ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

犬の散歩

2007-08-09 21:30:26 | 日々の出来事
 K師のご母堂の具合が悪く急に帰省なさることになって、愛犬Kちゃんを昨夜から預かっています。お泊り三回目です。

 今朝の散歩は他の散歩中の犬とはニアミス、というかお互いに散歩中の犬を見つけるとコース変更したような・・・。今日夕方お散歩の折、まずお向かいのお散歩に出会う。はす向かいの小母ちゃんと井戸端会議中でした。以前飼っていたクンクンのこともとても可愛がってくださった方たち。
 「まぁ、奥さん犬を飼う気になったの?」
 「イエイエ、しばらく預かっているんですよ。クンクンに似ているでしょう?」
 「まぁ、本当に似ている、クンクンに似ている。」
 「ドラドラ、よく見せて!何ていうお名前? 品があるわねぇ」
 「奥さん、本当に嬉しそうねぇ」
 「綺麗に手入れされていて…イエイエ飼い主の手入れが良くて…」

 Kちゃん、今朝より乗り気のお散歩。姿勢も良くて、散歩綱を引くほど元気。
 シーズーを飼っていた御宅の角で。その御宅の奥さんが水撒きをしていらしてKちゃんを見て話しかけてくださる。
 「わぁ、びっくりした。綺麗な犬ねぇ。お名前は?」
 「Kといいます」
 「Kちゃん、おいくつ?」
 「さぁ、12歳ぐらいでしょうか」
 「元気そうねぇ、毛並みも綺麗。家も生きていれば同じくらい」
 「えっ、お散歩していらっしゃいましたよね?」
 「去年の冬に亡くなりましたの。お会いした?」
 「お散歩をしてらっしゃるの、知っていました」
 「そう、お目にかかったかしら? Kちゃん、覚えてないわ」
 「ア、この子は友人から預かっているので…」
 「そうなの、家のが亡くなってから、寂しくなったのよ」

 もう一人、裏の家の犬もお散歩中。ご主人がやはり我が子とKちゃんを会わせてお話した。

 面白い! 私、あまりご近所付き合いがなく過ごしてきましたが、家で飼っていた犬がクンクンだったことを知っておられる方が多いことにびっくり。そして、あちこちの犬の名前をご存知の向きも多いこと。犬のうわさ話に花が咲くようです。
そして、私クンクンが死んだときに「亡くなった」と言ったかなぁと思い出したり…私は「死んだ」というのも嫌で、「亡くなった」というのはおかしいと思っていたので「逝った」という言い方をしていたような。

 多分、あと数日は預かることになるので、人間ウォッチングも楽しみであります。それより、明日から来る孫Fちゃんがどんな反応を示すか…。

 『K師のお母様の具合が悪くなってK師は帰省しておられます。み旨ならご高齢だけれどまた回復の恵みが与えられてお元気になりますように。み旨なら心安らかに神様の御許への旅路に向かわれますように』(今日のミサでの祈りより)…こういう祈りをできるところが信仰者の素晴らしいところと思いました。