牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

犯人(犯鳥)!?が分かる

2013-08-23 18:40:35 | Weblog
院長室の窓際にブドウがあり、手入れもしないのに毎年実を結びます。もう年年もなりますが熟して食べごろになるとなくなり、朝学院の玄関に外皮が捨てられています。

 誰だろう?と、副院長も不思議がり、毎年犯人は分からないまま、もう罪つくりになるからブドウを止めようと言いながら、そのままです。

 今朝、分かりました。捕まらないはずです。羽のある何とカラスでした。院長宅のビワも今年は全部食べられました。ゴミ捨て場もしっかり網で覆われ、餌が少なくなっているのだなあと思います。



 誰が食べているんだろうと人を疑うのではなく、捕え(られなかったけれども)て見ればカラスだったとは!

そんな沖縄帰りの今日でした。

今日もまた天国の一日でした!雨が降り出しそうで、まだ降りそうもない、雨雲が広がる生駒の夕暮れです。

詩篇

147:7 感謝をもって主に歌え。立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。

147:8 神は雲で天をおおい、地のために雨を備え、また、山々に草を生えさせ、

147:9 獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方。

147:10 神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。

147:11 主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。

生駒より沖縄がしのぎやすい!

2013-08-23 08:34:27 | Weblog
聖書の一言=創世記49:9 ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。

49:10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。

自分を犠牲にし、高潔な責任を果たし、親や兄弟たちを大飢饉から救い出し、ユダヤ民族の祖となりました。

人類の救いい主イエス・キリストは、ユダ(獅子)の子孫と、ユダ族から出た獅子(黙示録5:5)として、聖書は紹介しています。

高貴な人は、高貴なことを考え、高貴に語り、高貴に実行します。高貴な人生を生きたいと願う、今日もまた天国の一日です。

昨日夕方沖縄より帰宅。今回も、心優しい沖縄での握手をした方々が、飛行機やホテル、レストランや土産物店、どこででもアーメン信じます、との祈りに38名も応答してくれました。

 小冊子(天国から追い返されて牧師)を、タクシーの運転手が皆さん受け取ってくれ、余り沢山はポスティンできなかったが、ホテルの周囲に配りました。

福音を伝えれば、アーメンと信じる祈りをし、受け取ってくれるという楽しい日々でした。

生駒聖書学院も9月2日から二学期が始まります。また神学生たちといっしょに、福音を伝える喜びの日々です。あなたも学院で、楽しい福音伝道の喜びを体験しませんか。

今日もまた天国の一日です。祝福を祈ります。


ローマ人への手紙

10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」

10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。

10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。

10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。

10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。