怪しいスピリチャル屋さんの
ターゲットになった場合、

10人の内、2人は奇跡が起きる。
残りの
8人は不信を持つ。

2人は称賛して、誇大広告をする。
「偉い先生」の話を信じたら、
良いことが起きた、出世した、病気が治った・・

この2人の人間が、20人に宣伝する。

勧誘した20人の人の中から、4人の人が信者になる。

4人の人が同じように、40人を勧誘すると、
8人の信者を獲得する。

その連鎖で大きくなっえてゆく。



奇跡が起きた人は
「偶然そのタイミングで」
という意味であり、
10分の2・・・という
確率的な要素が主である。



不信を持った8人は沈黙する。
「偉い先生」の話を信じたが、何も変わらなかった、
更に状況が悪化した・・

これも、
「偶然そのタイミングで」
という意味であり、確率的な要素が主である。



「運やチャンスは・・
人・時・場所に関係なく無作為に起きる」

神様はすべての人に平等で、
すべての人に同じだけのチャンスを与えている。

それ故、
最悪な行いをしてきた人間でも、
何かのチャンスで立ち直る。
そして神を感じる



昇る朝日を見ただけで、
これまでの悪事を懺悔して
涙を流して改心した・・・

そんな話も耳にする。

人は、説得には応じない。
自分の内なる声を求めている。



何者にも支配されてはいけない。

何よりも大切なことは
「自分は自分である」
という自覚。

それ即ち、
「自分の内に宿る神」
を見ること。

神仏に向かって唱える言葉があるとしたら。

 悪あがきしません・・・
お任せします・・

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恩は仇で帰って来ることも多い。

2023-05-13 | 宗教


幼い時に、事情があって里親に引き取られて育てらてた人がいたとします。
育ての両親は我が子と思って愛情深く育てました。
この事実は秘密にされていました。
子供が成人したころ、初めてその「事実」を知らされました。



育ての親は言いました。
「どんなことがあろうとも、この子は私の子供だ」

子供は思いました
「事実がどうであれ、私は今のお父さんお母さんの子供だ」



 ここが肝心・・

事実と真実は別問題。

血の繋がりはなく、実の親子ではない事は「事実」

 どんなことがあろうと、親子である 

   これが「真実」 

事実でない事は納得できない・・
このような考えでは人生、苦しみがあるのみ。

混沌とした世界で、暗中模索の日々が死ぬまで続く。
(死んでも続く)



事実と真実を混同すると、
精神は衰退し、貧弱になる。

奥ゆかしさ、慎ましさ品性、とは

 真実を見る眼 

であると感じます。

但し・・・

その前提に、「誠意」が必要であると思います。

1つの誠意は、
立派な屁理屈100回語るに勝ると思う。

人間いつ死ぬか分からない。



徳を積む???

私は徳など積まない、
善行とは、天に宝を蓄える「貯金」ではないと思う。

徳とは・・捨て去るもの。

徳を積んでも何も帰って来ない。

恩は仇で帰って来ることも多い。



それでも・・

 善意と誠意を尽くす・・

 これが人間に与えられた「特権」

この特権に気付いたとき、
「真実の世界」が見えると思う。



 「私は徳を積んでいる」・・
「私を見習って、貴方も徳を積みなさい」・・
などと戯言を言う。

そういう輩を多く見たみた・・




そういう私も以前は徳を積んでいる積りになっていた。

いま思えば、恥ずかしい限りである・・



 誠意と真実を観る眼 

大切に生きて行きたい。

生きてるだけで丸儲け。



耶蘇傳曰く・・

 弱い時こそ強いのです・・・

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死んだつもりで。

2023-05-07 | 宗教
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近道などありません。

2023-01-14 | 宗教



多くの苦悩、後悔、葛藤・・

生活苦、対人関係・不運・病苦・経済苦



苦悩が無い人間など存在しない。

誰しもが、その原因を求めようとする。



過去生、前世からの因縁???

遺伝的要素???

前世や過去の行いに対する
清算としての受難??

器が大きい者に与えられた試練???

強者に課せられた成功の為の課題??

霊的要因??



その判別は、かなり難しいです。

複数の要素が微妙に絡みあっている事も多いです。

ウサギセンサーで感知する事もありますが・・

多くの要素が螺旋状に絡まっているので、
「その時一瞬」状態を見ることは出来ても、
全貌は見えない。

 見えないものを、錦の旗を振りかざし、
断定したり、
得意満面な顔で断定する事は愚かな行為。

怪力者に観てもらったとしても、
怪力者は複雑に絡まる「一部の要素」を見ているだけです。

他者の力で「全貌」を掴むことは不可能。

自力でも然り・・



強欲な宗教屋さんに相談しら、
鴨になる。

錦の旗を振りかざして
後出しジャンケン・・



ウサギセンサーで全貌を観ようとしたなら、
ウサギ仙人の精神が崩れてしまう程の負荷が掛かります。

どちにせよ、
過去から来る要因を判別することは不可能に近いです。

ならば・・・

どうすれば良いか?



だだ、ひたすら、
前を向いて。

 目の前にあることを精一杯やる 

 今を精一杯生きる 

 過去の事に対して、後悔はせず、反省する 

 見返りを求めず、親切と誠意を尽くす 

 善行に意味などない!!!無意味を極める 

 笑って誤魔化さず、明るく誠実に生きる 

そして、天に委ねて呟く・・

 悪あがきしません・・お任せします 

一見、気の長いお話のように感じますが、
近道などありません。

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優秀な人間がなぜ???

2023-01-05 | 宗教


戦後稀にみる凶悪犯罪を
起こした宗教団体が存在しました。

 東京地下鉄にて
毒ガスを使ったテロ・・・

 S弁護士一家殺害・・・

首謀者の教祖Aは
極刑に処された・・・

この団体の幹部は、
高学歴な頭脳優勝な人が
多かった。

どうして????

理系の優秀な人間が
A教祖を信用してしまうのか???



私が感じるに。

 A教祖は、実際に超能力があった 

そのような能力を有しているからといって
神仏に通じた人間であるとは限らない。

善良な人間である証拠にはならない。

そのような能力と
人望や人徳との相関関係はない。



A教祖の超能力とは???

 他人の過去を言い当てる。

 他人の考えている事を言い当てる。

 他人には知り得ない
心の中を思いを言い当てる。

他人の心の中に入り込み、
相手の意表を突き、相手の心を攪乱させて
誘導、洗脳、を行い
最終定期は相手の心を支配する。



A教祖の場合、
このテクニックは
心理学的なテクニックではなく、
非科学的な未知なる力
による誘導だった。

正真正銘の
「超能力」「怪力」
であったと感じる。



それ故に、
一流大学を出の理系の
エリートが、いとも簡単に
洗脳されてしまうのだと思う。



このような現実離れした
不可思議な怪力があったが故に、
A教祖を聖者と思い込む
人間が現れた。

妄信は伝染する・・
周囲の人間は集団催眠に陥る・・

そして多くの妄信的な信者を
作り出していった・・

最終的には、類まれなる
凶悪犯罪に発展
したのであると思う。



道徳・モラル・
秩序・信用
正義・博愛・愛念・
慈悲・信仰心・・・

これらの要素と

超能力・・
予知能力・・
霊感・・

は別物です。

これを混同すると
怖いことになります。



なかには「人徳」の高い人で
尚且つ「怪力」を有する立派な人も
存在することも確かですが・・・



全てにおいて、

怪力 = 人徳 ではない。

モラルに欠ける人間が「怪力」
を有する場合
その弊害は甚大である。

このような人間が
野心を抱くと悲惨なことになる。



これは、
あくまでも私の持論ですが・・・

 Ōーム事件の根本原因は
この部分にあると思っています。



私の知る限り、
信用できる怪力者とは・・

 それを誇示しない、
ごく普通のオジサン、オネエサン 

実際に、
そういう人を知っていますが、
その人は追求しても、
絶対に自分が持つ怪力を認めません。



怪力や霊感に惑わされないよう
ご用心して頂きたいです。





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伊勢神宮・外宮参拝・・・多賀宮

2022-11-23 | 宗教






正宮参拝を終える・・・

  ここからが肝心・・・ 

正宮正面の山側に向かう。
亀石の上を通らないと山側に入ることは出来ません。

亀石には特別な意味が隠されているように感じます。



石段を登る・・・

正宮を見下ろす山の中腹に多賀宮は鎮座します。

正宮の参拝のみで引き返してはいけないと思います。

多賀宮を参拝しないと、
正宮を参拝した意義が半減するように感じます。





多賀宮参拝

「外宮参拝」とは・・・
正殿と多賀宮がセットでないと意義が無いと感じます。
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宗教界最大の正直者

2022-10-27 | 宗教




親鸞聖人・・・

仏教界・最高の正直者だと思う。



ならば・・・
キリスト教では??

と・・問われたら・・・
マザーテレサ様であると思う。



あまり語られることは無いが・・・

マザーテレサ様が生前、
カトリックの先達様に書いた多くの手紙が
残されている・・・・

驚くような内容・・・

  んん~~ん・・・ 

思わず・・・唸ってしまう。

異教徒の偉人に対して、
煩悩仙人如きが、ここで、
その内容を紹介するのは不敬に当たるので
差し控えさせて頂きますが。

マザーテレサ様の正直さが伝わって来る・・

「自分は悟りを開いた」と信じている、
自称・エライ人が読んだら・・・

マザーテレサの苦悶こそ・・
キリスト教の限界の証である・・・と、
上から目線で論評するだろうが・・

 悟ったフリをする善人こそ・・・救いがたい。



改めて思う・・・・

「信じる者はすくわれない」

神仏を信じる・・・という心の前提は「要求」

「要求」の裏側は・・・「駆け引き」



 正直に・・・

 欺かず・・

 傲慢にならず・・・

 笑って誤魔化さず・・

 天に対して、駆け引きせず・・・

強く、明るく、希望を持つ・・・

 不断煩悩得涅槃   {
・・・煩悩を断たなくても涅槃に至る・・ 

  今、このままで、光となる・・・ 

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信じる者は救われない

2022-10-26 | 宗教


神仏を信じる・・

神仏に何かを求める・・・

徳を積む・・・???



神仏を「信じる心」とは・・

神仏に対する、「疑いの心」の裏面。

「太陽は明るい」・・・

信じる必要はない。

なぜなら・・・「それを疑っていない」からだ。



親鸞聖人は・・・

「信じる者は救われない」・・

このような趣旨の言葉をよく宣われた・・

最近・・・その意味が実感として身に染みる。



信じなくても救われる・・・



南無阿弥陀仏・・の言葉の本意は・・

受け身の思いを込めた言葉であると思う。



「信じる」「信じる努力をする」「信じているフリをする」

この思いの背後にある「本心」は・・
ある意味「駆け引き」である・・

その想いの前提には、「要求」があるからだ。

 要求の裏側は、「神仏に対する疑い」と、
「自分に対する不満」ではなかろうか???



 要求は辞めて・・委ねる・・・

悪あがきしません・・要求は辞めて・・降参します・・・



親鸞聖人の説いた仏教の本義とは・・・

こういう事ではないだろうか???







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俗世間では「スケベ根性」と呼ぶ。

2022-10-20 | 宗教


鬼瓦が呟いた・・・



ほんとうに大切なものは目には見えない。

命は目に見えない。

心も目に見えない。

見えないけれどあるんです。

目に見えないからと言って存在しない訳ではない。

先祖の霊も目に見えない。

神様も目には見えない。

優しい心も目に見えない。

慈悲と知恵も目に見えない。



目に見えないものを観ることができるかどうかで
勝敗は決まる。

 眼に見えないものを見た人を
真の勝利者と呼ぶのだろう・・・

但し・・見るとは「眼で映る」と言う意味ではない。



もし、神や、霊が「眼」で見えたら・・・

それは幻覚・・・
幻覚を実体と信じると、
いつか痛い目に遭う。

「見てはいけないモノを見たいと思う心」が幻覚を呼ぶ。

「見てはいけないモノを見たいと思う心」とは・・
俗世間では「スケベ根性」と呼ぶ。



ならば・・・
「見る」とは??どういう意味???

 「見る」とは・・・「観る」と言う意味。

 「観る」とは・・・
強く観じ、確信するという意味 

勝たねばならぬ・・・・・
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